はてなキーワード: 消極的とは
特に本筋には興味ないからトラバもしないんだけど、「誰が言ったかより、何を言ったか」を重要視する人間なんて1%もいない
世の中の人達は「誰が言ったか」を最重要視して、発言内容は見ていない
例えばネトウヨは安部元首相は統一教会との繋がりが明るみになっても、「俺達の安倍さん」が残した言葉一言一句をありがたがる
しかし岸田首相に対しては、一挙一動一投足が全て批判の対象となる
リベラルに関しては、自民党に関わりのある、自民党を消極的にでも支持している人達の言葉を全否定する
その発言の中に、リベラルにとっても恩恵のある提言があっても口汚く批判することしかしない
一方、彼らは同じリベラルから発せられた暴言や差別発言、人格否定は決して諌めない
同じ言葉が十分に政治的中立を保った人から発せられた場合は、自民党信者のレッテルを貼って袋叩きにするくせにだ
芦原先生にとって一番クリティカルだったことは、9話と10話の脚本を執筆して、その評価が芳しくなかったことなんじゃないかなと思っています。
「原作通り・結末は自身で指定する」という当初のオーダーを果たすために、脚本家を降板させるという(現場的には)強行にでて、
自身の作家性を込めたオリジナルストーリーを描いたにもかかわらず、その評価が芳しくなかった(と本人が認識した)のなら、
作家としてのアイデンティティに大ダメージですよ。私は自分の作品を守る為に必死にやったはずなのに、それは求められていなかったと。
このあたりの心情は当のブログ文章からも何となく読み取れます。
何とか皆さんにご満足いただける9話、10話の脚本にしたかったのですが…。
素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです。
漫画「セクシー田中さん」の原稿の〆切とも重なり、相当短い時間で脚本を
執筆しなければならない状況となり、推敲を重ねられなかったことも悔いてます。
9話、10話の脚本にご不満をもたれた方もいらっしゃるかと思います。
どのような判断がベストだったのか、今も正直正解が分からずにいますが、
改めて、心よりお詫び申し上げます。
https://web.archive.org/web/20240127104246/http://ashihara-hina.jugem.jp/
この先生のテキストについて、自分も最初は内部告発やカウンターかと思ってしまったのですが、
本当は経緯の説明と執筆脚本に対する釈明だったのではないかと今では思います。
脚本を書いて責任を負ってしまった結果、これは自分の作品ではないと分断処理も被害者側に立つこともできなくなり、余計に苦しみを背負うことになったのではないでしょうか。
そのうえで、ブログの公表によって意図せずに脚本家を原作レイパーとして全責任を負わせてしまったわけです。
作品を駄目にしたのは自分自身ではないか、そんな感情が渦巻いてる時にこれは、より惨めに思えたことでしょう…。
先生に届けられた脚本家による9話、10話のシナリオは初稿ではないはずです。現場ではOKとされたものが、原作者監修と回されて全ボツになったわけですから、現場の士気には少なからず悪影響があったはずです。
また脚本家の方は現場に出向いてる様子で、キャストやスタッフとも信頼関係にあったことも忘れてはいけません。先生にはブログ記事にあるように、そもそも交流もなかった。
原作者権限として、あるいは契約として先生がやったことは正しいのですが、現場の感情としては正しくなくて、これが出来栄えにも影響与えたかもしれません。
なのでドラマの打ち上げにも呼ばれなかったとかもありそうで、そういうのもダメージの蓄積になってそうです。
ちなみにドラマの9話、10話の評価に関してはネット漁ればネガティブコメントはまぁあります。ただそれら全体の1割くらいで、最終回まで見た人は概ねポジティブな感想を残している印象です。
視聴率も9話→10話から1%低下してますが、これも面白さと直結している指標とは言えません。
ただ脚本家のインスタと併せて、先生が責任を感じるには十分過ぎた、という感じだったのではないでしょうか。
ブログ発表後に「最終回が変だったのはこういう事情があったからなんですね!」なんて無邪気に投稿してる人もいて、自分が先生の立場だったら本当に死にたくなるなぁっと思った次第です。
原作設定を大幅に改変しまくった脚本だったから仕方なく書いたという流れなのに、原作者が望んで書いたのに、みたいな前提になってないか?
芦原先生が脚本を書かなれけば放送できない状況ではなく、誰かに書けと圧力をかけられたわけでもないようです。
消極的な選択だったのでしょうが、作品の為に自分が書くと決断したんじゃないでしょうか。
だから余計にシンドくなってしまったんじゃないとか、そういう感触です。
ただ制作中の作品において、その問題が表出している場合、貴方が先生の立場だった場合どういう行動を取りますか?
芦原先生は正面から必死に戦った結果、「正解が分からなかった」と吐露しています。
とても難しい状況だったと感じます。
もう触れないほうがいいかなと思っていたのですが、最後に少しだけこっそりと。
本件に関しては今なお延焼していますが、原作と映像化の構造、あるいは原作者と脚本家と対立に関する議論に完全にシフトした印象です。
ですが、これは心を痛めた人間が死んでしまった事件であり、自死に至るまでの心の機微に焦点が向けられていないことは素直に悲しく思います。
芦原先生がどんな気持ちを抱いていたのか、それが明かされる日はこないと思います。
だからといって先生の心情や作品を透明化してしまうのは、なんともな感情が抱いてしまいます。
ですが、このエントリのブコメやトラバのなかには、先生に対する心情や心労に対しての洞察も多数あり、
自分とは異なる観点で書かれたそれらは、大変価値のあるものだと思っています。コメント残してくださった方々、本当にありがとうございます。
先生がなぜ「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」というメッセージを最後に書いたのか。
そのことに各々が思いを馳せることこそが、一番の再発防止に繋がるのではないかと信じたいです。
今ってポケモンはほとんどポケモン信者からしか擁護されてない。
しかもポケモン信者のポケモン擁護とパルワアンチのしかたが邪悪(ダブスタとか詭弁とか感情論)すぎて元々声が小さかったポケモンアンチの勢力まで拡大してる。
パルワールドもポケモンもどうでもいいけどポケモンの信者はヤバそうとか、無関係層の心象がアンチ側に寄ってる気もする。
翻って、パルワールドにはまだ信者はいないものの、作品そのものに対しては好評な意見や感想が多く、パルワアンチの意見はノイズとして悪目立ちしている。
冷静に見ると「キャラデザ以外は軒並み良ゲーのヒット作」という感想にしかならない。
このまま行くと時代遅れのめんどいオタクを抱えて殿様商売してたポケモンと、下品なやりかただとしてもポケモンが避けてきたことに取り組んだパルワとして、時代の潮流が決してしまうかも。。
順調に売り上げ本数を伸ばすパルモンに対して、
本数は出してるものの、ランクマッチ人口が減り続けるポケモン。
大会も、スマブラや他社ゲーと比べて今ひとつ盛り上がりに欠けるポケモン。
ポケモンバトルプレイヤーに対して「所詮クリア後のおまけ要素にすぎない対人要素にこだわるキモいノイジーマイノリティ」とまで言われる、ポケモン。
パルモンの登場で、
「結局ポケモンの魅力はキャラの可愛さだけだったのでは?」「ゲーム性はなんでもよかったのでは?」という疑問が生じるのは自然の流れだった。
また、「登場キャラのかわいさかっこよささえ同品質なら、ゲームとして完成度が高い別ゲーの方がむしろユーザーにとっては嬉しいのでは?」という流れになってしまうのは時間の問題では?と感じている。
ポケモンはこの先、今と同じ開発の仕方や売り方でいのか?
ここから株ポケが、踏み躙られた尊厳を取り戻し、ポケモンの面白さや魅力や人気は揺らぐものではなく、ポケモンは唯一無二の存在であると示す方法は何か。考えてみた。
・パルモンを訴えて裁判で勝つ
法律は詳しくないから勝てるかは知らん。だが石にかじりついてでも勝訴かポケモンに有利な和解しかない。販売停止や損害賠償とまでいかなくても、デザイン差し替えくらいは最低限。
ひとまずの逃げにはなる。
・パルモンの開発者を買い取る。
パルモンはロードの速さやUIの良さも評価向上に一役買ってた。他ゲーをやってたら嫌でも直面する目に見えないストレス要素が本当にないらしい。
たしかにポケモンもアークも目に見えないストレスがメチャクチャ多いので、ここに力を注がれているというだけでとても評価したくなるし、コンテンツばかり膨らましてこういう細かいけどやればできるところを手抜きされると「殿様商売」と感じてしまう。
ロードは、ハードの制約もあるから簡単にはいかんだろうが、UIや諸々のバランスデザインに関してはできるやつがあそこにいることはわかってんだから買い取れば良くない?
金はあるだろ。
大企業の意地をみせろ。
開発力や企画力で負けるし勝つ気がないならグッズの収益だけの会社になればよくない?
あと剣盾やスカバイの擁護が「シナリオはいい」とか「キャラはいい」とかしかなかったからアニメも残そう。ゲームである必要はなさそう。
ピカチュウもキティちゃんくらい尻が軽けりゃ今回のパクリ騒動でもオタクは「ポケモンちゃんはそんなことしない!」なんてお気持ちにならずに済んだ。
・もっとポケモン自体を面白くして盤石な作品となり信者を安心させる
パルモンってたしかにガワはポケモンに似てるけどやることは結構違うやん。なのに信者がこんなにキレるのはやっぱなんか劣等感があるからじゃないかと思う。
アクティブユーザー数は単純比較できないが、現在のポケモンのランクマ人口は約42万人と言われ、パルワの同接に見劣りしているのは事実である。
もっとランクマ人口を増やすようなポケモンの面白さとは、何か。簡単である。
・カイリューをレギュ落ちさせる。
このムーミンもどきのせいでランクマを辞めた人口はおよそ日本の人口の6割程度にのぼると言われている。ただちにカイリューをレギュ落ちさせるべきである。それが無理でもしんそく没収など何らかのナーフは必須。これだけでランクマ人口は爆増間違いなし。
・メガシンカを復活させる。
テラスタルもダイマックスも戦略や戦術の幅が広がる良い試みではあるものの、やはりメガシンカには劣る。
メガシンカによってこれまでガチのマジで日の目を浴びなかったポケモンが使用頻度Sランクまで上り詰めるのはみてて楽しかった。
また、変身モーションもとてもかっこよい。トレーナーとポケモンの絆によって実現するメガシンカは、ポケモンというコンテンツの文脈ともマッチしている。
あと、派手な種族値で派手に殴り合うさまはやっててもみてても爽快。
メガシンカはあるポケモンと無いポケモンがあるため、不公平だと言われていたけど、当時6世代は基本的に全種族がレギュ入りしていた。現在はそもそも種族に当落があってどうやっても不公平で使いたいポケモン使えないこともあるんだから今の方が消極的な意味で不公平感薄まるのでは?
というか、綺麗事はもういい。ルカリオだけいいからメガシンカを返してほしい。なんならメガシンカじゃなくてもいい。3段回目の進化として追加してくれ。
Zわざはべつにどうでもいい。だけどトレーナーがニョキニョキ動くのは気持ち悪いからもし復活させるならあれはカットしてほしい。
よくご飯が例にあげられるけど、
何食べたい?→なんでもいい
と言うやつは本当になんでもいいのか
それとも失敗するのが怖いのか
決めるのが面倒なのか
優柔不断なのか
この前2択まで絞って提案して、うーんうーん決められない!って言われた時はどうしようかと思った
まさに消極的な女の発想で草過ぎる
凄い嫉妬心を感じる。
今までにない嫉妬心を。
俺の人生はなんだったんだろう。
どこでこんなに差がついたんだろう。
出社するのが苦しくてしょうがない中で、休日出勤もして、それでも社会の何処にも居場所を感じないクソのような仕事。
でも世の中には大卒3年で世界的な偉業に巻き込まれ、その中でちゃんと結果を出している人がいる。
飛び込んでいった勇気と、それを実現する実力、自分を信じられるだけの積み上げの結果があったんだろう。
大学卒業すぐの段階でクラフトピアに関わっていたらしいが、その時どんな気持ちだったんだろう。
ゼルダとフォートナイトのグチャグチャのキメラみたいな代物を必死に耕す日々にどんな意味を感じていたのか。
でも間違いなくその段階でも既に世界的な知名度を持った作品のインフラ部分に深く関わっていた。
ベンチャーに飛び込みその中で生き残れるだけの力を持っていた。
一方で大卒直後の俺には何もなかった。
大学の講義の内容でちゃんと学べてるのは2回生まで、3回生からは誤魔化しの連続で何とか単位を取り、ゴミのような卒業論文を出して逃げるように学士を取った。
社会に出て役に立つ技能なんて全然なく、趣味でやっていたことは仕事に全く繋がらず、消極的な減点減らしのために敬語やマナーの勉強ばかりしてた気がする。
俺には何もない。
そういえば高校時代の知り合いがサークルの中から在学中に漫画家になった人が出てきたと言ってたな。
悔しい……才能のある人間が羽ばたく年齢になるまで結果を出せなかった奴らは恐らくずっと社会の底辺をのたうつんだ。
基礎構造の中を這いずり回ってメンテナンスをして回っているとでも言い張れば少しはマシに思えるのか?
でも俺がしているブルシットなジョブが社会の役に立っているとは思えない。
業界ごと消えてなくなれは言い過ぎだが、半分の規模に縮小して丁度いいぐらいだろう。
そしたら消える半分の側にきっと俺はいる。
だから俺はもうとっととここから逃げ出すべきなんだが、なにもないから怖くてそこに居座っている。
なんだったんだこの人生は。
人生を主役として生きている人間がいるのを見ると、悔しくてしょうがない。
今は脇役でさえない。
本当に単なる名も無いモブなんだ。
それでも苦しみがなく生きられるなら良かった。
今が苦しいから、それに何の見返りも感じないことがこんなにも悔しい。
そんな中で結果を出している若者がいる。
苦しい。
アンチになりそうだ。
○ご飯
朝:なし。昼:パン。夜:唐揚げ。ポテト。ビール。間食:チョコ。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、ひまー。
えるふは考えることが多くて大変だ。
それと青紙については積極的な人たちが色々とロビー活動をしてくれたおかげで、消極的な僕みたいなプレイスタイルだと得するみたいで嬉しい。
ストーリーも読みたいし今年は十天超越を頑張ろうかな。
120までは全員終わっててタイミングもいいし。
ディズニーのグッズ買い占め騒動が、テレビのニュース番組でやっていた。
https://www.fnn.jp/articles/-/644161
かれこれ20年以上、ディズニー界隈を追いかけてきた私としては、「何を今さら騒いでるんだ」という感じ。そんな私が、今回の騒動を増田民にも分かりやすく解説するぞ。
グッズの発売日
↓
転売ヤーによる買い占め
↓
SNSで批判の声が高まる(旧Twitterで呼ばれる「学級会」)
↓
↓
マスコミが取り上げる
↓
↓
買い占めが落ち着く
↓
売り上げが落ちる
↓
↓
転売ヤーによる買い占め
↓
(以下無限ループ)
今回どうして、こんな大きな騒ぎになったかというと、主に3つの原因がある。
一つ目は限定グッズを売っているお店に入れる整理券(スタンバイパス)が、一人で何度も取れるようになっていたこと。
中には、店内で整理券のキャンセル拾いをしてた奴もいたらしい。
二つ目は、レジで入場券による認証(チケット認証)をやらなかったこと。
これがなければ、一人で何度もループすれば、いくらでも買えるわな。
まあ、チケット認証をやっていたとしても、転売ヤーは一人で何十枚もチケットを買ってるわけなんだが…。
三つ目は、一度の会計で、同じグッズは「3つまで」買えるようにしたこと。
一度の会計で、一つのグッズは3つまで。いろんな種類のグッズを集めれば、そりゃ大量に買えるわ。
私も正直言って「今回は甘すぎないか?」と思った。
もしかしたら、1月は客が少なくなるから、運営会社がグッズを売りさばくために、わざと甘くしたんじゃないか?と思ったぐらいだ。
今回話題になったのは、ディズニーシーにいる熊「ダッフィー」のグッズ。日本人だけじゃなく、実は外国人の人気も高い。
その中でも一番人気なのが、中国人なんだよ。
実は多いのが、日本に住んでる中国人が、中国本土に向けて売りさばくケース。
中国のウェイボーなんかを見ていると、グッズの発売日が近づくと、
「買うのに協力してくれないか」
「オンラインの通販が使える権利をもらう代わりに、安く入場券を売ってあげる」
なんて誘い文句が並んでる。
昨年4月のダッフィーグッズ発売日でも、大量の中国人が深夜から入園待ちしてな。
運営会社は、スプリンクラーの水を撒いて、散らしたこともあるぐらいだったwww
上海ディズニーランドでも大人気で、転売ヤーによる買い占めも問題になってる。
・レジで入場券の認証をして、一人で何度も買えないようにする。
・グッズの購入は「一人一つまで」に制限する。
ただ、最近はこういう規制を厳しくするとグッズが売れ残る、売れ残ったグッズを半額で売りさばく…ということもあった。
運営会社としては、とにかく売り切りたい!数字を上げたい!その一心だったのかもしれない。
まあ、私が発注担当者だったら、売れ残って怒られるより、売り切って上司に評価されたほうが、会社員人生を考えると絶対にいいよな。
そもそも、ディズニーのグッズの販売サイクルが短すぎるのも問題。
何度も来るようなリピーターが多いから、金を使わせるためにグッズ投入が必要。
ただ、イベントは2~3か月単位だから、終わるまでに売り切らなければいけない。
企画→開発→発注→製造→検品→輸送…という流れを考えると、通年で売るようなグッズを除けば、おのずと生産ロット数は絞るはず。
しかもディズニーのグッズの怖いところって、売れる商品と売れない商品が、全然予想がつかないところなんだな。これは長年通ってる私にも分からん。
マニアックなグッズが、SNSで話題になって売り切れる…という例もある。
昔はイベントが終わった後に、売れ残ったグッズを従業員用の店舗(キャストショップ)で半額以下で売りさばくこともあった。
ただ、最近はメルカリで転売する奴もいるから、運営会社も消極的になってる。
西はどうなんだ?って思う奴もいるかもしれん。
・転売による高値取引をさせないために、販売価格は事前に発表しない。
・一日ごとに販売数量を決める(一度に売り切らない)。
こんな感じらしい。まあ、ディズニーでやってる対策もあるわな。
ユニバはアメリカのユニバーサルの直営だから、グッズの売り上げが低くてもやっていける。
胴元に金を払わなきゃいけないから、グッズは売れ残るより、売り切れた方がいい。
そんな判断なんだろう。
「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた
おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる
結論から言うと、明治元年(1868年)ごろから急速に地震鯰信仰は失われたと思われる
オランダの辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した
鯰絵が大流行した
しかし「鯰絵が流行した=民衆は地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……
というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化けや妖怪の実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる
お化けや妖怪の実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚は21世紀に生きる人間の感覚だろうか
『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまり読まれなかったのだろうか?
江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?
当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?
鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査は図書館か本屋で資料を入手してからになる
小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物
地震の原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている
こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか
西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする
明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた
これによって明治に生きた若者は地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう
「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……
また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?
民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?
M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ
この地震を体験したジョン・ミルンというイギリス人が地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した
濃尾地震
科学者が地震調査のため派遣された、のような記事が新聞に載っている
ただ「鯰絵が描かれた=民衆が地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう
『江花叢書』第1巻
当時のエッセイ的な読み物
関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある
一部引用する
鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、
「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る
「おじいちゃんが子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ
科学とか西欧合理主義が流行った結果、地震鯰信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ
ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい
先に読んだ方が民俗学的視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない
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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない
あるいは調べ方が悪いのか……
幕末の日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?
もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか
見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない
儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい
日本の儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸の民衆のその説をどの程度認知していた?
あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か
日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方は観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない
調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史を選択しておけばよかった
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また、火山、雷雨、地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある
ナマズが俗説ってそういうこと?
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しかし本来は本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事と関係ない本ばかり買って読んでしまう
悲しいね
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トラバやブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率で不毛なので)、今回は必要を感じた
鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感
ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズが地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……
これに強い疑いを抱く
しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロの研究家が思いついていないわけがない……
なにか根拠があるはずと信じる
清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない
追加調査は資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い
追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある
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先行研究
神や仏に敬虔に祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる
この庶民の信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治に来日したアメリカの女性教育者、アリス・ベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘で不可思議な事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感を私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。
考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ
この引用箇所は別の文献からの孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……
該当箇所は『逝きし世の面影』という本からの引用……kindleあるじゃないか、買います
これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない
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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴンは実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか
(「実在」という言葉の定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)
同様に幕末の江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化けは実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある
山本太郎のヒロイックシンドロームを満たすため、それ以外の(れ新にとって)合理的な理由を挙げます。
衆参・地方含め、石川及び福井富山にれ新候補者が擁立されたことはない。一応新潟には蓮池氏がいるが、選挙としては参院比例からの出馬であり、この震災でも動きが見えない(被災されているのかもしれないが)。
衆院選では、もともと東京8区からの出馬を予定していた辻村氏を比例北陸信越ブロックに飛ばし、山本自らが東京8区に野党統一候補としてなり替わろうとした。その後の顛末はみなさんご存じの通り。
というかれ新は地方組織を全く作らないという運用を続けており、50名ほどの地方議員が誕生していても県連的な組織はない。
他の党であれば地元議員や地方組織が活動できるが、ボランティアをやりがい搾取でこき使っているれ新にはその手駒がない。
よく言えば独立独歩、悪く言えば減税狂信者であるれ新は、これまでなんだかんだ理由をつけて内閣不信任案を棄権するなど、主に立憲から距離を取りつつ減税による野党共闘のヘゲモニーを狙っていた。
去年、あれだけ全国各地でバカ騒ぎを起こして増税に反対していたのはそのためである。
しかし先の臨時国会では、安部派の裏金問題に野党が、それも立憲が中心となり一致団結するという事態になり、山本太郎としてはそれはそれで面白くない結果となった。
また、立憲はれ新の存在理由である消費税減税に消極的であり、市民連合もそれを共通政策に入れないという背景がある。櫛渕が市民連合の要望書を「受け取っただけ」とわざわざ付け足したのも記憶に新しい。
折りしも、山本太郎が能登入りを公にした1/5は、各党が能登視察を自粛する申し合わせを行っていた。大石曰く、れ新と社民党がその会談に参加できない、という話は事前にあったということで、能登入りの決め手になったとも考えられる。
1/1の発災から沈黙を続けていた山本太郎は、いまも党として声明の一つも出してはいないが、1/4には支持者向けメールで能登入りを明らかにしている。どこを向いて行動しているのはこれで明らかだろう。
というわけで、いまは構成員からボランティアまで活き活きと与野党叩きに勤しんでいる。れいわローテーションの延期なんてだれも気にしていない。
支持者とアンチにしか共有されていない事項だとは思うが、山本太郎は災害時に飛び出していくという性質がある。
例の国葬儀の日は静岡の台風被害地に訪れ、その後の集会にわざわざ泥で汚れたスニーカーで参上した話はもはや英雄譚として語り継がれている。
というか、山本太郎が何かしらしでかすことこそが、れ新がピックアップされる唯一のイベントといってもいい。
2022年12月の代表選挙で、対立候補であるはずの大石や櫛渕はなんと主張したか? 「山本太郎を野に放て」である。
たとえ自分たちが選挙に勝っても、山本太郎が直前に創設した共同代表ポストに据え、自由気ままに活動してもらう、というのであった。
なので、山本太郎がしでかした時点でもう目標が達成している。通常国会が楽しみですね。
増田は人として正しい。たぶん
翻訳すると、『検査して自分も障がい者だったら嫌だけど働きたくない』 or 『既に検査して定型発達だったが知的グレーだった。生きづらい』だぞ
プロ弱者狙うならガチャ回しまくって発達認定を何が何でも貰うのがいい。もうそれはしんどい状態😫なら、
複雑性PTSDでいくといいと思う。本人に知的に特別な問題がない(少なくともグレーの範囲で済んでる)なら、問題があったのは親と教育だろう
複雑性PTSDからの鬱病・適応障害・統合失調を狙っていけばいいと思う
消極的に働いてもいいけど障がい者と働きたくない😫は、なぜ自分自身が障がい者と同じ職場で働くことになっているのか考えた方が良いと思う
また空っぽな明日だ なにかにもなれずに 驚異的な変化を求めている 空っぽだけど
日本男平均寿命81 あと51年 あと誕生日ケーキ51回 ハッピニューイアー51回
おれは熱と変化を愛している
すごい消極的に生きている でももうそこはあきらめている なんとなく生きている
消す これからの人生足すのではなく消していく いままではプラスに 今度は引いていく
まあ死ぬときになにか写真を残してもいいけど 韓国ASMの動画が消えてた いつも何度でも まあいいか
機会損失 損切 これも人生 なにかを得るにはなにかを捨てないとだめだ おまえは何かをいままでたくさん得てきただろう
だか同時に気づかないだけでなにかを捨てないといけない 公務員年齢制限 全職種すべての国の生活水上生活 青春 甘酸っぱい
だるま みつい 逆になんとなくがダメな理由 逆にご主人以外はダメなの クソムシガ 雨触手シナプス動画
キャリアの後悔を分析 80歳になればキャリアはどうでもよくなる 人間は忘れる生き物
夢は忘れる 正しく生きたい キャバラウンジに恋できるのは才能 やることリストつくるかどっちでもいいけど
なんかどうでもよくなってきた すべて もうないよ もう書くことないよ