はてなキーワード: 藤原基央とは
伏見瞬さんが書かれたMUSICAの『Iris』のレビューについて。
「この人はBUMPの音楽性が好きじゃないから、難しい言葉で評価しないと書いている。否定的であれば中立だと勘違いしている。購買層ではない人間が外野から何か言っているだけなので読むに値しない。気分が悪くなるので読まなくていい」というポストを見かけたが、読解力に難があるのだろうか?まず冒頭の部分でしっかりと評価ポイントを挙げているよ。
その上でファンとアーティストの関係性から成り立っている「物語」(BUMPはこれが巨大)、BUMPという大きなバンドが持つ「伝播力」といったものを排除し、純粋に『Iris』というアルバムの「音楽だけ」について批評している。これディスクレビューとして非常に真っ当な行為だと思う。
そもそも伏見さんは照沼健太さんとともに「てけしゅん音楽講座」というYouTubeチャンネルを持ち、その中で何度もBUMPを取り上げ、時には観ているこちらが苦笑いをしてしまうほどの熱量で思い入れたっぷりに楽曲を解説している。この人はBUMPがとても好きなんだと思う。
伏見さんは批評家で、批評家に対してポジ以外の批評をするなというのは無理があるし、批評家であるという責任において明確なスタンスを示してレビューをしただけ。そのスタンスは決して中立である必要はない。内容が気に食わないのは勝手だし、気分が悪くなるのも勝手。しかし批評家に向かって「購買層でもない外野が否定的なことを書くな」は暴論以外の何物でもないよね。さらに言えば購買層でもない外野に言論の自由はないの?
特に最近の邦楽界隈では体感として「全肯定以外は認めない」人達が増えているし、文章の全体像を把握せず、インパクトの強い一節だけに引っ張られて「これは否定だ」と騒ぐ人が増えている気がするけど、あれだけ言葉の使い方に繊細な配慮をしている藤原基央が、BUMPが好きであるなら、すぐに飲み込めなくてもいいから、まずは文意を汲み取れるまで何度でもその文章を読んでほしい。多様な声があるのが健全なんだよ。それに伏見さんは難しい言葉は使ってないよ。
こなぴくん🫧興行収入実況
@CNP__boxoffice
・コナンと灰原のラブ要素が良かった
・ファンも喜ぶ仕上がり
・ファン以外の人も楽しめる
#conan
https://mantan-web.jp/article/20231213dog00m200020000c.html
https://twitter.com/CNP__boxoffice/status/1735672760616034367
伊藤愛
@guita178300923
それくらい、往年のコナンファンには、BUMPはコナンと組み合わせてはいけない組み合わせでした
7年越しに行く人もたくさん居たはずです
B'z(アニバーサリー)の時しかいかない人にとってのアニバーサリーがスピッツになったんです
https://twitter.com/guita178300923/status/1735852608026526007
伊藤愛
@guita178300923
だから伸びたんです
私達はBUMPだけは見に行きません
長年に゙渡り、B'zを馬鹿にするために名探偵コナンを使ってきたBUMPに100億なんて絶対に渡しません
伊藤愛
@guita178300923
ヴィジュアル系V系ネオV系も、見た目を売りにされてると、長年に゙渡り、ジャニーズ以下の扱いを受けてきました
見た目が良いだけでです
B'zもです
そら、藤原基央の顔で稲葉浩志さんやhydeやGLAYのTERUさんやシドのようにはいかないでしょう
でも、彼らがウケたのは顔だけではありません
伊藤愛
@guita178300923
B'zはマイク次郎でキャラが愛のままに〜を歌ったり、今YouTubeでやってるぬ~べ~を担当したりして、だからアニソンが(B'zを見下す目的で)小馬鹿にされたんです
私達はBUMPにだけは、コナンの100億を渡すなんて絶対にしません
伊藤愛
@guita178300923
私達の苦しみ悲しみを分かって欲しいとは言いません
総売上100以下にも関わらず、ずっとB'zより格上の扱いでした
だから、売れたんです魚影は
おまけリンク:from:guita178300923 bump - 検索 / X
https://twitter.com/search?q=from%3Aguita178300923%20bump&src=typed_query&f=live
なんかオラはインターネットがこわくなっただよ
熱狂具合とかみてるとAKBがテレビにバンバン出てきた時のアイドルオタクを思い出すから。
アニメオタクとしては見れない。
アニメオタクの中でも声優好きのオタクは近いかもしれない。例えば水樹奈々とか好きな人はVも好きなんだろうなという感じ。
BUMP OF CHICKENの曲に「アルエ」という曲がある。
これはボーカルの藤原基央が綾波レイに恋をして書いた曲だという。頭文字のR・Aをもじってアルエ。
これがもし「綾波レイの中の人に恋をしたからM・Hをもじった曲名」だったら多分BUMP OF CHICKENのこと好きになることはなかったと思う。
「からっぽ」とは「かつて持っていたけど失くしてしまったもの」を意味する。
大切な人、物、夢などが該当する。
(使用例)
何もいらない だってもう何も持てない 余りにこのからっぽが大きすぎるから
(月虹)
新しいものを求められないほど、失くしてしまったものが大きすぎることを示している
重くなる度怖くなった 潰さないように抱きしめた
(ファイター)
失くしたものが時を経るごとにますます愛しく重くなっていくことを示している
同時にそれを忘れたり毀損することへの恐怖を示している
(メモ)
基本的にはBUMPの歌詞は「A ならば非A」「非AならばA」という逆張りが散見される。
「絶望すると(それ以上不安にならなくていいから)楽になるね」
とか
「羽がない生き物(人間)が飛べたのは、羽がなかったから(飛びたいという夢を叶える力になった)」
みたいな理屈。
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
自分の声が返ってきて自分の発声の仕方がどんな発声の仕方なのかわかるだろ
でも歌が上手くなっても藤原基央に歌声が近くなってもお前は藤原基央じゃない
いつだってBUMP OF CHICKENを歌うお前のままで、そのままのお前で充分なんだよ
お前がしなきゃならない努力は、じゃあバトルクライはどんな背景がある曲で、どんな小節の部分でどうやって緩急を付けて、それがどういう意味をもたらして、聞く人にどう届くか、だ。
藤原基央を目指すのに自分の気持ちいいだけを求めてるなら藤原基央になれるわけがない、藤原基央の人生を追体験した訳でも作曲する時に隣にいて作詞や作曲に苦悩するバンプのメンバーと一緒にいた訳じゃない
それでも、藤原基央にはなれない。
だから藤原基央の歌声にはなれない。なれなくても、お前は必死で歌える。好きな曲を好きなように歌える。
だから、お前はお前のままでいい。
それでいいんだよ。
あと、無理に原曲キーで歌おうとせんでもろて、キーを下げたり、敢えてキーを上げることで歌いやすくなったりもするらしいぞ。
ファイト〜
米津さん、インタビューとか昔のブログだとか読んでても、奇をてらってやろうとか自分の内相世界を克明に描ききりたいみたいなアーティスティックなエゴあんまり感じないんだよね。
曲聴いてても社会にちょっと意見してやりたいみたいな態度に出てくることもない。
影響受けたものとかはまっているものとかその時々流行っているものを素直に受け入れている印象。
なんかそこら辺が藤原基央や野田洋次郎のような先駆者や、常田大希、山口一郎あたりとは違うところだよなと思う。
ハチ時代からマスの中で自分の作ったものが共有され楽しまれることを第一に掲げてるように僕には見えた。
曲の中に広がる世界にしても「面白い話を思いついたんだ」と友だちに話すことの延長線上にある気がして、米津さんがやることや言うことを聴衆が「面白い」とか「カッコいい」っていってその気持ちを共有していることが軸になってるんじゃないのかな。
じゃないとあの時代のニコ動のボカロ文化にのめり込まなかっただろうし、メジャーデビュー時からのタイアップソング量産体制に舵を切らなかっただろうと思う。
米津さんがすごいのは独特な感性を持っているのに大衆性を全く取りこぼしてないところで、逆に言えば大衆的なアプローチを意識してもどこかしら独特な風合いを帯びてしまうことだと思う。
そしてどんなアプローチでも米津玄師らしいマインドというものが奥の方でブレなく残っているように僕には聴こえる。
また、おそらく本人は自分が素敵だと思ったものを無邪気に曲に盛りこんでいるだけだったり、みんなが楽しめるポップソングを真摯に作り上げたいと思っているだけで、最初から独自の米津ワールドを展開したいとは考えていない気がする。
結果的にそうなってしまうんだろうし、それでいて気負わずに聴けるポップソングとして未だに破綻していないから米津玄師は支持されるのだと思う。
僕は昔から宇多田ヒカルが好きなのだけれど、宇多田ヒカルと米津玄師はどこか近しいものを感じる。
宇多田ヒカルが今さらFirst LoveやDistanceの頃のテンションで曲を作ることはありえないし、それに反してFirst loveのような曲を求める人がいることも理解できる。
マスメディアの中に鎮座しながらも、最大公約数的な共感の世界に生きていない。作者の個人的な感情や自分だけが持つ脳内のイメージを、聴き手の心情に照らし合わせフィットしていくようなドアtoドアの世界。
最近のトレンドというか盛衰をいえばエセファンクとメロコアのリバイバルって感じ?
official髭男dismとかsumika、04 limited sazabysはまあもうちょっといけるかもね。
夜の本気ダンスなんかは微妙な存在になっちゃったな、もうちょっと早くデビューできていればsuchmosじゃなくてこのバンドがきてたかも…
僕はバンプって構造的にフォークソングをアレンジ重ねて昇華していると思っていて、
曲に対するアプローチとか各メンバーのプレイスタイルに際立った個性はないから、ムーブメントめいたものとは無縁のバンドだとみなしていたわ。
バンプは藤原基央の佇まいと詩世界を肉付けするための存在だから基本的にやってることは全然変わってない。それでもRAY以降、転調や同期やドラムの手数なんかが明らかに多くなって比較的ポップスよりになったなぁなんても思うが。
野田洋次郎とか米津玄師は藤原基央と比べられたり同じ系譜として揶揄されることがあるけど、基央と比べたらもっと尖った存在だよね。
米津玄師は、宇多田とか、もっと言えばFrank OceanとかChance the rapperに近いニーズがあんのかな。自分の部屋にこもって延々曲作っててマスメディアと断絶してるみたいなイメージ(あくまでイメージ)で支持されてる感。
そんなカリスマ関係なしにつべでMV公開してBandcampとiTunesとSpotifyで売ればいいわー、レコも打ち込みも自分でやりゃいいじゃんってな具合にどんどんミニマルになっていってる気はする。
私のタイプ、というか恋愛対象は、40才未満、薄顔の雰囲気イケメンである。
(個人的で申し訳ないが、例を挙げるなら加瀬亮や、坂口健太郎、BUMPの藤原基央の顔や背格好が好み)
しかし加瀬・坂口・藤原とセックスしたいか?彼らに欲情するか?というと微妙だ。
私が最高に興奮するのは、おっさんとのセックスを想像したときである。
男性は「美少女になって汚いおっさんに種付けプレスされる」という願望を抱いている人が多いようだが
それに近いものがある。
さすがにホームレス級に不潔なおっさんは病気になりそうなので遠慮したいが、
稀に、若々しくてブランドのスーツをパリッと着こなし、きちんと髪をセットし、綺麗な靴を履いた紳士なおっさんが存在するが
そういうおっさんとデートするのは楽しいかもしれないけれどあまりムラッとしない気がする。
周囲におっさんがたくさんいるので、奴らを観察する機会がよくある。
おっさんという生き物は、本当に臭くて汚い。
(まあ、私もいずれは臭くて汚いおばさんになるのだが)。
ヒゲの点々とした剃り跡は寒気がするし、スーツの肩に白い粉がついていることがよくあるし、油っぽいにおいがするし
一見若く見えても細かなしわとしみがいっぱいあるし、かなりの割合で挙動不審で気持ち悪い。
妄想はふくらむばかりだ。休みの日はこうしておっさん妄想に費やすことが多い。
以前、汚さレベルは低めだが完全なるおっさんに好意を打ち明けられたことがあり、キモくて咄嗟に断ってしまったが今はとても後悔している。
けれども、現実おっさんといざ一戦!という局面を迎えたとき、尻込みしてしまうのではないかと恐れてもいる。
以前「男の娘とやりたくて仕方なくてついに男の娘風俗に行ったら、ちんこがでかくてグロくて肩幅も広くて萎えた」という記事を読んで
こういう風に私も心のちんこがシナシナになってしまうのかもしれないと思った。
性的にノリ気になったおっさんをがっかりさせて傷つけたくはないのだ。
実際、私のような願望を隠し持っている女は多いのではないかな?という気がする。
日本映画学校在学時に先輩からの紹介でものまね専門のショーパブに出演するようになったのがお笑い芸人になるきっかけ。
藤原基央(BUMP OF CHICKENのボーカル)に扮して行う「オンリーロンリーグローリー漫談」が鉄板ネタ。
フジテレビの番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「細かすぎて伝わらないものまね選手権」では初出場した第20回以降、常に決勝戦まで勝ち進んでいる。
2012年にお笑いコンビ「アクセレーター」の安藤茂陽と伊根義玲とともに3ピースバンド「NAKAYOSI」を結成。魔法少女をテーマにしたラップと、アシッドハウスとグランジが融合したサウンドで徐々に人気を集めている。代表曲は「デリカD:3にのって」
2015年には「LADYBABY」とのツーマンライブを成功させ、
2016年には「ROCK IN JAPAN FES 2016」にてBuzz Stageに出演。ちなみにこのときもとおは藤原基央と初めての対面を果たし、「初対面なのにこんな格好ですみません」というコメントともに2ショットの写真を自身のTwitterに投稿した。このツイートは8000をこえるリツイートを集め瞬く間に話題となった。
趣味はフィギュア集めで、萌え系からアメコミ、果ては珍獣や実在の人物などジャンルを問わず集めている。そのコレクターぶりはフィギュアで覆い尽くされた部屋にいるのが耐えられないという理由で同棲していた恋人から別れを告げられたほど。(月刊ホビーカルチャー2015年3月号より)
また学生時代はバレーボールに打ち込んでおり、TBS系列「最強スポーツ男子頂上決戦」第4回大会では第4位にランクインし、運動神経の高さを見せつけた。
「バンバンジー」という名前のためかバンジージャンプをはじめとする絶叫アトラクションのレポーターを担うことも多々あるが、高所恐怖症のためとても辛いとのこと。
MステにBack Numberが登場した時、タモリとトークするBack Numerの後ろの席に、マッキーと平井堅が居た。
マッキーはBack Numerの作詞作曲をしている清水依与吏をべた褒めで、「今後は清水氏に(Jpopの)「切なさ(だったと思う)」の部分はまかせるから」って言ったという話をしていて、その瞬間、平井堅の表情が一瞬曇った気がした。
平井堅さんには「切なさ」なら俺っていう自負があったのかなって、その時、思った。
ボーカルとパフォーマンスを含めてトータルでは悪くないんだけど。
さて、作曲家としての才能は、好き嫌いはあるにしても、世間一般の評価・認識はだいたい同じになると思う。
以下、私の評価だけど、皆さん、どーでしょうか?
<特Aクラス>
「誰もが認めるその才能。メロディは多彩に富むがどの曲を聴いてもその人が作曲したとわかる。長年に渡って第一線で活躍する。ヒット曲多数。」
桑田佳祐、松任谷由実、桜井和寿、スガシカオ、山下達郎、槇原敬之、椎名林檎、藤原基央、菅野よう子、澤野弘之
<Aクラス>
「複数のヒット曲。その後の活躍によっては、特Aクラスへ移行する可能性あり。ややメロディの多彩性に欠ける。」
奥田民生、キリンジ、スキマスイッチ、中田ヤスタカ、宇多田ヒカル、久保田利伸、絢香、中島みゆき、矢野顕子、飛鳥
<Bクラス>
「悪くないんだけど、どこか物足りない。大ヒットを飛ばしたが、その後、出す曲がいまいち。ファン層が限局的で、メジャーになかなかならない。Aクラスより更にメロディの多彩性に欠け、出すシングル曲がどれも似て聴こえる。」
平井堅、やくしまるえつこ、ゴールデンボンバー、いきものがかり、小室哲哉、斉藤和義、福山雅治、西野カナ、SEKAI NO OWARI、ゆず、miwa、アンジェラ・アキ、コブクロ、浅倉大介、長渕剛、オレンジレンジ、L'Arc~en~Ciel、
<Cクラス>
「これくらいの曲なら俺でも作れるなあって思ってしまう。」
氣志團、浜崎あゆみ、B'z、神田沙也加、ナオト・インティライミ、加藤ミリヤ、レディ・ガガ
異論は、大いに認める。
最近と言っても、もう3ヶ月前の話しになるのだが。
3ヶ月前の僕は広告代理店のデザイナーとして働いていた。設立されて4年ほど経つその会社は、社長と僕と同僚4人の計6人。
まあ、広告代理店と言っても、地方の街なかにある小さな広告代理店だ。地方都市で住民は結構多い(大阪まで電車で1時間ほど)ということもあり、クライアント先は近所の個人経営のお店がほとんど。新しくオープンするカフェの宣伝文句を考えたり、駅前の美容院のホームページの改修を手伝ったりなど、とりとめのない仕事をしていた。
今年で28歳になる僕は、こういった緩い毎日に対して良くも悪くも思っていなかった。いわば、「普通の毎日」というものに居心地が良かったのである。ただそんな中、僕は毎日楽しみにしていることがあった。それは「Twitter」である。
人それぞれ幸せの形は違うとよく言われるが、人それぞれTwitterの楽しみ方も違うと僕は思う。
朝、昼、晩、暇があればタイムラインをチェックするのだが、僕がフォローをしている人は周りの知り合いなぞいない。
僕のタイムライン上は、日々この世の中に向けて「ポエム」を綴っているツイッタラーの人たちばかりである。有名ポエムツイッタラーともなるとフォロワーが1万人以上いたりし、何かイベントなどを企画するとその人たちのフォロワーが何十人も集まったりしてしまうほど、大変な影響力があり、僕もその有名人に群がる中の一人だった。
中でも特に1人、とても好きなポエムツイッタラーの人がいた。仮にGさん(男)と呼ぶことにする。
Gさんはポエム界隈ではある程度有名で、まさに「Twitterで生きている」と言っても過言ではない人だ。ある日の夜、布団の中に入り虚ろな目でタイムラインを眺めていると、Gさんの「新しく会社を立ち上げようと考えている」というツイートを見た。
「うわ!」っと声に出してしまうほど、僕にとって衝撃的なツイートだった。「Twitter」というスマホ及びPCを持っていれば誰でもアカウントを作れるサービスを使い、ポエムの才能のみで世に自分のことを知らしめたうえ、そこで積み重ねたノウハウを基に会社まで作ってしまうなんて、この人はなんてすごいんだ……と5秒ほど開いた口が塞がらなかった。
Gさんは「ぼくと一緒にこの世を盛り上げていこうよ」的なキャッチコピーを基にリンク先で人材募集をしていた。募集人材はエンジニア・ライター・デザイナーなどである。「あ、俺、デザイナーやん。しかも実務経験2年以上だ」と自分が応募資格を持っていることも分かった。
シャワーを浴び、缶ビールを飲みながら1時間ほど考えた末、「まあ、落ちたら落ちたでいいし、受かったら何かの縁だし、とりあえず応募だけしてみよう」と思い、応募フォームに自分の名前と連絡先を入れてボタンをクリックした。
次の日、メールにてGさんから返信があった。「この度は応募いただいてありがとうございます。面接地は〜〜〜」とテンプレート通りの返信だったのだが、Gさんから直接連絡がもらえているという事実でとても嬉しかったことを覚えている。
一週間後の日曜、面接に行った。履歴書には自分が今までやってきたことを書けるだけ書いた。生まれて初めて「ポートフォリオ」なんてものも作り、持参した。実際の面接では、不思議と緊張はせず、スラスラとGさんと喋っていた。
何年もその人のことをTwitter上で見ていたからか、不思議とその人と話すことに対して怖さや緊張がなかったのである。むしろ話していてとてもワクワクした。取り急ぎ、結果は合格。ぜひ次の月から一緒に働こうと言ってくれた。僕は迷わず「はい!」と頷いた。
月曜日、広告代理店の社長に「自分がこの世で一番尊敬している人と、新しい会社で働くことになったので、今月いっぱいで会社を辞めます」と告げた。今思うとだいぶ拗らせている、かなりやばい。
それに対し社長は、「お前の好きなことが見つかったんなら、それをとことん追求してこいや。お前が夢を見つけてくれたんがめっちゃ嬉しいねん。お前は俺の誇りや」とかなりカッコイイことを言って承諾してくれた。社長もだいぶ拗らせている。
次の月、僕は大阪のとあるオフィスにいた。Gさんと一緒に仕事をするためだ。Gさんはとても面白い人で、一緒にいると常に新たな発見があり、この人と一緒に仕事が出来る自分はなんて幸せなのかと感じていた。ただ、そんな毎日は2ヶ月で終わった。なんて早いんだと僕もこれを書いていて思う。
Gさんは前述の通り、「Twitterで生きている」人だった。以前多少はWebに関わる仕事をしていたとはいえ、Twitterを「仕事」として生かすスキルを持ち合わせていなかったのである。Gさんは140文字以内の世界にいたのだから。
会社を立ち上げた当初はTwitterで知り合った知人から仕事を貰ったり、タイムラインに「会社始めることになったので仕事ください」などのツイートをして営業活動をしていた。しかし1万人のフォロワーは「Twitterを仕事道具として使っているGさん」に対し好感を持てなかったのだろう。営業ツイートをするうちにGさんのフォロワーはみるみるうちに減っていった。Twitterで知り合った人から貰える仕事もたかがしれている。TwitterのスキルしかないGさんに、いきなり大きな仕事を任せちゃう気持ちの大きい人はいなかったのだ。
2ヶ月目に入った頃、Gさんは途方に暮れていた。会社にも来なくなった。だって仕事がないのだから。尊敬するGさんを助けたいという気持ちで、僕も知人に営業をしたり、飛び込み営業をしたりもした。しかし、自分たちが誇れるスキルがないという現実を目の当たりにしてしまう。「弊社の代表はフォロワーが1万人もいるんですよ」と言っても、営業先はなかなか相手にしてくれないのだ。
入社して2ヶ月後、Gさんは諦めてしまった。一週間連絡が取れなくなってしまったのである。正直その時点で僕の気持ちも消えかかっていた。一緒に入った同僚2人ももう既にいなくなってしまっており、気持ちはドン底まで落ちていた。(元々この2人は社員ではなく、仕事があれば発注するということだった)一週間後やっと連絡が取れたが、Gさんは僕に謝罪の意を表し、「もう辞めよう」と言った。僕はそれに従った。
今思うと、Gさんには「目標」がなかったのである。あえて言うならば「会社を立ち上げる」ことが目標だったのであろう。その後、どのようにスキームを立てて仕事をしていこうかなどの目標は一切なかったように見える。(嘘だろ? と思うかもしれないが本当だ)Twitterで人気者になって会社を立ち上げるということは、お笑い芸人がスポーツ選手を目指すことよりは将来性があることかもしれないが、今となれば一緒のようにしか思えない。
そういうことで僕は元の会社に戻った。それが先週のことだ。社長に土下座で謝ったら、「人生、何回転んだってええ。その傷跡を覚えておくことが大事なんや」と藤原基央のようなことを言って許してくれた。Gさんと働いたのはたった二ヶ月だったが、まあ良い経験になったと感じている。Gさんは僕に、「人間普通が一番」という当たり障りのない現実を教えてくれたのだった。
俺が一番見てイライラするものはバンプオブチキンオタと泣きゲーオタだ。正直消えて欲しいぐらいにも思っている。彼らが静かに、というか普通に生活してくれれば別にそういった感情は起こらないのだが、こいつらはネットで暴走族以上の馴れ合い、群れあいをしていてしかもイナゴのように匿名の傘を借りて、他の島宇宙や彼らの趣味を否定するものを攻撃してくるのだ。気持ち悪さはそれだけにとどまらない。例えばゲームの人気投票ランキングサイトだと泣きゲオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。現実と即してないそのサイトはもう信用できなくなる。これは泣きゲオタじゃなくてもギャルゲ・エロゲオタにも言えるぞ!うぜえんだよ! 例えばうたまっぷや人気投票ランキングサイトに行ったりすると、バンプオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。(うたまっぷでは)新曲でもないくせにランキング上位なのは組織票以外の理由はあるのだろうか?いや、それ以外はありえない。もう嫌バンプが増えるのも仕方がない。
さて、彼らは共に「イナゴ的性質」という共通点を持っている。そして共通点はさらにもう一つある。それは「小学生が読む絵本レベルのストーリーで泣いちゃったりする人種」である。
僕がこの文章を書こうと思ったのも、彼らが口を揃えて「泣ける、泣ける」とネットでシュプレヒコールするから、上手く騙されて後悔してしまった、という個人的な歴史がある。泣きゲーの絵本要素については本気でストーリーを事細かに解説しているアホが腐るほどいるので、そういったサイトを当たってくれればその陳腐さについて理解していただけるだろう。例えば僕がやったKanonというゲームでは「実は昔助けたキツネさんだった」とか「実は私、幽霊でした」とか「超能力が原因で家族がイジメられました」とか、どこの3流絵本だよwwと思わず噴出しそうになるストーリーなのである。これは吹きゲーと名付けるほうが適切である。
バンプオブチキンでいうと彼らが口を揃えて「K」という謎の単語を口にする。これも「うたまっぷ等」で検索してくれれば陳腐さについて理解していただけると思う。これは、どこをどう切り取ってあげつらうというより全部を見て欲しい。ち、陳腐。。。この絵本で12才以上の人間が泣けるというのだ。ちなみにnightにKを足してknightという大爆笑必死の落ちもセットである。
以上の内容を読んでくれてどう思ったであろうか。泣きました、とかいう人はさすがにいませんよね?こういう人々が自由に、誰からも疎外されずに生きていけるのが現代の日本という国である。只、いきすぎた行動に対して不快感を被った、それに対する不満をぶちまける権利も同様にある。しかし、泣きゲヲタは「気持ち悪いのは自覚している、だからいいのだ!」と意味不明に開き直り、バンプオタはそもそもこのような弱小ブログを読まないし、彼らにとっての神様=バンプオブチキンと藤原基央(バンプのボーカル)なので、我々が何を言おうが左耳から右耳に抜けていってしまう、という始末である。
もはやタイトルに掲げた「消し方も殺し方」も通用しないことが証明されてしまった。
この状況下で我々が取れる唯一の手段は「絶やす」ことである。つまり「絶やし方」を考察しよう。答えは単純だ。小学校の国語の教科書に絵本を載せることである。学習指導要領で増えた分の一部をこれに充てるというのだ。すると中学や高校、そして大人になってまで「CLANNAD最高!!」とか「バンプは泣ける!」とかいう(まあその世代にはもうないけど)おかしな連中は日本には生まれないことになる。
答えが出た今、彼ら自身を分析するに、おそらくAC(アダルトチルドレン)なのではないだろうか?という疑問がでてくる。絵本を大人になってまで愛する。彼らは幼少期時代に母親から絵本を全く読んでもらえなかった、カワイソウな人達であろう。ネットで異常に群れたがる傾向もこれでツジツマが合う。今後彼らに遭遇した時は、怒りを抑えて「ああ、カワイソウな人生を送ってきたんだな」と心の中でつぶやこう。そうすればネットを快適に利用することができるようになるだろうから。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51441030.html
今年30歳になる、有名人
タイゾー君とKinki Kidsと釘宮理恵とエビちゃんとBump of Chicken。
かくいう俺も今年30だ。なんというか、子どもの頃30と言えばもっと成熟するというかもっっとおっさんになるというか、そう思っていたのに意外と20の頃と大して変わっていないことに驚愕というか、何とも言えないため息が出る。
いろいろ追記。そういえば、レミオロメンも前田は今年30、藤巻と神宮司も来年30。麒麟も今年30だ。いわゆる「松坂世代」は来年三十路。
http://ccf-square.blogspot.com/2009/01/21.html
わざわざ釘宮を上げたのは、「いつまでツンデレ少女の役をやれるか」と思ったから。これはアイドル路線で売ってきた女性声優共通の問題だけどね。
同じように「Bump藤原はいつまで青臭い歌詞をかけるか」「堂本光一はいつまで王子様キャラでいけるのか」「タイゾー君はいつまで代議士でいられるか」と思ったから。30っていろんな意味で「壁」だよね。