はてなキーワード: スマとは
俺と知り合いの話なんだが、個人的にどんなに大変な状況にあっても『辛い』『死にたい』『何もかも嫌だ』っていう事を考えることが俺には無い。
身の上話でスマンけど、ちょっと長めの経験してきたことを聞いて欲しい。
生まれた時から貧乏でサラ金の取り立てなんかもしょっちゅうだったし、明日生きる金すら無くなって一家心中しそうな状況だった事もある。
寝ている間に絞め殺されるんじゃないかって子供の頃は毎日思っていたくらいだった。
小中高と友人にも恵まれず、教師にすら恵まれず、小中では集団いじめの標的になっていたし教師もグルになってるくらいひどかった。
高校になってバイトができるようになると毎月の給料は親父に全て搾取されていき、いつも聞くセリフは「育ててやった恩を忘れるな」ばかりだった。
こんな事が続くと人はグレる。典型的なお手本のように不良グループの一員になっていた。
が、5年経たずして親が倒れ介護が始まった。
前述した通りうちは貧乏なので、親が倒れた時点で絶望しかなかった。
とにかく日々の生活費、親の入院費用などをなんとかしていくのが精一杯だった。
どうにも首が回らないほどやばい時があったが、とりあえず自分の身の回りのものを売ってでも金を作った。
生活保護の申請もしたが、役所の人間が全然前向きじゃなく「あなたは仕事ができるでしょ?」と認めてくれなかった。
福祉をどう使おうが無理。仕事中に何が起こるかわからんしフルタイムで働くなんか無理すぎた。
が、働かんとどうにもならない。
そうやって生きてきて、10年以上すぎた。
どんなに厳しかろうがなんとかしていく事だけを考えてきたので、今も生きていられる。まぁそもそも死ぬ気なんか考えたこともないが。
辛いことがあろうが、良いことだってどこかにあるわけで。悪いことを考えていたら沈むだけだし、なら良いことでも探すかと生きていたほうが楽なわけだ。
で、最初の話に戻るが知り合いがどうにも毎日のように「死にたい」だ、「辛い」だを繰り返している。
何を言っても人の話は聞く耳を持たない。
俺はそんな事を考えている暇があったら、生きて良いことを探す方を選ぶ人間なんでそういう考え方でもしてみたらと言ってみたのだが
挙げ句に「頑張れとは言わないが、まあやれるだけやってみれば?」って言ってみると
すでに頑張っている人に対して、まだ頑張れというのはひどすぎると言ってくる有様。
まるで他の人が頑張って生きていないと言いたい風に、知り合いは言ってくる。
正直、こちらの生き様と比べるなら知り合いはよっぽど幸せに生きているわけなのだが。
どんなに厳しい状況でも、辛いやら死にたいなんて言っても解決はしないわけで
仁藤夢乃氏(どういう人なのか私は知らない)が今回の事件に絡めて安倍政治批判を行い、その内容が「自業自得」と要約・報道されて仁藤氏が怒ったという一幕があった。
なお発端ツイートについては私もあまり賛同していない。政治家の不正義を殺人と並べるのは不適切だと思うし、また、権利や安全をゼロサム的に取り合うものと捉えているように読めるので。
しかし、発言の妥当性以前に、解釈を間違うことに対しては慎重であるべきだ。
(追記:ここで書いた「犯人の責任」にはかなりの疑義があるようだ。下の追記でも言及したけど、確かに表現としても切り口としてもイマイチだったという認識になってきている。反省。)
「自業自得」という表現は基本的に「他責にするべきではない」という意味で使われる。
今回の事件で安倍氏に「自業自得」と言い放つのは、「犯人の責任はあまり大きくない/問題視すべきでない」という含意を持つことになる。
仁藤氏はそれを言っていない(内心どう思ってるかは別として、ツイート中の文字として現れていない)。
仁藤氏の主張に賛同するかはまったく別の話だし、かつ、「自業自得」という解釈を招くような分かりにくいツイートだったのも確かだと思う。
しかし、間違った要約をしたりそれをもとに非難したりするのも良くないことで、仁藤氏側の不手際を指摘することでチャラになるとは思えないんだけど、どうだろう。
いちおう、次のような反論はできるかもしれない:
再反論としては:
とはいえ、私も「意図が無ければセーフwww」には反対なので、難しいところではある。
書いたけどなんだか自信なくなってきた。
augsUK "法に反した暴力は許されないので、犯人は悪いし咎められるべきである"が、どうして当然の前提として共有できてると思い込んだのかがわからない。「凶行は許されない」とかの形だけの枕詞すら書いてないのに
仁藤氏との間で「共有できてる」かは分からない(もしかしたら仁藤氏はとんでもなくアナーキーな人物かもしれず、そのソースを示すことができれば上述の解釈をひっくり返すことができる)。
少なくとも世間的には共有されていることなので、それに反する明言がない限りは「共有できてる」という前提での解釈のほうに分があるし、もしその前提が成り立っていないのならそれを示す何かを記事中で紹介するべきである、という考え。
poko_pen 普段は「誤解させる発言をしたのが悪い」なのに、フェミニスト案件だと「誤解した相手が悪い」「国語力がない」かとなるのね。
どっちが悪いとか言い出すと不毛なことになりがちだけど、「誤解」の責任がどちらにあるかを強いて言うなら仁藤氏のほうである気はする。(追記: その要約を流布するにあたっては別の責任が発生する)
どっちがどっちだろうと意図を汲む努力はあって良いと思うけど……。
あと「国語力がない」は私含め人類共通で、どっちか一方に欠如しているのではないと思う。
colonoe 赤松健のツイートは適当に要約するのに他の人だとそうでもないんだな/追記:この増田じゃなくてブコメに対して書いたコメントです
私の普段のブクマの話かな、スマソ。解釈を試みるも失敗しているか、字数が足りないか、私の話題選択にバイアスがあるかのどれかだと思う。
hdwdgfva 百文字じゃ足らん。例えば「外務省の制止を振り切って危険地帯に行った結果、タリバンに捕まっても自己責任だよね。」って言う主張があったとして、これタリバンの誘拐を免責する発言だと思う?
gagababan 「地震でA地区が土砂崩れを起こしたのはA地区の工事反対のせいだ。自業自得」という際に用いられる自業自得は土砂崩れの原因が地震でないを意味しないんだが。何が国語力案件だ。
トラバ反応で書いたけど、どうも「自業自得」から受け取るニュアンスには幅があるようだということが分かってきた。上記の例示には確かに私の話は当てはまらない。
犯行の容認に繋がるかが争われていないのであれば私にそれ以上の異議は無いです(仁藤氏の発言そのものの妥当性を擁護していないことは先述の通り)。
あと「国語力案件です」は「なんかこれって国語のテストの問題みたいだよね」みたいな考えで無邪気に書いてしまったものだけど、誰かの国語力の低さを揶揄しているという受け取り方が可能かもしれない。ので撤回します。
casm 「業」(カルマ)についての理解が足りていない。/追記:トラバでの気付きを基に、次はカルマ思想について学ぶべし。自業自得は仏教用語。
興味深い、そうしよう。
nunune 安倍さんが殺されたことと、彼が政治家として行ってきたことを1つの話題で語ろうとしないほうがいい。じゃないと、その意図はなかろうと結果的にいじめられる側にも問題がある的な理路になってしまう。
qawsedrftgyhujikolpzxcvbnm123456 真実は1つだけど原因は1つじゃない 被害者に電車に乗るから痴漢に合うんだって言う奴が居たらソイツは屑だが悪い事した人がすべきじゃなかったはド正論
この問題はありますね。一緒に語ることか? 仮に犯人を免責しないからといって、被害者への責任追及は二次加害ではないか? 本件が違うとしたらどのような点が違うのか? この先は本稿とはまた別の話。
この解釈はおかしい、という指摘があった。なるほど、この含意が無いんだったら話が変わってくるな。
私には、「自業自得」と言ってしまうとなんだか犯行を容認しているように感じられるんだけど……(私もまた、無駄に相対的な比較をしてしまっているのかもしれない)。仮にそうでないなら当該記事も間違ってないと言えるかも?
これは同意ですね。
私は「犯行の容認」という観点に言及したが(他の記事で、反安倍な人は犯行を肯定するはずだという趣旨のブクマを多く見かけたのに引きずられたかもしれない)、そんなニュアンスは元々無いという反論を多く貰ってしまった。
もう少し一般化すると、自業自得と言い換えることで余計な(かつ、非難に値するような)意味を追加していないか、ということを問題にしていたのだった。
脳みそ足らないやつは黙っとけ
キミはアホな逆張りしてないで万が一の際はちゃんと自分自身が生活保護の手続きが取れそうかだけ心配してなさい
どこの国でも知能や精神に問題がある人が必要な手続きが取れず福祉から漏れてるぞ
同シェルターが設立されたのは2001年12月。岡田武夫大司教が、カトリック新聞に「野宿生活者の緊急一時避難場所―対応遅れによる死を防ぐため―」という記事で寄付を呼び掛けたことがきっかけだった
https://www.christiantoday.co.jp/articles/22858/20161222/ima-urgent-shelter.htm
ただ、ヤろうと思えばヤれるのって女にとっても大きなメリットだよねって事。
それは収入面の話じゃなくて、人生の豊かさの面での話。承認欲求を満たすとか。
例えばその好きな人も仕方なくってのも、セックスすることで好きな人の心を繋ぎ止められたらならそれは大きなメリットでしょ。
完全に続きものなのでこれだけ読んでも
よくわからないと思う
亡き父のことを知ろうとしたらまさかのご存命という事実が判明。
電話口で教師にどういうことが問うも薬の服用で呂律が回らず、仕事だからと電話を切られてしまった。
ただ教師はこの時母に子供から「父親について知っていることを話さなければ死ぬ」と脅されたと連絡しており、風邪から復帰し仕事に出ていた
母が急いで帰宅した、らしい。
というのもこの電話の最中から大量に飲んだ薬と出血の影響で意識が朦朧として、そのまま気絶してしまった。
病院には連れて行かずに、母が何か処置をしていたのをうっすらと覚えている。
いつもなら罵詈雑言が飛んできそうだが、
母は泣きながらただひたすらごめんなさいと謝っていた。
なんだか、自分が少しも予想していないことになってしまったなとうっすらと回復する意識の中
そう思っていた。
回復した後、母はぽつりぽつりと
私の出生について話し出した。
父は存命で既婚者だったこと。母は父と出会い、結婚をするがこの時、すでに父の家庭には子供がいて、腹違いの兄弟がいるらしいこと。
母が既婚者だと気付いたのは、父に任せた婚姻届の提出が実は出されておらず、私の出生届けを提出した際に受理されなかったことから判明したらしい。
父は離婚して母と一緒になると口約束をしたが相手の妻が離婚に応じず話が長引き母の気が
おかしくなったタイミングで縁を切ったらしい。これは私が幼稚園に通っている頃の話らしかった。
なのでこの時期の母を知っている一部の人はこの事情を知っていて、私に可哀想だ可哀想だと言っていた。
今は離婚し父は一人暮らしらしいが相手の妻とその子供は我々親子を憎んでいるらしい。
他人を信用できなくなったこと、嘘に人一倍嫌悪感を覚えたこと、私の顔が父に似ていることから
あの人のようになってはいけないと父は亡くなったと嘘をつき、厳しく育ててきたと言った。
幼少期、イベントに勝手に参加したことに怒ったのは当時、父家族が私を連れ去ろうとしているのではないかと常に不安だったかららしい。
全ての話を聞いてなんというか、なんじゃそりゃ、と思った。
これまで私が原因で怒られて来たと思ってたこと全部、私が原因じゃなかったってこと?
納得できなかった。
これまで私はその自己中さゆえ、何度も何度も母を怒らせてきた。
自己中であるという母の評価は的外れではなく、私自身もそう思っている。
だから、悪いことも当然、私に原因があるものだと思っていた。心当たりがない暴力でさえ。
しかし出生の真実を知り、思いのほか自分が蚊帳の外というか、いや当事者ではあるのだが
これまでの暴力ってもしかして八つ当たりだったんじゃね?とか父と揉めてた時のストレスで余裕がない母が私にキツく接してただけじゃね?とか色々思ってしまうようになった。
曲がりなりにも私にとって母は常に正しい存在で、白黒つけるのが難しいこの世の中でハッキリと物事を分けるその生き方は正しいものだと思っていた。
だから正しい存在からの暴力は教育であり指導で、親から子への愛情なのだと思っていた。
それがこんな背景があると知った今では、
本当に運よく、そしてありがたいことに友に恵まれ、事情を話して居候させてもらっている。
でも、研究する気は起きない。
私という人間は生まれるべきじゃなかったと思う日々が続いている。
でも何故か自殺しようとは思わなくなった。
今の私は猿なんだろうか、それとも人の家庭を壊した子供なんだろうか、
母とはもう何年も話してない。話せない。気持ち悪い存在になってしまったから。
父は知らない。興味がないから。
これから私はどうしたらいいのだろう。
おわり
読んでくれてありがとう
長くてスマソ
大学進学は入試を半ば無理やり行い、合格したため、母の友人たちの説得もあって(国立大学で行って損はないでしょうと話してくれた)なんとか通えることになった。
しかし自宅での母と私の仲は最悪なままで、顔を合わせれば「裏切り者」「恥知らず」と罵られた。
母の罵倒は今に始まった事ではないので、聞き流していたが「人間ではない」と「お前は猿だ」にだけは「違う」と私も声を荒げていった。
次第に母は私を殴らなくなった。
成長し、私の方が力が強いことが互いにわかっていた。
そんなこんなで家にいても空気が悪いだけなので私は大学で研究に没頭した。
ゼミに配属される前から気になる研究室をいくつも尋ね、知らなかったことをたくさん知り
大学へ入ってよかったことの一つに喧嘩や揉め事が起こっても、私のことを猿扱いする人がいないこと、暴力を振るう人がいないことを知ったことだった。
基本的には話し合いで解決しようとするし、どうしようもない時は距離を置いていた、どちらが悪いとか悪い場合謝罪をするべきだとか言う人は
ほとんどいなかった。
ゼミに配属されてからはより一層研究にのめり込み、学会参加や論文執筆なども意欲的に行なっていった。
研究活動の環境に恵まれたおかげで学会で賞をいただけたり、ある学年では学費が免除対象になったりして、本当に楽しい学生生活を送れた。
だが、研究にのめり込むあまり体調を崩し長引く風邪をひいてしまい、1ヶ月ほど寝込んだ。
とにかく長引いた。
予定していた学会への参加も投稿予定だった論文も全て再調整になってしまい、これまでの成果が無駄になったと酷く落ち込んでしまった。
「やはりお前はダメ人間、猿だから計画性がない。私にも風邪をうつして迷惑をかけた。最悪だ。」など毎日言われ続けた。
大学に入って以降、私は人間!猿じゃないマインドで今までにないポジティブさで活動してきた私だったが病気もあって精神的に弱ってしまい、母の暴言に耐えきれず自殺を考えるようになっていた。
だが病気さえ治ればまた研究室に通えばいい、元通りになると思い直し、でもなかなか治らない辛い症状にどんどん心が荒んでいった。
少し症状が軽くなった日、寝込んでから触ってなかったパソコンで少し作業をしようと思ったらパソコンが明らかに破壊され使い物ならない状態になっていた。
そのパソコンはお金がなく購入できなかった私に教授が研究室の備品を貸し出してくれていたもので母もそのことを知っていたし、
思っても見なかった。
この件で母に激昂してから、死ぬ準備を始めるようになり睡眠も食事もろくに取れなくなっていった。
パソコンを破壊されてから、教授への申し訳なさと研究データが消えたことで大学へはもう戻れないと思い込んでいた。
適切な処理をしてくださり退学することはなかったし研究データもクラウド上にあるため消えていなかった。)
大学に行けないなら、もう生きていてもしょうがないなと本気で考えていた。
そうしたらじゃあもう死にますか!と
自殺決行の日に、数少ない友人たちにお礼のメールを送り、教授にはパソコンを破壊したため大学へは通えないことを連絡した。
この辺は記憶が曖昧なので見返したら、”もう人生終わりにします!!ありがとうございました”とメッセージを送っていた。テンションが高い。
この時ふと、そういえば私の父親ってどうやって死んだんだっけと気になった。
これまで父の話はほとんどと言っていいほど触れられることはなく、いないものとして扱ってきた。
ただ死ぬ前に父がどんな人だったのか、どうして亡くなってしまったのかが、それまで気にならなかったのにどうしても気になってしまった。
父のことを知る人はほとんどいなかった。
教師は困惑し、いきなりなんだとか母はどうしたとか言っていたが、
そんなことはどうでもいい私の父について知ってることを全部話せと言った。
教師は
「〇〇さんにお会いになったんですか?」
と言った。
父は生きていた。
次でラストです。
色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため
出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて
死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。
この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても
ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。
数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。
これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。
物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。
何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分の気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。
父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事と育児の両立で忙殺していた。
なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。
我が家には叔母や祖母といった家族の交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。
幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。
私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。
だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。
とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。
でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。
いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。
とにかく殴られたくない、怖い思いから解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪に意味はないと、さらに叱られ続けた。
これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。
母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。
広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。
ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。
だけどそのイベントは母との約束の時間を過ぎてしまうもので、母の許可なく参加することはできなかった。
その子の母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。
イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。
そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。
友人の母親とおそらく施設のスタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。
帰宅後、私がしてしまった行為がいかに愚かなものか叱責された。
普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから3日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。
母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。
約束を破ってまで遊んでしまったことへの罪悪感とそれでも楽しかったこと、遊びたかったことと色んな気持ちでいっぱいだった。
母に強く言われたのが、もし友人と母親が悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。
私は友人とその母親が悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったからである。
そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。
普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。
母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。
私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかったこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。
要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。
「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」
次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。
怒り心頭の母が目の前に立っていた。
「お前は反省していないようだな」と言われた。
教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分が可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。
どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。
お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。
この出来事と電話をきっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。
反応あれば続き書きます。
マスク文化が今よりもっともっと日本独自の文化として発展して自由度が広がればいいのにって思ってる、ファッション兼感染症対策でさ。
それも口を覆うだけじゃなくて顔や頭丸ごと覆えるマスクとかもつけさせてほしい、今はせいぜい口元を覆うマスクの色が白なのか黒なのかピンクなのかとか言うてその程度の自由度じゃん
ペストマスクとかガスマスクとか動物のマスクとかSlipknotみたいなマスクとか、各人が気に入った形式のマスクをSNSのアイコンみたいにシンボルとして決めてつけるようになる感じ
人々は「ガスマスクの田中さん」「心臓のマスクの田辺さん」「カメレオンマスクの斉藤さん」みたいに第二の顔としてマスクを持つ
飲み屋がやら商業施設が立ち並ぶカラフルなネオン街でガスマスクをつけたサラリーマン集団がたむろしてたりゴスロリファッションの女の子が髑髏のマスクつけてる風景とかエモくない?
「ひめゆり」を観て欲しい。駄文でもこの思いを伝えたくて書く。
ポレポレ東中野という映画館で映画を観た時に「ひめゆり」の予告が上映されていた。先月人生初の沖縄に行ったばかりということもあり、記憶の片隅にずっと残っていて今日観に行ってきた。毎年この時期に上映してるらしい。
ひめゆりの塔、名前を聞いたことがあってもどういう場所で何があったのかは知らない人が多いんじゃないかと思う。この映画はひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員された女学生の証言を記録したドキュメンタリーだ。
内容は稚拙な文章では現しきれない。記憶力も良く無いので一言一句覚えてるわけでもない。ただそれでもこの映画を日本人全員に観て欲しい気持ちが溢れている。「この悲劇を繰り返さないために〜」とか「今でもウクライナで〜」とかそういうことを言いたいんじゃない。この映画は教科書で一文ですまされる断絶した過去の歴史ではなく、母や祖母や曾祖母が経験した、する可能性があった、だれもが自分自身に関係する話なんだと思う。(実際に証言されてる方のお孫さんが映画を観に来ていた)
捕虜になると嬲り殺しにされると教えられたアメリカ軍に包囲された暗い壕の中で、ガス弾を投げ込まれる。布を水に濡らして口に当てようとしても水は無い。自分の尿で濡らした布を口に当て、少しでも新鮮な空気を吸おうとゴツゴツの岩の隙間に顔を埋める。苦しくて息が出来ない中でも「お母さん助けて、お父さん助けて、先生助けて」と叫ばずにはいられなかった。という証言があった。
泣いたね。泣いた。映画館で。暗くて良かった。
当方元陸自。催涙ガス焚いてガスマスクの効果を体感しましょう!って訓練があったんだけどマジで息が出来ない。口も喉も肺も痛くて息を吸えない。顔、というか露出している皮膚は日焼けに熱湯をかけられてるように痛い。当然目は開けられない。訓練用に弱めた催涙ガスでこの有様なのに、10代の少女が、想像も出来ないような恐怖の中で、息も出来ない状況で、それでも助けを求めるしかなかった。考えただけで胸が張り裂けそうだった。
彼女達だけが悲惨だったのではなく、沖縄全体で同様の悲しく辛いことがあったんだと思う。ただ忘れたかった忌まわしい過去を、証言し残してくれたおかげで歴史に埋もれなかった。彼女達のことを絶対に知らなければいけないとは言わないが知るべきだとは思う。
何度も繰り返すが映画「ひめゆり」を観て欲しい。DVD化も配信もされていない。金曜までポレポレ東中野でやってる。都民、観てくれ。都民じゃなくても観てくれ。今調べたら東京以外でも大阪、福島、島根でもやってるみたいだ。観てくれ。
これを書いてから数日俺の中でアンテナ感度が上がってたというのもあるのだが、割と色々動いたな…。
俺レベのアニメ化の噂が出てきたり(何回めだよ)楽天が参入を発表したり(あーあ)、個人的には前回の増田が割と自称詳しいおじさん達にも読まれてたみたいでビックリしたりもしてしまったのだが(知らんおっさんの話を鵜呑みにするなって話をしてんのに早速釣られてんじゃねえよ本当)そんな事よりアメリカで炎上してるってよ。
https://twitter.com/kenneduck/status/1536756614564237313?s=21&t=Sk_p7_4EUE9kEq08rI1qYA
あちらさんの地下鉄の広告らしいんだが(な?なろうっぽくないだろ?てかよく見たらトラバくれた増田が言ってた「ロア・オリンポス」じゃん!!やっぱ人気あるんだなー)、キャッチコピーのサイドハッスルとは「副業」を意味するらしい。ここでいうWEBTOONてのはNAVERが運営してるアプリの方ね(というか前の増田でウェブトゥーンって書いたのは技法とかビジネスモデルとか色々定義がブレブレだった…そういう「ユルさ」も引っくるめてウェブトゥーンという概念だと言いたかった…なんかうまく伝えられてなくてごめん…)
コミックは文学の副業である…とはイマイチ何が言いたいのか分からん。手軽に文学のエッセンスを取り込めますよという比喩なのか、食い詰めた小説家を募集する採用広告なのか。俺は英語はよく分からんのでネイティブの感覚でどんなニュアンスの言葉なのかは知らん。つかこういうときだけウェブトゥーンじゃなくて「コミック」を自称すんのかよ。主語デカすぎんだろ。
ただ少なくともツイート主含め多くのコミック・ウェブトゥーンアーティスト達はおちょくってると受け取ったようで、皮肉たっぷりに「副業で描いたコミックです!読んでね!」と作品を宣伝してみたり、雑コラが作られたり、かなりの騒ぎになっていてこれにはNAVERも謝罪画像を掲載した。
https://twitter.com/webtoonofficial/status/1536820794960904192?s=21&t=Sk_p7_4EUE9kEq08rI1qYA
この画像謝罪って万国共通なのな笑しかもなんかやたらオシャレでムカツク。「サイドハッスルです」からの「サイドハッスルではありません」はさすがに笑う。進次郎の変則活用かな?こんなサクサク謝れるならなんで通しちゃったんだろ。この間のチェンソーマン盗作騒動といいチェック体制どうなってんだよ。
カカオでも「伯爵家の暴れん坊になった」が原作者に無断で日本風ローカライズして炎上してたり(どうもそこら辺に重要な伏線を仕掛けてたらしいね、そりゃ怒るわ)日本でも古いけどcomicoがやらかしたり、全体的に作家を小馬鹿にしてる雰囲気が漂うんだよなー。そりゃまぁ紙の出版社だって色々騒動はあるけどさ、あの辺は古くなりすぎて「俺が育てた」的な勘違いのもとにああやって腐敗してるわけでしょ?意味は分からんけど理屈はわかる。なのに今これから!っていう新進気鋭のメディア(といってもお前らが知らないだけできちんと本国での歴史はあるわけだが…あんまり斬新斬新言うのも失礼だかんな?)が今からこんな調子乗ってるってのはホントどうにかした方がよくない?
他の国で流行ったものをパクってくるのは勝手にしろ。先人がやってきたことを焼き直すのも別にいい。ただ、悪い所までは真似てくれるなよ?最初のツカミは今どき、そりゃある程度は金の力が必要かもしれない。でもグイグイ読ませるのは作品の力、作者のおかげであって、縦だからでもカラーだからでもねーぞ。二度と間違えんな。
てかNAVERもカカオも日本では知られてないけど韓国ではすごい大手なんだが?なんとなく縦方向にしたらたまたま成功しちゃったわけじゃないんだが?ソウルの地下鉄乗ったらめちゃくちゃ広告貼られてんだが?って話もしたかったのに、めっちゃなんとなく広告出してて草なんだが?ある意味世界を席巻してるんだが!?
未来の話をしろって言われてるけど、俺はそもそも今の韓国の人たちって、未来人と同じだと思ってるのよ。読者も作者も企業も。
意味わかんない?ウェブトゥーンではずっと先に進んでる彼らの現在、なんならちょっと過去の姿が、これからウェブトゥーン道を歩んでいく俺たちの未来の姿だって俺は考えてるのね。だから学べる事は多いと思ってる。ゲームでいうアタリショックみたいな事が起こらないとも限らないわけで。
色々言ったけど実は俺は声優ヲタなんで、ウェブトゥーンがドカンドカン当たってアニメやドラマがジャンジャン増えて、推しの活躍の場が増えてくれたら純粋に嬉しいんだわ。それは本当。伊瀬茉莉也が目当てで頑張って見たアンナラスマナラは微妙だったけど、井澤詩織がシンビアパートっていう妖怪ウォッチみたいなアニメの吹き替えしててむちゃくちゃ可愛いからみんな見てくれ…!!ウェブトゥーンじゃなくてアニメ原作だけど。
まーでも、そっちは可能性ありそうなのは韓国より中国かもな。Tiktok風の縦長マンガ動画バンバン作ってるから、映像化しなくてもそのまま吹き替え出来ちゃう。といっても日本のYouTubeマンガみたいな棒読みかもしれないけど、新人声優の割のいいバイトとして定着してくれたら素晴らしい。内容以外ではウェブトゥーンの最大の弱点だと思ってる「指が疲れる」もクリアだし、上位互換じゃねこれ。肝心の内容がサッパリ分からねえからなんとも言えねえけど。中国語も勉強しねえとなー。