はてなキーワード: 土俵とは
弟がネットビジネスにはまってた。似た状況の気がするから書いてみる。
といっても何かと苦労していたのは同居の両親だったけど。
友達いないのは同じ。
友達がいないから本音を打ち明けたり気持ちを分かってくれたりするその人に心酔してしまったんだと思う。
実際のところはお金を巻き上げるシステムにまんまと組み込まれただけだけど。
割と純粋なやつを騙して食い物にしてるってのが一番許せないところだった。
ネットビジネスは人に売らなきゃならんので、せめてそのころ趣味で作った遊び仲間だけは勧誘するなと言っておいた(本人は友達とは認識してないようだったが、それでも大事だとは思ったので。その関係が今も維持されているのかはわからない)。あと家に迷惑が掛かるから近所や職場で勧誘するなとか。自分はそれくらいしかしてない。今振り返ればなぜかその辺は聞き分けがよかったな…。
親の方は家に販売物が運び込まれてくるし自腹で何十万もする販売に必要な小道具を買ったりで相当怒ってたみたい。父親が勘当だ!とまで言ったらしい。
どう考えても両親の平穏が保てそうになかったので、ずっとパラサイトなのもよくない原因だろうしと「ほんとに稼げるなら一人暮らししろ」と言って家を出させた。
(なんか書いてて聞き分けの良さが気持ち悪くなってきた…)
結論を言えば、そのうち薄々稼げないことに気付いたのかやめていた。一応現実は見えていたみたい。
でも指導者のことだけは悪く言うな大事な人だ、みたいな感じで今も心の中に残っているらしい。父親は一度やつが家に挨拶に来た時塩撒いてたけどな。
上の増田は、後ろめたいやつは会わないだろうと言ってるが、こちらの指導者?は正々堂々としていた。会いに来てあわよくば家族も巻き込もうとしたんだと思う。どこからもツッコミどころのないまともな人間ですよとアピールしていたみたいだし、だからこそ弟も心酔したんだと思う。
新興宗教などは、相手の意見を聞かずに問答無用で拒絶することも必要だよ。元増田の例がどんなのかは分からないが。相手の話を聞くということは、相手に都合よく作った土俵に自ら乗ってしまうということ。やつらは言いくるめるのが仕事なんだから相手の理屈に乗ってしまったらまず勝てない。「まず話を聞いて、その上で判断して」という訴えにほだされるのは危険。「言い分は聞かないとな」というこちらの善意を堂々と利用する。付き合う義務はこちらにはまったくないよ。
両親が創価学会を信じているのと同じだと思ったよ。両親は断固拒否するだろうけど。
同じ血を分けていっしょに育った自分もそういう気質があるのかと思うと気持ちが悪い。
外から見たらおかしなからくりにすぐ気付くのに、自分にとって都合の悪いところは見ようとしないのが厄介だった。世間はおかしいと言っていても直接聞いた自分のほうが正しいってスタンスだった。
いくら言っても無駄だと思ったので、せめて借金はしないようにとか友達を勧誘しないようにとか、なるべく後に傷が残らないようなアドバイスしか自分は言えなかった。
家族みんな、半分勉強代だと諦めてたよ。数十万は確実に飛んでたと思うが本人のお金だし。
とにかく地味にでも働きかけを続けたら、何かしらおかしいところに気付くんじゃないかな。時間がそれなりに解決してくれると思う。
弟には友達作れといいたい。やたら他人をバカにすることがあるけど、あれは仲間に入れてくれない入れない寂しさの裏返しだと思う。
そういうところにやつらはつけこんでくるからな。
サガミ @sagami1029
フェミニズム先進国の北欧とか明らかに大部分の男にしわ寄せが行ってるじゃないですか。それはいいんですか。彼らは一部の男に金も女も奪われて孤独死するのが正しいんですか?
→強者である「一部の男」に「金も女も奪われ」て孤独死するのが弱者男性だと。
柳良悟@1yagiryow5
→貧困男性は女性を「買えない」、しかし貧困女性は身体を「売れる」。どちらも性市場の需要にフォーカスされており、賃金を稼ぐ手段の話ではない。
貧困男性が女性を「買える」のは、稼ぐ手段ではなく消費する手段だが、貧困女性の方は「売る」側、賃金を稼ぐ手段としてである。
同じ土俵に挙げるのがそもそも変な話。
純真無垢な ゐるま@irm8
→精神的な意味で社会上排除されており、需要もないという怨嗟。強者男性は弱者男性を救わない。
柳良悟@1yagiryow5
ルサンチマン@blow_rockmaniac
キモくて金のないおっさんらの存在を思い浮かぶとなぜ男社会には無償の優しさが振舞われない競争社会なのかわかった気がしますね
→社会上、女性であれば性市場で需要があると。精神的にも金銭的にも女の方が救われている、と。
「難民女子高生」には同情が集まり、いざとなれば体を売って金を稼げるが、「貧困おっさん」にはどちらもないということなんだろうが、
「キモいおっさん」と「女子高生」で同じ需要にしろというなら、「キモいおばさん」とも同じでなければおかしいんだが、そこには言及されない。
彼らの中でおばさんは存在しないことになっているのだろうか。
発端になったこの一連ツイートを見ていると、やはり最終的には「自己承認」の話になっている。
結論としては、「女は同情されて需要もあって羨ましい」といっているだけである。
女性が体を売る事が、女性自身にとってどれほどの負担であるかには言及されていない。また「女」と言っても、容姿も年齢も限られた一部の女性についてしか成立しない話。
「金のないキモいおっさん」と対比するなら「金のないキモいおばさん」でなければ、比較として成り立たないだろう。
追記:
ちなみにもしおっさんに性市場で需要があって「身体を売れる」なら、彼らは本当に売るんだろうか?「俺でも買ってくれる人がいるんだ」と「救われる」んだろうか。
もちろん、相手は同じようなキモいおっさん・おばさんであるかもしれないけども。
世界には色々な嗜好があるので、本当にうらやましく思うなら試してみたらいいのではないかと思う。
女性の社会進出を進めようとする世の中の動きに対して厳しい反対意見を言っているのは老害的思考の男性と現在既に成功をしている女性たちのような気がする
老害男性や女性より能力が劣っていることを認めたくない負け犬男性が妨害をしようとする意見は「ばかじゃね?」で叩かれるけど
意外に成功している女性からの反対意見というのは尊重されたりなるほどとオピニオン・リーダー的扱いをされていたりするからめんどくさい
何十年も前になるけど、社民党(その頃は社会党だったかな?)で「マドンナ旋風」なんてのが起きた
そのあとには「小沢ガールズ」とか
冷静になってみれば「マドンナ」とか「ガールズ」とか、実際にそれに当てはまる人たちの顔ぶれを見ると「へ?」みたいに思うんだけど
政治の世界という枯れたおっさんが9割の社会においては40~50代くらいの女性でも十分「ピチピチの女性」扱いになっちゃうのだ
マスゴミのせいとか宣伝戦略とか個人への攻撃とかそういうことを言いたいのではなくて要するに
それだけ仕事ができる女性という枠組みの中でのいわゆる「女性らしさ(笑)」のレベルが低かったってこと
40~50代くらいの見た目的にいまいちな人でも「若くて美人な私」の地位にいることができたわけ
じゃそういうマドンナだかガールズだかが実力だけで男どもを押しのけていったかというと全然そうでもなくて
結局どっかの場面で「女」を売ってうまいとこのし上がっていったっていう側面もあるわけよ
政治家だけに限定すると誤解を生むので、それだけじゃなく女性として管理職になった人とか起業家として有名になった人とかもまぜて考えてほしいのだけど
そういう人たちの中にあったのは「他の専業主婦で幸せを感じる女どもと私は違う存在よ」って自負と
同時に「男性ばかりに囲まれている女性なんだからそれなりの扱いを受けるべき」って甘えのダブルスタンダード
本人たちは認めないか開き直る(そうでもしなきゃ上には行けなかったなど)とかするだろうけど
結局はそういうこと
そこで政府の方針として女性管理職とかを一定数必ず入れるようにするなんてことが起こるとどうなるか
わかると思うけど社会進出する女性の「女性らしさ(笑)」のレベルが上がっちゃう
それまでは高い仕事能力と女性であるということの2つでのし上がってきた女性たちにとっては
自分よりも能力は低いけど見た目の女性らしさレベルが高い人が同じ土俵に上がってくるというのは大変な脅威になるでしょ
仕事の能力じゃ絶対社内・組織の中では負けないって思ってるブ女が、
これからは仕事能力と別のオシャレとかメイクとか美肌とか痩身とかそういう力もないと負けちゃうかもって思ったらそりゃ怖いさ
数十年前のアイドルが顔さえよければよかったのに
今のアイドルは顔のよさに芸術的センスやトークのおもしろさとかいうプラスアルファがないと生き残れなくなってる
同じような例はいくらでもある
今既に地位のある人は「私達だって苦労したんです!今の人は楽をしすぎてる!」とかよく言うけど
はっきり言って同じ20代前半くらいでも求められるスキルは今の方が全然高い
さっきの例は裏返せば、これかれ社会進出をしようと思う女性なら
仕事能力だけじゃなくて女性らしい見た目とかセンスとか繊細さとか色んな物を求められてそれで勝負しなきゃいけないってことでもある
老害思考を持っているのは男性よりも女性の方がよっぽどタチが悪い
10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト
千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note
最初のリンクを「アンチ・エビデンス論」、二つめを「アンチ・アンチ・エビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章をアンチ・アンチ・アンチ・エビデンス論と呼ぶ必要はない。
千葉雅也の「アンチ・エビデンス論」が出たとき、個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価は別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチ・アンチ・エビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章にはいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチ・アンチ・エビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である。
千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡をネット上に残してしまいます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。
そして、その上で読者にこう問いかける――
まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。
不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチ・エビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任の擁護、エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任を果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチ・アンチ・エビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後は
エビデンスを求めようとしなければ、人の思考は個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまいます。
という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる。
たしかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。
実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)
さらに読み進めていくと、千葉の文章を引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。
このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断を要求されていると思いますけど。むしろ、日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。
「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧な表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断を要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉の文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手に企業だけの話にすり替えているし、しかも千葉の文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。
マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任を回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員の責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから。
なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体は千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠がほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から〈言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチ・アンチ・エビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?
この後も、しんかい氏は「アンチ・エビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。
ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路で評論というものを考えてるんですよね。思考を論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。
この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇やアカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。
対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージを攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学・数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。
これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーター・バリーによる教科書の引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。
バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者、アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。
また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代をエビデンシャリズムからいまだ自由な時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニストの難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉の世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやすい世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。
だいたい、千葉がポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネットで賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニストが問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームでしかないのではないか? こうしたカテゴリーを混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数と無理数を混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう?
しんかい氏はなぜ、ソーカル事件と千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において、しんかい氏は、アンチ・エビデンスを批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達な批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマの場合、科学や数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛なものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチ・アンチ・エビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化」だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界の関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである。
貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学や科学やプログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明なものだし、別に大陸系哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。
ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学のモニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。
序盤の折衝で築いた小さなリードをノーミスでじわじわと広げる完璧な将棋だった。
だがこの将棋、簡単には終わらなかった。
Aperyが必敗になっても自らの負けを認めず指しつづけたのである。
一般に勝負の世界では最後まであきらめないことが美徳とされる。
しかしプロの将棋界では自分の負けを悟ったとき「負けました」と告げて終局にすることがほとんどである。
これを「投了」とよぶ。
投了せずに自玉が詰むまで指しつづけることはみっともないことなのだ。
それがいわゆる「日本人の美意識」に起因するものかどうかはわからないけれども、
だから、Aperyが投了せずに自分の負けを先延ばしにしようとしたことに対して
非難する声があがった。
「美しい棋譜をつくるというプロの文化・習慣にのっとるべきだ」
「プロ棋士への敬意がない」
など。
本対局が中継されたニコニコ生放送でも解説の某高段の棋士がAperyを批判したという。
「二度と将棋に関わらないでほしい」
などとAperyの開発者である平岡拓也さんを攻撃するようなものもあった。
なぜAperyは投了しなかったのか。
開発者に投了の権利があるらしいですが、どんな勝ち目の無い状況になろうとも、途中で投げません。
もしもプログラムに興味を持ってくれた人がいるなら、、、
負ける直前のコンピュータの特徴的な手は新鮮に映るかもかも知れません。
折角棋譜が残るのだから、コンピュータの特徴的な手を残したいと思います。
それに、Aperyと斎藤五段が戦う訳で、私が間に入って投了するというのは気が引けます。
感情を持たず常に最善手を追い求めることしかできないというコンピュータの特徴が、
投了する直前の局面で立ち現われてくることを彼が知っていたからであろう。
Aperyが投了しないのは、Aperyが最善手を求めた結果なのである。
決してこれはプロ棋士への敬意を欠いた態度から出たものではない。
それらが電王戦という同じ土俵にあがったとき、そこに摩擦が生じるのは必然である。
将棋は興行であるから、プロ棋士は強くあるのと同時に美しい棋譜を残さなければならない。
一方プログラマの多くは、最強のプログラムをつくることを目指している。
どちらが尊いということはない。
電王戦を創設した故米長邦雄永世棋聖は「人間とコンピュータの共存共栄」を唱えた。
それはコンピュータにプロ棋士の流儀にのっとって将棋を指すように強要することではないだろう。
むしろもしコンピュータがプロ棋士と同じように「礼儀」を心得て将棋を指すようになったら、
そして近い将来コンピュータがプロ棋士より決定的に強くなったら、プロ棋士の存在意義が問われることになるだろう。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事などをしていました。
彼女の部屋にはゲームやおもちゃも多く、私から見て彼女の家は裕福でした。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
そのほかにも、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、私はそれらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、ちょっと世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶交宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べていました。
体育の時間、ペアを組むとき、彼女はお願い、私を選んで!と泣きそうな目で私に訴えていました。
しかし他の子に誘われた私はその子とペアを組みました。彼女はそう言う時、たいてい私の前では何でもないという顔をしました。
彼女から一緒にやろうよと誘われる事はありませんでした。私はそれらの事がひそかに嫌でした。
私たちはこのとき、多くの時間をともにし、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、ほんとうに理解し、さらけ出し心から共感し合う事はなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「今は風景が綺麗なんだから、黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、Kを支配しているのは私、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
同時に、色んな人と話す事で病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
しかしKと話すと、いつもどこかでこの人は綺麗な言葉だけを並べているのだと思っていました。
ほんとうは、がんばっていない自分には価値がないと感じているのだと。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
仕事で良くあることだと思うんだけど、
あなたは毎日それを行う仕事だから分かってるかも知れないけど、
初めてするこっちの人間に対して、
(棚上げではないが)分かってるだろうと当たり前で言うのやめて欲しい
(というかいきなり、なんで知らないのか!みたいな感じで怒鳴るのやめて欲しい)。
自分の得意分野、自分の土俵のことをみんなが知って把握してるとか、
当たり前と思ってるかも知れないが、それは大間違い、それで怒鳴られるのはどうかなぁと思う。
逆にこっちの得意分野で向こうが分からないことは笑ってごまかすくせに、
何度も聞くくせに、こっちが逆の立場で同じことを聞いたら、何度言ったら分かるのか、
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
中学生の時Kという女の子と仲良くなりました。彼女は同じ小学校の出身でした。
祖母の家にも彼女の部屋がありいつも学校が終ると自分の家ではなく近くの祖母の家に帰って食事をしていました。
彼女は勉強もでき真面目で料理上手でした。お菓子も上手でいつもパティシエになるのが夢だと言っていました。
彼女は今思えば寂しかったのでしょうか。彼女は自分がこんなにもがんばった、こんなにもうれしかった、
こんなにも悲しかったという話を私にしてきました。私は彼女の話を興味深く聞いていました。
実際、彼女は私が読まない科学や、生物の本を沢山読んでおり、理解は出来なかったけど、それらの話を楽しんで話を聞きました。
彼女は「なかよし」をつくってその子としか遊ばないような子でした。
私はそれは嫌でしたし、世界の狭い奴だなと思っていました。
私は彼女と仲良くなるにつれ、私が他の友達と仲良いのをあまりよく思っていないのを感じていました。
しかし、気づいていない振りをしていました。
理由は忘れましたが、彼女と大きな喧嘩をして、私は一方的に絶好宣言を受けました。
私はショックでした。理由はわかりませんが、「理不尽だ」と思っていたような気がします。ずいぶん泣いたような気がします。
一年くらい経って、彼女のほうからまた連絡が来るようになり、私たちは仲直りしました。
しかし私は、彼女にまたひどいことを言われるのではないかと、彼女と心から仲良くなるのを避けました。
具体的には、自分から連絡を絶ち自分からまたやって着た自分勝手な彼女を見下していました。
私は、彼女ははっきりと口では言わないけれど、いつも他人と自分を比べているのを感じていました。
なぜなら、彼女と話すと、他人とのほほんと仲良くしているだけのそのままの自分では恥ずかしいような、
頑張らなくてはならないような、けれど本当のほんとうの自分の心は誰にも言えない、そのような気持ちになりました。
私はここで、人間関係における鏡の性質というものを身をもって知りました。
私たちはこのとき、二人でしか話さないような事をお互いたくさん喋りましたし、
傍目からはまるで親友のようでしたが、自分が彼女に、そして彼女も私の弱い部分をさらけ出す事も、心から共感し合う事もなかったなと思います。
私は星空の感動を共有したくてすごいすごいと口にする彼女に、「黙ってれば良いのに」と思いました。
それは彼女のそういった言動が常に第三者を意識したものでありつづけるからでした。
彼女はある時言いました。「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」
私は彼女はなんてぶしつけで失礼な奴だと思いました。
しかし「へえ、そう思うの。」と
返したのみでした。私はとことん彼女と同じ土俵に上がるのを避け続けました。
Kと私は同じ高校に行きました。
そこで一年を過ごし、Kが先生に進路相談の紙を渡している場面に出くわしました。
先生は紙に書いてある文を読んで、「そうか、お前は◯◯◯になりたいのか」とKに言いました。
◯◯◯とは、ある特殊な職業で、私は◯◯◯になるのに有利な教科が得意だったため、
将来◯◯◯になるのかなあ、などとKにぼやいていました。(ただし、本当は漫画家になりたかった)
Kも昔からその教科は得意でしたが、クラスで一番、などと言われるのはいつも私でした。
Kは私に気づくと、顔を真っ赤にして、半泣きになりました。
私は、Kが私には◯◯◯になりたいと知ってほしくなかったんだと悟りました。
掃除に、悲しく、ああ、Kは、私をそんなことでKをバカにする人間だと思ったのか、
と思いました。中学の頃から、こういうことはたまにありました。
そのたび、私はいつもKに思っていました。「この人はいつも大きな勘違いをしている」と。
ある日私は、Kが友人と仲良くしているのを見て嫌な気持ちになったのを気づきました。
それは嫉妬ではありませんでした。嫉妬もあったでしょうが、もっと醜い、お前は一人でいろよ。自由に友人を作るなんて許さない、
それなら床で這いずり回ってろという完全にKを見下した思考でした。
Kは一度「私何かした?」と聞いてきましたが、「なにもない」と答えたっきり
私は地元を離れて、自分自身が人間に対して不信感にまみれていることを知りました。
しかし、その友達というのが、自分の暗い部分を全く出してこないのです。
根っからのいい子たちでした。自分が、ジブリの世界に迷い込んでしまったような錯覚を本当に覚えました。
一番信用している友達にKの事を話すと、「え、なにその人めんどくさぁ〜い!それに真面目に答えちゃう△△ちゃんもめんどくさぁ〜い」と言われました。
最初はこの子とはそういう話が合わないんだなと思いました。しかし、色んな人と出会い、すぐに自分がマイノリティであると気づきました。
私はその時初めて、世間では「めんどくさい」と言われるものに自分は価値を見いだしていた事、
Kのめんどくささ、ほの暗さに安心感を覚えていた自分に気づきました。
しかしそれはおそらく、自意識、自我、オナニー、排泄物と呼ばれるようなものであったのだと。
ただ自分は、高見から、Kを見ているという優越感のみで、Kを心底バカにしていたのでした。
私はそれから、「めんどくさい」と何度も言われました。
二面性がある、思っていた性格と違う、とも言われました。でも仲良くなった人にはなるべく思った事を言うようにしました。
普段本音を言わない分それが本当の自分だと思っていたので、自分をさらけ出してめんどくさいと言われるのは恐怖でした、
ただ、自分は自分が思っていた以上に顔や態度に出るタイプでした。
ずっと言えなかったと思っていた事を言うと「知ってる」「だと思った」と言われることもありました。
同時に、病んでいる友人が何人も出来ました。私は話を聞いているだけのつもりが、
いつの間にか仲良くなっていました。私はそれでも自分はまともだと思っていました。
病んでいない友人たちは「△△ちゃんは優しいから、そう言う人に好かれる」と言っていたからです。
そういう人と付き合うたび、Kがちらつきました。
Kはその子たち同様病んでいた、と思います。突然泣きわめいたり、不安定になって電話をかけてきたり、
親の愛に飢えている所なども同じでした。ただ私は、その子たちの話を聞いていると、
Kのときには味わえなかった、不思議な満たされる気持ちがあるのを感じました。
彼女たちは、一様に「助けてほしい」と言いました。私に。
私は彼女たちを「素直で良い人達、でも自己が不安定で問題対処の仕方に問題がある」
と思っていました。ちなみに当時病んでいて仲の良かった人で、今でも仲いい人は一人もいません。
Kとは社会人になって再開しました。Kは、◯◯◯の職業に就いていました。
Kは夢を叶えていました。田舎から出て一人暮らしをし、業界でも有名な会社に入っていました。
私も同じ職業でしたが、その仕事に本来興味がなく、かけもちバイトのような物でした。
連絡をとったのは私でした。
嫉妬でKを独り占めしたかった。しかし、そういう思考の自分が許せなかった。
Kはあのとき私に無視され、精神が不安定になりカウンセリングに通ったことなどを伝えてきました。
しかしいまはKは現在年上の彼氏がいること、その彼氏と同じマンションで半同棲で済んでいること、
私は心からKによかった。おめでとうと伝えました。
私はKとは、離れていれば仲良くできるのかもしれないと思いました。
長く、細く、でもいお互いたくさんの面を見てきた友達として、もしかしたらいれるのかもしれないなと考えました。
Kはそこで仕事でやった成果を全員の前で披露しはじめました。
いまの会社がいかに大きいか、そこの最終面接で社長に気に入られたこと、会社でも変わった子だねえと愛されていること、
Kは目標なく仕事をしている同僚、かつてのクラスメイトをバカにしていました。
「私は理解できないんですよ、仕事は楽しくやったほうがいいのに、忙しいとか寝られないとか、愚痴りながらうだうだしてるんだって、無駄じゃないですか?ほんと信じられないんですよね」
Kがキッチンで私の母に言っているのを見ました。
母がよそ向きの顔で、「ほんと、そのとおりよねえ」と言っているのを見て、
kはありかわらず勘違いをしているんだなあいうぼんやりした思考とともに、
私は自分がみじめで、恥ずかしいような気持ちになりました。
Kの言っていることは正しいと感じました。できるからという理由でいまの仕事を選んだ自分は間違っているといわれたようでした。
それからしばらくは、Kのことを考えるだけで胸が締め付けられました。
私はこういう感情は嫉妬でしかなく、無駄でしかないと信じ、仕事に打ち込みました。
そっちはいまどうなの?という内容でした。
私はいつも相変わらずワンマン社長にこき使われてる、そっちも大変だね、そんなふうに返していました。
メールの内容は久しぶり、いまなんの仕事してるの?ていうかどこに住んでるの?という内容でした。
「その友達のこと、好きなの?」
思いがけない質問でした。
Kのことは好きでした。たくさんの面白い話をしてくれる友達でした。
感情がころころとかわってひょうきんな面もありました。大笑いすることもたくさんありました。
でも、嫌いな面もありました。
2人でいうととても素直なのに、
3人になると2人で私の意見を批判したり、なぜかなんとなく私を1人にするところ。
人を無意識に格付けしているところ。
本当は人を信用できていないところ。
私はなんにも言えずに泣いてしまいました。
親元を離れて、自分は相手の空気を読んで相手と同じ態度をとっているのだと気づいたときがありました。
相手が心をひらけばそれだけの、相手が心を閉ざせばそれだけの、
鏡ともいえる受け身の人間関係を築いてきたのでした。
病んでいる子たちは、私を求めてきました。
なので私も、その子たちに同じ分だけ求めることができました。
Kも同じでした。Kは私に自分を開示してきました。なので私は楽でした。
小学生の時からKが一人で料理を作り、仕事の遅い母親をごちそうでもてなし、母親の浮気現場を見て、
年に一回帰ってくる父親とどんな話をし、Kの家のリビングにはコントローラーがひとつしかない最新のゲーム達と。
祖母宅に住んでいる自分の叔父が好きだと恥ずかしそうに言っていた小学生のKと、
私が中学生の時大きな声で母親にあそびにいくから500えんちょうだーいと言ったら外で待っていたKに「おっきな声、聞こえていたよ」と言われ
「あなたのお母さんは私のお母さんと違い過ぎて嫌い。」と続けたKと。
私にある日泣きながら電話してきてめちゃくちゃなことをわめきながら勝手に切るのでむかついて電話して怒鳴って切りかえした私。
Kについて。
すべての物事には必ず難癖がつけられるというのがポリシーです。こんにちは。
さて、人質事件無事解決すると良いですね。
特に腹案もないのでそれについては何も言えませんが、リテラシーを見るに良い題材なので、具体的に書いてみたいと思います。
プロのデバッガーになると、症状を聞いただけでバグってるところのアタリが付けられるそうですが、
なんか変だな?と思うポイントというのも、実はアタリが付けられます。
身も蓋もないですが、素人がある一定の信頼を置くのはどこかというと、書き手の所属だったりします。
はい。聞こえそうな非難は百も承知ですが、確率的に「自称専門家」と「大学教授」なら正しいのは教授です。
(ただし、専門領域に限る。工学部教授が医学に口出す時は「自称専門家」扱いしましょう)
*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。
(中略)
そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。
という記述を観た時に、リテラシー的にまずおさえておくべきことは、
普通は、この程度で「ふーん、そんなもんか、他のニュースではどう言ってるのかな」と思えば良いわけです。
が、自分の主義主張とは違うので難癖つけしたい時は、見るべきポイントが実は違います。
(まあ、リテラシーとして「変な偏向がかかってないかな?」と確認したいとき、でも良いわけですが)
*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。
現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。
さて、さっきまで言ったとおり専門領域外については、自称専門家扱いするのがリテラシー的には良いわけです。
なので、2番の「従来の対中東政策に変更はないと現地で受け止められている」は正しそうでOKですが、
1番の「集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけ」というのは、ナンカ変だな?と思った方が良いわけです。
ブログ筆者は、(自称)池内恵さんであって、イスラム政治思想が専門なので、国際法の専門家では無いからです。
つまり、「素人が専門家の予測にケチをつけるのは難しい」と言うのが大前提な上でケチをつけるには、
イスラム政治思想研究を専門にやってる人よりも精度良く予測できると思うだけのナニかがなければいけないわけです。
(たまにそういうこともある。自分の専門領域で、相手よりも情報を多く入手できる立場にいる等)
もしくは、「素人が素人にケチを付ける」状態まで持って行くことが必要です。
同じ土俵でなら、技のかけようもある。
例えば「集団的自衛権は、個別的自衛権よりも適用範囲が曖昧な為、国際司法裁判所沙汰になることもある。当然日本以外でも区別されて議論されている」等。
(逆に言えば、なんか礼儀知らずの記者にその辺煩く突っ込まれて専門外なのにキレてんだろうな、という予測をした上で、塩をすり込むワケです)
あーなんか気に入らない、なにか反論したいと思った時、大抵の場合他の人が先にやってくれています。
これは「俺は素人だけど、なんとなく違う気がする」というレベルでOKです。自分の感性は大切にしましょう。
taro terahara @srgmtaro 2015-01-21 07:39:09
池内恵のこの意見は強弁。安倍晋三はイスラエルで、どうみても「従来からの政策」とは言えない「イスラム国に対抗する国々への支援」を名言してる訳だし、イスラム国からの声明にもそれははっきり示されている。従来通りの支援を継続することが理由ではなく敵対する立場の表明が理由じゃないの。
この人はどういう人かというと、http://srgmtaro.jimdo.com/profile-1/ にあるようにバーンスリー(インドの横笛)奏者で有名な人ですね。
なので、インド音楽とか、横笛の演奏技法については信頼して良いけど、今回のは専門外だなあ、と思うのがまず一歩目。
直接的にISと対峙するトルコやレバノンなどの国々にISと戦う兵力や施設を整えるためのお金を提供すると読むのが当然です。今までの政策を変更したというメッセージに受け取られても仕方ありません。
前衆議院議員の三谷英弘さんです。(残念ながら専門は知的財産権、個人情報等)
専門外だけど、流石に元議員さんなら変なことは言わない訓練を受けただろうと予測して、この発言を使いたい。
裏取り、と言うか、証拠集めですね。
なんか難癖をつけたい。既に反論書いてくれてる人がいる。使いたい。
今回は、元議員さんがヒントをくれてるので、外務省のページをググりましょう。
イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
安倍総理大臣は「ISIL対抗の為に支援します、総額で2億ドル程度」と明確に言ってる。
次は、「従来の政策と違う」事を示したい。
が、探せども探せども出てこない。
両者は,ISILの脅威に一致して対応する必要があるとの認識を共有した。 岸田大臣からは,ISILの脅威に対抗する国際社会の連携が強化されている旨述べ,活発な広報活動への対抗,資金調達と人員流入の阻止,暴力的過激主義対策といった取組も重要である旨述べた。
米国と一致してって言っちゃってる。米国はISILには結構強気なのはご承知の通り。
(過激なオバマさんの2014年9月10日のスピーチはこちら→http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20140911c.html)
イラク政府を含む国際社会のISILに対する闘いを支持し、必要な協力は惜しまない考えであり、ISILが弱体化され壊滅されることにつながることを期待する旨述べました。
更に岸田大臣から、今般、イラク国内避難民への人道支援として、新たに約2,000万ドルの支援を国際機関を通じて行うことを決定し、他の周辺国支援と合わせ、総額約2,550万ドルのISIL対策支援を決定した旨述べ、イラクの安定と国家的統一に向け、支援を継続していく旨伝達しました。
やはりイラク政府に岸田文雄外務大臣が、ISILの壊滅を期待するし総額約2,550万ドルのISIL対策支援をするよ、と言ってる。
ダメか。
ISILの脅威に対抗するため,日本は,軍事的な貢献はできませんが,人道支援やテロ対策に積極的に取り組んでいきます。今般,日本は,新規に約2550万ドルの支援を行うことを決定しました。
事務方じゃなくて、政治屋側の補佐官も「軍事的な貢献はできませんが」とハッキリ口にしつつ、ISILの脅威に対抗するために金を出すと言ってる。
テロはいかなる理由によっても正当化できず,我が国は,このようなテロ行為を断固として非難し,イラク政府によるテロとの闘いを支持します。
((文中に『テロ組織である「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」が』と言及有り))
そもそもテロ組織から(自称)イスラーム国に転換したのが2014年6月下旬だもんなあ。
さて、そういうわけで、残念ながら難癖の付け所は「集団的自衛権」の部分のみになってしまいました。
こういう時には「イスラム文化に関連の深い人」が、「今までは2000万ドルなのに、今回は2億ドルと桁が違う」と一気に10倍にしたところが方針変更だ、と強弁してくれるのを待ちましょう。
閑話休題。
さて、結論としてははてな村の皆さんに最も嫌われそうな「誰が発言しているかで信頼性を担保する」という結論に落ち着きました。
その道の専門家が、その道の話をしている件に対してケチを付けたい時は、慎重にしたほうが良いよ、
意外にググれば裏取りも出来なくはないよ、というお話でした。
まあ、本当は専門家も複数の見解があるはずで「この専門家って本当に専門家として大丈夫かなあ」と素人は判断できないので
小説ではない、と言う人もいる。
ラノベは何と比べて劣っているのか。
単にみんな、印象論で語っているだけなのかもしれないけれど。
ラノベというのは、漫画でいえば少年漫画のようなものではないか。
少年漫画と青年漫画はそれぞれ客層が異なり、それによって表現の仕方も違ってくる。
どちらか一方が「漫画」であり、もう一方が「漫画」でないということはあり得ない。
ラノベは、ストーリーよりもキャラクターで勝負する傾向があり、
設定は荒唐無稽で、文章は誰でも読める程度に簡易なものが多い。
一般小説とは異なるアプローチで、読者の期待に応えているのだろう。
少年漫画も青年漫画も栄えている漫画とは違い、「小説」は衰退していく一方だ。
今時は、ラノベみたいな表紙絵に、
ラノベみたいな誰にでも読める文章で書かれた「小説」もどきが増えてきた。
こんな状況でラノベなんぞを受け入れたなら、我々の愛する「小説」はどうなってしまうのか。
きっとろくなことにならないに違いない。
また、日頃「小説」どころか本さえ読まないような方々でさえ、
http://b.hatena.ne.jp/entry/spotlight-media.jp/article/93578650305704689
まあ大体増田の言う通りだろうと思ってる。
あと上で分からんと言われてる、バリバリ働く女性が専業主婦をやたら嫌う理由も
「バリバリ働く女性ほど、男性だけではなく他の女性にも負けたくない負けず嫌いだから」だよなー。
彼女らは仕事では男性に負けたくないし、育児でも専業主婦に負けたくない。
でも実際は増田の言う通り仕事じゃ男性(の上位)にはかなわないし、育児でも専業主婦(の上位)にはかなわない。
それを認めたくないんだろう。
産まなければ仕事では男性と対等に戦える(かもしれない)し、育児は最初から土俵に乗らずに済むけど
それはそれで子持ちに負けた気になってしまうと。
めんどくさい人達だ。