はてなキーワード: デメリットとは
オリンピック時期は「オリンピック」「五輪」を全ミュートしてたし、この間まではみんなキンプリの話しててキモかったから「キンプリ」「応援上映」とかあと劇中で出てくると思われるワードで良くみんなが言ってるやつを突っ込んだ
一学年あたり年に数人くらい。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii09/deth8.html
熱くなりすぎでは?
だいたいお前らは保育園バス閉じ込め事件と言い、キャンプ場失踪事件と言い、センセーショナルだが極々稀な事故を見て怖がりすぎなんだよ。
それで不安になって関係者を叩いたり、新たな対策を求めたりする。過剰免疫だぞ
むしろ『こんなこと滅多に起こらないんだから今のままでいい』が正解だ。
お前は『不幸な事故は一件でも少ない方がいい』というのかもしれないが、そのせいで子供にかかるコストが跳ね上がって、子供が新しく産まれなくなるデメリットを参酌しているのか。
それよりむしろ、今現在の社会安全性でひとまず満足し、たまたまクジ運が悪かった人がいても少々大目に見る心持ちが必要であろう。
やれ、大学に行かせないとかわいそうだの、習い事させないとかわいそうだの。
子供を安全かつ幸福に育てないといけないというプレッシャーが強すぎて、それが逆に不幸を増やしている。
気筒数が少ない分、エンジン本体が軽量かつコンパクトに設計できます。
3気筒エンジンは、4気筒エンジンよりも少ない部品で構成されているため、機械的な損失が少なく、熱効率が高い傾向にあります。
最新の3気筒エンジンは、バランスシャフトなどの技術により、かつてのように振動が大きいという問題を克服しています。
ターボチャージャーとの組み合わせにより、低回転域から力強いトルクを発揮できるモデルも増えています。
近年、自動車メーカーが3気筒エンジンを採用する背景には、以下の理由が考えられます。
排気ガス規制が厳しくなる中、3気筒エンジンは小型軽量で高効率なため、環境負荷の低減に貢献します。
各メーカーが燃費性能の向上を競う中で、3気筒エンジンは有力な選択肢となっています。
小排気量ターボエンジンとの組み合わせにより、排気量以上の性能を引き出すことが可能になりました。
古い3気筒エンジンは振動が大きく、乗り心地が悪かったというイメージがありますが、最近のモデルでは大幅に改善されています。
アイドリング時の振動と同様に、エンジン音が気になるという声もあります。
高回転域でのパワー感は、4気筒エンジンに比べて劣る場合があります。
3気筒エンジンは、かつては振動や騒音が課題とされていましたが、最新の技術によりこれらの問題は解消されつつあります。軽量コンパクトで高効率、そしてコストパフォーマンスの高さも魅力です。
しかし、4気筒エンジンと比較して、高回転域のパワー感や、一部の人にとっては気になる振動や音といったデメリットも存在します。
3気筒エンジンを選ぶか、4気筒エンジンを選ぶかは、個人の価値観や、どのような運転をするかによって異なります。
燃費を重視する | 3気筒エンジン |
スムーズな加速感を求める | 4気筒エンジン |
静粛性を重視する | 4気筒エンジン |
3気筒エンジンは、決して劣ったエンジンではなく、むしろ最新の技術によって多くのメリットを持つエンジンです。自動車を選ぶ際には、これらのメリットとデメリットを比較検討し、ご自身のニーズに合ったエンジンを選ぶことが重要です。
日本で選択的夫婦別姓への移行を行った場合、以下のメリットとデメリットが考えられます。
• 結婚しても個人の名前を維持できることで、自己アイデンティティを尊重できます。特にキャリアや社会的な関係で名字が重要な役割を果たす人にとっては大きなメリットです。
• 現在、多くの場合、女性が男性の姓に変更することが一般的です。選択的夫婦別姓が導入されれば、姓を変えるかどうかの選択が自由になり、男女間の対等な関係が促進されます。
• 多くの国で夫婦別姓が認められています。日本も選択的夫婦別姓を導入することで、国際基準に近づき、国際的な文書や手続きがスムーズになります。
• さまざまな家族形態が存在する中で、夫婦別姓が認められることにより、多様な価値観や生き方を尊重する社会を築くことが可能です。
• 夫婦が別々の姓を持つことで、家族の一体感が薄れると感じる人がいます。子どもがどちらの姓を選ぶかによって、家族内で複雑な感情や問題が生じる可能性があります。
• 新しい制度を導入するためには、行政システムや法律の変更、教育や広報活動などにコストがかかります。また、戸籍システムの調整も必要となります。
3. 伝統的価値観との衝突:
• 夫婦同姓は日本の伝統や文化の一部と見なされています。選択的夫婦別姓を導入することで、こうした伝統的価値観を重視する人々との衝突が生じることが考えられます。
• 夫婦別姓の場合、子どもがどちらの姓を名乗るかでトラブルが起こる可能性があります。将来的に子どもが選択する権利についても議論が必要です。
改善策
• 家族や名前に対する価値観は人それぞれであることを理解し、多様性を尊重する教育や広報活動を進めることが大切です。
• 制度移行に際して、戸籍やその他の関連システムをスムーズに対応できるよう、技術的な整備と手続きの簡略化を図ることが重要です。
• 子どもが生まれた際の姓の決定について明確なガイドラインを設けることで、将来的なトラブルを防ぐことができます。
選択的夫婦別姓の導入には、現代社会における多様な価値観を反映させつつ、伝統的な家族観ともバランスを取るアプローチが求められます。
・"都市部においては"って前提をつけ足してみたんだね。人間を比較対象にするのはさすがにやめたのかな。
都市の中心部への自動車乗り入れ制限やそれにともなう交通網整備や法整備、それとは関連したり関連しなかったりするけど、自転車やキックボードのための道路整備や法整備もやればいいと思うよ。
ただし、"都市部"って言ってしまうと、東京なんて延々と都市部が広がっている地域なんで、玉川から東はずーっと乗り入れ禁止なのかな?とか思ってしまう。現実的ではないね。「都市の中心部」くらいの言葉にしておいて、東京なら区、他の道府県は市レベルで、各自治体が「都市の中心部」を複数指定すれば良いかも。
・あいかわらず自動車とキックボードを比較したいみたいだけど、
キックボードなんて、移動が多少楽になることと、乗って楽しいと感じること以外に何の利便性もない乗り物。複数人を運ぶこともできない、荷物も運べない、移動速度は遅い。車の代用になどならず、比較対象にならない。
だから最近の先進国の都市の流行りは自家用車の制限を強めて自転車やキックボードなどが走りやすい道を整備することなんだよね。
そこは"だから"では結びつかないよ。都市の中心への自動車の乗り入れ制限てのは、最大の眼目は道路の混雑緩和。その結果、自動車由来の交通事故や排気ガスの問題も減らせるねって話であって、"業務上利用されるものはまだしもプライベートで利用されるものの利便性なんて知れてる。"からとか"都市部においては自動車のデメリットが大きすぎて利便性に見合わない"から、ではない。
利便性がある事なんて理解した上で都市部においては自動車のデメリットが大きすぎて利便性に見合わないって話をしてるんだよ。
業務上利用されるものはまだしもプライベートで利用されるものの利便性なんて知れてる。
だから最近の先進国の都市の流行りは自家用車の制限を強めて自転車やキックボードなどが走りやすい道を整備することなんだよね。
18話の豊先生の扱いは少し気の毒だったな。決定的にギルティと断じれるほどのことはやってないし、むしろ見方によっては善良な言動しかしていないようにも思えるけれども、作中での評価は「だるい」、「うざい」、「キショい」などと散々だった。挙句に「近寄らんで~きしょ~」と生徒に面と向かって言われる始末である。
人情の機微を繊細に描く本作において、豊先生に対する生徒たちの態度は多少ゾンザイにみえる。過剰な言葉を投げかける生徒が諫められることもなく朗らかに去っていく構成は、爽やかな描写に反して後味の悪さを感じた。“豊先生はそんな扱われ方するのも仕方ない”という“含意”がなければ成立しないほど雑な扱われ方だ。その“含意”が何かを考察するなら、これは豊先生が“本作におけるevil”に抵触したからだと思う。
本作における“good”の象徴が伏見さんであることは明らかだろう。けれども作中での伏見さんの活躍は実質的には微妙なものが多い。各エピソードの主役たちは何らかの課題や悩みを抱えているけれども、伏見さんは何か直接的にそれらを解決してくれるわけではない。いや、間接的に貢献しているかすら微妙なときもある。
しかし、それでも伏見さんが“good”の象徴たりえるのは、本作の作品紹介を読めば輪郭が見えてくる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。 今、“自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
引用の「丁度いい距離感」という所がミソだろう。つまり本作における“good”とは「丁度いい距離感」のこと。逆に言えば「丁度いい距離感ではない」こと、それに類する言動をする者がevilというわけだ。
以上を踏まえると、本作の1話なんて典型的に思える。本エピソードの生徒は中盤、痴漢被害に遭う。これは犯罪という時点で勿論evilではあるのだけれども、「丁度いい距離感ではない」という点においても本作のevilに抵触している。そして被害にあった子に対して、両親たちはデリカシーに欠けた言葉を投げかける。身内関係であるからこその近さ、そこからくる両親なりの慰めの言葉ではあっても、それは当人が求める「丁度いい距離感」からくるものではなかった。
そして遠すぎる場合はevilとまでいわないがgoodともいえないよね、ということも提示する。被害に遭った生徒は自ら犯人を捕まえたため、その勇気を褒めたたえる人もいた。しかし、それは表面上の言動と態度から逆算したもので、行為そのものに対する上澄みの評価だ。痴漢被害者への丁寧な気遣いをする者もいたが、これも紋切型であり寄り添ったものとはいえない。
じゃあ、何て言えばいいの?と思うのだが、当人自身よく分かっていない。当人が本当に悩んでいる核たる部分は、是非善悪とは別のレイヤーにある。しかも極めてプライベートでミクロ的であるため、明確で普遍的な回答がない。だからこそ苦悩の袋小路に入る。
そんな苦悩に対して本作(伏見さん)は「何とも言えない」という選択をした。「何とも言えないこと」に対しての答えが「何とも言えない」というのは逃げというか、そもそも答えになっていない。けれども、その時の生徒にとっては“個”と向き合い「丁度いい距離感」で接してくれた結果、と受け取られた。
豊先生は常にニコニコとしながら、誰にでも分け隔てなく好意的な対応をする善良な教師のようにみえる。けれども、これは誰にでも“いい顔”をしつつ、“個”と向き合わない不誠実な人物……という解釈もできる。つまり「丁度いい距離感」に対して無頓着であるため、“本作におけるevil”に抵触しているわけだ。
作中でのやりとりを挙げるならば、豊先生に好意を持っている生徒が「(背が高い人が豊先生の好みだったら)牛乳を大量に飲まないとなあ」などといった軽口に対して、豊先生は「今のサイズ感が可愛いから、今のままでいいと思うよ」と返す。「(牛乳を飲みすぎて)お腹こわさないようにね」という気遣いも忘れない。その生徒が自身に好意を持っていることを踏まえたうえで軽口に軽口で返した形だ。こんな調子で、豊先生は八方美人の節がある。婚約者がいる立場でありながら、自身に好意を持っている女生徒への対応は軽薄にみえる。知り合いの異性にも当然のようにプレゼントを贈ったりする。
けれども客観的にみて、それらをギルティとするのは決定打にかける。他人の好意に対して毅然とした態度をとらないというのも実際には一長一短で、豊先生個人でどうにかできない範囲も含まれている。豊先生の振る舞いは節々に粘度を感じるよう描写こそされているものの、それでもって悪徳と断じるべきかは疑問が残る。けれども、何度もいうように“本作におけるevil”とは「丁度いい距離感ではない」こと。その点において豊先生が無頓着であることは否定できない。なので生徒に「近寄らんで~きしょ~」と言われ、続けて「大人なんやから ちゃんとしいや~」などといわれる。
面と向かって「きしょ~」とか言ってくる若輩に大人としての在り方を説かれる筋合いはないとは思う。ただ、一応これも先ほど引用した作品紹介文から読解できる。
伏見(ふしみ)さんは、とある高校の用務員。背は高め。仕事熱心。缶コーヒーが好き。そして、丁度いい距離感で私たちと話をしてくれる。今、 “自分は大人だ”と思い込んでいる人に苦しめられている。今、自分がどんな大人になったらいいのか迷っている。 ちょっとでもそう思っていたら、ぜひ伏見さんに会いに来てください。ホッとしたり、気づきがあるかもしれませんよ。
「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」とは、つまり「理想的ではない大人」と言い換えられる。
本作における「理想的な大人」の象徴が伏見さんとするならば、その逆のような存在が「理想的ではない大人」といえるだろう。つまり「丁度いい距離感」で私たちと話をしてくれないのはevilだから豊先生はキショいし、「“自分は大人だ”と思い込んでいる人」 だから「ちゃんとしいや~」ってわけである。
最終的に「彼女がいるのに生徒や伏見さんに色目使ってた男」と評された豊先生は「エエ~……」と困惑するしかなかったが、仕方ない。豊先生の扱いは、本作の通底するテーマや価値観からみれば筋は一応通っている。それにしたってどうなんだと思わなくもないけれども、それは私の咀嚼と消化の問題でもあるから片隅に置いとく。
伏見さんが“good”の象徴、理想の大人、メンター的存在でいることができる理由ってなんだろうか。メタ的な推測になるが、まず「学校の用務員」という立場がある。
学生たちにとって、自身の抱える課題や悩みを打ち明けられる大人は少ない。主に両親や教師になってくるが、両親は身内であり近しい存在だからこそ、かえって言えないことや言いにくいこともある。教師はあくまで仕事の一環として生徒と接するというフィルターがあるし、それも一人や二人ではなく数多ある生徒に対応しなければならない。他にもやらなければいけない仕事だって多いから常に全力で応えてくれるかは難しい。
いや、そもそも本作において学生の抱える葛藤は、是非善悪だけでは語りきれないものが多い。そんなことで白黒ハッキリついて解決するのなら悩んでいない。そんな悩みに対して親身になってくれないのは嫌だが、がっぷり四つでも困るのだ。そんな悩みを抱える学生たちにとって丁度いい距離感で接してくれる大人がいたとすれば、それは酷く理想的にうつることだろう。そのために学校の用務員という設定にしたのが絶妙だ。学校にいながら、親や教師が取りこぼしがちな生徒の機微を個別に拾うことができる。心のケアをする必要のない立場だからこそ、それをわざわざやる伏見さんの善性が際立つ。
本作の描き方からくるデメリットとしては「一概にいえない事柄なのに、メンターの言動がベストになってしまいがち問題」はある。まあ、これは学園もの・教師もの共通のデメリットではあるけれども(典型的なのだと『GTO』の主人公とかは解決方法がほとんど破天荒だったり非合法だったりするが、少なくともその作品世界においてはベストとなってしまいがち)。あと伏見さんを理想の大人として描写しようとするあまり、それ以外の大人が犠牲になってるというか、簡便に描写されている感はある。豊先生もその一人だなって印象。
利便性がある事なんて理解した上で都市部においては自動車のデメリットが大きすぎて利便性に見合わないって話をしてるんだよ。
業務上利用されるものはまだしもプライベートで利用されるものの利便性なんて知れてる。
だから最近の先進国の都市の流行りは自家用車の制限を強めて自転車やキックボードなどが走りやすい道を整備することなんだよね。
自分は小説家になろうやカクヨムでの小説の公開に読者数の限界を感じてKindleでも出してみようと思ったのがきっかけだ。
つまり儲けたいわけではなかった。
Kindle出版は簡単な方法だとwordファイルをアップロードするだけで完了する。
あと表紙は自分で描いている。最近の流行は生成AIの絵を使うらしい。
後述するけど、自分は選ぶべきではないと思っている。なぜならKindleセレクトにしても全然読まれないからだ。似非ビジネス本とか官能小説とかで儲けたいなら選べばいい。
繰り返すけどただの小説のKindle出版は売れない。Kindleセレクトにしても売れない。だから意味が無い。
それよりも他社での電子書籍販売を禁止される方がデメリットが大きい。この理由を次に書く。
0円にするのである。
Kindle出版では100円でも売れない。Kindle出版で読まれたかったら0円にするしかない。
Kindleセレクトではない場合、キャンペーンを打つことはできない。Kindleの最低販売価格は100円である。
そのため0円のキャンペーンを打つためにはKindleセレクトに入らないとならないが、このキャンペーンは5日間しかできない。これでは0円にしても効果が少ない。
これはAmazonが他のサイトでの販売価格と同等かそれ以下で販売するというルール?らしい。
他のサイトでの販売価格を提示して申請するとその価格に合わせてくれるというのがプライスマッチである。
他のサイトで0円になっているならAmazonも0円にしてくれるわけだ。
ブックウォーカーや楽天koboなどの0円に設定できる他の電子書籍販売サイトにも登録してプライスマッチを申請することで、Kindleでも0円で販売できるようになる。
Kindleでも0円にすれば無名の小説家の作品でもダウンロードしてくれる人が現れる。といっても1日あたり数件だけど。
でもほんと繰り返すけどKindle出版は売れない。Kindleセレクトでもずっと0だった。それが数件になるのだから0円はすごい効果だ。カクヨムだってPV0が普通なのに。
といっても、首席卒業クラスの上澄みレベルをdisるつもりはない。
あくまでアマチュアの自分が教室の先生とか、最近だったら主に配信とかでお目にかかれる、いうなれば「量産型」卒業生のお話。
自分が習っている先生は3人目(社会人向けレッスン)だけど、幼少から高校まで習ってた1人目と2人目は藝大卒の人。
これが原体験にあって、かつ藝大卒を自称する配信者の演奏を見た感じ、ホントにこの学校出身の人って、根本が驚くほど似通っているというか、弾き方に共通点がある。
とにかく
この弾き方のメリットは、普通の人から見たらわかりやすく上手に見えて、すごい!という評価をもらえることだろう。
そして大抵の場合はそれでいいじゃん、いやそれが大事じゃんになると思う。
だから自分がこれから書くデメリットは、正直かなり逆張りな自覚はある。
ということで、上掲の弾き方の問題点を挙げると
もちろん上に書いた弾き方を出発点にして、表現の繊細さを極めるのは不可能じゃないと思うし、それを実現できている人もいるにはいる。
でも、何をどう聴かせたいのか?という根本部分を置き去りにして、最初からやたらと正確さと音の大きさだけを是とする価値観を主軸にするのは、表現として不自然過ぎるでしょっていう。
何より表現を突き詰める過程で、このままでは伝えたいことが伝わらない→伝わるよう正確に弾こう、いや弾けなきゃ気が済まない!というのが本来の上達の流れなわけで、
そういう順序も踏まえずにいきなり正確に弾け!とか、習う方からしたらなぜそんなに厳しくツッコむのか理解できないので、苦痛でしかない。
結果、こういう超面倒な技術習得ありきのプロセスに過剰適応できた人しか生き残れないし、そういうタイプの人が、後から細やかな表現を磨くのは並大抵のことじゃないというのは、この学校出身の人の演奏の多くが、
音程だけはやたら正確だけど、それ以外はインパクトだけの大味な表現だったり、細やかさを実現していてもどこかわざとらしい(≒不自然さが抜けてない)音になっていることで証明されていると感じてしまう。
ちなみに自分はそういう価値観に嫌気が差したことや、何より身体に対する負担が大きすぎてこのままでは先がないと判断したことで、より古典的な弾き方に回帰し、音大受験レベルの曲をさらいつつ楽しくやっている。
即ち
その結果、今は自分の弾き方に近い音を出してる人が多い、桐朋出身のヴァイオリン奏者をいいなーと思うようになった(習ってる先生は桐朋出身じゃありません、念の為)。
なお桐朋出身のソリストで、サイトウ・キネン・オーケストラのコンミスも務めた故・潮田益子氏は生前
キックボードとの比較対象として自動車や人を挙げるのはズレている。自動車にはデメリットに対してありあまる利便性があり、人はそもそも乗り物ですらない。
自転車、電動アシスト付き自転車、スケートボードあたりが比較対象として妥当だろう。
■キックボード排斥の流れは、交通マジョリティ(自動車or歩行者)によるマイノリティ排除の一環なのだと思う
法令遵守で言ったら、キックボードよりも歩行者の方が不適切である。
そして、そもそも論として、自動車による環境汚染は無視できないものだろう(EV化しても、過剰なサイズゆえ資源開発の問題が消えることはない)。
一部キックボード利用者の行動を問題視するなら、同時に、自動車利用者の問題行動も議論されるべきだろう。
それができないのは、自動車は交通マジョリティであり、自分がその利用者であるがゆえに、その問題に踏み込めないからだ。
あたかも、客観的にキックボードの問題を論じているように見えて、その実態は、自動車利用者という点において利益関係者なのである。
日本で政権交代が起こらないことによるデメリットには、いくつかの重要な側面が考えられます。以下に、主な問題点を挙げて説明します。
1. 政治の硬直化
• 政策の停滞: 政権が長期間同じであると、政策や改革の進展が停滞することがあります。新しい政権が誕生しないことで、新たな視点やアプローチが取り入れられにくくなり、社会や経済の変化に迅速に対応できないリスクが生じます。
• イノベーションの欠如: 政治においてイノベーションや新しい考え方が生まれにくくなり、長期的には国の競争力を低下させる可能性があります。
• チェックアンドバランスの欠如: 長期政権は、権力が一極に集中しやすくなり、他の政治勢力による監視や抑制が効かなくなる傾向があります。これにより、政治家や政党の腐敗や不正行為が発生しやすくなるリスクがあります。
• 透明性の低下: 政権が長期間維持されることで、情報の隠蔽や不透明な政治資金の運用などの問題が生じやすくなり、政治家のアカウンタビリティが低下することが考えられます。
• 民主主義の健全性の損失: 政権交代が起こらないことで、国民が「自分たちの投票が政治に影響を与えない」と感じ、政治に対する無力感や不信感が増す可能性があります。これは、選挙への参加意欲を低下させ、投票率の低下を招くことがあります。
• 社会の分断と対立: 長期政権が続く中で、既存の体制に対する反発が強まり、社会が二極化するリスクも考えられます。これにより、国民の間に対立が深まり、社会の統合が損なわれることもあります。
• 野党の弱体化: 政権交代が起こらないと、野党が常に与党に対抗するための準備や改革を行わず、弱体化する傾向があります。野党が強力であることは、健全な政治競争のために不可欠であり、政策の質向上にも繋がります。
• 政策論争の低下: 野党が弱体化することで、政策論争が活発でなくなり、与党の政策に対する十分な批判や代案が提示されにくくなる問題があります。
• 特定の利害関係者への優遇: 長期政権は特定の業界や利益団体と結びつきやすくなり、政策がその利害関係者に偏るリスクがあります。これにより、公平性や公正性が失われ、社会全体の利益よりも特定のグループの利益が優先される可能性があります。
政権交代の意義
• 政権交代が起こることで、政策の見直しや刷新が促され、政治の透明性やアカウンタビリティが向上します。また、異なる視点からの政策が実施されることで、多様な課題に対応しやすくなります。
政権交代が少ないことは、短期的には安定をもたらすことがあるかもしれませんが、長期的には政治の健全な発展や社会の多様なニーズに対応するための障害となりかねません。健全な民主主義を維持するためには、一定の政権交代や野党の活力が不可欠です。
たったそれだけ。
ある程度痩せてる人がさらに痩せたいとかじゃなくて、デブがとりあえず標準体型まで戻す過程で、
カロリー計算がどうとか運動がどうとかそんなもん続かない。続いてたら今頃そこまで太ってない。
「ゆっくり食べる」これだけで痩せていく。
よく噛んで食べましょうとかよく聞くと思うこれも同じような事だな結局ゆっくり食べることになる。
なんだよそんなの知ってるよ?
いやお前はまだ知らない。この話も食べてるものも全然咀嚼できていない。
お前が考えてる3倍ゆっくり食べろ。
口の中いっぱいにするな。
ご飯でまとめるな。
飲み物で流し込むな。
自分の体が「食べ物今から入ってきてまーす」という信号をしっかり受け取れる時間を与えるのだ。
そうすれば自ずと体は応えてくれる。これを必ず毎食実践できてる人は意外と少ないのだ。
「満腹中枢を刺激する」みたいな一言で済ますな。もっとその意味を自分の中に染み込ませるんだ。
体感としてゆっくり食べるという行為を繰り返して体に覚えさせる。
お前は堕落してるからだらしないからデブなのだ。(病気、薬の影響などによる症状の方は省きます)
そしてこの方法はデブにとって非常にローリスク・ハイリターンなのだ。
まず食べ物がより美味しく感じられるようになる。
ゆっくり食べることによってまず最初に気づくのが食べ物というのは複雑な味がするということだ。
普段のお前は「甘い、辛い、しょっぱい」とかそれくらいの判断しかできてない。
だから甘じょっぱいものは美味しいとか、甘辛いものは美味しいとか、大雑把でどんどん味覚が鈍っていった結果、普段から食べるものの味が濃くなっていく。
ソースびしゃがけ、マヨびしゃがけ、美味いよな、わかる。しかしそんな味のオーバーキルみたいなことしてたらいつまでも「ゆっくり食べる」なんてできない。
しかしゆっくり食べてみるだけで、「俺ソースの味しか食ってないな」と気づくはずだ。
そして食べるのが大好きなお前は味の複雑さに気づいていくことになる。
つまり食べることの欲求は満たされる上、さらに美味さを感じられるようになるのだ。
だからダイエットにつきものの苦しさみたいなのがまったくない、皆無。
ただただ食べたいものをいつもと違って「ゆっくり食べる」それだけ。
これを徹底することでお前が好きな人と食事する時なんかにも好印象になるのだ。
「人と食べる時は気をつけてるし、そもそも食べすぎないようにしてるよ」だと?
いや絶対にそんなことできてない。お前の普段のだらしなさはかならずにじみ出てるはずだ。
だけどゆっくり食べることを習慣にすることで、これからは自然と上品にものを食べる人になれるぞ。
ご飯でなくてもいい、例えばポテチをお前はいつも平気で一袋一気に食べきるだろ?
追記:伸びてたんで一応追記するけど「量を減らせ」と書いてないのはあえてだ。
デブはいきなり「食べる量を減らさなきゃ」と考えるとストレスで死ぬからだ。
と、最近感じるようになった。
「時間がない」とか「熱中できなくなった」という事ではなく、単に話を理解できなくなった。漫画の読解もそれはそれでスキルが求められるんだなとしみじみ感じるようになった。
ちょっと前に「チェーンソーマン」が読みたくて、全話無料につられてジャンプ+を入れた。で、いろんな話を週替わりで読むようになったんだが、週刊誌で作品を追いかけるというのは結構難しいのだと知った。
なんか、絵とか展開から「今シリアスなシーンだ」とか「今ってギャグをやってるんだ」みたいな、シーンの情緒とか作品の緩急みたいなのを読み解く能力が最近極端に落ちた気がする。
最近、火曜に更新されてる「MAD」って作品を読んでるんだけど、絵柄も好きだし、作品のテーマも結構気に入ってるんだけど、ちゃんと読めてるか自信がないんよな。
「あれ?これ今大事な話してる場面でいいのよね?」みたいな風に思ったり、何ならそれで多分結構読み飛ばしてる気がしている。
これが映画の予告PVだったり、アニメだったり、動画だったり、世の映像作品には私のような読解レベルの低い観客へ配慮がされていたんだなと。
予告PVなら、「さあ、今から盛り上がる場所出しますよー」みたいなフリをしてくれるし、アニメなら「ここめっちゃ大事な話する場面っすよー」みたいなBGMが流れるし、動画なら「ここ面白いとこですよー」っていうポン出しSEを入れてくれる。
一昔前の漫画で、キャラのデフォルメのような露骨なギャグ描写を入れてくる作品が結構あったけど、あれも読者の読解力への配慮だったんかなと。
随分そういうものに頼り過ぎた。世のメディアミックス製作者には頭が上がらない。
あと、単純に前回の話を覚えていられなくなった。
火曜に更新される「ダンダダン」も読んでいるんだけど、ある時期から「前話読み飛ばしたっけ?」と感じるほど先週の話を覚えていられなくなった。単行本で読むべきかもしれない。
子供の頃は邪魔でしかなかった「前回のあらすじ」の必要性がやっとわかった。
目もチカチカしてコマと絵についていかない。スマホやPCのやり過ぎだ。
これでも小説とか新書は結構読める不思議。いや、当然か。小説は結末まで一冊で辿り着けるし何より漫画ほど視覚情報がない。新書なんかはタイトルやあらすじから何の話かをある程度把握したうえで手に取るわけで、そもそも奇をてらうもので無し。
これがずっと続くラノベだったり、三国志のような長編小説だったらきっと読めてなかっただろう。なんなら「ハリーポッター」でも無理そうだ。
結局「チェーンソーマン」も更新される度に読んでるけど、なんのこっちゃ全然話に付いていけていない。いや、あれはそういう作品なんだろうけど。
以前、「この世界の片隅に」とかの作者が「漫画の読み方」的なハウツー本を出していた、ような気がするが、何かそういうのが必要な理由が分かった気がする。そういえば祖父は漫画が終ぞ読めなかった。
別に漫画が読めなくなったところで生活に大したデメリットはない。話に付いていけなくても楽しい話を見つければいい。けど、昔は当たり前にできたことが出来なくなるのってショックだよね、っていう。
なるほど、そういうマインドなんだね。
住宅は信託のようにローンメリットはあるとおもってるんだが、カーローンはその点を検討して、デメリットが大きいなら一括を検討するよ。
だけという話ではないと思う。
身長や体臭など負けてるポイントをバネに変えて競争社会を戦っていくのは自由恋愛市場を勝ち抜くための男性的な論理だ。上手くいかない場合もあるけれど、もし克服できたなら勝利の達成感は人生の軸になる。こうしたコインの表面のメリットを享受しつつ、しかし裏面のデメリットは受け入れずに、フェミニズムの価値観に沿って差別だから何とかしてくれと叫ぶのは、バーターの放棄ではないかな。
ケア能力の低さと引き換えに手に入れた男性的な思想が、ときに自殺に追い込むほどの不幸を産むのがコインの裏面ならば、男の不幸は自業自得、となる。しかし実際には多くの男性が、高止まりする不幸率を放置されてる男性差別として糾弾してるし、男たちは負った傷を孤独に耐えてるわけではない。対等なパートナーである女性の無償の感情労働によるケアに寄りかかったり、女性 Vtuber を無許可で裸に剥いた絵を眺めたり、女たちの尊厳を無視して女のイメージを性的に強調した上で消費したりしてる。そうやって癒されてる。女性性を消費しなければ男は傷に耐えられない、それが現実だと思う。男性たちが飲み込んでいるはずのトレードオフは男性の内側で完結してるわけじゃなく、実は女性性の犠牲の上に成り立っていて、その前提が無意識のうちに透明化されてることにフェミニズムは憤ってる。女は消費されるのが当たり前で、ありがとうも、ごめんなさいも、ない。はてなブックマークで最近話題の女性服のポケット問題でも、男女逆だったら絶対にされないような差別的罵倒が全く同じ構造を脳を持つはずの女性たちに投げかけられていて、ほとんどの男性がその異常さをスルーしてしまっているんだ。
予定入れれば異性に会えるってやつ
会ったあとはお互いを評価するシステムがあって一応俺は満点なんだけども…
もちろんいい子
その子は写真もプロフィールもイマイチだったんだけど、向こうからいいね来たから進んだ
これからは怪しそうな写真やプロフィールでもいいねしていこうと思った
2ヶ月前に念願のパイプカットをしたので、記憶が新しいうちに残しておく。
パイプカットすることで、射精後の疲労感、倦怠感、眠気が抑えられる、という情報がこの記事以外に全く見当たらない...。
ただ数年間くらい悩んだ後、独自に仮説を立てして、実行することを決意。( あくまで素人の思考と仮説です )
結果として、パイプカットを実施して正解であったと思っている。
射精後の疲労感、倦怠感、眠気が全くなくなったのは、ちょっとした感動すら覚えた。
( あくまで一個人の体験談でしかなく、個人差も大いにあると思うので、悪しからず )
これは自分は全く変わらなかった。
これも全く変化なし。
むしろ性欲は多少落ちてもいいくらいに思ってはいたが、変わらない。
これも特に変化はなし。
自分の場合は射精感も変わらないので、特にストレス面も変化はなし。
むしろ妊娠を気にすることなく、また射精後の疲労感、倦怠感、眠気が無くなった分、精神的にはプラス。
自分が調べた中でも、そういう研究結果はあるみたいだけど、一方で関係性はないという研究結果もある。
そもそも日本男性の部位別がん罹患数(2020年)では前立腺癌が8万7,756人(16.4%)とトップであったり、
危険因子としては高齢、喫煙、食生活、肥満などがさまざま挙げられたりする中で、明確に判断するのは難しいなと。