はてなキーワード: 完全に一致とは
友人が『包茎手術させよっかな』なるブログを発見した。「これ書いたのお前の母ちゃんじゃないの?絶対これお前のことでしょ」と友人はいう。ひとまずリンクを貼っておく。
https://anond.hatelabo.jp/20150212234301
読んで驚いた。ざっと要約してみた。
・うちの息子は包茎だ
・息子に包茎手術を受けさせたい
・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)
・息子はR、Tをライバル視しているので、その2人が手術を受けると言って説得したらいいかも
いやはや、冒頭の親バカ部分はさておき、手術関連の話はほとんど俺の実体験と一致しているではないか。改めて確認してみよう。
・うちの息子は包茎だ
←たしかにそうでした(というかガキはみんなそうだろ!)
←うーん小5のときはマジでサッカーばっかやってたなあ(今もやってるけど当時ほどでは)
←その春休みに包茎手術を受けた友人2人は心当たりが大いにある。イニシャルも完全一致。
・息子に包茎手術を受けさせたい
←母親に手術しろと言われたのは事実。父親は単身赴任なのであまり絡んでいなかった気が。
・息子はビビりで痛いのが苦手(なので手術は嫌がりそう)
←平均を知らんけど普通に怖かったので全力で嫌がった(けど強制的に受けさせられた。てかガキはみんな手術なんてビビるだろ。麻酔かけるとき絶叫したぞ?)
・R、Tが手術を受けると言って説得したらいいかも
←説得というか既成事実化されていた。母親は「一緒にやりなさい!」の一点張り。ライバル視というより2人の手術は決定っぽい雰囲気だったので俺だけ怖いっつって逃げるのはズルいと思った。それで3人一緒に近所の病院で手術を受けることになった(子供の包茎手術で有名なところだったらしい)。ガチで痛かった。死ぬかと思った。
読みながら俺は件のブログを発掘したRと顔を見合わせた。俺はイケメンでもなんでもないが、それ以外はほぼ我々の6年前の経験と同じである。まさかこんな偶然の一致があるだろうか。もう一度読み返したがやはり俺の母親が書いたとしか思えない。事実は完全に一致しているし、おまけに俺の母親は実際かなりの親バカらしいのである。面と向かっておだててきこそしないのだが、父親や祖父母によると俺がいないときには相当な親バカ発言を連発しているらしい。怖いのでやめてほしい。
しかしそれにしても息子をイケメンとか言っているのは普通にキモい。術後は痛すぎて1週間ぐらいまともに歩けなかったのだが、その発端がこんなキモい親心だったとは。まあおかげで包茎は治ったが、それにしても苦痛が大き過ぎたというのが現時点でのR、Tとの共通見解だ。
一気にTwitterのTLが平和になって、心が穏やかになった。ストレスフリー。どうして長らく我慢し続けていたんだろう。。。
二次創作を通じて知り合った、ネットだけの関わりの人。私が萌語りを好きに呟いていたら、彼女の方からある日凸って来たのだけど、最初の押しが強いだけかと思ったら、なんかメンヘラというか、対人依存のような人だった。
そもそも、創作に関するスタンスが合っていなかったのかもしれない。私にとっては創作はそれ自体を楽しめればそれでよいのだが、彼女は創作自体を楽しむというよりは創作をすることによって何かを得るのが目的だったのだ。お金とか友達とか人気、自己肯定感など。だから、ちょっと上手く行かないとか評価されなかったことでたちまち彼女は腐りだす。恨み言を吐き散らして、フォロワーに慰めを求める。
別に、貪欲になるのはお好きにどうぞって感じだが、貪欲にフォロワーの気を引こうとして、フォロワーの好きそうな話題を大量にRTしたり、フォロワーが最近ハマっている作品やカップリングに手を出してくる。そういった活動がTL に流れてくるのを見ると、こちらとしてはなんだかこっちの脳内をハックしに来られているように見えて、気持ち悪いのだ。例えていうならば、私は公園の片隅で一人で蟻の観察に集中していたいのに、「何してるのー?」と声をかけてきて、そのままどこに行くにも着いて来られるような。私は自分の心をワクワクさせ喜ばせるものを自分で発見すること、それ自体に喜びを感じるのに、一々先回りされて「あんたこれ好きなんでしょ?」と押しつけられるのに似ている。
決定打になったのは、私の人生初の推しが同性であることをツイートしたら、彼女が以来やたら「私は昔から自分の性別に違和感を持っていて……」とか「本当は私は女の方が好きなのかもしれない。今だったら男となんか結婚しなかったのに」とか呟くようになったことだ。彼女は別に私向けにだけそういう仕草をするんじゃなくて、家庭の事情でストレスが溜まったときなんかに、全フォロワーのそれぞれに向けてそれぞれの好きそうなネタを吐き出すので、それが彼女の平常運転なわけなのだが……。でも、なんかもう糸が切れるように、もう駄目だー、ミュートしよ……ってなった。
私ゃ確かに天然バイなのかもしれないのだが(初恋の人まで同性だったのだが、しかし私はレズビアンでもバイセクシャルでもないような人生をこれまで生きてきたのだ)、自分の性別に違和感を覚えるとか単なる思春期特有の拗らせ以上で思ったことはないからなあ。バイとトランスジェンダーって、重なっている部分はあっても、完全に一致はしないだろ、そもそも。というツッコミもしたくなったが面倒くさいので、私は何も言わなかった。
Twitter上のオタク、自分は別に興味はないけどこれフォロワーは好きだろ? っていうノリでフォロワーの好きなものを投げてよこすようにRTしがちってところあるけど、彼女のムーブはそれとは違うものだった。疲れた。
増田でURL添付されてる書き込みがあるとそのトラバで「リンクなんか踏めるかよ」みたいな書き込みを見かけることがある。
ウイルスやブラクラを恐がるのは分かるけど、脊髄反射的に踏まないって決め込むのはどうかと思う。
5chやimgurみたいな大手サイトがウイルスに汚染されてると考えるのは杞憂に過ぎる。
正規サイトに見せかけた偽サイトの可能性を警戒しているのだろうか。
確かにディレクトリの左側が一致。いや偽サイト側でディレクトリ構造ごと模倣されてしまえば正規サイト本当に全く同じURLで偽サイトに飛ばされることもありえるか。
DNSキャッシュポイズニングは5chやツイッターの個別ツイートみたいに半動的に新しく生成され続けるURLには無力だと書こうとした。
というわけでトップレベルドメイン及びそれより左側が正規サイトのものと完全に一致していて右側もそれっぽい文字列を有していたとしても油断はできない。
でもまあ証拠写真とかimgurであげて増田に添付するって場合もあるだろうし証拠見せたいのに即座に「俺はリンク踏まない主義だから」ってなる人はやっぱり困るよね。
YOASOBI「Into the night」はご存知でしょうか?
「夜に駆ける」の英訳バージョンとして発表されたこの楽曲、まずはとりあえず日本語バージョンから聴いてみてください。そのあと英語バージョンへ。
https://www.uta-net.com/song/284748/
https://www.uta-net.com/song/304176/
そう、この楽曲、「日本語の発音に英語を当てはめながら英訳としても意味を成している」んですね。
この英訳の音の当てはめ方。聴いた瞬間にもう膝を打ってしまったわけですが、英語の成績はそこまで良くなかった私では英訳の上手さを十分に理解しきれない、よりこの英訳について掘り下げたい!と思い、英語が堪能な友人と少しTwitterのDMで話し合ってみました。
____________________
自分…日本在住。英語は多少の理解、会話が可能。(簡単な道案内ができる程度)
文法はなどはあまり理解しておらず、ノリと勢いで会話を乗り切る人間。
英会話で困った時は「幼稚園の子供に話すようにしゃべって!」と言って苦笑いされるタイプ。
友人…英国在住。英語話者のパートナーを持つ。学生時代から成績優秀。語学に堪能であり、大学では談話分析などに触れる。
最近ではTwitterでゆるく繋がっているくらいの距離感であり、一対一で会話のやりとりをするのは数年ぶりでした。
____________________
急な連絡ごめんなさい!
ちょっと気になったことを聞いてみたくて英語に堪能なあなたにご連絡した次第です。
暇なときにふわっとなんか返してくれると嬉しいな!
日本で最近有名なアーティストさんが、もともと日本語の曲を全部英訳して英語バージョンを出したのね。
聞くとわかるかと思うけど「日本語の発音を英語バージョンでも織り交ぜて似た響き」にしてるんだよね。
日: 沈むように溶けていくように
英: Seize a move, you're on me, falling, and we were dissolving.
みたいな。
自分は聞いたとき、うわっ、日本語への音の一致が巧みすぎるな!と感動したんだけどふと疑問に思って。
これって英訳としてちゃんと意味を成した歌詞になってるのかな?
簡単な英文なら読めるけど詳しい文法とかになるとてんでダメだから詳しい方の分析を聞いてみたい!っていう、ほんとただ趣味の質問でした。
____________________
友人
むしろ大歓迎!
YOASOBIのこの曲はギリ知ってますよー。
耳に残りやすい語尾は完全に一致されるように作られてると思う。
(例えば「沈むように」「騒がしい」とか)
あまり日常的には聞かないような文章の作り方をしてる部分があるかな。
例えば、サビのSaw what got seen hid beneath, and louder nights keep beatingは、
「騒がしい日々に笑えない君に」を指してるけど
日本語では騒がしい日々という一つの句になってる部分が、louder nights keep beatingが英詞一つの文に落とし込んでたり。
Saw what got seen hid beneathは本来の英文法だったら、(I) saw what (I) got seen (is) hid(den) beneath.
意味も「僕は見たもの( i.e. 君)が影に隠してるのを見た」だしね。
それが完全に変とは言えないけどね。
Be動詞を全部ain’tに変えたりとか、
三人称単数のhasになるところをhaveにしてみたりとかさ。
あと、英語はどうしても主語ありきなところと、1拍に一音以上乗せられるから※、
新たな情景が多少追加されてる部分があるかな。
具体的にはAメロのSeize a move, you’re on meは
直訳は「動きを止めて、君は僕にいる ( = コントロール下にいるイメージ)」は
サビのI’m going to youは歌い手の「僕」が「君」に近づいてっちゃってるプラス、
You could run with meとか更に逃げ道の選択肢を与えてる気がするかな。
日本語の発音でcatを言ったら、キャ-ット (kya-tto)で二拍必要になる
→ 同じメロディ・拍数があっても載せられる情報量が変わってくる。
____________________
こういうのを待ってた!!!
めちゃくちゃに勉強になる〜、一拍に一音の説明もわかりやすい…最高…。
意味はほぼ一致してるという点は自分もそう読み取ってたから合っててよかった〜情景の描写とかは割と忠実だよね。
自分が引っかかってたのは
「英訳の方が歌詞の主観者が能動的」だなぁって若干感じていたんだよね。(意味伝わるかな…)
「二人今、夜に駆け出していく」
が、二人と描写されてるからここだけ第三者目線で描かれて「僕」から離れているのに対して英訳では
「you and me are running through the night in the dark, I'll take you」
となって、視点が「僕」から変わらないままである。なおかつただ駆け出すだけでなくI'll take you.つまり「僕が君を連れ出す」と能動的に動いている。
この辺りの視点の違いになんとなく不思議な感覚を覚えたので今回質問に至ったんだよね。
でも「英語は主語ありき」という説明でめちゃくちゃに腑に落ちた!
英語だと音を詰められるから歌詞を追加する必要があるのと主語をハッキリさせる必要があったために、そこで新たな描写が増えていて「僕」の主観がより顕著になっていたと!!
そういう解釈…であってるよね?
いやこれめちゃくちゃ楽しいわ、こんな楽しい会話ができる素敵な方、君しかいないわ〜!!本当に付き合ってくれてありがとう!!
あと主語ありきの話で言うと、よくよく考えると日本語だと少なくとも歌詞の世界の中では君と僕に性別は設定されてない(想定されているかもしれないが明言はされていない)のに対して英語版だとSheと少なくとも「君=女性」と確定しているのもなんとも言語の特徴が表れてるな〜って感じました。
なんかもうちょっと情緒というか、三人称に性別の明確性を持たない言葉があればいいのにね〜ってちょっとだけ思った、蛇足だけど。
____________________
友人
そうだね、多分能動的だなって感じるのは、
英訳版が主語が明確じゃない部分でさえも主語を明示的にしてるのと、
拍の量と文化的に「僕」の描写を若干足してるからだと思うんだ。
というのも追加された「僕」の描写や純粋な日本語の訳を考えたときに、
英語に直した時にやっぱり誰の話?というか
誰が動いてるのかが顕著に足りない気がするんだよね。
君のいう通り、
歌詞に「二人」という表現がいくつも出てきて、僕と君から視点が離れてるけど、
日本語では感覚的と前後の文章で君と僕 (you and me)の話をしてることがすぐに分かるじゃない?
英語だと both of them, both of you, two people, both of us, theyとか選択出てくると思うのよ。
でも現実的にboth of them, both of you, two people, theyは、
この場合の「二人」の代わりにはならないし、
で、ご指摘のyou and me are running ~は言葉を顕著に受け取ると、
すでに夜の中を走ってるわけだから、
”I’ll take you”を入れることで「駆け出し」感? 今始まる感を演出してると思う。
駆け出すきっかけを作ってるのは僕だし、主語ないと今から始まる感が今ひとつになる気がする。
あと、蛇足の君がsheになってるのは、やっぱり主語抜きにできないし、
無理くり主語抜きにして、受動態とか使うと情景がボケるからでは?
最近はLGBTQ+の台頭によって、
theyを三人称単数でも使われることも出てきたのね。
(sheでもheでもないノンバイナリーの方もしくは性別が分からない人等場合はthey)
でも、まだまだメインストリームな使い方じゃないし、
ここでtheyが使われたりしたら、きっとどこか”LGBTQ+”を意識してると思われそうよね。
一瞬大学の談話分析とか思い出しちゃったけどw、すごく楽しかった!
____________________
数年ぶりの対話でここまで付き合ってくれる友人神かよ…。
そんなこんなで久しぶりの会話が割と弾んでしまい、なんだかもっとたくさんの意見を聞いてみたい!と思い今回投稿をしてみた次第です。
YOASOBI「Into the night」を聴いて、皆さんはどんなことを考えましたか?
個人的にもう少し掘り下げてみたいな〜って感じているのは、
・「日本語らしさ」とは何か?(発音をどこまで崩しても「日本語」として認識されるか?)
という点ですね。
似たような試みをしたのは
COLTEMONIKHA「そらとぶひかり」
https://music.apple.com/jp/album/natural-lips/1538259833?i=1538259836
あたりかと思いますが、なんか言語学に詳しい方いらっしゃったらご教示頂けたら幸いです。
長文ご覧頂き誠にありがとうございました。
食感と一致してなくない?ややこしいねん。なんかナチョナチョしてる食べ物かなって思って頼むやん?カリッカリのパリッパリ。分かりづらいからカリトスとかパリトスみたいな名前にしてくれ。
それに比べてラングドシャは最高。食感と完全に一致している。ラングドシャ食べた時ラングドシャって音鳴ってる。ナチョスはラングドシャを見習ってくれ。
お前の批判はもっともであると同時に一歩遅れているところがあってだな。
まず最初に、今の人口と国家規模じゃあ直接民主制がムリっていう前提が、昔の人にはわかってましたね。
ここまでが古典。
その次に何が起こったかって言うと、代議制が全然民衆の意見を反映しない、っていうシステム的な不備が発見されたわけ。
政治家は自分の利益のために動くのが普通であって、それが民衆の意見と完全に一致することはない。それに選挙っていう制度は所詮マイノリティの切り捨てであるから、それによって出てきた民意にはマイノリティの意見が反映されておらず、つまり民衆全体の意見にはなりえない。
選挙と議員だけじゃ民主主義はできないから、他のルートから意見をあつめるようにするのが望ましいとされた。NPOだとかね、パブリックコメントだとかね、市民との対話だとかね。いま政治の現場でやってるのはだいたいこの考えに基づく。
ここまでが20世紀。
でもこの処方箋がどうもうまく働かない訳だ。
だいたいお前の言うとおり、みんな政治とかしてる暇ないわけ。結局政治参加っていうのはプロ市民みたいな輩の意見をあつめるルートに過ぎなくて、民衆全体の意見の反映になどならなかった。それに、プロ市民たちが政治参加しないなんて悪ですねめいたこと言ってくるのが不快だし。
お前の意見は、たぶんこの不快感に基づいていて、とっても現代的で最先端なんだ。
でもだからこそ、代議制をイコール正しい答えとすることはできないわけ。
まあ、その上で正しい答えなんかまだ誰にもわかりゃしないけどね。答えなんかないのかもしれない。
5chを見ていたら最高にシコれるエロ漫画というタイトルでスレが立っていた。
リアル調であり、それでいて二次元の可愛らしさがミックスされた素敵な画風。
本物の写真をレタッチしたのか、下書きにして上から描き直したのか、全ページ全コマがそうではないだろうが、エロいページは一から描き起こした絵ではなさそうだった。
彼女と美容師のラインのやり取りもどことなくリアルさがあった。
押しに弱い女とNTRモノに相応しいクズ男が表現されていたのだった。
さて、そのラインのやり取りで美容師の男がチンコの写メを女に送るシーンがあるのだが、
そのシーンは、パンツ・ズボンのところこそ、絵で描き直されていたが、
チンコの部分はそのまま使われており、モザイクで加工されているだけだった。
履いている物も、床も完全に一致していたし、
ソレは、昔、アプリやら掲示板やらで女漁りをしていた時に撮ったものだった。
余談だが、本作に出てくる寝取った美容師の名前が、俺がインターネットで名乗っているハンドルネームと同じだった。偶然が重なりすぎだ。
インターネットは恐ろしい。
私と貴方だけの秘密のつもりが、第三者にまで秘密が回ってしまう恐れがある。
送った相手が意図的に第三者に流す場合もあれば、あるいは、情報流出で第三者に渡る場合もある。
そこに悪意があろうとなかろうと、世界に知られる恐れがあるのだ。
あるいは、オリンピック続行に反対だが、選手は応援したい、というジレンマ。
全国的に感染が急拡大する中、こうしたジレンマに悩んでいる人、多いと思う。
wikipediaによると以下。
認知的不協和とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。アメリカの心理学者レオン・フェスティンガーによって提唱された。人はこれを解消するために、矛盾する認知の定義を変更したり、過小評価したり、自身の態度や行動を変更すると考えられている。
オリンピックに反対であるがゆえに、応援もしない、さらには選手を軽蔑する、という形で自分自身の内心の一貫性を持たせようとする心的な傾向は、まさに日的不協和の典型例なんじゃないだろうか。
しかし、近代社会というのは、個々人の内心が一貫していることを求めるものでもなく、むしろ個人の好みと社会にとって正しいと思うことがぶつかり合うことを前提とした制度設計がなされている。
例としては、うなぎは大好物だが、乱獲は抑止すべきだ、とか、プラスチックは便利だがプラスチックごみは規制すべき等も思いつく。
自分の欲求と社会のありようが完全に一致しているひとはまずいないだろうし、ありとあらゆる社会問題は、自分のなかに矛盾した形である、個々人の選好と個々人の描く社会の在り方(正しさ、善)を調整する営みなんだろう。
うなぎの例でわかるように、「したいこと」と「よいこと」が矛盾した認知的不協和というのはごく当たり前の心理状態であり、大好物という認知と乱獲防止への政策支持の不一致を解消する必要はない。
うなぎは好きで食べるけれども、乱獲防止政策に賛成という態度はあって当然のこと。むしろこの二重性がなければ、公共的判断は成立しない。
うなぎを食べながら規制に反対する、というのも、認知的不協和の解消方法のひとつといえる。人々が矛盾を抱えたままで「正しいこと」に合意し、公共判断を下せるのは、とても合理的な制度設計だ。
そう考えると、現代の民主政が直接ではなく間接民主制なのか、納得がいく。
個人的には好きではないけど自分が社会の在り方として正しいと思っていることを代表者が討議し、社会として選択する、という場が必要になる。
そうなると、意思決定者にも、討議に参加する代表者にも、欲望だけに囚われない、人間的にも理性的にも分別のあるマトモな人間であってもらいたい。
近代の民主主義を築き上げた初期の人たち、例えばアメリカの建国者のひとりジェファーソンは、
公共的な討議の場を設定するためには、市民としては、そういう矛盾する認知を整理し、公共的課題を自分の欲求から分けて考えることができる分裂症的気質こそ、民主政に必要な市民の資質だと考え、他方、代表者(議員)に必要な資質をアリストクラシー(自然的貴族)と呼んだ。
しかし、一般市民としては、自分のなかの矛盾に耐えられない、というのが当たり前。
社会はこうあってほしい、という思いと、自分はこれが好きだ、という、ふたつの矛盾する認知に直面したとき、
ふつうの人々は、自分の内面を整理するために、どちらかの認知に一貫性を持たせるよう、知らず知らずに認知を修正してゆくことになる。
今回のオリンピックの例でいえば、特に運営側の闇の側面をいやというほど見せつけれられてきたので、人々のオリンピック嫌いが加速し、中止または延期の世論は7割以上になった。さらに、自分のなかでの論理的一貫性を保つために、選手にも賛同しない、という考えすら生まれてきたのは周知のとおり。
オリンピック選手に対するある種の攻撃的な感情は、こうして醸成されてゆく。
社会の規範に合わせて自分に対して一貫性を要求しがちな日本人は特に、自分の欲求を我慢するのはストレスなので、場合によっては、自分だけではなく、他人にも一貫性を強く要求するようになるからだ。
別の例を挙げれば、60年代にセクト化が加速したサヨクの動きが典型例。
また、原発反対するなら電気使うな、オリンピック反対するなら、テレビをみるな、といったよくある論法も、同じ認知の一貫性を他人に求める一例。
サヨクのみなさんは、極端に走り勝ちで、じゃあ電気をつかわない、といって原始人のような生活を始めたりもしてしまう。
自分のなかで一貫性を持たせようとして、あえてオリンピックをみない、応援しないといった姿勢を貫こうとする人も少なくないようだ。
党派性それ自体は、個々人の選好が異なれば自然発生的なものだろうが、
それが過激化するのは、認知的不協和へのストレスのほかに、もうひとつ社会的な原因がありそうだ。
ますます両極化が進んでいき、相手方の一貫性のなさを批判し合うようになるまでには、認知的不協和を解消しやすい立場の人とと
そうではない人たちとの分断が背景としてあるのかもしれない。
コロナ対策では人流の抑制が課題なので、パンデミックが始まった一年前、ステイホームが大きく取り上げられた。
しかし、ステイホームできない、したくない人たちの現実、そして経済再開を望む多くの圧力を前に、
次第に言葉の力は失われ、今では行政も政治家も口にしなくなってしまった。
もっとも同時に、自粛警察もあんまり姿をみなくなったのは喜ばしいこと。
ステイホームができる人と、できない人の立場の差。それを声高に叫べば叫ぶほど、軋轢を生み、社会の分断が加速する。
思い出すのはベトナム反戦運動。ベトナム反戦真っ盛りの60年代のアメリカでブルーカラーと呼ばれる労働者階層が、ベトナム反戦に熱を上げる若者たちに
反感を抱いたのは、自らは徴兵されず、安全な場所から口だけ反戦を叫ぶやり方が気に食わなかったからだ。
コロナ禍でのステイホームのムーブメントでも、それと似たような分断が生じたように思う。
自粛、在宅など社会に貢献できる人々と、ステイホームという形では絶対に貢献できず、むしろ足を引っ張ってしまうようにも見られてしまう業界。
それが特に浮き彫りになったのが、エッセンシャルワーカーというカテゴリからこぼれ落ちた飲食業界だ。
オリンピック選手もまた、一般人以上に、社会の安全と自己実現との間の認知的不協和に引き裂かれ、なおかつ、オリンピック反対派の標的にされるという意味では、深刻な犠牲者だろう。
以上の話は、人々のジレンマを構造的にとらえたらどうかな、という試みだけど、
自分自身が考えた正しさは、オリンピック賛成であれ、反対であれ、現在の自分の社会的立場のなかで認知的不協和を解消しやすい形で論理化されたものであり、
知らず知らずに自分の都合のいいように、正しさの論理的一貫性がアピールされているに過ぎない。
しかし、そんなふうにと口でいうのは簡単だが、ふつうはそんな悟りを開いたようなことはいえないし、そんなもの誰とも共有されない。
重要なのは、こんなふうに構造化して達観する、というか、悟りを開け、ということじゃなくて、
オリンピック観戦は選手の思いを知る絶好の機会。オリンピック反対がトーンダウンした、という論調もあるようだけど、
そうではなくて、自分的には反対は反対だけど、選手たちの置かれている立場もわかって、攻撃性が選手に向きにくくなったということだろう。
飲食でも、これまではタレコミにも怯え、苦しめられてきたけれど、最近は、ある意味、腹を括ったお店も多い。
タレコミも減ってきたという声もきかれる。
こうした寛容さは、行政の飲食業界への不十分な手当が報道されたり、飲食の場で実感することで、人々の認知が再修正された結果だと思う。
人々の認知には多様性が生じるものの、異なる立場の姿が可視化されることによって、自分のなかで矛盾する二つの認知をよりクリアに整理することにつながる。
こうして考えてみると、自粛要請をベースとした日本流の政策は、人々の認知が多様になるとかえって不都合なのがわかる。だからこそ政権与党は、人々が同じ方向を向きやすいタイミングを狙って、オリンピック直後の選挙を好機とみたりするのだろう。
自粛要請は、政策決定(ルール)に従う形で自分自身の好みという認知的不協和を解消しようとする日本人のメンタリティと、同じ社会の構成員にも同じ一貫性を要求したがる相互監視のムラ社会的なメンタリティが合わさって発揮して初めて効果的だといえるけれど、昨今のオリンピック運営のゴタゴタにみられるように、公共的なルールや判断への人々の不信感が強まると、必ずしも政策決定者に都合のいいような仕方で人々が一丸となって、認知的不協和を解消してくれるとは限らなくなる。
などと、都合のいい解釈で認知的不協和の解消を政策決定者自らが行うとなれば、
人々は、ルールへ従うことの意味が不明瞭になり、ああ、結局、好きなようにやっていいんだな、という思いを強め、相互監視は機能せず、自分の生活を変えることなくコロナへの懸念も自分の認知のなかで両立させてゆくだけだ。
しかし、現実には、2020年4月に実現した日本人一丸となったステイホームは夢のまた夢だし、飲食業界は我慢の限界をとっくに超えているしで、
人々はデルタ株猛威の現実にピンときておらず、人によって温度差のある、かなり適当な自粛をしつつ、コロナから目を背けられる絶好の機会とばかりにオリンピックに夢中になっている。
自粛に頼った政策は、結局のところ、オリンピックへの賛否が開催とともに揺れ動いてきたことに典型的に表れているように、認知的不協和の解消の仕方に多様性が出てきた瞬間、崩れ去ってゆく。「コロナは心配、、、」といいつつ普段通りに暮らす人々であふれかえるだけだ。
本来の政策というのは、そんな人々の認知(世論)など無関係に、討議されるべきであるし、人々は討議の結果に対して法的な拘束力を受け入れるべきだ。
例えば、自分の考えと相反していても、オリンピックは応援しているし、これからもしたいが、もし中止という政策決定がなされるならやむを得ない、
あるいは、オリンピックは懸念しているが、もし続行という政策決定がなされるならやむを得ないという態度でいられるほどに、政策決定者への信頼が重要になる。
「ほらみろ五輪楽しんでいる奴らが増えただろ」などという次元で政策を決めるべきではない。
むしろ「個人としては五輪は楽しんでいるけれども、政府には感染対策として中止するなら、中止を決定してもらいたい」という、ジェファーソン流にいえば分裂症的な市民の判断を見極めたほうがいい。
しかし残念ながら、いまの政権にはそうした信頼が全くといっていいほどない。
いつどんな判断をするか、全くわからない。データは出さない。モニタリングもしない。事実に基づかず楽観論でしか答えない。
将来シナリオを示さない。予測や分析を共有しないから、いつも唐突に首相が何かを決心したかのように物事が決まって、人々がついていけなくなる。
今日もひっきりなしにお客様達がやって来た。夕方は野球チームのユニフォームを着た子供を含む家族連れが二組来店。不要不急の野球の練習試合か何かが、近くの運動場であった模様。でも、普段の休日だと野球チーム丸ごと来店して店がごった返すので、今日はさすがに自重した人が多かったのだろう。
日曜日は県外ナンバーの車が多く来たけど、今日来店したお客様の多くは常連のお客様達で、いつもは18時頃に来る人達が19時半以降にばらばらと来る感じだった。そのせいで、絶え間なくお客様が来る感じだったという。
時々来る、絵に描いたような女の子の服装をしたお客様が来店。本当に、絵に描いたような女の子のような格好なのだ。確か、以前はてなブログで断捨離だかミニマリストだかしてた、風の他人の姫姉様だったっけ? そんな感じの名前の姫姉様の推奨していたモテ服に近い。いかにも! な格好過ぎて、Aさんなんかはそのお客様のことを高齢のご婦人だと思い込んでいたらしいが、私には20代前半に見える。肌ツヤツヤでシワ・シミ一つないし。
絵に描いたような女の子の服装をしたお客様がお店に入って来た途端、店の中でお買い物中のおじさん達が色めきたっていた。思わず振り替えって二度見する人、棚ごしに左右にソワソワ動きながら顔を見てやろうと頑張っている人。結構露骨に見ているものなのだなあ。これまで、絵に描いたような女の子の服装をしたお客様は夜遅くの暇な時間帯に来店することが多かったからか、こんなにもおじさん達をソワソワさせるとは知らなかった。姫姉様すごい、本当にモテだ! おじさんにモテても嬉しくないかもしれないが。
絵に描いたような女の子の服装をしたお客様は、なんかすごくデカくてゴツいオフロード乗り回せるような車に乗っている、とAさんが言っていた。Aさんはお客様達の車をよく見ているのだが、女の子女の子した服装の女性はゴツい車に乗っていがち(運転手として)という偏見をもっている。
さぁ……。服装と車の趣味は別なのでは。もしかすると、煽り運転をされたくなくて敢えて可愛くない車に乗っているのか。昔は、車好きの彼氏の影響で車に超詳しくなってしまう女子、というのは一種のあるあるだったが今はどうだろう。あと、いい服を着てる人はやっぱりお金持ってるからそりゃいい車にも乗るだろうさ。しらんけど。
野球帽みたいな形の帽子(←そういうの何というのか知らない)、角刈り的な短髪、ゲージ数の大きくて小さい石がキラッと光るピアス、筋肉! 大胸筋! 黒Tシャツ、普通のジーンズ……という雄々しさと繊細さの絶妙なバランスのファッションをした男性のお客様が立て続けに来店する日というのがたまにあるけど、今日がその日だった。お揃いというのではないけど、方向性が完全に一致しているファッションなのだ。近くで何かの集会でもあるのだろうか。
実家太くなくても30代前半で世帯金融資産5000万突破できた。
■前提
■資産内訳
仮想通貨は換金しちゃうとごっそり税金取られちゃうので、厳密にいうと準富裕層ではない気はする。
現金はちょっと持ちすぎなのでもっと投資した方が良いとは思ってる。
奨学金は一部免除になって借金残り200万くらい。それ含めて大体5000万前後。
■5000万の要因
ぶっちゃけほぼこれに尽きると思う。共働きで財布全て一緒の明朗会計。価値観が完全に一致してるのが強い。
お小遣い制などというものは無く、お互いが使おうと思えば全て使える状況。
でも2人ともそれほど物欲が無いので使わない。
別に極度の節制してるわけではない。共働きなので外食とかも割とするし旅行もしてたし。
一応自分の稼ぎを生活費に、配偶者の稼ぎを貯金と投資に、くらいのスタンスだけど厳密にしてるわけじゃない。
投資もこれが原資なので、独身だったら1000万貯めるのが関の山だったんじゃないかなと思う。感謝しかない
過去利確した分も含めるともっとあるかも。まぁこれは2016年で買って放置してたら増えたものでラッキーくらいに思ってる。原資はとっくに回収済みなので0になっても泣かない (泣くけど)
資産運用で 99 点をとる方法 https://hayatoito.github.io/2020/investing/ で十分だと思う
勝手にそのうち増える、たまにごりっと減っても泣かないくらいの気持ちで定期的に入れてる
コロナ禍で含み益が増えた。ほとんど優待や配当目的の長期保有。
何かにつけポイントサイトやクレジットカードで貯めていて、ポイント変換とかクレカの内容には詳しい。
例えば旅行とかはマイルでほぼ無料で毎回行っている。コロナ前は海外年2回、国内年2回くらい。
QRコード決済系の○○%還元も良く拾っている。でも毎日数円拾うとかのコスパ悪いのはやってない。
原資があまり無いならおすすめ。ここに紹介リンク張りたいくらい
色々調べて手を出しては細かく利益を積み上げている。
ちょっとバイトしてみたり、物を売ってみたり、Webサービス・アプリで広告費稼いでみたり。
一番割が良かったのは携帯MNP全盛の時代に無料どころか利益を出しながら携帯使えてたやつ。
あれだと半年に一度くらい+10万くらいの利益が出ていたので非常に良かった。
■貯めて何に使うか