はてなキーワード: カテゴライズとは
そんなの女にだって求められてるだろ。
ただ女の場合は男がホストとかにならないとやりにくい売り方を比較的やりやすいってだけでさ。
高負荷運動
パワハラ耐性(やる側としても)
こういった要素は別に男じゃなくて女がやった場合も便利な労働力として評価される。
別に男らしさではないよね。
単に女は妊娠をすると最後の方の前後半年ほど使い勝手が大幅に低下するから安定供給源として男に劣ると判断されがちだっただけじゃん。
なーんか言ってることがそもそも論として狂ってる気がするんだよな。
無理にキャラ立てようとしてて痛いっつーか。
学生が無理してチャラ男やオタクってカテゴライズに自分から収まろうとしていくような感じか?
人生における役割として「増田 太郎」っていう一品物の役を演じきれる自身がないから、「オタクの集団A~Zの一人」であろうとする感じ?
大枠としての「男」「女」で役を作ってもらって、その役を演じることにしておけば「お前、役間違ってるよ」と言われずに済むって感じなのかねえ。
なーんか陳腐だな。
でも「男らしい」を自称する労働者が演じてるのは「男」でも「女」でもなく「便利な労働力」って名前の役なのよ既にな。
時代が変わったんだよね。
今ここで行われているのは社会主義的資本主義社会っていうテーマの劇でさ、そこでいつまでも「僕の役名は男です」「女です」なんて言ってるやつは舞台袖にさっさと引っ込んだほうがいい間抜けなわけ。
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
もっともらしく語るブコメばかりだが、実際に毎シーズンの新作アニメは萌え系にカテゴライズされる絵柄ばかりだし、決まって10代以下のヒロインが必ず付いてくるじゃないか。これを多様性なんて言えるわけがないよ
*1 もっともらしく語っているはがその根拠が「俺がもっともらしく語っていると思いました」でしかなく、結局は「俺は感情論マン!これから感情論を言うぜ!」でしかない。しかし本人にその自覚は見えない
*2 アニメ市場の話をしているのに毎シーズンの新作アニメと恣意的に主語を縮小している。犬の話をしている時に「チワワは」と言っていきなりチワワ限定の話にしておいて「つまり、犬は」と繋げるようなものである。
*3 萌え系という定義が個々人によって違いまくる表現を使っている時点で「俺の主観オンリーで話すが」にしかない。もちろん自覚はない。
*4 カテゴライズされる。誰がしたのか。そもそも萌系の定義が曖昧なのに。「俺が定義した萌系に、俺がカテゴライズした」となるのでは意味がわからない。「俺は俺様帝国の人間だと俺が定義した。なので俺が日本の住民税を払うのはおかしい」と言い張るレベルである。
*5 自分で定義して自分でカテゴライズしているのだから、俺俺定義カテゴライズの通りになるのは当たり前だ「俺様は俺様帝国の住民だと俺が決めた。つまり俺は俺様帝国の住民なのである」がトートロジーであることに気づけ無いほど知能が低いと宣伝しているようなものだ。
*6 言葉が強い。これでは例外を一つ出されただけで破綻してしまう。もちろん例外は探せばあるのだが、そこで「それは例外である」といきなり言い出すなら決まってなんて使うべきではない。頭が悪い。
*7 ヒロインと呼べるものが出てこないような作品も存在する。それどころか人間がモブか悪役ぐらいでしか出てこない作品もある。そういった作品においてものらりくらりと「いいえ。これは俺がヒロインと定義する定義に当てはまるでテイギ」と言うでテイギ?それでは結局何も言ってないのと同じでテイギ。
*8 決まってを使っているのに必ずを使っている。強調のつもりか?10文字前に書いたものを忘れてしまっているだけなのか?まあ読みにくいよね。
*9 ついてくるという言い方がよくわからない。突然の俺俺言語である。出てくるという表現を使わないのはチャチなセンスアピールなのか?チャチさは伝わったぞ。よかったでテイギ!
*10 多様性の定義はどうせ俺俺でテイギ!もう相手したくないでテイギ!
*11 全部自分で決めてるんだから当たり前テイギ!「ファルシのルシがパルシしたらコクーンすると定義する。さて、ファルシのルシがパルシするとどうなるだろう?コクーンなのだ!」である。マジで無意味過ぎる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211116114129
honya_neko もっともらしく語るブコメばかりだが、実際に毎シーズンの新作アニメは萌え系にカテゴライズされる絵柄ばかりだし、決まって10代以下のヒロインが必ず付いてくるじゃないか。これを多様性なんて言えるわけがないよ
2021/11/18
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実際に新作アニメ一覧(以下の画像)を見て絵柄を分析してみたが
男オタクにウケるような美少女系の絵柄に近いアニメはせいぜい3割に見える
https://elf-mission.net/anime/anime-list/2021-1-winter/
https://elf-mission.net/wp-content/uploads/2020/10/2021-1-v171.jpg
まぁ女オタクにウケる絵柄に近いアニメとジャンプとかの少年漫画アニメと女児向けのアニメとサブカルっぽいマニアックな絵柄のアニメも入れれば
8割はいくけどそこまで広いカテゴリ内で考えたら普通に多様性はあるんじゃないか?とも思う
「10代以下のヒロインがついている」ってのもそれが恋愛やお色気やオタク向けのバトル的な活躍をする作品だったら少数派になるので
「10代以下のセクシャリティが女性のキャラが一人以上出てくるアニメ」と括らないと多数派にはならない
でもそんな事言うと「Aracaneみたいな良質のアニメが世界でヒットしてる」なんて誰かさんがいってるArcaneにも10代以下の女性キャラは出てくるので
日本のアニメには多様性が無いって話を支持するための意見じゃなかったの?ってなる
マルシュロレーヌ号がBCディスタフを制覇し、伝説と歴史を作ったと同時に日本競馬に新しい扉を開けた。
一方マルシュロレーヌ自身の知名度の無さも手伝って、全般としては反応が薄い様に感じる。
マルシュロレーヌはそのレース内容から、現役牝馬ダート路線という狭いカテゴライズの中ではあるが、一部にはその強さはよく知られてた。
が、記録としては中央重賞未勝利であり、主な中央勝ち鞍は桜島S(3勝クラス)である。
どうしてそうなったのかを、ここでは記してみたい。(JRA-VANデータで調べているのでデータは1986年以降)
中央に牝馬限定重賞がないから。混合戦における牝馬の勝利レースは25レース17頭しかなく
距離1700m以上なら8頭。2015年チャンピオンCサンビスタ以来勝ち馬が出ていない。
牝馬全盛と芝とは逆の厳冬期と言える。
(BCディスタフを勝つ位の馬ならばサンビスタに続いてほしいという気持ちは理解できる)
ネット媒体でも一部記事にしていたが、マルシュロレーヌはダート転向初戦の桜島Sから注目を浴びていた
直線一気の豪快な勝ち方もあるが、それだけでなく記録の裏付けもある。
小倉ダート1700mでの施行は2050Rあるが、勝ち馬が上り3F35秒台を出したのはたったの24R
マルシュロレーヌが出した35.0は過去1位である。3勝クラス以上だと11頭が該当し
マルシュロレーヌ以外で該当レース後重賞(交流重賞含む)を制した馬に
ゴルドブリッツ(帝王賞)グループブランデー(フェブラリーS)、テオレーマ(JBCレディースクラシック)
、メイショウカズサ(白山大賞典)がいる。5/11とかなりの高率である。
重賞級のレース内容という当時の評はオーバーではない。まさかBC勝つとはその時誰も思わなかっただろうが。
(私も思わなかった)
関係者も首をかしげていたが、出走資格の関係でレディースプレリュードをきっちり仕上げた可能性は高くその反動か
3月から7走と使い詰めてきた事が影響したかもしれない。レディースプレリュードは雨で田んぼ馬場だったので
能力は信頼していましたが、不安はこういう馬場でした。ちょっと不安を抱えて見ていたのですが、
4コーナーでだいたい大丈夫だな、と思って見ていました。勿論次はJBCレディスクラシックに行きます。強い勝ち方をしてくれました
位置取りはあれでいいと思っていましたが、直線では届かないのかなと思いました。しかし、よく差し切ってくれて嬉しいです。
JBCは最終的に獲りたいですが、今後のプランは、馬の状態に合わせるのでまだ考えていません
距離が延びるのは良いと思いましたが、コーナー6回ですし、どうしても後ろから行くのでそこはちょっと心配でした。
ゲートは周りの馬の影響を受けて後ろからになりましたが、コーナーを非常にスムーズに回ることが出来たのは大きかったですね。
強い競馬をしてくれました。次はまだ考えていませんが、牝馬の中では一番強いと思っていますし、
平安S以後の混合重賞挑戦を匂わせたのはエンプレス杯以後。つまり矢作師をそう思わせる強さがエンプレス杯にあったという事だ。
エンプレス杯を開催する川崎競馬場は小回りで行った行ったが多い競馬場。それを中段からポジションを上げて勝つのは至難の業。
このコース形態とレース運びは奇しくもあのBCディスタフを彷彿とさせる。ここでBC行きを決めたとは思えないが、BC挑戦を考えた時
エンプレス杯のレース内容が矢作師の背中を押した可能性はあるのではないだろうか? <h3>o- ****</h3>
マルシュロレーヌは中央での主な勝ち鞍は桜島Sとなるが、以上の様にそれなりの背景を持った馬であり、少なくてもダート牝馬路線では
BCディスタフ勝利以前から、現役最強格の一頭であることは疑問の余地はない。
歴史的勝利を収めた後も中央重賞未勝利を理由に実績不足(ラッキー馬扱い)と言われるのは寂しく思う
中央に牝馬限定のダート重賞競走がない限り、マルシュロレーヌに続く牝馬海外遠征活躍馬が
でても、中央重賞未勝利の可能性はかなり高くなると思われる。これはJRA番組編成上の瑕疵であると個人的に思う。
近年海外で成績が出始めているダート1200mもカペラS(G3)しか中央重賞がなく、
2歳戦も現在ダート重賞はない。交流重賞の兼ね合いを考慮したとしても
せめて上半期下半期に1Rづつ程度目標となる重賞が中央にもある方が、日本のダート馬の競争力強化に寄与するのではないだろうか
奇跡的な経緯とはいえ、日本馬からダートBC勝利馬が出たのはもはや現実だ。である以上ダートも芝同様、様々な適正の馬に機会を提供する
番組編成を用意するのは主催者としての重要な努力目標となったのではないだろうか?
しないならば、芝優先と言われても仕方がないと個人的にはそう感じる。
漫画やアニメの作り手を目指す人に対して富野由悠季など様々なクリエイターがそう言っている。自分は最近、この発言にやや共感するようになった。しかし世間を見て見るとこの発言はそこまで正しいものではなかったようだ。もっとも、クリエイター達がどんな意味合いでこの手の発言をしたかはそのクリエイターによるが。
自分は最近までこの手の発言に共感していなかった。この手の発言はオタクコンテンツに携わっているクリエイター達のコンプレックスによる「オレはお前たちキモオタとは違う!」アピールだと考えていた。この手の発言からは「漫画やアニメを作るためには、その源泉にするために漫画やアニメ以外の世界に触れなければいけない」という意味が読み取れる。自分はこれに疑問があった。
「源泉にするために触れる別の世界」は演劇や小説などの「創作物」とスポーツや歴史などの「創作物以外」に分けられる。作り手に回るためには漫画やアニメを封印し、それらの「別の世界」を見なければならないとクリエイター達は言う。昔の自分はこれに共感していなかった。「創作物」の方に触れなければならないのは、「アニメ漫画以外の創作物の方が良質だから、そこから技法を盗め」ということだろう。だが、アニメや漫画は創作の技術において他の創作物より劣っている作品ばかりだとは思えない。面白い演劇や小説には盗むべき技術が沢山あるだろう。しかし、アニメや漫画は封印すべきほど無価値だとは考えられない。それに演劇や小説は源泉にすべき価値がある作品ばかりだとも思えない。内輪ウケ狙いの寒い舞台も多い。古典文学は価値のあるものだとされているが、全部が全部そうは見えない。価値のある古典作品を知っていたとしても、それを模倣することが目的となってしまっている作家はファンからオナニーだと叩かれる。これは正しいと思う。そのオナニーはまさに「オタクコンテンツに携わっているクリエイター達のコンプレックスによる『オレはお前たちキモオタとは違う!』アピール」だ。
「創作物以外」に触れなければならないのは「アニメや漫画の話のタネにするために他にも詳しいものを持っていた方がいい」のと「アニメや漫画等のオタクコンテンツだけにいると凝り固まったキモオタになるから」だろう。「アニメや漫画の話のタネにするために他にも詳しいものを持っていた方がいい」のは確かにそれに越したことはない。しかし興味が持てないのならアニメや漫画でその題材を描きたい時、その都調べればいいだろう。無理してイヤイヤ好きになろうとしては逆効果だ。
「アニメや漫画等のオタクコンテンツだけにいると凝り固まったキモオタになるから」の方を見ていく。凝り固まったキモオタの悪さは「コミニュケーション能力の低さ」と「趣向性ばかりを反映した独りよがりな作品を作ってしまう」ことにある。「コミニュケーション能力の低さ」だが、インターネットを見ていると凝り固まったキモオタ的な人間でもコミニュケーションを要領よくこなしている例は少なくない。それにクリエイターの場合、コミニュケーション能力が低くても才能がある場合は正義である。才能がないなら論外だが。「趣向性ばかりを反映した独りよがりな作品」の方も近年はSNSの発展により、その手の作品でもクオリティが高い場合、一定の支持者がつく。これもクオリティが低い場合は論外である。
このように昔はクリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」発言に自分は昔は疑問を感じていた。しかし最近はそれを正しいと思うようになった。「創作物のあるあるネタ」を題材にした作品があまりに増えたからである。なろう系の異世界、ファンタジーに出てくる女騎士、幼馴染、負けヒロイン等の「創作物にこんな展開、こんなキャラってよくいるよね」を出発点にした作品があまりにも増えた。自分はそれがあまり好きではない。クリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」は正しかったんじゃないか。こんな作品が生まれるのはアニメや漫画だけを創作の源泉にしているからではないのだろうか。
もっとも世間では「創作物にこんな展開、こんなキャラってよくいるよね」を出発点にした作品はウケている。その手の作品をカテゴライズして批判する声もない。だから世間的にはクリエイターの「作り手になりたいなら漫画やアニメを見るな。オタクになるな。外の世界に触れろ。」発言はあまり正しくはなかったのだろう。
ええと、まずべつに性同一性(性自認)と性的指向だけが性的マイノリティの基準になるわけじゃないよ。LGBTはそれらに関するマイノリティですよってだけ。Tは広義には性別表現に関するマイノリティも含まれたりするが。
異性愛/同性愛というのは、自身の性同一性に対して好きになる性別(性的指向)が異性か同性かという話で、この「好きになる性別」というのはべつに身体的性別に限定されてはいない。
実際のところ相手の身体的性別が重要である者は多いだろうが、しかし性同一性・性別表現の性別も重要である者も少なくないし、身体的性別に関わらず性同一性・性別表現の性別で好きになる者もいたりする。まあ色んな人がいるのでざっくりと「好きになる“性別”」とだけしておくのが包括的だろう。
いや、トランスジェンダーを同性愛コミュニティからの排除したいが為に自身や相手の性同一性・性別表現は関係なく身体的性別で定義したがる者もいるけどね。カテゴライズは多様な性に対して後から便宜的に行われるものであり、絶対的な定義があるわけではないけれども。
相手がトランスジェンダーである場合に限らず、相手にとって不本意であろうとも、相手の性同一性と異なる“性別”を感じ取って、相手を好きになったり好きになることができなかったりすることはまあある。それは仕方ないことだし、感じ取って好みを刺激している“性別”が性的指向の基準になると思う。それによって無闇に相手のアイデンティティを毀損するのはよくないけどね。
なんなんだろうね。
女性特有な気がする。男の人って「消費する側」だから、奉仕してくる彼女らの事をうっすら見下してるというか、金稼いでても底辺にカテゴライズしてんだよね。
だから風俗嬢の彼女がいるっていうと「あ……察し、包容力あるね」で終わる。
売れてる経営者も、金持ちの社長も風俗嬢はあくまで「備品」で、同じ階級とは考えてない訳よ。
でもどうも、女性全体の中でキャバ嬢とか風俗嬢とかは「華やかな職」みたいな意識があって、例えば男で言う「ヤンキー」とか「暴力団」みたいな、見下されつつも権威のある、一種の憧れになってる気がする。
そしてその風俗嬢達の中には変な階級意識を持ってる奴が居て、ほぼ性奴隷で生産性が無いのに自分が社長や経営者と同じカテゴライズに居ると勘違いしてるのよね。
ジャンル名とキャラ名出すと身バレしそうだから言えないんだけど。
オタクの振りかざした拳で大好きな嫁にケガ負わせるわけにはいかないのでジャンル名も嫁の名前も出しません。オタクのお気持ちに嫁巻き込まれるのダメすぎるでしょ。
言いたいことタイトルに集結するんだけどオタク的感情でブチギレること(そしてそれをオタク的感情でブチギレてますよと表明してる)に脳死で「ポリコレ(笑)」「フェミ(笑)」とか半笑いで一蹴されるの我慢できなすぎる。なに?脳みそありますか?
いや別にフェミニストの方もポリコレ重視されている方も非難する意図もないしあの人たちと私を一緒にしないでくれます!?みたいな話でもないわけなんですけど。ただ単にフェミ的感情とかではなくオタクのお気持ちしてるだけなのにフェミっていうカテゴライズに当てはめて出た出た(笑)って消費されるのが我慢ならないってだけでフェミニストに喧嘩を売る意図はないです。
フェミ(笑)って笑われるくらいなので性別ぼかさずいうんだけど増田は女なんだけど、嫁も女キャラなわけですよ。
私の嫁は自身の見た目にコンプレックスがあってあんまり美少女っていう雰囲気ではないんだけど(私としてはそんな嫁もかわいいと思うけど作中で明確に容姿をバカにされている描写がある。作品読んでてキレた)からっと明るくて頼れる最高の女、しかし内面は乙女でかわいいもの大好きだし、でもコンプが高じて「自分なんかが似合わない」とか言っちゃう子なわけですよ。愛らしいしすごい守ってあげたい。基本的に乙女チックな女の子で、そんなところがとっても可愛い。
嫁の出てる作品は基本的に服装のお色直しが無いタイプの作品なんだけど、作品が進むにつれ必要に迫られて一回お色直しがあった。その二着目のお洋服が後半もずっとずっと着てるお洋服なんだけどそれがも~~バカみたいに露出が多いっていうか胸の谷間どころか胸もうほぼ出てるみたいな品性のかけらもない服装なわけですよ。どっからどう見ても痴女。夜道で出会ったら叫ぶ。最初見たときに衝撃的すぎてあまりに理解が追い付かなくて嫁一生お色直しするな初期の服装だけでいろって憤ってたんだけど、そういうことをぽろっとジャンル仲間にこぼしたら「増田さんは男性目線で女性が消費されるの嫌な感じなんですね」「フェミですね」って言われた。
え?は?そういう話はしていない。
例えば嫁が「私の抜群のスタイルをみんなに見てほしい!」みたいなタイプだったら別に憤っていないわけですよ。それは彼女が望んでいることだし、別に男性目線でドチャシコエロ衣装最高~って思われていたところで嫁の気高さには一切関与しないし嫁がそういうの着たいなら支持しますよ。いや嫁そういうの着たがってるとはとてもじゃないけど思えないけど。
嫁そういうの着たがってるとはとてもじゃないけど思えないけど!!!!!
私が継続してブチギレているのは嫁が乙女チックでかわいいものに対するあこがれがある普通の女子高生であるにもかかわらずどう考えても嫁の趣味じゃないバカドスケベな衣装を着せられてることであってそこに性的目線が嫌だとかそういうのは一切ない!!嫁可愛いので性的目線で見る人がいたところで嫁可愛いもんなわかるよまあ私の嫁だから渡さないんだけど……で済む話なんだけどどう考えても本人がチョイスしそうにない服装をあてがわれるのはイカれてるでしょ。キャラにも趣味嗜好があってそれがキャラクター性を際立たせるものなんだから服装にも気を配れよ……胸ガバー太ももドーンなのは絶対違うしどう考えても許せないんだけど。
清楚な大和なでしこみたいな女の子の私服がトップスビスチェのみみたいなのだったら困惑するでしょ。東城綾さんの私服が露出まみれのセクシー路線だったらブチギレる。北大路さつきさんは自身のプロポーションに自信があって服装の好みとしてそういうのだからキレない。露出多さの問題じゃなくてキャラクター性の問題。そういう話がしたいだけなんですけど!!!!!!
こういう解釈違いのクソキモオタク感情を「出た出たフェミ(笑)」みたいに済ませるの本当によしてほしい。そうじゃなくて解釈の話がしたいのになんでそういうふうに一蹴されなければならんのか。キャラの性質を見てほしいしキャラクターがチョイスしそうな服装をさ~~~~~~頼むよ~~~~~嫁は今日もかわいい 結婚せん?