はてなキーワード: よ組とは
僕が発達障害であるという事実を聞いて、配慮するのかしないのか、僕についてより知ろうとするのかしないのかとかはそちらの自由ですからね。僕は何も強制しちゃあいないんですよ。
「はあ?配慮しろってことですか?」って言葉に憤る時点で増田は相手に何かしらの期待をしているんだよ
カミングアウトを聞いてその影響を受けないなんてことはありえないんだよ。あるとすれば会話したという記憶を綺麗さっぱり忘れて思い出せないつうぐらいか。でもまあすぐ忘れ去られるようなうっすい関係性の人にわざわざ増田もこんなプライベートなこと話さないでしょ。
カミングアウト受けた後で増田の情緒を気にして素知らぬ顔をして過ごすことすら相手からすれば配慮なんだよ。
全く気にせず発達障害者の気分を害するような地雷発言や理解に乏しい発言を発するのは当然悪意があるし、かといって気を使いすぎて腫物に触るような態度になっても増田は不愉快に思うだろう。
増田が障害者だと知った以上、増田と良好な関係を保つ上で、今まで考えていなかったような気遣いがいる。だから相手は「なんで家族でも友だちでもない奴に余計な負担かけなきゃならないんだよ。聞かなきゃよかった。」って考えるんだ。
理解してくれ、私の特性を把握してくれってことは増田のエゴの押し付けでしかないんだ。それ自体がもはや相手にとっては負担で増田への配慮なんだ。
通常なら個人の特性なんて考慮せず、観念や社内規則の従って動いてもらうだけなんだよ組織って。上司はプロジェクトの計画を見ながら各々の進捗を確認するのが通常の仕事で増田がやりやすいように環境を整えるのは公益に繋がるとしても負担てあることに違いはないんだ。
それを少しでも期待している時点で増田は厚かましいんだよ。今やってる仕事が自分の手に負えないなら素直に職場変えなよ。
円滑に仕事が進まなければそれだけ会社にとっては不利益だし、増田に配慮したり増田からの注文に応えて業務を増田専用にオートクチュールにするのもコスパ悪くて不利益なんだよ。増田のカミングアウトは「会社には迷惑かけ続けますがどうかご勘弁を^^」って意思表示になってんの。増田を助けてる余裕あるなら増田に辞めてもらって違う人と仕事した方が手っ取り早いし建設的なんだよ。
もっかいいうけど困ったことになっててそれが障害のせいだっていうなら、とっとと辞めてもっと易しい職につきな。今の職場は増田に身の丈に合ってないんだ。
安倍政権がどれほどの不正を働き、日本を破壊しようとも、投票率低下の著しい状況では固定の支持者層を持つ自民公明は必ず勝ってしまう。不満があるなら選挙で正せというのが安倍支持者のよくいう詭弁だ。連中は自民が負けないことを知っていて、選挙を単なる勝ち負けの場に貶め、「敗者」の口を封じようとしている。
投票が有効な手段足りえないのならば、それ以外にどのようにして自民公明を倒す手段があるだろうか。何れにせよ組織だった連中と戦うには自らも組織でなくてはならない。もしも若さと活力に満ちているなら、自ら政治運動の旗手になればよいが、そうでなければ対立する野党の党員になることが一番であろう。だから私は共産党員になろうと考えている
おいでよ組み込み系ワールドへ。プライベートで一切勉強しなくてもそこそこの収入とよその会社からスカウト殺到のエンジニアライフがあなたを待っている
(ソースコードの最新は共有サーバのこのフォルダなんて運用だったり、コンパイラの都合でwindows XPを使ってたり)
年次で昇級するってのは人によってはデメリットに感じると思う
今回おすすめしてるのは「プライベートで勉強しなくても周りと大して差がつかない」という理由なので実力者はそれに見合う環境を選択したほうがいいですね。
目に見える範囲の競争が緩いとこが多いので業界丸ごと外国からの黒船で駆逐されたら諦めましょうの精神。ゆるくやっていきましょう。
これは鋭い指摘で、問題を解法のパターンマッチングで処理するタイプの人は厳しいかもしれない。
時として宇宙線によるメモリエラーとか突拍子もない原因の不具合に遭遇することがあるので目の前で起きている事象を論理的に切り分けられる人でないと仕事量が爆発するかも。
はてブで、「いい人がいない」のメカニズムというスライドが上がっていた。
「いい人がいない」のメカニズム
http://www.slideshare.net/KanameHayashi1/ss-54044195
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.slideshare.net/KanameHayashi1/ss-54044195
比較的好意的なコメントが並んでいて驚いたので、違和感を書き留めておきたい。
違和感は主に2つある。1つ目は時間軸と性質を意図的に混同していること。2つ目はものとひとの性質を意図的に混同していることだ。
時間が短いうちは表層的なところしか見えないが、時間が経つと内面が見えるそうだ。本当にそうだろうか。
例えば、初めて会ったときに何か親切を受けて内面的な魅力を感じる人もいるだろうし、時間が経って「変わってしまった」と感じる場合もあるだろう。
製品開発においては「同じコスト、開発期間、開発環境」が同じであれば、全体としては似たようなもので、どこに重点がおかれているか違うだけであり、人についてもポテンシャルに大差はなく、どこが得意かが違うだけだとのことだ。
例えば、皆さんの周りを見渡していただくと、果たして魅力を「合計」すれば同じような人ばかりだろうか。そう感じる人はむしろ少数派なのではないだろうか。「同じコスト、開発期間、開発環境」という言葉を人にむりやり当てはめるのであれば、「育った家庭等の経済力、年齢、生活環境」と考えられる。「詰め込み教育が主体の若いうちは人のポテンシャルに大差はない」そうだが、例えば、高校生くらいでも十分に千差万別と言えるだろう。ましてや、このスライドが対象としている女性はおおよそ20代半ば以降と思われるので、違いはより顕著だろう。
もしかすると、この合計は「それまで」(傾きに合計が同じという仮定が入っているが。)ではなくて、「一生」の積分だという反論もあるかもしれない。しかし、これも時間軸と性質を混同させているところが変で、例えば、上に書いたとおり、初めて会ったときに何か親切を受けて内面的な魅力を感じる人もいるだろうし、時間が経って老けていくことに表層的な魅力が減ったと感じる人もいるだろう。
また、これらの指標はそれぞれに注目すれば、全く真っ当なためにうまくミスリードできているという印象を受ける。
出会ってすぐは表層的な魅力を感じるのに対して、時間が経つと内面的なところも見えてくるのはその通りだろう。
第一印象で、その様な魅力の基準で人を判断してしまうのもその通りだろう。
内面に比べれば、外面を向上させる(当人にとって好ましい方に変える)方が比較的簡単なのもその通りだろう。
などなど、どれも個別に見れば、多くの人が同意できるような内容になっている、と思う。
しかし、それらを意図的にせよ、非意図的にせよ組み合わせてしまったことで、おかしな話になっていると思う。最初に疑問系で書いたが、このような話が好意的に受け入れられるのは、ある種の希望を反映しているという感じがする。