はてなキーワード: 奇跡とは
とおっしゃるけど、
「神が6日間で世界と動植物と人間を創造した」と書かれた書物を有り難がったり、
「月を二つに割ったのち、元に戻した」みたいな話しの方が
追記を見た上で言うがお前さん、ちゃんと双子の場合はこうするよ?大丈夫耐えられる?って話をしたのかが焦点だな。
したなら嫁さんがまぁ悪いかな。
含んでたし・・・みたいな考えならお前が圧倒的に悪いわ。
年齢的なラストチャンスを考えながらその中でのイレギュラー対応は事前に伝えるべきだったろう。
で、嫁さんも納得できる所は多分無い。32でしょ?ナイナイ。
奇跡が起きないと無理だろう。という訳で1は無いしイレギュラーが頭になかったらそりゃ2も倫理的にないだろう。
嫁に1人で育てろというのも無理だ。確実に養育費を請求される。それも二人分。て訳で3も現実的じゃないだろう(実家が太いなら別)。
まぁ4が正解だろうがご両親が嫁さんと同居するなら孫可愛さで嫁サイドの味方になるだろうし、命と大学を天秤にかけた人間として見られるだろうな。
つまるところ、全てが丸く収めるには誰かが折れないと詰んでるわコレ。
卵胞確認をしてHCG注射を打って排卵させ、排卵を確認しては着床安定のためまた着床を打つ。
薬も注射も使わずに卵胞は正常サイズに成長し、正常サイクル通りに排卵をして、妊娠した。
それでも2週間そわそわ不安になりながら待って、妊娠検査薬を使った。
初めて陽性になった検査薬を見て泣くよりも小躍りした。
よかった!よかった!バンザーイって。
小さく見える胎嚢の中は真っ黒だった。
この後くらいからつわりが始まり、ご飯が少しづつしか食べられなくなり、えづいては胃液を吐くようになった。
翌週また診察。
今度は歪んだ胎嚢が見えた。筋腫のせいだと言われ、今日も胎芽は見えなかった。
先生からは「来週もう一度来て。そこで心拍確認出来なかったらちょっと…」と言葉を濁された。
また翌週診察。もう8週目に入った心拍確認出来なくてはおかしい。
でも胎芽どころか胎嚢もはっきり見えずに終わった。その日流産の宣告をされるのかと覚悟したが、先生からは「また来週」とだけ言われた。
9週目に入った。この日の診察で初めて胎芽を見た。
小さく見える胎嚢の中に小さい白い胎芽。
でも小さすぎて心拍確認は出来なかった。先生は「また来週」と「覚悟もして」と言った。
本当なら、普通なら、もう心拍確認できて、赤ちゃんは2頭身になっててもおかしくない。
ただHCG値の結果が良かったので先生も期待を込めて待っていてくれている、というのを看護師さんから聞いた。
『心拍確認が出来てから両方の両親に伝えようね』と言っていたので、夫以外は誰も知らない。
常に吐き気があり、食べれるものは限られ、辛くてたまらないのにお腹に赤ちゃんがいるのかどうかさえ先週まで分からなかった。
クロミッドを使えばきちんと排卵するし、ホルモン値に問題は無いと言われていた。
夫も自主的に精液検査をしてくれて、そちらの結果も良好だった。
それでも妊娠までいくのに1年かかった。
そして私は陽性さえ出れば全て上手くいくと思っていた。
どんなにつわりが辛くても赤ちゃんのためなら頑張れると思っていた。
陽性が出たのに赤ちゃんがいるのかさえ分からないなんてことがあるなんて思いもしなかった。
今は病院でも心拍確認まで出来ないと「おめでとうございます」とは言ってくれないらしい。
私も言われてない。
来週の診察が怖い。最後まで信じる、なんてお花畑な精神でいたらダメだった時に耐えられない。
でもダメかもしれないと思いながら過ごすのも辛すぎる。
パパ活を一年ほどして、かなり理想のポートフォリオができたから晒す
〇 月1@4
彼氏は無し
ブサカワ系
おっぱい小さいけど適度に筋肉質で足がすらりと長くスタイルはよい
感度はかなりいいが反応は控えめ
総合的に見て経験は乏しくセックスのテクを教えると素直に吸収する
美味しいごはんは好きだけどいい店を知らないのでつれて行くといちいち感心される
とりあえず何も知らない子に私の粗末なちんちんが色々教え込むのを体感できるのは超快感
〇 月1@5
感度はそれなりによくめっちゃ濡れる
とりあえず私の粗末な生ちんちんで滝クリっぽいのがあえぐのは超快感。
〇 月1@4
彼氏は無し
自力でお金を稼げるのにエレクトラコンプレックスで年上の男に甘える手段として売春してる
他パパはいない模様
彼氏は無し
整形っぽいけど狐顔の美人
ピルを飲んでいて他にもパパが複数いるが病気リスクがあるので生は許していないらしい
手っ取り早く稼げるので売春してる
とりあえず私を落とした大学の女子学生を低学力生ちんちんが犯すのは超快感
〇 月1@5
彼氏は無し、パパ活を知ったらただでsexするのはもったいないと主張
おっぱいはEカップ、ウエストくびれ手足の長さスタイルは奇跡レベル
卵胞確認をしてHCG注射を打って排卵させ、排卵を確認しては着床安定のためまた着床を打つ。
薬も注射も使わずに卵胞は正常サイズに成長し、正常サイクル通りに排卵をして、妊娠した。
それでも2週間そわそわ不安になりながら待って、妊娠検査薬を使った。
初めて陽性になった検査薬を見て泣くよりも小躍りした。
よかった!よかった!バンザーイって。
小さく見える胎嚢の中は真っ黒だった。
この後くらいからつわりが始まり、ご飯が少しづつしか食べられなくなり、えづいては胃液を吐くようになった。
翌週また診察。
今度は歪んだ胎嚢が見えた。筋腫のせいだと言われ、今日も胎芽は見えなかった。
先生からは「来週もう一度来て。そこで心拍確認出来なかったらちょっと…」と言葉を濁された。
また翌週診察。もう8週目に入った心拍確認出来なくてはおかしい。
でも胎芽どころか胎嚢もはっきり見えずに終わった。その日流産の宣告をされるのかと覚悟したが、先生からは「また来週」とだけ言われた。
9週目に入った。この日の診察で初めて胎芽を見た。
小さく見える胎嚢の中に小さい白い胎芽。
でも小さすぎて心拍確認は出来なかった。先生は「また来週」と「覚悟もして」と言った。
本当なら、普通なら、もう心拍確認できて、赤ちゃんは2頭身になっててもおかしくない。
ただHCG値の結果が良かったので先生も期待を込めて待っていてくれている、というのを看護師さんから聞いた。
『心拍確認が出来てから両方の両親に伝えようね』と言っていたので、夫以外は誰も知らない。
常に吐き気があり、食べれるものは限られ、辛くてたまらないのにお腹に赤ちゃんがいるのかどうかさえ先週まで分からなかった。
クロミッドを使えばきちんと排卵するし、ホルモン値に問題は無いと言われていた。
夫も自主的に精液検査をしてくれて、そちらの結果も良好だった。
それでも妊娠までいくのに1年かかった。
そして私は陽性さえ出れば全て上手くいくと思っていた。
どんなにつわりが辛くても赤ちゃんのためなら頑張れると思っていた。
陽性が出たのに赤ちゃんがいるのかさえ分からないなんてことがあるなんて思いもしなかった。
今は病院でも心拍確認まで出来ないと「おめでとうございます」とは言ってくれないらしい。
私も言われてない。
来週の診察が怖い。最後まで信じる、なんてお花畑な精神でいたらダメだった時に耐えられない。
でもダメかもしれないと思いながら過ごすのも辛すぎる。
数か月前、母が亡くなった。
なんで今頃こんなものを書くかと言えば、突然母宛に電話がかかってきたからである。
電話の先の相手もこんなことを話しても困るだけであろうが、母が亡くなった旨を伝えた。
変に気を使わせてしまった。
母は5年前にがんが発覚し、闘病の末奇跡は起きずただ亡くなった。
それでも経済的には余裕がなかった。母の老後の為の資金は完全に尽きていたし、自分自身今も100万ほど借金を抱えている。
しかしもう少し無理をすればもう200万くらいは調達できたかもしれないし、それでなんかしらの医療なり、
もしくは悔いの残らないようどこか母の行きたい所に連れて行くなりはできたかもしれない。
悔いが残る。
母はタバコも吸わなければ、酒もたまにしか飲まない。家族でも一番健康に気を遣う人だった。
しかしがんになった。酒もタバコもやる父がならずに母がなったのは本人が一番納得がいっていなかったと思う。
もう納骨も済んでいるし、いい加減いい年なのだし踏ん切りをつけるべきなのはわかってはいるがどうにもならない。
もっとつらい目に合ってる人はいるのだからと色々な人に言われたし、実際そうなのだと思う。
しかし日に日にボロボロになっていく母、ギリギリの経済状況、荒んでいく生活。
同意はしてもらえないとは思うが、これはこれで堪えるものがある。
健康にはよくないだろうが、しかしもう分からない。何も分からない。
この荒んだ数年でかなりの友人を無くしてしまった。
もうなにもわからない。
少なくとも自己の内面を掘り下げない一般男性よりは自覚的であると言える
比較的ありのままで存在を認められる「かわいい」といった女性特有の強さは
需要どころか排斥対象すらなりえるという自覚から逃れなれない男性にとっては
もはや羨望の対象ですらある。
「宇崎ちゃんは遊びたい」も女性を弱者として性的に消費してるどころか
一億稼げといわれたら宝くじが現実的で説得力ある選択肢になりえるように
女性に接触する唯一レベルで説得力がある可能性という悲しい構図なのだ
前述のようにオタクは弱者で、どう取り繕っても本質的にキモいという自覚があり
自分は何も持っていないと考えている。
だからこそ自分の内面の欲望と向き合い、空想することが生き甲斐になっている。
フェミな方々があげる問題は「持つものが価値をどう保護運用/自己コントロールするか」の話に見えてしまう
それどころか、持つものが持たざる者の逃げ場所を価値の自己コントロールの対象として奪おうとしてるようすらみえる。
大多数のオタクは女性の不利益は是正されるべきと穏当に考えてるが
表現の弾圧は是正のための唯一の手段でも、効果的な手段でも、女性被害の象徴ですらない
リターンなど考えずただ叩きやすい弱者だから叩いてるように見える。
弱者から潰すのは戦争では常套手段とはいえ、禍根を残す虐殺をやる覚悟をちゃんと持ってるのかは疑問である
圧倒的強者である女性にたいしてオタクはできるだけ接触したくないと考えている。
(ただし、いけるという勘違いが発生してしまった場合はこの限りではない傾向がある)
ファンタジーを現実と同一視するどころか、現実の象徴とすらして
オタクこそ現実の女性を積極的に性的消費する第一人者とみなすのは大間違いといえる。
むしろ、現実の女性への性的消費から遠いところにいるのがオタクだ
オタクは自らの欲望と向き合い自給自足にある程度成功している。
男性的な性欲を満たすのに必要なパラメーターは客観的にはけっこう少ない。
たぶんロボットアーム付きルンバみたいなのに遠隔操作か自律動作で家事をやらせるのがどこかで流行るので
触覚も20年以内にある程度解決する可能性が高いのではないかと思う。
普段音楽を聴かないけど去年キャッチコピーにひかれてHey! Say! JUMPの SENSE or LOVEを買った。
でもアルバム全部を聴いても感覚で繋がってるのか愛で繋がってるのかわからんかった。
一年経って新アルバムが出るというのを知ったのでリベンジしたくなった。
テーマがはっきりしてるっぽいから音楽初心者でもわかるだろうと思ってまじめに聴いた。
以下思ったことを吐き出す。
※歌詞カードは見ていない。曲を耳で聴いただけ。タイトルは読んだ。
自分はあまり賢くない受験生だが、その自分ですら、民間試験といい、新テストといい、永田町の人たちは就職氷河期ならぬ進学氷河期でも起こそうとしているのか、と疑いたくなるほどの出来である。
自分は英検、GTEC、TEAPと受けたが、かなりレベルに差がある。どれがどれとは明言しないが、こんな簡単なのか、というものからセンター試験より難しいものもある。
そんな差がある中で、どうやって共通の成績を出せるのか。一応、CEFRというものがあるらしいが、能力が変わらない自分一人でも試験ごとにズレが生じた。
能力に差がある人が受ければ、自分の実力以上もしくは以下の成績になってしまうだろう。それを「公平」と呼べるわけがない。
そして、首都圏の人たちはまだいい。自分に合った試験もしくは簡単な試験を選択できる。だが、地方の人たちはどうだろうか。地方の人でも受けやすいように受験会場を近くに設置するとあるが、それはすべての団体が同じような場所に設置してくれるのだろうか?
A地方はGTECしか受けられません。とか、B地方はTEAPだけです、とかになればどう考えても地域格差が出るのは目に見えてる。そうでなくとも、首都圏の生徒のように日帰りで受験する事ができない生徒だってでてくるだろう。少なくとも、地域によって格差が生まれるのは明確だ。
折角、地方創生大臣なんて役職作ったのに地方を忌避させるような事をしてどうする。もはや呆れや怒りを通り越して滑稽としかいいようがない。
そして試験の中身もグローバルとは程遠いものが多い。特にスピーキングはガバガバである。
GTECは機械でスピーキングテストを行うが、各問に与えられる解答時間はかなり短い。何回か考えている間に解答時間を過ぎて解答出来なかった。だが、実際の会話で制限時間などあるだろうか?流石に何時間も黙るというのはダメだろうが、流石に十数秒話さないだけで話を聞かなくなる人などおるまい。重要なのは少し時間がかかってもいいから内容をちゃんと伝えられるかが重要であろう。コミュニケーションとはそういうものではないだろうか。
英検とTEAPは試験官とのテストであるが、当たり外れがひどい。英検は受けてから久しいので忘れてしまったが、TEAPは日本人のおばあちゃんだったが上手い下手の前に声が小さくて聞こえなかった。聞こえなければ会話なんてできるわけない。大きくと何回かお願いしてやっとだ。(というかそもそも、日本人同士で英語能力をテストするのに意味はあるのか。グローバルとは何なのか。)
リスニングはICプレイヤーでなくスピーカーである。スピーカーだと座席位置によって聞こえ方が違うし、だれかが咳をしようものなら、耳に入ってくるのは英語ではなく咳の音である。
これを避けるためにセンターではICプレイヤーを導入したが、民間試験が採用する気配はない。なぜわざわざ劣化させようとするのか。
極めつけは、グローバルな人材育成のための導入だと言っているくせに、英語しか選択肢が無いことだ。グローバル化とは、世界中の人たちとコミュニケーションをとる事ではないのか?
であるとしたら、何故、英語以外の外国語の試験が導入されていないのか?
お偉いさん方は、英語さえ話せれば世界中で会話が可能だと思っているのか。そんな訳ない。
英語以外は学習指導要領外だから採用するわけない、という人がいるかもしれないが、この試験に採用されている英検1級やIELTSはどう見ても、高校の指導要領外のレベルである。英語であれば要領外でも許されるかと言われればNOであろう。なおかつセンターでは外国語は選択できる。
私にはグローバル化云々と語る文部科学省のホームページが胡散臭いものに見えてしょうがない。
どんな商品であれ、実験であれ、試行と修正を繰り返して完成するのは自明だろう。試行を一回行っただけで、精度が完璧になる事は奇跡に近い。
だが、もうプレテストは行わないという。それでどうやって精度を向上させるつもりか。まあ、「1~2年は精度向上の期間」と言っているので、来年整った試験ができるのは望み薄だろう。
内容もこれまた酷い。解いてみたが、ほぼほぼ文章を抜粋しろというものだが、小学校と中学校とやってた「~に当てはまる部分を本文中からn字で抜き出しなさい」を思い出させてくれる出来であった。要するに、思考力などほぼいらない。そして、おそらく言っている事は同じでも、言い回しが特殊だという回答も出てくるだろう。それを対応できるかも問題だ。
おおよそ50万人が受験する試験を20日程度で採点しなくてはいけないので、学生バイトを採用するといっていたが、学生バイトに公平かつ適切な採点をしろというのは無理な話だ。
彼らは素人である。たとえ明確な採点基準があったとしても、それと全く同じ言い回しの解答とはいかないだろう。そういったときに彼らの採点は公平と言えないだろう。
また不正や贔屓も横行するのでは、という心配もある。自分の後輩に受かってほしいと思う先輩もいるし、受験する側も大学生にいい点が取れるように「お願い」するだろう。そうなると、もはや公平云々など言っていられない。
数学は単に数式を書き込むので、採点ミスというものは少ないだろうが、それならなぜセンターのままにしないのか甚だ疑問である。
そして大学入試とは本来、独立行政法人の仕事、すなわち利潤追求を目的としない事業ではないのか。何故、事業を請け負っているはずのベネッセに対策講座などという、あからさまに利潤追求を目的としたものがあるのか。
受験者も大学も得をしない、得をするのは一部の企業だけだ。そんなことは既に分かっている。様々なところから不満や怒りの声、中止を求める声が上がっている。(当然だろうが特に高校から)
どうして、この問題の当事者であるはずの学生の声を政府は聞いてくれない?教育は国の繁栄の最重要課題のひとつではないのか。
大学での教育が重要なのは、ご存じだろう。なのに、なぜさらに実力とは違う部分で門戸を狭めようとするのか。
ここまで長々と書いてきたが、詰まるところ、改善なき改革はやめていただきたい。もし、どうしてもというのなら、きちんとした整備された状態になってから、いつに実施するというのを決めてほしい。受験生は数か月で新しいものに対応できるほど万能ではない。中止すると混乱するなどとおっしゃるが、混乱するのは我々高校生ではない。学生をおざなりにしてきたあなた方だけだ。
最後に、
この日記を書いてて、懐かしい言葉を思い出した。子どもを保育園に入園させられなかったお母さんが放った、「保育園落ちた日本死ね!」という言葉だ。
自分たちの努力ではどうしようもできないほどの壁がある、しかもそれが国民の代表であるはずの行政によるものであると感じている今、あのお母さんの言葉が重く響く。
以前は保育。そして今度は教育。
だれからも「入試落ちた日本死ね!」という言葉が出てこない結末を迎えられる事、そしてこの日記がしがない高校生の戯言で終わる事を祈る。
個人的にひとつ言いたいのは、厚切り牛タンは絶対にNOということだ。
仙台の名店と言われる店の多くが厚切りで牛タンを出してくるが、はっきり言ってありえない。
厚い牛タンなんてゴムみたいな食感で、あごは疲れるし味はボヤけるしすぐに飽きるし、全然牛タンとしての旨みを活かせていない。
サクサクと噛みきれる厚切りは、それはそれで不気味だ。肉としての威厳が無い。
あんなものを店で食うなら、土産用の薄切り味噌漬けを家で焼いて食ったほうが100倍美味いと、俺は思う。
こう思うにいたったきっかけは、20年ほど前、仙台に出張した際に地元の人に連れられて入った牛タン屋である。
夏の日だった。
地理には疎いが、仙台駅の西口から10分ほど離れたところだったと思う。ビルが並ぶ通りから少し裏道に入った場所だった。
ここで出された牛タンが薄切りで、その完成された味に驚いたのだ。
焼き魚を乗せるような長方形の皿に、飾り気無く盛られた牛タン。薄切りとは書いたが、普通の薄切りよりは厚めだ。だが厚切りではない。そして一口が小さい。
同じ皿には、意外なほど大量に添えられた漬物がある。
そしてサイコロ状の肉が一個と、白髪ネギが浮いたテールスープ。
麦飯。トロロ。(案内してくれた人にこれは後半に食べろといわれた)
まあ、牛タンだし普通に美味いんだろ程度に思いながら肉を口に運び、そして打ちのめされた。
小さく薄切りにされた肉の一枚一枚に、牛タンの味が凝縮されていた。
肉は硬すぎず、適度な噛み応えがある。
噛むとジュワっと肉汁が噴き出す。
厚切りになどしたら下品で間抜けな味になるところを、美味さが一口にまとまるように絶妙のバランスで計算された分量だった。
今までの人生で食べてきた牛タンのコクがすべてここに集結したかのような味である。よく出来たアニメの最終回と同じ感動だ。
試しに二、三口分をいっぺんに食べてみたらこれはもう方程式が狂ってしまい、途端に「違う」と感じた。
この店は牛タンだけでなく定食としての完成度も恐るべきクオリティだった。
薄い一切れの味が濃厚で、一口食べるごとに「牛タンを食べた!」と満足できる旨みの強さなので、他の食材にも箸が進む。
まずは当然麦飯。
塩加減が強い牛タンと一緒に食べると、少しパサパサめの麦飯が、まるで砂漠で飲む水のように喉を通過していく。
気づけば食事開始3分で茶碗は空であり、当然おかわりを注文する。
そして名前がわからない手作りの漬物と、よくダシの取れたテールスープ、ここまで温存しておいたトロロ。
以前の俺は漬物が嫌いだった。しかしこの定食を食べた時から漬物を愛するようになってしまった。食前に残したらどうしようなどと思っていた自分が馬鹿らしい。
一口分の漬物を牛タンで巻いて口に運び、麦飯とともに十分に咀嚼する。
笑いたくなるほど麦飯が進む。
夢中でほおばった勢いで軽くむせそうになりながら、それをあっさり味のテールスープをすすって流し込めば、ピリリと効いたコショウで食欲がさらに増進される。
これを何度も繰り返す。
牛タンの旨みを常に新鮮に味わい続けることができる、黄金の食事だ。
汗をかき喉が渇くが水を飲んでいる暇などない。
至福である。
すでに麦飯を二杯平らげているので腹もそれなりに膨れかけているはずだが、ここでトロロを投入だ。
この手順をはじめて聞いた時は、牛タンの美味さと余韻をトロロが壊すのではないかと恐れた。しかし杞憂だ。
刻み海苔が添えられ甘めのダシで味付けされた冷たいトロロは、牛タンの油と旨みでギトギトになった口と食道に、これまた清涼剤のように染み渡る。
例えるなら、大学時代にサークル仲間と一緒に行った海水浴だ。小学校の友達とプールの帰り道に飲んだラムネだ。
晴れ渡った青空とギラギラと照る太陽のイメージが脳裏に広がる。
夏だ!! 俺は今夏を味わい尽くしている!! そう心から確信した。
行儀など気にする余裕もなく、とにかく目の前の牛タン定食を味わい尽くすので精一杯だった。
あまりの美味さに食事中はほとんど口も聞かず(案内してくれた人は食べる順番などを細かく指示してくれた。はじめは鬱陶しかったがあとから本気で感謝した)ガツガツと定食をむさぼり、店を出てからはひたすらに美味かった、本当に美味かっためちゃくちゃ美味かった、と連呼することしかできなかった。
案内してくれた彼は、特には言葉を返さずに、しかし心からの笑顔で静かに頷いていた。
それ以来、牛タンは薄切り派になった。
何年か経ち、また仙台に行く機会があったので当然のごとく牛タン屋に向かった。
一人だったので、とりあえず有名店なら外さないだろうと思って適当な店舗に入った。
しかし、出てきたのは厚切りのブサイクな牛タンで、タン特有の味や匂いがぼんやりと口中を漂うだけで美味くもなんとも無く、噛みきれない肉にイライラするだけであった。
テールスープもギトギトしているだけでアブラ水を飲んでいるようだった。
漬物だけの方がよっぽど食が進んだ。
しかし、これが有名店であり、地元民や観光客などから歓迎されているという事実に、さらに絶望した。
あれから何件か牛タン屋をめぐっているが、どこも厚切りのものばかりで、あの奇跡のような薄切り牛タンにはめぐり合えていない。
俺は少し牛タンを嫌いになった。
できることなら、あの店、あの奇跡の牛タン定食を出す店に、もう一度行きたい。
もう一度あの薄切りの牛タンを堪能したい。
そしてみんなにも行ってほしい。
ご存知の方がいたら、どうか店名を教えてほしい。
店はもう残っていないのかもしれない。
著作権法改正のパブコメがハードル高いという方、何を書いていいかわからないという方必見! https://t.co/21vCJE2AZg— 山田太郎 ⋈(参議院議員・全国比例) (@yamadataro43) 2019年10月23日
ダウンロード違法化拡大のパブコメ締切まであと一週間(10/30)。自由記述はハードル高いと思うひとは、前半の多肢選択だけでも書いて出すとよいのでは。3月のときは奇跡的に止まったけど、文化庁原案はまだ取り下げられていない。 #著作権 https://t.co/7JJe25A2Mn— 山田奨治 Shoji YAMADA (@yamadashoji) 2019年10月23日
現時点で2894件しかないのは痛いな。
5000件は欲しいと言ってたからな。
ハトキャ→スイートでOP・EDの歌手が入れ替わってるとか三作続けてEDを歌ってる吉田仁美とか久々の宮本佳那子がすっげぇ歌上手くなってるとか見どころたくさんあるね
私の思考はネトウヨ寄りだ。天皇陛下を敬っているし、安倍政権すら他に任せれる所無いから理論で肯定的に見ている部分が多い。
さすがにネトウヨ煽り系まとめサイトのコメントとかには嫌悪感があるが、基本日本大好きな右寄りである。
なのにこのネトウヨでない人にも響いているっぽい天候ネタに自分でも不思議なくらい拒否感がある。
なんでだろうって考えたら、私は自然現象が大好きだったんだなと気づいた。
自然現象の偶然を、人が引き起こした奇跡であるかのように語られるのにエセ科学を聞かされたような嫌悪感があったのだ。
私の仕事は自然を壊す仕事の一端を担うタイプのものだ。だからこそ自然のどうしようのなさや理不尽さも知っているつもりだ。
そんな私が自然が自然であることを否定する色を持つ言説に強烈な嫌悪感を持つほどにそれを敬っていたんだと気づけたのは僥倖だったように思う。