はてなキーワード: 有頂天とは
とある人が透析患者を殺せだのなんだのって言っていますね。向こうのコメント欄にも似た考えをされる方が多くいらっしゃっています。
でも、あの光景、ネットだけじゃないんですよね。私も知り合いがそういう考えだからよくわかる。「でも餓死するニュースが定期的に上がってくるじゃない。それが起こるってことは、ダメな奴には社会が引導渡しているんでしょ」って。それを聞いて耳を疑った。そういう考えをする人がこの世にいることにびっくりした。
ホッテントリにその記事が上がってきても、もう私驚かなかった。金の巡りだけが世間で、血栓のように金の巡りを悪くしているところが憎らしいんでしょ。そういうことでしょ。
そう思うと、彼の予備軍ってたくさんいると思う。「コスパ最高!」なんて有頂天になって紹介してるホッテントリ、さんざん見るもの。公益施設を収支でしか考えない人も山ほどじゃない。図書館を賑わいの拠点に据えちゃう市も同じ傾向にあるよね。
彼、この先透析患者の次は誰を狙うかな。私みたいな特定疾患患者も当然狙いの一つなんでしょうね。月に5000円しか払わないんだもんね。コスパ悪いよね、ごめんね。8時間働くのがやっとだから自己負担が1万円だったときは結構辛かったのよ。
いま要るのは、彼を燃やしたてることでもお詫びを強いることでもなく、コスパ優先の思想が全てじゃないことを理解してもらうことだと思う。もっといろんな見方ができるような大人になってほしい。
「貧すれば鈍する」とはよくいうけれど、追いつめられることで鈍すると思う。経済的になのか分からないけど、鈍しているとすれば様々な環境へ連れていっていろんな見方があることを知ってほしい。いじめられっ子が別の環境を体験することを勧められるように、この方にもそういう環境を体験してほしいな、って思ったりする。心に余裕できるから。
先日焼肉に行ったんだ。
恋人と焼肉はよく行くが、友達カップルとはいつも居酒屋だったので焼肉屋は初だった。
お店は小さい小汚い感じで、肉の質とこだわりの部位が売りのお気に入りの店だ。
店に入り、何度か来たことあった私が基本的に注文した。他3人にはあらかた注文した後、ほかに頼むものある?という形で注文。このタイプよくある。
タン、ハラミ、ミスジ、赤身、それとなますとオイキムチ。あとは4人分のビール。
焼肉にビールは最高さ、レモンサワーも最高さ、最近私はホッピーなんかも愛せちゃうわけだが、とりあえずのビール。これはマナーなのかもしれない。
マナーといえば焼肉はタンからというらしいが、私にはよくわからない。1枚目からカルビでもいいじゃないか。
ただ、友達カップルという枷があるためマナーは守ろう、タンから焼こうと人数分乗せた。
育ちがあまりいい方ではないので、タンを乗せるに留まらず、ハラミも乗せてしまった。
そろそろ焼けてきたので私はとって食べる。
非常に質がいい。肉汁が溢れ、笑みが溢れ、消えるのはビールだけだ。
あぁなんて幸せなんだ、私はこのために生きているとさえ思った。
言葉を失った。
どうやら焼肉食べるときはこれ食べていい?って確認するもののようだ。
どの肉を食べるかは網の上に乗ったその時から各軍で戦略を練り、食べるのだ。
それを必ず宣戦布告して食べろというのだ。
恋人氏のようによく焼き保守派がいるのであれば、私も人の子だ配慮する。
だが、私が綿密に狙いを定めたものに対してはそこは自由だ、私の戦場だ。
焼肉最後まで私は納得がいかず、戦半ばで強制撤退を受けたようなもんだ。
後日気づいた、これは奴による焼肉意欲を削ぐためのいわば奇襲、心理戦なのだったと。
焼肉は戦場なんかではない、G行為、マスターベーションの1つで孤高であるべきなのだと考えを改めさせられた。
諸君!わたしはハラミが好きだ!ハラミを愛してる!ハラミのために焼肉行くと言ってもいいくらいだ!
そこには孤高が求められようともハラミを食らう、孕みではないG行為をするのだ。
あぁ焼肉行きたい。
今夜は1人焼肉にしよう。
音楽のはなし。
30代の自分からすると、70年代後半から80年代前半くらいのニューウェーブというジャンルの人気や影響がどんなものだったのか全くわからない。
プラスチックス、P-MODEL、ヒカシュー、一風堂、有頂天あたりの曲を聴くと、電子楽器とバンドを組み合わせた新しい音楽を模索するぜ!みたいな流れを感じる。
ニューウェーブ系のバンドはたくさんあったようだし、斬新だから当時のヒットチャートを賑わせたバンドがいくつかあってもおかしくないんだが、そんな話を全然聞かないのはなぜだろう。
YMOだけしか聴かなかったのか、それとも大ヒット曲がないから話題にするほどでもないってことなのか。
うーん、不思議だ……。
いや、理系医学部以外の最高峰の物理学科なんてロンダ率ひどいぞ。
そもそも内部学生70人くらいに対して院の店員が300から400人位だからな、
ただ、特にその辺の学生は一応入るときは結構本気で研究しようと思って外部から来る子も多いんだよね、実際。
だけどその殆どが入ってすぐにムーリーってなって一気にただのロンダモードに入って就活しかしなくなる。
まあ、可哀想なもんなんだよ、東大に入り込んでちょっと有頂天になって地獄に突き落とされてそこから逃げるようなもんだから。
私には好きな人がいた。それは中学と高校という多感な時期を一緒に過ごした同級生だった。
私と彼女は中高一貫の女子校で出会った。こう書くと百合だと思われるだろうが、あくまで私の性癖はヘテロであり、好きの感情は友情の域を超えないのだが、確かに私は彼女に憧れていたし、好きだった。
初めて彼女に出会ったのは中学一年で、彼女は隣のクラスだった。同じ部活動の子を経て知り合った。彼女はすらりとした身長で、絵と文章が上手な少女だった。文科系の遊びが好きだった私はすぐに友達になりたいと思った。しかし、人見知りで内気な彼女は話しかけてもろくに反応がなく、あまり接する機会もないまま学年が一つ上がった。
中学2年になって、私は彼女と同じクラスになった。驚いた。まさかこんな奇跡が起こるなんて思ってもみなかった。しかも、彼女と仲のよかった子は全員別のクラスで、彼女は一人で昼食を食べていた。
チャンスだと思った。
私も親しい友人が全員別のクラスになってしまったため、一人で昼食を食べていた。私は彼女に声をかけようか悩んだ。中学一年の時一度話しかけた時にすげない反応をされたことが怖くてなかなか声をかけることができなかったのだ。それでも私はある日勇気を振り絞って言った。一緒にお昼を食べませんか、と。震える声で言った。私の不安をよそに、彼女はあっさり承諾してくれた。それから彼女と一緒に昼食を食べるようになり、どんどん彼女と親しくなり、ついには放課後の習い事まで一緒に通うようになった。
彼女は演劇部の花形で先輩後輩問わず大勢からファンレターをたくさんもらっていた。そのころ流行っていた文章投稿サイトでは常にランキングの上位にいた。出会い系に電話してのこのこやってきた男を眺めるといった衝撃的な遊びをやったりもしていた。まさに、私にできないことを平然とやってのけるッ、そこにシビれるあこがれるゥ!といった感じだった。
それに反して私は実に平凡だった。何のとりえもない、誰にも顧みられることのない地味な存在。満たされない承認欲求を持て余した私には彼女はあまりにも私の欲しいものをすべて持っていた。純粋に彼女が羨ましかった。彼女は常に求められていた。輝いていた。本当に平凡だった私はそんな彼女に一番近しい存在になれたようで有頂天になった。
しかし、だんだん私は物足りなくなっていった。私の彼女に対する感情と、彼女の私に対する感情がイコールでないことに気付いてしまったのだ。
というのも彼女は常に孤独感に苛まれており、さびしい、とか、どうせ私は一人なんだ、とかそんなことばかりを言い、私からしてみれば一緒にいる私はなんなんだ!?という思いにならざるを得なかったのだ。私からみれば彼女の周りは常に彼女を気にする人で溢れていたし彼女は確かに私を含め大勢の人から愛されていた。しかし孤独感なんてものはとどのつまり本人の感じ方次第で、客観視にはなんの価値もないということを解するには当時の私はあまりにも幼く、彼女の状況に寄り添ってあげられず彼女に対する感情をどんどんこじらせていってしまった。
とにかくネガティブな発言をし続ける彼女を否定し、私の望む彼女を彼女に押し付けた。押し付け続けた。まるで彼女の管理者であるかのように傍若無人に振舞った。さびしいだと言えば、何を馬鹿なことをあなたの周りにはこんなに人がいるのに甘えるなと言い、孤独だと言えば、あなたより孤独な人なんていくらでもいる被害者ぶるなと言った。ある時などは、彼女がひどく品のない替え歌を歌ったことがあった。私はそんな歌を彼女に歌ってほしくなかった。再三歌うのを止めてくれと彼女に言ったが彼女はやめなかった。私はついに彼女を平手打ちした。彼女の眼鏡が飛んだ。その後どうして関係を修復したのかまったく記憶にない。だが、飛んで行った眼鏡のことは今でも鮮烈に覚えている。
高校に進学し彼女が学校を嫌がり登校日数ぎりぎりになった時も、私は彼女にとにかく頑張れと言い続けた。あなたには才能があるのだからもっと努力すべきだと。気の持ちようだと。疎外感なんてものは気のせいだ、無力感なんて欺瞞だ、あなたは恵まれているのだからと。
私の言葉が届かないのは彼女のなかで私の価値が低いからだと思った。なんとか私の中の彼女の存在くらいに、彼女の中での私の存在感を持たせたかった。彼女に私を認めて欲しかった。私がいるということを認めてほしかった。しかし中身のないハリボテをいくら繕おうとも全くの無駄で、結局私の想いは報われることはなくそのまま高校卒業となり私と彼女は別々の県に進学した。
遠い地に離れ離れになったが彼女と疎遠になるのが嫌で、私はなんとか彼女との接点を持ち続けようとした。そのころはまだSNSなどはなく、当時彼女がやっていたHPサイトの掲示板に時折書き込んだりメールしたりするだけだったが、とにかく頑張った。連絡すれば無視されることはなく返事はあった。一年に一度会うか会わないかだったが何とか連絡がつく状態を保ち続けた。彼女の住んでいるところの近くに住んでいた友人を紹介してより彼女の情報が入ってくる状況を作ったりもした。なりふりなど構っていられなかった。
そうしているうちにSNSが台頭してきた。もともと熱心にHPの更新を行っていた彼女はSNSでは非常に饒舌で、SNSさえあれば彼女の日々の暮らしや考えていることなどが詳細に知ることができた。
しかしSNSでの彼女はあくまでも昔のままで、いつも自分の不幸を嘆いていた。世間に毒を吐いていた。だんだん周りが結婚し、子供ができ始めた。彼女はずっと結婚願望があり、何人も彼氏が変わったが結婚には至らなかった。
そんなある日彼女がフェイスブックで幸せそうな同級生の投稿に嘲笑われている気がして辛いと言った。日々の生活に行き詰まりを感じていた私はそんな彼女に自分を重ね、そんなに自分を追い込まなくてもいいじゃないかと言いたくなった。ずっと彼女に辛辣なことしか言えなかったが、いまこそ辛さを分かち合えるかもしれないと思ったのだ。
確かに彼女たちは幸せそうで、あなたの望む幸せを持っているかもしれない。私はあなたの欲しがる幸せを幸せとは思わないので彼女たちをなんとも思わないけど、私の望む幸せを彼女たちが持っていたら妬ましいと思うだろう。でも、私の望む幸せはあなたにとってはどうでもいいことだから私の妬みなんて的外れだと思うでしょう。それとおなじで、誰もあなたを馬鹿になんてしていないよ、元気を出して、と。
彼女は怒った。
励ましが欲しいんじゃない。こんなものはチラ裏なんだからいちいち構うな。放っておけと。
壊滅的なすれ違い。私の言葉は一切彼女に届かない、この関係はすでに手遅れだ。そう悟った。いや、ずっと気付いていたけど見ない振りをしていた。彼女の感情に寄り添えない自分勝手な私は彼女にとって彼女の大切な人ではないということに。挽回はもう不可能だった。
彼女はSNS上では他の人には会いたいと頻繁に言っているのに、私に会いたいと言ったことはない。連絡するのは常に私から。誕生日にメッセージを送るのは私だけ。
正直疲れたのだと思う。私の努力なしには継続しない関係に。あまりにも些細なつながりにしがみつき、これは友情だと妄信していた。しかし、こんな関係は友情とは言えない。友情ではないことをずっと認めたくなかったが、私はついに諦めた。
私は怒った彼女にごめんと一言だけ言って彼女をフォローすることを止めた。見ているとやっぱりなにか言いたくなってしまうから。彼女も翌日私がフォロー解除したことに気付き私のフォローを解除した。解除後私について一言だけ、もう会うこともないから別にいい、とのエアリプがあった。完全に彼女との18年にも渡る縁が断たれた瞬間だった。
長い、本当に長い片思いだった。震える指先でフォロー解除ボタンを押したとき、ちょっと私が泣いたなんてきっと彼女は思いもしないだろう。
ただ、いま久しぶりにフォロー解除前後のやり取りを見直そうと彼女のアカウントをのぞいたらなんとブロックされていた。
フォロー解除後はしばらくブロックされていなかったし(未練がましくちょっとの間フォロー外から眺めていた)、フォロー解除後も特に彼女に対するエアリプをしたわけでもないので、少なくともどこかのタイミングで私に対して何かを思うタイミングがありそしてアクションを起こしたのだ。どうでもいい存在であればブロックなんてする必要などないのだから、私という存在が彼女に何かしらの瑕疵を与えることができたのかもしれないことを少しだけ喜んでしまった私は、本当に救いようがない。
結婚してたのをファンはおろかゲスの親まで知らなかったのが怖い
売れない頃に散々支えてもらった女と結婚したけど、芸能人に言い寄られて有頂天になって親や世間に結婚隠したまま嫁を棄てて卒論提出して初婚でーすみたいなふりして結婚するつもりだったんだろ
男に尽くして成功してやっと結婚したすぐ後に不倫されて、夫はクリスマスは不倫相手とデートして、正月には不倫相手を親に紹介しに連れていって、記者に嫁のことを聞かれたら知りません他人です名前は知ってます扱いされて、嫁の孤独を考えるだけで背筋が寒いし、嫁をなかったことにするために二人揃ってとことん打ちのめそうとしたゲスとベッキーの鬼畜さも怖い
いいじゃないか。
並大抵の覚悟ではできることではない。
わざわざそんなことをしなくても十分得るものは得たのに。
それでもなお書くというのは並大抵の勇気ではない。
競争考みたいなつまらない本を出した時はこの人ほんとに終わったかと思ったけど
そんなことはなかった。とても嬉しい。
だからこの本は買う。買って読む。
読んでみておかしいなと思ったらちゃんと指摘するし
ハックルさんの読み方がさすがだと思ったらちゃんと絶賛させてもらう。
ところで。
ラノベ企画の続報はどうなっておりますか http://info.nicovideo.jp/seiga/hucklenovel/
もうイラストレーターが決まってから2年経つんですがまだですか?
ライトノベルの書き方をブロマガで一生懸命書かれてましたがついに終わったということはもうすぐ出るって思ってていいんですよね?
もしかしてラノベ出る前に「ラノベの書き方の教科書」って本出したりしないですよね。
でもラノベは頑張ってくれないと困る。
ラノベの話が出てくるまで、今まではずっと岩崎夏海さんのことは
企画者としては優秀でも文章が本当に退屈でつまらない人だと思って読んでました。
もしドラ読んでもエースの系譜読んでもチャボよんでもいっつも同じ。
わかってる立場の人間が思わせぶりな言い方で人をけむにまくような話ばかり。もっとまっすぐ伝わる書き方できないのかとやきもきさせられる。
本人はいろんなことをよくわかってるんだろうけれどそれを他人に理解してもらうことを諦めてて、
それで自分の殻に閉じこもっていろいろ先回りして言い訳して自分を守ってるいけすかねえ野郎だと思ってました。
理解してもらおうと言う努力は放棄して相手に理解してもらおう受け入れてもらおうという甘えがすごいにじみ出てた。
そんなに自分が何でもわかってるつもりでいたいならそうやってずっと頭髪あたりが裸の王様やってろと。
でもそんな岩崎さんがラノベに挑戦すると聞いて、そういう殻を取り払って
ダイレクトに読者とつながりあうものを書こうって考えられてるのを見てすごい嬉しかったのです。
それは、ある意味でもしドラなんかよりずっと難産だろうと思います。
どこまで岩崎夏海が頭髪以外の部分をさらけ出せるかという挑戦だと受け止めています。
その意気込みをブロマガでたくさんたくさん書いてくれて、私の期待はもう有頂天なわけです。
その挑戦の結果が、たとえストーリーとしてつまらなかったりテーマ性外して売れなかったりしても構わないのです。
ただ、岩崎夏海が、どれだけ真剣に読者に向き合ってくれてるかのほうが大事です。
少なくとも出さずじまいは絶対に許されないし、変に奇を衒って作者が鎧を着てるような作品だったとしても私は嘆き悲しむでしょう。
FXネタでいじり続けていたところ本人が本気にしてしまったあげくいつのまにか持ち芸になってしまったため敵の戦力を強化してしまった罪を問う。ただし普通の人間ならネタだとわかる使い方をしており、FXネタですらマジになることを事前に推測しろというのは困難であったため情状酌量の余地あり
いくらネタにしやすいからといって増田でさんざんやめろという忠告がされていたのに無視してはてな村奇譚で魔理沙姿を採用し、結果として限りなく増長させた罪。魔理沙が好きな増田の私怨もあって重罪。一時期このせいでだいぶ有頂天になって上からorangestar語りを始めるなどかなり増長していたことは疑いの余地なくシロクマ観点でもギルティ。
何もしていなくても存在するだけで「村長やはてな村にエアリプでケンカ売る俺すげえ」という形でターゲットの自意識が低下した時に自意識回復のカプセルにされる罪。頻繁に本人の記事に言及しにいくところからもシロクマ観点ではA級戦犯。しかし村長などは常識的に考えるとひたすら粘着されている被害者でもあるため一等罪を減じる。
kanoseと同罪。何もしなくてもターゲットの憂さ晴らしに利用可能なフリー素材となっており存在しているだけでギルティ。
地味に直接絡みがおおい面々。
新興ブロガー。本人がよくTLで口に出しているので自意識回復カプセルか。上位村民と比べるとそれほど自意識の回復の役に立っていないためA級を免じる。
ここまでいくともう言いがかりに近いがターゲットが特殊すぎるため強めの接触の時点で罪が疑われる。
触れただけで罪。
「地方への移住」においては、「仕事の少なさ」や「収入の減少」、「プライバシーの欠如」が問題になりやすい。
しかし、それらの問題は、割と覚悟したうえで移住することが多い。
直接自分に関わることではないため、あまり語られることは少ないと思うが、
実際に移住してみると、これこそが最も大きな問題ではないか?と思う。
ちなみに、
全国の県庁所在地を都会的な順に並べると、下から数えたほうが早いというぐらいの田舎である。
とはいえ、山々に囲まれ「最寄りのコンビニまで車で10分…」というほどでもない。
広島や金沢や熊本などでは、本記事の内容は当てはまらないかもしれない。
まず最初に言っておきたいのは、
これは、いわゆる民度を指しているわけではないということだ。
「田舎は隣の人が勝手に敷居をまたいでくる」という話でもない。
地頭が良い、悪いという話でもない。
単純に、知識が少ないのだ。
都会に住んでいるとき仕事でそこそこ活躍していた方は、田舎の会社に入ると次のような人々に悩まされるはずだ。
・社会人なのに、いまだに勉強の仕方がわからない。つまり、自ら学ぶという姿勢が一切ない
・もちろん、アメリカやヨーロッパ、アフリカなんてのは言わずもがな
・ビジネス用語も厳しい。メールのマナーを話しても???という感じ
・中学、高校、あるいは小学校で習ったことでさえ、知っているか怪しい
・その結果、ビジネス会話が成り立たない
・ただし、自分の興味がある分野には詳しい。また、地元の情報やしきたりにも詳しい
・テレビ番組にも詳しい。毎日バラエティ番組を観ている人が多数
これは、最下層の学校に通っていたヤンキー…といった話ではない。
それでも全然、いる。
しかし、圧倒的に知識がない。
ここでいうのは、仕事に使う知識だ。
つまり、どういうことかというと、あなたが田舎の会社に入社すれば、
東京や大阪の場所を知らないのが当たり前という人々の中に入ることになる。
自然の帰結として、あなたの価値観に一撃が加えられることになる。
そんなはずはない、と思う。
しかし、そうやって褒められる場面は増えるばかりだ。
「15+42がよく暗算できるね!」
「頭が良い」という評判を得たりもする。
逆に、「おれは子供か!?」と何とも言えない気分になるかもしれない。
しかし、
甘美な響きのはずの「頭が良い」という褒められ言葉が、
やがて、実はそこまで評価されていないことに気づくはずだ。
田舎では、「頭が良い」ということは、さほど良いことではないのである。
お酒に強かったり、車の運転がうまかったり、
バーベキューで率先して火を起こせたりするほうが
考えてみれば当たり前のことだ。
田舎では「頭が良い≒仕事ができる」はそれほど重要ではないのである。
だが、こうしてあなたはショックを受ける。
この価値観の違いは顕著になる。
この違いは、そのままモチベーションの違いとなって現れる。
あなたは一人だけで頑張っているような感覚になるかもしれない。
大きくは次の2点である。
・現状を正しく把握できない
・長期的な計画が立てられない
まず前者。
知識が少ないということは、言葉が少ないということ。
つまり、自分が今置かれている状況を客観的に分析できないということだ。
その結果、
「去年と同じ成果が出たから良かった!(かけたコストが増えているので、去年と同じでは全然だめ)」
「うまくいかなかったけど、よく頑張った!(主観的評価になる)」
「どうしてうまくいかなかったかよくわからないけど、次はもっとたくさんの人を絡めればうまくいくんじゃないか?(原因がわからない。ちゃんと分析しよう、という話にならない)」
「……(原因を分析しても、それをじゃあどうすればいいのかわからない)」
ということが起きたりする。
続いて後者。
現状がちゃんと把握できないから、長期的な計画が立てられてないのか、
いずれにせよ、長期的な計画というのは、シミュレーションの連続なので、
これは、市場環境の変化が早くてとても計画が立てられない、という話ではない。
長期的な計画がなければ、目標にブレが出てくる。
昨日は西に行ってたけど、今日は東、という状況がよく出てくる。
割り切っているのか、そんなものだと思っているのか、
とにかく問題にはなりにくい。
※ここで言っている「長期」というのは、一般とは違って半年〜1年ぐらいを指している。
先週の放送で、人間は心理的に5つのパターンに大別できるというのをやっていた。
企業では、この5つのパターンの人間をうまくブレンドして配置すると、成功しやすいらしい。
一番役に立たなさそうであるが、外国の会社ではこのブラックリストタイプをうまく組織に組み込むことが重視されていたりもするらしい。
詳しくはこのページにまとめられている。
http://medianow.jp/etc/psychological-diagnosis/
地方では、このブラックリストタイプが特に生きづらい印象を受ける。
新しいものを好む性質である以上、彼・彼女らが都会に出て行くのは仕方がないだろう。
新しい風が吹き込まなくなる。旧態依然とした状態を守ろうとする。
結果、その地方は、新陳代謝がうまくできない組織になってしまう。
…という推論を組み立ててみたが、いかがだろうか?
当たり前だが、仕事を優先したいのならば、地方に行くべきではない。
地方でもうまくやっていける人は、
・どうしても地方でやらなければいけない理由がある人(家が地主だ、介護がある等々)
のどれかだろう。
趣味は、イラストやデザイン画を描いてピクシブなどネット上でアップして楽しんでいた。
仕事はイラストやデザイナーとしては程遠いため、趣味でのみやっていますが、
長く描いているおかげでネット上でそれなりにファンもいて満足していた。
それとは別に、facebookを学生時代の友人限定ではじめた。
タイムライン上では、季節の挨拶を取り入れた趣味のイラストやデザイン画をアップロードすることも行っていた。
また、美術館など行くのも好きなので美術館に行った感想や、面白かった現代アートやデザインなどの記事もシェアして
それなりに楽しんでいた。
そんな時、同窓会が開かれてfacebookでもつながっている友人(Aとする)からあることを教えてもらった。
内容はというと友人Aから、共通の友人である(Bとする)がインターネット広告会社に入ったことのこと。
学生時代あまり絵やデザインを描いている印象もないのだが、プログラミングを勉強したのかと軽く思ってた。
話がどんどん進んで友人Aから、友人Bが私のイラストなどのデザインをパクっていると言い出した。
友人Aも仕事がデザイン系であるからなんとなくわかるらしく、友人Bが盗んでいるから気を付けなと警告してくれた。
どうやら、仕事上なんらかの接点があったらしく友人Bの仕事上の作品を見たらしい。
友人Bは、企業の公式サイトをデザインも含め一括で作成する広告会社に入社したのをきっかけに、私に興味をもったと友人Aは言っていた。
確かに、Facebookの友人Bの投稿を振り返ってみると、私がシェアしたデザイン系の記事の配信元はすべていいね!を押してチェックしていることや、
今年に入って料理にイラストを描く趣味を新たに開拓したのだが、それもすべて彼女のfacebookに興味があることとして投稿されていた。
また、投稿日時も確認したらすべて私が投稿した後に、友人Bは投稿している。
私は仕事がデザインやアート系ではないので盗まれて頭にくるというよりかは、気持ち悪いなという方が気持ちとしては強い。
友人Bは、facebookの友人の中で自作のイラストに一番いいね!をくれている友人だったので、私自身ちょっと有頂天になっていたところも
ある。広告会社に入っているのも、もちろん知らなかったけども、それまでの印象がわりと良いのもあって非常に残念に感じている。
デザインやイラストなど美術系の仕事はしたことはなく、パクるパクられるというのはよくあることなのかなという疑問も
あって、また人に話せない内容なのでこの場を借りて投稿してみた。
小学6年生のときに毎朝一緒に通学してたサッカー部の男の子が居た。色黒で背が小さくて目が大きくてクラスの中心人物だった。俺は当時からゲイやらBLやらの世界に興味津々だったのだが、彼と毎朝話すうちに、もしかしたら俺もそっちのケがあるのかも、と思い始めた。しばらくしてのち、俺は彼のことを考えながらオナニーをするようになった。正直、自分がそっちの人間であると受け入れるのは抵抗があった。まずは母親に相談した。すると、お前は女の子からもてないから、男の子で気を紛らわそうとしてるんだろう、と言われた。12歳の俺でも、流石にこの言葉にはがっかりした。これはダメだと思い、クラスの担任に相談したら、相手が誰であろうと思いやりを持つことだよ、と言われた。これにはなるほど、と感心し、しかし彼には何も言うことがないまま、小学校での生活が終わった。
中学生のときは女の子が普通に好きになった。2回恋をしたが、2回失敗した。2回失敗して、女はクソだな、と思った。本当は自分が一番クソなのだが。
高校は男子校に入った。勿論周りは男だらけで、クラスメイトや部活の友人は文化祭で彼女作りてーな、とか、この間TwitterのDMであの娘のLINE聞いちゃった、みたいな話で盛り上がるのはまあ当然、でやっぱり俺はこの男に囲まれる状況に満足してしまった。バドミントン部の同級生、口を利いたこともない他クラスのサッカー部、自涜の材料を挙げれば枚挙に暇がない。特にバドミントン部の同級生は身体は比較的大きく、しかし童顔で声が高く、今ではあまり使わない言葉を使えば「紅顔の美少年」という言葉が相応しい見た目だった。彼と一緒に帰ることが出来た日なんかは気が狂いそうなぐらい嬉しかった。しかし、林間学校の宿泊先で彼と同じ部屋になりすっかり有頂天だった俺は散々彼に絡んでいたのだが、当時俺は「それ」のケがあるんだよねとネタ半分に吹聴していたのもあってか旅行の前日に「キスとかしないでね、本当に」とわざわざ個人LINEが来た。キスはおろか、過度なスキンシップは避けていたつもりだったが、やはり疚しい気持ちというのはそれとなく出ているのかもしれない。俺は深く反省すると共に、俺はネタでああいうことを言っているのであって真面目ではないよ、と、彼を安心させようと思う故の姑息な嘘をついた。12歳のときに両親に言われたことを殆ど同じように自分に言ってるじゃないか、という気分にもなった。また、同性から寄せられる性的好意の目はこんなに嫌悪されるのか、ということも学んだ。
そのうち部活で後輩が出来た。後輩は素直だし、何より見た目がドンピシャだった。とはいえ少し幼過ぎたので、最初はなんとも思っていなかったのだが、諸事情で1対1で面倒を見たりしていると単に後輩をかわいがるとかそういう感じでもなくなってくる。俺を信頼し慕ってくれている。根がどうにもアホなので人の態度をすぐ信じてしまうのだが、割とあっさり彼のことを本当に好きになってしまった。同級生はついぞそういうリスペクトの交換みたいなものはないし、そうなると承認欲求オバケである俺は後輩に自分のプライドとかアイデンティティを思い切り仮託して、それを受け止めてくれていると錯覚することによって好きになっている気がする。あと、女子に2回無碍にされたり母親に心ないことを言われたりしたせいなのかそうでないのか、ともかく俺は女が嫌いになっていた。全ての女はアホだと思うようになっていた。事実関係として女がアホかどうかは別として、というかそんなことは俺からすればどうでもよいのだが、ともかく俺の目からはそういう風に世界が映るようになってしまったということだ。しかしそのように自分のことを輪切りにしてみたつもりになってもどうにも授業中や部活をやっている最中も彼のことは頭を離れてくれなかった。なんとしてでも彼をどうにかしたい、だがどうにもならない。挙げ句の果てに俺は彼女の一人も居たことがなく告白のコの字とも縁がなかった、要するに全くもてない男だし、女に好かれようともしない男をどうして女が好きで当たり前の男がまかり間違って好きになることが出来るだろうか?ふと、林間学校前日に同級生から届いたLINEが頭を過る。男が男に好かれるのは、そんなに身の毛のよだつことなのか。そういえば俺の好きな後輩も「最近、○○先輩(俺)が僕を見るときの目と他の後輩を見るときの目が違う気がする」と同期に漏らしていたらしい(林間学校の件で学んだ俺はセクハラじみたことをできるだけしないように気をつけているつもりだった)。でも、それでも俺は君のことを心から愛しているんだ。例え気持ち悪がられたって構わないじゃないか、とヒロイズムに浸ってみれば、見た目へのコンプレックスが俺のヒロイズムをバカじゃねえの、身の程をわきまえろこのクソが、と蔑み、そしてそのように卑屈になって自己憐憫に陶酔している自分をバカにする視点があって、さらにその視点は…と、俺の劣等感と後輩への歪み切った愛情は無限後退を繰り返す。でも俺は本当に彼のことが好きだ。好きで好きでたまらない。どうにかして彼とどうにかなりたい。
俺は来年の4月で大学生になる。青すぎると笑いたければ笑って欲しい。でも俺はこの増田という場で恥部を文章にすることでしか自分を慰めることができない。好きな男の子のことを考えながらチンポを握るのってめちゃくちゃ虚しくて悲しくなってくるからな。この文章は俺が最高に気持ちよくなれるオナニーだ。皆、俺のオナニーを見てくれ。
シルバーウィークやることもないし、何か勉強でもしようかなぁとか思ってるひと、ここはひとつ「オトナのサイト」でも作ってみます?
こんにちは。少し前にアレを書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20150731164453
実はアレがなかなか好評だったようで、気を良くした私はまた何かできないかと思い、
無い知恵を絞りに絞って出てきたのが『XVIDEOS動画まとめサイトの作り方講座』を公開することでした。
ネットには「簡単に月収100万円!」とか「たった1時間の副業で月10万円!」といった、うさん臭い情報商材が山ほどありますが、
あれ申し込んでみたら実は「アダルトサイトを作ってみよう!」だったりするわけです。
あんなのに大金払うくらいなら、とりあえず安いレンサバ+WordPressで作ればいいだけじゃんとか思ってました。
だってあんな情報1000円くらいの価値しかないですから。いや100円かな。10円でもいらないか。
私はかれこれ10年以上、サイト運営だけで生計を立てているので、多少なりともノウハウ的なものはあるつもりです。
そんな経験や知識を全部さらけ出したものができたら面白いんじゃない?と思ったわけです。もちろん無料で。
それで作るにあたってまず最初にどんな事を書こうかリストアップしてみました。
と有頂天でさっそく書き始めてみたものの、なにこれ超大変じゃん…。書いても書いてもゴールが全然見えないじゃん…。
面倒くさい気持ちを必死で抑え、辞めたい衝動を酒でごまかし、あまりのストレスからキャン玉を握りつぶしてしまうアクシデントに見舞われながらも、
1カ月かかってやっと完成したのがこちらです。
まだまだ足りないところはあるかもしれませんが、初めてサイトを作るときに知りたい初歩的なことや、
20年間生きてきて、一度も恋人ができたことがない。
告白されたことはあったが、どうも自分のタイプと違うなと思うこと人が多くて断ってきた。
それが去年、最初はなんとも思わなかった男友達のことが気になってデートに誘った。
相手は快く応じてくれて、何回かデートをした。
でもデートとはっきりと称することができなくて、これって友達として?気になる人として?みたいのが長く続いた。
学校で同じサークルに入っている子で、思い切ってアピールすることができなくてやきもきしつつ
日々のさりげないことすべてが幸せだった。
お互いが今何をしていて、どんなことを考えているのか
人を好きになるって、こういうことなのかもと思った。
私が地元の帰省から戻って来た日、彼が駅まで迎えに来てくれた。
迎えに来てくれるなんて!!
私は有頂天だった。ただの友達が迎えに来てくれるなんてそうそうない。
つまりは付き合うチャンスが巡ってきたんじゃないかと思った。
「私、あなたのこと好きだ」
相手の反応は
「え?待って待って。正直びっくりしてる。それは友だちとして?男として?」
もちろん友達としてなんかじゃない。男として、だ。
「考えさせて欲しい」
私は、もう答えがわかった気がしていた。ここまできて、保留されるなんて。
それから10日間ずっと気が気じゃなかった。でも息を潜めてずっと耐えていた。
2週間後の夜、私たちは二人で会うことになった。
私は告白の返事を意識しすぎて、正直全く楽しむことができなかった。
多分すごく怖い顔をしていたと思う。
「ごめん、おれはおまえのこと好きだけど、友達としてだ。これからもずっと仲良くいてほしい」
予想していた通りだ。
彼の声は震えていた。その震えの分だけ彼が真摯なのだと思っていた。
自分の想いを告げずに、自分でもみ消した失恋はたくさんあったが正面からぶつかって砕けたのはこれが初めてだった。
返事を保留にしていた約10日間、私をフッた男友達は、私が一番仲のいい女友達に告白の件を相談し、なりゆきで関係を結んでたらしい。
私が好きになったのはとんでもなく弱い男だった。そして最悪な女友達だ。
あれから半年が経とうとしている。あのことを思い出して泣くことはもうないけど、心に引っかかってそのままだ。
毎日が空虚だ。彼のtwitterやFacebookを見てはため息をついている。
くだらない男だと分かっていても追っかけてしまう。とっくに立ち直って新たな恋をみつけてもいい頃なのに。
男友達は相変わらずフラフラしているし、女友達は他に新たな男をつくって別れる別れないと毎日騒いでいる。
私が悪いのだろうか。。。だれか助けて欲しい。
私は一生恋愛できないのかもしれない。
お願いだ、頼むから彼に貢がせてくれ!
衣食住なんだって面倒みてあげる
食べたいものがあればリクエストしてくれたら作るし、仕事の時用に好物だけが入ったお弁当も作る 働きたくないなら私がなんとかして稼いでくるからおうちでゆっくりしといてくれて構わない
服は綺麗に毎日洗濯するし、アイロンだってかけてあげる。畳むのも仕舞うのも全部任せてほしい
部屋の掃除?あんまり得意ではないけど、掃除機なら毎日かける。拭き掃除だってする。お風呂だって毎日ピカピカに磨いて、入りたい時に入れるようにいつだってホカホカに沸かしておく。
もちろん彼の手は一切煩わせない!!ただひたすら貢いで献身的に彼に身を捧げたい 彼なら殴られたって構わない。その後に少しでも笑ってくれたら単純な私は小躍りする。断言出来る。
もし嫌な事があったなら、私に八つ当たりしてくれたって構わない。彼の八つ当たりを貰えるならそれだけで万々歳だ。
営みだってもししてくれるのなら私が頑張る。何回でも言うが彼の手は一切煩わせない。
もし営みがなくったって彼の側にいて、献身的に身を捧げられるのなら文句だって言わない。なんなら話してくれなくてもいい。その綺麗な顔を間近で見られるならそれだけで私は、有頂天だ。
こんなものが正しい恋や愛ではない事は十二分に理解している。けれど彼の後ろ姿を見る度にこの貢ぎたい欲はムクムクと膨らんでいくのだ。
頼む。お願いだ。最初はチョコレートの一つからでも構わない。そっから徐々に味を占めて、少しずつ何かを貢がせてほしい そして最終的に私に衣食住の面倒を見させてほしい!!!!!頼む!!!!!
昨日内職をしていた時の事、何故だか分からないけれど、ふと小学生時代に好きだった男の子の事を思い出した。
彼はサッカーが凄く得意で部活だか、どこかのチームでだかのキャプテンをしていた。休み時間も気が付けば校庭に出てボールを追い掛けていたし、放課後も学校の校庭に来ては一人でボールを追い掛けているような男の子だった。けれど、勉強はてんで苦手で卒業文集は最後まで書き上がらなかったし出来上がったものはほんの数行しかないようなものだった。社会のテストで出題されたこの人は誰でしょう?と言う問いに答えは源頼朝だったのだか、彼は自信満々に漢字で御家人と書いていたし、国語の授業では先生が黒板に書いた文字をノートに写しきれないまま黒板の文字が消されてしまい、たまたま隣の席だった私に「ノート貸してや!」と言われて貸したりもした。そしてそのノートを返してもらった時に「なんでそんな字きれいなん?」などと言われ、その時既に彼を好きだった私は有頂天になった(補足しておくと、私は賢い訳でもないし、どちらかと言えば成績は悪い方だったし、字が綺麗と言われたのも彼に褒められた以来褒められた事がないので、察してほしい)
そして思ったのだ。私が彼に貸した国語のノートは、彼のランドセルに入り家へ持ち帰られ、彼の家に泊まったのだと言うことに。
それだけで済めばよかった思い出話なのだが、妄想癖がある痛い性格な私はあれよあれよと言う間に全く違う話に飛躍してしまった。
もし、仮にもし、少しでも私を好いてくれていて彼が自慰を覚えていたのなら私が貸した国語のノートを使って自慰をしたのではないか、という事だ。
彼が私を好いていた事実はないと思うし、小学6年生が自慰をするのかは女の私には分からないのだけれど。
それでももし、もしそんな事があったのなら凄く嬉しくて興奮してしまうな、と思う。
いつからかは分からないのだけれど、私にはオカズにされたい願望がある。どうして?と聞かれると全く分からないのだが、自分がオカズにされたとしたら、と考えると凄く興奮してしまうのだ。だからと言ってそんな妄想をしながら自分が自慰をするという事はないのだけれど。
もし、好きな芸能人がオカズにしてくれる可能性があるのなら、そういうDVDに出るのもアリなのではないか、と思った事もあるし、オナクラで働く事も自分の性癖を満たすものでもあったから、アリなのではないかなと思ってそういう求人サイトを食い入るように見た事もある。
ただ私に度胸が足りないばかりにどちらの考えも流してしまい、今はただ朝からこんな場所で匿名の日記を書いている。
出席番号9番だった彼は今も元気にしているのだろうか。卒業してから今まで随分会っていないしSNSが発達したこの時代に彼らしき人を見かけた事がないので、もうこの先二度と会う事はないのだろうけど、もしもう一度会う事が出来たのなら私のノートを使って自慰をしたのか、していないのかそれだけでいいから聞いてみたいなぁ、と思う。
何年か前、フェミニストのルームメイトとオランダ版の『サバイバー』を見て面白い経験をした。この番組は、二つの島に女だけのチームと男だけのチームに別れて、それぞれでサバイバルをするというものだった。フェミニストのルームメイトは、俺や他の学生達にこの番組について何週間も前から喧伝していた。彼女によると、「家父長制の悪から無縁の、女性によって治められた社会がどのようなものであるかを、この番組は見せてくれるでしょうよ」ということだった。
そして、始まった。ああ、番組はそれを見せてくれた。
番組はまず両グループがそれぞれの島に降ろされ、いくらかの食料や装備を渡され、あとは自力で生き残ってくれというものだった。両方のグループでまずチームの体制をどうするかで口論が起こった。それから男達は彼らが必要だと感じたことを何でもやっていくことにした。そこには命令を下すリーダーはいなかった。狩り、採集、漁が必要だと感じた男達はそれをやった。別の男は砂の上に座るのにうんざりしてベンチを作り始めた。他の男達は小屋を建てた。その小屋は徐々に大きく発展していった。別の男は毎晩調理をした。男達の島には数日の内に、小綺麗な文明が出来上がっていて、生活は日を追うごとに少しづつ豊かになっていった。
女達も同様にルーチンに落ち着いた。タオルを乾かすための物干し竿を掛けた後は、日光浴と口論を始めた。男達とは違い、女達はグループ全体のコンセンサス無しには何もすることができなかったからだ。そして12人の女達の間でコンセンサスが得られることは一度も無かった。続く数回の放送の間に、女達は最初に与えられた食料を全部食べつくしてしまった。暴風雨で何度もびしょ濡れになり、砂ノミに喰われ、どんどんみじめになっていった。一方男達は非常に満足していた。もちろん意見の相違もあったが、それらは徐々に解決されていった。
これをフェミニストのルームメイトと見るのは最高だった。彼女も始めのうちはこの男島と女島の違いをなんとか正当化しようとしていたけれど、その主張も段々弱くなっていった。結局、番組側が助け船を出すことを決めた。女達を助けるために、3人の男達が選ばれ女島に行くことになった。その代わりに、3人の女達が男島に行くことになった。この回を見ていた時のフェミニストのルームメイトの顔はプライスレスだった。
選ばれた3人の男達も当然有頂天になっていたんだけど、彼らが女島に到着し女達に迎えられるまでだった。
「小屋はどこだ?」
「小屋なんて無いわ」
「食料は?」
「全部食べちゃったわ」
それで結局3人の男達は犬のように働くことになった。彼らが最初の数週間のうちに試行錯誤して得たスキルを使って、小屋を建て、魚を捕った。女達にも食料探しをしてもらおうとしたが、女達は文句を言って日光浴を続けた。
男島に送られた女達3人は喜びに満ちていた。食料もあるし、雨風をしのぐ小屋もある。男達からはチヤホヤしてもらえる。彼女達もまた日光浴を続けた。
原文はなぜ家父長制が史上最高の社会制度なのかという記事についたコメントの一つでredditにも転載されている。