2022-11-19

我が家猟師家系であり、暴力をどのように肯定しているのか?

このエントリは昨今の暴力性について思うところがあり書かれた。
具体的に言えば「直接的な暴力禁忌されると主張されながらも言葉暴力については無頓着である」ことに違和感を覚え、皆様が抱える心の問題について何らかのヒントになればと考えて作成している。

猟師とは、現代でもある意味でその暴力性を野放しにされている職業の1つだ。
銃火器や罠が法的に制限されている程度で猟師暴力性がすべて制限されているわけがなく、私自身も含め家の業(わざ)として猟師技術継承している人たちは箸一本あれば大抵のことはなせると言うだろうし、それがナイフやキリであればより効果的な使い方が出来る。
言うまでもなく私達は様々な命を奪い取り生計なす者達であり、警察軍隊武術家格闘家などと近似した暴力専門家である
法的な制限が緩いのは偶然であり、単に目立たないからそうなっているだけで機会が訪れればいくらでも法的に制限はされるものであると推測している。

私は猟師技術祖父と父に仕込まれたが普段から口すっぱく言われ続けたことがある。

「みだりに暴力を奮ってはならない」

私の心の成長に合わせ「みだりに暴力を奮ってはならない」の解像度は高くなっていった。
多くの人々は「みだりに暴力を奮ってはならない」と目にしたとき「そんなことは当たり前だろう」と考えるだろうが、今まさにあなた様が直感した意味の「みだりに暴力を奮ってはならない」とは少々違う教えを私は受けている。
なぜ私があなた様の想定を推測できるのか?と言えば、私自身も幼少期の頃はあなた様と同様の「みだりに暴力を奮ってはならない」と考えていたかである

しかたらこれを聞くと大反対したくなる方も居るかもしれないが「みだりに暴力を奮ってはならない」は「みだりに」なのだ
まり絶対的禁忌として暴力を封じた教えではなく、限定された条件がであれば暴力を発動しても良いとした教えである
そもそも我が家猟師であり、暴力の発動をなさねば食うに困り生きながらえることが困難になるので絶対的禁忌として暴力を封じることができないという事情もある。

私が中学生とき上級生と殴り合いの喧嘩したことがある。
今振り返れば喧嘩という表現すらおこがましく、先輩から最初の一撃を食らったので反撃へ移り一方的な状況にしたと表現したほうが良い。上級生は肋骨と肘関節にヒビが入った。もちろん意図的にやったこである解体の応用だ。
それを知った祖父と父は激怒した。特に祖父激怒しながら私へこう言った。

「男の暴力大事ものだ!大事ものからこそ最後まで取っておくんだ!男にとって大事ものなんだ!宝物なんだわかるか!」

祖父激怒していたので「男にとって」と勢いあまって言ってしまったが、今の大人になった私は「人間にとって」と解釈している。
あなた様が「みだりに暴力を奮ってはならない」と聞いたとき暴力は宝物」という解釈はあっただろうか?おそらく無いだろう。
中学生だった私は祖父のこの言葉へ衝撃を受けた。今まで暴力絶対的禁忌として教えられていたもの確信していたのに、そうではなく大事ものからこそ簡単に奮うなという教えであったことに気付いたからだ。
まりの衝撃に当時の私は自分はなんてことをしたのだろうと心から深く反省したし、2度と喧嘩暴力を使わないと自分ルール、戒めとして持つようになった。
(※中学生時代の私から暴力を受けた先輩はオブラートに包めば普段から大人たちを困らせる「やんちゃ」なタイプであった。偶然にも私へ「ちょっかい」をかけてしまったのだ。)

私はこれらのことから「皆様の大事な宝物である言葉暴力」について今一度考えて欲しいとお願い申し上げたい。

特に子供を持つ親であるのならば「暴力大事な宝物」という表現解像度は一層高いように思う。私も親となり解像度が高まった。
独身であっても例えば「法律上緊急避難」や「法律上正当防衛」「警察国軍暴力合法」がなぜ成立するのか?という部分で高い解像度を得られると思う。子供が出来るまで私は「暴力大事な宝物」という点で納得感を得ていた。警察国軍であってもみだりに使えば違法化しますしね。

言葉暴力」を「大事な宝物」と解釈したとき、その答えは十人十色となることが予想されるが私はそれで良いと考える。

最後に、男であっても女であっても、リベラリストであってもフェミニストであっても、あなた様の言葉暴力大事な宝物であるからこそ、みだりに奮ってはいけないのではないか?と提言をよせてエントリをしめたいと思う。

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