はてなキーワード: エラーとは
とりあえず、声をあげてたほうが良いと思うよ。
要は、アラートをあげていましたよ、ってことね。
期日に成果物が全くありません、っていう状況だけは、絶対に避けたほうが良い。後で問題が発生した時に、責任問題になる。
上司に相談して、それでダメなのが現状なんだろうけど、全体にチャットツールなりメーリングリストなりで、相談する。
もしくは、さらに上の人間に対して、現状こうなので自分を放置したままだと炎上しますよ、と伝えておく、とかかな。
あたりかな。完全に自分視点なので、元増田には合わないかもしれない。
あと、質問の時は出来る範囲でいいんで、ちょっと(10~15分くらい)調べて、自分なりに答えなり推測なりを出したうえで、
『〇〇が分かりません。△△△を調べました。自分は□□□だと考えています』みたいな感じで聞いてくれると、自分だと教えやすい。
実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃんと効果が確認されるようになってきたたことです。
それこそ、そのエビデンス(論文)でも提示されればいいんじゃないですかね。
この辺りのこと?
Jonathan Shedler,"The efficacy of psychodynamic psychotherapy."(American Psychologist 2010)
Falk Leichsenring,Sven Rabung,"Effectiveness of Long-term Psychodynamic Psychotherapy: A Meta-analysis"(JAMA 2008)
精神分析医のフィーリス曰く(1)、フロイト派のセラピーはビクトリア時代の人たちには、うまく機能していたが20世紀半ば以降、人々の「性格の鎧」の質が変わり、セラピーはうまく機能せずに行き詰まって失敗することが多かった。
フロイト派の精神分析法は、「幼少期の体験が成人してからの人格の基礎となる」というものが骨子の一つ(2)だが、そのことに大打撃を与える調査が出てきた。1990年代にマシュマロ実験の文献を詳しく調べたマーティン・セリグマンは、幼年期のできごとが成人してからの人格に影響を与えるということは、ひどい心的外傷や栄養失調があった場合にはありうるかもしれないが、それ以外では有力な証拠がほとんどないと結論づけている(3)。子供時代と成人してからの性質に、ごくわずかな相関は認められるが、それは主に遺伝的(生まれつきの)性質、つまり概して明るいとか気難しいといった性質の反映として説明できるという。
また心理学者のバウマイスター一同がフロイトの提唱する理論的メカニズムの数々を現代の文献と付き合わせて検証したところ、最も最悪な理論が昇華説だということが判明した(4)。そもそも昇華説には根拠がない上、事実はその逆だと考えられる理由が多いからだ。
もちろん、フロイトの理論は示唆的で興味深いものが多いし、余談だが「快感原則の彼岸」については現代思想の中ではかなり重要な位置づけになっている。ラカンも執拗にこの論文にこだわるわけだしね。
それに、フロイトの批判をしたバウマイスターは、フロイトの提唱する説でエネルギーが重要な位置に置かれていることに敬意を表して、フロイトが使っていた自己を指す言葉「自我(エゴ)」を使って、「自我消耗」という言葉を「人の思考や感情や行動を規制する能力が減る現象」に名付けた。自我消耗に関しては、後に脳波記録検査法(EEG)で脳内の前帯状皮質におけるスパイク発火(エラー関連陰性電位)が対応する脳機能であることが確認された(5)。
著名な心理学者であるスティーブン・ピンカーは、 今回で言えば「人生全体」「物語の蓄積」「人生の深み」といったことで、科学の基本的研究方略である「単純化(simplify)」を退けようとしていることに苦言を呈している(6)。 研究の対象をとなる複雑な現象をいろいろなレベルに単純化し、いろいろなレベルごとに 解明していくことを拒んで、複雑な現象をありのままに理解しようとしていたのでは研究はいつまでたっても現状に停滞したままになる。単純化を嫌って、複雑な現象を複雑なままで捉えようとする人文系学問に多く見られるのこうした研究方略を、ピンカーは完全な正確さを求めて「原寸大の地図」 を作った愚かな地図職人を描いたホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges)の寓話で批判している。
現代心理学の始まりがブント(Wilhelm Wundt: 1832-1920)のライプチヒ大学での心理学実験室創設とされるように、そのスタートから科学を目指したものだった(7)。 人文学の科学化と言っても、物理学や化学の実験を導入するのではなく、心理学の実験手法や神経科学の実験手法(EEG、fMRIなど)を取り入れればいいのである。また、国際的な科学的心理学の学会APS(Association for Psychological Science)の会長だったカシオッポはこうした点に注目し、心理学が科学と他の文系の学問とのハブとなるべきであると主張している(8)。
個人的には、人生全体からの人間理解やフロイト理論の人間理解よりも、人類史からの人間理解(進化心理学)(9)や神経科学からの人間理解の方(10)がより多くのことと整合性が有ると思うし、「物語」を一切考慮しないで休職者の約53%を予測したリシテア(11)といったことの研究に心理学がより一層取り組んでいくことを願ってるわ。
▼出典
(1)Allen Wheelis,"The Quest for ldentity"(New York: Norton,1958).
(2)Sigmund Freud,"Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie(『性理論三篇』)"(1905)
(3)M.E.P.Seligman,"What You Can Change and What You Can't :The Complete Guide to Succesful Self-Improvement"(New York:Alfred A.Knopf,1993).
(4)Roy F. Baumeister,Karen Dale,Kristin L. Sommer,"Freudian Defense Mechanisms and Empirical Findings in Modern SocialPsychology: Reaction Formation, Projection, Displacement, Undoing, Isolation, Sublimation, and Denial"(Journal of Personality,1998)
(5)Michael Inzlicht,Jennifer N. Gutsell,"Running on Empty: Neural Signals for Self-Control Failure",(Psychological Science 2007)
(6)Pinker, S."Science Is Not Your Enemy: An impassioned plea to neglected novelists, embattled professors, and tenure-less historians." (New Republic, 2013)
(7)Bringmann, W. G., Bringmann, N. J., & Ungerer, G. A."The establishment of Wundt's laboratory: An archival and documentary study." (W. G. Bringmann, & R. D. Tweney (Eds.), Wundt studies: A centennial collection (pp. 123-157). Toronto: Hogrefe. 1980)
(8)John Cacioppo,"Psychology is a Hub Science"(Observer 2007)
(9)Martin Daly, Margo Wilson,"How evolutionary thinking inspires and disciplines psychological hypotheses." Pp. 15-22 in XT Wang & YJ Su, eds., Thus spake evolutionary psychologists.(Peking University Press,2011)
(10)一例を挙げれば、心の理論(Theory of mind)における神経科学の役割とか。サイモン・バロン=コーエンが有名だろうが、研究は色々有りすぎて挙げきれない。
(11)HR テクノロジーで、人や組織のパフォーマンスの最大化を図る 「リシテア/AI 分析」サービスを販売開始(https://www.hitachi-solutions.co.jp/company/press/news/2016/1201.pdf)
最近プログラミングを少しだけ興味を持って触っているんだけど、そもそも勉強を真面目に取り組んだことがなくて正直挫折しそうだ。
エラーが出てエラー文を検索すると、多くの記事がでてきていて、中には自分と同じ初学者の人もいて、大変助かっているんだけど、
ああいうブログみたいなものって全くの無学でも書いて良いものなの?
そういうブログでは得てして自分の読んだ本の記録とかメモも掲載されていることが多いけど、自分は本を読んだ時にメモしたいとか
感じたことがなくてどういう基準でやっているのかもあまりわからない。
私の中の勉強方法は所謂「黒板のノートを取る」ぐらいで終わっているのだけれど、みんなはどうやって勉強しているのか
参考にしたいから教えてください。
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)の連投行為、無断転載行為に関して、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである私が考察していく。
も併せて閲覧願いたい。
「複垢連投オヤジ」に関するいきさつや、複垢連投オヤジが投稿したコトやコメントでの滅茶苦茶な理論や言い分については上記で言及、解説している。
複垢連投オヤジ以外にも以前から連投行為をはたらくユーザーは居て問題視されていたことはしばしばあったが、その人達の共通点は、人に共感することよりも自分の記事(コト)を投稿することが主体となっていることである。本来のコトノハへの関わり方は投稿ではなく様々なコトへの回答や共感が基本であり、投稿は既出のコトに無い話題に関して語りたい場合に行うというのが基本であるが、それがわからない人には中々難しいことである。しかし、それを守るために「30コトに回答するまでは投稿できない」、「自分のコトへの回答数が十分でないならば新しいコトを投稿できない (詳細な基準は非公表)」といった仕様になっているが、それに抵触してエラーが出ても何も感じないのだろうか?
ここで、不定期に誰かが投稿するコトとして、「Postは1人1日1回までにしましょう」というものがある。これは、連投や多数の投稿を行うユーザーに関してコトノハの趣旨を再認識してもらうためのものであるが、そのようなユーザーには中々聞き入れてもらえないようである。
そもそも連投を行うユーザーの目的は、投稿することが目的になっている、誰よりも早く投稿しなければ気が済まないなどであるように思える。
複垢連投オヤジの最近の連投は、上記の他の連投を行うユーザーと同じ理由も勿論考えられるが、他のユーザーの投稿を下に下げる目的があると捉えられる。特に、自分(複垢連投オヤジ)にとって不快、不利益な内容のコトが投稿された時、それに対する反論コトや羅列の連投コトが大量に投稿されることが多いからである。複垢連投オヤジにとって連投ネタは何でもよいようである。
複垢連投オヤジは、以前は他人のコトに回答していたことがあったが、最近はほとんど回答していない。他人のコトやトピックに関して言及したい場合は、自ら同一か類似のコトの投稿を行っている。現在は検索(Search)機能が機能していないため行えないが、本来コトノハはコトを投稿する前に類似のコトがないか検索して重複確認することがルールとなっている。勿論、確認出来ず重複するのは仕方なく誰でもあることだが、態と重複させるのは明らかなルール、マナー違反である。
SNSを利用していて、ここまで他人に関心が無く共感力に欠けるユーザーは珍しいと思う。寧ろ、何のためにSNSを利用しているのかと不思議に思う。
複垢連投オヤジによる無断転載行為が行われるようになって以来、多くの方から頂くアドバイスであり、クローズにすれば無断転載が起こることは一切考えられない。特に、私と同年代の若者の場合、クローズにして内輪(親しい仲間内)での交流を主としている人も多い。しかし、私の活動スタイルからして、本名での活動を基本とし、クローズにしたくないというのが本音であり、その理由としてボランティアや一人旅等の諸活動が言える。
ボランティアや一人旅、またスポーツや音楽、起業等も含めた個人での諸活動を主としている人の多くはSNSはオープンで活動しており、活動をきっかけに興味がある人と友達関係を結び、活動や交流の輪を広げていくことが多い。オープンをすることで探しやすく、また近い活動をしている人とも繋がりやすいのは大きなメリットである。特に、友達承認申請やフォローする場合も、投稿内容が分かることで安心できる。私もこのメリットが大きく、オープンでの活動を基本としており、本名や学歴等もその理由により記載してきた。
このオープンかクローズかはリアルでの活動も大きく関連していると思う。クローズの人たちは基本的に内輪を好む人が多い。私は中堅の大きな大学であるため、ボランティアや委員会でも私の大学のメンバーは多かったが、活動先では他大学、他団体のメンバーも多く居たのに呆れることに同じ大学のメンバー同士でしか交流していない人が多かった。他大学からは「〇〇大学仲良いね」と言われていたが半分は嫌味に聞こえていた。しかし、私は真逆で今も昔も主に他のメンバーとの交流が多かった。ボランティアは同じ大学でも一度切りのメンバーが多かったが、他団体と交流することの方が貴重な機会であることは間違いない。
今まで本名で活動してきて不都合な点は全く無く、5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)に晒されたり、外部機関へ通報されたり等の経験は無い。要するに、そのままで問題無かったのだ。しかしながら、複垢連投オヤジが登場するようになって初めて晒し等の迷惑行為を受けるようになった。私は不謹慎な投稿や一方的な誹謗中傷、暴言等の迷惑行為や、犯罪自慢(所謂「バカッター」行為)や犯行予告等の違法行為をした覚えは一切ない。複垢連投オヤジの私怨での一方的な嫌がらせ目的である。それにより初めて対策せざるを得なくなった。
は100%複垢連投オヤジ、只一人のせい(為に行っている対策)である。
~作成中~
初日:
先週納車されたバイクで意気揚々と初ツーリング。海辺の道をかっ飛ばしてたら白バイに捕まって速度違反で切符を切られてしまい、完全にやる気を失った。
2日目:
たまには運動しないと、と思って久しぶりに水泳をやってみたら水中で足がつっておぼれそうになり、完全にやる気を失った。
最終日:
研究に使ってる代々秘伝のソースコード(FORTRAN77)をfortran90に書き直す作業をした。10万行くらいあるのでperlで必要そうなところガッと変換したらコンパイルエラーだらけで結局かなりの部分を手作業で直す羽目になり、完全にやる気を失った。
なんか今回の連休は災難続きだったけど、そんなことはお構いなしに週明けはきます。がんばっていきまっしょい!
私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。
囲碁はルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。
ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルールは論理的に教えてくれない。
なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。
うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHKの囲碁番組ビデオでルールを学んだ)
じいちゃんはルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。
たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。
囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上
より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。
ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、
試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。
例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。
陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手を攻撃することができる。
(相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)
数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)
うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。
下手をすると、手を抜いた石は相手の攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。
囲碁をより広い家を建てたものが勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、
まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。
あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。
どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。
その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。
これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。
囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。
また質問があれば答えたい。
私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。
囲碁はルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。
ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルールは論理的に教えてくれない。
なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。
うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHKの囲碁番組ビデオでルールを学んだ)
じいちゃんはルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。
たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。
囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上
より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。
ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、
試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。
例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。
陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手を攻撃することができる。
(相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)
数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)
うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。
下手をすると、手を抜いた石は相手の攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。
囲碁をより広い家を建てたものが勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、
まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。
あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。
どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。
その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。
これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。
囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。
また質問があれば答えたい。
成功例より失敗例のほうが圧倒的に学ぶものは多いと言う人がいるがなるほどその通りかもしれない。
2時間ほど触ってみてメモを兼ねて気になったことを書いてみる。
なお、私はメインはサーバー系エンジニアであってそこまでクライアント側には詳しくなく、
javascriptはjqueryなら結構使えるとかのレベルで近年のjavascriptは詳しくない。
後試しているブラウザはChromeである。他のブラウザでも試すほどの気力はない。
おそらくもっと詳しい人ならこれ以上のべからず知見をあのページから叩きだすのではないか。
(そういう人はこういうごみページ触るのは無駄な作業と思ってはなから触らないかもしれないが)
まず、最初のページ
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer/
「大会ボランティアに応募する」のリンクボタン(でかっ、でかすぎる)をクリックして
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer/method/
のページに飛ぶ。
このページは応募前の事前説明みたいなのだが、開いてみるとすぐに実に目を引くリンクボタンがある。
「応募を考えてくださっている皆さまへ」
目を引くので押してみると目的の応募ページではなくポエム表示ページに飛ぶのである。
https://tokyo2020.org/jp/special/volunteer-message/
そしてその耐えがたいつまらないポエムを読んだ後やっと下にはなぜか妙に小さい文字のリンクで
やっと応募できるのか思ってクリックすると、なんとさっきのページに戻りでかでかと
「応募を考えてくださっている皆さまへ」を見る再び羽目になるのである。
応募を考えてくださっている皆さまへ→大会ボランティアに応募する→ループで遊べる。
…うれしくない。
「リンクボタンは無駄に大きいと圧迫感があってよくないので大きさは必要な大きさをよく検討し無駄にカラーで広げるな」
と怒られたことが私にはあるが、これを見てなるほどと思わざるを得なかった。無駄にでかいボタンは確かに逆効果。
しかもその問題のリンクボタンはメインの目的(応募ページに飛ぶ)ではないのである。
本来の目的のボタンより目立つボタンがあるのは画面構成として大きく間違っていることを知った。
そもそもトップページ・つまらないポエムページ・事前の応募説明の各ページに
「大会ボランティアに応募する」のリンクがあってそれぞれ飛んでいくページが違うというのも…。
後、リンクボタンの大きさの基準が全く分からないのもあれである。さすがに一つのサイト内では統一したほうがいいと思うのだけど。
上記の「応募を考えてくださっている皆さまへ」のある縦に長いページの一番下に今度はやたらでかく
(でかいから目立つと言いたいが一番下にあるし上の方に同じくらい目立つ「応募を考えてくださっている皆さまへ」があるから無意味である。)
ログインを求められるのだ。Googleアカウント(私にはAndroid携帯かパスワード忘れた捨てアカウントしかない)
Facebookアカウント(持ってない)Lineアカウント(持ってない)
そんな化石のような私はどうするのかしばらく悩んだところ、下に小さく
これはなんだろう。上記3アカウントをホイホイ提示できる人しか相手にしていないんだろうか。若い人はいざ知らず、爺さんばあさんは持ってないだろう。
化石にとって応募の壁は高い。
新規登録で先に進むとメルアドを教えろやコラァと怒られてやる気がつきそうになる。
やむなく捨てアドをコピーして貼り付けようとしたらメルアドコピペ禁止の鬼仕様。
最初から不適合者のそぎ落としにかかっている。これは応募ではなく奴隷の耐久試験なのではないかと思った。
もう一つ、このサイト新規登録をしたら取消せない。ログイン情報を取り消すことが出来ないのだ。
その辺の詐欺サイトならともかく公的サイトでこれとは…認識が甘かった。
やってはいないが、おそらくGoogleやFacebook・Lineのアカウントも同様だろう。
悪いサイトの実例を見て学ぶとかいう殊勝な理由でこのサイトを触る気なら他に使わない本物の捨てアドを使うことを勧める。
本気で応募したい人は別に止めはしないがこのサイトを勧める気にはならない。
このサイトでやるよりはそのうちみんなの会社に来るであろう企業徴兵に応募したほうが幾分かましだと思う。
まず推奨ブラウザが哀愁を誘う。IE11以上って…IEは11までしかないですやん。12…ないよね?
背景が青の白文字なのも意味が分からない。カラフルにしたかったのだろうか。
白文字はラベル的にアクセントをつけたりボタンをカラフルにしてボタンの文字を白にするといった使い方をするもんだと思っていたが、
ちなみに水色のボタンがあるステップ(ぶっちゃけSTEP4や5の削除ボタン)もあり、
背景の青なことが災いし微妙なコントラストで特にそのSTEPは違和感バリバリである。
ボタンに色を付けるほど背景には気を使わないといけないようだ。
細かく言うと、その機能はさらに追加ボタンと削除ボタンがセットで一個でも項目を追加すると削除ボタンがアクティブ(紫色になり)
上限まで追加するとさらに追加ボタンが水色になる。紫色は押せる・水色は押せない(disable)扱いのようだ。
やはり背景は白か色を付けるにしても薄い白っぽいカラーリングに限ると思った。
最初に突撃した先駆者はレポートで国籍すら選択しなきゃいけなかったと悲鳴を上げていたが、さすがにやばいと思ったのか
選択肢を見たら…なるほど初期選択じゃないと日本なんて選択できないわこれというレベルだった。
いろんなサイトを見ているが、これだけのプルダウンは初めて…嫌になるよな。
細かく見ると、実は日本語入力で候補を絞り込めるようである。おお。凄い。
でも説明がないとプルダウンに日本語入力をしようとする人は少ないだろう…。
ちなみに国の選択は「国籍」「上記以外の国籍」「居住国(STEP2)」の三つある
(まあ上記以外の国籍は必須じゃないが…)絞り込みに気づかないとかなりの苦行。
私が驚いたのはほかにもあるが、最初に突撃レポートを出した先駆者の作業で最も衝撃的な画像はNaNで敷き詰められたカレンダーであろう。
今(9/29:0時時点)でも再現する。方法は簡単で生年月日かパスポート期限日を一度入力する。
→再度選択する。これだけである。ほぼ間違いなく日付をDDMMYYYY形式で認識してそれをYYYY年MM月DD日に表示しなおしているが、
その変換した日付を認識できないのである。それであの破壊力抜群のNaNカレンダーを見ることが出来る。
その状態でカーソルを外そうものなら日付がでたらめになってしまい再入力である。
もしやと思い、英語に変更してカレンダーを動かしてみたらビンゴ!だった。英語では問題の事象は起きないのだ。
こいつらひょっとしたら英語でしかテストしてねえな…。英語でもしてなかったりして。
ちなみに恐ろしくどうでもいいことだが、誕生日は1900年以降を入れないと保存できないようにチェックがかかっているが、
まあ、そんなでたらめを入力する私みたいな不埒者は応募しても落ちるだろうから多分問題はないだろう。
さすがにNaNカレンダーはそのうち連中が直すと思う(直す…よな?)ので見たい人は早く見ておくとよい。
私は年配者向けのサイト運営を仕事にしているのだけど、私のところの客さんは縦に長いのを嫌う。
縦スクロールが嫌みたいだ。
短い項目は1行に二つとかやって少しでも入力欄を縦に長くしないように努力する。
はい・いいえのプルダウンで一行丸々使うというのは驚愕の発想である。
トップス・ボトムズ・靴・帽子でそれぞれラベル・プルダウン1行の計8行使うが
私ならトップスボトムズのラベルプルダウンで1行・残りで1行の2行かラベルとプルダウン分けても4行にする。
レスポンシブサイト用のフレームワーク使ってれば仮にスマホの幅になっても調整間違わなければそれなりに表示してくれる。
何よりパソコンのフルサイズ表示ではいいいえのプルダウンで一行とかはないだろう…。
国籍だって長い国名にも限度があるのだから長さ半分でいいと思うしそういう謎なプルダウン幅が多すぎて不思議である。
はいいいえを選択する際の右の異常に長い空欄が私には物悲しく思えるのだ。
このサイトがプルダウンだらけなことがあり正直一番私が気になってイライラした点はこれである。
でもSTEP4では短めのちょうどいい幅のプルダウンを横に並べていたりもするし、
正直何を考えているのか。(まあ、行追加処理の方は1行のほうが実装に都合がいいからこの部分だけちゃんと幅合わせしたんだろうけど…)
エラーチェックでエラーになるとポップアップが表示されるがこれがなかなかうざい。
その辺のプラグインを使ってもエラーを修正すればエラーメッセージが消えるご時世でわざわざ×ボタンを押してエラーメッセージを消さないといけないのだ。
びっくりだ。私のつたない技術でさえそれはしないと言い切れる。
例えばこのサイトでスポーツに関する経験の入力欄は200文字である。
試しにああああああを連打して200文字以上入れてみると困った事象に出くわす。
文字数の上限を超えていますのメッセージが画面中に出るのだ(一つではない、おそらくオーバーした文字数分)
電話番号で0連打でも同じことになる。面白く…はない。ぼーっとして押してると大量のエラーにポカーンとすることになる。
そしてすべてのエラーメッセージを×ボタンで消していくことになる。
まあエラーを直して保存ボタンで保存して再描画しても消えるが…。
私は今でもおそらく現時点だと古臭い部類に入るだろうjquery.validateを使ってたりするが、
あれで結構便利でありそんなに考えて実装しなくても決してこんな実装にはならない。不思議だ。
このサイトはReactを使ってるみたいだが、Reactにだってそういう部類のバリデーション実装は多分あるだろうになぜこうなったのだろうか。
私だけでなく多くの人があのサイトにダメ出ししているが、本当に使えば使うほどダメサイトである。
写真を提供して申請してさらに先に進めばより魅力的な魔境が待ち受けているのかもしれないが残念ながらそこまでする気にはなれなかった。
良いところはReactを使っていること…くらいではないか。
ログインページのロゴから推察するにAtosがこのサイトの責任企業になるんだろうか。
どれだけAtosやその他関係者が中抜きしたり下流に放り出したりしたか知らないが、億くらいの金はかけて作ったのでしょう?
もうちょっと責任もって作らない?下っ端企業が100万程度で作ったサイトだってもう少しちゃんとチェックする(というか実装を求められる)よ。
ちゃんとした企業なら1000万~2000万も出せばこれと同一内容でよりレベルの高いサイトを提供するんじゃないの。
1年と3ヶ月前の父の日に、高校生の娘とカービィオーケストラを観に行くという幸運(https://anond.hatelabo.jp/20170619135108)に一生の運気を使い切ってしまったように思われた私こと娘の親父の内緒日記である。
昨年、カービィ生誕25周年の特別企画で開催されるに至ったと思われるカービィオーケストラだが、それも過ぎてしまい次の節目は30周年だろう。30周年と言えば2022年4月27日であり、すっかり娘は成人してしまっているので、さすがに親父と出かけるなんてことにはならないに決まってる。
もはやここまでか、と物寂しい思いにふけっていた私に朗報が舞い込んだ。東京限定であるものの「カービィカフェ」なる飲食イベントが開催されるとのことだ。もちろんこの情報は娘が先に察知していたのだが、なるべく全種類を食べたいものの、メニューの種類が半端なく、一回でのコンプリートは望むべくもない、というのが娘の抱いた率直な印象のよう。
かつ、この手のイベントの料理は、それがサイゼリアだったら399円で供していたであろうパスタに対し、ちょっとしたピンクい小物を添えるだけで1500円に化けてしまうという、例えればプラレーラーがNゲージに片足を突っ込んだときに抱く感情と同質のものとも言え、つまり端的に言えば胃袋の空き容量に比例して財力も必要なイベントなのである。
カービィオーケストラの争奪戦を経験しているので、事は理解した。連れて行ってやるから面倒な手続きをクリアしたうえで軍資金を手配せよって意味だ。
学校の友だちは、こぞって iPhone であるところ、同じものを欲しいとは言わないで、通話用の F801i に加えて 15000円弱の中華製のシムフリーな泥タブという二台持ち体制に満足してくれ、その泥タブに使う通信用シムだって、友だちらはキャリア謹製シムで「ギガが足りない」って声を揃えているところ、「メガが足りない」と愚痴をこぼしつつも殆ど 0sim の無料枠で賄ってくれているので、突発的なイベントに限って少々財布の紐を緩めるくらいは親として受忍すべきと認識している。
「分かった。。。」
9月21日は17時50分からパソコンの前に張り付き、18時と同時にひたすら F5 を連打しまくる任務に従事するのだが、予約サイト側は Cloudflare を導入してるぽい割には全く繋がらない。チケピの客の9割がボットという話を聞いたことあるが、きっとボット達が動いてるに違いない・・・娘の誕生月は10月なので、10月分の予約争奪戦には決して負けるわけにはいかないのだ。
とっさに Visual Studio を起動させ、新しいプロジェクト → Windows フォームプロジェクト(C#)を選択した。
デフォルトで用意された Form1.cs に WebBrowser コントロールを貼り付けて、DocumentCompleted をフックし、WebBrowser にエラーぽいメッセージ(門前払い)が出力された時に Navigate し直すコードを書いた。たぶん10分かからず書けたと思うが、アプリはエラーなく直ちに起動した。
突貫で作った割にはそのアプリは非常に効率よく、おおよそ2~3分で門前払いを突破したのだが、「上記の内容を確認しました」にチェックを打って「予約する」のボタンを押しても反応がないではないか。相手(サイト側)がきっと(少なくとも) UserAgent を見て WebBrowser コントロール であることを識別しているに違いない。
UserAgent を偽装するコードを書く暇もないので、FireFox で F5 を連打する作業に戻った次第だが、平均2秒に1回は押していたと思うので、1分間に30回、つまりは計500~600回は押したであろう暁にようやく「予約する」のボタンが出現する画面に遭遇できた。門前払いを突破できたら後はスムーズで、人数「2人」と娘が指定した平日の日付を指定した。スカイツリーから都心の”カタワレどき”を眺めて下りてきてちょうどいい時間帯をチョイスし、無事に予約成立。
9月21日午後6時50分、私は無事にカービィカフェ10月分の予約争奪戦を制したのだ。
※当初は嫁の予定も考慮したのだが、どうにも合わない上に「勝手に行ってきたら?」だったことを書き添えておく
カービィオーケストラ・大阪へは距離が近いこともあって日帰りで行ったのだけど今回は華の大東京である。前日が日曜日なので無理に日帰りに拘る必要もない。娘に聞けば、土曜日は部活があるが日曜日は用事がないとのことだったので「せっかくなので前泊して観光しようか」と打診してみる。
この際、嫁の許可なんてものはどうだっていい。娘が行きたいと言えば、それが総てなのだ。
みなとみらい、山下公園、中華街、そんなアーバンな地帯へは嫁と行ったことがあるが、それが結婚前だったのか結婚後だったのか、更にはどこを回ったのか、昔のことすぎて全く記憶にないので、横浜は娘のみならず私にとっても新鮮であるに違いない。
休前日はどこも予約で一杯だったが日曜の夜は空いていて、中華街に程近いロケーションでツインを取れた。
あとは、20年ぶりくらいに横浜のガイドマップを調べてコースを選定するのみ。当時はガイドブックだったが、今はインターネットがある。
媒体が変わって、ページを開くかわりにマウスをクリックするような時代にはなったけれど、ワクワク・ドキドキした感覚は20年前と何ら変わっていない。
藤子不二雄はあまり好きじゃないようだから、川崎のミュージアムは喜ばないよな
八景島までなら何とかなるかな。
夜は中華だよな、だけどボッタが多いって聞くし、よくよく調べないと
何度考えても自分に何か非があったとは思えない。
ただ人に望まれるままを言われたとおり文字通りにサービスして来たに過ぎない。
間違っていたことがあるとすれば、嘘を嘘と見抜く力がなかっただけだ。
それを嘘をついた張本人に責められる筋合いがあるのだろうか。
自分で自分の望まない結果に誘導するような嘘を、ついついついてしまう方が、
なぜ自分が何を求めているのかもわからない人の、言葉の向こう側にある本音を汲み取ってやらねば俺が責められるのだろうか。
なぜ自分が何を求めているのかを、素直にストレートに表現する能力がない無能が正常で、
それを言葉通り忠実に守ってサービスしてやろうとした善良で利発な俺が異常かのように扱われねばならないのか。
何故いちいちエラーを起こさずに,合理的に活動することが出来ないのだろう。
俺は自然に帰りたい。
おいでよ組み込み系ワールドへ。プライベートで一切勉強しなくてもそこそこの収入とよその会社からスカウト殺到のエンジニアライフがあなたを待っている
(ソースコードの最新は共有サーバのこのフォルダなんて運用だったり、コンパイラの都合でwindows XPを使ってたり)
年次で昇級するってのは人によってはデメリットに感じると思う
今回おすすめしてるのは「プライベートで勉強しなくても周りと大して差がつかない」という理由なので実力者はそれに見合う環境を選択したほうがいいですね。
目に見える範囲の競争が緩いとこが多いので業界丸ごと外国からの黒船で駆逐されたら諦めましょうの精神。ゆるくやっていきましょう。
これは鋭い指摘で、問題を解法のパターンマッチングで処理するタイプの人は厳しいかもしれない。
時として宇宙線によるメモリエラーとか突拍子もない原因の不具合に遭遇することがあるので目の前で起きている事象を論理的に切り分けられる人でないと仕事量が爆発するかも。