2020-07-06

シミュレーションとは、乱数呪文とした「神への祈りである

世の中には、全てのパターン網羅的に調べることができないほど複雑な事象がある。

その一部の要素に乱数を用いて網羅性の代替とすることを、人類は「シミュレーション」という科学っぽい名称で呼んだ。

しかし、乱数を用いるシミュレーションモンテカルロシミュレーション)は、科学を途中過程に置いた信仰だと思う。

乱数を用いた時点で、結果がそれこそ神のみぞ知る厳密解に合致しているのか、多くの場合からない。

そもそも、その合致を数式的に証明できるのであれば、シミュレーションなんか必要ないわけで。

それは、大規模シミュレーションとか呼ばれるものなんかで特にそうだろう。

大規模となれば、計算には莫大な時間費用がかかる。

なので、乱数使用数に比して、統計的信頼度を満たすほどの回数で試行するのは困難であろう。

そうなると、厳密解への合致はそのシミュレーションへの信頼感といった信仰によってしか期待できない。

シミュレーションが出力のビジュアルにこだわるのもそういうことだろう。

から、私は乱数を用いるシミュレーションを「神への祈り」と呼ぶのだ。

そこでは、乱数という呪文により、人類には見えぬ厳密解へ結果が合致していくことを信仰するしかない。

そして、同じく厳密解を知りえない社会もそういった態度を許し、社会はそういった数々の祈りによる成果で成り立っている。

複雑な社会の成り立ちには、そういう信仰が織り込まれている。

祈り信仰は、少なくともシミュレーションにおいては、科学によって乗り越えられていない。

  • 計算に莫大な時間と費用がかかりすぎるため、乱数の使用数に比して、統計的信頼度を満たすほどの回数で試行するのは困難である。 再現性を確かめるだけならたいして試行数は必要...

    • でも「初期値やパラメータのゆらぎに結果が大きく依存」しないんだったら、シミュレーションやる意味無くない? 値を決め打ちして1回やればいいじゃん。

  • 与える乱数の分布形状に依存するという意味では、祈りというのは正しい 一方で、ボール投げの放物線を考えてみるとわかるけど、現実世界で厳密解に完全に一致する結果を再現するこ...

  • シミュレーションは予測ではないからなあ. ありがちな批判ではあるけど,特に見るべきものはない文章だ・・・

  • 科学の探求の始まりは 「この世界は何者かが設計したかのように精密に動いている。その設計内容を理解しよう」という機械論的自然観から始まってる。 ニュートンやデカルトあたりね...

    • その通りだな。 物事の理解のために神をデザインしたが、他の理解のツールが発達したから、それを不要とする人たちも増えた。 一方で、神を信仰するために作られたコミュニティや、...

      • 科学というのは明証分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられた知識は正しいという考えだ。 物理や化学なら個体差が少ないから科学にマッチすることもあろう。 生物、医学、心理...

  • 古典的なニュートン力学でさえ厳密解は出せない、出てくるのは近似値だというからなー 物事のモデル化ってのはそういうもんだろ

  • 近似保証アルゴリズムを使え

  • あほが一生懸命考えましたって感じ

  • 厳密解を知る神などいないと言うのが科学だと思うが

  • 占いみたいだなーと思ったことはある(実際は全然違うけど)。 簡易的な易経なんかは、コインだったりサイコロを投げるそうだ。

  • 気が合いますね!こういうことを書きました ttps://anond.hatelabo.jp/20210227104813

  • 厳密解への合致はそのシミュレーションへの信頼感といった信仰によってしか期待できない。 解析的な真の値と一致する可能性は数学的に確率ゼロだけど、どれくらい試行すればどれ...

  • 観測するまで確定しないとか現実がそもそも揺らぎがあるんだから乱数でもなんでも良い

  • 知ってはいるけど統計学は科学ではなく宗教だと考えている口かな? あるいは数学は実験的裏付けがないので(自然)科学ではない,という話かしら。 anond:20200706082437

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