はてなキーワード: 泣きゲとは
やると分かる事があり、やらない限りは気付けない
これで折れる奴は、折れた方が幸せだよ
件の漫画家さんは、十数年でも燻って、実際に描くという意思はあり続けたわけだから
あの話、実際に何の反証にもなってないんだぜ
泣きゲ全盛期に同人描きで、そっち系の雑誌に拾われて連載を得て
単行本を数冊出した奴を知ってるけど
あれは止められないから、一定程度しょうがないと割り切ってマネタイズを、みたいなこと言って喧嘩別れして、その後は知らん
ツイッターは更新停止、ブログは自然消滅、ペンネームでの活動も見なくなった
今どうしてんだろ?
お前ら出来るか?
サラリーマンとしての仕事をきっちりやって、会社にサラリー分の利益を提供しながら
それって、過保護にしないと折れちゃうよ、みたいな奴にやらせることか?
漫画家一本やり?
それこそ、老齢まで漫画家で居られてる超人、どんだけの人数だと思ってんねん
その枠に入るのに「漫画を描きたい、でも描けないですよねー♪」みたいな奴の背を押せって?
馬鹿かよ
この漫画家の生存性バイアスに引っかかると、中途半端にワナビでいて
人生壊す気がするよ
Q.敵NPCが人質の首にナイフをつきつけて脅迫したものの、プレーヤーは大人しくしなかったのでゲームマスターはNPCが首筋を刺して人質が死亡したと処理した。しかしルール上はナイフのデータでは即死しないとプレーヤーが抗議する。どうしたらよいだろうか。
http://hiki.trpg.net/wiki/?%BC%F3%A5%CA%A5%A4%A5%D5%CC%E4%C2%EA
テーブルトークRPG(TRPG)において、イベント的な意図とゲーム的な処理が噛み合わない問題。あるいは、ゲームマスターとプレイヤーの解釈が噛み合わない問題。
TRPGではイベント内も含めた全ての行動を共通のルールで処理する。そうすることでイベント中であってもプレイヤーのステータス、機転、判断が絡み、思いもよらぬシナリオが生み出されるのが醍醐味だからだ。
ゲームマスター(GM)のこのイベントでの意図は人質の命とNPCの要求の二者択一をプレーヤーに選ばせるものだが、プレーヤーは何としても自らの機転で最良の結末を選びたいものだ。(そして得てしてGMもそれを受け入れる傾向にある。)
そこで考える。「よく考えたらナイフの攻撃値と人質のHPを比べると一撃では即死しないじゃないか。なら一回刺してる間に奪還すればいい」。しかしGMは言う。「首に刺したら死ぬに決まってるだろ常識的に考えて」。
TRPGにおいてイベントとはどうあるべきか、ゲーム的な処理はどこまで適用されうるか、そしてGMとプレイヤーの理想的な関係はどうあるべきかといった様々な論争を巻き起こした奥深い問題。
「あゆルートにおいて奇跡の力が発動してない栞はどうなるの?」
https://lonestarsaloon.hatenadiary.org/entry/20090410/1239302357
エロゲあるいはギャルゲにおいて、選ばれていないヒロインの問題。あるいは、誰かを選ぶと他の誰かが不幸になる問題。
泣きゲと呼ばれる類では特に顕著だが、エロゲもしくはギャルゲのヒロインたちというのは、物語上何かしらの不幸や屈折を抱えていることが多い。
主人公がそのルートに入ることによって問題は顕在化し、主人公の手によって解決するのだが、では選ばれていない他のヒロインの不幸はどうなるのか。
Kanonに限らずこういった論は意識されてはいたのだが、その構造が特に露骨に見えやすかったのがKanonだった。Kanonの世界においては、1度きりしか使えない「奇跡」によってしか救えないヒロインが複数人いる。
しかも、その選択権は主人公にある。一周目は誰のことも知らないからよかった。二周目以降、あの子の不幸がちらついて他の子が選べない。
エロゲや周回ゲーム全般、ひいては物語そのものに対する様々な解釈を生み、遡及的過去生成なんていう超絶アクロバティックまで提唱された根深い問題。
勝ち目が無くなったプレイヤーが、勝ち目が残っているプレイヤーの最終的な勝敗に、ゲームの最終目標とは無関係に、恣意的に関わってしまう
多人数対戦のボドゲや卓ゲ、TCGなどで、絶対に勝てないプレイヤーの問題。あるいは、最適解のない手番の問題。
既に絶対に勝つことができなくなったにも関わらずゲーム進行上手番が来てしまうことがある。Aを選ぶかBを選ぶか。どちらかを選ぶと、それに直結してこのゲームの勝者が決まってしまう。
どちらも自分の勝利に近づかない=理論上の最適解がありえない。それなら気分で選ぶか、ランダムに選ぶか、いっそ勝たせたい方を勝たせようかな。
それが、そのゲームをしゃぶりつくしたい理論派プレイヤーには我慢できない。お前の理論値はこうだ、たとえ勝てないとしても最大得点を取れる手はAなのだ。俺は全プレイヤーが理論値を目指すことを前提に戦略を組んできたんだぞ。
という感じで、さて誰が悪いんでしょうねと議論が始まった。
そもそも誰かが詰んでしまう仕組みになってるゲームが悪い、いや詰んでもいいけど第二の行動目標が必要なのだ、いやそもそもこれは問題でもなんでもない、究極理論値を目指さないプレイヤーがいたっていい。
やがてゲームそのものの理論や意義までもを考える人まで出てきてしまった闇深い問題。
推理小説における作中探偵の限界についての問題。あるいは、探偵が物語にとっての何であるかという問題。
推理小説がパズルであるなら、読者は問題から答えを導くことができる。しかし、探偵にとってはそうではない。作中にいる探偵には作者の出した「問題」が見えない。
つまり、前提条件がどこからどこまでで、今この瞬間には推理ができるのか?できないのか?それがわからない。
特に犯人が探偵の存在を知っていて、偽の手がかりなんかをばら撒き始めた日には、より顕著になる。何せ偽の手がかりが偽だと気付くための手がかりが必要だ。でもそれが偽でない保証は?
ちなみに、読者にとっては「これが推理小説であるという事実そのもの」&「ここから解決編が始まるよ!という作者の親切なほのめかし」によって、そこまでのヒントで必ず論理的に謎が解けることが保証されている。
ここから突き詰めて、じゃあそれでも解けてしまう探偵って何なんだ、超人なのか神なのか、単なる物語上要請されている機械仕掛けの役割にすぎないのか、いやいや探偵も人間だろう、推理小説も小説だろう、というような論争がなぜか日本でだけ始まった。
なんだかんだでその後の小説のテーマになったり斬新なトリックの基礎となったり、魅力的な探偵を生み出したりと後世に確実に影響を及ぼした、興味深い問題。
(第二問題である「作中で探偵が神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決定することについての是非」も面白い)
(本当はトロッコ問題とか心身問題とか異世界シャワー問題とかも語りたかったけど、アルバムとしてのコンセプトに合わない気がするからこの辺にしておく)
こいつ、「オタク」じゃねぇんだよ
そういうのに関わる「イケてる自分」を一段高く自己評価していて
他人を見下してる
ただアニメやゲームが好きで、自分が語れる場がそこにしかなかった奴
昔よくいた、クソだ
ただのクソ
今はどうか知らんが、昔はサブカル畑の奴がオタク顔して活動してたんだよな
批評とか論考とかやっちゃってさ
普通には食えない作家が、エロ畑なら好きなことをできるってんで
その後、ラノベやなろうみたいなのが台頭して、好きに発表できるようになったのと
ブームの衰退もありいなくなるんだが
エロゲは泣きゲと呼ばれて、泣けないのは駄作みたいな時代だった
「俺はエロ目的じゃない」みたいな厨房(年齢ではなく精神性)が増えて
んじゃ、オフ会とかではどうかというと
そういう、「作品を語らず自分語りするやつ」ってのは、昔っから嫌われてた
でも、気付かないんだよな
だから、その場では誰も何も言わない
裏で呼ばれなくなるだけ
今になって老害になったのじゃない
乳幼児スナイパーの主戦場は主に交通機関の中だが、俺のようなプロともなると「親が身動きできない状況」は概ねすべて戦場に様変わりすることも珍しくない。まさに常在戦場。かっこいいなあ、もう一回言ってみよう「常在戦場」。
ここは埼玉県でも有数のとある歓楽街。世を忍ぶ仮の姿で底辺リーマンである俺は仕事の打ち合わせを終え、乗り慣れない黄色の電車を降り、飯でも食って帰ろうと西口から出た。俺が子供のときに観てた、略すとプロレス団体みたいだったタイトルのドラマの舞台ともなった界隈。道行く人たちも何かそんな雰囲気である。俺は身長だけ長瀬智也に似ているので自然と口を開けながら歩いてしまう。
このあたりを歩いていると、黄色い電車の中にもいたが、制服なのになぜか化粧がプロ並みにバッチリ決まったアンバランス女子高生が散見され、大人の俺としては「きみもしかしてコンプライアンスにていしょくするバイトしてない?」と素朴に尋ねたくなるのもこの地ならではである。
立ち並ぶ飲食店の中、大人の疲れを癒してくれる居酒屋を物色して俺が彷徨っていると、おおよそこの界隈に相応しくない赤ん坊の声がする。やれやれ今の俺はオフなんだけどな。常在戦場の身としては仕方ないか。
とある飲食店の前で、泣いている赤ん坊を抱いて一生懸命あやしている父親の姿が見えた。傍らには赤ん坊のお姉ちゃんとおぼしき少女もいる。父親はスーツでお姉ちゃんもちょっとよそ行きの恰好をしており、俺のプロとしての経験則が素早くプロファイルする。「おそらくお出かけ帰りである」と。そして食事中にこいつが急に泣き出して周囲に迷惑だからと父親が抱きあげて席を立ち、お姉ちゃんは「あたしもいく!」とでも言いながら父親について来たのだろう。俺は大人だから瞬時に脳内で映像付きで再現された。もちろん4Kだ。
OK、周囲に迷惑をかけないよう赤ちゃんを連れ出す気配り。さらに嫁さんに食事のゆとりを与えるその思いやり。俺は嫌いじゃないせ。この子のママであるあんたの嫁さんは、あんたの優しい心遣いに安心して今頃好物のエビチリをザトウクジラがオキアミの群れを一気食いするように貪ってるんだろう?素敵な奥方じゃないか。
プロの出番が来るかどうかはわからないが常在戦場を信条とするプロのたしなみとして俺は漠然と戦略を立てていた。もちろん彼が自力で事なきを得た場合「いや俺大人なんで初めから関心ないっす」と言う顔で通過できるようゆっくりではあるが歩みを止めず距離を詰めていると、俺と同じような動作で対象との距離を詰めている者がいた。二十歳かそれを少し過ぎたくらいの女の子だった。む!同業者か?
前述のアンバランスJKの先輩かと勝手に錯覚させる雰囲気。キノコみたいな金髪。モヘアニットのワンピースからべろーんと出ている肩、妙に光沢のあるトートバッグを持っている。俺の経験則ではこういう風貌の女が同業者だったケースはまれで、むしろ赤ちゃんの泣き声に舌打ちするタイプのはずだが人は見かけによらないのかもしれない。なお、信仰上の理由なのか眉毛がない。
(蛇足ではあるが俺が生まれた西の地には「キャンディ☆スパッツ」と言う、主に壮年のご婦人のみで編成された大規模かつ凶暴な乳幼児プレデター軍団が存在するのだが彼女たちもおおむね眉毛がない)
「びゃぁぁん!けほっけほっびゃぁぁぁん!けほっ」。この咳込みながらの泣きに、くぐり抜けてきた修羅場で培った俺の本能が危険を知らせる。これは狙撃では間に合わないかもしれない。そしてこの父親はおそらく赤ん坊を独りであやすのに慣れていない。あの毛布みたいなタオルみたいな赤ちゃん用のふわっとした布が垂れ下がっても気づいてないあたり間違いない。そろそろ来るぞ!回避は間に合わないから衝撃に備えろ!
「っびゃぁぁぁれろろろろろ」そう、泣きゲロだ。
後編へつづく
http://anond.hatelabo.jp/20140831224816
お前がいう当時がいつなのか俺には分からないが、それの始まりから何年経ったんだ?
Kanonがお前にとっての泣きゲの始まりならあれからすでに15年は経ってる。
お前はその間何をしていた。
お前のトーチャンカーチャンが泣きながら結婚してお前の出産を見届けた時期はすでに通りすぎているだろう。
それなのにお前はまだエロゲのBGMで泣けるだなんだ言ってるんだ。
お前の人生はどこにいった?
他人が作った物語の中ではなくて、現実の中で嬉し涙を流してもいい年齢じゃないのか?
お前のエロゲの探し方も泣けるで、
他人の評判を当てにして有名な作品だけ埋めていこうって浅はかさ。
ライターのネームバリューを信じて予約した作品がバグまみれだった時の悲しみをお前は知っているか?
自分の直感を信じて買った作品が、他人には説明できないような自分のツボと噛み合って、自分の人生とリンクした感動を味わえた時の喜びをお前は知っているか?
家に引き篭もって他人がレビューにつけた点数や、レビュー数を当てにして「最近はいいゲームが無いようですなー」といつまでも言ってるお前の人生、泣けるで
感動を自分の手で掴もうとしてないお前自身のあり方が、エロゲの選び方にまで滲み出てる、泣けるで
誰かが作った感動を、誰かがたっぷりとオススメしてくれて、それからようやくその感動に手を伸ばす。
そうやって他人の手垢に染まりきった心の震えでお前の人生は一杯なんだよ。
お前が今まで流した涙の何割が「(他人が名作だと言ってるゲームだし泣いておこうかな)」という薄っぺらい無意識の底から湧きでた物なんだろうな
泣けるで
お前の人生、レビューに振り回されるだけのお前の人生が泣けるで
自分自身で「隠れた泣きゲー」を発掘しに行くスピリッツを持たない、お前の人生そのものが、
まるで俺みたいで本当に泣けるで
俺が一番見てイライラするものはバンプオブチキンオタと泣きゲーオタだ。正直消えて欲しいぐらいにも思っている。彼らが静かに、というか普通に生活してくれれば別にそういった感情は起こらないのだが、こいつらはネットで暴走族以上の馴れ合い、群れあいをしていてしかもイナゴのように匿名の傘を借りて、他の島宇宙や彼らの趣味を否定するものを攻撃してくるのだ。気持ち悪さはそれだけにとどまらない。例えばゲームの人気投票ランキングサイトだと泣きゲオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。現実と即してないそのサイトはもう信用できなくなる。これは泣きゲオタじゃなくてもギャルゲ・エロゲオタにも言えるぞ!うぜえんだよ! 例えばうたまっぷや人気投票ランキングサイトに行ったりすると、バンプオタが不正に組織票でランキングをあげてくる。(うたまっぷでは)新曲でもないくせにランキング上位なのは組織票以外の理由はあるのだろうか?いや、それ以外はありえない。もう嫌バンプが増えるのも仕方がない。
さて、彼らは共に「イナゴ的性質」という共通点を持っている。そして共通点はさらにもう一つある。それは「小学生が読む絵本レベルのストーリーで泣いちゃったりする人種」である。
僕がこの文章を書こうと思ったのも、彼らが口を揃えて「泣ける、泣ける」とネットでシュプレヒコールするから、上手く騙されて後悔してしまった、という個人的な歴史がある。泣きゲーの絵本要素については本気でストーリーを事細かに解説しているアホが腐るほどいるので、そういったサイトを当たってくれればその陳腐さについて理解していただけるだろう。例えば僕がやったKanonというゲームでは「実は昔助けたキツネさんだった」とか「実は私、幽霊でした」とか「超能力が原因で家族がイジメられました」とか、どこの3流絵本だよwwと思わず噴出しそうになるストーリーなのである。これは吹きゲーと名付けるほうが適切である。
バンプオブチキンでいうと彼らが口を揃えて「K」という謎の単語を口にする。これも「うたまっぷ等」で検索してくれれば陳腐さについて理解していただけると思う。これは、どこをどう切り取ってあげつらうというより全部を見て欲しい。ち、陳腐。。。この絵本で12才以上の人間が泣けるというのだ。ちなみにnightにKを足してknightという大爆笑必死の落ちもセットである。
以上の内容を読んでくれてどう思ったであろうか。泣きました、とかいう人はさすがにいませんよね?こういう人々が自由に、誰からも疎外されずに生きていけるのが現代の日本という国である。只、いきすぎた行動に対して不快感を被った、それに対する不満をぶちまける権利も同様にある。しかし、泣きゲヲタは「気持ち悪いのは自覚している、だからいいのだ!」と意味不明に開き直り、バンプオタはそもそもこのような弱小ブログを読まないし、彼らにとっての神様=バンプオブチキンと藤原基央(バンプのボーカル)なので、我々が何を言おうが左耳から右耳に抜けていってしまう、という始末である。
もはやタイトルに掲げた「消し方も殺し方」も通用しないことが証明されてしまった。
この状況下で我々が取れる唯一の手段は「絶やす」ことである。つまり「絶やし方」を考察しよう。答えは単純だ。小学校の国語の教科書に絵本を載せることである。学習指導要領で増えた分の一部をこれに充てるというのだ。すると中学や高校、そして大人になってまで「CLANNAD最高!!」とか「バンプは泣ける!」とかいう(まあその世代にはもうないけど)おかしな連中は日本には生まれないことになる。
答えが出た今、彼ら自身を分析するに、おそらくAC(アダルトチルドレン)なのではないだろうか?という疑問がでてくる。絵本を大人になってまで愛する。彼らは幼少期時代に母親から絵本を全く読んでもらえなかった、カワイソウな人達であろう。ネットで異常に群れたがる傾向もこれでツジツマが合う。今後彼らに遭遇した時は、怒りを抑えて「ああ、カワイソウな人生を送ってきたんだな」と心の中でつぶやこう。そうすればネットを快適に利用することができるようになるだろうから。
遅ればせながら『闘神都市3』をやってみた。3Dが入っていたりと技術的には進歩しているが、根本的なところでは前世紀から続くアリスソフトらしさがそのまま保たれていたので懐かしさをおぼえた。
この「らしさ」とは何か。人によって答えは違うと思うが、俺にとっては作り手の距離感だ。闘神でもランスでも、作者は作品に陶酔せず消費者にも陶酔させない。目の前の画面はどこかのおっちゃんおばさんたちが作った作り物のポルノなんですよ、と作品自体が主張している。物語への感情移入を断固として拒み、一線を引くよう要求する。だって「ぶるま大使」だよ。どんなに浸っていたところで一瞬で現実に引き戻される。
強姦・陵辱シーンもたくさん出すブランドなのだが、ユーザへの「悪影響」という点では、ある意味で泣きゲなんかよりよっぽど無害という気がする。
「俺、エロゲー好きだよ」と言う男に、好きな作品や作家を聞いて葉鍵の名前があがってくるとげんなりする。心底がっかりする。葉鍵は私も大好きだし、素晴らしいメーカーだと思うけども、臆面も無くKanon・ToHeartの名を挙げる人のほとんどが、それ以外のエロゲーをやっていないんだもの。それどころか、そのメーカーさんの最近の作品もやっていない。せめて「フルアニ」ぐらいやってから言ってもらえませんかね。
要するに「エロゲーを理解する心の広い俺」を演出するために、いちばんてっとり早くて優等生な回答なんですよね。Key・Leafは。あと、オーガストもこのカテゴリに入る。
確かに男性に人気のエロゲメーカーとして鉄板なことは間違いないけど、本当にエロゲーが好きならもっとたくさんの名前が挙がってもいいと思う。もっとやれよ!純愛泣きゲ以外も!最近のも!「君望」「D.C.」「みずいろ」「Fate」のコンボはもう飽きました。
1度だけ「今宵も召しませ♥アリステイル」という回答が返ってきて、土下座せんばかりに感動したことがあります。あ…この人、本当にロリコンだ…と思ったよ。
「自分の趣味は一般的だ」とか「万人此れを理解すべし」とか言ってるエロゲオタなんかいるか?ほとんど奴は日陰者だってことを理解してこそこそしてるだろ。単純にエロいゲームやってる姿が、2次元にのめり込んでる姿がキモいだけ。だから叩く奴がいる。エロゲなのに泣きゲなんて、感動するだなんて、プププ…っと。それの反動としてやりもしないの批判するなと言う奴が出てくる。そして過剰に反応するから面白いって奴が出てきて、元々はそうじゃなかったと俺みたいな奴が出てくる。そして飽きられて、またしばらくして同じループが始まる。エロゲに限った話じゃないけど。
やったことないだろ。泣きゲのエロなんかおもちゃ付きおかしのラムネみたいなもんだし、エロが一切ない全年齢版として発売されてるのもある。そしてそれはエロがないにもかかわらず、とても売れている。
最近のエロゲについての話は何だか、原作がアニメ化されたさいにそれを批判しているオタクを、更に批判するためのエントリーみたいで気が悪い。原作やって、アニメを見れば、叩かれてる理由は明らかなのに(声優が変わったなんて些細な理由ではなく根本的につまらないため。声優全取っ替えのおとぼくは最終的には面白かったので受け入れられたように。)原作叩きをしているオタクを叩きたいがために、原作やアニメを見ていない、あるいは見ているにもかかわらず目をつぶり、エントリーを書いているようで不快。
自身がプレイしていることについて、「このエロゲは泣けるから抜き目的じゃないから」と言う理由は↑でFAなんだろうけど。
相手にゲームをすすめる際に「このエロゲは泣けるから抜き目的じゃないから」という人は恐らく、「分類としては、泣きゲは濡れ場のあるストーリー映画みたいなもの(で、抜きゲの方がAVみたいなもの)だから」と言いたいのだろうと思う。「だろうと思う」というのは、僕自身はエロゲをプレイしないからなのだが(これは単純にADV自体が苦手というだけ)。なので、泣きゲにエロシーンが必要かどうかという話は分からない。
実際に泣きゲで抜くか抜かないかは個人個人の問題なので多分どうでもいい気がする。濡れ場のある映画だってその辺は同じ事だし、抜き目的じゃない映画やゲームで抜くという状況も、まぁありえるかなと。
とは言っても18禁は18禁じゃん?濡れ場のある映画とは違うじゃん?ってのは確かにそうなんだけど、ゲームの場合は仮にモザイクが必要な部分の描写をカットしたからといって、エロシーンがあるようなゲームをコンシュマーで売れるかと言えば、パンチラ規制ですら厳しかった世界でそれは無理。PCゲームでそれをやれば、単なる劣化版だとしか見られない可能性があるだろうし。もちろん意外に売れるのかもしれないけど。
ただ、元のhttp://anond.hatelabo.jp/20070208125148が言いたいのは『同じ「俺」がすすめる物なのに、何故か”エロゲだけ”受け入れ対象から除外されるってのが腑に落ちない。一般人にとってのエロゲは十把一絡げに抜きゲなんだなションボリ』って事なんだと思うけど。