はてなキーワード: 有給休暇とは
有給休暇中に「そう言えば昨年発売予定のゲーム(JINKI)が出てないな、延期か?デモの完成度低かったもんなぁ」
とネットサーフィンしてたら、衝撃の情報を目にしてしまった。諸行無常である。
なんで、こんなに面白いゲームを作れる会社が潰れなくてはならんのだろう?
俺の中では悲しみを通り越して、怒りすら感じる。
BALDRSKY ってゲームがある。俺のゲーム史の中ではアクションゲームとしてはベスト5に入るほど評価してるゲームだ。
他には、天穂のサクナヒメ、バイオハザード(シリーズ)、エルデンリングなんかも好きなゲームに入っている。
だが、BALDRSKYは「所詮エロゲー」と言われてしまうのだ。競っているフィールドが全く違う。
俺とBALDRの出会いは友人を介してのものだった。友人がくれたCDの中に体験版だか、配布ものだか分からんが
ストーリーも何もない、サバイバルモード的にロボットを操作して延々と敵を倒し続けるってゲームが入ってた。
出来る事は、パンチ、遠距離射撃、ミサイル攻撃、ダッシュなどのシンプルなものしかないが、次から次へと湧いてくる敵をヒットアンドアウェイするアクションが爽快で
妙に気持ちよくて、それが俺に刺さった。その記憶があったので、BALDRSKYが発売されるって情報を得て、予約して購入した。
複数の武装を組み合わせてコンボを構築して、強敵をハメて倒していく爽快感は、他にはない楽しみがあった。
エルボーチャージで崩し、アッパーで打ち上げ、ムーンサルトで更に蹴り上げ、空中キックで追撃し、武器技で上空を獲った後、突きおろしで地面にたたきつけ、トドメに衛星爆撃を加える
とかいうようなコンボを叩き込む事が出来た。このコンボアクションが最高に気持ちよかったんだ。
ってキャラの放つ決め台詞が、ガチで出てくるほど気持ちよかったんだ。
音楽も良かった。難易度も丁度良くて、きわどい連戦を凌ぎながら、クライマックスに流れる主題歌には、マジで震えが止まらなかった。
https://www.youtube.com/watch?v=cbyCmpnap_o
加えて言うと物語も良かったと思う。
一つの兵器を巡って失われた多くの人々、失われた街、失われた世界、目の前で死んだ守れなかった大切な誰かを、守れなかった自分を再び取り戻すために
何度も何度も記憶を辿りながら、少しづつ謎を解き明かしていく過程の、悲しみと思いの交錯に何度も涙腺を刺激されてしまった。
それ以来、BLDRシリーズも、チームBALDRの作品も全て買って楽しんで来た。
BALDRを楽しむとき、そこにはエロゲーを買っているって恥も何も存在しなかった。ただ、面白いゲームを買ってる、それだけだった。
あれほど、面白いゲームを作ったのに、売れなかったんだろうか?
そう思うと本当にやるせない思いしかない。
エロゲーだからってやりもしないで敬遠してんじゃねぇぞ!って怒りすら湧いてくる。
同じゲーム開発者として嫉妬すら感じたチームが会社ごと消えてしまう。
そして、もう二度とBALDRの作品を遊べない、これはとても、とても、そして、とても悲しいことだ。だけど、俺には何も出来やしない。
もしも俺に100億あったら、開発費として提供してBALDRシリーズを作ってほしいけど、俺には何も出来ない。
戯画の皆さん、今までどうも有難う。
BALDRSKYを遊んだ記憶は、生涯色あせない贈り物となりました。いつまでも忘れません。
今後の人生に幸多からんことを。もしも、うちの採用に応募して来たら、一緒に働けるよう努めたいと思います。
最後に、チームBALDRの皆様に応援の一言を言って、終わりにしたい。
「お前の正義、貫いて見せろ!」
雇われ人なので鎖自慢をしよう。収入は多いほうが良い。プライベートな時間は多いほうが良い。ということで、この2つを代表するパラメーター(のうち最も単純なもの)を掛けてみて「良さ」を評価してみよう。たとえばトヨタの平均年収857万 (2021年)、年間休日日数120日+有休20日の140日を休日数とすると、値を掛け合わせて
ひとまず私はこの数字を上げるため、有給休暇は今後全消化していこうと思う
計算式は単純すぎて、もっと良いアプローチがあるような気はする。たとえばトヨタの例だと年収約6万円と有休1日が等価となるが、はたして感覚的に妥当かどうか。収入に対する幸福度の増加は漸減するとよく聞くので、年収はリニアじゃなくて対数の方が良いかもね。
増田の仕事は有給休暇でも増田子供が小学校休むのはいわば無給休暇なんだよね。代わりに先生が授業してくれるわけじゃなし、授業料の返還があるわけでもなしなんのコンペンセーションもない。だから葬式とか病気とかやむを得ない事情でしかみんな休まないわけで。
まあ小学校の授業ごとき休んでも別にそこまで困らんしって子供本人が思ってるなら別にいいと思う、実際そこまで困らないだろうし、金があるからその日の給料くらいでなくてもいいやって無給で休む富豪みたいな感じで。
けどサラリーマンが有給取るくらいの頻度で金曜休む小学生いたら無給で休むサラリーマンくらいちょっと変な奴だし休むことが織り込み済みの増田の有給休暇とは一応違うってことはわかってたほうがいいと思うよ
PTAに加入しないでください。
すでに入っていたら退会してください。
でも現実はそうなっていません。
強制的に加入させられているだけです。
PTA規約を見ても、会員は「○○小学校に通っている児童の保護者とする」というような書き方しかしていません。
これが現実です。
本来PTA活動は、必要と思う人、活動に協力できる人が任意で活動すればいいとだけ思っています。
ただ、家のこと、子供のこと、生活のことでいっぱいいっぱいなところに、PTAの役員が回ってきて、悩みに悩んで苦しい思いをしている人(特に私と同じ母親)が1人でも減ってほしい!
子供は1人で、小学校に入学する前の秋、学校説明会でPTAについても簡単な紹介がありました。
PTA。
活動に協力できるか不安で、規約をみてみると会員は「○○小学校児童の保護者とする」としかなく、それ以上何をするでもなく、子供は小学校に入学。
入学すると、1年生のときはほかのお母さん(100%母親でした)がこぞって役員に立候補していました。
何でも早いうちに役員をやっておけば楽なんだそうです。
子供が6年生になったときに、1度も役をやっていない人はほぼ確実に役員に選ばれますが、
そうなると重たい役をやる羽目になったり、卒業関係の仕事などで大変だそうです。
(初めてなので、仕組みがさっぱりわかりませんでした。退会したので今もよくわかりません)
でも、できる人はいいですよ。
私は低学年のうちに役をやることすらできなかった。
でもほかのお母さん方にはPTAの役員になっておこうと考える余裕があったようです。
どっちが大変とか偉いとか、そういう話では断じてありません。
ただ、ともかく私には役をやる余裕がなかった。
日中は仕事。毎日仕事して帰ってきて生活をまわすのが精いっぱいで、休日もぐったりしていました。
それから5年生まではずっとそんな感じで過ぎました。
6年生になる前の冬、まず子供会の役決めがありました。
なぜか勝手に役に選ばれていました。
あと、資源ごみ回収のための市役所への手続きをしたり、通帳を管理するとか。
平日は無理です。
窓口の開いている時間に市役所と農協の金融機関の支店にはとても行けません。
私がその役になったら夏休みも企画はしません。企画はなしで終わるでしょう。
そもそも前任者も忙しいお母さんで、役決めの集まりの連絡ができず、私はその場にいないので勝手に決まっていたそうです。
そのことにも納得できず、引き受けられないと伝えつづけ、その間に不快なやり取りがいくつかあり。
結果、見かねた別のお母さんが役を引き受けてくれました。
そうです。
やれる人、やりたい人がやればいいじゃないですか?
やれる人、やりたい人がいないなら、無理に活動する必要ありますか?
その間に私も相当嫌な思いをしました。
他人に望まず嫌な思いをさせてしまっていることもストレスでした。
何のために?
そのことで気づきました。
今まで忙しかったのと、よくわかっていなかったのですが、
本当にできないんです。
この間、ものすごく悩んで追いつめられて、段々鬱っぽくなっていたように思います。
子供のことでこんな苦しい思いをするんだったら、子供と一緒に心中する!とまで思い詰めていました。
でもある日ふと思いつきました。
じゃあ、抜ければいいじゃない。
退会すれば役員はまわってきません。
こんなに子供のことで思い詰めて嫌な思いをするくらいなら、抜けてやる。
ただしそれは、ほかのお母さんに白い目でみられることと引き換えです。
それでもいい、と思いました。
どうせ生活のために働きづめで、ほかのお母さん方と交流する機会もありません。
元々誰かとつるむことがなかったので、抜けやすかったのかもしれません。
さて、抜けるときめたはいいけれど、その方法がまったくわかりませんでした。
ネットでの経験談を読むと、校長?とPTA会長?に退会届を出すとか。
退会届の見本もネットに載っていました。
「PTAを退会したいのですが、どちらに退会届を出せばいいでしょうか」
するとまず、校長先生から「PTA会長がお話したいと言っている」旨の返事が来ました。
聞いてはいたけど、「退会したい」と言ったらまず、
と説得して退会を防ぐ腹積もりらしいです。
とかいうんです。
何よりも休みの日にそんな不愉快な電話を受けたくありませんよ。
こっちは話すことはないし、そちらの都合でかけてくるのに。
すでに退会することは決めました。
話し合うことはなにもないんです。
私はただ、どこに退会届を出せばいいのか知りたいだけなのに、それに対する返事はありません。
退会する人、電話は避けましょうね!
特に気の弱い人、遠慮がちな人は、直接話すと丸め込まれたり、けむに巻かれたりしますよ。
私は連絡帳にて、
平日は仕事中だし、休日も都合が悪いので、文書にしてくださいと伝えました。
「できる人ができることをできるときにやればいい」ものだという、呆れたことが書いてありました。
「できる人が、できることを、できるときに」
やることになっていたら、私は退会しなくて済むわけです。
でも現実にそうなっていないから、私は苦しんだし退会することになった。
現実は、
だけじゃありませんか。
最近は父親も保護者会に参加したり親父の会とか作って子育てに積極的にコミットしていますが、それでもPTA役員にまでなって活動する父親は、やはり圧倒的に少数派です。
なぜか。
そんなこと明らかじゃありませんか。
父親は一家の稼ぎ頭として、日中会社で働いているからですよね。
父親で役員やる人は自営業とかで、妻より時間の融通がつく人だったりします。
無理もありません。
別に父親が育児に関心ないとか、家庭にコミットしないとか思わない。
家庭内分業として、父親が主たる働き手として生活費を稼ぎ、子育て期の子供の面倒を見るためにも、母親が家のことを行いつつ、パートに就いたりするのは、家族内の協力体制で自然なことだと思います。
単に家庭内で母親の方が時間的に融通がきくから、PTA活動をになっているのではないでしょうか。
そして私の場合、私が生活費のため日中仕事に出て、家にいる間は家庭をまわす主婦になっているわけです。
到底自慢なんかじゃありませんよ。
大変さアピールでもありません。
働く父親にがPTA役員をやれないなら、私も同じ理由でやれないんです。
なんせ、朝出勤してから往復通勤時間を含めて12時間程度は家に帰ってこないんですよ。
有給休暇もあるけど、顧客都合で休めない日もあるし、休んだらその分休日出勤しないといけない仕事量でしたし。
何よりも仕事の責任を果たせないのが恐怖で、ずっと綱渡りでした。
ふざけんな!ですよ。
この校長先生は、そういう母親の現実をわかっていないと思いました。
そこで手紙に対する返事をこちらは便箋に縦書きで手書きしました。
何も私は対立したいのではなく、ただ退会したいだけなので、退会という目的さえ果たせばあとはどうでもよいわけです。
返事には、
「PTAの意義はよくわかりました。活動に協力できず大変心苦しく思っています。」
というようなことを書きました。
会費を出し渋ってると思われるのが悔しかったので、PTAには入らないけれど、
「会費相当額を学校へ寄付させていただく」とまで申し出て、後日実際に寄付しました。
この際、校長先生とPTA会長宛の退会届を添えてさっさと連絡帳にたくしました。
さらに、退会届には、退会が認められたのか確認したかったので、
「年度内に退会したことの承諾書類をください」と書き添えました。
それで終わりです。
退会届に対する返事は来ませんでした。
子供が6年生に進学しても、誰も何も言ってきませんでした。
そして。
新学期に入って、学費・給食費の引き落とし時期になり、通帳を確認したところ。
どういうわけか、PTA会費が一緒に引き落とされていました!
退会してないの?
確かに退会届を出したのに??
酷いですね…。
再び連絡帳の出番です。
すると。
この校長先生は、退会届を出した校長先生とは別の人で、当時の校長は異動したので、電話が来たのは別の校長先生です。
この先生はとてもよい人でした。
私が連絡帳に書いた要件について、「確かに退会している。会費は返金する」と、ちゃんと回答してくれました。
それでもちょっとだけ、願望めいた恨み節をひと言言われました。
私には言いたいことがたくさんありました。
そもそもPTA活動がどんなに忙しい保護者(主に母親)を苦しめて、母親同士の分断まで生み出しているか。
子供会の役員ですら、そのときの役員だった人からは夜中の1時にメールが来たりしていました。
そんな人が役をやらなくちゃいけない状態を知っていますか?と逆に聞きたかった。
でも会社内だったので大っぴらにしゃべれなくて、言いたいことの半分も言えませんでした。
お礼だけ言って電話を切りました。
以上が私の退会経験です。
これ以降、PTAは決定的に私にとって「近づかない方がいい」ものとなり、
高校でも、入学説明会前にPTA名簿用に情報を提出する用紙があったので、
それに換えて非加入届を提出しました。
中学のときはきっと小学校から連絡が行っていたせいか、特に咎められませんでしたが、高校では加入勧奨されました。
すでに嫌な予感。
まあ何かあるかもとは思ってたけど。
そして案の定「あ、ちょっとお母さんすみません、お話しが…」と教頭先生が登場。
何てのたまったと思います?
「役はやらなくていいから、会費だけ払ってくれれば…」
これ本当に言われました。
「それって入会してるってことですよね?」って。
何よりもまず、そんな不公平なことをしたら、ほかの真面目に加入してくじ引きで当たって役をやる会員に失礼じゃないですか!?
役をやらなくていいなら、多くの人がやりたくないでしょう。
ただ入会した以上、システム的にくじ引きで当たったら3年間役をやるようです。
役に当たって「嫌だ、やりたくない」と思う人は、どうぞ退会してください。
むしろ、退会すべきですよ。
※なぜこれほどまでに退会者を引き留めるのか。
私はよく知りませんが、なんか会員1人につき、上から降りてくるお金があるような?
あと地区とか上位組織に加入者を減らさないようなプレッシャーがあるらしいですね?
だからもれなく無条件加入させることに校長やら教頭はこだわるようです。
そんなことのために苦しむのがアホらしいですよ…。
私はPTA不要論者ではありませんが、PTA活動はあまりにも時代と合っていないことは確かです。
私が声を大にしていいたいのは、
ということです。
シングルマザーに限らず、共働きだったら毎日生活をまわすのに精一杯だと思います。
別に外で働いてない人でも、パートの人でも、フルタイム労働者より時間の融通をつけやすいだけで、忙しいことは変わらないと思います。
だって理由があって専業主婦だったりパート労働者なんでしょうし。
子供が小さくて送り迎えがあるとか、障害を持ってて世話が大変とか、それぞれの家庭の都合が色々あるでしょう。
朝の登校の旗振りをしたとき、ペアとなったお母さんは、赤ちゃんを家に置いてきたと言っていました。
早く帰ってね、と言ったんですけど、そもそもそういう理由があるなら無理にやらなくてよいではありませんか?
でも、小さな赤ちゃんを独りにしてまで、優先させる活動なのか?
あともっというと、
そもそも仕事や家庭の都合とか理由がなくちゃ断れないんですか?
単にやりたくないから、でもいいじゃないですか。
自分は向いてないとか好きじゃないとか、そういう人もいるじゃないですか。
特に「自分は大変な思いで役をやったのに!」という人は批判的だと思います。
私だって、大変な役員がまわってきたけど我慢して引き受けたのに、って。
役員がまわってきたとき、我慢して引き受けるって決めたのはあなたじゃありませんか?
やりたくないと思った、あるいはどうしても引き受けられなかったなら、私のように退会すればよかったんですよ。
自分がやったから、やれたからって、できない人、やらない人を批判しないでください。
PTAのこともそうだけど、様々な家庭がある。
これ以上、色々比較して分断するのは、お互いにとってよくないです。
ともかく、PTA活動は、現実問題「できる人ができることをできるときにやって」いないです。
自分は家族の朝ごはん作って食べて片付けてトイレ掃除してお米研いで炊飯器にセットしてから出勤したり、
退勤したらスーパーによって夕食の食材を買って、帰宅してご飯作って食べさせて片付けて洗濯して干して、
寝るまで子供の面倒をみる生活したことないでしょうね。皮肉ですが。
これでいいたいことは全部ぶちまけた。
私のように苦しんでいる人がいるのではないかと心配するからです。
せめて、PTAで悩んでいる人、辛い思いをしている人が1人でも減りますように。
PTAに加入しないでください。
入っていたら退会してください。
終
1年くらい付き合いのある友人らとイベントに行ってきた。イベント経験者の人が企画や準備してくれたり、物品を貸してくれた。現地で準備や設営などもろもろしてイベント終了。
友人『物品を貸さない方がよかった?』
私『いやそんなことは…。』
友人『ありがとうが1度もなかった』
私『言ったつもりだった。』
友人『あなたに伝わらないしもう耐えれないので一旦距離を置こう。』
思い返すと、物品貸出以外の部分で、他の友人らは、『○○さん、ありがとう』のやりとりをよくしていた。私はその日はなぜかできてなかった。
他のコミュニティで、似たトラブルが過去にも起きたことがある。
私は、持病として、うつ病とADHDの傾向があり精神障害者手帳も持っている。あえて表では言わない。友人関係で表に出してもそれは言い訳にはならないと思っている。どうしようもない不安や眠気?が半端ない。小学校〜高校までいじめにあったり、大学の友人もほぼ音信不通。
新卒は、プログラム関係では行ったが8時〜1時のいわゆるブラック企業。有給休暇を帰省で書いたが帰省できず別の使い方をして解雇。次の会社で、うつ病診断。そして転職。今の職場でも、プログラム関係をしてたが、リモートになってコミュニケーションエラーでていのいいパワハラ左遷で雑務をしている。会社にパワハラ相談しても非該当。
部屋は片付けようとしてもすぐにちらかり汚部屋。
遠方の家族はうつ病は知ってるが無関心というか他のことでていっぱい。
弟は、県外へ。
心療内科の先生は、薬は出してくれるが、めげずにがんばろとしか言わない。
いや、そんなのはだめだの繰り返し。
有名人や日本一周するパワーのある人でも天国へ行ってしまうので仕方ないのではないだろうか。
いのちの電話番号が画面にでるが、聞いてもらってどうこうではないと考えてしまう。
周りは結婚していくが良い出会いもないし、病気や家族のことを含めると不良物件なので望みは薄い。
幸いなのは、障害者雇用ではないのでそれなりの給与がまだ貰えていること。減給もされてはいない。お金で孤独を紛らすことはできるが虚しさを感じる。
後から考えると自業自得なんだがその時にすぐに良い対応ができない。
『私の人生、人間関係ハードモードすぎる。もっと器用に生きたい。』
と思うがもっとつらい人もいるんだよな。。
新卒から入社し、300年間勤めたNTT系列の某社を退職しました。バレ対策のためにフェイクは多めに混ぜていますが、皆様の参考になればと思いここに備忘録を残します。
当時の私は、(ここまで書いた。以下全てAI)
就職氷河期真っ只中の最後の世代でして、大学を4年で卒業するも就職先は見つからず、大学院進学も厳しい状況でした。そんな時、とある企業の方に声をかけられました。それが今の会社です。今思い返すと、かなり怪しかったなと思いますね。何せその時は内定ゼロだったわけですから。
その会社は、ある人材紹介会社を通して私に接触してきました。最初はその会社の事務所まで来て欲しいと言われましたが、私が警戒心が強かったせいか断ってしまいました。その後メールでのやりとりが始まり、最終的には面談をして頂けることになりました。そして、そこで言われた言葉がこれです。
・週休2日制。
・社員寮完備。
・福利厚生充実。
・有給休暇有り。
etc…….. 正直、怪しいとは思ったものの、提示された好待遇には惹かれるものがありました。
それから、私の生活は一変したのです。まず、紹介された人材紹介会社の紹介で、都内にある某オフィスへ通うことになりました。そこでは、毎日朝9時から夕方5時までみっちり研修を受けさせられました。
また、週に1回ほど休日出勤がありました。内容は主に電話対応や顧客からの問合せ対応などでした。当時はコールセンター業務というものを知りませんでしたので、とても大変な仕事だと感じていました。
また、研修中はほぼ毎日終電帰りの生活が続きました。しかし、そのお陰でスキルを身に付けることも出来ましたし、転職活動の際に有利になるような資格を取ることもできました。
ちなみに、当時勤めていた会社は、定時が15時半であり、就業時間は8時間労働となっていましたが、研修期間中は拘束時間が18時間半もありました。つまり、実質12時間以上働かされていたということです。労働基準法に違反していることは明らかです。
さらに、休日出勤に関しては、有給休暇を使って良いとのことでしたので、実際休みを取ったことはありません。
このように、明らかに異常な環境ではあったのですが、それでもなんとか耐えてこれたのは、給与が高かったことが大きいでしょう。当時の月収は約25万円でしたからね。これは相当な高収入と言えるはずです。
また、残業代が無い分、労働時間が長くても問題ないというのも大きかったですね。もしこれが10時間を超えていたらと思うとゾッとします。この辺については、実際に働いていた方ならご理解いただけるかと思います。
さて、こうして入社してから約3ヶ月が経過し、私はようやく独り立ちすることになりました。ここから先は、完全に独立した企業となります。当然給料は下がるわけですが、その代わりに自由を手に入れました。
そうして始まった私の社会人生活ですが、ここで思わぬ事態が発生しました。それは、上司との人間関係の悪化が原因です。最初のうちは普通に接していたのですが、徐々にエスカレートしていき、ある日突然怒鳴られるようになりました。もちろん理不尽極まりないことです。こちらに落ち度はないわけですから。
そこで私は、上司に対して猛抗議を行いました。その結果、今度は逆に私が叱責される立場になりました。なんとも皮肉な話です。
そして、ついに堪忍袋の緒が切れた私は、社長に直訴しました。すると、驚くべきことに、あっさりと解雇を言い渡されてしまったのです。理由は明白で、会社に対する忠誠心の欠如です。確かに、あの劣悪な環境下では、誰だって辞めたくなるものですよね。しかも、その時の社長の言葉がこれです。
・お前みたいな奴はいらない。
・俺の人生に口出しするんじゃねぇよ!
・もう顔も見たくないから出ていけ!!
あまりの怒りに我を忘れそうになったくらいです。結局、私は泣く泣く退職することになってしまいました。
とはいえ、このまま泣き寝入りするつもりはありませんでした。そこで、退職後に知人の紹介で別の人材紹介会社に登録したところ、すぐに次の職場を紹介してもらえることになりました。それが今の会社というわけです。
新しい会社は、前職よりかなり条件が良く、待遇も良かったため、不満は全くありませんでした。ただ、ひとつだけ気になることがあったんです。実は、この会社は以前勤めていた会社の元社員が運営しているものだったんですよ。
それを知った時は驚きましたね。まさか自分の勤めていた会社がブラック企業だとは思ってもみなかったわけですから。
ちなみに、その会社の経営者は、私が入社する少し前に退職されたらしく、現在は別の方が経営されているようです。
また、その会社は、前の会社の時と同様に残業がほとんど無いことから、今はとても快適な生活を送れています。
ただ、唯一困ったことがあるとすれば、休日に社員の方々から電話がかかってくることですかね。まあ、仕事のことなので仕方がないのですが、もう少し頻度を落として欲しいものですね。
あと、転職の際には、やはり人材紹介会社を利用するべきだと思いました。何せ、今の会社の求人票には、週休2日制とか書いてありますからね。こんなこと、普通の企業ならあり得ないと思います。
これから就職を考えている方は、ぜひ人材紹介会社を利用してみて下さい。きっと、自分に合った良い会社を紹介してくれるはずです。
最後に、私が受けた面接で、人事担当者の方から言われた言葉をお伝えしたいと思います。
・まずは自分がやりたいことを言ってみろ。
・そして、それが何故なのか理由付けをしてみろ。
・そして、相手の質問の意図を考えながら答えるんだ。私にはこれが一番印象的でした。もし、あなたが転職をお考えでしたら、一度考えてみても良いかもしれませんね。
ちなみに、私の現在の職種はシステムエンジニアです。元々プログラマーを目指していたので、天職と言っても過言ではありません。
しかし、まだ独立して間もないということもあり、なかなか思うようにいかないことも多々あります。特に営業活動に関しては、本当に苦労しています。
それでもめげずに頑張っているのには、ちゃんとした理由があるんです。それは、独立前に働いていた会社で培ったものが活かせるのではないかと思っているからです。
確かに、前の仕事では辛いことも多かったですが、それでも、多くの知識を得ることができましたし、スキルを身に付けることもできました。それらは、今の会社でも十分に活用できるものだと思っています。
また、現在働いている職場の人間関係は非常に良好であり、とても働きやすい環境だと感じています。これも全て、以前の会社での経験があってこそだと考えている次第です。
もし、あなたの目の前に壁が立ち塞がり、どうしても乗り越えられそうもないと思ったら、一度立ち止まってみることを強くオススメします。そして、振り返ってみて下さい。そこには今まで歩いてきた道が必ずあるはずです。そこからまた歩き出せばいいだけです。
拙文ではございますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。
このエントリに便乗して、大腸内視鏡(正確には下部消化管内視鏡と言う)の体験談について記したいと思う。
昨年の秋くらいに、一念発起してアナルの感覚を鍛えてみようかと思い、早速アナルプラグを購入した。元々切れ痔気味だったので、控えめなサイズを選択したつもりだったのだが、それでも自分の尻穴のサイズに合わなかったのか、準備が不十分だったのかわからないが、挿入した時にSiriに
鋭い痛みが走って鮮血が滲んだ。たまたまかなり近いタイミングで便潜血検査を受けることになり(40歳になる歳であった)、見事に要検査になってしまったのである。かかりつけの肛門外科医の先生に相談したところ(上述の経緯は伏せてある)、大腸内視鏡の提案を受けた。今まで一回もそういった精密検査を受けたことがなく、半ば興味本位で受けてみることとした。
まず、大腸内視鏡検査を受けることができる総合病院の予約を取り、そこで内視鏡実施日の予約を取るとともに説明を受けるという二段階方式の対応であった。最初の予約日で検査を受けるという心づもりで赴いたので当てが外れた。検査にかかる時間として、混雑具合にもよるのだが、ポリープなどが見つかった場合はその場で切除することもあるとのことであり、検査に丸一日を要するつもりで当日は有給休暇を取得した。
前日の夜からは絶食であり、水分補給のみ許可された。また夕食はうどんなど消化の良いものを取るように言われ、夕食後に下剤を飲むように指示された。めんどくさかったのでおにぎりだけ食べた。
検査当日ももちろん絶食のままであり、起き抜けに下剤の影響なのか軟便が出た。予約の時間は朝イチだったので朝早くから病院に赴いた。受付をすまし、待合室に通された。すぐに検査を受けられるのかと思ったのだが、ここでさらに腸内洗浄の目的で下剤のおかわりがあった。しかも、この時の下剤の量が約2 Lもあり、それを2時間程度で飲み干すよう指示された。個人的にはこれが一番辛かった。スポーツドリンクを極限まで薄くして薬特有のえぐみを足したような味であり、しかもこれを2 L飲み干さなければならないのである。途中から腹が膨らんで吐き気との戦いになり、下からもひたすら水のような便が出続けるという始末であった。当日は4人の被検査者がいたが、うち一人は飲み干すことができずギブアップしていた。これを何度か繰り返すうちに、尻からも透明の液体しか出なくなった時点で検査準備完了とのことであった。自分が尻から出した液体の色をスマホで撮影し、看護師に確認してもらってOKが出た。その時の写真はいまだに保存してある。朝9時に来院したのにこの時点で12時前になっていた。
手術着のようなものに着替えて検査室に入った。ベッドに横にされて、体を丸めて胎児のようなポーズをとった。内視鏡は細かったのか、普段体験していたものと異なり、特に抵抗もなく入っていった。空気で大腸を膨らませながら内視鏡が奥に進んでいったので、かなりの膨満感を覚えた。検査自体は10分程度で完了し、大腸に特に異常は見られなかったが、入り口近くに切れ痔があると言われた。検査終了後はそのまま帰宅となった。空気で腹を膨らませた影響なのか、しばらく屁が止まらなかった。費用は、保険込みで約6000円だった。後日、かかりつけの先生に聞いたところ、大腸内視鏡で異常がなかった場合は5年は無罪放免、とのことであった。
ちゃんと自分の体内を見ようと思っていが、すぐに検査が終わったのでかなり拍子抜けの部分もあった。また、自分の体の中に本当に内臓が入っていることを実感できた。内臓の洗浄を行なったためか、体の内部がいつもより綺麗になったように思えた。
https://anond.hatelabo.jp/20220927205318
に関連して、
ヨッピーの「赤ちゃんは何を基準に親を判別してるか」の記事を見て思ったこと
https://magazine.cainz.com/article/97602
赤ちゃん」という生き物はたいへん面白く、とにかく成長が早いので日々驚かされる。
寝がえりを覚えてハイハイをはじめたかなーと思ったら、すぐにつかまり立ち、つたい歩きまでするようになった。出来ることがどんどん増えてゆくのだ。
これ今5歳児を育ててる身としてはまったく同感で、
特に誕生直後~3歳くらいまでは、できる事がどんどん(それこそ一日ペースで)増えて、「もうこんな事ができるようになったのか!」と驚かされる毎日なのだ。
自分で食事できるようになったり、着替えられるようになったり、歯磨きできるようになったりと、どんどん親の手がかからなくなっていく。
(これが4歳を過ぎると、ウソつくようになったり、言う通りに動かなかったり(あえて逆らって親の反応みて楽しむ)、少し思い通りにならないと癇癪起こしふて腐れたりたりと、自我が発達するにつれ手がかかる部分も出てくるが、全体的には手がかからず楽になっていく)
育児しながらフルタイムで働いてて、保育園は6時までに迎え行かんといけんので残業できないし、(最近はなくなったが)頻繁に発熱して自宅で看ないといけず休みとったりで、子の誕生以来は周りの子無し職員よりもだいぶパフォーマンスが落ちて(なにより仕事より育児のほうが楽しくやりがいがあるので、仕事に対するモチベーションが落ちてる)周りに負担かけてる部分もあるが、
組織のトップが育児支援・少子化対策を唄ってることもあり、「子を育ててるから」という大義名分がたち配置や仕事量で考慮してもらいなんとかなっている。
同僚に年老いた親を自宅で介護してる職員がいて、彼女はとても大変そうだ。
うちの職場には有給休暇と別に「子の看護休暇(上限年間5日)」があるが介護休暇は無く、育児に比べて上司や組織からの配慮も少ないように見える。
自分の両親は健康で、たまに子(孫)の世話を見てもらってるくらいなので、老親の介護がどのくらい大変なのかはわからないが、とにかくいつも疲れてるように見えるので、大変なのだろう。(体だけ悪かったり、体と認知とも悪かったりで、人によるんだろう)
育児は子の笑顔や生命力に触れてかわいさに癒され楽しいこともあるが、介護は・・・どうなんだろう?楽しいこともあるんだろうか?わからない。
プロの介護士が90歳の老婆から「そんなこともできないのか、バカ」と憎まれ口を叩かれカッときて暴行殺害して捕まったというニュースがつい先日あり、子の憎まれ口など幼稚で笑って受け流せるが、高齢者の憎まれ口はそれなりに刺さるところがありダメージが大きいのだろうなと想像する。
大きな違いと思うのが、育児は毎日子が成長して手がかからなくなり楽になっていくが、介護はどんどん親の健康状態が悪化してやらなければならない事が増えていくので先が暗いんだろうなということ。
先に楽になっていくのは希望になるが、先に大変になっていくのは絶望になるのではないだろうか。
子が成長したタイミングで、親がポックリいかなければ介護が必要になってもおかしくない年齢で、自分は耐えられるのだろうかと不安になってしまう。
私はド底辺在日朝鮮人環境にありながら金貸し成金となった家に生まれたので資本投下をされて育った。
仕事なんて金貸しと風俗と不動産と飲食とパチンコしかなかった。それが世界のすべてだ。
エリートの奴らが皮肉を込めて言う JTC なんて遥か上層の見えない世界だった。
最大のエリートは朝鮮大学校を出て朝鮮総連でよくわからないことをやっているクズ共だった。
彼らがなにをやっているかというと、何もやっていない。建物に行きダラダラして終わりだ。
そういう肥溜めで育った。
そんな状況だったので中学二年生まで大学に行くという概念が現実的なものとして見えてはおらず、自分の成績についてもよくわかっていなかった。
私はどうやら頭が良いらしい、そういうことが分かったのは高校に入ってからだ。
ド底辺連中が跋扈している汚らしい街を出身として金が出来て引っ越した先にて進学塾というものに入ったときのこと。
市進という塾だった。
そう塾の先生が言った。
朝鮮学校などという肥溜めにいてはいけないと気付いてはいた両親が勧めた塾だった。
中学三年生になって入塾したのでクラスは下の方だった。自分でもよくわかっていなかったので別に何も思わなかった。
ただそのクラスで使うさほど難しくもないテキストをすぐに解いてしまう私を見て目をかけてくれた先生がそこそこ難しいテキストのコピーをくれた。
「きみならできるでしょ」
できた。進学塾という概念を親はよくわかっていなかったのでそれに入ったのは中学三年生だったが、個別指導塾などには行っていたのでそれなりにできたのだ。
資本投下はされている。
そして普通に受験勉強をして県内で五本の指にはいるくらいの高校に行った。東京大学に複数人排出してる高校だった。
そこでも私はなぜかよく出来た。物理の先生が言ったことを今でも覚えている。
「きみは頭が良いよ」
ほんの少しでもズレていたら確実にド底辺在日朝鮮人としてパチンコの景品替えでもやっていた私はどうやら頭が良いらしい。
あの人が言うならもしかしたらそうなのかも知れないと思い東京大学を受けた。
東京大学に受かった。なるほど資本投下されると東大にいけるものなのだな、と思った。
周りの人間に大学に行っている奴なんていなかったから、よく分からないまま大学に行った。
そしてなんとなく院に進み、教授の「君は博士に行くべきだ」という言葉を本気にして博士課程に行った。
適当に過ごして論文がそこそこのジャーナルの editor's choice になりそのテーマで課程博士号を取った。
確かに私はそこそこ頭が良いらしいなと思ったが、本格的に文化的資本を投下されて育った奴の中では生き残れる気がしなかったので適当な JTC に行った。楽だった。
8:30-17:15 の勤務で残業無し、年間 124 日の休暇に 24 日の有給休暇を7割くらい使える。天国だった。
ただ天国過ぎてなんかやめた。後悔はしていない。
今はちょっとした外資にいる。そこそこちゃんとやっていたらなんか年収がそこそこになった。悪くないくらいの金額なのでまぁいいやと思っている。
大学と院の頃にデリヘルをやって生活費と学費を稼いだ女だった。
Non-MD だが東京大学大学院医学系研究科で学位を取得している。
負けたと思った。生まれて初めて負けたと感じた。
ここまでこの文章で成り行きをつらつらと淡々と描いてきたが階級を超えるためにそれなりに考えて生きてきた。
私は私を誇りに思う。
親の金と自分の頭を使ってなんとか金貸しでも風俗でも不動産でも飲食でもない仕事に就きたかった。そして就いた。
ホワイトカラー、美しい仕事だ。銀行で住宅ローンを借りられる。そんな人間、周りにはいなかった。
私はその階級突破を密かに誇りに思っていた。少なくとも私は道を切り開いた、そう信じていた。
普通に考えれば簡単にわかる。18歳で処女を20万で売る方法と丹力を持ち、東京大学を受けるような奴には勝てっこない。
そしてさらに悪いことにギリギリ公的幇助の対象にならない痴呆老人が一人と精神疾患を持つ叔母とともに暮らす家で育った。
塾にも予備校にも行かずに勉強し、九州地方の片田舎から東京大学に試験を受けに行った。自分自身の処女を売った金でだ。
大学進学すら反対される中で生き延びるために持てるものをすべて使い、生き抜いてきた。
「私はなんでもするよ。誰でもいずれはそうなる。私は少し早かっただけ」
そう言い切る彼女の言葉は真実にすべてを投下してきた人間のものだ。
「そもそもね、結婚相手に稼ぎを求める女たちと処女を金で売る私の間に違いなんてさほどないわ、タイムスケールが少し違うだけ。あと学問が好きだったからね。知的好奇心と処女では知的好奇心が重要だった」
勝てる訳がない。こんな化け物に勝てる訳がない。何の言い訳もできない。私はこの女より弱い。
本は無制限に買ってもらえたし、進路に口を出されたこともない。勉強部屋も与えられたし、家事も介護もしたことはない。
受けたい模試はすべて受けることができたし、加えてお小遣いももらっていた。
朝鮮学校からまともな日本の学校に行く際にはクソ共に反対はされたが常に親は味方だった。
それは非常に幸せなことだった。