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はてなキーワード: カテゴライズとは

2022-03-13

陰謀論者や差別主義者はある意味幸せかもな

世の中を「私達」と「奴等」に雑にカテゴライズして、

自らにとって都合の悪い事は全て「奴等」のせい。

深く洞察する過程に至る前にブレーカーが落ちるかのように

思考停止すれば原因究明や責任追及、反省改善といった

頭を使う類いの苦行を行わずして一時の心の安穏を得られる。

「私達」一人一人の中で「奴等」の存在はどんどんと

大きくなっていき、その肥大化した「巨悪」と闘う為に

同じような思考パターンを有した仲間達と徒党を組む。

「私達」集団内でエコーチェンバーが進み思想が先鋭化する。

ついていけない人間は篩い落とされて集団純化していく。

ここまで来れば現代理想郷の完成。

2022-03-07

女性販売員への加害自体がまず差別」🤔

数年前には見られなかったこのような意見が、ここ最近 はてなブックマークtogetterコメント欄 で人気だ。

男性女性販売員迷惑行為を働くが、彼がターゲットを選ぶ基準に「女性から」があるから、その時点で「まず差別なのだという…。

しかし私には(しばらくこうした差別から距離を置いていたので感覚が追いついていないせいかいまいち納得できない。

女性から」を基準にするのは加害者男性の性欲が原因のはずだ。性欲は… それそのもの合理的だ、という社会的コンセンサスがあるよね?

被害それ自体がヒドイ事だというのはもちろん前提だけど、これを差別カテゴライズするのは… どうなんだ。

「まず差別」を認めると…

女性専用車両が痴漢対策のために設けられてるけど、電車内の痴漢女性をねらっているので「まず女性差別」になってしまう。

男子中学生が、女子生徒のうなじで変な気をおこすのも女性差別に当たる。

ウクライナを攻めているのは「まずウクライナ差別」になってしまう。

それどころか、バレンタインデーさえ差別になってしまう。

…それでいいのか?

いや、よくわからない。バレンタインデー女子女子に送るケースは以前から結構あるし、ついこないだは男性チョコを作るYoutube動画も観た。時代は変わりつつあるのかもしれない。

差別定義をそのように拡大して、どんな問題があるか解らないので困っている🤔

2022-03-05

趣味が無い

先日パートナーに「君は美容以外の趣味とかないの?」と言われた。

言われてみれば特にほかの趣味はない。

美容趣味の一環だと思っていたが、一般的には趣味認定は受けづらいらしい。

(ここで言う美容美容外科や審美歯科美容皮膚科にかかったりコスメや自宅ケアなど全般)

昔はとある趣味があった。

1日5-6時間趣味に費やしていたが、それが高じて仕事になってしまったので趣味とは言えなくなった。

しろ仕事になってしまったので、当時の趣味に関わることは全て仕事関係カテゴライズしている。何より昔ほど手放しで楽しむことはなくなった。仕事なので。

齢30をとうに過ぎて、今から新しい趣味を探すのは少し億劫だ。

好きなことならある。料理セルフジェルネイル大学認知心理を学んでいたので精神医学医療論文を読んだり、洋服も好きだ。

元々グルメ関連も好きで定期的にミシュラン掲載店やいわゆる銘店的な所に行ったりお酒も楽しんでいたが、今のパートナーがさほど外食に興味が無いこと、コロナ禍、自分の減量のためにすっかりグルメ関連からは手を引いてしまった。

しかし、よくある趣味的な活動に興味が無い。

旅行は行けば楽しい特に行きたいと自発的には思わない。

音楽映画仕事関連にカテゴライズされるし、ゲームやネトフリなども特にハマるものはない。

友人ももちろんいるが、一人の時間比較的好きなので、月2-3回遊べればいいと思っている。

スポーツ子供の頃色々強制的にやらされていたせいかしろ苦痛な方だし、筋トレは好きだが体型を保つための義務感があるので趣味ではなさそう。

パートナーからすると、美意識が高いだけで基本的には無趣味に見えるみたいだ。

自分でも何か趣味があればいいなと思ってはいるが、中々見つからない。

(趣味仕事になってから色々手を出してはみたがハマるものがなかった)

なんとなく人生がより豊かになる気がするので、何か趣味を見つけたいな。

2022-03-04

anond:20220304155106

差別本質は、利便性。単純なカテゴライズで不便から解消される。だから本当はみんな差別が大好き。

犯罪率の高い地域出身者とは関わりたくないなぁ。

トイレの使い方を知らない中国人は泊めたくないなぁ。

ゴミ分別の仕方をしらない移民は受け入れたくないなぁ。

日常に潜む差別感情は、快適に暮らすための知恵であり、それは対象となる人達特定できるから実現できる。


「昔は、いまでいう発達障害者にも居場所仕事があった」

そりゃ、昔は、発達障害者という概念が無くて、うまくカテゴライズできなかったから、差別のしようがなくて、

仕方ないから、あの人はアタマおかしいから関わらんとこ。と個別対応するしかなかったんだよ。

でも、今は、発達障害アスペ境界知能への理解が進み、この人はそっち系かなってカテゴライズできれば、

即座に差別することができる。差別して視界から排除できれば、快適に暮らせる。

ただそれだけのことなんだ。

2022-02-28

anond:20220228154245

いやむしろ元増田カテゴライズ必要性に基づいて正しく使っているよ。

 

ジャンル、という概念存在自体が、自分趣味嗜好にあった作品効率的に選ぶためのもの

 

探偵ミステリが見たいのに、殺人ホラーと棚の中で混ざってたら、タイトルだけじゃ選べないじゃん。

そしてミステリが好きだったら、新作ミステリ供給されているかは、常に由々しき問題じゃない。

anond:20220227202849

いまだと 【錆食いビスコ】 は熱血系に該当するんじゃないだろうか。

にしても、あたらしいもの流行っていて、そういう作品群をどう呼ぶか考えるならともかく、

過去定番分野に、今あるものカテゴライズして、

そのカテゴリ繁栄しているかどうかで一喜一憂する必要はあるんだろうか。

お気に入り作品があればそれでいいんじゃないか?

anond:20220228081113

減らしたいって思うのであれば、その属性すらグラデーションであることを社会が広く認識しなきゃいけないんじゃないかな?

ひとまとめにして雑なカテゴライズをして個人個人へ向き合って問題解決しようとしないから減らないって考えて欲しいなぁ

2022-02-23

別に尺八をディスってるわけじゃないか

元増田です。熱心なツッコミお疲れさまです。

anond:20220222220135

尺八だって世界中に愛好者がいる?

そりゃネットが発達したこ時代世界のどこにだって「愛好家」にカテゴライズされる物好きとかマニアのたぐいはいるだろうよ。

から「必ずしも無名ではない」かもしれないが、それだけで有名というには流石に無理がある。

まあフェスが開催できて、メーカーに依る開発が続く程度にシェアを持つ規模まで行く楽器は限られるけど、それだってオーケストラ軍楽隊含む吹奏楽世界的に広く普及している楽器とは比較にもならないだろう。

アマチュアという裾野の広さが大きく違う時点で、プロ奏者の数・楽器生産数といった規模も全然違うし、そうした違いもあって、知名度比較にならないくらい違うんじゃねーの?

そうなるとギネスにおける楽器難易度という議論俎上に乗る可能性は限りなく低いし、それはディスでもなんでもないというか、勝手にディスったことにされても困る。

文字通り「問題にする人が限られる」知名度なんで、多くの人にとって「そんなの知らん」で終わって当然。

虚無僧世界中街角尺八を吹くという冗談理解できないのであれば、世界中学校マーチングクラブ活動ホルンが登場するのと同じか、町のピアノ教室と同じくらい、尺八教室世界的に珍しくなくなってからまたおいで、と言っておこうか。

とはいえノヴェンバーステップスは間違いなく神曲だろう。

琵琶尺八オケBGMチャンバラする曲という、色々と前代未聞の発想で、世界の武満の名を不動にした傑作だし。

尺八の首振り三年は有名だけど、それって西洋木管楽器のベンド奏法の延長という時点で、取り立てて言うことか?

からフルート吹いてた流れで尺八に手を出す人もいるし、実際兼任可能なくらいの違いってことでしょ。

少なくとも弦楽器管楽器ほどは違わないだろうし、要は程度問題

もちろん、首を振らなきゃ音を変えられない楽器はなかなかないと思うので、フルート日本横笛系(龍笛とか篠笛とか)から乗り換えて、すぐに尺八らしい音になるかといったらならないだろうけど。

加えて、下に書いたように西洋楽器和楽器で求めるものが違う部分も無視できないが、上に書いたフルートからの乗り換え・兼任不可能じゃないこともまた無視できない。

指穴が5個しかない?そんなこと言ったらフラウト・トラヴェルソも7つくらいしか音孔ないんですが。

あと一番引っかかるのは、西洋楽器和楽器に求められる音の違いを無視しているかのような

私が言いたいのは、どちらの楽器構造上不完全な特徴があるからこそ、唯一無二の音色が出せる、という側面もあるということです。

例外は色々あれど、和楽器ノイズも音の美学としていて、むしろ故意にノイジーな音を増やすために改良した楽器もあるときく(楽琵琶から薩摩琵琶への変化とか?)。

一方で西洋楽器倍音以外を排除し、またそれを実現させるためというのも理由の一つとして、操作性の向上にも力を入れてきた。

要は求められる音が違うので、言ってしまえば「不完全」が示す意味も違ってくるんじゃねーの?

からその意味で、本来ホルンでもなんでも西洋旋律楽器で音が外れやすいなんて普通にダメだし、そんなミストーンが頻発する楽器もっと改良されるか淘汰されて当たり前。

というか西洋音楽の伝統作法が大きく変わらない限り、ホルンもっと改良されるべき。

尺八は今の状態で不完全だとは思わないどころか、むしろフルート龍笛から出せないノイジーさは凄いと思うけどね。

あとは、まともに旋律が吹けない(そういうふうに意図的に作られた)能管の、割れまくった高音もやユラユラした中低音も、和楽器ならではの魅力だろう。

それとブクマカが謝っているけど、こういう話題トラバ尺八楽器以外の意味で使うやつとそれに便乗するやつは、マジで寒すぎるので勘弁。てかキモい

(西洋だとクラリネットがそういう文脈で使われるらしいけど)

冗談なのか煽りなのか知らないが、非表示にできる機能がほしいところ。


追記

なんか物凄い否定的な反応ばっかりで草。

本当に、冗談抜きでこのトラバはディスじゃなくリスペクト主題に書いたつもりだけど、今読み返してみたら随分嫌味ったらしいと思ったわ。

書き方が悪ければというか、文章書き手意図関係なく書いた通りにしか伝わらないもんなので、誤解とか言うつもりはないし、むしろ多くの読者に不快感を与えたのは申し訳ない。降参する。

エントリ内のネタの入れ方も含め、今後に活かそうと思います

2022-02-19

いや「貧乳」はアウトではないでしょ

かに漢字自体に蔑みの意味は入っているけどさ、いま話題になっているような言葉とくらべると実態がぜんぜん違うと思う。

代わりになる表現がない

シンデレラバスト、という言い方が発明されたことがあるが、結局定着しなかった。

もし「貧乳」を言えなかったら、医療現場とか服飾のサイズ測定みたいな専門用語が効く特殊な状況じゃないとき、つまり日常会話で、薄い乳房を指してなんて言えばいいのか。

男ならほぼ誰でも使ったことがある

俺はマトモな… いや、わりと普通の男だけど、もちろん過去に記名で「貧乳はいいぞ」くらいは言ったことがある(追記注・目の前の女性に向かってではなく、あくま一般論文脈で💦)。まわりの男友達も大体そんな感じだ。過去発言を掘り起こされて糾弾されるこのキャンセルカルチャー禍で、「貧乳」がアウトになったなら、あらゆる何かのスポンサー所属男性選手全員を解雇する羽目になっちまう

女同士でも薄さのイジリは多い

最近 Vtuber をよく観るけど、数万から数十万再生メジャーVtuber でも、胸の薄さがイジられて「まな板」だの「壁」だのと言われている。言われた女性最初は怒ってみせるけど、最終的には笑っていて気に病んでる様子はない。冗談として受け止めているのだ。こういったショー、女性 Vtuber 同士での胸の大きさのマウント合戦は、特定所属企業に限らず、知る限りすべてのグループで、個人勢でも、よく行われてリスナーにも楽しまれている。Vtuber圧倒的多数視聴者は老若男女・ライトユーザーオタクと、広い分野にまたがっているから、文化思想の偏りは起こりにくいことに注意してほしい。そんな健全環境なのに、難色を示している視聴者コメントなど一つも見たことがない。むしろ批難するようなコメントがあったなら、「杞憂民」だの「プロレスを知らないの?」だの言われてしまうでしょう。それほどまでに受け入れられている。

貧乳」というラベルを付けられただけで、貧しくなるわけではない

乳房サイズは生まれもった身体的特徴で、多分ほぼほぼ遺伝で決まると思う。でも乳房サイズの違いには生物的な意味はない。大きい乳房が、特に生存を有利にするわけでもない。大きい方が子どもが沢山産めそうにみえる、という仮説を見たことがあるが、現実には出産能力とは無関係だろう。唯一の違いはミルクの出力量だと思うけど、その点も技術発展で解決した。乳房サイズの違いはいまや、天から与えられた脂肪の量の差に過ぎない。だから「貧しい」とカテゴライズされただけで何かが減ったりはしないんだ。自分の気の持ちようで何とかなるのだから他人お気持ちからは Not for me で距離を置けばいい。すなわち、キャンセルカルチャーの出る幕ではないのだよね。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-06

youtuberは「芸能人」なのか?

youtuber」と「芸能人」は別に見るべきだろうな

youtuber芸人にキレてるのを見て、面白くない返し方だなと感じた

チャンネル経営者としては、この動画で金になるから正解だと思う

芸能人としては、キレ芸で後味が悪くしたか不正解だと思う

ただそれは、youtuber芸能人(あるいは、芸能人になりたい人)だと勝手カテゴライズしてるからかもしれないな

youtuberは、youtubeフォーマットに最適な芸をする特化型

芸能人は、どのフォーマットでも安定した芸をする汎用型

もちろん、どっちが悪いというわけではない

youtuberを汎用型の評価で考えるから総合的な評価で見ると劣っている部分が目に付く

不器用に見えてしまうのはこういった所なんだろうな

この件を「youtuber」と「芸能人」と考えれば、畑違いの人同士の批判しあってるからどちらもノーダメージ

2022-01-30

anond:20220129090326

読んだことないかイメージで言うけど、漫画っていうより成年漫画の枠に入ってるんじゃない? そこにカテゴライズされると逆に批判されないというか。

2022-01-26

そもそもクソリプからと言ってディスっていいわけではない

クソリプ」ってポップな感じでカテゴライズされてるせいか、これをした奴はディスっていいと考えてる奴が多い。

なんであれ人を公にディスっていい理由なんかない。

もちろん人を公にディスるのも個人自由だけど、それに対して相応の反応が返ってくるのも当然のこと。

2022-01-08

anond:20220108120537

ない

個人を超えて男女の括りで何かを性別カテゴライズする時点で全部有害

2021-12-22

ゲテモノから目をそらす

今やもうFANZAとなっているが、DMM時代からライブチャットにはお世話になっている。

お気に入りパフォーマーはどんどん消えていく中、10年くらい前からノンアダ一本でやっている人もいる。


そんなFANZAライブチャットだが、マダムフロアがとてもじゃないがゲテモノ揃いだ。見るも悍ましいサムネが並んでいる。吐き気すら覚える。

フィルタは「すべての女の子」「お気に入り」「新人」「巨乳 顔出し」しかなく使い勝手くそ悪い。

アダルト」と「ノンアダルトしか見たくない。マダムかいあんゲテモノカテゴリ非表示にしたい。

加えてアダルト、ノンアダルトにいるゲテモノ不快サムネの奴らを一掃したい。


意見を送ったところで実装はされないので自力で何とかしてみようと思った。

ただし技術的なことはさっぱりだ。なるべく簡単に済ませたい。

まず、昔?ニコニコ動画マリオメーカーだかの動画を除外する拡張機能スクリプトがあったがあれに似たものはないかと探したがなかった。


次に広告ブロック系の拡張機能

色々試したが、「はちまバスター」という拡張機能。これが素晴らしかった。

もともとはまとめサイトをぶち消すものだが、キーワードURL非表示にすることが可能だ。

からこの拡張機能渡辺直美、フワちゃんをはじめとする各種ゲテモノウーマン本村、ラサール石井立花孝志などの目に入れたくないもの排除するために入れていたのだがこれが使えた。

(こいつらの単語を書くだけでも吐き気がする。)

ライブチャットでの使い方は簡単だ。ゲテモノ右クリックしてはちまバスターに追加(URLでの追加)これだけでどんどん快適になっていく。


が、マダムは9割ゲテモノだ。追加しようにも追いつかない。溢れかえるゲテモノ。追加されるゲテモノ

これには悩んだ。

はちまバスターで追加したもの非表示ではなく「censored」となるためこういった一覧での表示では見栄えも悪い。

キーワード指定しようにもパフォーマーIDランダムアダルトは01***とかではない。


そして次に目を付けたのが内部ソース

パフォーマーID規則性はない、が表示ではアダルトやらノンアダルトカテゴライズされているので何かしらあるはず。と覗いた。

そして発見する「listbox madam」

これだ。これを非表示にする方法を見つければいいのだ。


そしてここでも広告ブロック拡張機能が活かされる。

だが今回ははちまバスターではない。先述の通り除外したところで「censored」となる。今度は非表示にしたい。

ということで別の拡張機能にあるフィルタ機能を駆使した。

追加は簡単だ。

##li[class="listbox madam"]

とぶち込んでやればいい。

だが気を付けてほしい。listboxとmadamの間は半角2つだ。拡張機能によっては半角2個が1個とされてしまものもあるので注意してほしい。


これだけであのゲテモノカテゴリ非表示となるのだ。そしてアダルト、ノンアダルトパフォーマーけが表示されるのだ。

これで当初の目的の8割は達成できた。これだけでもかなり快適になった。


今はスマホからインしている奴らを排除したい。

アダルトだろうとノンアダルトだろうとスマホからインしてるやつのゲテモノ率は8割くらいある。

span class="smartphone"」があるのは見つけているがこれを含んだやつを排除すればいいはずなのだが…


あとは写真が反対になってるやつとか私が不快と思う顔をAIかなんかで自動非表示にしてくれたら…と思う。

あ。パフォーマー動画販売できるやつを終了させたのは英断だと思いますほぼほぼクリーチャーだったし、ほぼ毎日出してたSMおばさんも不快だったので。

2021-12-15

姉がどうしようもないオタクであることについて

オタク無罪、好きなことに純粋なことはいいこと、他人感性にとやかく言うな、云々。

twitterで生きてきたような、自分たちを旬の感性を持った若者カテゴライズしてる老害に片脚突っ込んだオタクにとっては「オタライフを充実すること」は正しい生き方であり、何物にも邪魔され得ない絶対権利なのだろう。

ご多分に漏れないオタクであるうちの姉はアラサーではない。アラフォーである

子供のいる方ならもう子供中学校卒業することも珍しくはない。

まあ自分子供はいないし、オタクコンテンツも嫌いではない。でも、姉のそれにはつくづく辟易としてしまう。

他人作品恋愛妄想捗るかでしか評価できない。寝ても醒めてもカプカプカプカプ。毎日毎日ジャンル語りに、自分カップリング萌え語り、自カプの別カプに対する正当性主張、ジャンル友の話、神と仰ぐ同人作家の話、そして対立カプや自カプ内解釈違いの敵がいかに痛くて頭が悪いか、みたいな話をずっとずっとしている。

製作者がなんらかのテーマ技術や誇りを込めて作ったものからどんどん乖離していって自分たちの狭い世界で作り上げた密室内のニチャニチャした作中に存在しない恋愛関係をもて遊び、それで自己完結してるならまだしも、挙句の果てにだんだん興味が作品のものからジャンル内の人間関係マウント取れるかどうかに興味がうつり、それでいて閉鎖的な人間関係自家中毒を起こしてジャンル友の愚痴を裏で垂れ流す、そんな世界のどこに美しさや理想存在するんだ?と思う。

何より、もう中年差し掛かった人間いくらなんでもここまで幼稚でいいんだろうか。中学生と話してるみたいだ。

思えば、姉は昔からずっとこうだった。家族はじきに大人になる、と言ってその状態を許し続け、とうとうここまで来てしまった。

アラフォーでそれはヤバい、けど自分はまだ20代から大丈夫、とか思う人もいるだろうけど、40代20代、30代と生きてきた延長にあるにすぎないのだ。

饅頭へのリベラルの反応見ると本当にリベラルって指摘通りの奴なんだなぁって

こう、自分らの考えや思想を「お前らは独善的傲慢なただのゴミクソ野郎」とかド直球で否定してくる奴がいたら

言論反論するよりも明らかにいか相手キャンセルカルチャー文脈存在に持っていけるかっていうところで戦ってて

なんだかなあって

不寛容には不寛容でいいけど何が不寛容かは我々が決める」ってアホらし

饅頭系の人達ってリベラルの中では冷笑系とかカテゴライズされてるけどぶっちゃけ饅頭への反応そのもの図星突かれた左翼思考停止冷笑行為しか見えんわ

2021-12-13

anond:20211213142201

男性自己評価が高いことと女性自己評価が高いことは独立した問題なので

「女は自己評価が高い」ってなにと比べて高いって言ってるの?

「女」ってカテゴライズするなら当然「男」との比較だと思うし、他の増田もそのような認識だと思うんだけど、「女の自己評価もっと低くて然るべき」ってイデオロギー的主張なの?

2021-12-08

東亜学生さんも、ちゃん大学勉強してたら大手行けますよ?

いわゆる大手企業採用を数年やっていた経験があります

今回、マイナビやらかし学歴差別がやっぱりあるじゃないか、とか話題になっていましたが

学歴差別」は俺が在籍していた会社ではやっていません。

学歴差別」の定義を申し上げますと、スキルがあって資格も持っているのに「ああ、この子○○大なのね…じゃあ申し訳ないけど」みたいなことを想定しています

このようなことは俺の在籍期間ではまったくありませんでした。

ガチFと言われている、名前さえ知らない大学学生であっても

「TOIEC 900点台」とか「英検 1級」、「難関国家資格合格」とかの学生は必ず面接まで持っていきましたし、

上司にも彼らを逃がさないように言われていました。

もちろん、採用入社した者も多々います

今回マイナビで⑨以下にカテゴライズされた人も、

○○大だからどうせ…、と思わず客観的」に確認できるスキルを学んでいただきたいなと思います

anond:20211206132152

個人的歴史認識では初期の「萌え」は絵柄ではなく属性メガネっ娘巫女服、妹、猫耳(、語尾)みたいな、ゆくゆくはツンデレなどの関係性)にくっついてたイメージ

よって「萌え絵」の絵柄を定義するのは困難だと思う。

見る側の情念に根ざす「萌え属性アンテナにヒットすると次第に「萌え絵」にカテゴライズされていく。


関係性に萌えを見い出すようになれば、鉛筆鉛筆削りが並んで描いてあれば「萌え絵」になる。

2021-12-07

なにかに属したりカテゴライズを受けなければいけないという圧力

これが無い世界(人間界)っていうのは地球上に存在するのか?

2021-12-05

anond:20211205140843

救われたものを雑に解釈して雑にばら撒いてるならどこかでコケるけどね

間違えてはがないでも見たらどうすんだよ、あ?なんだって?で腹抱えて笑うのか?

 

第一、くだらんのは元からだろうよ、何を救われない男が深夜にアニメ見て心を取り戻した話のツリーで勝っただの負けただのの話をしてるのよ。日曜日なんだから出掛けなさいよ、どっちも。

仮にこの後花右京メイド隊を見る奴等が出てくるとしても救われるかどうかはわからないし、ハーレムアニメで括ったのならより多くのアニメ犠牲になるでしょうに

それで救われるならまだマシ、救われなかったら?ハーレムアニメはやっぱクソだという結論で終わったら?

深夜に脳死で見ていられると聞いたのにずっと声優の甲高い声が脳裏に響いて無理になったら?

 

元増田の救われたことなんて嘘になるじゃん

ちゃん元増田は救われたのに、元増田カテゴリを雑に区分しちゃったせいで、元増田のやってきたことが嘘になるじゃない。

折角元増田に感化されて雑にハーレムアニメを見たとしても、世の中からNot for meされかかってるやつが、救われたといわれる行為をしてもNot for meされるのかよ

カテゴライズを雑にしただけで

 

別に勝っただの負けただのの話じゃないよ

しろ哀れんでるのよ、自分が救われたものをそんな風に雑に分けてしまうのかよって悲しんでるのよ。

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