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2023-04-22

絵描きを救いたかったんだけどさぁ

絵描きを救いたい気持ちはあったことにはあったが、何故救いたかったのかを言語化すると絵描きへの特大悪口になってしまうことをお許しください。そして救う気が失せました。

***

近ごろ、画像生成AI絵描きたちを騒つかせています

作品の無断学習、非商用限定画像群を学習したモデルを商用利用、フェアユース規定無視疑惑……事実画像生成AI現在多くの問題を抱えています

しかし。現行の日本法律では、(利用範囲は定められていますが)機械学習における著作物使用著作者許可はいらないことになっていますフェアユース規定よりさらに強力で、機械学習に有利すぎる条文です。

このままでは、絵描き的には大問題なわけです。自分が心血注いで作ったもの勝手に持っていかれるなんて、不快なことはなただしい。創作モチベーションも奪われ、やがては産業自体危機になると警鐘を鳴らす人もいます

また、モラルなき人々にまで高い技術が与えられることで様々な被害がもたらされていることも報告されています

世界的には、AI規制の流れに傾きつつあります。Stable Diffusionを開発したStability AI社に対して、フェアユース観点に対する集団訴訟が起きています。また、同時にGetty Images訴訟に踏み切っています

かのchatGPTも、EU単位禁止になるかもと噂されています

さらには、AIの推進に対してかの中国ですら及び腰だというのです。

署名出して法律改善を訴えたり、訴訟起こして判例を作ったりすればAIに対してエラく歓迎ムード日本すら変えられるかもしれない!

勝ったな!日本絵描きは再び安寧と静寂を取り戻し、これまで通り絵が伸び伸びと描けるようになることでしょう!

しかし、そうはなりそうにない。

はっきり言います。今、日本絵描きたちは自滅の道を辿っています。この勝ち確の流れで。

そうです。今こそ日本AI危険性を強く訴えるチャンスなのです。ここで上手く立ち回れば確実に勝機があります。誰から見ても自明でしょう。

でも自滅しようとしてます

理由単純明快です。

絵描きの大半は、絵を描くことすら取り柄かどうか怪しい無能馬鹿メンヘラ社会不適合者だからです。

Twitterでは今日画像生成AIに対する愚痴問題点が飛び交います。絵を描くことを忘れて画像生成AI問題点を発信せんとする人が何人も出てきました。

多くの方は「いやそんなに文句あるならもっと行動しろよ…」と思ってるかもしれません。実際その通りです。Twitterでたらたら文句タレてる暇あるなら団結してクラファン立ち上げて訴訟費用賄えばいいのです。

マジで応援するよ。判例欲しいもん。

動かすべきは画像生成AIなんてものを開発した悪の親玉組織ではなく、国という大きく頼れる組織。そうは思いませんか?

でも、しません。

断言しますが、大半の絵描きにそんな能力も度胸もありません。

何故なら、繰り返しますが、彼ら彼女らは無能馬鹿メンヘラ社会不適合者だからです。

彼ら彼女らは、明らかに知識不足しか言いようのない発言を平気でします。あの感じですと、我らが著作権法の条文すら多分読んだことがないし、画像生成AIの仕組みもロクに理解していません。

しかし、そんなエアプで語ることがまかり通ってしまっています

何故なら、何度でも繰り返しますが、彼ら彼女らは無能馬鹿メンヘラ社会不適合者だからです。無知の知なんて期待するだけ無駄です。

もし、画像生成AIオプトインを大前提としたものに生まれ変わる場合アーティストの懸命な訴えが受け入れられたのかもしれません。

何故自分たちの作品を無断で使ってほしくないのか。自分たちにとって作品とは何か。懇切丁寧に、相手も納得できる形で説明たからこそ、その未来ではオプトインが採用されているのでしょう。

しかし、そんな未来が期待できそうにありません。

何故なら、まことに悲しいことに、彼ら彼女らは無能馬鹿メンヘラ社会不適合者だからです。

無能馬鹿メンヘラ社会不適合者に、詳しい言語化と冷静な判断が期待できるでしょうか?出来ないから『お気持ち』と揶揄されるような具体性に欠ける感情論しか発信できないのです。このままでは誰にも絵描き感情絵描き内のルール絵描き理論理解されないまま終わってしまます

しかし。必ずしも絵描き自身が戦う必要はありません。人間社会はよく出来ており、役割の分担が基本なのです。大半の絵描きが苦しむ中、手を差し伸べてくれる人がいるかもしれません。それは親切なファンかもしれないし、法の専門家法律家かもしれません。

彼ら彼女らを助けてくれる人はいるのでしょうか。

繰り返しますが、大半の絵描き無能馬鹿メンヘラ社会不適合者です。

そのくせプライドだけは一丁前にあって、少しでも正論を混ぜるとすぐにヒスる。声だけデカい割に利用規約著作権法すら読めないので、デマに近いツイートをすぐ鵜呑みにして騒ぎ立てますしか自分から行動しません。Twitterで騒ぐだけ騒いでおいて。結局、国内署名活動すら話を聞きません(海外署名活動も全然集まってないですが)。

『真の弱者は助けたくなるような姿をしていない』という話を嫌でも思い出します。

インターネットリテラシーもなければ社会の変化に適応することもできず、ヒスって暴れて無能さをただひたすら曝け出す。かといって何か行動を起こすでもなく、延々と愚痴愚痴文句を垂れるだけの存在。そう認識されてしまったら、確実に無視されブロックされNGリストに放り込まれインターネットの片隅に追いやられることでしょう。正直絵を描いててもキツいです。

誰がそんな奴らを助けてくれるというのでしょうか。

それでも絵を描ける存在を人は助けてくれると思ってるのなら、流石に絵の力を過信しすぎでしょう。作者の本性は、どんなに素晴らしい絵であっても平気で貫通します。作者はゴミカスだけど絵は本当に最高だから応援します!なんて言ってくれる人はかなり少数派ですよ。

大半の絵描きのことを散々に言ってきましたが、これは巨大な問題を孕んでいます

何故なら、問題言語化できる人間がいない集団は、その声を民主主義に届けることがあまりにも難しいからです。

日本AI技術の発展を重視し、AI大国として国際競走にもう一度乗り上げることを目指しているとされます。その過程で、もし訴訟に敗北してStable Diffusionがなくなっても、国際的規制でがんじがらめになりchat GPTがなくなっても、国産の新たなAIを生み出していくことも考えられます著作権法30条の4が味方となって、あらゆるデータ資産学習に使っていくことが考えられます

日本はとにかくやる気です。

しかし、その過程日本アニメマンガゲームイラスト……そういったサブカルチャー産業の源泉である創作者の集団が無碍に扱われ、将来的に縮小するとすれば問題になるでしょう。

私自身、そのような世界にはなってほしくありません。

しかし、彼ら彼女らは声のあげ方すら知らない。絵を描く以外能はなく、絵を描く以外の知識もないのですから芸術よすが今日も生き延びているだけのコミュ障社会不適合者は、真の弱者層に位置しているのです。

それでもって、絵を描くことに執着する人間なんてのは数が少ないのですから、より国政や企業に対するアプローチが難しい……

これもう詰みでは?

もちろんわかっています

ちゃん知識を持ち、その上で問題点を発信している絵描きはいらっしゃいます

自分なりに考え、画像生成AIとの付き合い方、画像生成AIの在り方を考えている方もいらっしゃいます

しかし、それ以上に大多数の無能が足を引っ張りまくってます。頼むから理論ガバガバ文章に踊らされないでくれ。お願いだから、話にならない無知を晒さないでくれ。本当にお願いします、簡単不安を煽られないでくれ。何が正しいのか、何が間違ってるのか、分からいかもしれないけど、だったらジッとしていてくれ。落ち着いてまずは調べろ。Googleいくらでも出てくるんだ。理解できなかったら他人説明してもらうんだ。chatGPTはいいぞ。(それらのAI恩恵を受けるなら、画像生成AI恩恵検討しなければならないけど)

自分たち側に無能馬鹿メンヘラ社会不適合者が圧倒的に多いことを事実として受け止め、できる中でより良いAIとの共存模索する。それが、画像生成AI規制派に必要なことではないでしょうか。

推進派と規制派が持ちつ持たれつ議論を重ねることで科学の良い発展がもたらされると信じていますから規制派にはマジで頑張って欲しいのです。

自分なりの救い方は検討していました。自分自身絵描き理屈ルール感情代弁者として立ち上がり、推進派との架け橋になる……ありきたりかつ理想的ですが、価値のある行いではあるかもしれません。

例えば、オプトイン制度に際してのコメントは以下のものが考えられます

そもそも芸術行為とはどこまでも自分本位の行いであるべき。自分本位に生み出した作品は、自分のためだけに存在しているべきもので、そこで技術の発展だとか、他人の見栄だとか、そういうことに使われると芸術行為の芯に傷がついてしまうのでは。それが意欲の低下に繋がるのかもしれません」

あるいは、クラファンを立ち上げ、司法に是非を問うてみるのもありかもしれません。

でも、こんな奴ら助けるくらいだったら、その時間使って画像生成AI技術に手を出して学んだ方が遥かに有意義なんじゃないかぶっちゃけ自滅する泥舟に乗りたいかそもそも救いたいという感情自体傲慢なわけで。

というわけで、救いたいと思い言語化していたはずが、し終わる頃にはマジでやる気が失せました。

絵描きがただひたすら自滅を重ねていく様を楽しみたい気持ちすらあります

もう知らねー

無能馬鹿メンヘラ社会不適合者の一員より

2023-03-31

今日人間の振りをする

友人の話を聞くのが苦痛

こんな自分を輪の中に入れてくれる稀有相手だというのに、その話を聞くのが苦痛で仕方がない

友人が話すことに、まったく共感できない

「あっそ、それで?」と内心思ってしま

他人感情、思い、願い

そういったものに関心を持てない、そういう特性なのだそうだ

社会」というのは、人間進化過程で獲得したものである

肉体機能でもなく、道具使用でもなく、環境を調整するための大きな武器の一つであるらしい

その恩恵に与っておきながら、私は他者共感ができない

私の世界には、私しかいない

相手を見ているようで、自分を見ているだけだから

から最後最後になって私の周りには誰もいなくなってしま

ゾッとする、こんな自分自身に、こんな人生

このままずっと生きていくのかと思うと

未来に耐えきれなくなっても、人生は続く

我々の精神なんかとは比にならないほど、現実や肉体は強い存在強度を誇る

生かされているのだ、端的に言えば

土台じたばたしても詮方ないことなのだ

認めたくないと何度繰り返したところで、何も変わりはしない

ただただ、今日も気分が悪い

吐き気のする我が人生が早く終わることを願うまでである

――「あらゆる流れから取り残されてしまった末代の私」


過去自分言葉が、予言のように、呪いのように積み重なっていく

から、せめて迷惑をかけないように

相手に合わせ、感情の伴わない言葉と表情を誂えて

隣で相手が笑っているうちにできた事は沢山あったハズだ

失敗したってちょっと恥かけばすんだチャンスを

くだらないプライドを守るために全部消費したんだ

終わってから気が付いた事は「わかってた」事にはならないよ

もう遅い 今から君にできる事は新しい出会いの準備

それができないなら 独りで生きる準備だ

きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!



恋愛がしたいわけではない、結婚がしたいわけではない

自分自身に、何の価値もないと思っているから、他者にその担保をして欲しいだけに過ぎないんだろう

自分存在している意義を、居る意味を、存在必要性

結婚は勢いでするものだ」と言うようだけど、私は違うと思っている

恋愛結婚というのは、共依存的な色彩によって後押しされるものなんじゃないか

それは、もしかすると性欲よりも強いのかも知れない

生きていくことは正気ではできないから、それぞれが個別神様宗教教義でっちあげる

「互いを互いの存在意義とする」というのも、そうした思考停止の一つだ

他人迷惑をかけたくない」「これ以上不幸な人間を増やしたくない」と、反出生主義を唱えるくらいなら

そこまで潔癖になるんなら、今すぐ死ねばいいだけの話なのだ

私は、私の遺伝子を根絶やしにしたい気分になることがある

このクズ遺伝子が、罷り間違って後世に残るようになってしまうこと程、罪深いことはないと思うのだ

の子供が、この世に“理不尽に産み落とされ”地獄に落とされるのを赦してはならない

私の汚濁のような欲望のために、不幸な人間をこの世に生産してはならない

「生まれたことが間違いだった」と思うような人生を送らせる訳にはいかない

――「自分の自我にしか興味のない私は何に“生きて”いるのか」


ポルナレフ 人間は何のために生きるのか考えたことがあるかね?

人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる」

名声を手に入れたり人を支配したり金儲けをするのも安心するためだ

結婚したり 友人を作ったりするもの安心するためだ

人の単に役立つだとか愛と平和のためにだとか

全て自分安心させるためだ

安心を求めること事こそ人間目的

荒木飛呂彦ジョジョの奇妙な冒険 27巻」



全ての女は、宮崎駿にとっては、グランママーレと同じなんです。

「全ての女はグランママーレと同じように怖く、得体がしれなく、でも、強くて美して、男は敵わない。

から、一度好きになってしまったら、一生死ぬまで振り回される。それが女である」というのが、宮崎駿がこの映画の中で語っている、「女とは何か?」という考え方なんですよ。

岡田斗司夫「『崖の上のポニョ』を精神分析する〜宮崎駿という病」


 生きることだけが大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間まこと義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間義務とみるのである。生きているだけが人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

 時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生れてから死ぬまでの間です。

 大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは子供夢想で、学問じゃないのです。

坂口安吾不良少年キリスト

@Gesu_Masuda

2023-02-28

anond:20230228123429

こんなにも愚かな増田啓蒙してくださりまこと感謝の極みでございますです😭

2023-02-25

anond:20230225225514

「奢ってほしいです」「奢りたいです」って口に出して言えばいいじゃん。

それだとモラルの話に決着がつかない。

元々このテーマは「男性女性に奢るべき」って女性側の主張に端を発してる。

ブロガーヨッピー倫理的には男女平等で良い、市場的に見ると奢れ、と提案して倫理的問題区切りをつけようとした。

でもモラル問題は続いていくと思う。これは公共広告巨乳女性で考えると分かりやすい。

公共広告にはなるべく女性不快感を与えない方が効果が高い(市場的)

公共広告ではなるべく女性の性を強調しない方がよい

公共広告では性的強調すべきでない

「まーた公共広告での性的強調か」

不快にさせてまこと申し訳ありませんでした」(モラル

2023-02-03

まれてきちゃってごめん

まことにすいまめーん

2023-01-22

anond:20230121222629

同担拒否の男いるよ



他にもいくつか、誠お兄さん同担拒否男の子ツイートを見かけた。

「お母さんは誠お兄さん見ないで」「お母さんは好きじゃないで(好きにならないで)」と言われたり

ということは、男も少なくとも子供時代同担拒否がいるのだろう

2023-01-18

まれてきちゃってごめん

まことにすいまめーん

2023-01-10

anond:20230110094515

言葉暴力でも肉体的暴力でも、自分は反撃されず一方的暴力を振るう権利があると思っている、最高レベル差別心を持った奴が、手痛い反撃をくらうのはまことに愉快痛快なのである

懸念点はやり過ぎて死んだり障害残ったりしたら後味悪いそれだけ

2023-01-01

anond:20230101122107

https://logmi.jp/business/articles/325729

「「ガラスは液体である」という、まことしやかな俗説の真偽」

今朝、元旦の起床前にふとうかんだあの疑問を検索して出てきた記事

…読んだあと、『うろんミラージュ登場人物の「そうでもあり、そうでもない」のセリフをおもいだした。

2022-11-05

30女、家でうんち漏らしてしま

夜21時 仕事から帰って、むらむらしたのでお風呂自慰をしてさっぱりした後 

休み前だし持ち帰った仕事でも処理するか・・・パソコンを立ち上げ、小腹が空いたのでかっぱえびせん開封して食べながら仕事を始めた。

仕事終わりで帰宅しても仕事だなんて、なんだか退屈だし YouTubeBGMでも流すか~ と思い動画を選んでいたら急にお腹ゴロゴロなりだした。

別に痛いわけでも催したワケでもないので そのまま音楽を選んで 仕事を始めて十数分経ったとき、急におしり違和感・・・

今は特段トイレに行きたいって程でもないけど、一応トイレ行ってみるか・・・ と思って 正直面倒だと思いながら席を立った。

すると 椅子から立って机から2歩ほど歩いたところで突然とても強い便意と腹痛に襲われた。 

座っている時や横になっている時は余裕だと思っていたのに 立ち上がると急に来る時、ありますよね・・・よくあると思う。 少なくとも自分はよくある。

私室からトイレまでは少し距離がある。 しか寒い。体がぶるると震えた。

部屋から出て急に寒くなったからか、くしゃみを2回した・・・ 拍子に後ろから勢いよく硬めのやつが出てしまい 続いて泥っぽい感触のやつが少量出てしまった。

なんなら前からも じゅわっと少し漏れた。 

他の家族を起こさないように声を殺したせいで不意に腹圧がかかったからだ。 気をつかったつもりが身を滅ぼしてしまった。

肌の感覚温度ですぐに分かった。 今ので前も後ろも漏れた。終わった。

そして尿 おまえはどこから来た いなかったでしょさっきまで。

まあ、尿漏れ妊娠中に何度も経験しているのでそこまで抵抗がない(それはそれで問題だが)けど

大きい方を漏らすとやっぱり・・・子を持つ親としてはやはりショックである。 結構簡単に漏らしてしまった。割と勢いよく。

みっともなく ぎこちない歩きをしながら 必死で前と後ろの穴を締めてゆっくりトイレまで歩いたが

トイレどころか道中の扉を開けた時に また大きい方が漏れしまった。 締めてたのに勝手に出てきた。

今度は結構出た気がする。おしりからシュワワ・・・って音がした。 終わった。これはもう終わった。ほぼ水の音だこれ。

パンツがだいぶあったかい。終わった。 

この辺りで冷静にトイレは無理と判断し、諦めてそのままお風呂へ向かっていた。 

当然浴室でズボンパンツを脱いだらばっちり汚れていました そりゃ当然ですけども。 尿漏れ下痢漏らしです。 色々終わってます

しか我が家下着を汚した程度で その都度買い替える経済力は無い・・・ ので当然 手洗いして漂白剤で消毒して再利用です。 

漏らしたからって捨てられるほど裕福じゃないので なんだか悲しい。  まこと遺憾ですが前の穴も後ろの穴もがばがばだったようです。

産前産後に何度も尿漏れ経験したので、自分で汚した下着洗いはもう慣れた。 恥ずかしくもない。 でもやっぱりへこむなあ・・・

ごめんなさい愛しい我が夫。 あなたの妻は夜中に廊下でうんちを漏らしてトイレに間に合わないため、お風呂で用を足します。申し訳ない。

ちゃん掃除して綺麗にしておくから許してほしい。 無理してトイレに行くと廊下トイレ掃除するハメになりそうだったので許してほしい。

いつもお風呂掃除してくれているのに本当に申し訳ない。 もちろんちゃんと綺麗にした めっちゃキレイしました。 許して・・・

でも我が夫は優しいので 臨月自分おねしょをしても嫌な顔ひとつせず布団を洗ってくれていた。 優しさを司る神!結婚しよ!

よくよく考えたら 寒い帰宅して その冷えた体のまま寒い浴室で全裸になり自慰に勤しんだことが原因でお腹を下したような気もするので 完全な自業自得である

よい子のみんなは暖かくしてお出かけしようね! そして冬に全裸自慰行為をするのはよくないぞ。お腹を壊します。

仕事どころでは無くなったので今日はもうサボりますなんて日だ!!

2022-10-21

anond:20221021161639 のおまけ?

多数派場合は、多数決民主的にそれができます

少数派でも侵せないもの自由権として守るのです。

たとえば今だと多数決ならとある宗教を「邪教」として禁止さえできそうですよね。でも、多数決でも、「内心で信仰させろ」「儀式は続けさせろ」までは侵せない理由けが自由」です。

https://twitter.com/jikapan/status/1583275451552006144

多数決主義の難点という議論アメリカで古くからある。選挙で選ばれていない裁判官がなにゆ選挙で選ばれた国民代表議会法律を覆すことができるのか、というやつである。これは、単なる哲学的問題ではない。19世紀から20世紀前半にかけて、産業資本の著しい発展の弊害顕在化してきた。それに対して立法対処を行ったところ、裁判所が「契約自由」を盾にしてそれを違憲にしたところから来ている。

 もう少し具体的に言おう。ニューヨーク州議会が、パン屋労働時間規制する法律を作った。一日10時間、週60時間までという規制である。これに反して処罰を受けたあるパン工場経営者は、労働者をどのくらい働かせるかについては、契約自由があるのだからそのような規制違憲であると主張した。そして連邦最高裁はその主張を認めたのである。このような判例法理通用した時代のことを、この著名判例(Lochner v. New York, 198 U.S. 45 (1905))の名前をとってロックナー時代という。

 すったもんだの末ロックナー判決否定されるに至る。どのように否定されたかというと、これがある意味羮に懲りて膾を吹くというようなやり方なのである。すなわち、裁判所議会の制定した法律については、原則として合憲推定を与える。議会制定法については、①目的が正当か、②目的手段合理的に関連しているかしか裁判所審査しない。換言すれば、手段必要最小限度性を要求しないということであり、まことに緩い審査基準である。こうなるとまたしても困った事態が発生する。確かに労働関係規制については、そのくらいゆるい審査で良いかもしれない。しかし、議会に自らの利益代表してもらうことができないような少数派の利益を押し潰すような法律議会が作った場合も、そんな緩い審査基準適用して良いのだろうか。連邦最高裁は、戦前判例の中で、キャロリーヌ・プロダクツ判決脱脂粉乳規制に関する法律問題になったのだが、それは措く)の脚注4で、人種的宗教的あるいはその他の少数者の利益問題になった場合などは、別の処理をするかもしれませんよ(この事件はそういう人が問題になっていないが)、ということを仄めかしている(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 (1938))。

 このような戦前アメリカ判例を取り入れて始まったのが有名な二重の基準である。二重の基準論は、精神的自由については厳格な審査を、経済的自由については合理性審査をという図式として受容されているのだが、実際には、一般的には裁判所合理性基準という緩い審査しか行わないが、政治過程の中で不利になっている少数者の利益問題になる場合は、審査基準厳格化する、というものなのである一般論としては合理性審査しかしない、というのがミソなのである

 芦部説はこのような議論を巧妙に換骨奪胎(?)し、精神的自由制限は、政治過程のものを傷つけるおそれがあるから原則として審査基準厳格化する、という議論を立てた。こういった議論アメリカにも見られる。ところが、これを逆に考えると、精神的自由制限であっても、政治過程のものを傷つけるおそれがない場合には、裁判所合理性基準審査するべきだ、ということにならないだろうか(ロバートボークというある意味悪名高い裁判官が直球でそういうことを言っている)。これが問題になる典型的な事例が「わいせつである。少なくともハード・コア・ポルノ※に関しては、その禁止政治過程を傷つけるとは言えないだろう(アメリカ場合猥褻obscenityに該当する言論については、第一修正によって保護されないので、合理性審査すらしなくても良いということになっているのだが、それは措く)。わいせつ規制は、精神的自由制限ではあるが、厳格審査に服しないというのが、反多数決主義の難点に対して一般合理性審査を行うという解決法を用意した司法審査論の帰結となる。

 ハード・コア・ポルノに対する規制を(も)廃止するべきだと考える者が、表現の自由論や民主主義を素朴に信奉するのも考え物である一般論として合理性審査をもたらす反多数決主義の難点という論点それ事態を疑ってかかる、つまり多数決によって事態が進行する議会政、多数決主義それ自体を排撃したり、あるいは、ハード・コア・ポルノ規制に対しても厳格な審査をもたらすような議論を何とかして立てるほかあるまい※。そういうことをしない表現の自由の信奉者は、表現の自由戦死せざるを得ない。

長谷部恭男憲法』などを読むと、刑法175条違憲論が、単なる「表現の自由」によって支えられているわけではないということが分かる。

2022-09-18

anond:20220918093215

35年くらい前のモデルグラフィックスのあさのまことプラモデルディテール表現について解像度という単語を使ってた

細かさではなくちゃん理解度についての言い表し方として

パソコン以降な言葉なのかもしれんけどそこそこ歴史のある使い方だと思う

2022-09-17

ツイッターアカウントあるのにツイートブクマする奴ってなんなの?

こいつらってなんなの?

一時期きくちまこと、とかに粘着してたけど、

直接ツイッターリプライしろよと思ったけどなんでしないの?

ブクマカって陰口しか言えないの?

anond:20220916132017

2022-09-14

[] タバコの配給量と男女平等

今囘の配給タバコの配給量が男か五十本、女が五十本というように決定したと新聞は報じておるようであります。これは事實だろうと思いますが、しかいか憲法上、男女、平等保障されておつても、このタバコの配給方法というもの日本の現状から、また過去日本喫煙というようなひとつの習慣からみて悪平等の感があると思うが、他に名案がなかつたかどうかという點について、政府の所見を伺いたい。これをもつて私の質問打切ますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100104365X03119471101/12

これは日本においてまだ女子喫煙一般的な慣習にはなつておらないように思うのであります。大體男は十人おれば九人まではタバコをのみます。女の場合はむしろそれの逆ではないかと考えておるのでありまして、この點は新憲法の十四條に規定しております男女の平等という問題とも關連がありますので、今囘五十本同數の措置といたしたわけでありますが、のまない方にこの貴重なタバコを配給することは、またそれから新しい問題派生させる、すなわち横流し等の根源になるとも考えられますので、適當な品物の見透しがつき次第、配給を辭退される人に對して代替品をもつて配給し、そうして得たタバコは他の適當な方面供給するような措置をとりたいと考えておるわけであります。とりあえずは五十本五十本を新しい憲法精神尊重いたしましてとることにしたわけでありますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100104365X03119471101/13
この前の当時の政務次官であつた小坂君が、現在の女五十本、男五十本という制定は、日本喫煙の慣習から言つてよろしくない。そこで女に対する配給タバコは、他の代替品をもつてするというようなことを言明されたのでありますが、すでに半年を経過しております今日、そのことに対して現実にどういう手を打つておるかお尋ねしたいと思いますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/17

ただいま五十本々々々という、まことに氣の毒な配給になつておりますが、これを十二月ごろから男女とも十本ずつ増していきたい。こういう計画でおりますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/18

男女の配給はどうですか。
https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/19

男女の配給でございますが、これはただいまのところこの平等配給をかえるということの実現は、当分の間できないと考えとおりますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/20


先刻タバコ部長の御説明によると、配給の面において、男女関係を同等にすることは、当分変更の意思はないという御答弁でありました。一体この不足経済場合において、足らざるものを万遍なく配給するということは、先刻石原委員の言われたごとく、統制の理論にとらわれた考えであります、あるいは男女同権というような理論にとらわれた考えであるだろうと思う。タバコのごとき嗜好品の類は、生活上必ずなければならぬというものではないのであります。一旦習慣がつけば、なかなかやめられない性質のものであります。そう考えますと、日本過去社会生活の実情からみて、男子タバコをすうけれども、女子はすわぬ者が多いという、実情に即した政治的考慮を拂つて配給の面を考えるならば、男女同等に配給して、そして量を減らすようなことは、はなはだ実際に適しないような感じをもつのでありますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/53

お答え申し上げます。男女の配給量が同じでありますことが、日本として、從來からの習慣等から見ましても、実情に即しないということはその通りであろうと思います。ところがこれは大藏事務当局といたしましても、從來からそういう主張はし続け來つたのでありますが、新しい憲法下において男女同権じやないかという考え方からいたしまして、その筋でやかましく主張されました結果、正直なところを申し上げますとそういうことになつておりますhttps://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204365X02319480506/54

2022-09-13

anond:20220913115017

まことのごめんなさいだ

なかなか見れたもんじゃねえぜ

まことのお母さま&まことのお父様「この度はご迷惑をお掛けして……

まことまことにごめんなさい!!

2022-08-05

マザームーン」って呼んでる奴ら統一にわかすぎる

普通「真(まこと)のお母様」だよね

2022-08-03

最近買って読んだBL

 数ヶ月前に予約した小説『天官賜福』(墨香銅臭)が届いたし、Kindleポイント50%還元セールがあったり竹書房の日があったりしたので、いつになく多くのBL作品を手にした7月末~8月冒頭だった。ほっこり。そんな訳で、読んだ本とその感想を少し。あ、『天官賜福』を発売月内に読んでレビューポイントを稼ごうと思って忘れてたなあ!

『天官賜福(1)』(墨香銅臭)※まだ読み途中。




あらすじ

 謝憐(シェ・リェン)は仙楽国の元王太子で、17歳若さ天界に飛翔し武神となった天才神官であった。ところが数々のやらかしにより人間界に落とされ、今では貧乏神ガラクタの神と蔑まれ、彼を信仰する人ももはやいない。

 そんな謝憐だが、このたび三度目の飛翔を遂げ神官に返り咲いたものの、天界に着くなり飛翔の衝撃で他の神官の館等をぶっ壊してしまい、多額の負債を作ってしまうのだった。

 そして彼は、返済のために功徳を稼ぎに人間界に降り、人々を苦しめる怪異事件解決に乗り出した。

増田感想

 すごい厚みなのだが、まるで話上手な人による噂話を聴いているかのような軽快で臨場感のある文体と、面白いストーリーのため、ひと度読み始めるとページを捲る手がなかなか止まらなくなるやつ(といっても、私は歳のせいかすっかり集中力がなくなってしまい、しかも他の本と掛け持ちで読んでいるので、なかなか読み進まないのだがw)。

 同作者の『魔道祖師』よりはストーリーが分かり易いと思う。人界の民草に信仰されることによって「功徳ポイントを稼ぐという設定がゲームみたいで面白い。何年か前にアニメになった『霊剣山』(国王陛下)をちょっと思い出したんだが、こういう古代中国舞台ゲームっぽい設定って、中国Web小説界隈で流行ってるのだろうか?

 けっこう早い段階で攻めの花城(ホワチョン)が登場し、謝隣が彼に惹かれていく描写もなされるので、BLとしても『魔道祖師』より分かりやす萌えが多いかもしれない。

 問題は、第2巻以降の発売の目処が立っていなさげなことだろうか。読んだ内容を忘れないうちに発売してほしい……。

逃避行じゃあるまいし』(タクアン)



概要

 短編集。恋愛に対して臆病過ぎてすぐ行方くらます男とストーカー行為を楽しむ男の話と、遠恋中の若者達の話と、体毛がすごいおっさんの話の三編。

増田感想

 『Canna』のBLサブカル系で癖が強いって誰かがどこかに書き込んでいたけど、これもかなり癖の強い短編集。筋肉! 体毛! ムンワァァ……! な、におい立つような劇画調ラッコ鍋絵柄で描かれるのは、おじさん・お兄さん達の複雑な乙女心だった!!

 表題作だけ『Canna』本誌で読んだことがあったんだけど、連載が飛び飛びだったせいかまり面白いと感じなかったのだが、単行本にまとまったのを続けて読んでみたら、案外悪くない感じだった。

 私は2話目の『恋しさ募って』がお気に入り。初々しくてかわいい

『アキはハルごはんを食べたい』(たじまこと



あらすじ

 ルームシェアをしている大学生のアキとハル。見た目がもろにワンコ系で実は心配性なのがアキ、クール系に見えるけれど食いしん坊で楽天家なのがハルだ。そんな二人の好きなのは、お料理する事食べること。今日も美味しい料理を作って食べて、無自覚0距離でたのし暮らしています

 

増田感想

 めちゃめちゃ腹減ったーー!! 『きのう何食べた?』(よしながふみ)に負けず劣らずな飯テロBL漫画だった。とにかくアキの作る料理が美味しそう。各話の末尾にレシピがついているから、後で作ってみようかな。ただ、若者向けのガッツリメニューが多いので、中年以降にはきついかもしれないが。

 BLなんだけど、エロがないどころか恋愛描写もほぼない。アキがハルのことを好いているというのがちょっと描写されるくらいかな。ハル女子との交際歴があるとか、脇役の女子二人組が登場してグループ交際っぽい絵面になったりとかもして、BL感はかなり薄い。

 でもアキとハル幸せそうにご飯を食べてかなり密着状態で楽しそうに過ごしている様の和み度・癒し度が高く、それだけで満足感がたっぷりある。


あと他に三冊買ったけどそれはまた後ほど。

新海アニメ隠蔽したものアイヌヒロイン政治性&塔の大きさ

新海誠2004年に「雲のむこう、約束の場所」という映画製作している。

本論では、この映画から政治性が巧みに隠蔽され、特にアイヌ民族が消えてしまっていることを論じる。

また、新海誠のネーミングにおける問題点をいくつか指摘する。

雲のむこう、約束の場所」のあらすじ

北海道ソ連(作中ではユニオン)に占領された世界藤沢浩紀と白川拓也はそこに建造された不思議な塔まで、自作飛行機密航することを夢見ていた。その秘密がふとしたこと同級生沢渡佐由理に露見してしまうが、彼女は二人の共犯者となり、いつか彼女も塔まで連れて行ってもらうことを約束する。しかし、彼女は突如姿を消し、飛行機の話もそれっきりになってしまう。

三年後、拓也は塔の破壊を企てる反ユニオン組織ウィルタ解放戦線に内通しつつ軍属研究し、塔の秘密を探っていた。塔の目的並行世界観測による高度な未来予測であった。そして、塔の設計であるエクスン・ツキノエには孫娘がおり、その孫娘たる沢渡佐由理が原因不明の奇病で三年間眠り続けていると知る。

一方、東京に出た浩紀は、佐由理の夢に悩まされていた。そんななかで彼女痕跡を追い、かつて入院していた病院にたどり着くと、突如佐由理と浩紀は夢の世界で心を通い合わせる。浩紀は佐由理を救うには三年前の約束を果たさねばならないと悟る。

だが、拓也側の研究の成果により、佐由理は眠り続けていることで塔からの並行宇宙浸食を防いでいると明らかになる。彼女が目覚めれば、この世界はあっという間に浸食されるだろう。

浩紀は青森に戻り、拓也と再会する。浩紀は拓也に「ヴェラシーラに佐由理を乗せ、塔に連れていくことで佐由理は目覚める」と伝え、協力を求める。佐由理の目覚めによりこの宇宙消失を恐れる拓也は、一度は協力を拒絶する。しか葛藤の末、佐由理を軍の病院から連れ出してきた。浩紀は佐由理を後部座席に乗せ、米ソ開戦直前でヴェラシーラを発進させる。

緊張が極限に達した米ソは開戦し、その混乱の中で浩紀はヴェラシーラを飛ばす。塔の傍で目を覚まし、涙を流す佐由理。浩紀はウィルタ解放戦線に託された爆弾を投下し、塔を壊して宇宙消失を食い止める。

佐由理は目を覚ました。しかし、目覚めと共に浩紀に対する思いは消えてしまっていた。

ウィルタ解放戦線

さて、先ほど述べたように、作中では日本ソ連の侵攻によって南北に分断されている。そして作中のテロ組織は(南北統一のため?)北海道の塔を破壊することを目的としている。

そこで、「ウィルタ解放戦線」という名称問題になる。ウィルタというのは北海道ではなく、サハリン樺太)の先住民族名前なのだ。確かにウィルタ北海道に数名居住していたが、北海道解放を願うなら、「アイヌ解放戦線」とならなければ筋が通らない。

アイヌ民族言及することによる政治問題を避けるために事実を歪曲させたのではないかと疑われる。樺太開放も目標としていたと仮定すれば、考えられなくもないが……。

ヒロイン出自について

祖父名前、エクスン・ツキノエは、日本話者にとっては異質な響きを持つ。また、ロシア語風でもない。元々新海誠は多少いい加減なネーミングを行うことがあるので、深い意味はないだろうと思って数年間はこの名前に注目してこなかった。しかし、私がたまたまアイヌ民族に関する書籍を読んでいたとき、ツキノエは国後島アイヌ首長の名であると知った。同様のことを述べたツイートがあったが、現在は消えてしまっている。

そこでエクスンとはどういう意味かというと、ここによれば「向こうへ」という意味らしい。「沢渡」という姓はここに由来している可能性がある。

http://tommy1949.world.coocan.jp/aynudictionary.htm

肯定されたテロリズム

浩紀はラストで単身ヴェラシーラに乗り、北海道中央部にそびえる塔を破壊する。すべては佐由理の目を覚ますためであり、並行世界が流れ込んでくるリスクを引き受けてのことだった。

しかし、実はまこと政治性の強い作品であるSFっぽさと感傷的な恋愛描写がまぶされているが、描かれているのは間違いなく世界を変える(少なくとも一国の軍事施設破壊し、地域パワーバランス崩壊させる)テロリズムである。米ソ開戦中の混乱に乗じてのことであり、もしも両国責任なすあいを始めたらと考えると恐ろしい。

新海誠がこの件についてどの程度自覚的であったかは疑問である。どちらかといえば気分的なものプロットを作っており、作品政治性についてはあまり深く考えていなかったのではないか

実際、朝鮮半島ドイツの分断に伴う深刻さは、出会えなくなった家族言及されることもあるが目立った悲痛さはなく、この作品では過去の背景に退いている。

米ソ戦のなかで時に死体が降ってくる場面はあるけれども……?

余談、「ヴェラシーラ」とは何語か?

作中では「ヴェラシーラ」とは「白い翼」の意味だと説明されていた。

はじめ、自分はこの言葉スペイン語だと思っていた。つまり、Bella Cielaだ。アルゼンチン方言ではbをvで発音することがあるらしいし。しかしよく調べてみると、スペイン語語順活用の形としてはおかしい(当時のウェブ翻訳は今と比べてずっと貧弱だったし、単語の原形で検索するしかなかった)。

そこで、ロシア語ではないかと思い、いろいろなつづりを試みた。すると、「白い」は「белый」ベリイ、「力」で「сила」シラとなり、それっぽい。ソ連にいる祖父がいるのだから彼女ロシア語知識があったとしてもおかしくはない。意味は「白い力」になるが、「白い翼」には十分近い。ベラルーシの「ベラ」が白なので、そこから取った可能性もある(同じことを言っているページを見つけた)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1216740382

ただし、これもまた活用問題がある。「白い力」はロシア語では「белая сила」ベラヤ・シラとなる。それに、よく考えればbとvの音の混同が起こっている。

もっとも、「星を追う子ども」では潜っても呼吸できる水を「ヴィータクア」、世界の果てを「フィニステラ」とラテン語としては語順が逆の形で名づけているので、そのあたりはいい加減なようだ(それぞれアクア・ヴィタエ、テラフィニス標準的ラテン語の形である)。

また、同作の中では深い意味もなくセフィロトの樹が引用され、シャクナ・ヴィマーナやケツァルコアトルなど無関係神話コラージュ的に用いられている。その背景には明確な思想を読み取ることはできなかった。

結論

雲のむこう、約束の場所」では感傷的なまでに甘い思春期の心情を描いてみせた。一方で、この作品はかなり政治的な危うさをはらんでもいた。危うさの一つはテロリズム肯定であり、もう一つはプロットに入り込んでいるはずのアイヌ民族存在を背景に退かせたことであった。後者に関しては少なくとも筆者の知る範囲について、ヒロインアイヌ民族クォーターであることに言及した資料は見当たらなかった(註:とあるウェブサイトで、佐由理は恐山かどこかの巫女家系だという初期設定に言及したところがあった。興味深いのでここにリンクを貼るhttp://www.green.dti.ne.jp/microkosmos/anime/promisedplace2.html)。

しかし、2004年には許された描写だったが、ゴールデンカムイなどで正確なアイヌ描写が出てきた2020年代にあってはどうだろうか?

最近筆者は新海作品からは遠ざかっている。映像が十分雄弁なのに、台詞説明しすぎてしまうからだ。あるいは加齢による感受性の変化かもしれない。あるいは、この感傷マゾから「卒業」しようと自分鼓舞たからかもしれない。本稿を書いているうちに、少し懐かしいような苦しいような気分を思い出しかけた。

おまけ、塔の大きさに関する推定

作中では、北海道建設された塔が東京からも(かなりの高さで)見える描写がある。しかし、それにしては塔が細すぎやしないだろうか? 以下、視聴当時にした計算抜粋する。

塔が経っていたのが北海道中央部都心から道央まで凡そ1000kmはある。

かなりいい加減な推定だが、視力1.0を有するとは視角60秒の二点を見分ける能力があるということだ。つまり空気による散乱だの屈折だのを度外視すれば、主人公がそれだけの視力があると仮定することで塔の直径を算出できる。それにウィキペディアによれば大きく見えるとき金星がこれくらいの視角だそうだ。塔が自ら光っているわけではないだろうし、このくらいの値でいいだろう。映像を見てもそのくらいだったし。

sinθ=tanθ=θ(ラジアン)の近似を用いると、都心から道央まで凡そ1000kmはあるので1000km×(2π)×(1°/360°)×(1′/60′)= 290.8m程の直径が必要になる。荒っぽい計算だが、作中のヴェラシーラとの比較から見てもそこまでずれていない。ただ、空気があることからはるかに太いと考えたほうがいい。北海道全体が映るシーンでも塔はしっかりと見えていたし、直感的にも300m程度の太さの道央物体都心から見えるとは考えにくい。

なお、仰角は30°はあろうかという様子であった。三角関数で考えれば577.3km以上の高さだ。地球の自転の影響でこれだけの構造物は大きくたわむことであろう。ソビエト連邦にそれだけの物資があったかどうか。一応ユニオンは全共産圏統合した国家だそうだし、この世界では宇宙開発の代わりに並行宇宙研究されているとすれば、なんとかなる……かな?

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