自分はあまり賢くない受験生だが、その自分ですら、民間試験といい、新テストといい、永田町の人たちは就職氷河期ならぬ進学氷河期でも起こそうとしているのか、と疑いたくなるほどの出来である。
自分は英検、GTEC、TEAPと受けたが、かなりレベルに差がある。どれがどれとは明言しないが、こんな簡単なのか、というものからセンター試験より難しいものもある。
そんな差がある中で、どうやって共通の成績を出せるのか。一応、CEFRというものがあるらしいが、能力が変わらない自分一人でも試験ごとにズレが生じた。
能力に差がある人が受ければ、自分の実力以上もしくは以下の成績になってしまうだろう。それを「公平」と呼べるわけがない。
そして、首都圏の人たちはまだいい。自分に合った試験もしくは簡単な試験を選択できる。だが、地方の人たちはどうだろうか。地方の人でも受けやすいように受験会場を近くに設置するとあるが、それはすべての団体が同じような場所に設置してくれるのだろうか?
A地方はGTECしか受けられません。とか、B地方はTEAPだけです、とかになればどう考えても地域格差が出るのは目に見えてる。そうでなくとも、首都圏の生徒のように日帰りで受験する事ができない生徒だってでてくるだろう。少なくとも、地域によって格差が生まれるのは明確だ。
折角、地方創生大臣なんて役職作ったのに地方を忌避させるような事をしてどうする。もはや呆れや怒りを通り越して滑稽としかいいようがない。
そして試験の中身もグローバルとは程遠いものが多い。特にスピーキングはガバガバである。
GTECは機械でスピーキングテストを行うが、各問に与えられる解答時間はかなり短い。何回か考えている間に解答時間を過ぎて解答出来なかった。だが、実際の会話で制限時間などあるだろうか?流石に何時間も黙るというのはダメだろうが、流石に十数秒話さないだけで話を聞かなくなる人などおるまい。重要なのは少し時間がかかってもいいから内容をちゃんと伝えられるかが重要であろう。コミュニケーションとはそういうものではないだろうか。
英検とTEAPは試験官とのテストであるが、当たり外れがひどい。英検は受けてから久しいので忘れてしまったが、TEAPは日本人のおばあちゃんだったが上手い下手の前に声が小さくて聞こえなかった。聞こえなければ会話なんてできるわけない。大きくと何回かお願いしてやっとだ。(というかそもそも、日本人同士で英語能力をテストするのに意味はあるのか。グローバルとは何なのか。)
リスニングはICプレイヤーでなくスピーカーである。スピーカーだと座席位置によって聞こえ方が違うし、だれかが咳をしようものなら、耳に入ってくるのは英語ではなく咳の音である。
これを避けるためにセンターではICプレイヤーを導入したが、民間試験が採用する気配はない。なぜわざわざ劣化させようとするのか。
極めつけは、グローバルな人材育成のための導入だと言っているくせに、英語しか選択肢が無いことだ。グローバル化とは、世界中の人たちとコミュニケーションをとる事ではないのか?
であるとしたら、何故、英語以外の外国語の試験が導入されていないのか?
お偉いさん方は、英語さえ話せれば世界中で会話が可能だと思っているのか。そんな訳ない。
英語以外は学習指導要領外だから採用するわけない、という人がいるかもしれないが、この試験に採用されている英検1級やIELTSはどう見ても、高校の指導要領外のレベルである。英語であれば要領外でも許されるかと言われればNOであろう。なおかつセンターでは外国語は選択できる。
私にはグローバル化云々と語る文部科学省のホームページが胡散臭いものに見えてしょうがない。
どんな商品であれ、実験であれ、試行と修正を繰り返して完成するのは自明だろう。試行を一回行っただけで、精度が完璧になる事は奇跡に近い。
だが、もうプレテストは行わないという。それでどうやって精度を向上させるつもりか。まあ、「1~2年は精度向上の期間」と言っているので、来年整った試験ができるのは望み薄だろう。
内容もこれまた酷い。解いてみたが、ほぼほぼ文章を抜粋しろというものだが、小学校と中学校とやってた「~に当てはまる部分を本文中からn字で抜き出しなさい」を思い出させてくれる出来であった。要するに、思考力などほぼいらない。そして、おそらく言っている事は同じでも、言い回しが特殊だという回答も出てくるだろう。それを対応できるかも問題だ。
おおよそ50万人が受験する試験を20日程度で採点しなくてはいけないので、学生バイトを採用するといっていたが、学生バイトに公平かつ適切な採点をしろというのは無理な話だ。
彼らは素人である。たとえ明確な採点基準があったとしても、それと全く同じ言い回しの解答とはいかないだろう。そういったときに彼らの採点は公平と言えないだろう。
また不正や贔屓も横行するのでは、という心配もある。自分の後輩に受かってほしいと思う先輩もいるし、受験する側も大学生にいい点が取れるように「お願い」するだろう。そうなると、もはや公平云々など言っていられない。
数学は単に数式を書き込むので、採点ミスというものは少ないだろうが、それならなぜセンターのままにしないのか甚だ疑問である。
そして大学入試とは本来、独立行政法人の仕事、すなわち利潤追求を目的としない事業ではないのか。何故、事業を請け負っているはずのベネッセに対策講座などという、あからさまに利潤追求を目的としたものがあるのか。
受験者も大学も得をしない、得をするのは一部の企業だけだ。そんなことは既に分かっている。様々なところから不満や怒りの声、中止を求める声が上がっている。(当然だろうが特に高校から)
どうして、この問題の当事者であるはずの学生の声を政府は聞いてくれない?教育は国の繁栄の最重要課題のひとつではないのか。
大学での教育が重要なのは、ご存じだろう。なのに、なぜさらに実力とは違う部分で門戸を狭めようとするのか。
ここまで長々と書いてきたが、詰まるところ、改善なき改革はやめていただきたい。もし、どうしてもというのなら、きちんとした整備された状態になってから、いつに実施するというのを決めてほしい。受験生は数か月で新しいものに対応できるほど万能ではない。中止すると混乱するなどとおっしゃるが、混乱するのは我々高校生ではない。学生をおざなりにしてきたあなた方だけだ。
最後に、
この日記を書いてて、懐かしい言葉を思い出した。子どもを保育園に入園させられなかったお母さんが放った、「保育園落ちた日本死ね!」という言葉だ。
自分たちの努力ではどうしようもできないほどの壁がある、しかもそれが国民の代表であるはずの行政によるものであると感じている今、あのお母さんの言葉が重く響く。
以前は保育。そして今度は教育。
だれからも「入試落ちた日本死ね!」という言葉が出てこない結末を迎えられる事、そしてこの日記がしがない高校生の戯言で終わる事を祈る。
そうは言うけどトップクラスの大学以外ただの就職のための学歴機関にすぎず 中低ランクの大学で一生懸命勉学に励んでる人なんてほとんどいないし 一生懸命学んだ奴らもその専門分野...
大学行ってもどうせ遊ぶだけだぞ
モラトリアムほしくない?
そのために税金いくら使うんや はっきり言ってめちゃくちゃムダ金やぞ ただのビジネスのための大学ばかり増えてて大卒ゴミ学生も増える悪循環 マジで一回戦前からある大学だけ残し...
ギリギリのラインの受験生には大変かもしれないな