2022-06-22

人生がよくわからなくなってしまった話1

色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため

出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて

死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。

この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても

ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。

数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。

死にたくなるまで(1)

これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。

物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。

何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。

父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事育児の両立で忙殺していた。

なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。

我が家には叔母や祖母といった家族交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。

幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。

私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。

だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。

とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。

でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。

いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。

とにかく殴られたくない、怖い思いか解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪意味はないと、さらに叱られ続けた。

これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。

幼少期、特に印象に残る出来事が起こった。

母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。

広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。

ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。

だけどそのイベントは母との約束時間を過ぎてしまもので、母の許可なく参加することはできなかった。

の子母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。

イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。

そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。

友人の母親とおそらく施設スタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。

帰宅後、私がしてしまった行為いかに愚かなものか叱責された。

普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。

母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。

約束を破ってまで遊んでしまたことへの罪悪感とそれでも楽しかたこと、遊びたかたことと色んな気持ちでいっぱいだった。

母に強く言われたのが、もし友人と母親悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。

私は友人とその母親悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったかである

そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。

普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。

電話をかけてきたのは、母の友人を名乗る教師だった。

母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。

私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかたこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。

要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。

「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」

私はその教師にお礼をいい、電話を切った。

次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。

怒り心頭の母が目の前に立っていた。

教師から連絡があったと母が言った。

「お前は反省していないようだな」と言われた。

教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。

どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。

お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。

約束を破ったのだから、当然である

殴られたり食事を抜かれる理由を作ったのは自分である

他人を信用しないのは、常識である

この出来事電話きっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。

長くなったので一旦区切りまする。

反応あれば続き書きます

  • いりません

  • 私は読みたいな、気になるよ。書いてほしい。

  • anond:20220622143012の続き 前置きがだいぶ長くなってしまったが、幼少期の出来事が一番印象深いのでそこは勘弁してほしい。 死にたくなるまで(2) 電話での一件で、私は自己中で母に苦労...

    • ここまで読んだけど辛すぎる。 当たり前だがあなたは猿じゃないし、事情があるかもしれないが母親が相当ひどい・・・

    • anond:20220622160151の続き 長くてスマソ 死にたくなるまで(3) 私は猿じゃない人間だと思うようになってから母と私の関係は悪化する一方だった。 大学進学は入試を半ば無理やり行い、合格...

  • 2 までは読んだが、当時に母や代わりの保護者から見放されるのは、生命に関わる危機だった。 今はそうじゃない。 自分の力で出会った人を信じて生きていこう。 書くことで整理できる...

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