はてなキーワード: 単身赴任とは
父は私が小学生の頃単身赴任先で倒れた。以後ずっと寝たきり生活。頭もはっきりしない。
状態が安定して転院した父と一緒に、なぜか父の不倫相手も私の実家付近に引っ越してきた。父の面倒をみたいらしい。
「お父さんの彼女だよ」と紹介されたその女は幸が薄そうで、地味で、派手で勝ち気な母とは正反対だった。
女は甲斐甲斐しく父の面倒をみた。父が正月に入院先からの一時帰宅が許された時には、父の実家まで来てご飯を食べさせオムツ替えをした。
正月に不倫相手の実家で、不倫相手の親戚と食事を取って、同じ屋根の下寝泊まりするなんて、なんて図々しい女なんだろうと思った。
祖父母も母も、その女が細かい面倒をあれこれみてくれることが助かっていた側面もあったのか(少なくとも子供の前では)非難するような事は口にしなかった。
でも私はその女の事が大嫌いだった。
ずっと大好きだった父の事も、私を抱きしめていたその手であの女を抱いていたかと思うと憎くて吐きそうになった。
その女の事を、いつか大勢の人の前で、恥知らずのクソアマめと罵ってぶん殴ってやりたいとずっとずっと思ってた。
その女が死んだらしい。
病気が見つかった頃にはもう末期で、あっという間だったらしい。
まじか。
清々しいような、ざまあみろと言ってやりたいような、でもちょっと悔しいというか、やり残した感があるというか。
墓にしっこでもかけたろうかな。
旦那は今海外に単身赴任中。酒もタバコもやらず真面目に働いて15年、40過ぎてからカメラを集め出した旦那。今では防湿庫がリビングに並び、洗面台は暗室がわりになった。
正直旦那は面白味のない人間だと思う。本気で怒った姿は一度も見たことないし、すぐ諦めたような顔をして翌日にはけろっとしてる人。だから、コレクションが無くなったらどんな顔をするか試してみたくなった。買うだけ買って使ってないカメラも多いし、フィルムカメラみたいなのも多い。一つあればいいじゃんって言っても曖昧に返事するだけだし。
レンズが20本くらい、カメラは5台くらい。いつも使ってるデジカメを残して売っちゃった。50万円くらいになったから少し焦ったけどカット大丈夫。怒られたら色を付けて返そうと思う。
私はパートで働く主婦です。夫は単身赴任中のため、子供一人と暮らしてます。
いろいろあって、家事をするのが嫌になりました。仕方がないので子供の食事は作っています。
何も手伝わないのに、食事がどうだ、子育てがどうだと、文句いう夫に疲れ果てました。今は単身赴任のため気は楽ですが、トラウマはどうしようもありません。
Lineでなにか言われるたびに、「あぁもうだめだ」と思います。(100%disり)
食事作るのが辛い。食事自体はまずくはないと思います。子どもは喜んで食べてくれますし、お弁当を持っていってくれます…。
家事に疲れました。誰でもいい。「がんばってるね」といってほしい。
損得なしにフラッと旅行に出るなどの行動したり
損得なくなんとなく気が合う人と仲良くなる
ということが社会に出ると難しくなる
新しく知り合うのも目の前の仕事がらみばっかり
付き合う人全員上司か同僚か部下で結婚・仕事の損得がちらちら見え隠れするし
「仕事だから苦手な人と付き合わないでいることもできない」ので
なんとなく人当たり良くやり過ごしつつ
心からくだらないことで盛り上がれる機会が少なくなる
完全プライベートづきあいに割ける時間や体力がかなり少なくなる
だからこそ結婚して身を固めて毎日夕ご飯のときだけでも顔を合わせたい、
大学が最後のモラトリアム(支払猶予)期間っていわれてたけどお金じゃなくて体力とか人付き合いだと思うよ
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
完全に主観で文を書くし専門家でもないけど親がモンスターで毒親だと思ってる。
あとそこそこ長い。
親は自分のことを愛してると言ってるしそうは思ってる。ただやばい人間だとも感じてる。
小さい頃から「ブス」「馬鹿」「嘘つき」「デブ」「ブタ」「弟と性別入れ替えたら?」と冗談で言われ続けてた。自分でも冗談だと思ってたしその言葉が真実だと思ってた。
気が付いたら自称するようになってた。
小学生の頃、私の後ろで弟が事故にあってもう足がなくなるかもしれないみたいな状況だった。
その頃の両親の仲は最悪で一緒に暮らしてる母方の祖母は入院、父は上司に怒られ退社その上に息子の事故。
両親は弟の前だけでは仲良いフリをするが私の前では話さないし、離婚届を私に見せに来たり父親は「お金がかかる」と本を読んでたのに私の部屋の電気を消しに来て一緒に住まなくなった。
父が仕事をし始めて単身赴任になった事により仲は悪くは無くなったが長く一緒には暮らせないと言っている。
高校受験の時には母親に「あなたは高校に関して早く決めないのはなんで?」と泣かれた。正直いまだに泣かれた理由がわからない。
高校入って父が昔言っていた「公立高校に入ったら大学費用だす」事を会話にだしたら覚えてなかったので口だけじゃんと言ったら叩かれてめちゃくちゃ怒られた。地雷を踏んだらしく後で叩いた事について謝られたが私の気持ちはそこじゃないと思ってた。
大学の5年でようやく就活をするとなった時に履歴書の自己アピール欄が書けなかった。頭にいろいろな言葉が浮かんで結局ずっと泣いてた。絞り出した言葉も「脅迫神経症みたいだ」と言われたり、面接の時も自己アピールが上手く言えず落ちた。
私はここで自分に自信がなくそれは普通じゃないという事に気が付いた。
普通だと思っていた親からの冗談が自分の中で本当だと思うように変わりいつのまにか自信というものをなくしていた。
同じ年に就活した弟は5月の時点で決まっておりそこも比べられ続けた。
弟にアドバイスを聞いてたら弟は自分の事が好きだということに気付いた。弟は自己肯定力が半端なくあった。
個人の性格の違いはあれど親の言動と小学生の頃に事故った時親からは心配されて甘やかされ褒められ周りからも可愛がられる。私と違いすぎると感じた。
結局私は卒業後も引きこもりニートをしている。そんな私に親は「弟と同じ育て方をして甘やかした。むしろ甘やかしすぎた」
私はこの人達のことが好きだったし好きになろうとした。高校の頃は親はすごい子供を育ててくれた感謝してると思ってた。
でも渡す側と渡された側で受け取った気持ちが違いすぎてた。親とは相互理解ができない。親は私の気持ちはわからないし私も親の気持ちがわからない。
ただただ肯定して欲しかったと気付いたのはニートになってからだ。
私は両親にご飯を食べさせてもらった。
たしかに怒られると裸足で外に出されたりはしたがちゃんと食べさせてもらった。
学校にも行かせてくれた。高校は結局奨学金だったし、行った学校をボロクソ言ってたけど行くことも許してくれた。
叩かれることはあってもふざけての事だし家庭内暴力のようなことはない。
ネグレクトされてたわけでもない。ただただ暴言に聞こえる冗談が多くて人と比べられて好きな物ややってきた事を否定されただけだ。ただそれだけ。
でもそれって毒親では?
あんな時間帯のあんな日に書いた記事でしたが反応があり、驚きと喜びでこの追記を書いております。
正直にこの記事に反応があっても「ただの甘え」「クズ」等々の厳しいご意見だけかと思いましたが、優しい言葉に笑顔になりました。ありがとうございます。
もともと友達は少ない方ですので、190cm以上の方の繋がりは難しいですが、笑わせていただきました。
顔に対する言葉は親に対する言葉ですかね?両親共々私によく似てるのでよく考えたら自分の事も言っていたかもしれませんね。
父親はただのわがままに育っただけだと思いますが、母親は毒親から生まれた人間だと思ってます。その点で言えば母も被害者ですね。
私が小さい頃、母の言った「あの人の子供で死にたくないなんて思わないわけがない」は心に残っております。
暖かい言葉以外にも厳しいご意見もあり、これに対する私の言い訳をしたいと思いこれを書いてます。
もちろん私の感じた事や主観ですし専門家でもないですし、コメントを書いた本人がこの記事をもう一度見るかはわかりませんが、もしこの記事をこの追記後に見た方にという事で。
あと長いです。
これに関しては公平にではないです。親は私のことを弟より甘やかしたと思っております。愛情は公平でしょうが、弟は私より手がかからない子でしたので親的には公平ではないでしょう。
私的にはそこをいちいち言われるのがとても傷付くしイライラポイントでもあります。私が欲しかったのは認める言葉ですので。
・努力不足で〜
どうも努力や頑張るなどやり方が曖昧だったり、一個人の価値観によるものが苦手です。履歴書なんかで躓いた私は努力不足ですね。
治していくべき箇所です。ありがとうございます。
・ニート〜
これは逆ギレ文章ですし、主観ですしそこは開き直ります。言い訳の追記ですしこれ。
・典型的な毒娘〜
否定の言葉もありません、私自身たちの悪いクズで毒娘だと思っております。
・記憶の歪み〜
と強く言える自信がありません。
たくさん毒親の記事ACの体験談たくさん読みましたので本当に記憶が混ざってるのかもしれません。
上記に書いた事は私の記憶には確かにありますが、それが本当に私の体験した記憶なのかは自信がありません。自分の記憶にすら自信がありません。
・厳しい言葉をくれた方へ
もうこの記事を見ないだろうとは思いますが、最後に感謝の言葉と少しだけ言いたい言葉を。
この拙い文章に反応をくださり、ありがとうございます。
私にはあなたがこの言葉を本当に心配して書いてくれたのか、「こんなの俺よりマシだぜ甘えんな」という気持ちで書いてくれたのか、ただただこういう言葉を書きたかったのかこの文章から読み取れません。すみません。
心配してくださったり、甘えんなという気持ちであれば私と同じような記事を書いた別の方にはぜひもう少し柔らかい言葉を使っていただければと思います。
このような記事や言葉を発信する人はどの様な立場であれ心が疲れている状況だと私は思います。
機械上で見える文字は少なからず無機質で冷たく見えてしまいます。
私は些細な言葉でも傷付く人間ですので、ただの文章でも最悪の選択をする1つの理由になりかねません。ぜひ柔らかい言葉でコメントをしていただけると嬉しいです。
最後になりましたが、こんな記事の長く拙い文章を読んでくださった方に感謝と私の気持ちを。
前述した通りこの追記以降反応しませんが、色々な感想ありがとうございます。
もしこれを読んで暖かい言葉を脳内でかけてくださった方、とても嬉しいです。
私自身泣き虫でハロワに行って「そんな自己アピールがない人間じゃないよ」と言われるたびに泣きそうになる人間です。多分泣いてます。
本当にありがとうございます。
私以上に辛い経験をされて暖かい言葉を思ってくださる方、とても尊敬します。
私には想像できませんが、とても辛い経験だったと思います。そんな方がこんな記事を読んでくださって私は嬉しさもありなんだか申し訳ないです。
ありがとうございます。お疲れ様です。
私の似たような立場の方へ
私のように「両親が毒親かもしれない」みたいな方がいると思っています。
私から言ったところで説得力は皆無ですが、人それぞれ辛さの容量が違うと思っています。
私は上記のような体験で容量がオーバーしてますが、私より少ない方も多い方もいます。他人の「私ならこの程度なんでもない」は参考にならない気がします。
私は自分の人生でも責任が持てないので、あなたの人生に責任は持てませんがあなたの心が少しでも楽になることを願っています。
この記事を読んでくださりありがとうございます。
きっとこの記事を読んで甘えてるとかまだマシとお思いでしょう。お疲れ様です。きっと体験から脱した方もまだ途中な方もご自身の力がなせる技と思います。自分の力を信じてください。
そう思える両親、育ててくれた方に感謝してください。
言われたわけじゃなく、自然とそう思えるように育ったのならそれは育ててくれた方や周りの方のお陰でもあります。
こんな記事に文句を書く力があるならとりあえず感謝しといてください。
人間いつ死ぬかわかりません。弟が事故ったように人間なにが起こるのかわかりません。
ましてはそう思えるように育ててくれる人間の元に産まれてくる事なんかわかりません。
とても長くなり申し訳ないです。
本当にここまで読んでくださりありがとうございます。
3日or5日分の献立とレシピ、必要な食材が届くサービス。大人2人分だけど量が多いので大人2人+子ども2人(未就学児)までなら平気だった。
3日分が4022円(税込)、5日分が6437円で、1食で1300円くらい。
初めて会ったのは旦那の友達同士の飲み会に呼ばれて参加した時だ。
見た目と違って大人っぽい考え方の人で、頭も良くて話も楽しかった。
その後も何かと旦那を通じて一緒に遊ぶことがあり、だんだんその人に惹かれている自分がいて、旦那の手前自分を抑えていた。
ある時、その人が転職するために少し離れたところに引っ越すことになった。それをきっかけにだんだんと疎遠になり、いつしか全く会わなくなった。旦那も連絡が取れないらしく心配していたが、時間が経つとともにその人のことは考えなくなった。
その後、旦那が仕事で地方へ単身赴任した時に、その人から連絡があったと旦那から聞いた。結婚していたらしく、新しい仕事と家族のことで手一杯だったそうだ。最近落ち着いたのでまた会いたいと言っていたそうだ。
それを聞いて、いてもたってもいられなくなり、旦那からその人から連絡が来たというメールアドレスを教えてもらい、連絡してみた。
すると返事がきた。
直ぐにLineの登録をお願いして、何度かやりとりした。職場は東京なので家から近いこともあり会う約束をした。
会ってみると、昔よりも少しだけ丸くなった彼がいた。話してみると全然変わってなくて、嬉しかった。
彼に触れたくて、歩きながら少しくっついてみた。彼も寄り添ってきた。手を繋いだ。我慢できなくて、ずっと好きだった、会いたかったと言ってしまった。それからはもう止められなかった。
行為をしてから、旦那への罪悪感はあったけど、それ以上に気持ちは満たされていた。
それから月に数回彼と会う日が続いている。
作品テーマは「親と子の問題」らしいが作中で出てくるのは母親ばかり。MMMMMORPGの設定上母と子の関係が注目されるのはしょうがないにしても、作中では不思議なほど父親の存在に触れられない。
そもそも大好家の父親は同居しているのか?単身赴任?離婚?死別?それさえ不明。真人も真々子も父親について全く語らないので判断のしようがない。
「謎の力でゲーム世界に肉体ごと転移した」という設定とPCの中に吸い込まれる描写からなにか科学的な方法でゲーム世界に転移したらしいが、それがどういう原理なのかは追究しない。ギャグっぽく死んだり蘇生を繰り返してるけど肉体は平気なのかとか気にしない。
けどさ、いわゆる「ゲーム世界に閉じ込められた系」ならまず脱出することを考えない?理解の及ばないゲームっぽい世界に閉じ込めらたわりには登場人物たち順応しすぎだし、不安を感じるどころかむしろ楽しんでるんだよなぁ。現実の生活や家族のことは不安にならんのか?
これまで登場した二人の母親はログアウトという形でゲーム世界から脱出したけど、その際娘たちは置いてけぼり。本人の意志で残ったんだけど、本当に娘のことを考えるならこんな世界に置いていくなよ…。
これまで登場したワイズママ(ホスト狂いで金遣いが荒く子供に産まなければよかったと言ってしまう虐待親)やメディママ(娘に常に一番になることを強要し自由を奪う教育ママ)に比べると大好真々子は慈愛に満ち、家事を完璧にこなし、「母は強し」を物理的な強さで体現する理想の母親のように描かれている。
周囲のキャラクターも真々子が大好きで、真々子を否定したのは上のママ二人だけ。それも最後は説き伏せられていた。
過干渉は虐待の一種であり「保護者が我が子を一人の主体的な人間として認めず、その子供の意思や思考、自我の発達や自主性などを否定して、操り人形のごとく親の意のままにコントロールしようとすること」である。
メディママを毒親と罵っていたが、真々子も十分毒親なんじゃ?学園編は形は違うが過干渉な親同士の戦い+振り回される子供できつかったぞ。
一応も真人も真々子との関係に違和感を覚え苦手意識は持っているようだが積極的に解消する様子もない。アダルトチルドレン化しないか心配になる。
作品テーマである「親と子の問題」を考えるなら、まず自立できない息子と子離れできない母をなんとかしなきゃいかんのでは?もしかしてラスボスは真々子という展開か?
テンプレを通り越しすでに古典的とすら感じる残念ツンデレドラまたヒロインのワイズや、親のせいで心に闇を抱えながら友達になろうの一言で涙しちゃうメディや、元気で明るく作中唯一毒っけを感じさせないポータの方がかわいかった。
実際、転勤族だと妻が自分の親と同居(或いは近居)して夫だけ単身赴任ってのはよくあるし
それだと妻は転勤に帯同する必要がなく、仕事も辞めなくていいし人間関係もリセットしなくていいし
大抵の夫はそれ嫌がって無理やり妻子を帯同させたがる
んで妻は仕事を奪われて孤立育児で病み、共働き出来ないから金銭的にも困窮、子も頻繁に引っ越しさせられ情緒不安定でいじめに遭う、となったりして
慌てて妻子だけ実家に戻したりする
自分が転勤で苦労してるんだから妻子も苦労させないと気が済まない、んだろうか
どうせ育児する気がないなら、単身赴任の方が金銭的にも安定して
育児は帰省時に気が向いた時にやるだけで良いし家事なんか勿論何もしなくていいしたまにしか帰らない分いつまでもお客様扱いでちやほやして貰えるのに
女遊びなんかしてもバレないだろうしさ
中学生の頃、とある地方都市に住んでいた俺は、毎日電車通学をしていた。
ある日、学校からの帰り道、駅のホームで電車を待っていた。いつも一緒に帰る友人達とは別行動で、一人ベンチに座って本を読んでいた。遠くの方で同学年の女子達が何やら騒いでいる。どうやらその内の一人が名札を線路に落としてしまったらしい。
本当なら駅員を呼んで拾ってもらうのが正しい行為だろう。だがその時の俺はそうしなかった。ホームから線路に勢いよく飛び降りて、名札を拾い上げた。
あの時の俺は漠然とした不安の中にあった。クラス替えで仲の良い友達達と離れて、反対に気に食わない奴等が集うクラスに放り込まれて磨耗していた。好きだった子に振られた。父が単身赴任で家に不在がち、その代わり母とぶつかった。進学校を自称するくせにやけに厳しい校則が煩わしかった。在学している中高一貫校を抜け出して、別の中高一貫校への進学を考えていた。
今になって思えば、どれも瑣末なことでしかない。でもあの時の俺はその一つ一つが重なり合って、漠然とした不安の中にいた。ふと自分の命が消えてしまってもいい。そんな感覚だった。
あの日、名札が線路に落ちているのを見かけて、死ぬ理由を見つけられた気がした。線路に飛び降りて、名札を拾おうとして、轢かれて死ぬ。あっけない最期。
でも現実はそう上手くいかなくて、地方の路線だから電車が来るまでには時間があった。難なく名札を拾い上げた俺はホームの上までよじ登ると、別のクラスでほとんど話したことがなかったテニス部の女子に名札を渡した。一連の動きを見ていた彼女は驚いた表情で、ありがとうと言った。
片田舎の学校の最寄り駅だからか、ホームには人もまばら。一般客、ましてや駅員さえも俺の行為に気づいていなかった。端から見れば格好つけた中学生の危なげな善行は、誰にも咎められることはなかった。
あれから10年以上。しょうもない希死念慮が湧き上がってきた時、あの日のように死ぬ理由をこじつけられないかと考えてみる。物事はそう上手くいかないもので、理由はどこにも転がっていない。死ぬ理由に遭遇することはなく、かと言って積極的に命を絶つほどの勇気は持てず、そのままだらだらと生き長らえていく。
表面的には順調な人生だ。それなりの大学を出て、それなりの給与で会社に勤め、健康的な妻子がいる。二人とも誰かに迷惑をかけるようなこともしていない。俺も多分、していない。
会社に勤めてそろそろ二十年。若いころは現場が楽しかったが、中間管理職になって部下の後始末ばかりの日々。部下が無能というわけではない。経験不足で足りない部分があるから、これまでの知見でそれを補う。その過程で社内外の関係各方面に迷惑をかけることもあるから、頭を下げる。ひたすら頭を下げる。ただただ頭を下げる。まったく楽しくない。頭を下げるだけなら、俺じゃなくてもいい、俺がいなくても構わない。そう思う。管理職になれるのは社内の限られた人数だが、俺は別に管理職にならなくても良かった。現場にいたかった。
単身赴任は間もなく五年。妻と息子のいる家にたまに帰っても、いいことはない。妻はずっとテレビを見ている。くだらないテレビドラマ。「私の唯一の趣味」というから、好きにさせている。最近は贔屓の役者のファン同士、ツイッターで交流している。テレビはつけっぱなし、目はスマホでツイッターのタイムラインを追っている。テレビの内容でファンが盛り上がっているそうで、たまに変な笑い声を上げる。息子は息子で、ひたすらユーチューブを見ている。テレビつけっぱなし、妻はツイッター、息子はユーチューブ。それが食卓の風景。俺がいなくても構わない。家族といても休みは日中、昼寝をしている。つけっぱなしのテレビは妻と息子の物だし、俺にはほかにやることもない。夜は飲みに出かける。
つまり、俺は典型的なおっさんだ。いてもいなくてもいい。居場所なんてどこにもない。
会社にとって、俺の存在意義は体のいい弾除け。厄介ごとを下処理する係。代わりはいくらでもいる。
家庭にとって、俺の存在意義は金。生活費、学費、住宅ローンを払うだけの財布。今のところ代わりはいないが、俺が死んで妻に保険金でも入ればそれで最低限の生活はなんとかなるんじゃないか。家を売ってもいいだろうし。
会社をやめたいな、と毎日思う。でも、やめたら、妻と子の生活はどうなるんだ。そう考えて思いとどまる。思いとどまって単身赴任先から家に帰ると、テレビつけっぱなしのツイッター妻とユーチューブ息子がいる。これまでさしたる感謝の言葉を聞いたこともなかったが、この二十年、俺には所詮、財布としての価値しかなかったのだから、仕方がないのだろう。俺が死んで妻子に金が入ればそれで彼らは充分に幸せに生きていけるような気がしてくる。
ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。そんな風に思いながら、それでもまだ生きている。いつまでこんな風に生き続けるのだろう。ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。それでもまだ生きている。こうやってみんな生きながら葬られていくんだ。人生って初めから終わっていたんだな。やっとわかったよ。そんな簡単なことに気づけなかったなんて、俺は本当にバカだったな。
みなさん、事業所の総務が毎年、何枚の保育園用の提出書類を書いているかご存知ですか?
もちろん事業所によりますが、うちはだいたい年間500枚です。大企業ならもっと多いです。
保育園用の証明書は2種類あって、「これから入園したい人のための書類」と「すでに入園している人がちゃんと勤務しているか確認する書類」です。
違います。氏名・住所・就業場所・仕事内容はもちろん、過去6か月の出勤日数、過去の産育休の取得状況、育短制度の活用の有無、過去6か月の賃金・夜勤の有無・単身赴任の有無・育休短縮の可否・勤務パターンを書き込んだ上で、シフト表の提出などを行います。
いいでしょう。保育園には入るべき人がいて、優先順位をつけるべき。わかります。
でもせめて、せめて、
市ごとに違う様式を統一してくれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!
PDFじゃなくてExcelを公開してくれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!
Excelを公開しててもシートに保護かけるのやめてくれ~~~~~~~~~~~~~~!!!
お願いします・・・。手書きは勘弁して・・・。せっかくExcel公開しててもシートが保護されてるから、関数で既存のデータからデータひっぱることもできないし。市ごとに様式が全然違って煩雑だし……。
また、1歳こえても育休手当金をもらい続けるためには、保育園に落ちたという証明が必要なので、入る気がない人のためにも、せっせと入園チャレンジ用の証明書を作り続けます。
リスト化して公印をポンと押すだけじゃだめか・・・。ひとりひとり作らないといけないのか…。
「せめて県内で様式を統一してほしい」「PDFでしか様式を公開しない自治体は滅びろ」
この2点だけでも押さえてほしい。
証明書発行マシーンは、普段からずっと証明書発行マシーンな訳ではなく、他の業務も当然あるので、休日出勤して証明書を発行しています。タスケテ
私が子供だった頃、父は単身赴任でほとんど海外にいた。詳しいことはよくわからないが、なかなかハードな仕事だったようだ。
海外勤務の手当もそれなりの額が出ていたらしい。おかげで不自由のない暮らしをさせてもらった。
ただ、子供ながらに「自分がいなければお父さんはこんな大変な思いをしなくてすんだのに」と思っていた。そうじゃないとはわかっているんだけど、ふとしたときにそういう考えが浮かんだ。
だからこそ、大きくなったらたくさん恩返ししようと決意し、自分なりに努力した。が、何の成果も得られず、病んだだけだった。
明日36歳になる。
妻を愛している。
時には疎ましくおもったりもする。
もっと自由な生活を送る友人を見れば、『あのときの出会いが違う形であったら、お互いに別の人生を歩んでいるかもしれない。そしたら自分のために時間をもっと使えただろう。』と隣の芝を青く感じるように羨ましく感じることもある。
または、高校生の頃にもっと青春ぽい学生生活を送れていたら今の生活も違ったものになるのかもしれないと、失われた過去に思いをはせたりもする。
だが、妻が数週間家を開けることになっているいま、そのことを改めて実感させられる。
やはり妻がいい。
寝ていると、その横でねている夢を見た。
起きればもちろん誰もおらず落胆したのだが、階段を登ってくる足音を聞き、
「やっぱり帰ってきたんだ!」と喜ぶのだが、それも夢であった。
人寂しさからから、恋愛や青春をモチーフにしたものを見てしまう。
観て、当然羨ましいと思ってしまうのだが、寂しさによりこの羨ましさの本当の意味がわかってきた。
30近くになって出会い、年齢も違うのだけれども、
もしパラレルワールドで年齢も同じで高校生の頃に一緒に過ごすことができたらどんなに良いことか。
そういうことを、電話で伝えたけれども、「なにいってんのー」と一種の冗談だと捉えているような反応しか返ってこない。
得られなかった高校時代の二人の青春を僕は惜しんでいる。けれども今一緒にいられるということは、これからの将来この人生で得られた貴重な青春であったと思い出されるのだろう。