はてなキーワード: 東映とは
たまたま時間合ったから見に行ったんだけど、年齢層がクソ高いというか老夫婦しかいねぇ!70~80代。こんなの初めて…一応時代劇だからだろうか。
君の色もやってて、突発的にうわ観てぇ!ってなったけど、儂って部活モノ駄目なんだよね~。人間関係のトラブルが駄目。ラブコメはいいけど、三角関係とかになるともうツラい。スクイズくらいドロドロだと逆に好き。
で、映画。会津藩ってのが絶妙よね。戊辰戦争…ポポポでひでー目にあって、そこ触れてくれたのはよかった。
ヒロインが女性助監督ってことで、セクハラ問題とかそういうの出てきたら嫌だなと思ったが描写なく、皆紳士であった(現実として東映とかではやってたわけだし、問題提起として描写すべきというのも分かるが、でも創作内で解決してめでたしめでたしにもならんし、ストレス展開で終わっちゃいがちじゃん?ねぇ)
タイムスリップつーことで、展開でどう辻褄合わせるかって気にしちゃうが、ケガで記憶喪失ってのはベタだけどまあアリ。
ギャグもベタだけどまあ面白い。あーまた過去に行く展開ね、と思わせてハズしたり、忘れたころに出てくる大御所俳優がアイツとか、タイムスリップ展開として結構よくできてる。個人的にメタ展開とタイムスリップ展開は好きで、前者は特撮の白倉P、後者は小林靖子がメチャ上手いんだよね~
いい人しか出てこない、基本的にストレスフリー展開(クソガキは出てくるがまぁ侍にも非はあるし)なのはすずめの戸締まりっぽい。そっちでネコを酷い目にあわせるなんて!って感想がわりとあって、を繊細すぎだろ…って呆れて見てたんだけど、いつのまにかワイもギスギス展開ムリになっちゃってたんだなーって。
真剣勝負について、あらかじめ逃げ道塞いでるから、どうやって誤魔化すねん…このまま動かないオチ?丸顔乱入?と思ってたら斬ってマジかと思ったら虚構オチであった。まあテーマ的にもスジは通ってるが。
最初はそうでもなかったが、見てるうちに侍のオッサンに愛着湧いてくるのと、マゲやめたら普通のオッサンに見えるな…いや元々は現代の普通の役者のオッサンなんだよな…ってのがメタ構造ぽくて面白かった。
美味いと評判の店に行ったら普通に美味い定食が出てきて満足、みたいな感じ
ネタバレにならない程度にレビューちらっと見たら、恋愛要素もちょうどいい感じ、って書かれてたが、実際色んな要素がちょうどいいんだよね~
これ、映画好きなら気になるとこやもんな!
両方とも日本の有名な映画会社やけど、得意分野とか歴史がちょっとちゃうねん。
ほな、ざっくり説明するで!
• 代表作品: ゴジラシリーズ、シン・ゴジラ、クレヨンしんちゃん、スタジオジブリの作品(配給)
• 得意分野: 怪獣映画や実写映画、そしてアニメ映画の配給が多いんや。特に、ゴジラなんかはもう東宝の看板キャラやね。
• 傾向: ハリウッド的な大作映画も強くて、邦画やけどスケールがデカい。あと、スタジオジブリと一緒にアニメ映画も多くやってる。劇場の「東宝シネマズ」も有名やで。
• 代表作品: 仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ、ドラゴンボール、ワンピース、プリキュア
• 得意分野: 特撮(仮面ライダーとかスーパー戦隊)とアニメがめっちゃ強い!東映アニメーションっていう子会社があって、アニメの制作もやってる。ドラゴンボールやワンピースみたいな超有名作品もここから出てるで。
• 傾向: 子供向けの特撮やアニメ、ヒーロー物が多いねん。日曜の朝に見る「スーパー戦隊シリーズ」や「仮面ライダー」はもう定番やろ?アニメでも「東映まんがまつり」って昔からの伝統があるんや。
風の噂はやはり信じないほうがいい。
侍タイムスリッパーを見てきた。下ネタは一切ない。安心してほしい。
結果として大満足だった。
事前情報で自主制作映画ということ聞いていたので「素人大学生」が「iPhoneや小型カメラで自撮りする」「大どんでん返し!」系の映画かと思ったら、主演は山口馬木也。知る人ぞ知るイケメンミュージカル大河ドラマおじ山口馬木也。
脇役も「多分どっかで見た」人たちである。
カメラワークは固定手法。これは「時代劇」を撮影するには必須なのだが、この手法だからこそ「あの時代」の時代劇を描ける。
あらすじだが「侍が現代にやってくる」という、どっかで見る設定だ。記憶では映画だと「ちょんまげぷりん」ドラマだと「サムライせんせい」…どっちも錦戸亮がやっていたが、まあ大きくテンプレからは外れたりはしない。
しかしそこに「時代劇愛」をぶち込んだことで、この映画は成功に向かったのだろう。侍が時代劇にハマることでシナジーが生まれた。
ストーリーもさることながら作品全体から時代劇愛が伝わってくる。
殺陣は自主制作ながら本格的だ。というか大手配給作品であっても適当な殺陣はたくさんあり、時代劇も例えば「るろうに剣心」のような現代アクション殺陣が好まれだしているので、忘れかけていたドラマ時代劇でよく見た「殺陣の美学」みたいなものを再認識できる上で、さらに一段上に行く殺陣を見せてくる。
侍はやはり殺陣がうまい。俳優には勝てない…みたいなストーリーと画面の説得力の裏にはフィクションがある。その構造が見事だった。
ここで自分は時代劇が好きなのか?という話をすると、そうでもない。嫌いではないが、正直時代劇を毎週見ていた世代ではない。
しかし、なにかを好きだと叫ぶほどの愛がこもった作品はなんだって心地いい。時代劇に想いを馳せるのも悪くないと思える。
さらに一つ、幕末の侍の運命も描かれる。典型的なお笑いシーン(客のお子様大爆笑)が全編に散りばめられた中で、グッと作品を引き締める効果が最大限に発揮されていた。
粗さはある。東映撮影所協力なので自主映画っぽさが消えてしまうのだが(時代劇撮影所ってすごいな)なんたって脚本もカメラも編集も一人でしているのだから。助監督役のヒロインが実際の助監督だしメインスタッフが少人数にもほどがある。ただ、確実に素人が作ったようなものではない。
『英二』は、1999年に公開された日本の映画。 黒土三男監督の3作目の作品で、長渕剛の主演映画第3弾である。 フジテレビ制作・東映配給。 1988年にTBS系列で放送されたテレビドラマ『とんぼ』及び1997年にフジテレビで放送された『英二ふたたび』のその後のストーリーを描いた作品。 ウィキペディア
あらすじ・ストーリー 失踪した妹、あずさを探しに熊本にやってきた英二。 そこで彼は、あずさの悲惨な過去を知る。 そんなとき、英二が心引かれた薄幸の中国人女性メイホワに村川組の魔手が迫る。 解説 '88年の人気TVドラマ「とんぼ」で生み出された孤高のキャラクター、英二のその後を描くファン待望の一編。
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ガールズバンドクライがクランチロールで配信されていないのは有名な話だ。
クランチロールは大量の日本アニメを英語話者向けに配信している。当然だが、配信先の市場サイズは日本国内よりはるかに大きい。新作アニメも大量に配信されている。ところが、今期のダークホースと言われたガルクラはクランチロールで配信されていない。これについては憶測がいくつかあった。
1. はネットで見かけたが、説得力がない。ポピテピピックですら配信しているのに、ガルクラがだめなわけがない。2.は私が考えたのだが、ガルクラに未成年の飲酒シーンはないし、勧めてもいない。未成年に飲酒を問うシーンがあったぼざろがOKならガルクラもOKのはず。
一方で、こんな記事がある。
つまり、ガルクラは最初から海外展開を狙っていた。そのための仕込みにも金をかけている。ところが蓋を開けてみると本命のクランチロールで配信していない。東映アニメーションには看板作品のプリキュアがあり、クランチロールで配信している。だからクランチロールが東映を避けているということはないだろう。
憶測だが、東映アニメーションがクランチロールの契約パッケージを拒否しているのではないか。何らかの事項が自分たちが展開したいビジネスと整合せず、そのせいでサインを拒んでいるのだろう。
先の記事を読む限り、東映アニメーションは音楽に関しても事業展開を望んでいたようだ。しかし、アニメを根幹に据えた音楽でアニメの配信をやっていないのでは、事業展開どころではない。
東映アニメーションはガールズバンドクライをどうしたいのだろうか。仕込みに金をかけて肝心の配信ができないのは営業部門の大失態に思える。が、もともとが映画会社だし、それほどコンテンツを粘り強く展開させる気はないかもしれない。
「あー、だめでしたね。次行ってみましょう」
くらいの気持ちかもしれない。
ワーナーのが一番好き。ロゴ自体がかっこいいので印象的。ハリーポッターのも印象的だけど、マトリックスのやつが一番かっこいい。
コロンビアの女神はイジり映えする。MARVELのアレが続かないとちょっと違和感すらある。
ユニバーサルのはこれから映画だぁって感じがする。BGMがなんとなくBTTFっぽい。
東映のハイパースペースみたいな背景から無音でボォ……と浮かび上がってくんのも嫌いじゃない。ゴジラの鳴き声が聞こえてきそう。
でもパラマウントはなんかつまんない。
配給会社は印象的だけど、制作会社?は種類多いからあんまり覚えてない。
なんか三日月に乗ってるやつが釣り糸垂らしてるやつは割と覚えてる。
木に雷が落ちて葉っぱが生えるやつはかっこいい。
あと最近ジェットコースターが落っこちるやつもよく見る。アリババだっけ。中国かどっかのスタジオ。
エンドロールは長すぎるので嫌い。ポスクレがあった可能性にモヤモヤするのが嫌だから一応待機してるけど。エンディングの短さは大真面目に邦画の良い所の一つだと思う。
県二位の人口22万人の中核市であり、太平洋に面する港町、臨海工業地帯、外航・内陸航路の工業港を有し、東北新幹線八戸駅、東北自動車道八戸線、三陸復興道路の北の終点がある。東北有数の商圏63万人の街。
しかし、八戸市にはイオンモールがなく、イトーヨーカドーは2024年の夏に閉店する。
八戸市の映画館はかつて7館あったが、現在は完全になくなった。
2000年代前半4万平米級のイオンモール計画が立ち上がるも、中心市街地の地権者や有力者等で構成する市の商工会が大反対運動を展開。当時の市長はイオンモール反対を表明するも次の選挙で市民の支持を得られず落選。
イオンモールを待望した市民は、官僚出身の新市長を当選させた。しかし、外部の反対派寄りの専門家や学識経験者を交えた委員会を開き、最終的にイオンは過剰な商業施設であり不要と決定。そして、八戸市は事実上の1万平米以上の商業施設立地規制条例を制定し、イオン予定地は、当初計画を大幅縮小した売場面積7千平米級の中途半端なイオンが開店した。
さらに、市はそのイオンの隣により大きな建坪で市の総合検診センターを建設。土地区画整理組合への補償のためだと思うが、未来永劫、増床してイオンモールにすることはできなくなった。
その結果、市民は昔からある隣町のイオンまで車で約15kmから20km車で行く。
車がない高校生は1日に4便しかない直行バスに長い行列をつくり30,40分かけていく。
街の顔である中心市街地は、税金や補助金を投入し続けたが商業エリアとして魅力は下がり続け集客力は改善せず、事実上シャッター街に近い状態になった。
かつて市民のデパートとして親しまれたヨーカドーは市内に2店舗あった。1980年中心街の再開発ビル(地下1階、地上7階建、屋上遊園地)にヨーカドー八戸店出店計画が出て、当時の市商工会議所は大反対をした。市民には大歓迎されて開店してから東京の有名なデパートとして八戸の目抜き通りのシンボルとなった。その後2003年閉店。
古いビルは壊され屋台村になり、かつての長崎屋は1階がタリーズコーヒーで、2階から13階建のマンションになった。
市は20年ぐらい前には既に中心市街地活性化対策に乗り出し、再開発計画が出ては消えを繰り返し、最終的に新市長が市営の箱物をたくさん新設したり、建て替えた。
中心街は仙台に次ぐ飲み屋街として名高く、屋台村のみろく横丁周辺が酒豪の呑んべいたちで賑わう。新幹線開通後、新たなホテルやマンションはいくつか建設された。
市内は、北東北を中心に展開する売上高1300億円、58店舗を展開するスーパーのユニバースが本社を置き市中を治めつつ、他社も含め無数にスーパーとドラッグストアがある。イオン系列マックスバリュー、ホームセンターのサンデー、ヤマダ、ケーズデンキ、ユニクロ、GU、しまむら、西松屋、ワークマンもある。日常の買い物には困らない。
しかし、市民は屋内一体型モールのイオンモールが欲しかったのだ。大規模な市総合検診センターでもなく、市の観光文化交流施設や、市民屋内広場ではなく、イオンシネマやゲームセンターやボーリング場や、未来屋書店や、東京のアパレルテナント、東京で話題のある飲食店のフードコートが欲しかった。
明治時代に日本鉄道が東北本線を八戸町の中心部に伸ばすかどうかで議論になった。
当時は他の町と同じく蒸気機関車忌諱説があり、流行病の懸念や軍部の要望があり外国軍上陸の脅威を減らすべく、市街地から4kmも内陸の尻内(しりうち)という辺鄙な場所に駅をつくった。あとで町民たちは鉄道は便利だと知ることになり、数年後に本線から分岐して八戸線が開通し中心市街地の800m北寄りに旧八戸駅、現在の本八戸駅を開設する。
そのあと100年以上が経ち、尻内駅は八戸駅に駅名が変わり、やがて新幹線駅に昇格した。しかし、あまりに市街地から離れすぎた立地のため、郊外の地方空港の様相であるかのように、22万人都市の玄関口としてはお察しくださいの状態である。
大正末期に八戸大火が発生し中心商業地区が焦土と化したが、田舎町には後藤新平のような都市計画家はおらず、当時の八戸町議会は多額の予算は出せないとして狭い道は藩政時代のままとなった。
太平洋戦争では基幹産業の日東工場爆撃が海側の地域で爆撃を受けるも、中心市街地の空襲被害はほとんどなかった。
市の北側に位置する旧日本軍の飛行場と基地は米軍に接収され、3,200人の米兵により飛行場を拡張し基地の街と化す。その後、陸海自衛隊基地として運用される。
八戸の中心市街地は、戦後しばらくして、東映、東宝、テアトルなどの7つの映画館が開店し、地元百貨店が開店し、緑屋、ニチイ、丸光(さくら野)、長崎屋、そしてイトーヨーカドー、地元資本のファッションビルが開店し、中心市街地は岩手県北を含め商圏62万人ともいわれ栄華を極めた。私はその時代を生きていないのでよくわならない。
八戸は昭和30年代に新産業都市に指定され臨海都市建設工事が始まり、八戸鉱山の石灰石産出、三菱製紙工場、八戸火力発電所、非鉄金属の精錬所、鉄工所、造船所が建設された。
漁業は栄光を極め、八戸港の水揚げ量・金額が日本一を記録し、第一・第二・第三魚市場は全国の漁船が集まったという。浜の景気は大変良く、飲み屋街や風俗街も発展した。北海道室蘭・苫小牧港へのフェリー航路が開設され北への玄関口となった。中心市街地を迂回する国道45号バイパスが整備され、市道の4車線の環状道路が次々と開通し、田畑の区画整理が次々と進み新興戸建住宅地や住宅団地は郊外に市街地は拡大し、市営バスは路線網を拡大し小中高校は増設を続けた。
一方で、青森寄りの天間林村(現七戸町)の上北鉱山は銅が枯渇のため閉山。また、八戸から60キロ北の六ヶ所村では新全国総合開発計画による巨大石油化学コンビナートや製鉄所を中心とした、1万7000ha開発計画は発表されたが、二度のオイルショックで完全に頓挫した。石油備蓄基地のみがつくられ、のちの日本原燃による核燃料サイクル施設建設を待つことになる。
青森県議会は東北新幹線建設に際し、八戸経由か弘前経由か決められずに結局盛岡駅止まりのまま以後八戸延伸まで20年待ちとなる。あの頃、早く決めていればとおもうと悔やまれる。
1991年に長崎屋が郊外に移転。屋内遊園地つきのラピア長崎屋が開店
1994年 年末に三陸はるか沖地震(震度6)が発生、旧市庁舎、旧市民病院に大きな被害、中心市街地のビルが倒壊し死者発生、道路の崩落、水道管破裂など多数被害
1995年 隣町にイオンモール下田が開店(現在は売場拡張し53,277平米)県南地域では最大の売り場面積を持ち、当時は大観覧車があり田んぼと山がよく見えた。
1997年 中心市街地の市民病院が郊外に移転し、いよいよ中心市街地の危機が地元紙で叫ばれるようになる
1999年 八戸臨海部の神戸製鋼の敷地にピアドゥ(売場面積25,400平米)が開店。核テナントはイトーヨーカドー、ホームセンター、のちにヤマダ電機、スーパー銭湯開店
2002年 東北新幹線八戸駅開業。北の玄関口として栄華を極める
2003年イトーヨーカドー八戸店が閉店、跡地に地元出資チーノオープン。市民映画館が開店
2009年 臨海部の八戸魚連跡地、ピアドゥの隣接地にシンフォニープラザ(現在の売場面積17,000平米)が開店
2000年前半イオンモール八戸田向店40,000平米級の建設計画が持ち上がる
当時建設中の4車線の県道八戸環状線沿い一帯の田んぼを区画整理し、中心街から八戸市民病院が移転した付近に立地計画。
市民の多くは歓喜に沸いたと思う。わざわざ隣町のイオン下田まで行く必要がなくなるからだ。
しかし、中心市街地の商業者を中心とした商工会が猛烈に反対し、当時の市長も大反対。
地元新聞の投書には、商店街関係者と思しき女性が「イオンが来たら中心街がシャッター商店街になってしまう。そんなところで祭り(八戸三社大祭という由緒ある山車の祭り)は見たくない!」などと書いていた記憶。
ほかに、市民病院の近くが週末渋滞して救急車が到着できなくなるから反対との投書もあった。
その後、市長は1期で落選し、新市長が当選し立地規制条例を制定
2012年 郊外にイオン田向ショッピングセンター開設(7000平米級)
新市長は、空洞化した市街地を再建すべく、市営の箱を次々と建設。
2011年 市営のポータルミュージアムはっちが開設、中心市街地にタリーズコーヒが初出店
2016年 ガーデンテラスが竣工し市営の八戸ブックセンターが開設、Yahoo八戸センターが同ビルに拠点開設
2019年 国際大会用の屋内スピードスケートリンクが開館(中心市街地から徒歩圏の運動公園に建設)
2020年 元長崎屋跡地にDEVELD八日町が竣工 13階建で2階以上はマンション
2023年 イトーヨーカドー八戸店跡地のはっちが閉店。解体されマンションになる予定
2023年 八戸港の水揚げ量が昭和19年レベルに激減(戦後最悪水準、金額ベースで最盛期の10%の漁獲高)
2025年 青森銀行とみちのく銀行が合併し青森みちのく銀行設立予定
東日本大震災のあと、国の復興予算で約10年で三陸復興道路が完成し、県道の環状道路は大半が開通した。市内のロードサイドにはセブンイレブンも、タリーズも、コメダ珈琲も、スタバもできた。新しいスーパーやホームセンターがあちこちにできた。
中心市街地は市営の観光施設や屋内広場、箱物と、市営書店ができて大変モダンな空間になった。
地元商工会議所は、中心市街地活性化のために、巨大イオンモール進出を阻止に成功し、街中に新たな商業施設として、ローソンとファミマが合計6店舗できた。モスとドトールしかなかった街中にタリーズができた。
しかし、市経済の低迷も相まって中心街へ商業施設誘導を果たせず、三春屋とチーノは閉店し、今やさくらの百貨店が残るのみである。かつての商業ビルはマンションへ建て替えが進む。
商業地としてのポテンシャルが低下してマンションになるのであれば、郊外に予定通り40,000平米のイオンモールを建設してもよかってのではないか。
結果、GMSは衰退し臨海部のヨーカドー八戸沼館店は閉店。後継テナントは未定で、市民は1991年開店の江陽のラピア長崎屋と、臨海部のシンフォニープラザ、2012年開店のイオン田向(リテール)のみになる。
よく巨大郊外型モールが撤退したあと社会問題になるため開発抑制が必要だという。都市計画的には正しいが、近隣県を含め広域自治体レベルで規制誘導しない限り、一自治体が規制をかけても無意味だった。
結局、市民は1995年以降、隣町のイオンモール下田まで行き、買い物客が流出し続けた。
中心市街地の地権者はコンビニ6店やマンション1棟やホテル2棟をオープンさせたが、新たに集客力のある商業施設を建てたては言えず、中心市街地の魅力向上のため、市営の文化的施設の建設に資金が投入され続けている。
2050年までに、八戸市の人口は社会保障人口問題研究所の推定で14万人台になるとしている(最盛期より10万人減少する)
人口減少社会は、かつての拡大した市街化区域を減らし、都市軸の再形成、まちなか居住、コンパクトシティの形成、魅力ある歩いて暮らせるまちづくりをするなど、さまざまなメニューがあるものの、あまりにも中心市街地再興への道のりが長すぎる。その過渡期に過ごす市民は、これからもイオンモール下田に通うことにになる。
せめて20年前に八戸市や市商工会議所は、イオンモール立地に反対しなければ、あの長い行列をつくりバスを待つ市内の高校生たちは、自転車でいける距離でイオンモールに遊びに行けただろう。