はてなキーワード: 中三とは
中高一環の男子校だったため、同じ人物に中高イジメられていた。
当時からチビでナヨナヨしてた僕は、なんていうか典型的なイジメの標的にされやすいタイプだったのだと思う。
反撃もできなかったし、先生や親に相談することもしなかったため、どんどんイジメはエスカレートしていった。
最初のうちは肩を殴られたり、文房具や教科書を奪われたりしていた。
その頃はなんていうか、薄く広くイジメられていて、クラスの半分ぐらいが僕に対して危害を加え、もう半分ぐらいが静観していた。
しかし、だんだんと暴力の内容がエスカレートするにつれて、狭く深くイジメられるようになった。
そうして、中学三年に進級する頃には、一人のイジメっ子だけが残った。
まず中三になって彼が行ったのは、僕の服を着る権利を奪うことだった。
最初は休み時間に何度も殴られながら無理矢理制服を脱がされた。
それも毎時間。
制服はもちろん下着まで脱がされ、よくわからない踊りを踊らさせられた。
言葉にするのは難しいのだけれど、みんなが服を着てるのに、自分だけ服を着ていないことは、とても惨めだった。
恥ずかしくて局部を隠そうとすると、腹や顔を殴られるのも辛かった。
一学期の終わり頃には、もう全裸はルーチンワークになっていて、彼が「おい!」と大声をあげるだけで、僕は黙々と全裸になっていた。
夏休みがあけ、二学期に入ると、彼は放課後に新聞部の部室にたむろするようになった。
新聞部は高等部の部員が三年生一人しかいなかったらしく、二学期からは、彼と彼の後輩たちだけの部屋になっただからだ。
僕は無理矢理そこに連れて行かれ、そこでもイジメられることになった。
そこで行われたのは、イジメというカテゴリというよりは、レイプに近かったのだと思う。
彼が男が好きなゲイなのか、それともバイなのか、はたまた誰かをイジメるのが好きなだけなのかは、よくわからないが、
とにかく彼は僕に対して性欲をぶつけてきた。
日々の暴力と全裸強制ですっかり反抗する気がなくなっていた僕は、黙々と彼の命令に従っていた。
最初はフェラチオから始まり、最終的にはアナルセックスまで行った。
誰にも相談できなかった。
全裸で授業を受ける僕を見て何も言わない教師に期待する方が難しい。
親は平日は夜遅くまで仕事で家にいなかったたし、休日は一日中眠っていて、まともに会話が出来なかった。
まだインターネットは普及していなかったし、個人の携帯電話なんてもちろん持っていなかった。
どうすればいいかわからなかった。
クラスの面子は変わっていたものの、僕の扱いは学年中に知れ渡っていたため、特に変化はなかった。
優しくなった。
顕著だったのは、暴力だ。
昔は僕が反抗的な態度をとろうがとらまいが、関係なく殴ってきたのだが、
その頃の彼は僕が従順にしていれば、あまり暴力をふるわなくなっていた。
学校外で会うのは始めてだったし、休日もレイプされるのか、と思うと、とても気が重かったが、
その日は普通にゲームセンターに行って、本屋に行って、ファミレスに行って、終わりだった。
そして何より世間話をするようになった。
昨日みたテレビの話や、授業の話、そんな普通の友達がするような会話を、
たびたび僕に振るようになっていた。
とは言っても、全裸を強制することや、無理矢理アナルセックスをさせられる点は変わりなく、
キッカケは「B君」だ。
B君とは始めて同じクラスになった。
まず何より体が縦にも横にも大きいため目立つ。
そしてB君は柔道がとても強かったらしい。
二年生に進級し、イジメっ子がいつものように「おい!」と叫び、僕を呼ぶ。
B君があらわれた。
B君はイジメっ子に対して「辞める気はないのか?」という感じのことを聞いた。
僕がイジメっ子にイジメられていることは学年中のみんなが知っていたため、B君も知っていたのだろう。
イジメっ子が返事をした途端、僕はB君に引っ張られ、服を着させてもらった。
それから、B君は僕を守ってくれるようになった。
授業も制服で受けられるようになり、
放課後のおぞましい性行為もB君が柔道部に匿ってくれるようになったおかげで治まった。
僕はB君と一緒に過ごすようになった。
楽しかった。
正直、僕の「自我」は中学二年生で失われ、この高校二年生になるまでずっと無かったのだと思う。
B君が体育会のわりにアニメが好きで、特にガンダムシリーズが好きだったこと。
格闘ゲームはギルティギアよりもストリートファイターやKOFの方が好きなことも。
B君は優しくて、強くて、格好よかった。
全部、全部、覚えている。
B君との繋がりで、ほかにも友達ができた。
みんな優しかった。
けど、やっぱりB君は特別だった。
僕はB君のことが好きになっていた。
同時にB君とも別の教室になってしまったけれど、お昼休みは一緒にご飯を食べたし、
このB君のことが好きだという気持ちを、どうやって処理すればいいのか悩んでいた。
まずもちろん、B君が男性が好きな男性なのか? という疑問を解決しないといけない。
そして、さらにその先にある
「責任感の強いB君にそこまで求めても良いのか?」という疑問が一番大きかった。
好きなら好き、嫌いなら嫌いだろ? と簡単に割り切れればいいのだけれど、
なんていうかB君と僕の関係はとても危ういように感じていた。
ハッキリ言って、B君の方が立場が上のようで、ある意味では下になる。
所謂「助けるなら最後まで面倒みろよ」的な論調で、B君の自由意志が反映されない気がしていた。
仮に僕とB君が相思相愛だったとしても、
B君の無条件の信頼と好意によりかかった、僕にとって都合が良すぎる関係なんじゃないだろうか。
つまり
『あのイジメっ子が僕に関係を強要したことと、上からと下からという違いがあるだけで、実質同じなんじゃないろうか?』
という悩みだった。
力の暴力とはまた違った、関係の暴力みたいなことを、B君に押し付けることになるんじゃないか?
僕はB君によりかかりすぎて、これ以上を求めちゃいけないんじゃないか。
僕もB君に対して同じことをしようとしてるんじゃないか。
彼は県内の大学に、僕は県外の大学にそれぞれ通うことになった。
たらればを言ってもしょうがないのだけれど。
イジメっ子が僕をイジメてなかったら、僕とB君は友達になっていなかった?
イジメっ子が僕に性的行為を強要しなければ、そもそも僕は男性に性的な魅力を感じなかった?
もちろん、イジメっ子のしたことを肯定する気はさらさら無いし、合法的に殺せるなら殺してやりたいとすら思う。
けれど、あの地獄が無ければB君とは出会えなかったし、あの地獄があったから僕はB君を好きになれたのかもしれない。
僕は彼を好きになったのだろうか?
彼は僕を好きになってくれるのだろうか?
僕は今でもB君のことが好きです。
いつまでも創業者が出しゃばっていたら後継者も育たないし……とかいう話では全然ない。
・
久しぶりにテレビでポケモンを見た。3歳の息子が見ていたからだ。
キチンとアニメを見た事はほとんどないが、初代のポケモン(緑と赤)が発売された当時に11歳だった僕はご多分に漏れず、ずぶずぶに嵌まってポケモンをやりこんでいた。
すごく楽しかったし、友達とも興奮しながら語り合ったりしていた。
ただ、続編の金銀が発売される頃にはもう中三とかになっていてポケモンどころではなかった。
アニメもいつから始まったのか覚えていないけど習い事や部活でアニメを見るヒマはなかった。
・
だから僕にとってポケモンのアニメと言えばピカチュウが人気なんでしょ、くらいしか認識がなかった。
で、今だ。
僕は驚いた。
クレヨンしんちゃんやアンパンマンやドラえもんの様にサザエさん時空とは違う、未だに原作ゲームが発売され、キャラやモンスターが追加されるなかで、拡大する世界でピカチュウが揺るがず真ん中に立ち続けている。映画版もスポットを見る限り、ピカチュウが主役だろう。
サトシ?飼い主の方はなんか同格キャラが増えて後ろに下がった風に見えた。
僕はこれを決して批判しているわけじゃない。
『ピカチュウ、10万ボルトだ!』で万事解決って水戸黄門みたいでいいな、とも思う。
ゆく川の流れは、ではないが、いつだって新規視聴者は数年で去り、また新規視聴者が視聴するのだろう。
こりゃ、100年後も10万ボルトあるぜ。
ずっと先に孫ができても共通の話題ができそうで心強い。
○朝食:なし
○昼食:パン三つ
○調子
むきゅーのダンスをおどりながら(比喩表現ですよ)プログラミングのお仕事を頑張った。
そもそも、なんでこんなに苦しい思いをしているのか?
ということで、エクセルの設計書を食べて、コードを生成する簡単なツールを作った。
対応するファイルの種類の四種類中三種類のコーディングと、簡単なテストが完了した。
予定通り、月曜日にはPG完できそうなので、むきゅー! むきゅー! と月曜日に頑張りたいと思う。
あと、トラバでむきゅー! を休みがないことだと勘違いしてる人がいたから念のため補足しておくと、
むきゅー! は僕の元気が出るおまじないみたいな鳴き声なので、休みがないわけじゃないですよ。
それと、来週の金曜日は飲み会があるらしい、誘われたので、一応行くつもり。
○ポケモンOR
5-31-0-31-29-31 むじゃき
という耐久が完全に死んでる子で妥協。
そのおかげでどうしても思い出してしまう嫌な思い出がある。
この日が雪桜でなければ、いちいち思いだすほどのことにはなっていなかったと思う。
当時私は中三になりたてで、その日は入学式のため午後からの登校になっていた。
当たり前のように在宅していた私を、一本の電話が脅かした。
親が夜働いていたうちに午前中かかってくる電話は迷惑以外の何物でもない。
友人に電番を渡すときは、「よほどのことがない限り、午前中は電話してくれるな」と申し伝えていた。
この注意事項により午前中に電話をしてくる友人は皆無といってよかった。
Aは大変困った人で、気を許した相手には平気で我儘をいい、
一度言いだしたことはてこでも曲げないところがあり、共通の友人とほとほと手を焼いていた。
用件は「小為替(当時のオタクの必須アイテム)が欲しいが、入手方法がわからない。
緊急性はかけらもない。
正直、放課後でも余裕で間に合うし。
しかも今外雪降ってるんですけど?
以上のことを私は隠さず伝えたし、午前中の電話は基本するなと言ってあったはずだと詰め寄ったが、
こちらが怒ってることがまるで通じないし、
「私はこれがしたい、どうしても今すぐしたい、引けない」というばかりで、どうどう巡りになる。
2~30分はやりとりしただろうか。
私は同じことを話し続けることに疲労し、仕方なくAの我儘を飲んだ。
用件だけ付き合って帰ってくれば、30分あれば事足りる。
親を起こさぬように気を遣って、神経をすり減らすのはもう嫌だ。
待ち合わせを約束して家を出た。
近所の桜は満開だったけど、どれも雪が積もっていて、なんだかちぐはぐな光景だった。
初めて見るはずの景色を、
綺麗だとみとれるような心の余裕がそのときの私にはなく、
時期外れの雪と寒さが苛立たしかった。
春先の湿っぽい雪はそこらじゅうをぐずぐずと水たまりにして、
あっという間にスニーカーを濡らした。
約束通り郵便局へ付き合ったが、会ってる間中こちらは終始無言だった。
こちらの不機嫌にだってつきあうべきだという気持ちだった。
郵便局でどの程度面倒をみたのかもう覚えてないけれど、
勢いのまま履いてきてしまった布製のスニーカーはびしょ濡れで、
足はかじかむし、午後もこの靴で登校しなくてはならない。
寒さに震えながら、恨めしい気持ちで桜に積もった雪を見ていた。
特に新学期だからといって期待するようなこともなかったけれど、
今日は一日いいことなど何も起きそうもない、そんな気分だった。
会っている間、彼女にご機嫌を取られたりしたかどうかは、もう覚えていない。
こちらがどんな態度でも、あまりAの態度は変化がなかった気がする。
あえてそうしていたのかは、聞いたことがないのでわからないけど。
ただ、謝ることは絶対にしなかったので、不機嫌をあらわにしていても謝罪されることはなかったと思う。
世の中にはいろんな人がいるわけで、時にはケンカになるけれど、Aとはケンカにはならなかった。
私はAと疎遠になっていき、中学卒業後もうつきあいはなかった。
何年かたって、Aから「謝りたいので会えないか」と共通の友人Bに連絡が入った。
また友人としてつきあおうというのではないならいいだろうと思い、誘いを受けた。
なにより、何があっても謝らなかった彼女が自分から謝ろうということに興味があった。
AとBと私、3人で会った。
「あのときはごめんねー、私も悪かったよー」
こちらは当時受けた我儘の数々を具体的に上げられるほど覚えているのに、
やんちゃした人の思い出話につきあった…だけのような…ふんわりとした謝罪…?
そもそも、膝詰の勢いで謝罪されるような気がしていたのが、誤りだったのだ。
迷惑をかけた側とかけられた側の典型的な認識の違いというやつだ。
結局何について、どう謝りたかったのか、肝腎なところは不明のままだ。
まあ、Aもいざとなったら気まずかったのかもしれないし、
なにより謝罪など一切する気がなかった彼女が自分から謝りたいと言ったのだから…
と、私とBは「Aに謝られた」と納得することにした。
「人はそんなに簡単に変わらないな」と思いながら。
あれから、そう何度も雪桜を見たわけではないけれど、
桜の開花後に雪が降るかもしれないというニュースを聞く度に、
苦い気持ちで見上げた雪桜を思いだす。
あの頃とくらべて、コミュニケーション能力がそんなに上がった気はしないから、
「辞めさせる」というのは、ちょっと大袈裟かもしれません。ただ、本当に、仕事をしない後輩に苦労しているので、この扱いをご存知の方にアドバイスして欲しいという気持ちです。法的なことも含め、現実的なことを。そして私の愚痴が少し混ざることにも、お許し頂きたい…
後輩というのは、今年30歳になった入社8年目の女性です。東京の有名私大卒です。会社はIT系制作がメインの業務ですが、Webキャンペーンを受注すると、キャンペーン事務局の代行もします。
彼女は最初、HTMLで画面制作する部署に配属されました。しかし7月から3ヶ月、病欠しました。病名は「うつ」。一旦復帰しましたが、2年目と3年目の二年間を、やはりうつ病で休職しています。
休職を明けて4年目からは、彼女の希望で品質管理セクションに異動となりました。現在も品質管理に在籍しています。
病気を抱えて働く人を「辞めさせたい」というのは、人道的にも法的にも、あり得ないとは思います。だから会社も、彼女の上司たちも、彼女に「仕事して欲しい」と言えずにいます。もちろん、私も。
彼女が私に話したところによると、うつ病を発症したのは中学生のとき。医学部を目指した中三の夏、伸びない成績に悩んで「壊れた」のだそうです。受験に失敗し、隣の県の私立に通ったそうです。県下一の公立進学校に進んだ兄に劣等感を抱いたそうです。
大学受験にも失敗しました。行きたい有名女子大への学校推薦が取れませんでした。あまり行きたくなかった大学へ、推薦入学しました。ただ私からすれば、その大学も充分に有名で歴史も深く、卑下するようなことではありません。有名女子大とのブランド力に、大差があるとは思えません。
大学3年のとき、薬を大量服用しました。いわゆる自殺未遂です。薄れていく意識で、自分で救急車を呼んだそうです。このときに飲んだ薬が、どんなものかまでは話しませんでした。処置と入院費用で30万円したとのことですが、このとき本当に命の危機にあったのかどうかは、彼女の話からはわかりません。
田舎から母親が上京し、自殺未遂するまで放置した大学教授に抗議したそうです。関連があるかはわかりませんが、彼女はスレスレの成績で、どうにか大学を卒業したそうです。大学4年のときは精神科に通院しながら、就職活動もしていたわけです。
私がこの品質管理セクションに異動してきたのは一年弱前です。当初は彼女のことを「愚痴っぽいし話が長い人だなあ」としか思っていませんでした。彼女の愚痴に付き合わされてる私に、同僚たちは冷ややかでした。あとでわかったのですが、彼女は既に、みんなに自殺未遂した過去を話し、病気を口実に仕事をせず、同僚たちを困らせていました。同僚たちは彼女と関わることを避けていました。「めんどくさい」という理由ではありません。彼女に仕事を任せると、納期まで手を付けず、納期が近付くと病気を理由に休みがちになり、納期当日には出社したためしがなく、同僚が慌てて代行しようとしても間に合わないのだそうです。みんな何かしら、彼女に「痛い目」に遭わされていました。それくらいなら自分で仕事した方が良い、そういうことです。別に全員で無視などの、イジメのようなことはしていません。出勤すれば挨拶もするし。挨拶を返さないのは彼女の方です。
休職明け当時の上長だった人によると、彼女は通院中であることを会社に申告していませんでした。仮に申告していたとしても、それを理由に採用しないというのは法律違反ですよね?
復帰したあとも、彼女は会社で薬を大量服用し倒れたことがあるそうです。命に別状なかったようで、フロアの隅で休ませたそうです。会社に医務室はありますが、運ぶには人目の多いところを台車に載せて通らなければなりません。それは忍びない、という判断でした。彼女が立てるようになると、上司が付いて、通院している病院までタクシーで連れて行ったそうです。彼女はそのときのことを、「タクシーで行くくらいなら最初から救急車を呼んで欲しかった」と言っています。しかし、同僚として言いたいのは、初めから会社で自殺を試みる彼女に問題はなかったのでしょうか?
彼女は東京を引き払い、田舎の病院にかかっていました。どういう経緯かはわかりませんが、田舎の男性と結婚しました。結婚生活は幸せではなかったそうです。相手の男性からは、家事をしないことなど責められたと言います。
休職中は、組合から傷病手当金が出ます。当時は、基本給と同額が支給されていました。働いても働かなくても、収入があったのです。満了の2年終了間際に、医師から会社復帰しても良いと診断されました。そのとき、結婚相手の収入より、彼女の傷病手当金の方が多かったそうで、彼女は復帰を決意しました。この時のことを彼女は「結婚したら養ってもらえると思ったのに、旦那の収入より私の収入が多かった、見当違い。この人と居ても楽な生活はできないと思った。私は誰かに依存していきていきたいんです」と言っています。「愛がなくても結婚できます」とも。
会社復帰するまでの3ヶ月の試用期間、彼女はウィークリーマンションを借りました。結婚相手に、この住所は教えていませんでしたし、電話にも出なかったと言います。正式復帰してからは会社から徒歩3分のところにマンションを借りました。結婚相手にも、会社にも、この住所は教えていませんでした。会社は休職前の住所に住んでるものと思い、交通費を支給しました。
連絡がつけられない結婚相手は、上京して会社の前で彼女を待ち伏せました。最後の手段だったとも言えます。それを彼女は「ストーカーまでする人とは、結婚は続けられない」と言います。暴力を振るわれていたのかと聞いたら、それはなかったとのこと。
近くのファミレスで話し合い、離婚することになりました。田舎の住居を引き払いたい彼からは、荷物を取りに来るよう再三催促があったそうですが、彼女は応じず、ついに借家契約の最終日が彼から通達され、ようやく母親と行ったそうです。部屋には彼女の衣服などがダンボール2箱に詰められてたほかは、何もなかったそうです。この時のことを彼女はこう言います「勝手に人の服を触るなんて気持ち悪い。家電類はうちの親が費用を出したのに全部運び出されていた。持っていくなんてセコい男だと思う」。私は、彼こそが常識人で、彼女の方が気持ち悪いと感じます。
離婚が成立したのは、どうやら彼女が会社復帰してから3年後、2年前のことです。なぜそう言えるかというと、彼女はどうやら東京に戻ってすぐ、頼れる男性を見付けたようだからです。彼女曰く、現在の彼です。今の彼女の悩みは、自分が離婚したのに、彼からプロポーズが無いことです。自分から聞いてみないのかと聞いたら、「彼は私が結婚していることを知っているのに、3年も我慢してくれた。だから私も、彼に3年の猶予をあげたい」と答えました。「猶予をあげる」は、本当に彼女が使った言葉です。私は本当にその相手の男性が世間でいう「彼」なのかを疑いました。彼女は「浮気ができるタイプではない」と言いますが、会うのはいつも彼のマンションで、彼女の部屋には一度も来たことが無いそうです。友達と一緒に会うこともないし、彼女に食事を驕ることもないそうです。それと…会社をすぐに休む彼女は、給料で生活するのはギリギリで、生活費を彼に借りるのだそうです、月に2〜3万円。二人がどういう関係なのか、本当にわかりません。プロポーズを待っていて良い相手には思えないのは私だけでしょうか?
会社に復帰してから5年になる彼女ですが、タイトルの通り、仕事をしません。5月に有給休暇が年間20日間支給されましたが、彼女はこの11月現在、使い切っているようです。有給休暇だけでなく、朝は眩暈がすると遅刻してきたり、午後4時くらいには気分が優れないとか顎関節症が痛むとかで、早退してしまい、会社には半分ちょっとしか居ません。大切な仕事が任せられる状態ではないけれど、干すわけにもいかず、会議の議事録を取らせたり書類のファイリングを担当させたりしますが、議事録は録音したテープから会話をまるごと起こしてあり、意味不明です。会話というのは主語がなかったり、述語もどんどん展開していくものです。会議の決定事項は必ずしも言葉で発せられるとは限らず、「じゃあ、そういうことで」ですむこともあります。だからこそ議事録は必要なのに、彼女の議事録は会話のままですから決定事項が書いてありません。
上司は私たちにこっそり言います、「彼女に重要な会議は任せられないから、議事録の担当は残りのメンバーで回す」。
彼女が仕事をしないのを、そうやって他のメンバーが埋めます。それはそれで、リスク対処で、不満を言う社員がいるはずもありません。
困るのは、彼女が足を引っ張ることです。
最近の例です。ISOの継続審査を控え、文章類が最新状態になっているか確認しました。全て整っており、取得部門でも教育が終了していました。そこへ彼女が、とある本部が内部監査の結果を放置してあり、社長印の必要な重要文書を改定しなければならない、と言い始めました。うちの部署は慌てて、全部門に文書の変更があることを報せ、必要に応じて教育する時間を確保することを指示しました。しかし、審査の二週間前になっても、彼女から変更した旨の連絡がありません。確認すると、対象部門と話もしていませんし、スケジュールも立てていませんでした。仕方なく私が代わりに内容を聞きに行くと、なんと、その内容は一ヶ月前にもう改定が済んでいました。それは上司含め、全員がメーリングリストを使って確認済みです。全部門に改定お知らせしたのは無駄だったということです。しかもその段で発覚したのは、改定が必要なのは、彼女が言っていたのとは違う文書であったことです。彼女の勘違い、確認ミスでした。彼女に原文を出してもらおうとしたところ、例の如く、午前は休むとのこと。午前に休むと、午後になって午後休の連絡がくるのが彼女の常です。翌週は社長が海外出張に出てしまうこともあり、急を要しました。他のメンバーで文書を修正し、なんとか社長印をもらうことができ、それから全部門に改定お知らせと教育指示を出しました。審査直前の文書変更に、約300人の社員が翻弄されました。
自分が管理する文書が午前中に改定されたことを、昼休みすぎて出社して知った彼女は、夕方には「やはり具合が悪い」と早退しました。
顎関節症。発症は小学校のとき。来客の直前に痛みだし、会議室でうずくまるほどです。1時間ほどで治まるので会議室に留まります。周囲からは寝ているように見えます。通院はしておらず、一年以上前(彼女の話から判断すると、学生時代)に作ったマウスピースをはめています。マウスピースが痛くて頭痛がして欠勤することがあります。マウスピースを作り変えないのかと聞くと、6000円が惜しいので直さないとのこと。
腹痛。ストレスで空腹を感じ、一日に4食も摂ってしまうほど。そのため胃が荒れてしまった、医者には「食べ過ぎ」と言われたとのこと。この腹痛のせいで早退もするし、自席でもよく伏せています。
血尿。彼女曰く「トイレが真っ赤に染まる」。医者に行ったところ、場合によっては腎臓を傷めることもあり、背中が痛くなったら要注意と言われたとか。その医者からは30分で帰って来ました。その後、通院はしていません。
他にも、朝から大病院に行き、30分待ったので疲れてしまった、という理由で早退することがあります。わりと多い早退理由です。
彼女が普通より病弱であるのは確かであり、仮病だとは言いません。
しかし、それだけ病気で、仕事はほとんど出来ず、任せても欠勤するため周囲のサポートが必須という状況になっているのに、なぜ彼女は病気を治すことに専念しないのでしょうか? 会社は「また病欠して、ゆっくりしてみたら?」と言えません。パワハラとか、そういうことになるでしょう。
彼女の精神科の主治医に「会社では戦力外ですよ、それがストレスみたいですよ」と訴えることもできないでしょう。イジメか法律違反かでしょう。
彼女とは関わりたくないと思っても、挨拶はしなきゃいけないし、会議での発言を無視してもいけないでしょう。彼女が「出来ない」と言えば教えてあげなければならないでしょう。
今でも彼女は、薬を大量に飲んでは、みんなを困らせます。この自殺未遂もどきがやめられるくらいには、元気になってから会社に来るべきではないでしょうか?彼女のめんどうをみるのが私たちの業務の一つになっているのは、健全な企業活動と思えません。
いやなんかね、オナニーマスター黒沢って漫画をさ久々に読み返したんだよ。
どういう話かって言うと、中三の男子が精液を使って気に入らない奴に制裁を加えるって漫画でさ(正確にうと違うけど)まあ、いろんな女子生徒にトラウマを植えつけていくんだよね。でもある時、こんな事やめようってなって、改心してそこから懺悔する漫画になるんだよ。
みんなの前で「あれやったの僕です」って衝撃告白して、学校中からいじめられるのよ、自業自得なんだけどね。
でもさ、主人公の周りの奴が都合いいくらい良い奴で、許してくれるのよ。結局卒業までいじめは続くんだけどさ。主人公は罰は受けたみたいな感じで爽やかな気持ちになってるんだよ。
俺は結構好きな漫画なんだけど、主人公に対する罰はこの程度でいいのかって話をネットでたまたま見てさ。俺も同じこと思ってて、というかそもそも許してもらえれば済むのか、謝ればいいのかって話でさ。だいたいあんな精液つかって悪さするような奴が、なに良い人ぶってんだよ。なんて少し思ったりもするんだよ。
でもこの漫画って多分だけど主人公が改心する事が大事で。人間ってのは変れるんだって話で、だから制裁を加えられて、一生孤独に後ろ指差されて生きるとか、死をもって償えとかじゃなくて、改心したら、世界が変って見えるぞっていう話なんだよね。
で、るろうに剣心って漫画はさ、人殺しっていう罪を主人公なりに悩んで
「剣と心を賭して人々を守る それが俺の償いだ!!」っていう答えを自分なりに出してる話じゃん。つまり死刑とかされてもそれは本当の罰じゃない、生きる事が罰だからって感じで剣心は思ってるんだよ。
そしてデスノートね。あれは主人公が惨めに死ぬっていう罰が与えられてる話でしょ。どんな動機であれ人殺しは死んで償うしかない。っていうそういう終わり方だった。
で思ったんだけど、この間堂々完結したNARUTOなんだけどね。
サスケをどう処理して終わるんだろっていう所に注目してたんだよ俺は。
ナルトとサスケの因縁の戦いはお互い片腕を失うという形で決着がつく。
俺は救われただの、ナルトは最後まで友でいてくれただの、それが俺たち忍者なのかもなーなんていいながら話に落ちを付けようとストーリーをまとめようとしているサスケ君。
ああ、良い話だなーって感じでサスケはいままでの復讐心を捨て去り。
なんでか改心して、ナルトもサクラもカカシもサスケのテロ行為悪行もろもろを許したのか忘れたのか、みんな結婚して子供つくって、サスケは娘ほっといて旅をしている? ハッピーエンドだ。
俺はね、力欲しさに里を抜け復讐のためにテロ行為をしたサスケの最後は死ぬしかないんじゃないの? って思ってたし、そういう意見は少なからずあったと思う。
私が中学生の頃、クラスの覇権はほぼ男子が握っていました。私の学校は中一の終わりにクラス替えをし、中二から卒業まで担任もろとも同じクラスというシステムでした。中一の頃は小学校の延長上のような雰囲気で、どのクラスも男女平等に発言権や権力を持っているように思われました。
中二になって、周りが同年代の異性を恋の対象として意識し出すにつれ、私は薄々と絶妙なパワーバランスに気づき始めました。最たる特徴は、文化祭や体育祭などの行事で何を決めるにしても男子の意見が最優先され、女子はそれに付き従わなくてはならないという構図でした。それに少しでも反対する空気を醸し出せば、その女子はたちまちを“洗礼”を受けてしまいます。それは思春期の女子のプライドをずたずたに切り裂く卑劣な手口そのもので、男子は女子をわざと聞こえるように大声で性的なことを言ってからかいます。文章にするのもためらわれますが、私が実際に聞いたのは「×××(女性器)くっせー」、「100円あげるからヤらせろよ」といったものです。他にもずいぶん酷いことを言われていた気がします。とにかく、男子に楯突いた女子はその瞬間から立場を失い、何を言われても黙って俯くしかないサンドバッグに成り下がりました。周りの女子も同じような被害に遭いたくないがために、見て見ぬふりをしました。一方、いわゆるスクールカーストの上位にいる女子たちはそういう環境に上手く適応しているようでした。彼女達は、男子に決して逆らわず、プライドを刺激せず、彼らをひたすらおだてるという行動に出ました。その中でもとびきり可愛い子達は中心グループのボスの彼女になったり、自分より下位の女子を男子と一緒になってからかうようになったりしました。ある時、馬鹿にされていた地味系の女子がカースト上位の女子に言い返しました。最初は些細な口喧嘩だったのですが、やがてそれは、先生が来て取り押さえるほどの掴み合いの喧嘩にまで発展しました。その時に現場を見学していた男子が言い放った「女ってこええ」という言葉が、私は今でも腑に落ちません。
中三になって、彼らの行動はますますエスカレートしました。授業中に女子が手を上げて発言しようものなら「アイツ調子に乗ってる」と仲間内で耳打ちし、舌打ちをしたり奇声をあげたりして遮ります。休み時間には、男子が教室の真ん中でプロレスごっこをし、女子は巻き込まれぬよう隅っこでおびえ続けます。彼らの遊びが終わると、散らかった椅子や机を片付けるのは女子の役目です。掃除の時間、男子とそれに従う女子はおしゃべりをしてサボり、真面目な女子が行った手柄を簡単に横取りしました。彼らの中で“男子”とは絶対的な支配者で、“女子”はそれをサポートし崇め奉る従者という図式が既に完成しており、それに歯向かうものは徹底的につぶさなくてはならないという意識があったのでしょう。特にこの時期になれば男女の体力差は歴然としていますから、ターゲットを女子に絞れば物理的な報復を受ける可能性はゼロに等しい。彼らはそこに漬け込み、卒業までクラスを我がもの顔で牛耳っていきました。
ある日私は、ネットで「クラスの女子に馬鹿にされて女不信になった」という文章を見て愕然としました。あれだけ私達女子を屈服させて、自分達のやりたい放題やってきたくせに、何をふざけたことを言っているのか。男というのはどれだけ傲慢な生き物なんだ。と、怒りさえ湧きました。しかし私はその認識が誤りだと気付きました。彼らの言っていることはあながち間違いではない。彼らはいわゆるスクールカーストの最底辺に位置する人種だったのです。確かに、権力のない男子からすれば、スクールカースト最上位にいる男子に媚を売り、自分達をナメてかかる女子が目の上のタンコブどころか、悪魔のような存在に思えたのかもしれません。ワンマンな支配者よりも、それにすり寄る狡猾な人間、いわゆるスネ夫タイプの方が周囲からは憎まれるものですから。そして私は嫌でも「女子だけが支配下におかれ苦しんでいた」という認識を、改めざるをえませんでした。私は権力を持たない男子がいかなる生活を送り、どのような悩みを持ち、苦しんできたかをまったく考えてこなかった。つまり、私の目には「支配する男子」と「搾取される女子」の二種類しか映っていなかったのです。
学生時代の経験を通じて女性不信になった男性と同様に、私は今でも男性不信です。しかし、男性全員が酷い男性ではないという希望を持ち、克服するように努力しています。そういえば、中学時代に女子をからかっていた男子グループの内の一人は、現役で早稲田大学に行ったそうです。彼は当時も勉強ができて、高校も推薦で進学校に入学してましたから、特に驚きはしません。ただ、こういう人が将来大企業の幹部になったり国の代表になったりするとしたら、日本から男尊女卑の風潮が消えるのはまだまだ時間がかかるのではないかと思いました。
Osaka Against Racism 仲良くしようぜパレードの「仲良くしようぜ」という言葉が同化の強制と、結果として同化しないものを排除する理論だと批判され、そういう面があるとは思うけど、ちょっと違う面もあってそれを書いてみる。
入学した4月の半ば頃から担任が私ともう一人男子生徒に対して意地の悪い態度をするようになった。他の生徒の質問には答えるのに私達が聞いても聞こえないふりをする。何かの仕事をすると必ずケチをつけてそれだけでLHR一時間非難する。それでも足りないと教科の時間も潰してつるし上げられた。
忘れ物をすると生徒の名前の上に×をつける表が担任の発案で作られて、私の名前の上に身に覚えのない×を沢山書き込まれた。直して欲しいと担任に頼んでも無視された。表は毎学期作られ教室の後ろに貼られ、突出して高く積み上がった私の×印が廊下からでもよく見えたし、教科の先生はびっくりした顔をしてその忘れ物の主の名前を確認した。
中学の三年間、私は「仲良くしよう」とも「仲良くしろ」とも言われなかった。私は仲良くする必要のない生徒だった。非難され断罪され、クラスがそれでまとまる、ただその為だけの存在だった。ましてや「仲良くしよう」などと提案する相手ではなかった。何かを選択出来る権利などなかった。最初から、入学した4月からそう決まっていた。どうあがいても無駄な事はすぐ察せられた。
クラスのみんなは担任にしずかに従ったし、率先して私のアラをさがして非難する生徒もいた。
中三の三者面談の時、「成績は関係ない。おまえに良い高校は行かせない」と担任から言われた。そう言われて親が何も言えない担任の力が強い時代だった。
親の仕事で引っ越したので高校には同じ中学の生徒は居なかった。それもあるだろうけれど高校では同級生達から「仲良くしようね」などと気楽に言われてとまどった。
何年も言われた事がなかったのでどう対応したらいいかわからなかった。
まごまごしてるとこっちこっちと腕を引っ張って話の輪の中に入れてくれた。
私が一人でいると周りに集まってくれてみんなで話をしはじめてくれた。
中学では話しかけても「後でね」と言われ、話の輪には絶対に入れてもらえなかったから話をすることもうまく出来なかったけれど、それでもみんなは居てくれた。
いじめの後遺症だと思う今ならPTSD、当時はわけのわからない体調不良になって休んでばかりいたのにたまに登校すると昨日もいたかのように接してくれた。
「仲良く」は私には悪い言葉ではなく、それとは正反対の救いの言葉だった。
中学時代、別の人間がそれぞれ「仲良くしろよ」という言葉を発したことがある。
詳しくは書けないが一度は別のクラスの生徒をあげつらっていた子に向けて、もう一回はクラス全体に向けて、どちらも私の頭を通り越して発せられた。
あげつらっていた生徒は暫くブツブツ言い返そうとしていたけれどやがて黙り、クラスに向かって言われたときは、私以外のクラス全体がうつむいてしまった。
どちらの場合もその言葉によって、特定の誰かとは仲良くする気など最初から全くなかったという厳然たる事実と、その誰かに対する悪意と侮蔑が白日の下に晒され、それを認識せざるを得なかったからだと思う。それで目に見えて何かが変わったわけではなかったと思うが、言われてうつむく姿は今でも覚えている。
私が同化圧力としての「仲良く」という言葉を投げられなかったのは、いじめられた時にもう中学生だったこと、内申書問題などといわれ学級担任の力が絶対で、その担任が行ったいじめだったこともあると思う。目に見えない同調圧力を振りかざすいじめは陰湿で悲惨だと思うし、その被害者達が「仲良くしようぜ」という言葉を聞きたくない気持ちも許せない気持ちも重くて尊重しなくてはならないことだと思う。
この言葉のそういう面は認めつつも、「仲良くしよう」は私には救いの言葉であったことを伝えたくてこれを書いた。言葉は使い方だと思う。誰がどういう意図でどういう文脈で使うかが重要なのに、行動や意図が言葉で決められてしまい批判されるのはおかしい。
「仲良くしようぜパレード」を主催した人達に同化を強いる気や支配する気があったとは彼ら彼女らの行動を見る限り思えない。ただヘイトを止めさせたかったし、酷い言葉を投げつけられたり差別されたりしている人達の苦しみが少しでも減ってくれたらと考えていたと思う。そんな行動は単語一つで否定できるほど簡単なものだとは私には思えない。
いじめで人を殺し損ねた。
ある時はとっくみあいになって目を潰すつもりでケリを入れたし、
ある時は舌を噛み切らせるつもりで頭突きをかました。
殺すつもりだった。
だけど彼らは大したケガはしなかったし、おかげで僕は「少年A」にならず、
今はいじめなんてなかったかのような、平穏な暮らしをしている。
そう、僕はいじめられていた。
解決?
少なくとも、いじめられている事実をできるだけ僕のプライドが傷つかないように公表して、
親になんて恥ずかしくて相談できないし、解決にならない。
今でもそうだが、昔から口べたな僕は、
もし先生に「○○君らにいじめられています」と言ったとしても、
その後どんな言葉を続ければ、この苦しみが理解してもらえるのかわからなかった。
ちっぽけな自尊心と、無理解への恐怖は、相手と同じ、いやそれ以上の暴力として発揮するしか突破口がないと思った。
いじめといっても、マンガやニュースで出て来るような葬式ごっこやら上履きが消えたり、
学校は楽しかった。それなりに仲のいい友達もいて、でも一部に暴力を奮ってくる奴がいる。
たしかに「じゃれあってくる」奴もいた。彼らのことは僕も嫌いじゃなかった。
たまにイラっとくることもあったが、たしかに彼らは僕と遊んでいたし、
彼らなりの愛情表現として寝技をかけてきたりヘッドロックをかましてきたりした。
それとは違って、サディズムめいた、小動物を殺さない程度にいたぶりたがるような、
「俺はお前より上なんだ」と自尊心を確認するために暴力をふるってくる奴らがいた。
当時はそんな言葉はなかったが、「スクールカースト」は非常に意識していた。
AランクからいじめられるBランクの奴を、Cランクの僕はAランク同様見下していたが、
僕はBの彼、Mのことが嫌いだったので(自慢話が多いMは多くの人から嫌われていた)、
やたら僕を見下す発言をしてきたのは、そうやって高い自尊心を癒していたのだろう。
ノースサウス・ポジションというよりは、お互いの足が顔に位置する態勢になった。
その時、お互いが抵抗をやめるはずもなく、頭に血が上っていた僕は、
「これは事を大きくするチャンスだ」と、彼の顔――目を狙って、かかとで思い切り蹴りつけた。
今思えば、狙うのは鼻でもよかったはずなのに、目だった。
目を潰すくらいのことをしなければ、僕が今まで受けてきた痛みとは釣り合わない、そう思っていた。
しかし幸か不幸か大したケガはせずに、部員の誰かが仲裁に入って、やめることになった。
どっちが勝つというケンカではなかったが、
「MがF(僕)に負けた」と誰かがからかい半分言い放ったのは、Mの自尊心をまた傷つけただろう。
これもやはり部活中で、スクールカーストでは最下位に当たるSと僕が、
どういう流れか対決させられることになった。
今思い出してもあれは気持ちが悪かった。
部員全員が輪になって僕とSと囲い、二人の対決を見守る。
背後からヘッドロックを決められたときに、精一杯僕は彼の口を目がけて頭突きをした。
これも歯を折るとかではなく、舌を噛み切らせることを明確に目的にしていた。
流血沙汰になって先生に知られれば、この見物人たちも「加害者」として裁かれるはずだ。
これは僕とSとのケンカではない。
部員が仕組んだ、自らの手を汚さずにサディズムを満たす卑劣な行為なのだ。
結局これも、Sが少し脣を切るくらいでおさまって、
あとは先生が来たのを気に、何事もなかったように部活が続けられた。
中三の秋だったか、自習の時に加害者二人に学校中を追い回され殴られ、
初めて先生に泣きついて、いじめの事実をようやく把握してもらった。
その後僕に暴力をふるわなくなった。
それを先生が見ていたのだが、「あんなあぶないことして!」と僕には怒って見せたが、
溺れさせようとしていた本人たちに注意することはなかった。
僕がそれまで断続的に、いろんな奴らから受けていた暴力はいったい何だったのか。
今となっては、僕がいじめられていた原因はなんとなくわかる。
そのわりに生意気な所があって、反抗してくるから、ますますいじめたくなる。
Twitterで見た発言だが、「いじめられる側にも原因はあるが責任はない」というのは、
いじめられっ子として非常に納得がいく。
そしてMやSを見下していた=いじめていた僕としても、非常に納得がいく。
ナマイキ。
俺より弱そう。
なんかムカつく。
殴ったあとの反応が面白い。
猫をかわいがっていて、つい嫌がる反応を見たくて抓ったりする。
それと同じだ。
お前より上だと主張しあう。
僕はあのとき、取り返しのつかない怪我を彼らにさせていればよかったんだろうか。
「少年A」になり損ねた僕は、この春入学する我が子がいじめられたら、どうすればいいのだろうか。
僕に似た息子は、きっといじめの相談なんて親に出来ないだろう。
いじめの現場を密かに録音しても、それを聞かれるなんて嫌がるだろう。
だからせめて、彼の行き場のない怒りを学校のテレビにぶつけろとでも伝えようか。
「もしいじめられて、堪えきれなくなったら、テレビを椅子でぶっ壊せ。
そしたらお父さんはすぐに駆けつける。
人に怒りをぶつけて怪我をさせたら、お前が嫌な思いをしてしまう。
人を怪我させたら大変だけど、学校のテレビくらいならいくらでも弁償してやる。
たった10分、15分の休み時間や、部活の時など、先生の目の届かない時に、
だから先生、お願いだから、いじめを無視して手を汚さない「加害者」にならないでくれ。
見て見ない振りだけはやめてくれ。
元「少年A」を増やさないために。
http://anond.hatelabo.jp/20120416090623
中絶させた事実も戸籍に明記する。そのために出生前DNA鑑定の解禁も必要だろう。
出産によって母体に危険が及ぶ場合もあること、女性が妊娠中行動が制限されること、
授乳が必要であること、中絶の肉体的精神的ダメージが女性の方が圧倒的に大きいこと、
セックスに合意があったか否か、を差し引いたうえで、完全に男女平等に負わせる。
どうしても子供を殺したいと両親双方がいうなら、必ず両親合同で子供を殺させる。
男が女の腹を蹴って流産させるのでもいいし、
生まれてきた後に、男女共同で子供の頭を水中に沈めて溺死させるなり
リンチして嬲り殺すなり焼殺するなりロープで絞殺するなりして、殺してください。
産婦人科医師は無関係な赤の他人なので、そんな他人に嘱託殺人させるのは止めましょう。
どうしても医師に殺させると言うなら、殺す一部始終を男女そろってしかと見ておきましょう。
そしてその様子を録画して、服役中三回の食事の前に視聴させて、
毎日起床時と就寝前に
少子高齢化ってあるけど、あれって女尊男卑が顕著に出てると思うんだよね。
めんどくさいからって子育てしない家庭増えてるらしいけど、愛情というかちゃんと育てればまぁそれなりのご子息は残せると思うの。(財力的な問題については正直まだよくわからない)
将来のこと考えてる?老後どうやって自分を養ってくの?ねえ。
非常に残念なのは、アメトークをちらってみた時の、「男の元カノの噂は凄くドラマチックだけど女の元カレの噂は愚痴しかない」って話題。
さくらかどうか知らないけど、観客側みんな頷いてたの。
男は女のことを大事にするけど、女はたぶん自分のことが一番だと思ってるんだと思う。
自分が大切にしてもらえなかったとか、ダサいとかそういった類のものだと思うんだけど、20前半とか後半って将来考えたこと良い時期なんじゃないかな?
付き合うって感覚がまた違うのかもしれないけど、恋人だったらそれなりの度量が必要だと思う。
一応慶応出てるらしい(今ぐぐった)けどあれが憧れの対象になるのは悲しい。
馬鹿なのに、自分絶対主義女みたいのが増えたらますます日本は危険になる気がする。
まだ彼女とか出来たことのない中三男子校生だけど、将来が不安です。
後世を増やすこともロクにできない世の中なんて嫌です。二人以上子供がほしい。
おっとい嫁じょとはいわゆる略奪婚の慣習であり、「婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する」習慣のこと。
なぜか都市伝説扱いされることもあるが、実在した風習であり、昭和34年(1959年)に強姦致傷で男性が逮捕、有罪となったことから全国的に有名になった。
事件を契機に、おっとい嫁じょの習慣の存在、村を挙げて男性を無罪にすべく署名が集められたこと、弁護人も違法性の認識を欠き無罪である旨主張したことなどが大きく新聞等で報道されたためである。
昭和34年というと大昔のように思う人もいるかと思うが、同風習が昭和34年に廃れたとしても、これににより夫婦となった者はいまだ十分存命であると考えられる(若ければ70程度か)。
両親がおっとい嫁じょにより結ばれたという人も、50代40代にはいることだろう。
判旨を引用する。太線、■は増田。鹿児島地判昭和34年6月19日。
主 文
理 由
(罪となるべき事実)
被告人は、昭和三十四年一月十五日頃、その義兄である■■■から早く婚姻するように勧められたので、被告人もその気になつて南に年頃の娘の紹介を依頼したところ、南の計らいで同月十九日鹿児島県肝属郡串良町細山田■千■百■十番地乙野次郎方において、同人の長女A子(当二十年)と会う機会を得たが、被告人は忽ち同女に想いを寄せるに至り、その場で同女に婚姻の申込をなしその後二回にわたつて同じ申込を繰り返えしたが、同月三十日には同女の兄B男を通じて右申込を拒絶された。然し、被告人はどうしても同女との婚姻を断念できないので、同女を強いて姦淫したうえ同女をして止むなく婚姻に同意させようと考え、同年二月五日■方において■、ならびに■■こと■■■■■と相談の末、翌六日同女が鹿屋市所在鹿屋職業安定所に行くのでその帰途を三名で待伏せて無理にでもハイヤーに乗せてどこかに連れて行き、更に婚姻の同意を求め、それでも応じないときは夜になつてどこか知人の家に連行し、被告人において同女を強いて姦淫することに計画を決め、翌六日午後零時過ぎ頃、被告人等三名は前記安定所附近において同女を待伏せ、同女を附近の食堂に連れ込んだうえ、再び婚姻に同意するように説得したが、同女に拒絶されたので、ここに、被告人等三名は前記計画を実行に移すべく意思を通じ、同日午後三時頃同市向江町■■医院先路上において被告人は前方より同女の手を引き、■、■■■等は後方より同女を押す等して同女を無理に前もつて被告人が誘導して来ていたタクシーに乗せたうえ囎唹郡大崎町方面に連行し、同町所在の食堂において時間をつぶした後、同女をその自宅に連れて帰ると欺いて再び同女をタクシーに乗せ、途中下車させてくれと懇願するにもかかわらず、タクシーの戸を押えて脱出を不能ならしめたうえ同日午後六時過頃、同女を肝属郡串良町有里■千■百■十■番■■■■■方に連れ込み同日午後十時頃、被告人は前記連行により極度に畏怖している右A子を同所四畳半の間において仰向けに押倒し右手で同女の両手を同女の頭の上方に押えつけ、足で同女の股を蹴る等の暴行を加えて完全に同女の反抗を抑圧したうえ二回にわたり強いて同女を姦淫したがその際同女に対し治療五日間を要する処女膜裂傷を負わせたものである。(証拡の標目)《略》(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第百八十一条第百七十七条第六十条に該当するので所定刑のうち有期懲役刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、同法第二十一条を適用して未決勾留日数中三十日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文により全部被告人に負担させることとする。(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は「被告人の住居地である串良町地方には婚姻に同意しない婦女をして婚姻を止むなく承諾させるため相手の婦女を強いて姦淫する「おつとい嫁じよ」という慣習があり、右姦淫行為は一般に適法視されている。被告人も右慣習の存在により本件姦淫行為を適法行為と確信し、その違法性の認識を欠いていたから本件行為は、その故意を欠くものである。」旨主張するが、少なくとも本件の如き自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではないと解せられるのみならず被告人の当公廷における供述同じく検察官に対する供述調書によれば、被告人が右の如き慣習が反社会性を帯びるものであることの認識を有していたことが明らかであるから被告人は違法性の認識を有していたものと認むべきであり、弁護人の右主張は採用しがたい。
よつて主文のとおり判決する。
昭和三十四年六月十九日
昭和34年に集団強姦罪はなく、強姦致傷罪の法定刑も今より軽い。なお、処女膜裂傷が強姦致傷に当たることは現在では確定判例(最決昭和34年10月28日刑集13巻11号3051項)である。
弁護人の主張、「自然犯にあつては違法性の認識は故意の成立要件ではない」との判示については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%85%E6%84%8F、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%95%E6%B3%95%E6%80%A7%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%AD%98など。現在では自然犯、法定犯の区別はぴんとこないかもしれないが。
上記判例より、おっとい嫁じょの慣習のあった地域は鹿児島県肝属郡串良町地方であることがわかる。
現在では、平成の大合併により、鹿児島県肝属郡串良町は鹿児島県鹿屋市の一部となっている。
しかしながらこの文章を書いているいま、私が検索したところでは、串良町地方とおっとい嫁じょを関連づける文献がインターネット上には存在しない。
なるほどおっとい嫁じょは現行刑法下では犯罪となるべき行為である。
しかしながら、我が国日本に古来より伝わる文化のひとつでもあり、これをなかったものとし徒に無視することはひとつ文化の損失であるといえる。
そこで、差し出がましいかと思ったが、串良町とおっとい嫁じょを関連づけるべく、本記事を書いた次第である。
失われゆく日本の文化が何らかの形で保存されることを切に願う。