はてなキーワード: 極真とは
例えば、過去に炎上したり何かしらアレな発言や事をしてしまった人がいるとして
そいつが至極真っ当な事や、ある事に対する批判(その批判そのものは非常に正しい)を口にしたら
「お前昔似たような事言って炎上したよな?」「過去に○○しておいて、お前がそれを批判する権利は無い」だなんて罵倒する奴らがいる
例えば、昔ある政党を褒めててageまくってたけど、現在はその政党のやり口が少々アレなので失望して愚痴ったり批判したとしよう
すると、「お前が褒めた政党だぞ、受け入れろ」「掌返しわろたwww」なんて言う
ネットイナゴによるネットリンチに苦言を呈すると、「お前は昔似たような事をしたよな」「義憤を燃やす○○さんの過去の発言がコチラwwww」とかやって昔の発言や行動を引っ張り出して叩く
いやいやいやいやいや!!!それは今関係なくね!?過去に失敗したら発言を許されないの!?
今言ってることと因果関係ある?無いよな、じゃあ今は関係ないはず、何故いきなりそうやって言葉を封殺する?
今と全く関係ない事を出してマウント取りに行く姿勢にはため息しか出ないわ、お前らだってそれならブーメラン刺さるような事あるだろうに、自分は良くて人はダメってか?
今春結婚予定。元々式は挙げずに両家の顔合わせのみで済ませるつもりでいた。自分達は関東某県で同棲中で、両親とは近距離別居している。婚約者の実家は東北地方にあり新幹線を使っても2時間半程かかる。
コロナ騒ぎで式を挙げない理由を古い体質の職場で詮索されずにすむと婚約者は喜んでいたのだが、移動も自粛すべき事態では肝心の顔合わせも出来ない。先に来月婚姻届を提出して、落ち着いた頃に顔合わせをする方針で双方報告して合意した。
そんな折、先日婚約者に連絡が入った。お互いの印象も薄れているし詳細な情報を知りたいから簡単なプロフィールを送ってほしいとのこと。婚約者のご両親とは交際してすぐの頃に数回顔を合わせたきりで5年以上経っているので至極真っ当な要求だ。
いざ書こうかという段になって何を書くべきか途方に暮れてしまった。履歴書では変だし見合いの釣書のようなものにするか、もっと砕けた形式が良いのか悩んでいる。
ニューヨークのM-1グランプリ決勝10位で二年前のパンツマン騒動を思い出し、Twitterでサーチしてると未だに本気で怒ってる人が数名いて驚いた
内容はともかくとして「パンツマンを怒らせたニューヨークを許さない」という字面、めちゃくちゃシュールで笑っちゃう 本人たちはこれを至極真剣に言ってるのかと思うと余計に笑っちゃう
暇なのでついでにそういう類のツイートを突っついてみる
・パンツマンにちゃんと謝ってない←本人のツイートで正式な謝罪文が出たけど読んでないのだろうか…
・ほとんどの人がニューヨークおもんないって言ってる←主語でっか!!
一昨日、好きだった人に振られた。
恋愛は好きになった方が負けという話はあるが、敗北も敗北。自分の存在価値を疑ってかかっちゃうくらいには心をボキボキに折られもう何もわかんなくなってしまった。
好きだった人は同じバイト先の同僚で、相手の方が年齢は一個上。同じ大学に通い、相手は浪人していたため学年自体は一緒である。
かれこれ2年弱同じバイト先で一緒に働いていたが、今年の8月にようやく連絡先を交換しご飯を食べに行くことに。
向こうの出身が日本海沿岸の県ということもあり、魚料理が美味しく日本酒も豊富な種類揃えられている店を選んだ。
普段バイトをしていても時たま最近のことを話す程度だったので、相手の生活のことや過去のこと、お互いの家庭のことなどを打ち明けながら楽しい時間が過ぎてった。
24時間やってる喫茶店に移動して、相手が追っかけの女性アイドルの話などを話しているうちに終電を逃した。
結局2時近くまで話していたが、さすがに話すことも無くなり始め、店を出てコンビニで缶チューハイを買って深夜徘徊に。周辺をウロウロしたり公園でブランコに乗ったりしながら始発を待って、解散。
自宅に帰りながら、酔いも相まって白昼夢なんじゃないかと思えるくらいの濃密な時間を過ごしていた。この時点でもう完全に相手に惚れていて、ダメだなとか思った記憶がある。
月が経ち、10月になった。
「面白かったです。ただ1人で観ると感想話す相手がすぐ近くにいなくてちょっと寂しいですね。周りも2人とかで来てる人多かったし。」なんて感想が返ってきた。
そうだったんですね。でも僕も1人で観ること多いですよ、なんて話してその場は終わった。
終わったが、恋愛に毒された脳は(なんでそんなこと言うんだ…?)とか考え始め、暗に映画誘ってんじゃないかという結論に至った。そんな訳ないのは分かっているのに。
後日、勇気を振り絞って映画を見に行きませんかと誘い、OKを貰った。大学生くらいなら別に見知った男女で映画観に行くくらい訳ない話ではあるが、恋愛観が終わっているのでこれくらいのことで心臓がはち切れんばかりにバクバクと音を立て、滞ってた全身の血流が良くなるのを感じられるくらいには嬉しかった。
映画の話は割愛する。この日に12月のご飯の約束を取り付けた。
そして一昨日、ご飯に行った。店は前と同じでいいという話になったので前のお店に。
緊張しすぎて思うように会話が弾まない。弾むのは僕の酒のペースだけであり、飲み始めて1時間で日本酒の量は4合を超えた。
とりあえず消化しておきたかった最近の話とか、相手の追ってるアイドルの話とかを肴に食事を楽しみまたあの喫茶店に。
告白の言葉を言い出すにも上手いタイミングや雰囲気を作り出すにはあまりにも話術に乏しく、ただ無為に時間を空費していくばかりであった。「さっきから様子おかしいですけど飲みすぎましたか?」なんて聞かれてしまう始末である。
別にヤケおこした訳ではないが、何かもう今言わなかったらダメなような気がして、伝える。もう何話したのかも覚えてない。まぁ、当然振られる。
思えばずっとこんな人生だった。相手の子は隣で並んでて釣り合わないくらい可愛い。ヒエラルキーの底辺にいるような人間が、下剋上かの如く突撃して行って返り討ちにされるなんてのは至極真っ当な話だ。ヒエラルキーなんて、そんなもの無いと相手は言うが、僕にはあるようにみえる。そんなものに諦めの理由を押しつけても仕方がないが。それでも何とか釣り合うように似合う服買ったり色んなものに興味もって顔出してみたり観てみたり聴いてみたり、会話のレパートリー増やそうと思ってやってきた。でも、そこまでだ。圧倒的に話術に乏しい。面白い話ができない。この文章だって冗長でありふれていて、すぐ読み飽きるだろう。
相手が前に付き合っていた人とは何で付き合い始めたのか聞かせてもらった。面白かったかららしい。もう殺してくれとしか思えなかった。
きっと、こうやって変に肩肘張らなくても話せるような人と付き合うべきなんだろうと思っている。自然と、相手にとっても自分にとっても面白かったと思えるような。
スウェーデンの16歳少女が国連で怒りのスピーチをしてから、なんだか温暖化に無関心なのは居心地が悪い。
彼女の怒りは理解できる。そんなに怒らんでも、とは思うが、子どもにはその権利がある。
でも彼女への支持を急に表明し始めた大人たちには、なんかもやもやとしたものを捨て切れないでいる。
彼らは、温暖化が進んでいます、どうにかしましょう、という至極真っ当な意見に支持を述べたに過ぎないにも関わらず。
君たち、急に正義の味方するのは結構だけども、これまで知らんぷりだったじゃないか。言っとくけど、君たちも彼女たちから怒りを向けられる側だからね。
例の国連のスピーチと我が国の大臣のアホっぷりで俄かに注目を集めた気候変動は、今に始まった話じゃない。
企業はあの頃からずっと少しずつ省エネだなんだと、曲がりなりにも努力してきたんだよ。
毎年出してるなんちゃら報告書みたいなの読んでみればいい。二酸化炭素〇〇%減らしました、とかどこの企業もやってるよ。毎年。
もちろんそれが十分とは言わないし、評価しろ、とも言わんけど、君たち何もこっちに言ってこなかったじゃない。
そういう話を無視して、例の少女をひたすら持ち上げたり、ちょっと某ショップがデモのための休みを認めただけでエシカルだなんだと褒め称えたり、恥ずかしくないのかな。
例の彼女に賛意を示したり、シンパシーを感じたところで、罪は消えないよ。
君たちは現在目の敵にしてるようなやつらとこれまで散々一緒にやってきたんだよ。
これから必要になる温暖化対策って、こまめに電気消しましょうとか、マイボトル持ち歩きましょう、みたいな小さい話じゃない。技術革新に期待、みたいなタイムラインでもない。
それこそ原発をまた動かそうとか、フランスで起きたイエローベスト運動の原因にあったような炭素税とか、キツい話ばっかだよ。極端に言えば、人を殺す可能性すらある。
そういう話だよ。
これは恨み言。
無邪気で無責任な君たちへの恨み言だ。
正直あいちトリエンナーレ関係のニュースは補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。
Chim↑Pomが炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。
昨晩のTBSラジオ「session22」のOPにリーダーの卯城さんが出演し、作品の意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。
https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21
帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。
悪意のある誤読や切り取りか、ニュースの見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。
…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。
あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ。
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守はシステム1に、リベラルはシステム2に主に訴えかける主張だ。
リベラルな言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉が要求される。
要するに、面倒臭いのだ。
フェイクニュースの流行やトランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人の承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。
ただ、アートを含めた文化全般の価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品の文脈や、各カルチャーの歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。
文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダードを破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品の意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術の功罪を知ることが必須だ。
これはクラシック音楽のスタンダードからの脱却を図った現代音楽を聴く際にも求められる態度だ(クラシックの素養なしにサティやストラヴィンスキーやシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。
またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロックの誕生からプログレ・商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカのポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。
それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。
ポピュラー文化は人口に膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。
ただ、文化が社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業がマネタイズできない時代においてこそ、その価値が保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。
政治にまったく詳しくない私(30代)がたまたま昨日のYouTubeライブ中継を観て思ったこと。
N国はここ最近初めて知って調べてました。ちなみに立花さん・マツコさんのどちらも特に支持していません。中立だと思っています。
今回の件の簡単な経緯は、一応、下の方に書いておきますけど、詳しくはググってくださいね。
マツコデラックスさん(若林史江さんも番組も)が、N国党や有権者を小馬鹿にしたのは事実。
実際の番組ではなく番組の動画しか観ていませんが、喋り方・言葉選びも含めて完全に小馬鹿にしていると感じました。
確かに宗教じみてて気持ち悪い感じを受ける人もいると思うし、私も若干そう感じているけどw
公共の電波で、一政党や有権者に対して言ったというのが完全に失敗。
また、NHKに対しての不信感やロクでもない集金人がいて恐怖を感じている人・被害を受けている人がいるのは確固たる事実なので、
少なくともそういう人は敵に回したはず。謝罪じゃないにしろ何らかの説明はするべきだと思ってる人が多いんじゃないでしょうか。
今回、ド正論を言っているし、全く非がないのにも関わらず何らかのひっかかりを感じるのは、やり方や言動などでしょうか。
また、本当の本当に有権者が馬鹿にされたからの憤りなのか、話題作りなのかの疑問が拭えない感はありますね。
あと国会議員としてというか人間性として、あやしさ満点なので、信頼感には問題があるような気がします。
ただ、政党の目的は一貫しているし、スクランブル化については至極真っ当なことを言っていますし、
NHK問題で困っている人に対しては、ホットラインを設置して対応していたり、時には立花さん自ら電話で代理対応をしていたり、
行動力は半端じゃないです。また、全体的な作戦・戦略は、ものすごく上手で相当に頭のキレる人だなぁと感じます。
そして、今回の件は単純に「マツコデラックスさんvs立花さん」という形ではなく、
「テレビ・メディア・既存マスコミに対抗しうる新しい力があるかもしれない」という見方も出来るかと思います。
昨今のNHKを含むテレビ・メディア・既存マスコミの偏向にはもう多くの人が気づいていると思いますが、
どうにかしないといけないとは思うものの、これまではどうすることもできなかった現状で、
今回の件に「既存マスコミに対抗しうる新しい力」を垣間見た人にとっては目が離せない状況なのではないでしょうか。
N国党については、スクランブル化が完了したら解党と言っていますし、もしそれが可能で事実であれば、
ワン・イシュー政党でこれまでに変えられなかった難しい部分を局所的かつ確実に対処して、
という形ももしかしたら方法のひとつとしては悪くないのかもと思ってしまいます。
現状では、もっと時間が経たないと何とも言えませんが、しばらく注目していて損はなさそうです。
既存マスコミでその間に、すぐに掲載した所、別記事は掲載しているけど今回の件は掲載していない所、
全く動きのない所、が顕著に分かれた感じでした。
( 今回の簡単な経緯 )
マツコデラックスさんがテレビ(TOKYO MXの5時に夢中)で、N国党・立花さん・有権者に対して、
宗教じみてる・気持ち悪い・ふざけて投票した人も相当いるだろう・それだけに税金を使われたら迷惑、などといった発言をする。
↓
それに対して立花さんは、公共の財産である電波を使って、N国党の有権者を馬鹿にするような発言をしたことに対して怒り、
説明をするか反論する機会(テレビ対談やインタビュー・YouTube・SNSのどれでも良いと言ってる)を与えるよう呼びかける。
※株式トレーダーの若林史江さんも同番組で同様の発言をしていたが、影響度を理由として若林さんには特に言及はしていない
↓
しかし、その後、数日経ってもマツコデラックスさん・TOKYO MX側からの反応は一切無し。
反応が無い中、同側から立花さんに対して訴訟をするための準備・相談をしているという情報があったらしい。
※TOKYO MX内の立花さんに味方するスタッフからの情報らしいが真偽の程は不明
↓
呼びかけに応じないなら直接会いに行くという立花さん。さらに数日が経つも反応無し。
そして8/12の17時?頃、マツコデラックスさんが番組収録を行っているTOKYO MXへ行って出待ち。
その様子をYouTubeでライブ配信。現場には100~200人ほど来ており、YouTubeライブでは一時6万人以上が再生していた。
↓
1時間ほど経った所で、マツコデラックスさんがパニックに陥っており番組を降りると言っているという情報があったらしく、
※TOKYO MX内の立花さんに味方するスタッフからの情報らしいが真偽の程は不明
↓
同日の23時50分頃、マツコデラックスさんは本件について説明や謝罪をする予定もなく、
番組をすぐには降りないらしいとの情報があったらしく、立花さんのYouTubeチャンネルで同番組スポンサー商品の不買を宣言。
先ずはこの書き込みで多くの方を不快にさせましたこと、お詫び致します。また暴力を受けずに真っ当なご家庭で幸福に育って来られた何の非もない方々をわざと煽るような発言をした事も重ねてお詫び致します。
レス、ブコメ、全て目を通させていただきました。当然ともいうべき厳しい意見から私の境遇を慮って下さった方までおられ、有難く思います。
私はたぶん、親と、かつて受けた暴力などが未だにトラウマになっています。そのせいかは分かりませんが、アラサーになった今でも自分の長所がわからず、自分の意見や気持ちをうまく主張できず言葉の強い人に同調してしまい、否定を恐れて常に人の顔色を伺い誰かに同意をもらえないと満足に自己表現すらできず、また自己評価が低いのは自分がだめな人間だからだという思いから(事実ですが)自分を信じる事ができないクズのままで社会人してます。言い訳がましくて申し訳ありません。
どなたか書いておられますが、大人にもなってマナーや一般教養でしかいきがれないなんておかしいですよね。そんなのは努力でどうにでもなり、誰もが出来る事なのに。どんなに若くたって社会人ともなれば何か秀でるものはあるはずで、そんな当たり前の事しか評価する要素がない時点でゴミでしかないと思われているに決まってるのに。
だけど、こんな私にも少しは、ほんの少しだけは礼節や教養云々といったつまらない誇りでなく、自分の努力の成果として心に残っている事柄はいくつかあります。しかし私が何を努力しても、「親の教育が」という言葉は付いて回り、私が努力をすればするほど親の評価が上がって私の受けた教育は正当化されていきます。親戚たちも皆そうです。みな口を揃えて、親に感謝しなさい、親のお陰だ、そればかりです。我慢で食いしばった唇が切れて血が出るまで私を殴ってくれてどうもありがとうと、そう思わなければいけないのでしょうか。よく分かりません。
発達障害も精神疾患も現れる事なく一応人並みに社会に出られてしまった今、私は親の教育を否定する事ができません。また私自身、自分の人生を全否定するのが怖く、あれは虐待だったのでは?と考える前に思考を止めてしまいます。
悪い事をしなければ食事は出ましたし、夕食を抜かれた時でさえ申し訳ありませんと言えばご飯をくれましたし、楽しい思い出も数えきれないほどたくさんある普通の家族でした。そしてこれだけは自信を持って言える事ですが、親はこんな私なんかを確かに愛してくれていました。だからこそ、殴ったり蹴られたりされていたとしても本心から感謝すべき事も多くて、やはり親が好きで、自分のされた事は虐待ではなく躾だったと受け入れたい気持ちが勝ってしまいます。
それが、新聞に載る児童虐待のニュースにあれこれ論議している姿を見る度に「あなただって私をぶったり蹴ったり、言い分を聞かずにへりくつだとねじ伏せて暴力で言う事を聞かせてきたじゃないか」と泣きたいのか腹が立つのかよく分からない感情になってしまうとしても、私は自分とその親を「虐待がありました」と言えないのです。
今回の投稿は、それを誰かに否定して欲しくてわざと親を称賛し肯定し尊敬しているかのように振る舞い、親の行為を虐待だと批判させる事で救われたく、浅はかな私の足りない頭で精一杯考えた結果のものです。
半分騙すような形になってしまったことは申し訳ないですし、想定以上に反響があったことにも申し訳なさを感じますが、「殴られなくても普通の大人になれる」という今まで認めたくなくて親からの暴力を愛情だと全肯定する事で25年間も目を逸らし逃げ続けてきた当たり前の事実を、こうして突き付けて下さった事に何よりも感謝しています。
自分の人格の歪みや自信のなさは結局のところ全て私の至らなさ、力不足、自己責任ですので、努力して直していくしかありませんが、少なくとも自分は親から暴力を受けていた事は悲しかったと言っていいのだと、あれは不当なものだったと主張しても良いのだと背中を押して下さったことに感謝しています。
そしてもう一つお詫びする事がございます。
私には2歳の娘はおろか、結婚すらしておりません。時間が限られている、今すぐに連鎖を断ち切らなければならない、そう思ってくださる心優しい方の目に留まるよう混ぜた嘘です。
私みたいなクズ1人ならば何の価値もない社会のゴミ屑が一丁前に慰め待ちか…と気にも留めて頂けなくても、罪のない子供が登場したならば注目せざるを得ない、そんな方々の良心を利用するような真似をし申し訳ないと思っています。ですが私みたいなクズが母親なんて可哀想ですから私が子供を持つ事は未来永劫ないと思うので、その点はどうかご安心頂ければと思います。
親がくれた身体だけは人並み以上に丈夫でしたので、この25年間特に病む事もなく、また自殺する事もなく無事大人にはなれましたが、自分の人生を自分で否定する事ができない私の弱さと「そんなの躾の範囲内」「叱られることする奴が悪い」で済まされてきた私の十何年分の「痛かった」「悲しかった」をどうしたらいいか分からなかった私を至極真っ当な言葉で解放してくれてありがとうございました。
やっぱり家族が大好きだから、憎んだり間違ってると声をあげたりできなかった弱い私の代わりに、私と、私の親を叩いてくれてありがとうございました。
私は現役東大生だが、
「現役東大生だが、上野千鶴子の祝辞はゴミだと思う」(https://anond.hatelabo.jp/20190413114026)に反論を試みたいと思う。
ここには上野氏の祝辞(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html)がほとんど引用されていないので、論旨が追いづらいかも知れないが、読んでくださる諸氏にはご容赦願いたい。
以下、引用中略は[……]、上野からの引用は「」、上記はてなからの引用は四角い枠と “ ” 、私自身の強調は[]で示した。
↑ソースはここhttp://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2018/09/10/1409128_002_1.pdfで、六年間の推移が1.17→0.76→1.31→0.95→1.04→1.04でその平均が1.03なので仮説検定をすれば有意でない、すなわち平等とわかる数値なんですが、なんでこんなに持って回った言い方するの?
この後に述べられている通り、「医学部を除く他学部では、女子の入りにくさは1以下であること、医学部が1を越えていることには、何らかの説明が要る」。そして平均としては確かに1程度である(女子は医学部にだけ特別に入りにくい)ので、他の大学より遥かにマシだとはいえ、このデータには読み解くべき何かがあることになる。
↑ここまでの話をまとめると、私立大医学部ではどうやら不正な入試が行われているが東大では医学部はじめ全ての科類で平等な入試が行われている。ということなんですが、これはもはや私大の医学部の問題[……]で、東大の入学式の祝辞の一発目に持ってくる話題としては不適当では?
東大は(権利問題として)特権的な学府ではなく、他の最高学府と並列の、ただの[大学]だ(事実問題は置いておいて)。だから、他の大学の話は、東京大学という固有名において確かにそれだけ関係が薄いし、しかし大学であるという点において強く関係している。他の大学との交渉も避けられない状況、そして例の不正が、入学試験という、どの[大学]にもある制度に於いて発生した不正である、ということに鑑みると、やはり他大入試の不正は無関係であるとは言えないだろう。
↑ここ統計データを示せよ。なんで女子が差別されてる話は具体的な数字出しまくったのに女子が優れている話は具体的な数字出さないんだよ。
これは、追記
(https://anond.hatelabo.jp/20190414151912)
により推察されているとおりだと思う。
女子学生の偏差値のほうが上だというのは、東京大学の受験者を母集団とした時の偏差値のことで、偏差値の正規分布に性差はないというのは、母集団を全体とした時の話である。そのくらい、現役東大生なら読み取りましょう。
大学進学率の男女差の原因分析は、統計一本では不可能だ。たしかに、その差が統計的に有意かどうか示されていないのは穴かも知れない。原因が性差別によるものだということも、根拠は示されていないのもそのとおりだ。だが、それは先にも指摘したように統計のみによる分析ではない。他の統計やフィールドワーク、社会学的な先行研究などを踏まえて、より厳密な研究において慎重に示されたものだろう。それが省略されたものだと読むのが適切だろうと思う。
まあ、なにか根拠を示して欲しいとは思うが、そこは論文を読めということを世論に誘導しているのだろう()。
そう……彼女はここに於いてことごとく結論を省いているのだ。それを私が補うこともできようが、それは実に恥ずかしいのでしない。とにかく、その空隙はみな、彼女の策略だと読むことができる。……できる、というのが曲者であり重要で、テクスト読解における著者の意味論的意図をどう扱うかという問題に繋がるのだが、とりあえずここでは、そのように[読める]ということはそのような解釈を受け入れて良いと言うことでもあると述べておこう。
↑てか普通に考えたら 第一:女子は安全志向 第三:親が性差別している を要因として 第二:東京大学入学者の女性比率が二割以下 が発生してるって話になるだろ。なんで並列なんだよ
ここは正直、言っていることがよくわからない。第一及び第三を原因として第ニは導き出される、ということを言いたいのだろうか?それを指摘すれば丁寧だったかも知れないが、特に指摘する必要はない。
ここで示されているのは、①女子は安全志向(ゆえ男子と比べ偏差値的の高い人が東大を受験する)、②女性比率が二割以下であり、偏差値の高低に性差はないため、男子と比べ(略)、③女子は男子より四年生大学進学率が低く、大学受験自体への逆風がある、ということだ。追記にある、③への疑問はもっともで検証は必要かも知れないが、大学進学をdiscourageする気風がある中で尚、東大進学を果たす人の集団がそうでない人の集団に比べ優秀であると推測するのはそう不自然なことではない。
東大の「1.03」という数字に不正の影を見るかどうかはわからないが、少なくとも医学部に女性を入れにくくする何か(不正に限らず)が働いている、と疑いを抱く読み解きはおかしなものではないだろう。
↑「娘の翼を折らないようにしてきた」という父親の事例を挙げて得られる結論がどうして「多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきた」なんだよ。
確かに論理的にはそこからそれは導き出せないが、これは論理的な筋を追う文章ではなく、レトリックとして、別の事例に於いてしかし同様の自体が起こっていることに結びつけ、全体の帰結を引き出している、ある種の帰納的な修辞だ。繰り返すように、これは論文ではなく演説である。
↑どうやって?
確かに画一化。まあしかし東大男子が全体の傾向として異性にアトラクティヴなものとして映るというのは間違いではないように思う。
男子大学生は東大生であることに誇りを持っていることは傾向として否定できないと思いますけどね。
統計的傾向は個人を説明し切ることが出来ないが、かと言ってそれ自体を否定できるものではない。
そもそもここでの画一化は突然ではない。初めから、男女という、大きな別々の傾向性を持つ、二つの、緩やかな集団の話をしている。
〜同様のため中略。極めて不毛。〜
↑どんな目で見られてるかちゃんと言えよ。マイナスイメージ[……]が正しいと言いたい(文脈的にこっち)ならそれは性への圧だろ。
[どのように]見られているか明確に言わない、というのはやはり演説的(というか普通の意味で)レトリックであろう。文学に於いて、全てゴテゴテ説明したら品がないし衝撃を薄めてしまうのと同じかと思われる。
高学歴男性批判なのだから、『彼女は頭が悪いから』における見方に一定の価値を置いていることは明白であるし、“性への圧”をかけていることを批判しているのだから、その抑圧的な側の“性への圧”になるのは当然だ。“圧”をかけねば批判できないのだから。
↑男子サークルって書き方からして完全に男子を悪者にしてるけど他大学の女子が競争相手を減らすために東大女子を入れないようにしてる可能性だってあるだろ。性差別か?お?
そのような事例は、全体の傾向からして少数派であると判断したからだろうという反論と、他大女子がそのような行動をしているというのならば、やはり女子は勉強が出来ると魅力が減るという偏見の存在を証明することになるという反論の二つが想定できる。
原因ではなく、東大に於いて性差別が存在していることを、別の形での表出を例示することで補足的に示している。
“時代性が交絡するようなデータ”というのが何を指しているのかよくわからないが(学部などの学内女性比率のデータと、学部長などに女性が極めて少ない上東大総長に女性がいないことを示すデータ、という2つがあることか、それぞれのデータが何年度の調査であるのか示されていないということなのではないかと思う)、両者は比較されていないので、双方共に有効なデータであれば問題なし。
これも文意がうまく取れなかった。
上野氏の話の内容が“祝辞で喋る”のにふさわしいかどうか、というのであれば、個人のスタンスによると思うので割愛。私の意見を結論だけ言えば、全く問題ないと思う。……少しは気の毒と思うけれど。素朴な親御さんにとっては。
↑これ普通に気になるな
気になりますよね。
闘ってきた、ということは事実の記述。恵まれた環境がそれを支えてきたかどうかとは別の問題。もちろん、その闘争も、努力のみならず、阻害しない環境が最低限整っていたというのは間違いないと思う。
不正入試だけではなく、大学における女性差別という[がんばってもそれが公正に報われない社会]がある、という話。
加えて、それでも、努力が[東大合格]という結果に対しての最低限、報われる環境という必要条件を満たしていたことは、観測選択効果により論理的に明らかである。
↑これはまあそういう意見もあるよね。
そうですね。
↑恵まれない人を助けることに繋がらない学問やっちゃいけないの?ブラックホール撮影しちゃだめ?ニュートリノ観測しちゃだめ?
第一ブラックホールの観測は、恵まれない人々を貶めない。むしろ間接的にではあれ勇気を与えることもあろう(嫉妬深いポスドクを苦しめるかも知れないが……)。
この言葉は決して、能力の使途範囲を積極的に規定しようとするものではない。「弱者」を貶めるために使うな、と言っているのだ。そうしなければ、差し当たり何に使っても構わない。「弱者」を助けるため[だけ]に使えなどとは言っていない。
そして、ここは確かに難しいところだが、社会的「強者」である東大生が持つ、大きなリソースが「弱者」に分配されれば、社会状況は良い方向へと一歩進むだろう。そのためにも、その力を「弱者」のために使ってほしいと、[お願い]しているのだ。命令でも、べき論でもない。これは[自由意志]に訴えるしかないのだから。
結局東大生に弱者であって欲しいのか弱者を助ける存在であって欲しいのかが見えてこない。弱者を助ける存在もまた弱者で、だから他の弱者に助けてもらいましょう。ということなのかな?全員弱者なら女子受験生の話をした意味は?
おそらく全ての人は、あるところに於いて「強者」であるとともに、また別のところでは「弱者」である。絶大な権力を持つ政治家は社会関係の多くの場面で「強者」だが、病院に行けば脆弱な身体を医者に晒しているかも知れない。東大女性だって、社会通念に於いてはそれが負の属性であるかもしれないが、知性を持つという事実に於いて「強者」でもある。「弱者」というのはここでは女性という属性のことだけではない。みなが持ち、みなが足蹴にする可能性のあるものだ。
↑まずこの弱者って特に女性を指してるの?だとすれば女性は謂れなき差別を受けていてそのために被害を受けているという話だったよね?てことは女性は謂れなき差別を受けたままで尊重されるべきってこと?意味不明じゃない?
[「弱者」である]ということは差別を受けるということと等価ではないだろう、当然。分かるよね?
……付言するなら、「弱者」である自己を否定否認して「強者」に成り上がることだけがこの社会に生きる唯一の道だというなら、それは極めて殺伐とした恐ろしい世界だということだ。相対的に見て、ある能力に乏しい存在であるということは、[悪]を意味しない。そもそも、能力の優劣自体も、極めて価値論的な事態なのだから。
総評として、全称記号と任意記号の恣意的な混同によってデータを自分の都合のいいように改変して使用する、統計学ひいては学問を完全に馬鹿にした祝辞であったように思える。思想としてのフェミニズムであればこのような「過激な」スピーチにより注目を集めるのも一つの作戦なのだろうが、この人は「学問としてフェミニズムを修めている人間」として「これから学問を修める3000人の東京大学新入生」にスピーチしたわけで、その内容としては甚だ不適当だと言わざるを得ない。
はっきり言って、こんなものを褒めそやす人間は、たとえそれがどれだけメタ的な視点からの評価のつもりでも、科学の世界を脅かすありふれた権威主義の愚か者の集団に含まれる一人にすぎないと言えよう。
統計的根拠を一々述べ立てるアジなんざ、アジとしての役割を果たすわけないのだ。全称命題と存在命題とを断りなく混在させているのは事実だが、どれがどちらかというのはきちんと読み解けば理解できるものだし、そこで意味されている内容も至極真っ当なものばかりだ。根拠が常に明示されているということが学問の第一条件ではないし(科学的方法論に於いては絶対かも知れないが、それでも初めは根拠の見当たらないところから探求はスタートするのである)、目の前に立っている人間がいつも親切に根拠を示してくれると思うなら、それは歩行器に頼り切って自分は歩けると錯覚してしまっている憐れな赤ん坊でしかないだろう(そんな自意識的な赤ん坊はいないけれど)。
それに、学問的営為が実践と不可分であるような領野などいくらでもある。工学は社会実装を常に見据えてあるだろうし、医学や看護学や臨床心理学などは常に目の前に他人がいて、それにどう働きかけるかという視点がなければ成立しない。クローズドスキルだけでは学問は成り立たない。倫理学者が、平気で己の立てた操に反しているならば、それこそ非倫理的だろう。厳密にいうならば、程度の差こそあれすべての学問は日常に接続しているはずなのだ。そもそも、このスピーチは学問的に水準以上の盤石さの上に成り立っているものだと思われるわけだし。
権威主義を警戒する姿勢は全く健全なものであるが、目先の手触りのザラツキに神経を逆撫でされて走り出してしまうのはいただけない。きちんとテクストを読み解いてから、非難に当たるべきだろう。そのようなあり方こそが学問的な……という以前に、真摯な姿勢による対応だと思われる。
「結婚したんだー!」
あー……。
誰にだってそんなに好きじゃないイベントとか場所とかってあると思うんです。
たとえば私、カラオケ大好き。
日本人みんなカラオケ好きでしょ!?嫌いな人いる!?くらいに思ってた時期もあった。
でも、大学生の頃みんなで遊んでて、このあとカラオケ行こうぜ!ってなったとき「カラオケならやめとくー」っていう子がいた。
まじで?カラオケ嫌いな人いるの?って思った。やっぱりびっくりはした。
でも当然ながら無理に連れて行くなんてことはしない。
自分がどんなに好きでも、大切でも、他の人も同じなわけがないんだから。
まして、来てくれないってことはわたしのこと嫌いなんだ、どうでもいいんだ、なんて思うわけがない。
でも、結婚式ってそういうとこありませんか。
あまりに苦痛なので、googleの検索履歴は「結婚式 招待されない コツ」「結婚式 呼ばれない コツ」などでいっぱい。
「行きたくないなら断ればいいのでは?誰もいやいや来てほしくはないでしょう」といった至極真っ当な書き込みを目にしながら、みんながこういう人だったら苦労はしないのに…とため息をつく。
「結婚式来てくれない人とは、この機会に付き合うのやめようかな」
そんなことを言っている友達がいた。
なんでもないことのように、無邪気に放たれたその言葉に、わたしは平静を装いながら深く傷ついていた。
え?結婚式って、出ないと関係切られちゃうような恐ろしい儀式なの…?こんな当たり前みたいに…?
ひどく衝撃を受けた出来事だった。
誘われたら最後、
素直に「別に行きたくないから」という理由で断ろうものならきっと頭のおかしい人だと思われてしまう。
だから、現住所を伝えて招待状が来るのを待ちつつ、欠席を正当化してくれる用事が入ってくれることを祈るしかないのだ。
誤解されてしまいそうだが、
他人に金払いたくなんかない、
結婚が妬ましい、
みたいな感情は一切ない。
友達の新生活を思いながらプレゼントを選ぶのは嫌いじゃないし、喜んでもらえたり使ってもらえたりしたらすごく嬉しい。
ただただシンプルにああいうパーティーのような場が苦手なのだ。
着飾って、マナーを査定されて、他者との会話や感動の共有を強いられる雰囲気がダメなのだ。
別に結婚式するなとも、喜んでいくやつはおかしいとも言ってない。
ただわたし個人が結婚式系のイベントに行きたくないだけなんです。
でも真っ向から「結婚式行かない派」を名乗るのも怖いんです…。
同じことで悩んでいる人がいたら、角を立てずにそもそも「誘われない」コツを教えていただけませんか。
■これまでうちはお前に融通を効かせてやった。
→そもそも融通効くのがバイトという雇用形態のメリット。制作時間を削りたくないという事情の中「融通効かせてやった」のは元増田の方。飲食バイトなんか今一番人員確保に苦労してる業種なのにわがまま言うなと。柔軟に対応してでも人員を確保できなきゃ他店に人員持っていかれるので、融通なんて効かせて当たり前。
■自分のやりたいことをやるためにバイトを辞めたいなんて身勝手じゃないか
→自分の人生を生きるためにバイト辞めるなんて、バイト辞める理由として至極真っ当。大事な人生をバイト如きに縛り付ける方が身勝手
■他の先輩もサークル活動とバイトと学業を両立してやっているぞ。お前もそのぐらいならできるんじゃないか。
■それか辞めるんだったら後任を連れて来るのが大学生という社会人として当然のことじゃないか。
→後任を探すのは雇用者側の仕事だし、責務。バイトの仕事じゃない。
■きっぱりやめたいんだったら、後任者を見つけてこい。
→労働基準法上、後任者なんて見つけなくてもやめていい。それを突っぱねるのは違法。
■それまでは週二日ぐらいはシフトに入れ
■制作費を出してくれる人が見つかったと言っているがそんなのいつまで続くかわからないぞ
→続くかもわからないのと同じぐらい続かないかどうかもわからない。そもそも、続かなくなったらまたバイト始めたら良いだけの話。現時点ではバイト辞めてパトロンに頼ったほうがいい。