はてなキーワード: 非常事態とは
先日、大阪で独自の基準に基づく非常事態を示す「赤信号」が発令された。
新型コロナウイルスの感染者数が先月から爆発的に増加しはじめたことはメディアで報じられている通りだが、
その中で重症者数も増えてきており、想像以上に早く医療機関の収容・対応能力に限界に近づいてきたため、発令に踏み切ったとのこと。
この師走に差し掛かった直後での発令、ここで食い止めないと医療崩壊に繋がりかねないとの名目なのだろうが、
正直な話、この赤信号発令のタイミングについては「判断が遅すぎた」と言わざるを得ない。
これから2週間は同じペースで感染者・重症者は増え続け、医療機関は野戦病棟さながらの事態となるだろうことは想像に難くない。
一般人の私としては、医療従事者の皆さまには深く敬意を表すると共に、
一人の人間としてこれ以上の感染者を増やさないよう、そして私自身が感染者とならないよう、
慎重に行動をしてゆくこととで、細やかながらこの状況に協力してゆきたいと思っている。
さて、この非常事態宣言たる赤信号だが、15日までという期限が切られている。
この期間中は不要不急の外出は控えるようにとの要請が出ているわけだが、まっとうな人間であればこの要請には恐らく従うことだと思う。
問題は、この期間終了後だ。
果たして、15日でこの赤信号が解除されるかどうかはまだ分からないが、仮に解除されたとして、果たして皆はどう考えるだろうか?
ここでもまっとうな人間であれば
「解除されたとは言え、人混みは避けて、飲み会などもやめておこう」
となるのが自然だろう。
まさかここにきて、
「解除されたからもう飲みに行っても大丈夫!自分は感染しない!」
などと迂闊な考えたをしたりする人間はいないだろう・・・と私自身は願望を持っているが、
たった2週間という短期間の外出自粛要請と、年末という忘年会シーズンただなかでの解除ということを鑑みるに、
どうにも人々の理性のタガはいとも簡単に外れかねないのではないかということを大変に危惧している。
それに、そもそも15日までという期間が短すぎるのがどうにも気になるところだ。
既に飲食業界はガタガタで、特に居酒屋や緊密に接待してくれる店などの所謂「夜の街」のダメージはかなり深刻だ。
だが、この「夜の街」こそが感染の温床となっていることも事実で、
第2波の時も東京都知事が毎日のように会見で発言していたことは、今でもげに印象に残っている。
本来ならば「夜の街で働く人の生活は保障するから完全に閉めてくれ」と国が動くべきところだったが、
残念ながら、「自分の飯代くらいは自分で稼げ」と国が突き放してしまったのだから、
(関東では店舗の照明を切って営業してる、なんてところもあり、その傾向は以前の比ではないように思える)
当然、一部のお店は通常通り営業を続けることとなり、店が開いてるなら酒を求める人々はそこに集中する。
狭い範囲ながら新型コロナウイルスの感染者発生を維持する手助けをすることになる可能性がある。
活動自粛を強制することができない関係上、居酒屋だろうと職場だろうと感染経路を遮断することは現行法では不可能だが、
このたった2週間程度の自粛期間では感染症の広まりを抑えるということについては焼け石に水といったところだろう。
そして、15日を迎え、晴れて赤信号を解除し、黄色信号になると同時に
「自粛要請を解除するが、5つの小を徹底して飲食することを要請する」となった場合に、
果たして皆それを忠実に守り、極少人数で客の入りの少ない店に入り、個室で短時間のうちに静かに飲食を行い、速やかに退店するだろうか?
私は絶対にそうはならないだろうな、という確信めいた実感がある。
日本の居酒屋は換気を徹底できるような作りになってるところは少ないように思うし、
1グループごとに完全に個室に案内できる店は少し大きな料亭クラスの店くらいのもので、
申し訳程度に立てられたアクリル板はどうやら意味を為さないことが分かってきており、
安定した感染経路の提供口として機能してしまうことになることは想像に難くない。
また、いくら冷静に「小」を守る人でもひとたび酒が入れば感覚は鈍り、
徐々に声は大声に、顔も近づけて話すようになる。
「おいおい、密だぞ!」「ワハハハ、悪い悪い!」などと大声で笑いごとにしてしまうことすら想像できてしまう。
短い自粛期間を潜伏期間として過ごしたウイルスたちが、晴れて店中にばらまかれ、クラスターが広がる可能性が高くなる。
年末になると、医療現場は更なる地獄を見ることになりかねない・・・。
大阪府はどう考えているのだろうか。
恐らくは、上記のことなどとっくに把握済であることは間違いないのだろう。
その上で
「この期間中に医療体制をそれなりに確保する動きをしたうえで、各方面にはなんとか正月の餅代は自力で稼がせてやろう」
といったあたりの着地点を目指しているんだろうと想像する。
先日、自衛隊に対し吉村府知事が看護師派遣の要請を行ったという報道も小耳に挟んだ。
それが実現・成功するかどうかは分からないのだが、これを踏まえたうえで、15日でこの赤信号は解除し、
前回と同じく「飲みに行くなとは言いません」的なことを発表するのだろう。
看護師派遣要請も今更という気しかしないが、そもそも根本対応にはなっていないことは果たして認識できているのかどうか。
追加のベッド数をねん出するには新型コロナ以外の患者を収容するベッドを転用せねばならないという事実に変更はない。
看護師の確保と一口に言っても一朝一夕どころか数か月で多人数を動員出来る話ではない。
一時感染者数が減ったとしても、ひとたび再感染が起き重症者が増えてしまえば一気に現場が逼迫してしまうのは考えたら分かる事だ。
このままでは、なんとか掴みとれた餅を詰まらせてしまい救急搬送されてくるご老人の命一つ救えなくなりかねないという事態になりかねない。
よく考えていただきたい。
医療崩壊はこうやって起きる、というシナリオを忠実に1歩ずつ歩んでいるこの状況を無傷で乗り越えるにはあらゆる対応が足りない状態だ。
ワクチンの供給も、いつになるか分からない状態で、来年の夏のオリンピック開催を我々は果たして笑顔で見届けることができるのだろうか?
年の瀬になり、「中止になるのではないか」という個人的に妄想してるプランが少しずつ現実味を帯び始めてきた気もする。
だが、この新型コロナウィルス感染症を抑え込む気がさらさらない日本が、どうして健全な大会を開催できようか・・・
まぁ、オリンピックは国全体の問題であり、大阪とはあまり関係のないこと(そうでもない?)なのでここで言及はやめておこう。
一人の一般人として大阪府に望むことは、今にも崩壊しそうな医療現場を必死で踏みとどまっている方々への背信行為となるような赤信号の解除の仕方をしないこと、
それと同時に、より強力な経済対策と医療現場で働く方々への支援を日本国政府に対して引き続き要請を続け、そして引き出して頂きたい。
そして私と同じ一般の皆さまにも、赤信号が解除されたからといって街に繰り出したりしないよう、
理性を保って行動していただけることを切に望む。
偉そうなことを書いて大変に恐縮している。
だが、何故このようなことを書いたかと言うと、実は先日持病の発作で倒れてしまい救急搬送されたばかりなのだが、
新型コロナウイルス感染症の影響か近くの病院で受け入れてもらえず、遠く離れた病院へ回されてしまったのだ。
搬送先で短期間ながら緊急入院となった訳なのだが、そこの病院も新型コロナ用の隔離病棟を準備していた関係で一般病室に空きがなく、
やむを得ない形で、ぱっと見ではホテルなのではと見紛うような個室に入院することとなった。
いいのか悪いのか複雑な気持ちになったものだが、だがこれは全く他人事ではないと身をもって体感したからである。
何かあった時に入院できなくなる事態、考えただけでゾッとするものがある。
そして、それは自分だけでなく祖父・祖母・父・母・そして家族にも降りかかる災難となる。
助かる命が助からなくなる医療崩壊が今後起きてしまうと、未曾有の大災害に匹敵する凄惨たる光景を目にすることになるだろう。
それだけは、いやだ。
インフルに比べてコロナって、数が限られている重症患者の病床リソースを食ってしまう点が問題らしいんだよね。そこがボトルネック。「死亡率」だけでなく「重症率」も大事なんだろうね。インフルでも重症化するケースもあるけどコロナよりは少ないんだろうね。それでも1万人死んでたけど。
重症患者の病床(ベッドだけでなく医者も含めた総合的なリソース)を簡単には増やせないんだろうし、なるべく重症者用の医療リソースを使わないで済むようにする方向に行ってるわけで。だから重症リスクが高い人を優先的にPCR検査してたりする。
重症者をほっとくわけにはいかないからなあ。戦場で地雷で片足もげた仲間を放置できないのと似ている。(しんでれば放置できるけど)
それってのは、要は重症化リスクが高い人から税金を取ったり(自己負担額を多くする)行動制限を強くかければいいのでは?たとえばたばこ税を2倍にするとか?コロナ特別措置で一時的にでもいいから。そこの税収入は医療へ使えばいいんじゃないかな。
あと「重症化リスクの高い持病を持ってるヤツは家から出るな」とか?でもまあ人権とか自由に反するんで憲法的にアウトかも知れんけど。「重症化リスクが高いと知りながら家から出まくってコロナかかって重症化した人」とかはさすがにお金多くとっていいのでは?という気がするけど。非常事態の特別に。そこは私刑は絶対ダメで、公的に公平な課税でなければならないけど。もちろん。
すると、重症化リスクの高い人が家から出てこなければ(人と接触せずに隔離生活すれば)、リスク高くない人は今まで通りの暮らしができるのでは?
今年春にも同じことを言って相手にされなかったが、今ならわかってもらえると思う。
今第3波と言われているが、飲食店はこれ以上制約を掛けられるのも辛いから、構わず営業する所も出てきた。
世間の人たちもコロナだ自粛だ密を避けろって叫ぶのは、生活に影響しない、むしろ楽になる主婦層ばかり
サラリーマンたちは外で飲まないとやってられないとばかりに居酒屋に密になりに行く
非常事態だ!解除だ!GOTOだ!と2転3転する世の中で、もはや気にしない人は気にしない状態になってきた
職場や学校、家庭がクラスター化する危険性がどんどん高まっていってる。今まで以上にお互いに三密を避けるよう声を掛け合ってコロナを乗り切ろう!
果たしてそうだろうか?
(80代5%、70代1%、60代0.4%……)
それらの人を守るためにあなたはどれだけの我慢をしてるんですか?
コロナに怯えて世間から離れてストレス抱えて生きるより、早く感染して集団免疫を得た方が良い世の中になりませんか?
コロナ拡大初期とはもう違います。誰もが感染する可能性があります。どこでも感染する可能性があります。
ではまた!
鬱がそもそも細かいところが気になっちゃう傾向にあるということをまず理解しようぜ。
増田はよくやっていると言いたいところだけど、多分全然そんなことない。
うちも一歳の息子がいる体感としての話だけど。
そもそも、奥様にどうしてほしいか聞いたところで意味ないでしょ。
なんでも頼める横柄な人がいる一方、普通の人はそこまで人にお願いできない。
結婚してたとしても。
だから、増田が考えるしかないんだよ。どうすればもっと奥様が笑って過ごせるのかを考えて時間かお金かその両方を突っ込むしかないんだよ。
うちは、、、まぁどこの家庭もそうだと思うけど、寝室というか寝床に関しては30万は軽くいくかなぁ、、、。
元増田で書かれた以上にどれくらいやっているかわからないし、増田家の生活サイクルもわからないけど、
もちろん、働きながらやれる範囲で頑張っているのは重々承知。そんなもんだよね。実際俺も似たようなもんだと思う。
増田家の場合、奥様の負担という面から考えたら、多分あと半日は誰かいてもらわないとしんどいレベルで家事育児が残っていると思う。
慣らし保育かな?が始まって、今後時間は空くかもしれない。
けど、人は一日6000語とか話さないとストレスがたまる生き物だから、家事とかと同レベルに一家団欒は大事な要素だったりもする。
ストレスの溜まり方が減っても解消スピードが変わらないなら状況は変わらん。そして仕事が再開されたら、また一つハードルが上がる。
けど、先ずは1週間ほど休みをもらうことから始めたほうが良いと思う。
2週間でもいい。
そしてその非常事態は、家庭内のリソース不足からくるものである。だから増田が休む必要があるんだ。
ttps://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-italy-idJPKBN26S36H
ttps://www.sankei.com/world/news/201010/wor2010100004-n1.html
ttps://www.sankei.com/images/news/201010/wor2010100004-p1.jpg
ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020100801057&g=int
ttps://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-britain-johnson-idJPL4N2H03BS
俺今45。人生振り返って、これまで挫折らしい挫折した経験がない。
学校の勉強、スポ少、習い事、なんでも出だしはそこそこのレベルでこなして、ぼちぼちの出番を与えてもらって。でも何かにずば抜けているわけでもなく、そこそこの成長したら頭打ちで、モチベ下がって、でも叱られるのや失望されるのは嫌だから顔だけは真面目になんとかこなして。大きく成功しないからそんなに目立つことなく、妬まれることもない。ベストじゃないけど、でもまあいっか、次に期待って言えるレベルで踏みとどまるから、露骨にがっかりされることもない。小さい頃思い描いていたまんまではないけど、広い意味でやりたかったことやれているし、ここで人生終わってもまあ良かったねと言えなくもない。出会うべき人にも多分巡り会えて、子供こそいないけど結婚もできたし、裕福ではないけど、ここに至るまで不自由したこともなく、環境にも恵まれて、巡り合わせにも周りに支えられてきたことにも感謝でいっぱいだ。このまま枯れていっても、幸せだと思いながら死んでいけるだろう。でもこの生き方で面白いのか?って、ここ10年単位でなんか引っかかってた。
病気、災害、失業、いじめ、身内の不幸、周りはみんな何か一つは鉄板の苦労話を持っていて、でも自分にはない。いくら無い物ねだりでも、不幸は望まない。死ぬまでぬるま湯に浸かって暮らせるなら、そうしたい。でももし、誰もが一度は大きな不幸に見舞われるなら、遅かれ早かれいつか自分にもその日がやってくるんじゃなかろうか。挫折を知らず、そこから立ち上がる訓練も受けずに、ずっと年取ってからいきなりどん底に突き落とされるくらいなら、早い方が良かった。大人になってからおたふくに罹るとしんどい、みたいな後になるほどしんどい痛みがいつかやってくるんじゃないかと、漠然とした不安が拭えない。
多分、日本で生まれ育ったなら、ほぼもれなくどっかで災害を体験していて、非常事態の自分の心の動き、辛さを共感しあえる部分で繋がっているんだろう。でもそれすら運がいいことに(引越が多かった)、自分は晒されずに回避してここまできているものだから、被災した誰かに心から共感できてる気がしない。いざという時の備えに対して緊張感ももてず、貪欲さもないから、どのコミュニティーにいてもアウェー感が否めない。何を語るにしても表面的で所詮お前には他人事だろう?と思われてるんじゃないかってコンプレックスが湧いて、どうしても一歩引いてしまう自分がいる。きっとみんなどこかで苦難を乗り越えたからこそ、今、強く生きていて輝いてみえるんだろうな、と観客のような気分でこの世界、この時代を生きてた。のうのうと。
で今年、コロナが起きた。
世界的な非常事態となって、客観的に見ても間違いなく、初めて自分が、この特殊な状況の当事者になった。そして案の定、苦労してない俺は、挫折に弱かった。3ヶ月間、職場に行けず、ほとんど出歩けず、家で過ごす非日常の日々を体験してわかった。俺はいざとなったら、いや、いざとなっても、危機感がなさすぎて動けない。失敗体験が少なすぎて、行動して状況を悪化させるくらいなら、何もしない。何かを考えようという発想がない、世の中になんの影響も与えられない人間だった。同じ境遇に置かれた周りを見渡すと、環境にすぐ対応して新しい生活習慣に移行して、ネットワークを活用して、自分に何が必要で、何が提供できるか考えて、みんな行動に移していた。なるほど、挫折経験が産むものはそういう思考回路なのか。それに比べて自分は何やってるんだろうな。コロナの前も後も変わらず、何の価値も生み出してない。引きこもり期間、ずっとそういう思考に陥ってどんどん落ち込んでいった。今思えばそれすらも、何か不幸な自分をファッションで演じてみたかったんだろうなと、恥ずかしい気持ちになるけど。とにかく、ようやくまわりと同じ境遇になったと自覚して改めてわかったが、自分の挫折を感じるセンサーはとても鈍い。実際自分よりもっとしんどい思いをしている人はいつだって絶えないけども、同じ境遇を逆境だと受け止める人がいて、さらにその中には、それを自分への挑戦だと受け止めて、立ち向かっていく人たちが世界を変えている、支えている。それを未だ自分は恵まれているとしか思えないから、敗れて悔しくてそこから這い上がるっていう体験につながらない。そういう思考が育たない。
生き延びるために今を必死に生きている人間がいて、そういう人たちに向かって手を差し伸べることができるサバイバーが多分世の中にたくさんいて、それを求める人が大半なんだろう。それと比べると、挫折のない人間が挫折してこなかった結果どうなるかを語るような場面はほぼない。死ぬほどの苦しみを味わったことがない人の、うすぼんやりした悩みなんて悩みとすら言えないんだろう。そうやって行き場のないモヤモヤを受け止める場所、手を差し伸べてくれる先人はなかなか見当たらない。でも、それこそ自分がずっと知りたかったことだし、もし自分に価値を与えるなら、そういうニッチな生き方の語り部としてのテメエの分際くらいしかない。流されて生きてきた事例、チャレンジせずにサバイブする方法、これからも目立たないように、でもほどほどに必要とされて生きていくために、情熱のない情熱大陸みたいな話を一応書き留めておこう、いつか必要としている誰かにそっと手渡せるように。とようやく心の整理がついて、ひとまず持ち直し今に至る。
国民皆保険、基本給がいわゆるBIを具現化したものだとは気が付いてるよね
みんなが働いていれば基本的な生活は保障されてるを自給してるのが現状
それを一旦政府が吸い上げて政府が再度基本給に還付金を入れる必要がないだけ
みんなが言ってる一回回収して分け隔てなく再分配しろって言ってるのは
自分で働いて稼いだ分を知らない人になげうつ可能性を加味したものでいってみれば
正社員になって市民県民税を収めるのに追加でベーシックインカム税を払ってベーシックインカムをもらおうって話
現状はできるだけ消費が促進されて貧乏人が出し渋るけど金持ちがホイホイ買うものに課税したいなっていうのが政治の手腕で
現状働いてない人間が現金もらえてやる気が起きるこれこそベーシックインカムというならそれは歓迎だけど
現状働いて生活している人に国が供給してるサービス全般こそが「ベーシックインカム」
働いてない人はすでに働けないから福祉で生存権を立証するためだけに生かされてる
銃殺されない社会の治安とか砂ぼこりが舞わない道路とか非常事態戦前で飢餓難民が他府県に押し寄せたりしないとこ
そんなものはいらないから麻薬も銃も解禁にして警察は民営化して移動手段や土地整備も自分でやるから
その分現金で一人ずつに頂戴って換金したら一人当たり現金だと数千円とかにしかならないよ
むしろ税金をつかってみんながお金を出し合ってそういう人も働ける労働基準や団体などそういうものを作るほうがいいんじゃないかな
もうすでに現金ではないけどもらってるんだよ
たりないのはお金をつくるための労働ができない人のための労働の制度や内容についてだからいってみればベーシックワークみたいなものを導入すべきなんじゃない?
必要のない人はベーシックワークを受け取り拒否してもいいしそしてふつうの労働についたらいいし 働けない人はベーシックでいいとかみたいなかんじで
今回で嫌というほど分かったのが国は非常時に何もしないということ
分かりきってはいたけど悪化する方に舵取りして後だんまりってそこまで腐ってるとは思わなかったというか思いたくなかった
こんな非常事態にも関わらず中抜き、利権は変わらないしもう感染が広がりきってどうしようもなくなってからの責任のなすりつけ合い
20代だけどなんか長い目で見たら生きる意味分からなくなってきたわ どんだけ金稼いでもこんな世の中じゃ使いみちすらないし
老害老害言われてるけど俺らみたいな世代が老人になる頃にはもっと惨めになってるんだろうな
みたいな自己防衛の人の言葉一時期流行ってたけど日本脱出すらできないのかw
関係ないこと書きすぎた 教訓
いい映画でした。面白かったしゲストキャラもよかった。全体としては満足です。
でも切島鋭児郎を(そんなつもりはまるでなかったのだが)思ったより愛してしまっていたので言わねばならないことがある。
***
まず、爆豪勝己のことは好きです。まあだいたい少年漫画のライバルキャラって人気ですよね。人気投票でもよく1位取るしね。で、人気あるからグッズもいっぱい出るしアニメ雑誌には謎衣装の謎描き下ろしイラストがいっぱい載るしなんかやたらカワイイ感じのアニメオリジナルエピソードを作られたりするんですよ。知らんけど。
とにかく、今回の映画はスタッフ一丸となって爆豪激推し、ダブル主人公の勢いで緑谷と一緒に大活躍。かっこよかったし熱かったっすね。コンビで(というかCPで)推してる人は呼吸が大変だったんじゃないでしょうか。生きてる?
でもね。
悲しいんですよ。
爆豪すごい!爆豪やっぱつえー!かっけー!という場面作りのために切島が犠牲になったことが。
スタッフも需要わかってるから事務所シーンでやたら2人一緒に映したりとか、最初の襲撃のときに同じチームで動かしたりとかしてましたけど、かえってそのせいで残念なことになってしまった。切爆庇い合ってた❤️とか言ってる場合じゃないぞ!
だいたいね、なんですかあの敵の個性は?包帯的なもので包んだ物体を自在に操れるんでしょ?包帯的なものでしょ?まあ普通の包帯よりゃ強いかもしれないけどしょせん布よ?
はい、切島の個性はなんですか?硬化!硬いの!銃弾程度なら軽く跳ね返す硬さよ。かつ鋭いの。実際断ち切ってたじゃないですか包帯を。それなのに巻かれただけで手も足も出ねえって何?国内トップの雄英高校ヒーロー科に入ってくる男はそんなにアホか?違うと思うよ。硬化させろよ!そこで硬化して脱出を図るくらいの頭脳はあると思うよ。ある程度弾性がある?転がれ!地面を!擦り切れ!
(以下蛇足)
というかね、考えてみてください。「切島鋭児郎」なんですよ。この漫画の名付けの法則から言って彼の個性の本質は硬さよりもむしろ「鋭さ」にあるはずなんですよ。
切島自身がまだそれに気付いていない設定なのか、それとも対人戦闘では硬化より断然グロいことになってしまうからそれは少年漫画の主人公側キャラとしてマズいと作者が能力の方向性を変えた(=硬化に重きを置いた)のか、それはわからない。
でも目蓋の傷のエピソードやアームカバー導入があることから、人を容易に傷つける、場合によっては簡単に命を奪える個性だというのは時折描写されている。
(蛇足おわり)
そうやって何かしらできることはあっただろうに切島と上鳴は文字通り手も足も出ず、結局誰よりもピンチの爆豪が自力で解決。
爆豪すごいね!さすが入試&体育祭1位!とか言ってる場合か!入試2位もいるんだよそこに!インターンでクラスの誰より先に名が売れた、そして本物の現場で死に目を見た男もいるじゃんよ!
という、本当なら何かしら使えたはずの人間を、爆豪アゲのためにほったらかして木偶の坊に見せてしまった、これはちょっとスタッフのミスだったと思う。細かいところあんま考えてません、というのが透けて見えちゃった。他のシーン、他のキャラでもチラホラあったけども。
しかしよりによって切島、かつて自分の弱さ無力さを思い知った経験のある切島が、よりによって彼の最大の強みを思い出させてくれた存在である爆豪(こうやって書くとすげーな)の目前で何もさせてもらえず、爆豪の優秀さに頼りきりにされてしまったのは無念でしかない。切島がまた落ち込んじゃうよ…ああ見えてネガティブなんだから…
このシーンだけに限らず、切島はこの映画において全体的にあまり活躍していない。
(上鳴もミイラ戦では特に何もしてなかったけど、彼は使い勝手のいい個性で日常でも非常事態でもできることをしている描写がきちんとあった。ほんとあいつ鍛えればめちゃめちゃ強いというか、使えるヒーローになると思うよ)
迷子探しにお前が何の役に立つかと爆豪に突っ込まれていたように、日常の困りごとでは肉体労働くらいしかしてないし、ミイラ戦ではあの有様だったし、個性「硬化」をいかんなく発揮したのがキメラとの最終戦のみだった。
あそこはまあ、あら文化祭のカキ氷コンビねってホンワカしたっちゃしたけども、「神野を思い出すな」ってなんで言わせた?そんなカジュアルに語っていい思い出か?無理を承知、掟破りを承知で危険に飛び込んでいって苦い結果の多く残る神野戦のことをそんなふうに?
まあ「俺たちまた無謀な賭けに出てるな」とかそんな自嘲込みかもしれないしあんまり突っ込まないでおくけど。「切島」「神野」と来たらホップステップで爆豪を連想させるスタッフからの(余計っちゃ余計な)目配せもあるだろうし。
いやそのビーム(?)耐えられるなら相手にそこまで変身させちゃう前にもうちょいなんかできたのではと思わなくもないが、ここは「このメンバーなら確かにこれが最適解」と思える作戦だったからいいと思います。
私のツッコミはそれ以前に遡る。
そこ、障子だろ。
障子、そこにいるべきだろ。
えっここに来て急に障子の話する?する。
思い出そう対キメラ初戦。うろ覚えで申し訳ないけど障子に向けられたキメラのセリフ。その外見は相当イジメられたろう、という。
私もそう思う。障子は何かしら外見に関して苦い体験がある(キャラブックの記述で示唆されている)。キメラもそう考えたから、異形型個性持ちとして自分と障子は似たような過去があると直感したから言ったんだろう。
てな具合に敵と共感するところのありそうなキャラがいたら普通再戦させねえ!?させるでしょ!!似たところのある2人がなぜ片や社会に仇なす存在になり片やヒーローを志しているのか?お前は俺と同じ思いをしたはずだ、というキメラの問いかけが宙に浮いちゃってるんだよ。再戦で障子が答えを返すのがセオリーでしょ!
いやもちろん今後原作で描かれる可能性が高いしアニメスタッフが勝手に触っていい領分ではない。
でも「たとえそうだとしてもお前のようにはならない、俺はヒーローになる」くらいのことは言わせていいんじゃない?障子めっちゃかっこよくない?してよ!かっこよくしてよ!
いや障子はメチャメチャかっこよかった。身を挺してまほろちゃんとかつまくんをメチャメチャ守ってた。ほんとにかっこよかった。それは間違いない。
そこ、切島じゃね?
切島、そこにいるべきじゃね?
切島、お前の個性…「硬化」じゃね?
はいここに来て話が切島に戻った。
1Aメンバーは色々と周到に準備を整えて襲撃に備えた。しかし万が一それでも敵わなかった場合、最後の最後、文字通り盾となって幼いきょうだいを守らなければいけない状況になった場合、クラス内で適任者は誰か?
答えは切島だ。彼に基本的に物理攻撃は効かない。他方、機動力や索敵能力には欠ける。守らなければいけない誰かがいる場合、動かず護衛役に徹するのが、最も合理的かつ個性を生かすオペレーションではないだろうか。
いや分かってます、障子が残ったのはキメラとの初戦によるダメージが大きかったから、切島が前線に出たのはダメージが少なかったから。
分かってるけど入れ替えた方がもっと2人ともかっこよく見せられたのでは??と思わずにいられないんすよねえ…
たとえば初戦のキメラあんなに頑張らせんでもよかった。いや徹底的に絶望感与えた方がいいのはわかるけど、彼の強さを見せるほどに対比でミイラがメチャメチャ弱く見えるんですよねえ…何しろほとんど爆豪一人で片付けたようなもんだし…
もうちょっとミイラ戦に尺使って、爆豪が捕まってる間に切島上鳴をはじめ他のメンバーに活躍させとけば、最初の方で触れた爆豪アゲ他サゲ問題は解決、爆豪も体力温存できて、かつ自分は捕まってクラスメイトに助けられた苛立ちで敵の親玉ナインさんに向かわせる原動力にもなる。
そしてキメラ戦をもう少し抑えめにしていたら、障子も再対面が叶ってさっき触れた激アツ展開になってたかもしれない。
(最終形態にどう立ち向かうかが新たな問題として浮上はするが…轟焦凍頑張ってくれ)
あと、キャラというか個性の生かし方問題でもうひとつ、葉隠ちゃんがマジで何もしてねえんだよ今回!切島以上に何も!なんかなかったのかよ!
避難所守るのも当然大事ですけど彼女の個性は全く防衛向きではないから万一あそこで何かあっても役に立てない、なら見えないことを利用して前線で罠張っとくとかさせた方がよかったんじゃないか…スタッフさんよぉ…
さて、ここまでおおむね「切島を使いこなして欲しかった」というモンスターペアレントかな?みたいなことを言ってきたわけだけど、わかってんだよ本当は。
切島を使いこなすのってすごく難しいんだよ。
防御力も攻撃力も高いけど、言ってみればただそれだけ。正面戦闘に持ち込めなければ個性の使いどころはそれこそ誰かの盾になるくらいしかない。機動力、情報収集力には欠けるし、緑谷や八百万のような頭脳派でもない。
思い返してみれば前回の映画でも、爆豪関係で目立ちまくった一方、戦闘シーンに入るとこれといった活躍がなかった。魅せ方の豊富な爆豪や轟と比べると単純なことしかできない切島に尺使ってらんないよね、忙しいもんね。わかる。
あの神野でも、塀をブチ破った以外に個性そのものは役に立ってない。そんなふうに切島の「硬化」はなかなか応用が効かない。言ってしまえば不器用。
そしてそれを一番よく分かっているのは切島本人。
か…かわいそう…プロとしてやってくには今のままじゃダメだってすごいよく分かってて…それに追い討ちをかけるかのような今回の「バクゴーやっぱスゲー」係扱い…
作者もわかってると思うよ、あのメチャメチャかっこいいインターン中の切島回を経た上でなお、クラス対抗戦でやっぱり接近戦させてもらえないと詰むぞ〜ってわざわざ描いてるあたり…何か巻き返す手はあるのか、そもそも主人公でもなんでもない切島にそこまでページ割いてらんないだろうし、何か…何か希望をくれ プロヒーロー烈怒頼雄斗としてやっていくための希望を…
そう、やっぱりこれに尽きるんだよ、切島の個性の真の強みは爆豪の指摘通り、倒れない、負けない、ってとこなんですよね。たとえ勝てなくても負けはしない、ということが可能なんですよ彼の個性は…不器用でも華がなくてもいい、他に何もできなくてもいい、絶対倒れないヒーローに…なってくれるといいっすね…がんばって…
【まとめ 】
・障子と切島チェンジ!
・切島の使い方難しい
・切島がんばれ
以上です。
あらゆる方策を提言されても、それをやれる人間がいないのである。
銀英伝のイゼルローンに例えると、アレックス・キャゼルヌがいないのである。
はっきり言えば、どんな優れた対策を立てたところで、それを吟味してよいものだけをすくい上げる官僚のマンパワーが圧倒的に不足している。
通常業務ですら、国会中は深夜タクシー、数時間ほど寝て、また始発で職場に直行便というのがデフォルトの国家公務員である。
コロナウィルス対策で、勤務時間も足りず、予算も人も足りないものだから、使命感だけで何とかギリギリまわせるモノだけまわそうと必死にあがいているのがいまの状況だ。
過労死ラインの倍を超える残業時間で働いて、わけがわからないことになっている部署はわんさかある。
コロナウィルス対策で最初の死者は、過労状態にあった官僚だったことをもう忘れている。
誰も助けてくれない。
人を助けようと思ってもその政策を吟味し、実行可能な状態に持っていくだけのリソースがない。
一度動いた政策も、コロナウィルス対策下では、すぐに取りやめなければ危険ということが良く起こる。
これではもう、どうにもならない。
政策を実行する人が単純に足りないのだ。
民間が、最も大変だということはわかる。しかし、それを非常時に助けて対応できる人が根本的に不足している。
政府が悪いというのはいいが、じゃあ、その脆弱な政府の状態を作ったのは誰だ?
政府のせいか? いや、小さな政府を目指し続けてきた国民の責任は極めて大である。
行政サービスが極限まで求められる非常事態に、小さな政府では、そもそも対応しきれないのだ。
しかし、行政職は、専門職だ。極めて面倒な法律的事務を、他の部署から来た人間が代わりにやることはほぼ難しい。
勉強しながら対応だが、ある程度習熟しないと役に立たない。皆華やかなラインハルトや、ヤンウェンリーはもてはやすが、キャゼルヌ先輩がいかに偉大だったのか、理解しておらぬのだ。
いまの日本は、アレックス・キャゼルヌがいない。というか、いたんだけれど、給料が高いと追い出してしまった。
どうするんだろうねこれ。
私がそれを考えているというと、いったい、ひとはなにを考えるだろうか。
「コロナ禍のいま、なんて不謹慎な!他人に迷惑をかけるトンデモ増田じゃないか!」と直感した人がいるかもしれない。読者いなかったらいないだろうが。
「迷ったり、考えたりする必要なんてない!ニュース見てないのか?
連日増加し続ける感染者数、怖くてたまらないのに、近くに来るなんて言いませんように!」と恐れるだろうか?悲しむだろうか?
あるいは、「この非常事態に自分さえよければ、他人に迷惑をかけてもいいと思っている非常識な増田」という印象を受けるだろうか。
「考え直してください!実はすでに無症状の感染者でひとにうつすかもしれないんですよ!
そうでなくても、それに旅行先でウイルスにかかったら、まわりにまき散らすことになるんですよ!あなた自身、発症したらとても苦しむかもしれないのに!」
「落ち着いたら、行けばいいのに、なにも今じゃなくっても……。」
「こういう人のせいで、身内になにかあったらと思うだけで悲しくなる。」
「感染防止は家にいることが最善なのに、自己中心的考え方の増田がいて、そんなやつのためにおびえるのは悲しい、涙がでる」
「バカだから、いっそコロナ肺炎にかかって死ねばいい」だろうか?
だれかの頭の中にいる私は、「菌をばら撒く不届き者」だろうか。
私はいわゆるサラリーマンだ。幸運にも、ずっと仕事を続けられている。
リモートワークはできないとの判断があったため、コロナ肺炎が問題となり、自粛要請、緊急事態宣言が発令され、
Stay Homeと声高に斉唱されたときも、そして今も、Covid-19の話が出る前と変わらず出勤し、通勤で公共交通機関を使用する。
休業要請の対象ではないので、会社が止まることもなかったためだ。ありがたいやら……。
マイカー通勤はしていない。駐車スペースがなく、許可されていない。
1月から4月は、ご存知の通り、マスクが出回っておらず、高額なものを購入したり、
会社がどこかからかき集めて配ってくれたこともあったが、今はいくらか容易に入手できる。
おかげさまで、通勤時はマスクをしている。会社でも、マスク着用は義務付けられている。
つり革、手すりを触ったら顔やマスクに触れない。外でマスクを外さない。
それでも気になるので、自前の消毒液を買って、トイレや、不特定多数の人々がどうしても触れてしまう箇所などに触れたら、自分の手指を消毒している。
出社したら、まず入口で検温を受ける。微熱でも発熱しているのものは帰される。
オフィスは20名弱がいる。デスクはクリアボードで仕切りがされている。会議はweb会議、出張は要相談だが、基本ない。
昼休みは時間をずらしてとる。11時から13時はそれでも混みあうので、最近は15時ごろに行く。
帰りは買い物をして帰るが、必要なものがあるときだけ、それだけ買って帰る。店内を物色して回ることはしない。
それが平日。
平日にやらなかった家事だとか、電子書籍を読んだり、動画配信サービスを使用し映画鑑賞したり、友人とWeb通話もした。
外出といえば、近所のスーパーまで行って帰るだけだ。車にも乗らない。
実際の行動をつらつらと書いてみたが、誰とて似たようなものじゃないだろうか?
手に入るなら、フェイスシールドもつけられるならつけたいくらいだ。
家から出なくて済む人からすればすでに「コロナ肺炎感染被疑者」だろうか?
駅にいるのが、
大きな旅行カバンを携えた私なら、マスクをしていても、「感染しているかも、なんでいるんだろう?」と考えるのだろうか。
小さなカバンだけを持っている私なら、「マスク(感染対策)をしているし、そこまで危険じゃない、いてもいい」と考えるだろうか。
平日、通勤している私は思う、
「この人はどこから来た人かなんてわからない。昨日何をした人かなんてわかりはしない。」
外にいる人々に対して、貴賤上下をつけられるだろうか。
もしそれが可能だとしたら「感染対策をしているか、いていないか」がわかるときだけだと思う。
マスク警察を、支持するわけではない。マスクはとても息苦しいので、時には外したり、水分を取るべきだ。
私は手に入れているが、まだ手に入れづらい人も多くいるだろう。人々の理由は様々だ。
それを悪と指摘する向こう見ずさは見上げたものだが、怖ろしい、わたしが持っていたら移すかもしれないし、と感じるときは離れることで十分だろう。
私は実際、マスクをしていない人を発見したら、可能な限り、距離をとるようにしている。
それと、すべての人に家の中にいてくれと、願いたくなる気持ちはわかる。
私も叶うなら、リモートワークをしたい。家にいたい。
でも叶わない。生活費を得るために、仕事は辞められない。今しばらく在宅勤務になることはないだろう。
出勤、知らない人々とすれ違う、雨ならいつもより混みあう車内、密度が上がり、暑くなってマスクを外す人々。
毎日、毎日、これを見て、なぜ、県またぎの移動をする人や、旅行者や、外出する人々がやり玉にあがっているのだろうか、と思う。
私が、疑問に思うのは「県またぎ」「旅行」「外出」ではない。しないほうがいいのは、明白なのだ。
わかりきっている。でももう私は外にいるのだ。連日、休日以外はずっと。だから、疑問はそこじゃない。
私がどんなに感染防止に気を遣っても、あなたの住む町の駅で、マスクをしないで大声で喚き散らす人よりも、リスクの高い人間だろうか。
逆に、私の住む町にいる人で、私と同じ時間帯にいる人は、私を低感染リスクとするのだろうか?
受け入れる土地のものは、客人を選べないのだからたまったものではないだろう。
だからだれも来ないでほしい、Go To キャンペーンなんてふざけている、と。
休日に、家でできることはたくさんある。コロナ禍を機に、友人とweb通話をしながらゲームをすることも覚えた。あれは楽しかった。
ここではないどこかに、たまには行きたい。正直、もう息苦しくてたまらない。
この半年にも及ぶ自粛生活で、ずっと疑問を抱え、自宅にいられる人をうらやんで、
時にはどこぞのだれとも知らぬ人のそばに立って出勤し、趣味の旅は断念してきた。
「今じゃなくてもいい」全くその通りだ。今は行かないほうがいいな、やっぱり感染は怖いし、感染防止には家にいなくちゃな、と。
そして通勤して、だ。
「家にいたくても、仕事でそうもできない」と感じている。
「この人が旅行者じゃない、なんて誰も証明してくれない。もし旅行者なら?ずるい、うらやましい」と感じている。
旅行はできないけど外に出たくて、出張を申し出た、というニュアンスのなにかを見た。テレビニュースのインタビューかもしれない。ひたすらにうらやましい。
うらやましさも通り越して、恨めしい。
「今じゃなくて、コロナ肺炎が収束してから行けばいい」というのはいつだ?
「増田は子供じゃないんだから、駄々こねるなよ、みんな同じ状況で、みんな苦しいんだから我慢しろ」という人はきっといるだろう。
私もそれまで元気で、お金を貯めて、と考えることもある。
でも私が死んでも誰も「旅行に行かなかった」ことに責任は取ってくれない。
私は絶対に恨んで出るだろう。呪えるなら呪いたい。死ぬ前からそう思っているのだから、死んだら確実に化けて出てやろう、と思う。
疲弊していくことをだれも救ってはくれない。
別の様々な方法を試したが、それでも癒されない苛立ちや、苦しさがある。すり減っていく。
自分のために、誰かのために、と我慢し続けている。美談だろうか。私はそうは思わない。
もちろん「私が誰かから感染」したり「私が誰かを感染させる」ことも、
100%完璧な防止策をうつことはできない。そうして誰かを巻き込めば、私はきっと後悔するだろう。
私は今も悩んでいる。
私を悩ませるのは、後悔したくない気持ちと、苦しみから解放されたい気持ちから来るんだろうな。
人に「行っておいで」と言われたいけれど、言ってもらえない、その理由がわかるけど、
だけどもう我慢も限界で、精神が摩耗しているから増田に書き付けた。
同じようにどうしても行きたいけど、迷っている人がいたら、一人じゃないと、安心できるように思うが、
この時世では、どうだろうか。やはり、少数派だろうか。
インドアだから外に出られなくても大丈夫、な感覚や、嗜好だったらいいのに。
私が答えを出せるよう、私に祈りをささげて終わる。