2019-08-04

寂しい

妻を愛している。

普段から常にそう思っているわけではない。

時には疎ましくおもったりもする。

もっと自由生活を送る友人を見れば、『あのとき出会いが違う形であったら、お互いに別の人生を歩んでいるかもしれない。そしたら自分のために時間もっと使えただろう。』と隣の芝を青く感じるように羨ましく感じることもある。

または、高校生の頃にもっと青春ぽい学生生活を送れていたら今の生活も違ったものになるのかもしれないと、失われた過去に思いをはせたりもする。

だが、妻が数週間家を開けることになっているいま、そのことを改めて実感させられる。

やはり妻がいい。

寝ていると、その横でねている夢を見た。

起きればもちろん誰もおらず落胆したのだが、階段を登ってくる足音を聞き、

「やっぱり帰ってきたんだ!」と喜ぶのだが、それも夢であった。

この一人でいるときに多くの小説映画をみた。

人寂しさからから恋愛青春モチーフにしたものを見てしまう。

観て、当然羨ましいと思ってしまうのだが、寂しさによりこの羨ましさの本当の意味がわかってきた。

失われた青春を本当は妻と送りたかった。

30近くになって出会い、年齢も違うのだけれども、

もしパラレルワールドで年齢も同じで高校生の頃に一緒に過ごすことができたらどんなに良いことか。

映画ヒロインを妻に置き換えてみてしまう。

そういうことを、電話で伝えたけれども、「なにいってんのー」と一種冗談だと捉えているような反応しか返ってこない。

得られなかった高校時代の二人の青春を僕は惜しんでいる。けれども今一緒にいられるということは、これからの将来この人生で得られた貴重な青春であったと思い出されるのだろう。

その貴重な時間を奪われたこの数週間が惜しい。

単身赴任なんて強いられたら、人生を奪われるに等しい。

  • 奥さんは照れ隠ししただけできっと気持ちは伝わってると思うよ。 高校生のときの恋愛が、後から振り返ったら、当時とは違う印象で感じられるのと同じように、 きっとあなたと奥さ...

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