はてなキーワード: 情報強者とは
「仕事の役に立つ」「自分を成長させる」「人生観が変わる」タグがついた記事を必死にブックマークするが、一度も見返さない
「この世のすべての知識を手に入れよう!」と張り切ってブックマークを増やしすぎた結果、カテゴリ整理が手に負えず、結局全部「あとで読む」にまとめられる。
「あとで読む」記事を1000個ブックマークしたけど、やったことは0個。
「こんな有益な記事があったのか!」と自分で発見し感動するが、よく見たら数年前に自分が保存してたやつだった。
「はてブでコメント書けば、友達と会話した気分になるからもう孤独じゃない」って言ったら、友達に「もっと孤独になるやつ」と突っ込まれる。
「またブックマークが増えたけど、読まないといけないプレッシャーがすごい」とつぶやきながら、そのプレッシャーを乗り越えるために新しい記事をブックマークする。
ブックマーク数1000の有益そうな記事を見つけたのに、内容が「意識高い系の朝ごはんは何がいいか?」というどうでもいいものだった。
他人のはてなブックマークのコメントを見て、「この人と価値観合うな〜」と思いきや、全然違うジャンルばかりブックマークされているのを見つけてびっくりする。
いざ「整理するぞ!」と思った瞬間、急に気分が重くなり「来世の自分に任せるか…」とタブを閉じる。
「みんなが保存してるし、これは読むべきだ!」と思って保存したけど、一度も開かず「人気記事に流されてるだけじゃん」と冷静になる。
この意見には、いくつかの妥当な指摘が含まれている一方で、以下のような問題点や矛盾点も見られます。
元来の「B層」概念は、小泉政権期に特定の広告戦略として定義されたものであり、「構造改革に肯定的で、IQが低いグループ」として分類されました。しかし、「新しいB層」という用語を用いることで、元のB層とは異なる対象を指しながらも同じような「操作しやすい層」というイメージを引き継いでいる点には問題があるかもしれません。これにより、本来のB層とインターネット時代の「新しいB層」との違いが不明瞭となり、読者に誤解を与える可能性があります。
「新しいB層」と「ネット右翼」は重なる部分が大きいとしながらも、完全にイコールではないとしています。しかし、この説明はやや曖昧であり、ネット右翼との具体的な違いや共通点が詳細に説明されていないため、両者がどのように区別されるかが分かりにくくなっています。さらに、「新しいB層」がネット右翼に限られず、幅広い属性を含むとするならば、「B層」という呼称自体が適切かどうかも疑問です。
「インターネット↔既存マスコミ」や「現役世代↔シルバー世代」といった対立軸を強調していますが、この二項対立は必ずしも現実に当てはまるわけではありません。例えば、インターネットを活用する高齢者も増加しており、年齢層や属性に応じて情報源の信頼度や態度は多様です。また、若年層でもマスコミを信頼する層や、年配層でもネットの影響を受けやすい層がいるため、単純に世代間対立に還元するのは正確さに欠けるかもしれません。
インターネットでの情報収集を「情報強者」としての幻想に結びつけ、反マスコミ感情と結びつける説明は興味深いものの、ここでの分析は一面的かもしれません。インターネットでの情報収集が必ずしも「情報強者幻想」につながるわけではなく、多くの人々は複数の情報源からバランスを取って判断しようとしています。また、マスコミ不信は近年の報道の偏向や不正確さから生じている面もあり、単なる「反マスコミ感情」では片づけられない複雑な要因が関わっています。
「新しいB層」は、反マスコミ感情を持つために操作しやすいとされていますが、同時にインターネットで情報を得ている自覚が強く、情報収集を積極的に行う層でもあると述べています。このため、実際には特定の政治的メッセージに対して批判的に考える能力も持ち合わせており、必ずしも「操作しやすい」層とは限らないのではないかという矛盾が生じています。
総括
この意見は、「新しいB層」という概念を通じて、インターネットの普及と現代の政治への影響を考察する試みとして興味深い点もありますが、一部の説明に曖昧さや単純化が見られます。特に、情報収集のスタンスや世代間の複雑な関係性を考慮しつつ、もう少し多面的に議論を展開することで、より説得力のある主張となるでしょう。
本日衆院選。今はまだ早朝なのでどんな結果が出るのかはわからない。が、これから出る結果を見た際に、インターネット時代の「新しいB層」を取りこめたか否かで各党の明暗が分かれたという分析に至る可能性が極めて高いだろうと予想している。
「B層」という言葉は小泉政権時代に生まれた。郵政民営化を国民に支持してもらうに際し、広告代理店が小泉政権の主な支持層として想定したのがB層である。
構造改革に肯定的か否か、IQが高いか低いか、この2つで縦横の軸にして国民を4つのグループ(A層~D層)に分け、構造改革に肯定的(あるいは中立的)でIQが低いグループのことをB層と呼んだ。
具体的な人物像としては、主婦・子供・シルバー世代など、具体的なことはよくわからないが小泉総理のキャラクターを支持しているような、マスコミに流されやすい人物がB層として想定される。
一方で、今自分が話題にしている「新しいB層」はこの本来の意味でのB層とは異なる。20年近くが経ち、インターネットは完全に普及し、状況は変化している。
本来のB層はマスコミに流されやすい人物のことだったが、自分の言う「新しいB層」とはインターネットに流されやすい人物のことである。
もちろんインターネット上での政治的言説には多様性がある。そのため単にインターネットに流されやすいといってもなにか特定の政治的傾向を示すことはなさそうにも思える。しかしそうではない。
インターネットに流されやすい人に共通する特徴として、「インターネットで情報を得ている自分」に対してアイデンティティのようなものを感じているというのがある。あるいは、インターネットに対して我々意識というか部族意識というか、そういうものがある。
その結果として、インターネットに対置される既存マスコミに対して不信感や敵意を持っているのがこの「新しいB層」の最大の特徴である。
『インターネット↔既存マスコミ』という対立軸はそのまま『現役世代↔シルバー世代』という対立軸にスライドする。『インターネットを使いこなす若者↔既存マスコミに流される老人』というイメージだ。そのため、この「新しいB層」はシルバー民主主義批判、世代対立的な言説を好む。
本来の意味での「B層」と、「新しいB層」は想定される人物像が大きく異なる。
「B層」が「よくわかんないけど抵抗勢力と戦う小泉総理カッケー」というようないかにもアホっぽい人を想定していたのに対し、「新しいB層」はもっと自らの知性に自負がありそうなタイプを想定している。肌感覚として、実際に学歴や社会的地位の高い人も多く含まれていると感じている。
年齢層としても、「B層」が主婦・子供・老人だったのに対し、「新しいB層」は若者・現役世代・リタイア後の高齢者を想定している。ここにリタイア後の高齢者が含まれるのは意外かもしれないが、リタイアして自由に使える時間の増えた高齢者がYoutubeの政治動画ばかり見るようになるというのはよくある話なのでこうなる。おそらく、リタイアした高齢者からすると政治動画の視聴は社会との繋がりを感じさせてくれて寂しさを癒す効果があるのだろう。
本来の「B層」と全く違う人物像を想定しているのに何故わざわざ新しい「B層」と呼ぶのか疑問かもしれない。これは、この「新しいB層」こそが今最も狙ってアプローチしやすい、操作しやすいタイプだからだ。
なにしろ「新しいB層」は既存マスコミに対して不信感を抱いている。つまり、いったんノせてしまえばその後マスコミで批判されても「またマスゴミが印象操作してるよ」「既得権益層にはよほど都合が悪いようだな」という具合に批判を無化するどころかより支持を強固にするブーストにすらなる。支持者の反マスコミ感情をセルフ情報隔離として利用できるのだ。
そして、上手くノせて支持者に取り込むのも、インターネットの味方でマスコミの敵という姿勢を見せることで比較的容易だ。「これを見ているあなたはネットで自立的に情報を得ている。口を開けたままマスコミに洗脳される情報弱者とは違う」というメタメッセージを直接言葉にせずとも発して受け手のプライドをくすぐるのが肝要だ。マスコミに流される人を馬鹿にしつつ自分はインターネットに流される人は無数に存在するのだ。
ちなみに話は変わるが、マスコミ不信をマスコミ側の努力で払拭することはできない。マスコミに不信感を持つと自らが情報強者になったような幻想を得られて気持ちいいため、どうやっても反マスコミ言説は人気であり続けるだろう。
ここまで読んで、「その新しいB層ってつまりネット右翼のことじゃないの?」と思った人もいるかもしれない。これに関しては、完全なイコールではないが重なる部分が非常に大きいというふうに考えている。
一般にネット右翼というと嫌韓・反中感情が強く差別的な言動を取りがちな人がイメージされる。しかし、ここで「新しいB層」と呼んでいるのはあくまでインターネットにアイデンティティのようなものを感じていて既存マスコミへの不信感が強く、世代間対立的言説を好む人のことであって、韓国や中国になにかしらの大きな感情を抱いているとは限らないし、差別的言動を取るかどうかも人それぞれだ。
ただし、何故ネット右翼が韓国を嫌っているのかというと、別に元々韓国に対して悪い感情を抱く経験があったわけではなく、インターネットを通じて「マスコミは報じないが実は韓国はこんなに酷い」という言説に触れたのがきっかけというケースが多いだろう。マスコミは在日に支配されているという陰謀論がネット右翼に好まれていることからもこれは伺える。つまり、ネット右翼もベースにあるのは差別意識ではなく、反マスコミ感情とそれを通じて得られる情報強者幻想と言える。
よって、ネット右翼と「新しいB層」はイコールではないが、ネット右翼は「新しいB層」の中に含まれているとみなすことは可能だろう。
スマホを誰もが持つようになり、インターネットがほぼ完全に普及してからそう日が浅くはない。にも関わらず今このタイミングで「新しいB層」の話をするのは、やはり都知事選での石丸伸二氏の躍進の影響が大きい。
「新しいB層」は決して新しい存在ではなく、以前より存在した。しかし、この層こそが狙うべき票田であると白日の下に晒したのは石丸氏の功績と言えるだろう。
今日の衆院選はその都知事選後初の国政選挙となる。自分は「新しいB層」の影響を強く感じられる選挙結果が出ると予想しているが、実際にどうなるのか注目だ。
また、今後の日本政治の動きについても、「新しいB層」の影響に注目していきたい。
例えば、ホッテントリに高市早苗総理誕生が現実味を帯びてきたという記事が上がっていて、ブコメでの論調としては「裏金のマイナスイメージがあり厳しいだろう」というものが目立ったが、高市氏は「新しいB層」から熱烈に支持されるタイプの政治家なので、もしも実際に総理になった場合は想像以上に高い支持率を得るかもしれない。その場合、岸田前総理、石破総理に共通する失敗として「新しいB層」を取り込めなかったことが挙げられることになるだろう。
20年ちょっと前に一人暮らしを始めた時、自分は当時から携帯型の電話の文化が嫌いで、固定電話を申し込んだ。
(ケータイそのものが嫌いなのではなく、持っている人々の妙な意識の高さが鼻について、同じ空気を吸いたく無かった
……とか言っていた自分が、その後ケータイのOSをいじりアプリを作る仕事に就くんだから、人生は分からんもんだ)
その時、特定の電話番号への電話代が安くなるという「マイライン」というサービスがあったので
正直あまりよく理解していないままではあったが、ひとまず申し込んだ。
電話回線自体はNTTにお世話になるが、マイラインサービスはどうやらNTTではなく任意の会社のお世話になるらしい。
ほほう。
電話代の明細を見ると、これは基本料金。これは使用料、そしてISDN回線代。まあそんなもんだろう。
そして「マイライン代」は……まあ、NTTから引き落とされてはいない。やはり別会社のサービスなんだな。
つまり当然、その別の会社に対して支払うべきなんだろう。支払方法は……どうしたんだっけ?
そういえば「マイライン」というもの、一体どこの会社のサービスを申し込んだんだっけ?
だらしのない自分は、申し込んだ時の資料は一切がっさい紛失してしまっていたのだ。
しかし「うちのサービスを選んでくれてありがとう、これ資料ね」というパンフか何かが来るのではないか、
待てども待てども、請求書すらも自分のボロアパートには来ない。一体どうやって払えば……
そのまま数か月経ったんだっけ。
発信しようとすると、マイライン代が未払いである旨のアナウンス。
アナウンス中の会社名は、世間知らずの自分にとっては何やら聞きなれない会社だった気がする。電話番号も分からない。
金はあるのに、払い方が分からない。
結局その後数年間、ボロアパートを引き払うまで、発信のできない固定電話と過ごしていた。
(就職後すぐに携帯端末を持つ事を要求され、結局PHSを持っていた。なので電話に不便する事は無かったが)
せっかくPCを使いこなし情報強者(笑)を気取っていたんだから、もう少し詳しく調べればよかったのにな。
どうにも後悔がつのる。
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
Macだと何かやりたいとか困ったりしたときにネットで調べたらちゃんと情報が出てくる
SurfaceとかLavieとかHP PavilionとかThinkpadはみんなWindows搭載しているけれど
実際に使ってみて困ることってWindows部分だけじゃなくて、そのPC特有のことが多い
メーカーが勝手に付加してるパフォーマンスコントローラー系のソフトウェアが原因のこともあるけど
そもそもCPUがIntelだったりAMDだったり、その中でもモデルナンバーや世代が全然違ったりするし
GPUもバラバラ、USBコントローラーも全然違うので困ったときにググってでてきた情報で直らないってのが多い
かといってSurfaceとかLavieとかで調べてもユーザー数が少なすぎて全然ヒットしないし
GPU特有だったり相性問題だったりすると原因を特定するのにめちゃくちゃ時間がかかる
もちろんMacもIntelだったりM1だったりM2だったりするわけだけど
Apple Siliconが出てきて結構経ったので困ることはなくなったし
何より気にするのは基本的にそこだけだからWindowsとは桁違いにトラブルが少ない
(Intel一色だった頃はもっとトラブルが少なかったのは確かだけど)
同じことがiPhoneとAndroidにも言えて、iPhoneで困ったら周りに聞けばいいしネットで調べたら情報が出てくる
Androidだと周りに全く同じ機種使ってる人がいる確率は低いし
機種によって付加されてる機能が違うしAndroidのバージョンも違うし
おまけにプリインストールされてるゴミアプリのせいでバグってる可能性もあったりして解決まで時間がかかる
結局はマジョリティに乗るのがトラブルが少ないからみんなそうするんだよね
もちろん自己解決できる情報強者はお好みのスペックを選ぶなり自作するなりすればいいんだけど
一般人はそんなことに興味がないんだよね
デマにも流されず、いわゆる「嘘を嘘と見抜ける人間」だとずっと思ってきた。
実際はただのバカだった。
これからはAIを使って創作する奴だけが生き残るし全ての人類がAIの洗礼を受けると思った。著作権法は崩壊するし、プロンプトをぽちぽち打つやつが勝つと真剣に思っていた。
日本は遅れているが海外ではもうすでに大規模活用が行われて、世界がAI多数派だろうと信じていた。
で、生成AIに反対してる奴は時代遅れで、進歩しない旧人類の少数派だと思ってた。AI推進派は多数派だと信じていた。
8:2ぐらいで、AI圧倒的多数だと思っていた。だってネットの記事が「AIはすごい」「日本は遅れるな」しか言っていないし周囲のSNSの人たちもそういう言説しかしていなかった。当然そうだと思い込んでいた。
で、実際はどうだったのか?
AI反対派が徒党を組んで水増ししているんだろうなあと思った。
次に行われたAI絵師のアンケートも結果は変わらず90%が規制を望んでいた。
ここでも自分はネットアンケートは正確じゃないから、と思っていた。
芸能団体の意識調査で90%が反対していても、「特殊なクラスタ」の反対だと思っていた。
で、ついに讀賣新聞のアンケート調査結果が出た。85%がAI規制を望んでいた。
そもそもネット工作って何さ。ネトウヨが言いそうな単語じゃん。
いつのまにかAI肯定推進派が圧倒的多数で規制派が少数派だと信じていた。しかし現実は全く逆だった。
いつの間にか、「AI使用は、全然OKです」と言っていた、創作系インフルエンサーも「規制が必要です」「意見は変わる可能性がある」とトーンダウンしてポジションが変わっていた。
イラストレーターだけではなく人気声優や歌手も世界的に反対し始めた。
冷静になると「こんな他人のアイデンティティをいくらでも捏造してフェイクニュースを濫造できる技術が規制されないはずないな」とわかる。
AIに賛成か反対か以前に、自分は結局情弱だったし、驚き屋に騙されるタイプの人間だった。
今回の一件はそれがいちばんの収穫だった。
なぜ「お笑い」は右へ行くのか
https://anond.hatelabo.jp/20230408014727
これに関しては自分にも「たぶんこうなんじゃないかな」という予想はあるが、この増田とはわりと根本的と言っていいところから認識に違いがありブコメに収め切るのはしんどいので増田に書く。
まず第一に、お笑いが右に行っているという認識自体に疑問符が付く。実際、吉本と維新は距離がかなり近い(元増田では吉本が自民党とべったりと書かれているが、これは自民党内でも特に維新に近しい安倍晋三や菅義偉がトップだったゆえにそう見えただけで、直接距離が近いのは自民ではなく維新だろう)ものの、これに関しては右と左で語るよりも大阪と東京で語ったほうがいいように思える。要するに、維新は「大阪」というアイデンティティに訴えることで大阪において盤石の支持基盤を獲得しているし、大阪の吉本芸人たちもこの大阪アイデンティティに呼応している。
対して、この大阪アイデンティティを離れてもお笑い界全体が右傾化しているのかというと、自分の感覚としては別にそんなことはないんじゃないかと感じている。そもそも大半の芸人は炎上リスクのある政治的話題に首を突っ込みたがらないし、元増田のブコメでいくつも指摘があったように左派的立場を表明している芸人も複数存在する。ほんこんが積極的に右派的発言を繰り返すのが他の芸人から強く支持されているという様子もあまり見られない(むしろ、白眼視されている感すらある)。
ではなぜお笑いが右に行っているという認識が発生するのか。ひとつには前述した吉本と維新の距離の近さがあると考えられる。別の理由としては自分と全く違う意見は印象に残りやすいというのも挙げられる。なぜお笑いは右へ行くのかという疑問を呈したのは坂本龍一だが、左派である坂本龍一からすると芸人が左派的発言をしていてもまるで気にならないが、芸人の右派的発言は強く印象に残ったのではないか。右派的発言をしたのが松本人志のようなお笑い界の代表的人物の場合、実際のお笑い界全体の傾向とは関係なく全体が右に寄っているように見えてしまうというのもあるかもしれない。
ただ、ここまで書いておいてなんだが、お笑いが全く右に行っていないかというとそうでもないかもなとは思っている。正確には、お笑いが抱える本質的特徴ゆえに特別にお笑いが右に行っているということはないだろうとは思っているものの、世間並みに右に行ってはいるだろうなとは思っている。
元々ノンポリや無関心層だったのにあっという間に右に行ってしまうことが近年多く観察されるケースが存在する。それは、定年退職等で時間に余裕ができた結果インターネットに触れる時間が増えた高齢者である。Youtubeでオススメされる中から興味を引く動画を辿っていくと、やがて虎ノ門ニュースやその他ネトウヨ向け動画に行き着く。そして、免疫のない高齢者はどっぷりとハマってしまう。
当然お笑い界にも同じようにネトウヨにハマる人物は出てくる。その代表例がほんこんなのだろう。
ここで疑問として浮上するのが、なぜネットで政治にハマると決まってネトウヨになりがちなのかということだ。なぜYoutubeの政治動画やまとめブログの政治エントリはネトウヨ向けばかりなのかに言い換えてもいい。
自分はこれを面白さの差だと考えている。左の言説はつまらない。対して右の言説は面白い。
元増田に「文化や価値観や道徳の面では左派が強くなっており権力者側である」とあるが、権力という言葉の使い方が比喩的すぎるという点を除けばそう外した認識ではないだろう。現代の(国際)社会は平和、自由、平等、人権、といった普遍的価値を尊重する方向性へと進歩を遂げてきた。だから今では奴隷制は否定されるし、女性や貧乏人にも当然に選挙権があるのである。我々が部外者であるにも関わらずロシアのウクライナ侵攻や中国のウイグルやチベットといった少数民族への迫害を非難できるのも現代社会は普遍的価値を尊重するからだ。もしもその前提がなければ、中国の少数民族迫害の件であれこれ言うのは内政干渉ということになってしまう。
一時的な揺り戻しこそあれど一貫して普遍的価値を尊重する方向へと進歩を遂げてきたのが人類の歴史であり、そして普遍的価値の尊重を中核的価値観とするのが左派である。そうなるとどうなるか。左派の言説はただの常識的なお説教になってしまうのだ。
社会的立場の高いところ、つまり大新聞や地上波テレビなどの既存マスコミであれば常識的であることはむしろ好ましい。しかし、とにかくネットで再生数や閲覧数を稼ぐということを目指す上では、つまらないものはゴミだ。
よく小説の宣伝文句に「最後にすべてがひっくり返る」だのなんだのといったものがあるが、ネトウヨ言説にはコペルニクス的転回というかパラダイムシフトというか、そういった類の面白さに満ちている。
例えば、「これまでの常識:日本は太平洋戦争で朝鮮半島を侵略した加害者である」に対して「真実:韓国は捏造された被害や解決済みの問題を蒸し返し続けて日本にたかっている」が提示されるというのは、従来の加害ー被害の関係性が正反対に逆転するものであり、目が覚めるような面白さがある。自分も子どもの頃オカルト番組の「実はアポロは月に行っていない!」という内容を見てワクワク心躍らせていたが、それに通ずるものがあると言っていいだろう。
しかもこれは単に面白いだけではない。ネトウヨ言説においてほぼ必ず語られるのが既存マスコミや教科書、教師への批判だ。ネトウヨにハマれば、「世間の連中はマスコミや教科書に洗脳されて間違った常識を信じ込んでいるが、自分は真実を知っている」という圧倒的情報強者感覚を得ることができるのだ。これは実に気持ちがいい。専門家のアカウントに突撃して「もっと勉強してください」とか言ってしまえるほどのものすごい自己肯定感を得られる。
左派言説だと「マイノリティは困っていてマジョリティは配慮すべき」というマジョリティとしてはいささか居心地の悪い認識が語られるのに対し、ネトウヨ言説なら上記のひっくり返しを発動して「マイノリティがマイノリティ特権をゴリ押ししてくるのでマジョリティである我々はそれに抵抗しなければならない」という具合にむしろマジョリティこそが被害者であると言ってくれるというのもいい。自分が加害者側にいるように言われるよりも被害者側にいるように言われた方が誰だって気分がいい。
以上のように、ネトウヨ言説は面白いし気持ちいい。対して左派言説はつまらないし自分が責められてるような居心地の悪さすらある。
インターネットという、正しさや妥当さという基準がまともに機能せず、どれだけ多くの人間に受け入れられたかという数字こそが重要な真に「民主的」な空間において、どちらがより良いものなのかは火を見るより明らかであろう。
なので、インターネットが大衆化した現代において世間はいくらか右に行くし、お笑い界の芸人たちも特別な人間ではなく世間のひとりひとりである以上、お笑いもいくらか右に行くことになる。
「お笑いとはこういうものだからお笑いは右に行くんだ!」というふうに考えるよりも、このように考えた方が実態に近いのではないかなと自分は考えている。
俺はそのことに驚いている。
むしろ1人しか走ってない作品なんてよっぽどマイナーなものだけだ。
そんな作品でも誰かがRTA走ったという事が話題になるとその後追いが出てくるんだから。
でもRTA走者って互いにライバルだけど味方でもあるんだよね。
普通のプレイヤーが気にしないようなRTAあるあるで盛り上がれるし情報交換も出来る。
皆で走っているからこそ気づくこともあるし、自分で走ってみると他人がどれぐらい早く走ってるのかも分かる。
たとえば野球をやったことがない人は140kmってのがどれぐらい早いのか分かってないというか、パワプロの感覚から普通に投手として頑張れば皆届くぐらいに思ってたりする。
そもそもRTAだって、普通にプレイして20時間かかるゲームを2時間で走ったっていうのがどれぐらい早いのかはゲームによって変わるんだよね。
会話をスキップするだけでアッサリ早くなる部分、イベントをスキップ出来れば行ける部分、プレイヤーのアクションスキルが問われる部分、バグ技への理解度が必須な部分、お祈り要素を突破する部分、様々なものが噛み合ってタイムは出るわけだから、とある走者の記録がどれぐらいの狂気によって形作られたのかは自分もちょっと狂ってみて初めて見えてくるわけ。
そういうのってRTAを見たことある人は少しずつ分かってくるからさ、結構な人が「自分もなんかやってみるか」と思って挑戦してる。
動画として投稿してるを考慮しなければ日本には数多くの走者がいるんだよ。
圧倒的な強者がいるゲームにはそのヤバサを知りたくて走ってる人がいるし、手つかずのゲームでも「ある程度の記録が出たら報告しよう」と思ってる人間が既に走り出している。
そのことに対してインターネットの情報強者を自称するような連中が今更「えっ!この作品の走者が何人も!」と驚いているのは滑稽だなあ。
ひろゆき論(https://websekai.iwanami.co.jp/posts/7067)を読んで、ひろゆきの根底にあるものがなんとなく分かった気がする。そして、リベラル派に対する冷笑的な態度の理由も。
就職氷河期世代は、1990年代後半から2000年代前半にかけてのバブル崩壊後に就職した世代を指す。日本社会において若年層が深刻な雇用不安に直面した世代だ。このような世代が生まれた背景には、バブル崩壊による経済の停滞や、企業が正社員採用を減らし、非正規雇用を拡大したことが影響している。いわば日本的システムを維持するために若年層が切り捨てられた世代だ。
就職氷河期世代にとってリベラル派は何の役にも立たなかった。氷河期世代は長期にわたって雇用不安や低賃金、非正規雇用などの問題に苦しんでいた。しかし、リベラル派の寄り添う「福祉国家論の立場」も「アイデンティティポリティクスの立場」も自分たちを救うものではなかった。彼らにとって、必要だったのは、より実用的な解決策だった。
日本社会によって切り捨てられた世代にとって「プログラミング思考」は処世術だった。「オワコン」の日本をどうやってハックし、ショートカットできるのか。インターネットを中心としたIT業界は、既得権益層のいない能力次第で成功できる業界であり、就職氷河期世代にとって救いとなっていた。
ひろゆきの世代的体験は、同時に「失われた30年」を現在進行形で体験している彼の支持者にとっての処世術にもなっている。「オワコン」日本は自分たちを救ってくれる存在ではない「情報強者」となって、「集団としての権利よりも個人としての利益を得るために立ち上がるほうが、やる気も出るし、現実的だ」。
著者の結びにある「プログラミング思考を追い求めていけば、いわゆるシステム思考に行き着くはず」という主張については良く分からないものの、ひろゆき支持者が「自己や社会の複雑さに目が向けら」れていないという主張については首肯できる。
でも目的が宗教の汚点に目を向けてもらうことであった元首相暗殺犯のことをさ、
さらにhagexのときも殺人犯にすぎない低能先生に対する擁護論がめちゃくちゃたくさん増田にでてたよね(そんなに通報されるのが怖かったのか?)
ある程度目的が自分に都合がよければ「許す許す」つって加害者を賛美し、
被害者につばを吐いて判決がでてものみこまないでいいとおもいこむ。そんな甘えがいい大人にもある
良い目的を達するためなら殺人犯もオッケー評価するよ、って態度で示してしまってるわけじゃん
それと今回の新聞記者はどう違うわけ?
それにね、30年以上前の赤報隊事件を引き合いに出してバッシングするのはさすがにないわー
なに、同族嫌悪なの?
自分自身の体験からは全く学んでないし、そういうのを抑止するためにできた判決や法律改正も一切評価しないっていうことじゃん。
「情報強者」からおしえてもらった大過去をねちねちとくりかえす。
「社会保障費が高すぎる。若者負担が多く家族を作り子供を産むことが出来ない悪循環を止めるべき」と答える。
既得権益層は「落合陽一・成田悠輔は高齢者差別してる」と触れ回り「既得権益に不都合な議論」をすると干される空気を作る。
同じことがまた起きた。
情報強者のふりをしている「頭のいい」連中に共通しているのは、社会保障の認識については学部一年生レベルの情弱なこと。社会保障の専門家の意見を、本一冊どころ5分で読めるネット記事一本すら読んでない。
社会保障費のGDP比が年金に限っても国際比較で別にさほど高くないことは、検索すれば2分でわかる。要は社会保障なんかに興味がないというか、「頭のいい」連中の界隈では、社会保障に無知なことが賢いことになっているのだろう。