2019-08-25

会社やめたいなあ。死にたいなあ。と思いながら、まだ生きている

表面的には順調な人生だ。それなりの大学を出て、それなりの給与会社に勤め、健康的な妻子がいる。二人とも誰かに迷惑をかけるようなこともしていない。俺も多分、していない。

会社に勤めてそろそろ二十年。若いころは現場が楽しかったが、中間管理職になって部下の後始末ばかりの日々。部下が無能というわけではない。経験不足で足りない部分があるから、これまでの知見でそれを補う。その過程で社内外の関係方面迷惑をかけることもあるから、頭を下げる。ひたすら頭を下げる。ただただ頭を下げる。まったく楽しくない。頭を下げるだけなら、俺じゃなくてもいい、俺がいなくても構わない。そう思う。管理職になれるのは社内の限られた人数だが、俺は別に管理職にならなくても良かった。現場にいたかった。

単身赴任は間もなく五年。妻と息子のいる家にたまに帰っても、いいことはない。妻はずっとテレビを見ている。くだらないテレビドラマ。「私の唯一の趣味」というから、好きにさせている。最近は贔屓の役者ファン同士、ツイッター交流している。テレビはつけっぱなし、目はスマホツイッタータイムラインを追っている。テレビの内容でファンが盛り上がっているそうで、たまに変な笑い声を上げる。息子は息子で、ひたすらユーチューブを見ている。テレビつけっぱなし、妻はツイッター、息子はユーチューブ。それが食卓風景。俺がいなくても構わない。家族といても休み日中、昼寝をしている。つけっぱなしのテレビは妻と息子の物だし、俺にはほかにやることもない。夜は飲みに出かける。

まり、俺は典型的おっさんだ。いてもいなくてもいい。居場所なんてどこにもない。

会社にとって、俺の存在意義は体のいい弾除け。厄介ごとを下処理する係。代わりはいくらでもいる。

家庭にとって、俺の存在意義は金。生活費学費住宅ローンを払うだけの財布。今のところ代わりはいないが、俺が死んで妻に保険金でも入ればそれで最低限の生活はなんとかなるんじゃないか。家を売ってもいいだろうし。

会社をやめたいな、と毎日思う。でも、やめたら、妻と子の生活はどうなるんだ。そう考えて思いとどまる。思いとどまって単身赴任から家に帰ると、テレビつけっぱなしのツイッター妻とユーチューブ息子がいる。これまでさしたる感謝言葉を聞いたこともなかったが、この二十年、俺には所詮、財布としての価値しかなかったのだから、仕方がないのだろう。俺が死んで妻子に金が入ればそれで彼らは充分に幸せに生きていけるような気がしてくる。

ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。そんな風に思いながら、それでもまだ生きている。いつまでこんな風に生き続けるのだろう。ああ、会社やめたいなあ。ああ、死にたいなあ。それでもまだ生きている。こうやってみんな生きながら葬られていくんだ。人生って初めから終わっていたんだな。やっとわかったよ。そんな簡単なことに気づけなかったなんて、俺は本当にバカだったな。

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