先日、Amazon.ukで注文してた攻殻機動隊のDVDボックスがやっと届きました。
早速MacBookで見ると、音楽のテンポ早かったり、声優さんの声が高いような気がします。
それで、ググってみるとPAL早回しという現象があることが分かりました。
WindowsではPAL TruSpeed機能のあるWinDVDなら再生できると分かったけど、mac関係の情報は見つけられませんでした。
それで、vlcならうまく再生できるかと思って何回か聞き比べてたら、だんだん耳が麻痺してきて、たしかに最初にOPを見た時は違和感があったんですが、今ではあんまり感じません。
MacBookで再生してもPAL早回しという現象は起こるんでしょうか。
起こるとしたら、解決法はありませんか。
もう自分の耳が信じられません。
金をケチるんじゃない。
あくまで目標の貯蓄金額をクリアし、不要なコストを削減するためだ。
自分が得た知識をまとめる。
家計簿といっても毎日つける必要はない。
月1回だけで出来る方法がある。
下記2つをやるだけで、どの用途でどれだけ使ったが大体把握できる。
どこに無駄があるのかがはっきりしてくるので、なにを削ればいいのか分かるはずだ。
これで口座を見るだけで、食費以外の生活費が分かる。
目的ごとに財布を分けることで、使った金額が把握できる。
家計簿を付けるときに、減った金額だけを書けばいい。
金はあると使ってしまうもの。
だったら、生活用の口座には必要な金額だけを入れておき、その金だけで生活する。
そうすれば、貯金に手を付ける心配がない。
生活費がどれだけ残っているのかが一発で分かるし、楽だ。
http://anond.hatelabo.jp/20090308152436
元増田さんがまだ残ってるかどうかわからないけど、もし居たらぜひこの記事について意見を聞かせて欲しいんだ。
http://slashdot.jp/~TarZ/journal/450116
ちなみにMEIKOというのは初音ミクと同じクリプトンから、初音ミクよりずっと前に売り出されていたボーカロイド。
平沢進氏が自分の楽曲にボーカロイドを使っていたなんて、本人が発言するまではほとんど誰も気付いていなかった。
この事実についてどう思う?
あと、個人的な意見を言うとryoさん(Supercell)はあんまりボーカロイドの調整が美味い方ではないと思う。
(楽曲自体は素晴らしいところがいっぱいあるし、いっそのことこれをキッカケに生身の歌手のための作品を作るプロになってくれたらいいんじゃないかと思ってるけど)
だからryoさんの作品だけでボーカロイドすべての「実力」を見切ったつもりになられると、いちボカロFANとしてはちょっと悔しい。
平沢氏のように、生身の人間とまがうばかりの調整をさせる人もいれば、ボーカロイドならではの特徴を生かして、ボーカロイドでなければ歌い得ない作品を作ってる人もたくさんいる。
(ここで迂闊に紹介するとその作者に迷惑がかかるかもしれないので控えますが)
ボーカロイドというのはまだまだいろんな可能性を秘めた新しい「楽器」なんじゃないか、少なくともその可能性は大きいはずだと思ってる。
まず否定ありき、で入ってきてる人には、その可能性はなかなか気付けないのかもしれないけど……。
もしかして、50年、100年後になってふり返ったら、実は今の私たちは音楽の歴史の大きな転換点に立ってたんだと気付くかもしれないよ?
ただ単にボーカロイドという技術の話じゃなく、プロ、アマチュア、という区別や、著作権というものの在り方そのものもどんどん変わってゆくのかもしれない。
(ニコ動におけるボーカロイドのもう一つの魅力は、ひとつの楽曲があらゆる人にどんどん引用、改変され、名作にはあっというまにアンサーソングが作られたり、たくさんのPVや「歌ってみた」動画が作られてゆくこと。こんなことは今の著作権にがんじがらめに縛られたプロの世界ではなかなかできない。作品レベル云々ではなく、そういった生々しい”躍動感”に惹かれている人も多いはず。本来、「生きた文化」というのはそういうものであったんじゃないか、河原で演じられる大道芸に投げ銭を投じるような、即席で吟じられた和歌に返歌するような、そんな時代がネットによってもう一度復活しようとしてるんじゃないか、とさえ個人的には思っているのですが)
せっかくこんな面白い時代に生まれ合わせたのに、元増田さんみたいに凝り固まってるのは、なんとなく勿体ない気がします、よ?
まぁ、君の疑問にもちゃんと答える内容になってるから、とりあえずコンビニにダッシュしとけ。
そのオタの話は全部筋が通ってんじゃないか。技術史的にまっとうだし。
実際には、誰がどう引こうがオリコンには入れるんだからさ。
ナントカ至上主義とか原理主義ってのを見かけるたびにとにかく相手が極論を言ってると印象付けたいだけの陳腐な言葉だよなと思ってしまう。自分はそういう印象だけで理屈をすっ飛ばして正論をいえなくなる空気こそが問題と思うんだけど。オウムや赤軍に理屈を言い合うだけの土壌があったとは思えないんだけどね。教祖のいうとおりやってるだけで正論ぶつける奴なんかいなかったんじゃなかろうか。
非オタが聴くような曲を抑えて上位になったものだからさあ大変。
和気藹々とボーカロイド曲の低レベルさについて盛り上がっている所にオタが
「ボカロは機械じゃなくて人間の声だ」の一言をきっかけにオタを擁護する言葉を連発。
CDになった時点で人間の声だって機械だとか、テクノや打ち込みも否定するのかとか、
ボーカルだって楽器のひとつなんだからボカロを認めない人は弦楽器も認めないの?とか、
無理ありまくりの屁理屈に対する周りの引きっぷりなんか眼中なく酒も入ってないのによく喋る。
あまりに頭に来たのでオタに向かって
彼らが右を自称してようが左を自称していようがどうでもいいよ。
全体として右の正論大好きに滑稽な奴が多いからといって、左の滑稽さが軽減されるわけじゃない。
左の人たちが主な対象の話なのかな。
俺の印象だと右左関係ない話で、傾向としてはネット上ではどっちかっていうと右の人たちに多いような感じなんだけど。
例えばカルデロンさんは不法滞在だから追い出すべきだ、と言うところからはじまって彼らを徹底的に糾弾しているような人たちとか。
オルタナティブなコミュニティを作ること自体は簡単でも、「パブリック」な場からはじき出されることには変わりないと思うけどね。小さくても密やかに個人の尊厳を支えることさえできればいいのかもしれないけど、結局は泡沫のごとく何のプレゼンスも持たない「コミュニティ」を俺はたくさん知っている。
おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大段上に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。
ネットがそれまでと違うところは、「糾弾されて排除されていった」人々が別のコミュニティや勢力を作る事がとても簡単だという事じゃないだろうか。先鋭化していけばいくほど組織は先細り、放逐された人々の方が多数派となっていくわけで。
その最果てがこの国の左翼の衰退なんじゃないか?
当て擦りとしか思えませんでした。
自分で嫁って言いたいけど、六十年代の学生運動やオウム事件(言うまでも無く、村上春樹は『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』の作者だ)を引いてこう言ってる。
一方で、ネット空間にはびこる正論原理主義を怖いと思うのは、ひとつには僕が一九六〇年代の学生運動を知っているからです。おおまかに言えば、純粋な理屈を強い言葉で言い立て、大段上に論理を振りかざす人間が技術的に勝ち残り、自分の言葉で誠実に語ろうとする人々が、日和見主義と糾弾されて排除されていった。その結果学生運動はどんどん痩せ細って教条的になり、それが連合赤軍事件に行き着いてしまったのです。そういうのを二度と繰り返してはならない。
あとは、文芸春秋を買うなり立ち読みするなりして確かめてくれ。
追記:
日本で受賞が報道されてから、パレスチナ問題について活動している人たちから問題提起があったのは、有意義なことだったと思いますよ。僕にももちろん言い分はありますが、どんなことだって賛否両論あって当然だし、たとえ僕が批判の矢面に立ったとしても、パレスチナで起きていることについてより多くの人が興味を持ってくれれば、それはそれで意味があります。大事な問題ですから。
ただ一方で、自分は安全地帯にいて正論を言い立てる人も少なくはなかったように思います。たしかに正論の積み重ねがある種の力を持つこともありますが、小説家の場合は違います。小説家が正しいことばかり言っていると、次第に言葉が力を失い、物語が枯れていきます。僕としては正論では収まりきらないものを、自分の言葉で訴えたかった。
いちおう、この引用のみを元手に批評するのはやめておくべきだ、とだけ言っておく。記事全体で一つの読み物として練られているタイプの文章だし、部分を切り出して「真の意図」やら「無意識の偏見」やらを「批評」するのはそぐわないように思う。既に、朝日の紹介記事に対して同種の「失敗」をしているエントリも散見することだし。
名前:通行人さん@無名タレント[] 投稿日:2009/03/11(水) 21:42:35 ????は今年35歳。
イベント等でよく会うタレント等の実年齢が2chで流されると、余計に気を遣っちゃうよねw。ともかく客を引こうと必死になるあまり、相手に気を遣いすぎるタイプにご用心だな。
あれ、これ俺が書いた覚えないぞw