はてなキーワード: NARUTOとは
これらを「ゲイ映画」ってくくるのもなんとなく意味が違うんじゃないのかとおもう
映画じゃなくて漫画だけど「くそみそテクニック」とか あとテディベアとか
「ヘテロやアセクシャルでも同情しやすい、お行儀のよいゲイのでてくる叙情的な同性愛映画」だけを乱暴に「ゲイ映画」の一言でくくろうとするってのはさ
アメリカ人がNARUTOみて忍者アニメすげーよ!って興奮して伊賀市か甲賀市に定住して投票権を得ようとしてたり
少女マンガがすごいから内気で欧米文化になじめないフィンランド人やロシア人が日本の少女漫画にコスプレしたがって整形手術までしたり
「自分が愛するコンテンツならば当然そのジャンルを代表するはずだ!」って押し付けだよそれ
「アメリカ人は日本人の10倍いるからNARUTOが白土三平より正当だとおもってる人数も日本人より多いので!売上みりゃわかるでしょ!」ってなるんだよな
誤解されるとあれだからもう少し詳しく言うと、多様性ってのは性に関する部分じゃなくて国とか人種とか思想の話ね。
まぁようはミクロな状況に注目しすぎだと思う。
これはすんげえ馬鹿げた話だ
そういうこと言う人達はそもそもフィクションというものをわかってない
そこさえ出来ていれば「登場人物が現実の自分に近い人間か?」なんてことは誰も気にしない
ドラゴンボールもNARUTOも世界で人気だが、あいつらの文化や生活に親近感を持てる人間なんて世界のどこにもいない
もっと極端な話では
米兵の英雄が中東で中東人(一応敵対する勢力の武装した男やテロリストだけど)を撃ちまくる映画があって
これを普通に中東人も喜んで見てて、その英雄米兵を応援するからな
日本の女性漫画家がわかりもしない外国の少女の生活を描くべきだと?
馬鹿は何かを提言する前にもっとよく調べてもっとよく考えるべきなんだ
うずまきナルトは、不細工で忍者としての才能がなくて周りからは忌み嫌われて友達ゼロ。当然恋人もいない。
そういうところに共感した。
しかし、話が進むにつれ、ナルトの両親が才能人であることが分かった。おまけに父親は火影だ。
木ノ葉にて最強の豪邸良家の日向一族の巨乳美人ヒナタと結婚。最低でも二回中田氏セックスをして子供を二人産ませてる。
ナルト本人は火影になるし、女の子からモテモテだし、勝ち組だ。
さんざん落ちこぼれアピールしといて、ふたを開けてみると、両親ともに才能人で温かい人間でしたw愛されていましたーw天才の素質がありました^^っていうオチ。なんじゃそりゃ。
無料ゲームだよ!課金しないと進めないけど。みたいな人を集めるために嘘を言う詐欺的手法じゃん。
うずまきナルトは、不細工で忍者としての才能がなくて周りからは忌み嫌われて友達ゼロ。当然恋人もいない。
そういうところに共感した。
しかし、話が進むにつれ、ナルトの両親が才能人であることが分かった。おまけに父親は火影だ。
木ノ葉にて最強の豪邸良家の日向一族の巨乳美人ヒナタと結婚。最低でも二回中田氏セックスをして子供を二人産ませてる。
ナルト本人は火影になるし、女の子からモテモテだし、勝ち組だ。
さんざん落ちこぼれアピールしといて、ふたを開けてみると、両親ともに才能人で温かい人間でしたw愛されていましたーw天才の素質がありました^^っていうオチ。なんじゃそりゃ。
無料ゲームだよ!課金しないと進めないけど。みたいな人を集めるために嘘を言う詐欺的手法じゃん。
エンタメの物語(アニメとかラノベとかマンガとか)において主人公は特別(ユニーク)であることがやはり求められるんだよ。「他でもないその人物を主人公にした意味」ってやつが要請されるから。そしてこれらの物語ではやはり最終的に勝利が期待されるので、逆説的に主人公は強者であったことになる。勝ったと言うことは強かったんだろう、少なくとも最終的には強くなったんだろう――という構造。
※余談だけどこの構造に対するアンチが「ラッキーマン」とかだよね。
しかし一方でこれらの物語の主人公は、読者の感情移入点、アバターとしての機能ももとめられる。「まるで自分のようだ」みたいなポイントがあれば作中世界に入り込みやすいし読書体験は盛り上がる。でも当然読者は「勝者になるべき特別な存在」じゃないのでそこで乖離が生じる。
この乖離を穴埋めするために、主人公は作中で努力なり修行なりをして「読者である自分はやらないけれど、もし実際やったとすれば、これくらいの成果は手に入れられるんだろう」みたいな納得を読者に与える事になる。説得力があれば納得が高まるのは言うまでもないんだけど、しかしそれでも優先されるのは「納得」であって、その努力をちゃんとすれば本当にその成果が手に入るという実証研究ではない。
※この「納得」に対して別方面で行われるアプローチが「血筋」だ。優れた親の子が優れてるとは限らないんだけど、物語的にはかなり説得力のある論理として扱われる。DBの悟空もそうだし、NARUTOもそうだし。
「この主人公は努力してないように見える」ってのは作中の事実(描写)に対する否定じゃなくて、「読者である俺には納得が不足している」って言うことを言い換えただけなんだよ。
いやなんかね、オナニーマスター黒沢って漫画をさ久々に読み返したんだよ。
どういう話かって言うと、中三の男子が精液を使って気に入らない奴に制裁を加えるって漫画でさ(正確にうと違うけど)まあ、いろんな女子生徒にトラウマを植えつけていくんだよね。でもある時、こんな事やめようってなって、改心してそこから懺悔する漫画になるんだよ。
みんなの前で「あれやったの僕です」って衝撃告白して、学校中からいじめられるのよ、自業自得なんだけどね。
でもさ、主人公の周りの奴が都合いいくらい良い奴で、許してくれるのよ。結局卒業までいじめは続くんだけどさ。主人公は罰は受けたみたいな感じで爽やかな気持ちになってるんだよ。
俺は結構好きな漫画なんだけど、主人公に対する罰はこの程度でいいのかって話をネットでたまたま見てさ。俺も同じこと思ってて、というかそもそも許してもらえれば済むのか、謝ればいいのかって話でさ。だいたいあんな精液つかって悪さするような奴が、なに良い人ぶってんだよ。なんて少し思ったりもするんだよ。
でもこの漫画って多分だけど主人公が改心する事が大事で。人間ってのは変れるんだって話で、だから制裁を加えられて、一生孤独に後ろ指差されて生きるとか、死をもって償えとかじゃなくて、改心したら、世界が変って見えるぞっていう話なんだよね。
で、るろうに剣心って漫画はさ、人殺しっていう罪を主人公なりに悩んで
「剣と心を賭して人々を守る それが俺の償いだ!!」っていう答えを自分なりに出してる話じゃん。つまり死刑とかされてもそれは本当の罰じゃない、生きる事が罰だからって感じで剣心は思ってるんだよ。
そしてデスノートね。あれは主人公が惨めに死ぬっていう罰が与えられてる話でしょ。どんな動機であれ人殺しは死んで償うしかない。っていうそういう終わり方だった。
で思ったんだけど、この間堂々完結したNARUTOなんだけどね。
サスケをどう処理して終わるんだろっていう所に注目してたんだよ俺は。
ナルトとサスケの因縁の戦いはお互い片腕を失うという形で決着がつく。
俺は救われただの、ナルトは最後まで友でいてくれただの、それが俺たち忍者なのかもなーなんていいながら話に落ちを付けようとストーリーをまとめようとしているサスケ君。
ああ、良い話だなーって感じでサスケはいままでの復讐心を捨て去り。
なんでか改心して、ナルトもサクラもカカシもサスケのテロ行為悪行もろもろを許したのか忘れたのか、みんな結婚して子供つくって、サスケは娘ほっといて旅をしている? ハッピーエンドだ。
俺はね、力欲しさに里を抜け復讐のためにテロ行為をしたサスケの最後は死ぬしかないんじゃないの? って思ってたし、そういう意見は少なからずあったと思う。