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2023-01-10

anond:20230110145000

ずっと前からちょっかい掛けたら相手ヤクザで発砲された、みたいなお笑い動画はいくらでもあるよね?

それに対して発砲された奴を笑うなって思うかね?暴力は良くない、そんなの当たり前じゃん。わざわざあげつらって批判するまでもないってこと。

お前がミソジニー云々はマジでどうでも良いけど、

例えば男性暴力だって言ってる奴が居たとして、いや俺は暴力的じゃないから何も思わない!って方がちょっとおかしいと思うよ。

ここで思うってのは別に反論しろとかそういう意味じゃなくね。

2023-01-08

anond:20230108215147

ぼ虹だのぼ喜多だのと言ってる連中が大量にいて

性的ちょっかい出してる絵が大量に拡散されてビュー数集めてるのに

その言い訳は苦しいな〜

石田祐希の件は、本人についてはどうでもいいのだけど、けんすうちょっかい掛けてたのを見て「あ、こいつやっぱゲスいな」と思ったわ

2023-01-07

キモイと言われただけで何やってても被害者面できるんだから、男って相当イージーモードだよな

未成年児童内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為(なお、児童側ではがんやHIVの発生リスク高まる)」を金で買う犯罪者のクソ野郎がただ「キモイ」と言われただけで

キモイ言葉暴力差別攻撃!酷い!」と大げさに痛がって被害者面してる男様を見てると、本当男ってイージーモードなんだなと思う

ガキの頃、誰かに嫌がらせちょっかいをかけ続けて怒らせた結果、「バカ」とか言われて反撃されたら泣き出して「ウェーン!!!先生あいつが俺にバカって言ったー!!!」って被害者面して何故か嫌がらせされてた子に謝らせるクソガキいたじゃん。「キモイ」だけで被害者面する男ってその成功体験で今まで来たんだろうな

人を100回殴っても、1回殴り返されたら被害者面できるっていう

それが通用すると思ってる時点で男って相当イージーゲームだよな

「金で他人内臓の中に自らの性器を擦り付け快楽を得る行為を買う行為(なお、労働者側ではがんやHIVの発生リスク高まる)」とか、「女性には何をしても問題ないと思い、性的暴行を加える行為」とか、「女性であることを理由嫌がらせを行う行為」を行うクソ野郎が、「キモイ」と言われただけで被差別人種になるはずがないのにね

こう言うと「でもキモイおじさんはおじさん全員をキモイ扱いしてるから差別用語!」とお気持ちを述べてくる男さんもいるけど、

「『形容詞名詞』の文は、『名詞』が全て『形容詞』的であることを主張する意味を持つ」と考えてる時点で日本語能力が著しく欠如しているので日本語能力試験の勉強をすべきでは?

「いや俺の日本語能力には問題ないんだ!」と思うんなら、勝手にそう思ってこの世に存在する『形容詞名詞』の文を書いた全ての人に対して抗議をしてれば良いのでは?

2023-01-06

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

日記

……三十歳で亡くなるように繊細で、厳しい感性を持つ、地球上のすべての女性に向けて……

prologue

時代場所次元を超えたマッシュアップ段落

 いま砕け散ったすべての彼ら彼女らの全員が、けっして自分以下ではなく、自分以上の精神によって成し遂げようとし、表面だけは目新しい今日という時間に内在している本質的にはポテンシャル可能性が縮小していくこの世界に生まれる喜びを相手取った、苛烈で、疲弊し、それでも均衡を取りながらも、ある一瞬のスキを付いて世界価値刷新しようと繰り広げる闘争の中でくずおれていったすべての魂たちを目撃したわけだが、この敗北のすべてに共通するものがあるとすれば、それは、目に見えないもの価値が、目に見えるもの価値に負けてしまたことを意味しているのだ。微調整

人生シンボル世界アレゴリー冒険(または旧式の劣悪的価値観を盲目に信奉し続けている中身の無い老若男女による日頃の盲従とその殺人——と殺される人間精神本来の豊かさの立体的構成について)

「“あたくしは、永遠にあなたを愛するという揺るぎのない強固な意志をもってます。“

 このうわべは月並文章を注意深く読んでみたまえ。[愛する]という言葉よりも、[永遠に]と[意志]という言葉のほうがずっと重要なのだ。」

問題は愛ではなかったのだ。不滅だったのである

ミラン・クンデラ『不滅』

1 - verse

 宇宙全体を満たす闇。実は、そこには光もまた満ちている。

 それは、真空であるために太陽の光を反射するものが無いことで、肉眼では感知できない光だ。地球では空気の粒子による反射によって、人間は光を認識出来るのである

 あなたがこれを読む前に抱えていた感情はなんだろうか。

 感情字面上では、喜びの対義に悲しみが、怒りの対義に笑いが記されている。しか実際問題として、この二つは同時に抱えることもある。なぜなら感情は、単一感情よりも、もっと多くの感情と連動しているからだ。

 映画を観た時に、小説を読んだ時には、その人物感情ひとつで考える私たちの把握能力には、いまだ未知の領域が広がっている。同時に抱えた感情は、いくつもが比例や反比例の連動的であり、また相対的でもある。

 人間存在することが1で、存在しないことが0であるならば、人間は産まれた時の1から0へと向かっていることになる。生きているという状態を前方向だとするならば、一日一日前へ進むごとに、死という後ろ方向へと歩んでいるという矛盾が内在している。

 そのように、史上空前の前向きさというものは、中途半端な前向きさの中にあっては、後ろ向きに進んでいるように見られてしまものである

 ジャンケンを心から面白いと思って行う者は、たぶん、あまりいないと思われる。僕は簡単に持ち出せるツールとして、ジャンケンを使っている。

 たとえばチョキの指の数が三本で、パーの指の数が四本で、グーの握り拳を半分の力で握るといったジャンケン2や、ジャンケンのその他のAnotherバージョンがあっても、それが最も面白いと思って行ってはいないことだろう。ジャンケンがこの世で最も面白いと思って満たされれば、ジャンケンよりも高次のもの発明する必要はなくなる。

 それと同様に、世の中の九割以上のもの面白いと思えなくなってから、この話は始まる。それはつまり物語面白いと思えなくなってからしかし同時に物語以外が面白いと思えなくなったところから始まる物語、でもある。

 トロフィーを獲得することを目指すのであれば、どんなに簡単ゲームソフトのゴールでも、トロフィーは獲得出来るのだ。

 人間の願いは、たった一つに集約出来る。と言うと、金や異性やその他諸々、人の数だけたくさんの夢があるだろう、とあなたは思ったはずだ。

 もったいぶっても仕方がないのであっさりと言ってしまうが、そのひとつの願いとは、自分が産まれてきてよかった、と思いたいのだ。もちろん、それは一瞬のことではない。なぜなら、その一瞬は、次のニ瞬目には覆されてしまうかもしれないという不安が、常に内在しているかである。これが現在という本質自体の中にある、癒すことのできぬ不完全性である

段落

 最初にどんな断りを置いたとしても、本来、こんなことは書きたくない。いつの世にあっても、本当のことを考えれば、好きな人からは嫌われ、嫌われるべき相手からは好かれ、招待状もなく価値を殺す人はやって来るし、招待状をいくら出しても価値を殺される人には届かないことだって多い。

 往々にして悪魔自分自身天使だと思い込んでいるものだし、天使は引け目を感じていつでも自分を捨てようと画策している。本当のことを追えばそれは自然哲学に近づいていき、でも僕は哲学者になりたくないし、哲学者が遺した書物に書かれているものSNSの内側では見られないものだし、ツイッターで流れてくるものではないし、マッチングアプリのコツでもないから、SNS基準である以上の思考が溢れることのない世の中で生きることは出来なくなってしまう。

 探検家にはなりたくないし、革命家にはなりたくないし、伝道師にはなりたくない。なぜなら、その肩書きという断絶によって精神の分断が発生し、無責任肥料が撒かれ、その土には何も育たないからだ。

 自分が変わらないように相手を変えようとするパワープレイの中にあって、お互いが同時に変わるという正解を見つけることなど難しい。

 日本人モラルの一つとして、危険を犯さないということを前提としている。だから、誰も言わなかったことは言えない。誰もやったことがないことはやらない。ああだ、こうだ、それはこうだ、と後からもっともらしいことを言う奴はいるけど、誰もやったことはないとか、誰も言ったことがないようなことを、言ったりやったりするということはない。

 日本では個性的なことをやると嫌われる。日本オリジナルなことをやったら協力者はいない。あらいいわねえ、と言われる程度の表現範疇しか成立しない。

 一般の人たちの芸術観は、ふだんはいろんな壁でもって遮られている。それが協力者たちのおかげで枠がサッとはがされて、みんなの心がひらかれる。しかし多くのことは、このようなプロセスを踏めないがために、人々の初歩レベルの心はひらかれることはない。もちろん、芸術という言葉は、人間存在のもののことである。なぜなら、命とは、生まれてきた(アウトプットからである

 今までの社会では、すべての人がそれをはっきりと自覚するまでにはいたっていない。しか自覚さえ持てば、そこには芸術がはじまるのである

 安心できたことのない世の中で人間精神に道をつくるような前進とは、感性を揺さぶらないがために波を立てることもまた無いといった類いによる社会権威のような安心ではなく、圧縮した密度を柔らかい感性で紐解けば空間を満たすことの出来るストリームの粒子を包んだものによって開いていくのである。なぜなら、安心できない世の中に対して、無風という誰からも嫌われなさそうな自己主張による社会人生流通権力は、結局、人間排除する社会の固さにひれ伏し続けているかである安心でさえ、安心の風が吹かなければならないからだ。

 たとえその時は無風であることに安心しても、その時を過ぎればまた窒息し、社会という強制参加で誰しもの元にいつもやって来る未来に対して、ほとんど勝てないギャンブルのような傷付き方をしているのだ。

 物語というのは、ガラスケースの向こうだけで収まり安心出来るもののことを言うのではない。作品の向こう側が物語であると同様に、作品こちら側こそが物語からであるあなた人生という言葉を使う時、その人生乾パンのようなすべてを削ぎ落とした最低限の生活イメージするだろうか。乾パン乾パン出会って、乾パン家族にでもなるのだろうか。乾パンに味は染み込まない。精神の荒廃の目配せをしながら、社会という徒党を組んで人間を捨て、不安払拭するのだろうか。普通とはなんだろうか、大人とはなんであろうか。それらは人間の外にあるのだろうか。そもそも日常という言葉欺瞞であり、それがあることで非日常が生まれ、それらはまるで交わることのない別の直線のように思い込んでしまうが、日常という言葉意味乾パンであるならば、DVをし続ける会ったことのない両親に税金という仕送りを送金し続けるためだけの頭数の数合わせである。そのために産まれた時からあなた脳内に刷り込まれ続ける、数々の人生認識を胸に抱きながら死を迎えることだろう、おめでとう。改めて言うが、人生とは全部である段落

段落

 芸術と名付けられた一系統の固さが残り、その人間がその時に立ち向かったであろう、作品を超えた形なきストリームの柔らかさは残らなかったのである。そして僕たちはそれと向き合ったときに、社会での自分をそのまま変えそうにないか不快ではない、として表面を見るのである

 今の時代からすれば、これは自分の部屋に飾れるくらいに、なんでもないかいいね。その状態にあっては、たいていの美術館は5分で出ることができる。それがいつでも時代限界だったのだ。段落改訂

 そして感性とは、思考と同じくらいに姿勢のことである思考がそれひとつであれば、姿勢というのはそれひとつの外にまで開かれているということだ。この両輪が表示するものは、画面いっぱいに並んだ細かい違いのパーツというよりは、パーツの持つ目に見えない特性である段落改訂

 そして、これこそがポテンシャルの方角を決める判断に繋がるものであるポテンシャルが無くても、ポテンシャルへの方角が合っていれば、前に進むごとにポテンシャルへと近づいていき、ポテンシャルがあっても、ポテンシャルとは明後日の方角を向いているのであれば、前に進むごとにポテンシャルは消えていく。段落改訂

段落

 趣味的だからだ。趣味というのは自己満足から、自他に挑んで自分自身を乗り越える、自分をも否定するということにならない。ちょっと面白いものをつくったり、変わったことをやるのはいても、¨遊び”と、”趣味”は違う。”遊び”と、”お遊び”は、むしろ正反対のものからだ。趣味危険を犯さない。自分によりかかっている。甘えてる気配がある。自分を敵としてやってない。強烈に自分と闘ってない。自分の好みに乗っかって自足してる。趣味に溺れるのではなく、自分と闘い、同時に他とも闘う。段落改訂

段落

 ほとんどがニューヨークパリ海外の国なんかで発表された二番煎じ三番煎じみたいなものが多い。何だこんなもの、と言いかけて、海外のどこどこの国ではこういうのが流行っている、と言うと、見るほうも、ああそうかというようなところがある。誰もやらなかったことをやるというのは、日本じゃ絶対に認めない。

 これは作品論で終わる話ではなく、この国で日々の思考を縛りつけている価値観のことである

 ゴッホ絵画生前には一枚も売れなかった、という話を引き合いに出すまでもなく、人々の自分に対する感覚の自信は傲慢であるしかし、人生理解出来てないのだ。1+1=2、1×1=1、納得した、僕が納得出来るってことは、これはいいものだね。しかし、IQ10の人間が納得することなど、IQ9までである。そして人生にたえず付き纏う問題の数式は、誰も解こうとしないのである。だが人生とは、往々にして1÷1=1程度には難しい。

 本番には使えないその練習で埋め尽くす時間の消耗とは、なに? 消耗が人生であるのなら、解決もまた人生である。この世で起こることのすべてが人生であるように、この世で起こすことのすべては人生である段落

 人間生活は、ほとんどのものを借りてきている。つまりは、全員が「借りてきた人間」だ。

 ピカソシステムだ、愛はシステムだ、お〜いお茶システムだ。このように、この世のすべてのものは「システムであるシステムは、名前が付いた瞬間から駆動し始める。このシステムを借りているのである

 システムそれ自体には、自己反省性や自己批判性が無い。日に日にすり減り、衰退し、レベルの低くなっていくパワーゲームが起こるのは、このためである。それはひとつの部類と部類の間にも起こり、ひとつの部類の中にある区分区分や、なにかとなにかでも起こる。この世に存在するすべてで発生する。

 イチローホームランを打つこともシステムである。観客は指先ひとつ動かさずに、ホームランを打つ感覚だけを、その時に借りてくる。システムには固体と液体が存在し、それを紐解くのが感性である。固体よりも液体の方が紐解きづらい。

 イチローホームランを打つ、ということにおいての固体は、バットボールが当たった、ということだ。そして液体は、バットの振る速さ、バットのどの部分に球が当たったのか、イチローのその試合までの日頃の練習、その時のプレッシャーなどである

 食べ物でいえば、ハンバーガーのものは固体であるが、ハンバーガー牛肉パテ一枚は液体であるハンバーガーには、何が挟まっているか。肉、トマトレタスピクルスソースなど、まだわかりやすい。それは固体だからである

 では、牛肉パテがどうかといえば、牛のどの部位の肉なのか、どのようにミンチにして他にも保存料などを混ぜるのか、あるいは冷凍する方法はどうかなど、液体なので難しくなる。

 飲み物場合であれば、それ自体がすでに液体であるいくら沢山お茶を飲んでも、お茶の葉の摘み方はわからないし、茶葉から抽出の仕方もわからない。

 そして肝心の乗り越えることは、紐解くこと、ともまた違う。乗り越える方法とは、決意である。つまり感性によって液体までを紐解き、それを決意によって乗り越えるのである

 もし感性によって紐解き、そして乗り越えなければ、借りてきた人間であるわれわれの精神はその借りているシステムに回収され、その枠内で縮小していき、ボーリングの球を投げる人間ですらなく、ガーターに落ちないようにレーンを直線に転がることを反復するボーリングの球そのものとなって、日に日にシステムは低次のレベルに向かって下降していく。

 世界の見え方は、ひとりひとりの感性による紐解きによって見えるものである遠近法パースペクティブ)は、人によって異なるということになる。

 実際にあるものよりも多くの秩序を想定してものごとを単純化したり、大きな衝撃からとても些細な衝撃までとにかく様々な衝撃によって人間は多くのものごとを見落としてしまったり、個人が持つ関心や愛好の傾向によって視野が狭められてしまったり、人間たちが交わす言葉が歪められ適切に定義されていないことに由来して私たち思考弊害を生んだり、上手にまとめてしまう際に人を欺くことになったり、など様々である。微調整

 この見え方が、感性の鈍感な体系的や表面的でしかなければ、そのもの本質ポテンシャル判断することが不可能になる。言うなれば開封されないゲームソフトパッケージのようでもある。段落改訂

奴隷を目指す社会の掲げる指標

沸騰していく社会

 小市民的な枠の中で、安穏な生活をして、たとえばたまにごちそうを食べて、遊びに行って、楽しいかもしれないけど、あとの日常というのは、会社に行ってせいぜいおしゃれな格好をして、夜になると酒飲んで、上役の悪口を言う程度のことで、あとはもう毎日毎日システムの中に組み込まれちゃってる。段落改訂

 なぜなら大多数にとっては、矛盾解決することではなく、長い大通りが隙間のない道であるかのように表面から矛盾を見えなくすることが、幸福の前提だからだ。

 ある人間が、自分生活だけしか生き得ないようなら、彼は自分生活も生き得ないはずだ。なぜなら、彼自身生活というのが、その各々が、他の生活にも属し続けるアクシデント連続から成っているのだから段落

 このようにしてわれわれは、目の前の温度が昨日よりも苦しくなっていることが、わからなくなってしまうのである

 社会で良いものとされている礼儀であっても、ポテンシャルを持っていない礼儀であれば、それは良いものとは言えない。同様に、ポテンシャルを持っていない褒め言葉も、けっして良いものとは言えない。罵倒批判にいたっては悪いイメージ自動的に付くものであるが、ポテンシャルを持っている罵倒批判は良いものである

 歳をとるということが、物理的にも、精神的にも、〜のセーフラインではなくデッドラインに近づいていくことだとしても、今はまだ大丈夫という感覚を持っている人もいるかもしれない。しかし、トラックに轢かれて腕を失ったとき、心が重くて起き上がれなくなったときあの世よりもこの世に Permalink | 記事への反応(0) | 18:41

2023-01-05

[]PS4 クライス

シナリオ目的

keyっつう元祖ナキゲーのシナリオライター名前があったからいつかやろうと思ってたらフリプきたかラッキーだった

ライターは涼元かと思ったら久弥だった

oneとかkanonとか

フリューゲーはよるのないくにvita版をチュートリアルだけやってすぐやめた程度の経験しかなかった

結果

アマゾン的にいえば★2

主観ぬきなら★1だけど主観で777ってキャラがよかったからそれだけでプラス1した

ダメなとこはアマゾンレビューでもさんざん書かれてるのとほぼ同じでアクションRPGなのに肝心のアクションがクソすぎる

どっかのサイトで低人数短期間で作ったって自慢してたけど、それは面白いゲームを作ったあとで言えるんであって、

コスト削りまくった結果クソゲーになったのなら元も子もないんだよなあ

サクナヒメもそうだったけど敵ダウンさせてから追撃できないようにしてるのと、

攻撃途中でキャンセルできなかったりするのって低クオリティアクションゲーあるあるすぎてほんとやめてほしいわ

自分プレイしてストレスたまるってきづかんのかね

ともかくアマゾンとかで触れられてない個人的ダメだったとこを書く

シナリオキャラ音楽

アクションはクソだけどシナリオはよかったみたいに言われてるけど全然そんなことないわ

典型的まどマギフォロワーしかない

まどまぎのほむら的かつニーア的かつぎゃるげ的なループというメタ文法いれてきただけ

キャラシナリオも浅すぎて読むに値しない

ニーアのウェポンストーリーみたいなのも入れてるけどそういうのは本編がちゃんとできてからやれよっていう

特に意味のないジョジョスタンドパクリもあるし

メンヘラヤンデレ百合ゲーっていう物珍しさっていうポイントが唯一の評価

でもそれすら典型的テンプレしかなくて特に新しいところもない表層的表面的うわっつらの描写で見てて鼻で笑うレベル

似非関西弁キャラはいいとしてそいつがまじでゴミ

ファッション百合みたいにかわいいこに抱きついたりちょっかいかけるのをギャグ的にやるのはまだしも、

そいつの抱えてる話・設定が百合どころかノーマルしかなくてそれを前面に出してるのと整合性がねーんだよ

だれもつっこまなかったのか?

大学でクソ男にひっかかって在学中に妊娠までしたようなアホ女って時点でなえるのにそいつかわいい女の子に好き好き冗談いったり基本女しかでねーゲームに男の影におわせる時点でまじでゴミなんだよ

女だけ出しとけよ

せいぜい家族までにしとけや

それ以外でもあからさまにギスギスして魔女同士殺し合いさせたりとかもさあ・・・

20年まえならまだしもまどまぎ以降にたようなのばっかであきあきしてんだよ

音楽もなんかごちゃごちゃしてて似たようなのばっかできいてて不快ではないけどずっときいてたいと思うようないい音楽ではなかった

ゲームのクソさに合わせたってんならわからんでもないけどてきなレベル

よかったのはシャフトアニメOPと、立ち絵の表情パターン豊富さくらいか

2022-12-21

anond:20221221032200

精神性が男の中の男ってくらい男らしいんだけどどういうことw

有害な男しぐさまんまじゃん、それはホモからの逃走願望であって女性になりたいとは違うと思うw

男でも友人とお喋りしてお化粧してインスタ更新して遊べばいいのでは?

化粧品なんて男性用も女性用もないし誰が使ってもいいんだしね。てかお前エアプやろ。今時男も普通に市販化粧品買って化粧してるんだよな

20代前半なのに50代みたいな時代錯誤女性観もってんね

フェミニズム感覚についてはスーパー無知リテラシー終わってて草

男だけど普通に生きてて普通に交友関係あったら女性を取り巻く環境おかしいって普通気づけない?20代にもバケモンしっかりいるんだなってw

仲間が殺されたり迫害されて必死で戦ってる戦場で、仕事安全名誉も何も脅かされたりしない平和ボケした特権階級が、ノコノコ戦場ボディーガード付きで視察にきて「戦ってて幸せそう!承認欲求満たされていいな(キラキラ)」とか言ってんだから

スイーツ過ぎるだろ、バカすぎる

フェミニズム女性が好きだとか女性になりたいとか関係ないw女性差別に反対してる奴がフェミニストだけど原理的なフェミニストってなにw

発達障害だと性自認あいまい中性的自覚になってしまうとかそういう話に酔ってるだけでは?

いちいちそれで差別問題に絡んできて被差別階級ちょっかいかけてくんのキショ過ぎる

2022-12-19

イーロンマスクTwitterちょっかい出すべきではなかったな

これまでの業績に文句付ける気は無いが、SNS企業経営者の才覚はなかったね。

手を引こうとしたのに無理矢理買収を強要されたのには同情する。

2022-12-18

anond:20221218114955

仁藤さんの本来活動自体は、わりと本当にフェミニストなんだよね。

ただ、温泉むすめにちょっかいをだしたのがまずかった。

2022-12-17

anond:20221217233811

知的障害の子は助けてあげてたが?

相手サイコキラーモンスター生命財産危険が及びそうでも無い限り、いじめはぶっ叩ける

自分学校にも普通学級に知的障がいの子がいたけどそれにちょっかいを出すバカは全部ぶん殴ってやった。物理でも言葉でも

障がいが無くても許される物じゃないので、学校職場趣味の場の全てで突っ込んでる

それをしない増田普通の人ではなく『クズ』ってだけ

 

これからは知らん顔しないで助け舟を出してやろう、つまんないことはやめろと法律言葉でぶん殴ってやろう

生命財産は掛ける必要ないが、たかだか爪弾きにされる・職を失うくらいだったら

正しい行動を取ろう

 

自分自身がどう生きるかは自分で決められるんだぞ

 

自分自身がクズ選択しただけなのに変な共感求めない

 

増田ブクマカいじめ逆張りしてるバカって自分自身が自称小心者()のクズだっていうことから逃げたい+クズ共感が欲しいだけだよな

https://anond.hatelabo.jp/20210718125835#

 

年が年中、就職できないとか言ってるヤツに別に仕事はいくらでもあるとトラバ返したり

生活保護やらのリンクトラバ返しているのと同じ類いの親切

 

2022-12-14

ぼっち二次

第三者視点でカプを見守る」より「カプの片側やカメラの向こうの第三者自己投影して性的ちょっかいかける」タイプ百合絵が多いな

やはり男オタは関係性を愛でるよりも俺嫁嗜好のが強いのか

2022-12-12

男の百合オタク地雷少なく感じるのは

いわゆる「俺嫁厨」が多いか

 

話題ぼっち・ざ・ろっくで喩えると

彼らは主人公受けの百合を好んで読んでいるが

第三者視点でカプを見守る」というよりは「カプの片側に自己投影」して妄想している

具体的には、虹夏やリョウなどの周辺キャラ自己投影して

ぼっち性的ちょっかいを出す妄想をしている

 

こういう嗜好の百合オタが男には多いから、男百合オタはCP地雷が無いようにみえるってカラクリ

 

この「俺嫁厨」ってある種のTS転生百合願望者と見るべき嗜好の持ち主だから

同じ百合オタって土俵で比べて寛容度見るのはハッキリ言ってフェアではない

2022-12-10

anond:20221210114215

中学の頃女子が2人いて片方A は可愛い性格が可愛さのせいで曲がってしまっていてもう片方B はオドオドしていて声の小さい子だった

Aが時々じゃれてるのかBにちょっかいをかけるのでその都度おいおいやめとけよと止めたりしていた。

その後なんだかんだあって、Bから告白されAはというと俺がAのことが好きだと勘違いしていた。Aの性格が最悪すぎたか普通に接するだけで好感度が上がる状態だったんだろうと思う。

なので、増田が困っている時に都合よく助けてくれないと書いてあったが俺の場合は見かけるたびに助けてたから俺の視界に映ってたら助けてたかもな

2022-12-09

anond:20221209185808

いいよね、オノ・ヨーコ

ビートルズゲットバックだっけ、ドキュメンタリー見たら、好きになったね。

なんせスタジオとかで、めちゃくちゃ邪魔からね、明らかにバンドの苛立ちが高まる中で、飄々とジョン・レノンちょっかいかける、あの存在感は唯一無二だよ。

図太い生き方見習いたい。

anond:20221209145555

オタサーの姫立ち位置になりたいのなら、身だしなみ整えて、中肉中背ぐらいには鍛えて、女性向けの趣味に行って溶け込めばいいだけだぞ。

モテるけど、フツウの女は男向けの趣味はまあ理解してくれないな。後、女性情報網はすごいから、一人にちょっかいかけたら、しばらくしたら全員に共有されてると思え。ちょっかいかけて1人か、1人がうまくいかなかった上でもう一人ぐらいか、、、。

性向けの趣味が好きじゃないと、オタサーの姫ポジションしんどいだけだぞ。

2022-12-03

anond:20221203150039

都の職員も怒り心頭だろう。

温泉むすめにちょっかいなんか出すから、こんな目にあってると。

2022-11-27

ドラガリアロストの感想(メイン)

「第1章王子の旅立ち」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  アルベリ王国の第七位王子ユーディルとその双子の妹である巫女のゼシアは、父親である王のアローラスから、国を守るためにドラゴン契約し聖片を集めるよう命じられる。

  ミドガルズオルムと契約を結ぼうとした時、それを阻止するように仮面の魔獣使いと衝突する。戦いの中でその仮面の下がぜシアと同じ顔であることに気づく。

  エルフィリス、ランザーヴ、クラウ等を仲間にしながら霧の森を進み聖片を見つける。

  しかし、何かに操られたかのようなアローラスの襲撃を受け、聖竜エリュシオン覚醒して応戦するも、ゼシアは聖片と共にアローラスの下に行ってしまうのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  特になし。

 ・印象に残ったキャラ

  モブ時代のシャノン。

  言葉少ないけど可愛い

 ・感想

  世界観紹介にキャラ紹介にと1話だけあって忙しい。

  ただ流石に情報が多すぎる。アルベリ王国のアルベリウス。こいつ重要そうなのに名前がまず覚えにくいし、聖片とは別に魔神封印した技があるとかも、まだもうちょい待ってくれよと思った。

  お話は、王道なやつでまだ特にとっかかりがない。

  ゼシアが可愛いけど、普段シナリオではあんまり出番がないから、メインでめでたい。

  

第2章青竜の水辺」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  近衛騎士団団長リーフ、そのライバルのハール、第6位王子エミュール等とまみえながらフォレスティエの青年リュカと共に、彼らの集落を守る王子たち。

  エミュールはマーキュリーとの契約を利用してフォレスティエ達を襲う。

  しかし、戦いの中で契約に偽りがあったことが判明し、マーキュリー契約を破棄しユーディルと再契約を行う。

 ・印象に残ったセリフ

  とくになし。

 ・印象に残ったキャラ

  とくになし。

 ・感想

  敵が来た、倒した。だけのお話キャラクタの魅力だけなのでそこにフィーチャーして感想を書く。

  マーキュリーかわいいかわいいストーリードラゴン可愛いキャラが多いけど、やっぱり六竜達が僕は好きだな。

  周囲全員に劣等感を抱いているエミュールは見ていて痛々しいけど、シナリオを円滑に進めるための道化ポジションらしくちゃんと責務を全うしててがんばれってなる。

  あと人間ではリーフとハールの関係値はこの頃から色々あるんだなあ。えっっっ。

「第3章緋竜の火山

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  火山噴火を止めるためにやってきた王子一行。

  火山ではアローラスがブリュンヒルデを痛めつけていた。

  ゼシアを助け出そうとするユーディルだが、自分意思アローラスに着いていくと言い、出来るだけ多くのドラゴン契約して欲しいと伝えた。

  その言葉強がりを言うブリュンヒルデのために、ユーディル契約を交わす。ブリュンヒルデ過去に一緒に戦った冒険者ムムの姿となり、ユーディルに抱きつくのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ムム「人間って、こんな感じかしら」

  オリジナルのムムが実装された今だからこそ言うけど、こんな感じじゃなくない? 顔や体格はまあそうだけど服装よ。

 ・印象に残ったキャラ

  ムム。

  ドラゴンだけど人に変化して王子好き好きキャラになる……

  こういう類の尖った性癖、ドラガリに限らずワーフリでも似たフレバーのがあるけど、Cygamesの中にそういう個人がいるのか、集合的無意識の中にそういうものを好む気質人間にはあるのかメッチャ気になる。ごめん適当言いすぎたわ。

 ・感想

  今回も敵を倒すぜうおー! 的なあっさり目のお話なので、キャラ萌え観点感想書くぜ。

  ムムよなあ。ドラガリ人気キャラの間違いなく3本の指に入るキャラだけあって、そりゃもうかわいい。こういう恋愛的な意味で一途なキャラはわかりやすくて好き。

  子供時代のゼシアのエピソードもあったりで、こういうのいいな。少なくともナームがイマジナリーフレンドで、ユーディル王子としての血だけを持ったクローンみたいな黒い憂鬱な設定じゃない、(じゃないよね???)のを確信できて心が落ち着く。

  いやこれでも、やっぱり憂鬱ストーリーなんかな。5章までしか読んでないので、さくさく遊んで次々読もう。

「第4章輝竜の山脈

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  ユピテル契約するために山道を進む王子一行。エミュールたち帝国軍も同じ目的で山を登っていた。

  エミュールたちを見捨てられないユーディルは彼らを助けながらユピテルの元に向かう。

  ユピテルはそんな彼らに殺し合いを命じるが、ユーディルは王として例えドラゴン相手でも悪いことをしたら正すと言い切り、結果ユピテルとの契約を果たす。

  そこにゼーナがやってきて封印遺跡に行き、アローラスとゼシアを止めるための戦いに向かうこととなる。

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「忘れるなんてできないよ。たとえ許しがたい人でも、兄だから

  優しいユーディルの一幕。非人道的エミュー相手にも優しさを見せるのは、優しさがすぎる気がするするけど、仲間たちもそれを指摘してるので、きっといつか何かあるんだろう。

 ・印象に残ったキャラ

  敵対してるのに助けをこうエミュール。

  みっともないけど、こういう潔さがないキャラ人間らしさがあると思う。

 ・感想

  常識破りのユピテルに振り回されるエピソード

  誰にでも優しいユーディルと、誰しもに嫉妬してしまっているエミュール。

  ユーディルエミュールも、どちらの生き方も決して楽じゃないだけに、少し読んでて辛かった。

  馬鹿だなあと笑い飛ばせる豪快なキャラがそろそろ出てきて欲しいなあ。具体的には火で銃でフェス限な王子が。

「第5章封じられし者」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  封印遺跡に向かった王子一行。

  ゼーナはゼシアと力を合わせてこの世ならざるもの浄化しようとするが失敗してしまう。

  この世ならざるものは、アローラスからゼシアへと乗り移り代わりユーディルを背後から不意打ちで仕留め、無窮の川を引くと宣言する。

  ゼーナの捨て身の転移呪文王子一行は助かるも、ゼシアはハールを従え次の封印遺跡の向かうのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ゼーナ「ごめんなさい、私の旅は失敗です。悲しい未来を変えることはできませんでした。」

  薄々わかっていたものの、どこかの地点からタイムスリップしてきたセシア本人だったとわかるシーン。

  こういうタイムスリップものの後悔のシーンは創作物における大好物なので好き。

 ・印象に残ったキャラ

  ゼーナ。

  いやこれ本編中でまだゼーナって呼ばれてないのか。

  上記の通りタイムスリップもの大好き。

 ・感想

  アローラス、ゼーナと立て続けにキャラが退場していく悲しい展開。

  僕は家族愛ものに弱いので、アローラスが自身意思ゾディアークに託したあと、ゾディアークもユーディルを息子のように扱うのよかった。

  けど何よりゼーナの本意と失意は読んでてグッときた。

  ここまでは昔読んでた部分なので次から初見から楽しみだ。

「第6章聖城に起つ」

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  第4位王子ヴァルクスが聖城に攻め入ってくる。

  ゼシア奪還という目標を見失った王子一行はその目的のなさを指摘されてしまう。

  しかしユーディルは「国」を作り、民を守ることを誓い、ヴァルクスに立ち向かう。

  ヴァルクスの言う王にための三つの資格をみせたユーディルは王の道を歩むため、新アルベリ王国建国宣言するのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  アルベリウス「国あっての人ではない。人あっての国だ」

  いや厳密にはこれとユーディルが言ってたんだけど、まあ普通にいいセリフなので。

 ・印象に残ったキャラ

  ヴァルクス

  質実剛健キャラ大好き。こういう男キャラ好きだわ。プレイアブルになってないのなんでなんだろ。この先を読めばわかるのかな。トールプレイアブルなのに。

 ・感想

  たぎる演出燃えるセリフと、いい感じに盛り上がってきた。

  特に2D絵だけどキャラが動いて演技するところや、アニメーションなど、演出面でいっぱい魅せてくれて面白かった。

  当たり前にユーディル国王だと思ってたけどこのエピソードがあってのそれなんだね、わかってなかったや。

  なんにしてもたぎって燃えるいい話だった、ユーディル好きだなあ。フェス限実はまだ持ってないので、3周年フェス天井対象になってくれると嬉しいな。

  

「第7章遠征! 水上都市へ」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  水上都市同盟を結ぶために遠征に出た王子一行。

  領主に謁見すると、ランザーヴの父親であることが判明する。結果、ランザーヴを水上都市に戻せば同盟を結ぶという交換条件を突きつけられる。

  そんな中、第二位王子ファルエスと第六位王子エミュールがちょっかいをかけてきたため、ランザーヴは非道になれないユーディルに変わっってエミュールを始末しようとする。

  しかし、ユーディルの影響で変わったランザーヴは手をかけることはしなかった。そんなランザーヴの成長と、ランザーヴが自分の国に必要だと言い切るユーディルを見て、水上都市領主同盟を結ぶのであった。

 ・印象に残ったセリフ

  ムム「ま、これからもジャレ合いましょう。お互いに全滅しない程度に、ね♪」

  ドラゴンと人が仲良く喧嘩し続けることを示唆するムムの含蓄あるセリフ

  ドラガリ存続の危機きっかけにプレイし始めてるのでしみじみときセリフ

 ・印象に残ったキャラ

  ランザーヴ。

  甘いユーディルに変わり非道になろうとするがなりきれない、変化を示すシーンが印象的だった。

 ・感想

  同盟国を増やす話、ランザーヴのお当番回、ファルエスの登場と要素は多いわりに薄味だった。

  特にランザーヴはやる時はやるけど、ユーディルに感化されて変わったと言われても、じゃあこれ名前の出てないモブキャラもやってないのか? とか思うと不殺はどうしてもモニョるし、描写がもう少し欲しかった。

  

「第8章からみ合う炎」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  レオニードが治める国で暴動が起き逃げ出す民が出たこと知ったユーディル一行は助けに向かう。

  そこでエルフィスと旧知の仲でありながら、煉獄文書というイリア教の解釈をめぐる文章対立してしまっているシャノンと出会う。

  煉獄文書に従い魔神を受け入れたシャノンは同じく魔神の力を使い世界を制しようとするレオニードと手を組んでいたのだった。

  しかし、レオニードは冷徹にも魔神の力を手に入れるとシャノンごとユーディル一行を攻撃する。愛の力で覚醒したムムにより窮地は脱するものの、魔神封印がまた一つ解けてしまうのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ムム「本当の愛ってのはね、誰かを守って、自分も生き残る。そういうことよ」

  さすが300年生きてるだけあって愛に関する含蓄あるお言葉

 ・印象に残ったキャラ

  シャノンとエルフィス。

  家族同然の2人の関係を少ない文章量ながらちゃんと魅せててよかった。

 ・感想

  エルフィスお当番回にして、シャノン、レオニードの登場にムムの覚醒と盛りだくさん。

  ただちょっととっ散らかってるかなあ。

  レオニードは次に続くみたいだし、ムムの覚醒は完全にゲームシステム(施設配布)の都合だし、シャノンとエルフィスの2人に絞ってより文章が読みたかったなあ。

  暗殺者ながら慈愛の心を強く持ってるシャノンのキャラはすごく好きなので、もっとフィーチャーされると嬉しいな。

「第9章Let’s Party!」

 ・5段階評価:2

 ・あらすじ

  第三王女シェスの誘いで彼女の国へ行くユーディル一行。そこにはリーフらもおり、パーティーを楽しみながらシェスの真意を探る。

  シェスのマッチポンプのような政策嫌悪感も覚えるも同盟を結ぶことができホッとしたのも束の間、シャンゼリアの産業を支える遺跡に怪しさを覚える。

  遺跡兵器を使い世界蹂躙すると言うシェスに対抗するため兵器破壊するも、それはシェスの策で、実際にはユーディルたちを利用して移籍発掘に邪魔だった敵を排除したにすぎなかった。

 ・印象に残ったセリフ

  シェス「これは終わりのない輪舞曲最後ホールの中心に立っているのは…… 誰?」

  おチャラケ王女のようで策を巡らせ全てを把握しているかのようなシェスらしい意味深なセリフ

 ・印象に残ったキャラ

  シェス。

  リーフとの淡い思い出や、ユーディルたちをウマとして使う様など、とにかくシェスが可愛いから成り立つシナリオだった。僕もお馬になりたい。

 ・感想

  シェス最高だな。

  特にクラウ、ムム、エルフィスたち女性陣を馬として支えさせようとするところは18禁えちえち同人誌を描く才が僕にないことが悔やまれる。

  リーフともなにか思わせぶりな過去があるらしく、位の高い人らしく色々と手広いキャラがすごく好みだった。

  

「第10魔神再誕」

 ・5段階評価:3

 ・あらすじ

  建国王アルベリウスが魔神モルトメサイア封印した土地にやってきた一行。

  そこで血の共鳴により封印真相、すなわちアルベリウスは血にモルトメサイア封印し、かつその半身は自分の中に取り込み今もなお戦い続けていることを知る。

  アルベリウスの志を継ぐことをユーディルは誓い、ゼシアを助けるためモルトメサイアとの戦いに挑むのだった。

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「アルベリウス。あなたの体が滅びてもその意志はおれが受け継ぐ」

  主人公やってんな! 流石に決め台詞は格好いい。

 ・印象に残ったキャラ

  アルベリウス。

  300年間戦い続けてきた壮絶さに驚き。

 ・感想

  建国真相と、モルトメサイア人類の敵ではなく彼には彼なりの目的があるという勧善懲悪しませんよ展開。

  アルベリウスは、まあガチャ実装されてるので復活することは知ってるものの、グッと来る悲しいお話しだった。

  アルベリウスも、アスラムも、王様たちはみんな大変だなあ。

  ストーリー的にはここから兄弟たちとのバトル展開になるのかな。

「第11章哀しき戦闘人形

 ・5段階評価:4

 ・あらすじ

  300年前の戦争で使われた戦争人形と戦うことになるユーディル一行。

  その中で、戦いを止めたい無垢なマスキュラと、壊れてしまった指揮官のラキシと出会う。

  マスキュラ自己犠牲によりラキシを修復することができたが、二人は一つの体に精神が同居することになってしまうのだった。

  そしてユーディルはラキシ達戦闘人形を仲間にする。

 ・印象に残ったセリフ

  ユーディル「戦うための力を持つことと、戦わなきゃいけないことは違う。おれはきみたちに無理に戦ってほしいとは思わないよ」

  戦闘人形という戦闘にために作られた兵器であっても彼らの自由意志尊重したいとするユーディルのやさいしい言葉

  かつ、この自由意志はユーディルにとっても大事キーワードになる。

 ・印象に残ったキャラ

  リュカ

  無垢なマスキュラに感化され敵を助けるシーンが印象的。

  フォレスティアとヒューマン架け橋となってるリュカからこそ、戦闘人形達とも交流を深めていくのかな。

 ・感想

  メインストリーでありながら今話から出てきた戦闘人形が大きくフィーチャーされるイベントシナリオのようなシナリオだった。

  人間によって作られた兵器戦闘人形でありながら心を持ち戦いを辞めさせようとする無垢な心を持つマスキュラと、リュカ交流が話の大半を占めていて、二人の交流はとてもよかった。

  特にフォレスティアとかヒューマンとか種族関係ないと言い切るリュカが、帝国とか新アルベリアとか所属とか関係ないと言い切るマスキュラの圧に負けるところが良かった。

  メインらしく兄弟のシェスの暗躍や、ファルエスの病、そしてユーディルの正体など次への布石も多めで面白かった、満足。

2022-11-25

anond:20221125202931

塾講とかも

タチの悪いのだと子供ちょっかい出すからチューバーの方がマシじゃね

anond:20221125124200

え、そういう個人的動機嫌がらせなの?

じゃあ全然応援できないやつやん

暇空氏は温泉娘の関係者なの?

そもそも温泉娘燃やしたのって室井さんにちょっかいかけて反撃されたのをそらすため、とかじゃなかったっけ

anond:20221125122432

Colaboへの追及の件は、仁藤さんが温泉むすめにちょっかいしたことへの報復なんやねんて。

暇空氏は、仁藤さんの謝罪が行われない限り、一生涯、Colabo に粘着し続けると思うよ。

きわめて合法的なやり方で。

合法的手続きを踏んでいる限り、それがたとえ、業務に支障をきたしたとしても、必ず応じる必要がある。

仁藤さんが温泉むすめ関係者に余計な仕事を増やしたのと同じことをされているだけなので、

それが嫌なら、表面上だけでも謝罪して、暇空氏の活動を止めさせた方が圧倒的に利益は大きいでしょう。

2022-11-19

我が家猟師家系であり、暴力をどのように肯定しているのか?

このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力禁忌されると主張されながらも言葉暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。

猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師技術継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計なす者達であり、警察軍隊武術家格闘家などと近似した暴力専門家である
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。

私は猟師技術祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。

「みだりに暴力を奮ってはならない」

私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたかである

しかたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ
まり絶対的禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである
そもそも我が家猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。

私が中学生とき上級生と殴り合いの喧嘩したことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったこである解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父激怒しながら私へこう言った。

「男の暴力大事ものだ!大事ものからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事ものなんだ!宝物なんだわかるか!」

祖父激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力絶対的禁忌として教えられていたもの確信していたのに、そうではなく大事ものからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
まりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)

私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。

特に子供を持つ親であるのならば「暴力大事な宝物」という表現解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上緊急避難」や「法律上正当防衛」「警察国軍暴力合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。

言葉暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。

最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉暴力大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。

2022-11-18

あんたの過去の後悔筒抜けだよ

バイト先の彼女持ちの先輩にちょっかい出されて周り巻き込んでゴタゴタしたこととか

気がありそうな後輩誑かして引っ掻き回したこととか

彼氏優先でその他おざなりにしてきたこととか

彼氏めっちゃ依存してゴタゴタしたこととか

恋愛関係のくだらないやらかしをしてきたのに、子供できましたとかその成長とか平気な顔してSNS更新して恥ずかしくないのかお前は。

お前のしてきたあんなことやこんなこと、あんな噂やこんな噂、全部全部お前の知らないところで広がってるよ。恥ずかしいね

一生その恥ずかしい面下げて生きていきなよ。

2022-11-17

anond:20221117110808

女性独身ジャニーズ系が好きなのでは。

ちょっかい出すと不倫になるのが理想とは思えないし、消防団ガッチリ系よりも脚長の細身のきれいファッションみたいなのが女は好きじゃん。

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