はてなキーワード: 英語圏とは
いや、いいんだけどさ。
日欧EPAでEUと日本の関税がかなり多数の項目で撤廃されるよな。
それで英語圏の掲示板とかだと「あの保護主義的な日本が市場を開放する」
っていう風に思ってるのと似てる。
でも、WTOの調査によるとEUから日本への輸出より日本からEUへの輸出の方が関税率が高いらしい。
https://www.cnn.co.jp/business/35122624.html
欧→日 1.6%
日→欧 2.9%
これってつまり日本の方が既に関税ゆるゆるで影響度合いは低いけどEUは関税を多数撤廃しなきゃならない状況に見える。
農業だけは影響大きそうだけど、すでに少子高齢化で日本の農業はずたずたなこと考えると経済的にはあんまり影響ない気もしてる。
なんか将来的に実は日本はすでに関税が無くてEUは一方的に損をしたみたいに報道されそうな気がしてるんだが・・・
大丈夫かな。
https://anond.hatelabo.jp/20180709194600
元増田です。鋭いコメントありがとうございます。本筋から少し外れますが、仰る事に同意です。
看護師を含め医療従事者の多くは、自分達の行為が、形式的には暴行罪、傷害罪、逮捕監禁罪といった犯罪行為の構成要件に該当する、患者の法益を侵害し得る行為であるという認識が「無い」
多くの看護師は、その認識が欠如していると思います。結果的に、日常的にそういう感覚のまま、人間性というかモラルの低下につながっていきます。
私なりに具体的な論理を補足させて頂くと、
看護師は刑法第174条という法律に規定されている「わいせつ罪」の行為、つまり「普通人の正常な性的羞恥心を害し」を患者に対して行うのも仕事です。(洗体とか陰洗とか直腸・・以下省略)
・性欲の興奮、刺激を来すこと
それが犯罪にならないのは、もう一つの構成要件である「善良な性的道義観念に反すること」でない純粋に看護行為の一環として行うこと、に患者が暗黙の社会的合意していることになっているゆえに法律違反という犯罪から特別に免除されていると言ってよいでしょう。
もし、「わいせつ」の最後の構成要件である「徒に性欲の興奮、刺激を来すこと」をした時点で看護から逸脱していることから「善良な性的道義観念に反すること」に抵触しかねない。看護師の職務行為は「わいせつ罪」と本当に紙一重の事を、社会からの信用「信頼を基盤として成立している」という事ですね。
必然的にこういった事について、医療従事者・看護師達は、無感覚になりがちです。
具体的には、ひと昔前に副業で風俗嬢をやる看護師達の事が議論となりました。
http://blogos.com/article/86641/
私の結論は、風俗売春行為をする看護師は、社会の人々からの信頼を毀損する ー 「看護はわいせつ行為と同じではないか」、「そんな事に同意した覚えはない」と。そして看護は、"看護を必要とする人々からの信頼なくしては存在しない"からして、看護師は風俗嬢として副業すべきでない、と(実際は、似たようなもん、と言ってバイト感覚でキャバ嬢・風俗嬢やる看護師が非常に多いらしいですが)。ゆえに、キャバクラ含む風俗で働くような看護師は免許を返上すべき、と。
また、
「パターナリズム」という言葉は父権的干渉主義などと訳されます。本人の意思にかかわりなく、本人の利益のために、本人に代わって意思決定をすることを意味し、父と子の間のような保護・支配の関係を指します。相手を無知な存在として扱うパターナルな押しつけ
患者が望んでもない医療行為を勝手に押し付ける、という問題です。患者の自己決定権の否定につながります。日本ではまだまだ「お医者様様・看護師様様」状態で、全然だめですね。一般、つまり患者側の権利意識が無さすぎます。
医療側がとる「あなたのことは何でも分かってる」とでもいうような態度はパターナリズムの典型ですね。パターナリズムは、パトレ(pater)つまり牧師・父性。つまりは、「子らよ、私の言うことを黙って聞き入れなさい。これは神からのお告げなのです。すべては子らの幸福のためなのだ」というやつです。医者が自分より目上の大人をまるで子供扱いしてしまう自己陶酔の状態。看護師なら「知らないでしょ、あなたの為なのよ、やってあげてるのよ」、という"上から"の態度をひけらかして患者を自分の思い通りにさせようとします。
英単語の「patronize ペイトロナイズ」という同じくpaterを語源に持っていて、直訳すると「保護者ぶるー>(転じて)子供騙しな扱いをする」となる。これは英語圏でも相手を侮辱する行為である。だから”Don't patronize me!”というのはよく聞かれるフレーズ。
英語専攻してたんだけどLGBTという言葉には英語に関する法則性や必然性が一切ない
1990年代以前の英語圏のテキスト情報を見ると「Homosexuality」と書かれていたり「Gay & Lesbian」と書かれていたりして、たいていはGayが前に来ることが多かった
LGBTという言葉が一般に普及し始めたのは1990年代以降で、突然Lesbianの後ろへGayが来ることが多くなった
では何の影響を受けたのか?と言えば同調しやすいフェミニズムやジェンダー論の影響であることは想像に難しくなく、LGBTは当時の気風の忖度から生れた言葉である可能性が少なからずある(絶対とは言わない)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/ とそのブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO32591700U8A700C1LX0000/
これは日本のやり方が良いとか悪いとか、飯として豚骨が受け入れられるとか受け入れられないとか、ホテルの予約手法がいいとか悪いとかそういうことではないのだ。本当に身も蓋もないがそのとおりなのだ。
ここでは外国人=欧米の旅行者として話をする。同じ海外でも東アジアとか東南アジアとかそういったところは習慣が違うし、単なる観光旅行でアフリカとか南アメリカとかから日本に人が来ることも多くない。ちなみにこれから言う「旅行地としてのアジア」だけど自分の行ったところのある範囲に限るからそういう留保はしておいてほしい。
で、アジアに外国人が来る理由だが、特にあいつら食べ物を食べたいとか現地の人と触れ合いたいとかそういう目的でアジアに来てないのだ。いやもちろん現地のものだって食べるしエキゾチックな風俗嬢と遊びたい、って目的がないとも言えないのだがどちらも「体験してもいいかな」レベルの話なのだ。
だからホステルの食パンとジャムとシリアルとミルクとコーヒーしかない朝食に全く文句を言わない。要するにこれでコンチネンタルブレックファストとしては十分だからそれ以上求めてないのだ。海外旅行サイトで「〇〇でぜひやるべき100のこと」とかあるけれどあそこの食べ物を常食としたいのではなく「得難い体験イベントとしてちょっとやってみたい」だけなのだ。ちなみにアメリカンブレックファストが食いたいやつはホステルじゃなくて少しランクが上のホテルに行く。そっちなら卵の焼き方にこだわりの注文を付けられるコックがいるからだ。
台湾人はおそらく世界で一番外食としての朝食にこだわる人だと思うが、パンとコーヒーしかないホテルの朝食会場は欧米人で埋まっていた。もちろんこだわりの朝食を探しに出かけている人もいるだろうが(でなければ近所の豆乳屋の英語がスラスラ通じるはずがない)、コンチネンタルブレックファストが欧米人の旅行スタイルなのだからしょうがないのだ。
振り返ってみれば日本人だってそうだ。大した大きさでなくてもバスルームに湯船があればお湯を入れて浸かりたがる。シャワーで十分汗が流せるから良いじゃないかと言われても意識外のレベルで否定してしまうのだ。
アクティビティだってそうだ。みんなアジアに行ったら何をしたいか。寺を周るか、そこでしか食べられない美味いものを食べるか、絶景を見るか。欧米人がなんとか理解できるのは「絶景を見る」だけだ。寺も食いもんも「体験してもいいイベント」の1つでしかない。食べログが信用できないこれからはgoogle mapsだなんて話があるが非英語圏アジアの英語レビューにろくなものはない。なんで東南アジアでピザ頼んで不味いって言うんだ。なぜそこでイタリアンを食べたいと思ったんだ。理解不能だが仕方がないそういう習性の生き物なんだ。
話が逸れた。アクティビティだ。欧米人がしたいアクティビティったらトレッキングにサイクリングだ。奥地じゃチュービングにジップロープ、ちょっとイケるところならシュノーケリングにパラグライダー、どれもこれも欧米基準のアウトドアアクティビティだ。エクスペディアあたりのサイトはこういうアクティビティをやりたい人間が集まっているサイトだから、失われた王国が作った「新しい街」という名の古都とか、ベトナム戦争の滑走路が通常の道路として今でも使われる景勝地とか、4千の島が集まる滝の際とかどこもかしこも同じようなアクティビティで溢れていて、しかも外国人は楽しそうに遊んでいる。彼らにとって旅というのはそういうものだから仕方がないのだ。言い換えれば、旅行先というものがそもそもあいつらにとっては劣化ディズニーリゾートなのだ。バンコクの町中を走るトゥクトゥクはちょっとスリルを楽しめるカート、古いお寺は雰囲気を増すパビリオン。だから「予約の仕方が違う」とか「出てきた飯が自分の思ってたのと違う」で文句をいうんであって、それはもうそりゃすいませんでしたねと改善方法を考えるのもありなのだ。
ただ、ブコメで社長の目線が変だ、といわれているのもそのとおりで、どこもかしこもこういうやり方で集客しようとするのは「レッドオーシャン戦略」だということを我々は既に学んでいるはずなのだ。日本だって登りやすい山が多いところか、綺麗な水の海があるところか、新雪が山ほど降るところとか、数ヶ所で同じことをするならまだそういった他の目的地に飽きた人たちが来てくれるかもしれない。一斉にやる必要はない。先にやりだしたところが飽きられ始めた時に「隠された名所」として知られる手法だってある。ちなみに欧米人のアクティビティと違い、アジア人のアクティビティは自撮りだ。トレッキングスポットの整備よりインスタ映えする看板のほうが安く作れる。海外事例(この場合の海外は欧米ではなく東南アジアと台湾だ)を参考に作ってみたらいい。ついでに看板の端っこに南京錠かけるところ作っておけばカップルが南京錠買ってくれるよ。
https://anond.hatelabo.jp/20180625184652
この延長上にあるお話
本来子供向けだったアニメが長い年月を経てオタク向けに変容してしまったものを、
さらにもう一度子供向けにシフトしていくっていうトレンドが今後の主流になっていくのかもしれない。
ベイマックスは天下のディズニーが送り出したおかげでその日本的オタクテイストと大衆向けアニメ映画の健康的テイストが程よくミックスされて大ヒットしたのは記憶に新しい。
そこからもう一歩オタク寄りの立ち位置でライバルであるドリームワークスがヴォルトロンなんていうものを送り出した。
よくtogetter辺りでは日本と海外アニメの表現に関して「完璧だが不自由な健全主義」vs「自由だが混乱を生むエログロ主義」みたいな文脈で勝手に対立煽りのネタにされちゃったりするわけですが、
そんなアフィの下らない思惑なんか簡単に消し飛ばしちゃうのがヴォルトロンの凄さだ。歴代日本産アニメの総復習みたいなことをやり遂げちゃってるのだ。戦闘シーンはSWやスタトレというより
大艦隊の真っただ中に飛び込んで姫を助け出せ!ワープで逃げても追ってくる敵を危険な星域に入ってやり過ごせ!スペースランナウェイ!なイデオンやヤマトだったり、
敵艦に潜入しての等身大での戦いは群がるロボット兵をキック!アタック!電光パンチ!ビーム剣で大切断!と血湧き肉躍るアクション満載!そしてわざとらしい露出やピッチリスーツは無いのに何故かエロい!
主人公サイドだとシロとキース、この二人がホンマにエロい!ふとした瞬間に魅せる表情がハートに直撃する。ノンケの男アニオタも堕ちる。実際堕ちた。
現地の子供向けレーティング基準は完全に満たしてて、ここまでオタッキーに攻めたことが出来るのかって驚愕したよ。
そして公式も自分達の作品が子供だけでなくオタクに観られていることを意識して、主役五人の設定上の誕生日には必ず特集と声優さんのコメント動画をハッシュタグ付きでtwitterにアップしたり、
スタッフやプロデューサーのインタビュー記事を定期的にオタク向けニュースサイトで組んだりと、広報関係も万全の体制で挑んでいる。
こういう流れ見ていると、二次創作があーだとか手下の民度がどーので荒れてる場合じゃねーぞ日本のディズニー!って叫びたくなるわ。
ヴォルトロンもその手のゴタゴタは日常茶飯事ではあるけれど、こっちは英語圏全般を巻き込みますからね。地球丸ごと超決戦ですよ、ハイ。
それでもその手のアピールをドリームワークスが続けているのは、オタク文化と大衆文化の更なる融合、垣根そのものを無くして新次元の表現を産み出せる環境作りを目指しているのかもしれない。
今までもこれからもオタクはオタクであり続けるし、世の中に揉め事は尽きない。でもせめてアニメを見ている時間だけは仲良くしようぜ?
はてブ無くなったらどうやって情報収集したらいいの…個人ニュースサイトの時代に逆戻りか…? / “「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまで”
http://b.hatena.ne.jp/entry/fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/28/120000
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/28/120000
↑
そもそも、ソーシャルブックマーク自体が、世界を見たら時代遅れなんだが。
はてブなんか世界中にそんなのなくても、情報収集なんか存分にできてるんだが。
こんなはてブがないと情報収集ができないという情弱そのものなんだけど、
世界のネット言論は、はてブなんかなくても動いていることをどう思ってんのかね?
↓ ↓
このコメントしてる奴らって、はてブが海外ネイティブに使われてるとかマジで思ってんの?
英語圏を見ると、はてブよりtwitterで情報収集しているのくらいすぐに分かるよね?
twitterは分かりやすいから言っただけで、他にも大手サイトがあるからな。
あとは任せた
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベルの馬鹿だった。
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
俺は反対した、拒否した、抵抗はした。
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
アラフォー女。日本ベースで仕事をしているけれど、ここ10年ほど英語圏各地への出張が多い。このところ英語圏では意識の高い食事がますます流行っている気がするので、私が見た範囲のことを少々書く。なお私は平均日本人的雑食。
まずアメリカ、ドラッグストアに売ってるものは30年くらい前からあんまり変わっていないが、オーガニック系スーパーは健康志向の流行の変化に敏感で、行くたびに変化がある。この春行った東海岸某所では、虫食コーナーができてた。パリパリに乾燥させたワームっぽいのやコオロギ(イナゴ?)が袋詰めになって売ってる。エナジーバーとかチョコレートになっているのも。おみやげに買って帰ろうかと一瞬考えたけど、自分のスーツケースに入れるのにどうしても耐えられないビジュアルで諦めた。
20年くらい前に留学してた時はどろどろに溶けたほうれん草とかが食堂で出ていたものだったけど、最近はどこでも食事のクォリティは向上したなという感じ。この頃はWholefoodsのHot buffetが外れがなくて、夜に予定がないときはテイクアウトしてホテルの部屋でHGTV見ながら食べてる。おいしい。
カナダのランチミーティングでは、世代が上の人ほど肉を食べてた。日本人が想像する厚切りステーキ。私と同世代くらいから、男性もスープとサラダ。私はサーモンを頼んだけど、まわりがサラダばかりだと、倫理的視点が欠けている人と思われてそうな気になるよな(気弱な被害妄想)。
オーストラリアには5年くらい前に初めて行って、それから毎年行くようになった。オーストラリアはとにかく食事がおいしい。英語圏でも食事がおいしい国はあるんだよ!特においしいのがvegan食。オージービーフもおいしいけど、veganメニューはいつもうならされるおいしさ。野菜だけでよくあれだけ美味しくできるよね。おしゃれなお店ほどveganメニューが充実している印象。あと、オーストラリアはコーヒーも最高。来月もまたオーストラリアに出張があるので楽しみ。英語圏じゃないところにも行きたいんだけどなー、というのも本当だけど。
どこに行ってもおみやげはグラノーラを買うことにしてる。オーガニックスーパーにはたくさん種類があって面白い。日本では考えられないブレンドもあるし。たまに鳥のエサを食べてる気分にさせられるのもあって、それもまた楽しい。
意識の高い食事って、英語圏ではかなり流行してるファッションだと思う。環境への負荷とかanimal crueltyとかに対する意識は、若い世代で特に高い印象。こういう食に関する意識の高さが、なぜ日本(と、東アジア圏全域かな?)ではあまり流行らないのかというのには興味ある。
人種同一性障害と訳されることが多いようだが、ethnicity(民族性) と race(人種) はぜんぜん別の話だろう。
EID は正しくは民族(あるいは民族性)同一性障害と訳されるべきだ。
できれば別の民族の一因になりたかった。たぶん一番しっくりくるのは英語圏だが、東南アジアあたりでもいい。
上手く言えないが、私はとにかく日本人の持つ根本的な発想法、彼らが作る組織の運営方法が好きではない。
激しく違和感を覚える。私はずっとその葛藤の中で生き、かろうじてなんとか生き残れる場所を見つけてギリギリのところで生き残ってきた。
こういうことを言うと、「そんなに日本が嫌いなら外国に行け」と言う人たちがいる。言われなくても、なんども私は、実際、外国に行き、そこで住んできた。だが、日本生まれの日本人が外国で長く住むのはたやすいことではない。外国では日本語は通じないから、英語や現地語を話して仕事をしなければならない。ビザの維持も難題である。外国に住むと私の民族同一性障害から来る症状は和らぐので精神的には楽なのだが、主に経済的な理由で日本に戻ってこざるを得なかった。
私は意識としては日本人である自分を嫌悪しているものの、日本語は確かに母語だし、国籍は日本にあり、それゆえ日本ではビザなしで働くことができる。経済的な事情を考えれば、少なくとも当面日本に住まざるを得ない。
日本にとどまる限り、EID には救いがないという意味で地獄だ。日本で、外国人と接触してみたが、これもダメだった。当たり前だが、日本に長くとどまる外国人は何らかの理由で日本が気に入っているからそうしているのであり、日本文化に対して肯定的・受容的だ。ある意味、彼らも半分「日本人」なのである。こういう人たちと私は心から打ち解けられないことを知った。
人生を振り返るに、私がわずかに心の平安が得られたのは、どこかの国に言って、日本人とほとんど付き合わず現地語だけで現地の人たちとだけ付き合っていたときだった。彼らは特に日本のことも知らないし、興味もなかったが、私を人間として受け入れてくれた。だが、そういう環境では私はカネを稼ぐことができなかったのだった。日本人は、よほどのことがないかぎり、外国に行っても、日本と全くつながりのないところでは行きていけない。たいていは、日本企業など日本の組織・団体との関わりの中でカネを得て生きている。
私が海外にある日本料理店が嫌いだ。そこに日本風のカラオケとかおいてあるのを見ると吐き気がする。ところが、そういうところが大好きで、絶えず日本に戻りたくて仕方ない日本人たち(大企業の駐在員とかね)と一緒に仕事をしない限り、カネは稼げないことがほとんどなのだ。
私はいま日本で働いて暮らしている。あえて外国の事物は見ないようにしている。海外旅行にもほとんど出かけていない。外国の事物を思い出してしまうと、日本に住まざるを得ない自分が悲しくてたまらなくなるからだ。日本に対する嫌悪が胸をいっぱいにしてしまうからだ。
独立した個人が海外で長く住む上で一番重要なのは経済力だということをさまざまの経験から知った。だから私はまるで出稼ぎ労働者のように必死に働きカネを貯めようとしている。いつの日、日本を出ていき、二度と戻ってこなくても済むように。どちらに転んでもつらいし、おそらく私のような人間を理解してくれる人たちもほとんどいない。どうせ増田に書いても、どこかの「国士様」たちからさんざんにけなされるだろう。まあそれもいいさ。とりあえず吐き出さないと気が狂いそうだったので、とりあえず書いてみた。
だけど、もし私に似たような人がいるとしたら、私は声を大にしていいたい。あなたのような人は一人ではない、と。私も同じだと。たぶん、世界中に同じような人たちはたくさんいると思うのだけどね。最近まで、性同一性障害者が社会で虐げられていたように、世界が国境線で分割され移住が少しも自由でない現代は、まだ民族同一性障害者にはつらい時代だ。いつの日か、人々が自由に自分の民族性や国籍や住む場所を選べる時代が来ることを願っている。
ゆるキャラの存在が受け入れられないイスラエル人 - Togetter http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1237330
上記のブコメでは、「主語が大きい」と勝手に勘違いして怒っている人が見受けられる。
じつは、英語圏においてはそのような「主語が大きい」と勘違いして怒り出す人は存在しない。
なぜなら、英語は文法上「単数」か「複数」か、「特定」か「不特定」かが、明確に区別されるからである。
上記の見出しは英語なら「A Israeli」となるので、ある一人について語られていることが明示されるのだ。
日本語は英語と比べて名詞の差す範囲が曖昧である、ということが理解できていれば、「主語が大きい」という勘違いは起きないのだ。
日本人で"ファック"ってたまに言うひとがいるけど,聞くたびに苦手だなと思う.
みなさんご存知の通り英語圏の公共の場では例の単語は "f○ck" と書かれたり,"F(ピー)"と規制されることが多い単語で,"F word" と呼ばれる口にするのが禁忌とされてる単語だ.
(日本語に差別用語みたいな一部の人を明確に不快にさせるような単語を除いて,こういう禁忌とされる単語が存在しないのも興味深い)
とはいえ欧米人は日常的に口にしてるし,『パルプフィクション』みたいに1分に1回聞こえてくる映画があったりして,日本人で"ファック"って言う人がたまにいるのもこの辺りが理由なのだと思う.
そして僕が "ファック" を口にする人が苦手な理由は以下の通り.
『そもそも fuck の英語での本来の意味は〜』とかそういう話ではなく,英語の中での位置付けを知った上で使っているのかと問いたい.
欧米人と日本人では "fuck" という単語を口にするようになるまでの背景が全然違う.
欧米人は子供の頃,親の前で "F word" を口にしようものなら親から "そんな言葉口にするんじゃない!" と怒られ,その怒られ具合からまず事の重大さを知る.
そして成長の過程で徐々に,映画とか,他の大人が使っている様を見ながらどういうノリで使っていいかを分かっていく.
一方の日本人は特に注意する人がいない中で事の重大さをよく知らずに使っていて,なんとなく悪い言葉,くらいにしか知らずに使ってるあたりが気持ち悪い.
映画なんかをみているとわかるけど,この言葉は "fuckin' awesome" みたいに副詞として使うことが多く, "fuck" は悪態と "fuck you" という形でしか使わない.
たまに言われてる "まじファック" は英語で言うなれば "really fuck" だけど,これは文法からしてものすごく変だし,誰も絶対に言わない.
英語に親しみがある人ならまず選ばない言葉のセンスで,このへんも結局『分かってなさそう感』に拍車をかけてる.
結局,発音が悪いと『分かってない感』がすごい.
"ファック" じゃあないんだよ.
何が言いたいかと言うと,敢えて母語じゃない言葉を使っているのに,選んだ言葉の細かいニュアンスが分かってなさそうなあたりが最高にダサいですよと.安易に使っている人間に伝えたい.
改めてググってきたけどやっぱり英語圏では「チャー」がほとんど。
最低でも "chara" と a の母音がない char を英単語として「キャラ」と読む場合はかなり違和感ある。
ユーブントゥは間違えではありません。英語読みしたものと思われます(最近は英語圏の人もウブントゥと発音すると思いますが)。カタカナで外来語を輸入元の国の発音で表そうとする日本語とは異なり、アルファベットを使用している言語圏では、外来語はスペルをそのままに輸入して発音を自国のものに切り替えます。例えば英語では以下の様に外来語を発音します。
フランス発音由来:クレヨン、コンソメ、ズボン、エチケット、アンケート
ドイツ発音由来:アルバイト、エネルギー、テーマ、ヨーグルト、メルヘン
「ノルマなしでイクラをテーマにしたパンに関するアンケートを実施してくれるアルバイトを、イギリスのパン屋が募集しています。」みたいな文を書けるのが日本語です。