はてなキーワード: アンタッチャブルとは
一時所得説が強そうだけど、ある程度資金あったら、業としても成り立つ気もするし(倍々に賭けてくやつとか、必勝ではないけど)
勝ったり負けたり繰り返してても、毎日やってたら凄いことになりそうなのだが、なんで今まで大騒ぎになってないのだろうか
競馬の例で行くと、外れ馬券は経費にならないで納得は行かないが、まあそういうもんだなとは思うことはギリギリできる
3連単BOXで60点買って、80倍で8000円になったら7900円が利益なのはやっぱり納得いかないが
最近ではネットで馬券も舟券も車券も買えるから、毎週競馬やってる人は、一日1万ぐらいは払い戻しあるだろうし、結構な割合で50万だか70万超えてると思うのだけど、そこに税務署が突っ込まないのは面倒だからなのだろうか。
年で3兆とかのお金が動いてるから、人海戦術でがつっと調べまくれば凄く税金取れる気がするのだが
まあそんなことしたら公営ギャンブルが破綻しそうでもあるし、法改正とかの動きが出てくる気もする
で、まあ競馬はまだよいのだ。よくはないけど
基本現金でのやりとりだから、税務署もツッコミようがないのだろうけど、そのうちデジタル化されていく
これはお目こぼしいただいてるって考えてよいのだろうか。業界が強いからアンタッチャブルなのだろうか
パチンコとかパチスロってプロも居て、きちんと税金払ってる人は払ってるんだろうけど、競馬の例でいくと、当たりを引かなかった玉やメダルは経費にならない
四万突っ込んで四万返ってきても、経費的なのは4円とか20円になってしまう。トントンなのに、ほぼ4万に課税される
パチンコの大当たり以外の払い出しとかはさすがに記録できないので、やっぱり一日に使ったお金が経費になるんだろうか。それで許してくれるんだろうか?
一旦プラスになってから、最後に未練打ち(多分誤用)とかして、勝ちを減らしてしまった分とかは、交換後に行ってたら経費にならないんだろうか
気になることが多すぎるから、ギャンブルはせめて一日単位の収支でプラった分だけ課税とかに統一して欲しい
欲を言えば月単位、いや数年単位で損失繰り越せて、税率一律20%とかにして欲しい
競馬は公営だから税金先取りしてもいいと思う。銀行馬券が1倍切ったりするだろうから色々考えないと混乱するだろうけど
長々書いてしまったのは、今年オンラインカジノが調子よくて、スロットで何十万の当たりを数回引いたから
さすがに確定申告するレベルになったので、潔く税金を納めようとは思うのだが、
1回転毎に、負けた回転は無視、多少なりとも勝った回転は経費&利益計上方式でやるのは現実的ではないし、1日単位での収支にしても、追い金繰り返してる時には、最後の追い金だけが経費になるのか、1日分として足してもよいのかがわからない
厳密にいえば台を変えたり、休憩挟んだりしたらリセットされるのかどうかとか。オートプレイで100回転とかだと100回転毎が1セットになるのだろうか? とか
一か月勝ったり負けたり繰り返してただけで、数百万とか余裕で動くのがオンラインカジノのスロットだからどっちに転ぶかがめちゃくちゃ気になる
そもそもスロットなんて競馬とは違って1回転ごとに勝った負けたってゲームじゃなくて、確率の薄い大当たりを引くためにはそれなりの回転数を回さなければならないので、1日単位、せめて大当たり毎でのカウントになるって早いうちに判例出るなり(もうあったら教えて)法整備してほしい
希望は、一応国に認められてるパチンコとスロットも同じシステムだということだろうか
繰り返しになるが、この先、デジタル化が進んで、プレイ毎の記録とかも残せるようになるかもしれない。(っていうか残せる機種というかアプリと連携させられるのとっくにあるし)
そこで大当たりの1回転へ使った玉(メダル)以外は経費じゃないとなると、誰もパチンコ打たなくなる。
4万使って5万出て、1万勝っても、5万に20%課税されたら、とんとんになるのだから
パチンコ滅べって意見も多そうだけど、1パチ打ってるおじいちゃんおばあちゃんが可哀そうだ
あれかて、一時間に6000発ぐらい打てるらしいから、4時間打ったら、24,000発。つまり24000円使ってることになる。
スタートチャッカーだけでも20発に1発は払い出しがあったりするから、細かく考えると、当たらなくても、1時間で6000玉の1/20の300玉について3玉出てくるのだから、200玉勝ってることになる
大当たりを一切しなくても、課税対象になる50万に到達する時間を考えると、2500時間(計算してみたがよほどの中毒者じゃないと到達しなさそうなのでこれは考えなくてよかったみたいだ)
ただ定期的に大当たりして等倍返しがあるとすると(実際の還元率は約80~85%らしい。スロットの機械割のほうが美味しい)、
500000÷6000で、83時間だ(実際には還元率も考えないといけないし、多少引ける経費があるからそれよりは多くなるのだろうけど)
ってか、今だって、年間の勝ち(負けは差し引かない)が50万こえてる人なんてゴロゴロいるだろう
月に2万勝ちを2回するだけなんだから
久しぶりに頭使ってしまった
なんせ今年中にどうにか方向性をはっきりさせて欲しい
って書いて、パチスロどうなんだろう? って思ったらやっぱりちゃんと税金払ってる人は居て、負けた日の分が経費にならないだけでなんとかなってそうなので、そこまで心配することでもなかったかも
今週の不毛な議論を聞いてて、山ちゃんのワードセンスの高さってのを改めて思うのと同時に銀シャリの鰻の狂気と、橋本の軽快かつ上手い物言いが楽しかったわ。
で、今日仕事しながらマヂラブコント議論についてふんわり考えていたんだが、考えてみたら南キャンの漫才もどちらかというとコント漫才よな。
俺がマジラブを漫才と認めたくない要因として、変なことをしているだけってところだったんだが、そもそも南キャンのM1の漫才も間違いなく変なんだよ。
だって、お医者さんやりたいって言っているのに相方は火を怖がるサイをやるし、これはクリリンの分!って言いながら殴り掛かってくるし。
間違いなく、ただ変なだけだし、ジャンルもコント漫才に近いのよ。
それを笑いへ昇華できるのは山ちゃんのツッコミが一貫して普通の人としてのスタンスで真綿で締め付けるような一見優しいツッコミであの異常空間をコントロールできているか
これに近いのがアンタッチャブルのM1のネタも、ザキヤマがただ暴れているだけで同じように柴田が一般人の感性で突っ込みしてコントロールできている。
どちらも、コントよりの漫才でマジラブよりも絶対に面白いと自信をもっていえる。
さらに、変なことをしているだけかつ、キャラクターよりかつコントの漫才で言えば中川家なんかがあげられるが、あれは細かすぎて伝わらないものまねと似たようなベクトル。
あるあるネタなので変人が登場しても比較的受け入れやすいネタといえる。
M1取れてはいないが今の千鳥のネタなんかも大体大吾が暴れ倒してノブが激しいながらも突っ込む。
M1優勝者で言うならノンスタイルなどは変人が入れ替わる形式をとっている。
井上がいつものあの気持ち悪い感じを出すと、見ている人たちを代弁するかのように石田が突っ込む。
スリムクラブは雰囲気が独特だが、ネタの構成も概ね近い形ではある。
ダブルボケというシステムだが、ボケ方が独特すぎて世界観に入るのが難しい。
この二人もただただ二人が暴れ倒しているだけで見ている人たちを世界観に引き込むほどではないと感じる。
野田がただただ暴れ倒してて、村上がそれを見守る形式で突っ込みの視点がない、いやツッコミはしているだろうが野田の暴れっぷりに負けてしまっている。
バランスが取れておらず、ただただ置いてけぼりになる。
冷静に見れば見るほどつまらないんだなと改めて思う。
じゃあなぜM1とれたのかというと、芸人さんの話を聞いていると
「強力な個性にあこがれる」癖があるのかなとは思う。
強力な個性にあこがれ、それを面白いと捉える癖と言い換えてもいい。
実際M12020の結果は圧勝ではない、接戦でマジラブがたまたまた勝っただけ。
実際M1 2020において、巨人師匠、塙が見取り図に、松本、上沼がおいでやすこがに、富沢、志らく、中川礼二がマジラブに入れている。
志らくに関してはM1審査員としての力量に疑問を感じている人は少なくない、中川礼二はそもそもネタの性質上、一見個性大爆発に見えるあの手のネタにあこがれを抱いているように見える、富沢に関してはそもそもセンス型に近い人なのでキャラクター寄りのネタが大好物だ。
もし志らくが別の審査員だったら、もう少しロジック寄りのネタ作りをするタイプ、例えばノンスタ石田だったらどうなっていたかと思いを馳せるところではある。
そんなことはない、マヂラブは面白いという人たちはもう一度冷静にマヂラブのネタを見て、さらには有吉の壁に出ているときなどの彼らを冷静に見てほしい。
第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分の創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。
馳星周先生の作品って、少年漫画や青年漫画の二次創作でBLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。
冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作の法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。
BL字書き仲間から、「柴田よしき作品はBLだよ!」と教えられて、どの作品がBLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトのマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。
中華BLにかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国の市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国の一般市民の暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題がネットの話多めなんだけれど、中国流ブラックジョークとか、漢詩のパロディーとかが興味深い。
中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画で血気盛んに行政批判(地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音を吐露しているようだ。
ちょっと意外だなと思ったのは、中国の人達、プライバシーを大事にしている。自由と感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策も大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかいう意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。
著者の方方先生は基本的に当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想(極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントをブロックされている。
思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般の武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員とボランティアだ……の感染症対策も情報不足や物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。
日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常の仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。
……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む。
BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしやものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。
性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つのは義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。
非行や犯罪で少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分の存在を肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要な場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女をゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。
唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書の同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい。
実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しかし野火ノビタ先生の作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。
ラーメンのトッピングに「岩のり」ってのがあるけれど、十中八九あれは岩のりではない。
岩のりとは岩礁に自生している天然海苔を指すもので、養殖のバラ海苔は岩のりとは表示出来ない。景品表示法で決まっている。
天然海苔は非常に高価で通年で手に入らない。100円、200円程度でラーメンの上に載せられるものじゃない。
販売業者への指導事例は結構あるけれど、たぶんラーメン屋はないと思う。
ラーメン屋だけアンタッチャブルというのはおかしい。もしかしたらこれは利権かもしれない。
利権が嫌いなはてなー諸氏はラーメン屋で岩のりを見つけたら消費者庁へ通報しよう。
https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/contact/
自分は小さい頃から乗り物が好きで、高校生の頃までは鉄道研究部に入っていた。18きっぷで全国各地を周る「乗り鉄」だった。
Twitterでも鉄道好きの同年代とFFになり、いわゆる鉄道クラスタの一員となっていた。(今はもう言わねえのかな、Twitterでの「クラスタ」って。)
しかしながら、治安の悪さにだんだん嫌気が差してきたのである。
「乗り鉄」メインだった界隈に属していたので、撮り鉄の蛮行(罵声、運行妨害、無断侵入による場所取りなど)を非難する側にいた。だが、連中は自分自身が正義だと思っているので注意や非難は聞き入れない。
なんなら警察・駅員すらも敵視し、バカにするのが撮り鉄界隈の雰囲気だったと思う。例えば、警察のことを「税金」(給料が税金から来ている者という意味)と称してあげつらう文化などがあったようだ。
こういった状況から、撮り以外の分野の鉄オタ(乗り鉄、模型鉄など)は、撮り鉄のことをアンタッチャブルな存在として扱っていた。例えるなら、同じ地域に住んでいるヤンキーを咎めたりせず、関わりを持たないために見て見ぬ振りをするのと同じようなものである。
今考えると、こういった見て見ぬ振りが撮り鉄を調子に乗らせてたのかもしれないと思うが、かといってどうしたらいいのかは分からない。本当に言葉が通じないようなやつもいたし。
そういった界隈の雰囲気の悪さに絶望し、鉄道・列車自体が嫌いになったわけではないが、趣味として鉄道を追いかけるのを自然とやめてしまった。
その後、意図的に別の乗り物を選んだわけではないが、なんやかんやあって航空ファンになった。大学生・社会人になってからは(コロナ前までは)飛行機に乗ってあちこちに飛んでいた。そして、旅先の展望デッキで飛行機を撮っている。
航空ファンにも飛行機を撮ることをメインにしている人たちはいるが、治安が全く違って驚いた。
(ちなみに、バスファン・船ファンの友人たち曰く、バス・船趣味も治安に関しては航空と似たようなもので良好らしい。)
江ノ電の件で分かったと思うが、撮り鉄は非オタに乱入されると罵声を上げる。乱入というか普通に通っているだけなのだが、それにキレるのは撮り鉄の悪習の最たる例であろう。
航空ファンでも一般人の乱入はよくある話だ。たとえばエアフォースワンが来日する際など、展望デッキは人で埋め尽くされるし。
言うなれば「邪魔」なはずだが、そういった状況でも罵声を上げる人を見たことがない。非オタが来ることは織り込み済み、その環境でどうやって撮っていくかを考えている傾向にあった。
飛行機の撮影では不法な場所取りなどを見たことがない。もちろん、空港に不法侵入した時点で捕まるというのはあるかもしれないが。
ごく稀に見かけるならず者(公道に三脚を立てた者)に関しても、SNSで「あそこで撮ってるやつ居たけどダメだろ。そのうち撮影自体が禁止になるし、こういう行為は許せない。」と複数名が批判しているのを見た。
これが撮り鉄だと、その不法な場所で撮るのが当たり前になっており、それに疑問を抱くようなことをすると逆に叩かれるのである。
前述したように、撮り鉄界隈は「撮影が第一、それを邪魔する駅員・警備員はクソ野郎だ。」という雰囲気があった。どう考えてもおかしい。
他の趣味ではむしろ「趣味のために邪魔しちゃってすみませんね」というスタンスでやっている人が多い。もちろん無礼な人もゼロではないと思うが、圧倒的に少ない。
撮り鉄界隈には「激V」という言葉がある。要は上手い写真が撮れたという意味なのだが、この「上手い写真」の定義が非常に狭い。
列車の編成が順光で全部収まっている、見切れていない、列車に周囲のビルや木などの影が落ちていない、パンタグラフに架線柱が重なっていない(串パン)など、様々な要件が挙げられる。
撮り鉄が投稿する写真を見ると分かるが、どの写真も同じような構図(編成写真)ばかりである。要はこの型に収めないと評価してもらえないし、彼らも満足しないのである。
もちろん、これを満たすための撮影条件は限られている。だからこそ熾烈な場所取りが行われ、マナーの悪化に繋がっているのではないだろうか。
航空ファンの界隈でもある程度上手下手の話はあるが、この構図に収めないといけないという話を聞いたことはない。(展望デッキなどからの撮影にはどうしても限度があるため、妥協が生じている結果かもしれないが。)
撮り鉄もクソだが、走行中の列車に張り紙したり、窓から物を出して撮り鉄を妨害する「妨害鉄」という連中もいる。
こいつらは撮り鉄が乗るようなマニアックな列車にしか出没せず、通りすがりの一般人とは異なる。
こういったクソガキの潰し合いのような話は他の趣味では聞いたことがない。
https://stat.ameba.jp/user_images/20210523/09/amooi-310/23/14/j/o0640042414946060881.jpg
https://livedoor.blogimg.jp/menssokuho/imgs/a/4/a45ba397-s.jpg
どうしてここまで治安が違うんだろう。
航空趣味は金が掛かるから?バス・船の趣味は人口が少ないから?色々と理由はあるかもしれないが、決定的なものがわからない。
少なくとも、撮り鉄界隈はすでにマナーがクソ最悪になっており、新規参入者も「このマナーでいいんだ」とマナーが悪化していく負のスパイラルに陥っているように思う。
借金玉氏、はじめて知ってTwitter見てみたけど主張は読めるが同じ話を延々繰り返してて怖い。深夜だからかな?
今まで誹謗中傷をたくさん受けてきたという悲しい前提があって?いまは
「金が無いけど捨て身でしばく方法もあって(したくないけど)その手札もチラチラさせっぞこういう方法もあるかんな?(したくないけどなーする奴居るかもってことはお前ら知っとけよー)」
(金でしばく方法をできればしたくないのは金がないほとんどの障碍者が出来ない方法だから)
「金も地位も手に入れることができた。顧問弁護士も手に入れた」
「俺障碍者」
って話をなんかしてらっしゃる。
論争論客どっちの何が正しいのかなんかよーわからんけど素人が何かの意見に突っ込むと逆の刀で返されそうなのでここは「見」にまわろう。
彼は発達障害者の底辺からネット上の文筆業で成功をおさめたようで、当時から追っかけていた人にとってはかなりシンパシーを感じることができる人物に見える。実際苦労されたんだろうね。経歴は異例で恵まれてるとは思うけど。
でも、今から氏を知ろうとすると弱者(発達障害者)の立場と強者(成功者)の立場を同時に振り回しているように見えるのだわな。
そこらへんは個人的にシンパシーを感じないというか、嫉妬かなんかか好きになれない。
これは俺の好き嫌いなんだと思うけれど、最近似たような感情を抱いたことを思い出したのね。
大坂なおみさんなんだけど。
過去にもいろいろ主張してきた彼女が記者会見ボイコットしてからいろいろ論争が起きていた中で、彼女はうつ(英文の文意がわからないので病とは確定してないんでしたっけ)と公表したんだよね。たしか。
それまでは偉大なプロプレイヤーの提言として眺めていたんだけど、この公表で俺の中で借金玉氏と同じように弱者(うつ病)であり強者(偉大なプロプレイヤー)になったんだよね。だから気持ちがスッと引いてしまってたぶん気分的にはアンチよりになったんだろうね。それからあまり嫌わないために見ないようにしてる。
立場ある人の勇気ある提言は大いに歓迎すべきでいろいろな立場から賛否両論わき出ればいいと思うけれど、脳に障害なりうつ病なりある人に強い否定はしにくいよね。これが俺の優しさなのかはわからないけど99.9割違うよな。
勝手な印象すぎて申し訳ないけど地位と脳や精神に関する病を見ると「ガードされて有利」な格ゲーキャラ並みの理不尽な「強さ」を感じてしまうのだわな。相手は病気で苦しんでるのにまさに理不尽な思い込みですわな。
どっちの要素でも支援者はわんさか得られる属性なのにどっちも持ってるなんて虎に翼、最強すぎて嫌っちゃうのです。
(今、車イスで乗車拒否うんぬんの人も思い出したけどあれは単純に初見時は高圧的で嫌いだったな)
じゃあ立場ある人は病を公表することも出来ずただ耐えなければならないのか!
っと考えてみると、とても困る。困るといっても俺は差別主義者?なので出来れば耐えてくれって思っててでもそんなの通らないから俺が黙って見てほんのり嫌うわけだ。今回のように。
うーん、せめて議論に持ち出さず、でも属人的なものだから切り離せず……できればひとつの議論にはどちらかの属性だけで挑んで欲しい、のかな?俺、馬鹿だから簡単なのがいい。激しくやり合える人とは激しくやり合い、やさしく寄り添うべき人には寄り添う単純なのがいい。です。はい。たぶん。俺の馬鹿ゆえの触り方がわからないアンタッチャブルさも嫌いを加速させてると思う。
何を嫌っているかもうちょっと自問してみると、目的達成への近さが気に入らないと思うんだよね。
彼や彼女のゴールは単純化するとおそらくネットリンチ者や記者?なりに勝利?することなんだろうけど、地位のある人の行動は成功しやすいし、困難を抱えている人の行動も支援され成功しやすい。両者が合わさるととても成功しやすい。
俺は成功しやすいものには妬みから反感を持つので、たとえばオリンピックや甲子園なら実力が下のものが上位のものに勝つ下克上を応援しちゃう。
国会なら野党が反対したりねじれ国会に持ち込んでも結局再可決で与党の法案が成立しやすいだろってほんのりさめた目で見ちゃう。
そんな俺でも世間にそれなりに折り合いをつけて生きているので、地位や金がある人は病を使って倍率ドンさらに倍って界王拳を使わないでくれって感じ。そんな彼らに噛み付けるみんなは俺には出来ないすごいバランス感覚で議論ができる方々だから内容は別として噛み付くことは応援してるって感じ。かしこ。
ここ10日ほどの増減では、バングラデシュの感染減少が鈍化しているのがわかる。
増減率グラフから脳内近似曲線で単純に外挿すると来週には増加に転じてしまう。
不吉な予感しかない。
*なお、この記事はバングラデシュの感染状況をウォッチする記事の3回目です
前回https://anond.hatelabo.jp/20210504165055
おりしも昨日、インド株関連が懸念される2つのニュースがあったばかり。
ひとつは、バングラデシュでついにインド株が確認されたというニュース。
https://time.com/6047019/india-coronavirus-bangladesh/
5月8日(土)、バングラデシュ保健当局は、インドで確認されたコロナウイルスの変異株が初めてバングラデシュで検出されたと発表した。詳細は明らかにされていない。この数週間、バングラデシュで解析されたサンプルでは、南アフリカの亜種が主流だったが、これらの変異株は、より容易に拡散し、第一世代のワクチンは変異株に対してあまり効果がないのではないかと懸念されている。
一刻も早いワクチン接種が急がれるが、当のワクチン供給国のインドが供給を停止する事態に陥ったままだ。
日本帰国者のなかにバングラデシュで行動歴のある陽性者が見つかった、というニュース
https://this.kiji.is/764055688978251776
バングラデシュから日本にたどり着く経路は相当限られてきているので、どの経路で入国してきたかは定かではない。
陸路でインドかな。。いずれにしても、出国前にPCR検査を受けることが義務付けられていることから、
PCR検査から漏れた感染者だった可能性もあるが、現地空港や機内、トランジット先、成田ゲートの
上記のインド株確認のニュースと合わせると、3行しかない短いニュースのなかに、恐ろしい未来が見えてくる。
蟻の一決というアレだ。
バングラデシュでは、ラマダン(断食)の終わりを祝うイード(ラマダン明けのお祝い)を迎え、帰省する人々でごった返している。
https://www.afpbb.com/articles/-/3345815
この写真は、ガンジス川で沐浴するインドの光景と同様、おぞましいものだ。
町中の様子は写真はないか?と思ってツイッターを検索すると、こんな感じ。
https://twitter.com/taslimanasreen/status/1391048425060257792
ちなみにバングラデシュは、ロックダウンを16日まで延長、依然、警戒を続けている。
4月初めには7千人を超えた新規感染者数もここ数日は2千人をきっている。当局もイードを警戒しているからこそロックダウンの延長を決定しているのだろう。
いずれにしても、ラマダンとロックダウンへの疲れ、イードへの期待、
これらが人々の緩みにつながっているのは間違いない。
日本政府は、インドに加え、隣国のパキスタン、ネパールの3か国からの水際対策を強化。
見出しをみた瞬間、ユルい!緩すぎる!と叫んだ人も多いに違いない。
水際対策の問題点はここ(APPLE文体の増田)がわかりやすい
私の結論からいうと、水際対策対象リストも問題。確認できた感染者の情報をもとに実施するのでは遅すぎる。
情報が不確かであっても、地域全体の状況から、ありうる未来を予測して予防的に行うべきだ。
今の水際対策のままだと、インドばかりみていて、両サイドがら空き状態。
特に見落とされていると思うのが、まさに私が注目しているバングラデシュ。
感染爆発が収束しているようにみえるがゆえに上記3か国のリストから漏れているが、社会経済のつながりは
ネパールと同様、相当高い。
それはスリランカだ。
https://ourworldindata.org/covid-cases
で分析された実効再生産数はここ数日およそ1.6。1.25あたりを推移するインドよりも高い。
新規感染者の増加率もインドより急こう配。百万人当たりの新規感染者平均値は日本の倍以上、先日水際対策を強化したペルー並の値。
こうした周辺国とインドの感染の連鎖を考えるうえで重要な視点は、出稼ぎ経済だ。
労働力の国際移動をもうちょっと分析する必要があるのではないか。
スリランカは西は中東湾岸諸国、東は韓国に至るまで、出稼ぎ労働者の送り出し国。
日本との関連でいえば、攘夷派で名高い入管当局が収容していたスリランカ女性を死亡させた事件。
海外に出稼ぎ労働者を送り出す一方で、スリランカは外国人労働者を受け入れてもいる。
特に南インドとの歴史的なつながりも深く、多くのヒンドゥーが出稼ぎにスリランカに来ているという実態がある。
ところで前回の記事で、バングラデシュの感染がそれほど爆発的になっていない背景を、社会階層の分断が少ないことも一因なのでは、と分析というか想像してみた。分断というのは階層や人種によって死亡率に大きな差があるアメリカが典型的な事例。つまり黒人やラティーノは医療へすぐにアクセスできないことが多く、また感染リスクの高い職種に就くことが多いなどのことを指している。バングラデシュでは、ことに感染症対策については、例えば結核にしてもNGOが機能していて、地域住民へのリーチアウトがしっかりとできている国なのだ。ドヤ顔するとすぐ感染が急上昇、という法則があるのであまり言いたくないが。
結論からいって、社会階層の分断政策をウルトラ強力に推進している、政治的に危うい状況がみえてくる。
ラージャパクサ大統領の選挙勝利(2019年)がひとつの大きな転換点だった。ラージャパクサ兄弟という視点でいえば返り咲きだ。
同大統領就任後、中国との関係強化を露骨に進めているスリランカ。
中国はやったぜとばかりにオセロをひっくり返すかのように、他ドナーを蹴散らし、次々に融資を強化、権益を強めている。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM2707Y0X20C21A4000000/
日本の援助をはじめ、各国ドナーは後退を余儀なくされているのは知っていたが、
内政的にもイスラム抑圧を進めるなど危うい面が表面化してきた模様だ。
社会階層の分断によって、ある種のエスニックコミュニティや社会階層へのリーチアウトができず、実質アンタッチャブルになることで感染がコントロールできない、という分析はブラジルのスラムでの感染爆発で経験したことだ。
これは想像だが、スリランカの感染爆発が、もし仮に南インドからの出稼ぎ労働者(ヒンドゥー)で、今なお、社会的少数者として不利益を被っているヒンドゥーの感染症対策が放置されている、あるいは見過ごされている、とするならば、スリランカの今後の状況はとても厳しいものになるのではないかと思う。
新規感染者の増加率はここ数日、若干低下してきた様子なのが安心材料ではあるが。。
2週間くらい経った5月下旬、スリランカ、バングラデシュも水際対策を強化、というニュースをみないように、先手先手の対応を祈っている。
バングラデシュ、スリランカ、パキスタン、ネパールからの入国を12日より制限する措置を発表。
湾岸諸国で主要空路ではカタールがまだ残っているが時間の問題だろう。
タイ、マレーシア、シンガポールも先週、すでに上記国からの入国制限済み。
なお、インド株については、すでに韓国(4/19)、日本(4/22)、香港(4/30)、マレーシア(5/2)、シンガポール(5/3)で確認されている。
さらに今週10日から12日にかけ、アジア各国から続々とインド株の報告が上がった。
タイ、スリランカ、インドネシア、フィリピン、カンボジアの5か国をネット記事で確認することができた。
「物言う障害者」に攻撃が殺到する背景 西田亮介氏が語る「冷たい日本社会」論|弁護士ドットコムニュース
https://www.bengo4.com/c_23/n_12958/
何をもって人格攻撃と言うか、あるいは誹謗中傷と呼ぶかについて、論者がきちんと定義しないからだよ。
障害者といえども、批判の許されないアンタッチャブルな存在じゃないんだよ。
もちろん伊是名氏に向けられた批判の中に、根拠のない人格攻撃が多数あったことは確かだろう。
しかし、彼女の側の問題点を指摘した合理的な批判についてまで「人格攻撃」と言い出すから、どこにもフォーカスのない、単なるアイデンティティ政治の話に終始してしまう。