はてなキーワード: タロットカードとは
ワイさんはタロット占いが好きである。こういう風に使ってるよという一例
・AとBどちらが良いか
・AかBかは、2枚だったり、5〜6枚だったり、気分によって変わるよ
・悪いことが起こったらジタバタしないで今日はそういう日だったんだとカードのせいにして思考を止める
・警告するカードが出たらいつもより気をつける
・どうでも良い選択(重要な選択はカードに委ねない)で精神を消費しない
・明かに精神消耗の削減に効果があったよ(ジョブズや自己啓発本が言ってる『小さな選択は精神を消耗する』はガチである。重要で無いことはお任せしておきたい)
・異常にそそっかしいので気をつける習慣が出来て良かった(いうて警告のカードが出ている時しか気をつけないが)
・自分がコントロール出来ない/しにくいイヤな出来事を『今日は日が悪い』で少し投げることが出来るようになった。争いっぽくなった時は致命傷を相手に与えることが無くなった(多分)
スマホのAppのデッキなので、物理デッキよりはランダムなカードが出るハズ(乱数によってカードが偏りにくいはず)だが、
ぜーんぶ微妙なカードだったり、ほとんどあるいは全部逆位置だったりすることもある
その場合、外せない重要な用事の時以外は、カードに合わせて、行動が消去的になりがち(特に仕事が入っていないプライベートな日は)
ネットニュースで幸福洗脳を立ち上げたのは知ってた。人気商売なんて信者を増やしてナンボだから、宗教色が強いブランド名を見て中田はやることうまいなーと思ってた。
今日、それなりにフォロワー数がいるユーチューバーと中田がコラボしてる動画を見つけた。コメント欄でキッズが大騒ぎ。
動画内容は幸福洗脳の紹介動画。ほぼタダみたいなもんで洗脳対象の若者へ普及してくれるわけだ。中田はきっと味を占めてまたユーチューバーとコラボする。
幸福洗脳のレジにタロットカードができる兄さんを置くのもまたうまい。バカな女を引っかけるには占いだ。信者になりやすいのも女。
きっと永くは続かないだろうけど、幸福洗脳は一時のブームになり得る要素はあるんじゃないかと思ってる。中田はいいところをついてるよ。
はてなーは非化学的なものは否定派が多いと思いますが、自分の備忘も兼ねてメモ。
複数人の占い師に色々みてもらったので、それを自分の見解も併せて書きます。
突然彼氏にフラれたアラサー女。前日までは非常に仲が良かったのに、急に電話で別れを告げられました。
元彼の言い分としては
とのこと。
意味不明すぎて納得がいかない日々を過ごしていたのですが、ちょっと思い切って「インチキだったらインチキだった時!」と、オカルトの力を借りてみることにしました。
全ての占い師さんに、別れの理由の詳細や元彼の性格は言っていません。
そもそも全員それについて事前に聞いてくることはありませんでしたが。
今のお相手の気持ちを透視します、それ以外は視えません、という占い師さん。
今を視るしかできない、と言ってるだけあって、アドバイスは完全に年上のお姉さんに普通に人生相談をしている感じでした。いい人でした。
全然情報を伝えていないのに、元彼の性格とかがドンピシャすぎてビックリしました。良くも悪くもサクサク客観的な答えでした。
神道の修行を積んだ方で、祝詞を使った占いをします。この人から元カノのことは伝えてないです。
4月は確かに元彼が転職した月だったので、当たっている!と思ってしまいましたが、4月から忙しくなるなんてありがちだからコールドリーディングかもしれないです。
危うく除霊で高いお金がとられそうになったので踏みとどまりました。
可愛いパワーストーンのブレスレットを作ってくれる、ということで友達に連れられて行ってみました。
しかしタロットカードは不思議でした。こじつけなのか分からないですが、今の状況にドンピシャなカードが本当に出るんですよね…。
友達も横でやったのですが、私とは全然違うカードが出ていたのでエンターテインメントとしても面白かったです。
かなり馬鹿みたいにお金を使ってしまいましたが、お陰で非常にスッキリしました!
人に話を聞いてもらいたい、という人にはおススメです。お金を払っているので、気兼ねなく言いたいことが言えますし。
あと、少ない情報から本当にこちらの状況をドンピシャで当ててくるのは驚きです。
そういうテクニックなのか、本当に神秘的な力があるのか…。でも、少なくとも一般人よりは勘が鋭いのは間違いないと思います。
今回4人に視てもらいましたが、全員が現状に関してはほぼ同じ見解になったことがすごいと思います。友達とかだと、絶対に誰かしらは「元カノと寄りを戻してるんじゃない?」「飽きたんじゃない?」と言うので。
神秘的な力なのか経験則なのか心理学的なものなのか分からないですが、やはり占い師さん個人の見解が入るからそれぞれの人から視る未来が変わるのかなと思いました。
まぁ、未来は確定事項ではないってことなのかもしれないですね。日々の1つ1つの行動によって随時変わっていくものなのだと受け止めました。
だから、占い師さんの言葉を信じてその通りに行動していくのもよし、他の未来を探すのもよしって感じなのでしょう。
以上が私の体験談でした。その後とか細かいところを思い出したりとかしたら、ちょっとずつ追記をするかもです。
興味がある人の参考になれば幸いです。
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
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うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
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モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
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というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
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ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
.
と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
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俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
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∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
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うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
.
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映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
.
ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
.
ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
.
劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
.
ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
.
うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
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そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
.
うむ。ノーコメントなり。
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というわけで。
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■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
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■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
.
ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
.
■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
.
■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
.
■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
.
石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
.
子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
.
ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
.
■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
.
鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
.
.
んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
.
トイレでワシも考えた。
ネタに困ったら試してみてね。僕はやってないけど。
○一次蒐集篇
a)小説を読む
b)新聞を読む
d)折り込みチラシをくまなく読み込む
f)辞(事)典類の適当なページを開いてみる
i)本屋の寄ったことのないコーナーで、ディスプレイを眺めてみる
q)Wikipediaのリンクを辿ったり、ランダム表示を利用してみる
s)イタコ式発想術:頭の中に浮かんできた言葉を一心不乱にノート(エディタ)に書き続ける
何も思いつかないなら「何も思いつかない」と書く
それすら書けなくなったら「ああああああああいいいいいいえええええええうんこうんこうんこ…」のような無意味な文字列を書き続ける
t)無限の猿定理法:キーボードをめっちゃくちゃにぶっ叩き、意味のある文字列の出現を待つ
u)ワードサラダ法:google日本語入力のサジェスト機能だけで文章を作ってみる
○お助けソーシャル篇
w)はてなブックマークを読む
x)google検索やtwitterのトレンドキーワードを追う
z)twitterのフォロワーのフォロワーのフォロワーの……よく知らない誰かのタイムラインを追ってみる
○ディフォメーション篇
a)~x)までで得られたキーワードを元にさらなる変形を加えていく。
α)しりとり
β)連想法ちゃん
δ)属性列挙・マンダラート・SCAMPER・オズボーンのチェックリスト……
ε)逆・裏・対偶
η)タロットカード
――――以上を繰り返すと、否が応でも「自分なりの考え」というモノが産まれてくるので、それを人に話したり、文章化してみたりすればよい。
ねぇ、なんでわたしにはスターくれないの。
はてなハイクってスターがたくさん貰えるって聞いたからはじめたのに。
わたしだって「おやすみ」コーナーで毎晩毎晩、ほのぼのポエムをつぶやいてからお布団に入るの。朝起きて確認したら、わたしのポエムだけ抜かされて↑と↓の投稿にはスターがついているのに、なんでわたしのポエムにだけはスターつかないの。
スター欲しすぎて、悲しすぎておねしょしちゃった。濡れたシーツを物干し竿に干していると、禁断症状が出てきて手が震えてしまう。
はてなハイクの「おはよう」コーナーで、「おはよウナギ!」という渾身のネタを投稿したのに、やっぱりスターがつかない。悲しい。寂しすぎてこのまま8階のベランダからスカイハイしてやろうかとも思ったけども、天国にはてなスターが無かったら地獄なのでまだわたしは死ねない。スターを1万個集めたら、魔法使いになれるんだっておばあちゃんが言ってた。わたしも魔法少女になりたいよ。ステッキに☆がついたやつ。「魔法少女まどか☆マギカ」っていいよね。タイトルにはてなスターがあるんだもん。
ねぇ、なんで増田にははてなスター押せるボタンがないの。はてなブログに実装されているんだから増田にも欲しいよ。こんなんでわたしの承認欲求満たせると思ってんの。増田なんか回文と脱糞しかやることないじゃん。
そもそも増田はブックマカーの狩り場であり、増田はスターを釣るための疑似餌に過ぎない。はてなAnonymousDiaryにおける主役は、増田ではなくブックマカーなのだ。増田はエサ。食物連鎖でいうと、スター>ブックマカー>増田なのだ。増田はまずブックマカーに喰われ、ブックマカーははてなスターに喰われる(性的な意味で)
なんかさ、ブログでAdsense収益とか、PV数とかを披露するのが流行っているみたいで「承認執着」がどうのこうのって言われているけれども、それって違うんだよ。100万PVをもらおうが、Adsenseで100万円稼ごうが、そんなの紫スターひとつの価値と比べたら足元にも及ばないでしょ? Twiterなんかさ、ふぁぼスターやめていいねハート(笑)に変わったけど、いい気味だよね。Twiterはオワコン。スターの価値がわかってるのははてなだけ。もうわたしには、はてなしか残されていない。つらい。この頃はさ、夢のなかでもはてなスターの夢を観てる。増田でどれだけ書いてもスターはもらえないから徒労なんだけれども、星が欲しい。干ししいたけの人は星をいつもくれるから愛してる。わたしはもう、カービィみたいに星をパクパク食べないと生きていけない体になったの。きっと死んだら星になるんだろうな。
タロットカード大アルカナ17番「星The Star」の意味は、希望。
星は、わたしの希望なんだよ。
みんな、Twiterを捨ててはてなハイクに来てほしい。みんなで星をつけあって、人類は幸せになるの。
ブックマークの殺伐とした手斧の投げ合いが疲弊してゆく現実世界を表象したものだとすれば、「スター」の投げ合いは神々の背後世界を意味するんだよ。さぁみんなで解脱。
そうだ、はてなハイクへ行こう。
★★★☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
今日もわたしは、星を待っている。
元カレにふられたときもうどーだっていいや〜と出会い系で色んな男と寝た汚物出身の元ビッチなので
自分のマインドのせいだろうけど大好きな今の彼氏に飽きられてふられるんじゃないかと怖い
遊びで行ったタロットカード(笑)で「今は両想いだけど飽きられて終る」って暗示が出てから意識しちゃって震えてる
全て私が他人を信用せず雑な人間関係しか築いてなかったからだってわかってる
(「飽きる」っていうのは違うかも、自分の想い通りにならなかったら人間関係をブッチしたりするやつ)
すごくいい人に出会ったから相手に幸せになって欲しいんだけどな、こんな私じゃ無理なんじゃないかなって思う。申し訳ない。
不安になってどうしたらいいかわかんないよ
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。そういうことにしろください。
10年前、20代になったばかりの頃の僕は、今思えば本当に最低な生活を送っていた。高校を中退し、実家とは疎遠で、友達もなく、金もなく、夢も希望もなく、ただバイト先と自宅を行き来するだけの毎日。いつも視界には霞がかかったようで、底の見えない空虚さだけが僕の心を支配していた。
それでも趣味らしいものはあった。オンボロマシンにRedHatを入れ、ダイヤルアップの細い回線で自宅サーバを立て、Perlでガラクタのようなプログラムを動かす。そんな子供じみた遊びだけど、プログラムを組んでいるときだけは空虚さを忘れ、画面の中に没頭できた。
ただ、そのときの僕はもうすでにいろんなものに打ちのめされていて、若者にありがちな全能感などというものは霧散していた。自分がプログラミングで何かを成すだとか、それを仕事にしようなんてことは一切頭になかった。このまま夢も希望もなく人生を終えるのだと、そう思っていた。
それでも転機は訪れる。
勤めていた工場で派遣切りにあった僕は、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」とか言いながらニート生活をしていた。そろそろ翌月の家賃も払えなくなってきたころ、派遣会社から電話がかかってきた。「プログラム開発の仕事があるんですがやりませんか?」と。そういや履歴書だかスキルシートだかに、Perlがどうたらとか書いたっけ。実務経験もない中卒に仕事まわすとかwww ……とは思ったものの、このままでは本気でホームレス一直線だったので引き受けた。
派遣された先は従業員数10人くらい、パートさん含めても50人くらいの小さな会社だった。現在手書きの伝票でやっている処理をWeb化したいのだという。システム担当者はおらず、事務員さんがExcelやAccessを使える程度。すべて僕一人でやらなければならない。マジか。
ともあれ、まずはサーバである。後々の運用を考えるとLinux系は使えない。事務所の片隅に放置されていたWindows 2000マシンにApacheを入れてそれでよしとした。
次はデータベース。でもこの頃の僕は「正規化ってなんれすか?」というレベルだったので基礎から勉強した。なんかMySQLってのがいいらしい→社長に申請→「今Access使ってるからそれでいけ」→「はい」→パフォーマンスの面で問題出るだろうなとは思ったがしょうがない。
次は言語。最初はPerlで書こうと思ってたけど、PHPってのが流行ってるらしいのでこっちにした。ウホッ! いい言語……。
そして業務内容を把握するため、現場をあっちこっち駆けずり回りながらヒアリングする。ときには部長から愚痴を聞かされ、ときにはパートのおばちゃんから誘惑され、そんなこんなを繰り返し、仕様をつめていく。
そして数ヶ月かけて開発したシステムの稼働である。そのときのことは今でも忘れない。
現場の人がラインからデータを入力する。サーバにデータが送られてくる。別の事業所からも送信されてきてる。問題ない。事務員さんが伝票処理を行う。問題ない。すげえ、ちゃんと動いてる。お遊びで作ったプログラムではなく、本当に本気の業務用プログラムである。それを僕が1人で作ったのだ。このプログラムで業務がまわり、利益を生み出すのだ。社会に対して、何らかの作用を及ぼすのだ。僕みたいなクズにでも、そんなことが可能だったのだ。
そのことに気付いたときの感動を、僕は今でも忘れない。
それからちょっといろいろあって、ホームレスになった。うん、急展開なのはわかってる。でもこの間のことは語ってもあまり面白くないし、公序良俗に反する話もあるのでざっくりはしょる。どうせフィションなんだから細かいことを気にしてはいけない。
話を戻そう。
ホームレスになってからの数日はひどい精神状態だった。足元から世界が崩れていく感覚。視界がぐにゃりと歪む。帰りたい。でも帰る家がない。だからホームレスというのか……というトートロジーを何度繰り返しただろうか。
もうあまり覚えていないけど、このときの僕は本当にもう何もかもどうでもよくなってたと思う。ただ、自分の全財産がバッグ1つしかないということに対する心地よさ、開放感があったのはよく覚えてる。そんな状況で地べたに座り込んで見る風景。きっと、今はもう見えない。あの頃の僕にしか見えない風景が、そこにはあった。
いろんな人と出会い、流れ流れて、最終的に西成のあいりん地区にたどり着いた。関西圏の人には説明不要かもしれないけど、よく言えば日雇い労働者の街、ぶっちゃけて言えばホームレスのメッカである。今はもう綺麗になってしまったし、治安もそこそこよくなったけど、僕がいた頃はまさに「カオス」としか表現のしようがない状況だった。
どこから持ってきたんだといいたくなるようなガラクタばかりを並べた泥棒市。簡素な骨組みにビニールシートをかぶせただけの飲み屋。「ないかーないかー」と声が聞こえてきたので見てみると、警察署の近くなのに道端で堂々と丁半博打をやっている。コンビニのトイレの張り紙には「トイレが詰まる原因になるので注射器を捨てないでください」とある。いやトイレが詰まるとかの前に気にすることがあるだろ。ケンカなんて日常茶飯事。頭から血を流したおっさんが普通に歩いてる。数百人規模で並ぶ三角公園の炊き出しは圧巻。四角公園の炊き出しでは誰もいない場所にワンカップの瓶とかがたくさん並んでる。何かと思って聞いてみたら「あれで並んどることになってん」と返ってくる。学食の席取りルールみたいだ。ああもう全然書ききれない。
でも一番印象に残っているのは、南海線の高架下、うず高く積まれたゴミ山の前でガラクタを解体していたおっちゃんのこと。奇声を発しながらハンマーを振り下ろしていたおっちゃん。その両目は、これ以上ないほどにキラキラと輝いていた。その鉄屑を売った金でビールが何本買えるか皮算用でもしているのか、あるいは幸せになる魔法の薬でもキメているのか、そのときの僕にはわからなかったけど。
そして、人生を投げ出していた僕に付き合ってくれたおっちゃん、あなたのことも忘れません。モーニングをおごってくれて、いろんな話をしてくれて、聞いてくれて、役所の福祉課まで連れて行ってくれたおっちゃん。あなたがいなければ、僕は今でも西成でぬるま湯の日々を送っていたかもしれない。
いろんな人に助けられて、ホームレスの施設に入ることになった。舞洲という人工島にあるのだけど、これがまた周囲に何もないのだ。スポーツ関連施設、ゴミ処理場、物流センターが点在するくらい。コンビニ1件ありゃしない。だけど施設での生活は意外にも楽しかった。2段ベッドが6つ並んだ12人部屋。むさくるしいけど、みんなバラエティに富んでいた。刑務所上がりのいかついおっちゃん、虚言癖のひどいおっちゃん、ほとんど一日中寝てるじいちゃん、薬のフラッシュバックがひどい兄ちゃん。そんな人達の中で過ごせば、自分がどれほどクズであっても気にならない。やはり僕はこちら側の人間だと再認識した。
市街地にある施設へ移ってからはいろんな仕事をした。生駒の山奥にドブさらいに行ったり、事務所移転のバイトで腰をやってしまいそうになったり、なんやかんやあったけど、長くなるのではしょろう。結局のところ、またプログラマをすることになるのである。
そろそろ身バレしそうな領域に入ってきたのでここでもう一度強調する。このお話はたぶんフィクションです! たぶんフィクションです! 大事なことなので2回言いました。
そう、またプログラマとして働くことになった。今度は従業員数300人くらいの大きな会社である。日本人なら誰でも知ってるであろう大企業の子会社ということもあり、本社からの出向社員は東大京大卒当たり前みたいな状況。そんな人達の前で中卒の僕が前に座ってプレゼンやら仕様検討会やらをするのだ。何の罰ゲームだよ……。
最初に思ったのは、「ここにいる人達は育ちがいい」ということだった。みんな礼儀正しい。喋り方や立ち居振る舞いまで、今まで僕がいた世界とは何もかもが違っていた。まるでドラマに出てくるような「ちゃんとした人生を送っている人達」だ。そんな人達に囲まれていると、「生きていてごめんなさい」と言いたくなる。本当に。
他に驚いたこと。社内で連絡を取り合うのにメール使ってる。やばい。社内メーリングリストとかもある。やばい。定期的にミーティングとか勉強会とかもする。なにそれ怖い。自分がいっぱしの社会人になったかのような錯覚に陥る。ちょっと前まで西成でゴミ拾いのバイトしてたのに。「勘違いするんじゃない! 西成の日々を思い出せ!」と何度も自分に言い聞かせ、自我を保った。
とはいえ、萎縮してばかりもいられない。気付いたことはどんどん提案した。あちこちに散らばっている共通の処理をライブラリ化したり、サーバで負荷がかかっている部分を改善したり。却下されたものも多かったけど、採用されたものもそれなりにあった。業務の改善案を考えるのは楽しい。誰かがプログラマの三大美徳に「無精」を上げていたっけ。極度のめんどくさがりで、楽をするための苦労は惜しまない僕には、こういう仕事は天職なのかもしれない。
システム開発の方も順調に進んでいた。この頃はMicrosoftですらWeb版のOfficeを出すような状況で、デスクトップアプリに比べても遜色ないレベルのWebアプリがどんどん出てきていた。この会社で開発しているのも、そんなAjax技術を多用したWebアプリだ。JavaScriptを用いた本格的な開発に最初はとまどったけど、書けば書くほど言語が自分の手に馴染んだ。クロージャ、prototypeといった基礎をちゃんと学ぶと、書けるコードのレベルが段違いに上がっていくのが楽しかった。
仕様にもこだわった。実際に使う人がどんなふうに操作するのか、何度も何度も脳内でシミュレートし、どんなUIが最適なのか、データ構造はどうするべきか考え、実行速度とメンテナンス性の板挟みに苦しみ、何度も何度もリファクタリングを繰り返す。
そのとき開発していたシステムは、メイン画面でほとんどの処理を行うタイプのものだったのだけど、そのメイン画面のJavaScriptコードは最終的に1万行を超えた。もうこの頃にはJavaScriptでのオブジェクト指向的な開発手法というものも自分なりに構築されつつあった。そしてこのカチャカチャとした手触りの、安物のオモチャのような言語は、僕の一番好きな言語になったのだった。
そんなある日、僕が作ったシステムのメインユーザーである他部署の偉い人が来て、開口一番こう言った。
この機能が素晴らしい、とか、あの発想はなかったわ、とか、とにかくべた褒めして、そして去っていった。機能追加要望の前口上だと思って身構えていた僕は拍子抜けした。「あの人が他人を褒めることなんてめったにないよ、すごいね」と近くの席の人が言う。
どこにもはまることのない歪な歯車。その僕が、社会という大きな機械の中に組み込まれる音だったのだと思う。まあすぐに外れてしまうのだけど。その一瞬だけは、僕は確かに社会の一部になれたのだ。
これからどうするか? 今の技術力ならそれなりのところに就職できるかもしれない。でも僕にはやってみたいことがあった。半年かけて海外を旅するのだ。
今、僕の手元にはまとまったお金がある。こんなのは人生で初めてのことだ。そして僕は今、どこにも所属していない。どんなところに行ったっていいし、何をしたっていい。この先、そんな状況がどれだけあるだろうか? 人生長いのだ、そりゃあ何度だってあるかもしれない。でも今回やりたいことをやらなかったのなら、僕はきっと何度だってやらずにいるままだろう。
もちろん怖くなかったわけじゃない。なにせ海外なんて行ったことがなかったのだ。ずっと極貧の生活をしてきた僕は、国内旅行だって満足にしたことがない。
いろいろと考えた。ない頭を使って考えた。自分の英語は通じる? 病気になったときは? 荷物をなくしたら? あれこれ考えると心配事ばかりが頭をめぐって、わけがわからなくなる。
最終的に決定打になったのは、自分が何も持っていないという、この状況だった。
そう、僕は何も持っていない。家族も友達も、夢も希望も。だけど、そんな人間だからこそできることがあるんじゃないかと思ったのだ。何も持たないからこそ、どこにだって行けるし、何にだってなれる。それはタロットカードの「愚者」みたいなものだ。愚かな者は恐れも何も知らぬからこそ、無限の可能性を秘めている。
心を決めたら後は早かった。
パスポートを取得した。航空券を手配した。住民票を海外転出した。トランクルームを借りた。住んでいた部屋を引き払った。
空港へ向かう電車の中で、懐かしい感覚に襲われた。あの日、ホームレスになったばかりのころの感覚。世界が足元から崩れていく感覚。でもあのときとは決定的に違うことがあった。それは、今回は自分が望んでこうなったのだということ。流されるまま生きてきた僕が、初めて自分の人生に対して主導権を得た。それだけが決定的に違っていた。それだけで十分だった。足の震えは、これからの旅路への、期待に対する震えなのだった。
自分とは異なる人種、異なる言語。街の看板すらまともに読めない。レストランの注文すらおぼつかない。ちょっと電車に乗るのも大仕事だ。それでも時間をかけてひとつひとつなんとかしていった。
見知らぬ街の匂い、喧騒、バケツをひっくり返したようなスコール、旅の中で出会う怪しい人、優しい人。僕の前でたくさんの風景が流れていく。
川辺のレストランで昼ご飯を食べた後ボケーッとしていると、猫が膝の上に乗ってくる。動くのもめんどくさくてボケーッとしてたら日が暮れてた。そのまま猫と一緒に晩ご飯を食べた。そんな日もあった。
長距離列車に乗っていたとき、車内食にピーナッツバターのようなものが付いていたので、普通にパンに塗って食べた。でも梅干的なものだったらしく、めちゃくちゃ酸っぱかった。「すっぱ! すっぱ!」とかやってたら向かいの席の女の子が爆笑していた。僕も笑った。そんな日もあった。
最初は少し移動するのにも大変な思いをした。でもいつの間にか、ローカルバスに乗って気ままに旅するようになっていた。
たどたどしかった英語も、日常会話程度なら普通に喋れるようになっていた。
いろんな国のバックパッカーにもたくさん出会った。お互いつたない英語でやりとりするのも楽しかった。今度は彼らの国にも行ってみよう。だからいつか世界一周に出ようと、僕は心に決めた。
こんな旅に出たところで自分は何一つ変わらないと思ってた。でも、何かが変わってきている。それが何なのかはわからない。たとえば図太さだったり、適当さだったり、そういうのもあるのだけど、何か違う。それよりもっとプリミティブなもの。感情になる前の感情、行動になる前の行動。マグマのような熱量を持ったドロドロとしたものが、自分の中に渦巻いているのを感じる。それがいつ形を成すのかはわからない、今はまだ。だけどいつかどこかで、忘れた頃にひょっこり出てくるんじゃないかと思う。そのときを楽しみにしていよう。
そして夢のような日々は終わる。
日本に帰ってきたとき、手持ちの金は10万以下だった。部屋は解約していたので住むところもなかった。普通にホームレスだった。僕は焦らず慌てず、西成へ向かった。
しばらくはドヤ(安宿)に泊まった。一番安いところなら500円から泊まれる。西成はいいところだ。
前の会社から戻ってこないかと誘われたけど、「働きたくないでござる! 絶対に働きたくないでござる!」と言って断った。
いや働きたくなかったのは本当だけど、もう1つ理由があった。職業訓練で組み込み系を学ぼうと思っていたのだ。
スマートフォン含むタブレット端末の市場がこれからも拡大していくのは間違いない。そうすると必要になってくるのは組み込み系の知識。いやアプリ作るだけなら必要ないかもしれないが、そういった知識があれば、自分ができることの幅がぐんと広がると思う。
それに、今の僕には基礎的な力が圧倒的に足りない。すべてを独学で、我流でやってきたけど、やはり限界を感じる場面が多々あった。だから今回ちゃんと体系的に学んで、足元を固めようと思ったのだ。
結果的には正解だったと思う。本当に基礎の基礎から学べた。
ブレッドボードを用いて回路を組むところから始まって、アセンブラ、C言語、組み込みLinuxでのデバイスドライバ開発、アプリ開発。これまで高級言語の十分に進化しきった部分にしか触れてこなかった僕にとっては、どれも難しかったけど、どれも面白かった。これからどういう道に進むかまだわからないけど、ここで学んだことは絶対に無駄にならないと思う。
そうして職訓で勉強するかたわら、悶々と考えていたことがある。世界一周についてだ。
今はまだ金もないし、そんな金を稼げるあてもないのだけど、いつか(たぶん10年後くらいには)行こうと本気で思っている。
ルートだけでも今から考えておこうと思って、いろいろと旅程検討アプリを試してみたのだけど、どれもいまいち使い勝手が悪い。海外のものも含めて探しまくったけど、自分が思うようなものは見つからなかった。
だったらもう自分で作るしかない。せっかくだから就活のときにポートフォリオとして使えるよう、ちゃんとしたWebアプリを作ることにした。
最初の1ヶ月は地図APIの選定と、検証コードを書き捨てるだけで終わった。
2ヶ月目は基礎部分の構築だけで終わった。
3ヶ月目に本気を出し、ほぼできあがった。
そしてベータ版をリリースした。 http://planetter.com/
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確に言うなら、ここから先の展開はまだわからない。
10年間を振り返ってみて思う。あの頃と比べて、何か変わっただろうか?
家族や親類とは縁が切れたままだし、いまだに人付き合いは苦手だし、金はないし、夢も希望もない。それは今でも変わらない。ただ、あの頃あれほど感じていた空虚さは、跡形もなく消えている。
西成の高架下で見た光景を思い出す。ガラクタを解体していたおっちゃん。あのキラキラした目。たぶんあの瞬間に僕は、自分にとって一番大切なものは何なのか、心の深い部分で理解したんだと思う。
世界一周だなんだというのも本当はどうでもいい。僕はただ、いつだってドキドキしていたいのだ。
初めて人を好きになったときの気持ち。知らない街で暮らし始めたときの気持ち。そして、プログラムが思い通りに動いたときの気持ち。
それを持ち続けていたいのだ。いつだって新しい世界にワクワクしていたいのだ。
ふと目を閉じれば、まぶたの裏に映る、あの日のメッセージ。
"Hello world!"
このお話はたぶんフィクションです。実在の個人や企業とはあんまり関係ありません。でも、ここに綴った僕の想いは、ノンフィクションです。
頭悪いって、早慶入れる頭があって、頭悪言って言われたら、日本人の大半は90%ぐらい?95%ぐらい?はド阿呆って事になるな。そういう事が言いたいのかい?
よくわからないけど、入ってみたいだけ、あこがれてるだけなんじゃないの?
ちゃんとその会社に入って、仕事をして、貢献している自分の姿が想像できる?入ればなんとかなるって思ってない?
あー、いや、それはどうでもいいけど チャラく仕事してる奴なんていっぱいいるし。
たださぁ、自分に合わない職場で働いて高いお金もらっても、つかれるだけだよ人生に。
ルパン三世は言いました、自由になれよ。みたいな?。
頭悪くたってさー、人を感動させることはできるし、人を助けることはできるし、そこそこ幸せに生きていく事だってできるんだぜー?
賢者は歴史に学び 愚者は経験に学ぶ だ。 これと 百聞は一見にしかずとをかけあわせれば、どういうことかわかるだろー?とFラン超バカの俺が言ってみる。
万事塞翁が馬が如しって言うし、いいじゃんよー。早慶ならそうそう悪くない給料のところには入れんだろ。じゃ、なんかさー、やりたい事見つけなよ。
タロットカードの0番が何かしってるかー ってところで、元気だせー 優劣じゃないぜ優劣じゃ。笑ったもん、笑わせたもん勝ちなんですわー
私は頭が悪いんだということを知った。
大学は早慶だし、ゼミの発表やレポートなんかで褒められることも多くて、そんなに頭は悪いほうじゃないと思ってた。
ところが、面接で自己PRがうまく話せない。突っ込まれるとうまく返せない。
論理的かつ好感を持たれるかたちで相手を説得できない。
ただ、論理的に感じよく話せるだけじゃない。
一朝一夕に身についたものなんかじゃない。
大学時代、いや、もっと前から、いろんなこと楽しんでやってきた感じだ。
自信のようなものを感じる。
バイトを転々として、人間とちゃんと向き合ってこなかったと思う。
自分の間違いに気づいたのはつい半年前だ。就職活動が始まる時期だった。
友達は多いほうだが、彼らのようにすこぶる輝く人たちではない。
類が友を呼んだのだろうか。
今から努力したんじゃ到底埋まらない人間の格の溝のようなものがあるように感じてしまう。
もっと大学生活、勉強して、本読んで、人と本気で話をすれば、私もあんな風に頭よくなれたのだろうか。
大学生活やり直すことができないまでも、院に進みたい。もっと勉強がしたい。いろんな意味で。
現実逃避だし、家に金が無いのも分かっている。
そもそも、今まで私が人間関係に怠惰に生きてきたということは、変えられない事実であり、
院に行ったところで、文系だから新卒採用には不利に響くだろう。
追記
コメントくれた人ありがとうございます。
なんか涙でました。
清清しいカードですね。
おっしゃるとおり、院に行ってもたぶん何も変わらんでしょうね。
今は、ESが通った会社で働くため、OB訪問、面接対策を重ねることにします。
この怒涛の中で、自信は喪失、迷いは千万。
ただ、院に行くかどうか、今考えることではないことだけは確かなようです。
みなさんほんにありがとう。
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仕事は、WordPressをサーバにインストールしてあげる、タロットカードを読んであげる、ロマンチックな詞を書くなど、いろいろだ。仕事は、Funny(おもしろい)、Bizarre(奇抜)、Social Marketing(ソーシャルマーケティング)、Graphics(グラフィクス)、Writing(代筆)、Technology(テクノロジ)、Business(ビジネス)、Silly Stuff(おばか)、Programming(プログラミング)といったカテゴリーに分類されている。