はてなキーワード: 幼児とは
とはいえ完全に信じてるんではなく
「ありえそうだなあ(9割方ねえだろうな)」で心躍る感じが好きだった
てか、陰謀論探してる時に検索でこの手のツヤがない説がめちゃくちゃ出てきてウザイのでもはや腹立って仕方がない
具体的には
・幼児を拷問して抽出されたアドレナクロムをハリウッドセレブが摂取してる
・豊島
腹立って腹立って仕方がない
せっかくの楽しい陰謀論ウォッチに邪魔だしとにかく萎えるんだよマジで
しかも悪いことに「100%ありえねえ系陰謀論」が「1割ありえそう系陰謀論」より圧倒的に露出が多いのがなあ……最悪だわ
余談だけど、
個人的に最近日常生活で俺の陰謀論者センサーがビンっビンに反応したのは麻布台にある" 東京アメリカンクラブ" なるすっげえ綺麗で立派な施設
ひょんなことから数分間だけここに立ち入る機会があったんだけどここはマジで仰天したぞ
だってロシア大使館の真隣にあるんだもん、こんなもん嫌でも陰謀論センサー反応するだろ
西麻布の星条旗新聞社も「うわー一等地を占領されてる!」とギョッとしたけど、東京アメリカンクラブという存在の異様さは比じゃなかった
この施設の裏について詳しい人いたら教えてくれ
タレントには罪がありません、ジャニーズから移籍して他の事務所に行って今まで通り活躍すればいいってのは本気で言ってるの?
組織ぐるみで性犯罪を長年隠蔽し続けてきた関係者を事務所移籍したからってそのままお茶の間に出すの?ジャニーズって幼児向け漫画雑誌にたくさん登場してるのよ。同じように出せるか?ジャニーの思想はズブズブよ?
実際に事が明るみに出たあとの彼らの反応見ろよ。それでもジャニーズというものにしがみつき、Show must go onとか空気読めずに言っちゃったりしちゃうわけだよ?
現状を見て分かるようにジャニオタってのは業が深くて、こんなことになろうとも金払ってくれるのはわかっているので、今まで通り金を稼ぎたいメディアはタレントまで潰されては困るから持っていきたい落とし所にしか見えないし、あるいはジャニオタ自身が自分たちの娯楽を必死に守りたいが故の論調にしか見えないのよね。なんせ1200万人もファンクラブ会員いるらしいのでね。
ジャニーズの思想を持ったまま他の事務所言っても同じ悲劇が繰り返されないとも言い切れないし、事務所、タレント、メディアそしてジャニーズオタク全体が改心出来ない限り、男性アイドル、特に若年層のアイドルなんかメディアに出てくるのはやめて欲しいね。
職場とか学校だと欠勤すると必ず連絡があると思うけど保育園幼稚園だとなぜしないんだろ
全員揃うことの方が珍しいとか?
親が登園したらチェック表にチェックするとかそんなんでも違いそうだけど
ふと、ハマってるうちの一人がまったくつぶやいていないことに気が付き、
LINEで別件の連絡をしていたついでに
「行ってたよ」というので、
確かちょっと前にも行ってたなと思い出して、
「あーやっぱまた和歌山だったんだ。そんなポンポン遠征できてすごいな」と返事をしたら、
「そういう反応になると思ってつぶやかなかった」と言われた。
こっちは「平日働いてるのに土日使って遠征できる体力がすごい」という意味だったが、
友人としては多分「いい大人が幼児向けコンテンツのために大枚はたいてしょっちゅう遠出してみっともない」
的なリアクションを恐れていたのだと思う。
で思ったんだけど、それ以外のメンバーはふつーに大はしゃぎでツイートしてんだよね。
「いい大人が~」的なリアクションをまったく予想できていないわけではないと思うんだけど。
学生時代、ゼミの教授の師匠の所に手伝いに行くのがそのゼミの習わしだったんだが、お師さんを囲んで門下生が話をしていた時に、向こう側の扉の影からゼミの教授(50代ほど、男)が身体を半分隠してニコニコしてこちらを見ながら隠れんぼのような事をしていたのを見た時、心底ゾッとした。普段どんなにヒステリックに偉そうな事を喚き散らそうが、結局親も大学教授でボンボンとして生きてきて幼児性が抜け切っていない、親の七光りで甘い汁を吸ってのうのうと生きていただけの底の浅い人間ではないかと幻滅して自分は卒業後その界隈から立ち去った。(途中幻滅のあまりに退学まで考えたが伝えた所親族が悲しんだので我慢して4年で卒業はした)大学教授に人間性なんか求めてはいかんのかもしれんし、自分が潔癖過ぎる、我慢弱いだけなのかもしれないが。「カワイイ〜www」とか蔑みか哀れみを感じられれば良かったんだが。そいつが教授じゃ無ければ今も自分はそのままの方向で地元で生きてたのかもなーと思うと勿体無い気はする。
子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である、共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対に負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人の意思や願望でもうけるもの」から、個人、および共同体の持続性に必要不可欠なものと位置付け、税のように広く必ず「共同体で負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由と人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育ての負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率が改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。
【出生率低下の原因】
・現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人の意思でコントロールできるようになった)。
→出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業の労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊、堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフの関係だった。
→しかし現在の日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった
→子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。
・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由は経済や環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供の位置付けが生産材→消費財へ)
・原因は子作りや結婚の経済や環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。
→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから、個人の裁量の対象になり、個人の志向
に依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまったから)
・理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的に存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。
・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分の時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。
・先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性の育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児の負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担の問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要。
・個人が自分にとって最適な行動(コストや負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する
・過去と比べた場合の出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済や環境で諦める対象になった。子作りにおける世代間扶助より自己実現を優先)経済や環境は原因ではなく結果。
・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる
・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己の利益を犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。
・社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている
・教育費が高い問題→子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。
・負担を回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いかに負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理、摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする
・子作りは楽ではなく、元々大変なもの→問題なく少子化が解決できる「魔法の聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。
・移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人の少子化問題は解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成が移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。
・少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。
・出生の機序と誤解
→子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。
・そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供は本能や希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれた子供に愛情が芽生えるのであって、愛情が最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。
・労働ややりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命の大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしまう
・子作りは生物学的原理なのに、個人の価値観の対象としてとらえらてしまっている。→生物は自己の価値観に合致しているから子供を作るわけではなく、あくまで本能。人間は生物額的本能が退化してしまった可能性がある。
・共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人の利益と相反)共同体というプールがあるから、人間が存在できる。一代(今の自分自身)の人間の利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間は少子化によりどんどん存在できなくなる。
・選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス」江戸時代の農村は結婚相手が限られていた
・「出生率向上の目標」は子育て環境の満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力は出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率の数字向上を重要視する(少子化は感情やモラルや倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)
・子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。
・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化のデメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化は時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。
→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境を改善しよう」と雀の涙の給付と無責任な念仏を唱えるだけ
・子作りは自由だから逆に責任が生まれ、責任回避の動機から減ってしまう。
子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単。動物の繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会で性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率が改善しにくい原因は子育て世代の人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現や生活水準を我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要。
・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代間扶助」)の重要性を教え、その価値観を社会と共有する
→親や先祖による世代間扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由や人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。
→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から、社会的に共同体にとって「絶対に必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。
→子作りを義務的に考えれば、必然的に教育競争は弱まる。現在は自由意志だから結婚も子育ても競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。
↓↓
・社会的に解決困難な課題、個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担を社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代も事実上、ルールとして意識されていた。
①ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代の希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚し子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。
(個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からのセオリー、例えば税金は貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)
子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康に問題がある人は除く)
・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーションや環境に左右されてて必要な出生率を確保できない)
(政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物に共通する、共同体が持続するための『世代間扶助の原則(負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)
・個人の「幸福の手段」の一つとして子作りを位置付けるから、幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福の手段という位置付けだから、基本「勝手に自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人の存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ、政府も会社も社会も負担を受け入れて協力的になるはず。
②有利不利で動機付ける
・実質的な「子なし税」の導入
人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得の10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担の原則からいっても、共同体の構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある
・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定)
一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。
財源節約には、最初の動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。
良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先の労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。
・誰でも使える認可保育園や学童保育の24時間営業(バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)
繰り返すが、人権や個人の自由などを一部、我慢して、仮に自身の環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人も少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。
カレーも肉じゃがもすき焼きもコロッケもメンチカツもハヤシライスでさえも豚。
親戚や友達を呼んでのバーベキューでは少しではあるが牛肉も入るので、妻の家独自の家風なんだと思ってた。
ところが、ひょんなことで妻の実家の近くの肉屋に惣菜を買いに行ったら、肉屋なのに豚肉と鶏肉しか置いてない。
山田うどんっていう埼玉のローカルチェーン店に行ったら、モツ煮が豚モツ。
妻の実家は埼玉県南部なんだが、北に行くと焼き鳥さえ豚肉らしい。
埼玉のディズニーランドと呼ばれるサイボクというアミューズメントパークがあるそうで、豚が主役らしい。
埼玉種畜牧場(さいたましゅちくぼくじょう)だからサイボクなんだってさ。年間入場者数が鴨川シーワールドを抜いてるそうで、そう聞くとすごい。
埼玉のアミューズメントといえば、西武ゆうえんちとか東武動物公園なのかと思ったら、まさかのサイボク。
行ってみたら、ディズニーと比べるのはあまりにも失礼なほどしょぼかった。
豚をみることが出来るショッピングパークというか、レストラン街というか、ちょっとした幼児向けのアスレチックくらい。
でもすごい人気。
ファッションについて考えることはわたしにとっては終わりのない宇宙について考えるようなもんだ
ファッションの系統が綺麗目とかカジュアルとかエスニックとか着物とかギャル系とか決まってたら考えが固まりやすいが
育児のために汚れや摩擦をそれほど気にしなくてもいい、ミルクを吐きかけられても気にしなくていいカジュアルな服が必要だし
自分的には綺麗目のきちんと見える服、真面目そうに見える服も着たい
自分がほしい服が育児のことを考えると買っても着れないということが多々ある
もちろん、私の子供と同い年の子供を育てていてもおしゃれなワンピースを着こなしてるお母さんもいる
私も女性らしい格好がしたくて、プレ幼稚園にロングスカートをはいて挑んだらもう足さばきが悪いわ踏まれるわ動きにくいわで悲惨だった
子供の遊び場にロングスカートをはいていったときも、踏まれるしおもちゃについてる粘着テープがスカートにはりつくしで散々だったなあ
かといって短いスカートなんかはいて幼児と遊べない。下着を隠す見せパンが見えまくってるのもなんだかなって思うし
話がそれたけど、服と服の組み合わせを考えてたらキリがないなあと言う話がしたかった
ミニマリストなら服は数パターンで決めてしまうんだけど、私は無限の選択肢の中から自分なりのベストを産み出そうとしている
Tシャツにジーパンみたいなシンプルファッションでは満足できなくて、ビスチェとかベストとかでアレンジしたい!という気持ちがわいてくる
まだ三次元に執着してるの?
キンモー☆
視姦は「Yes,Lolita! No,touch!」に該当しないと思ってた?
そんなことないよ。
お前みたいな奴から怪しい視線を向けられることで女児は本能的に怯えるし、親は不安になってストレスで子供を無駄に叱るようになる。
お前らが三次元相手に性欲を燃やし続けてるせいで、いつもどこかのロリが不幸になってる。
あれが市場に存在することでどこかにカネに困った親が子供をビデオ会社に売り払うわけだよ。
そして出演させられた女児は一生心に傷を負うわけ。
まあ確定ってわけじゃなくて中には生まれながらのビッチも実在してると思うんだけど、そうじゃない子の方が圧倒的に多いと思う。
顔出しで出演してるIVは一生消えることのないデジタルタトゥーだ。
ネットで検索してみればAVやIVの出演歴を公開してる人が沢山見つかるよ。(リアルがつらくて創作物で済ませたいなら、スマホを落としただけなのにやファブル辺りがオススメ。それ以外の要素も面白いので)
幼少期に一生分の恋愛とセックスを済ませでもしない限りは、非対称性の性欲に死ぬまで固執することになる。
SとMみたいに実際にはどこかで対等であるなんてことはロリコンには存在しないよ。
ナボコフは「ニンフェット」という存在を定義することで、さも中年の側がロリに振り回されることで対称性をロリコンにも生み出せると考えたけど、そんなのは「幼さの割には賢いので生まれつきのスペックでは相手が上なはずだ」という部分によって無理やり下駄を履かせただけで、結局は大人と子供の非対称性はいまだ存在し続けてるわけだよ。
そもそも、ロリコンがある種の純粋悪であるというのはロリータのオチが物語っているだろ?
出産適齢期でない人間とセックスをすることはどうしようもない悪であり、これは前田利家だろうがムハンマドだろうが単なる無知を理由に許されていただけの絶対的な悪徳なんだよ。
二次元の世界だけがロリコンが性欲を発散して良い唯一の場所なんだ。
三次元が相手でもテレビのパンチラ画像集を集めたサイトを見てシコシコするぐらいなら大丈夫だと思っているのか?
そんなことはないぞ?
お前がそうやってアクセスしたサイトはお前らが稼がせてくれたアフィリエイトに味をしめてドンドン過激な画像を投稿するようになる。
自分はそういうのでシコシコしないから大丈夫だなんて本当に思っているのか?
「上にも広がっているので単に何でもアリになっただけだ」と主張するなら、それはむしろよりアウトなんだよ。
なんでもアリになったということは、倫理的にアウトなものもアウトになっているってことじゃないか。
より刺激的であればいいと考えれば、それは過激さを求めてドンドン低年齢なものに寄っていくし、より貴重なものを求めてリアルな盗撮なんかに手を出すのも時間の問題だ。
三次元に性欲を感じてはいけないのは、この世界が結構無防備であり、同時にすぐに犯罪に関わってしまうからってのもあるんだ。
たとえばキミが遂にペドフェリアになったとき、女児のスジマンを拝見したいと思ったとしよう。
するとキミは「子供の写真をただネットにアップしただけなのに児童ポルノで捕まった人がいるらしい……閃いた💡」となるわけだ。
グーグルに「プール 子供 裸」と打ち込んだりするわけだな(❗まさかこれだけでは出ないだろと試しにググったんだけど、辞めたほうがいいかも知れません。試すと変な足跡が残るリスクがあるので皆さんは検索しないことをオススメします❗)
そしてそのあとは検索ワードをどんどん最適化させて遂には、「ビニールプールで我が子を水浴びさせている様子を正面から撮った画像をそのままアップしている無防備なブログ」なんかに出会うわけだ。
そしてキミはそれでオナニーをする。
するとここでキミの脳に恐ろしいことが起きる。
人間はオナニーしたものを学習してそれを性と結びつける最悪の学習機能を持っているんだ。
キミがオナニーするたびにどんどんリアルの女児まんこが君の中で性の対象になっていう。
同時に耐性もついていくのでどんどん刺激的なものを求めるようになる。
たとえば幼児の泌尿器手術について教える学術的な動画なんかを検索したりするわけだな。
そして最後にはダークウェッブに行って、マジでヤバイ動画を見て、最後にはるろうに剣心の作者みたいにそれを買う側になるわけだ。
終わりだよ終わりこうなったらもう終わりだということは分かるよな?
でもその前、君が単なる無防備ブログにアクセスした時にもう君はこの世界の敵になっているんだぜ?
君がアクセスしたことでそのブログが少しだけ検索エンジンで上位に来るようになり、君のようなロリコンにどんどん目をつけられる。
加速度的にアクセスが伸びればどんどん簡単なワードでひっかかるようになり、最後にはそのブログの知り合いに見つかるわけだ。
女児マンコを晒してるページだけやたらアクセスが伸びているのを知った親はきっとショックを受けるだろうし、当の本人が知ったら心にモヤモヤが残るだろうな。
下手したら「隣のクラスのAの子供の頃のマンコがネットに上がっていたぜ!俺それでシコシコしちゃったぜ!」なんて学校で騒ぐ奴が出てきたりしたらもう地獄だろ?
悪なんだよ悪。
ネットを使わなければ大丈夫なんてことはなく、ネットを使わずにリアルでやったらもっとヤバいのは分かるよな?
小学校のプールを双眼鏡で覗きこむとか、幼稚園の出したゴミを漁ってオムツやおもらししたから捨てたパンツを拾ってくるとか、銭湯に女児が入ってくるまでサウナで時間を潰して入ってきたらシレっと近くに座って横目で乳首を見るとか、そういったことをするのはもう一発レッドカードなわけだ。
吹き上がった性欲のコントロールのしづらさは「明日はテストだからオナニーしてる場合じゃないんだけどな~~~」と思いながらもダラダラとシコってしまった学生時代の記憶とかを数えてみなさいよ。
あのね、脳を調教するんだよ。
脳に「俺は二次元でしかオナニーしない人間なんだ。二次元はセックスが出来ないから、俺の人生にセックスはもう存在しないんだ」と刷り込みなさい。
365日のうち1日たりとも三次元でシコらずに過ごした年月が5年もすれば、自然と脳が三次元への性欲を忘れ始めるから。
君ね、ロリコンの癖に二次元一直線でないというのは今の時代においては紛れもなく悪だよ。
二次元が発達してるから日本の性犯罪は少なく、多くの子供がロリコンから守られているのを知りながら、自分は三次元に性欲を向け続けるなんてのはね、犯罪者予備軍であり続ける愚行権の行使でしかなく、その愚行権のあり方は悪そのものなんだよ。
何度も言うが、二次元でだけシコれ。
わかったか?
幼少期には少なくとも同年齢の対象を性的に見ていたが、成長するにつれて、
周囲の人間は、一緒に対象年齢も上がって行くのに、自分だけはずっと好意を持つ対象の年齢が上がらないという経験をするらしい。
小児性愛者の脳をスキャンした研究では、小児性愛特有の脳の発達の遅れがみられることから、
小児性愛が先天的と言ってしまうと、子供時代からずっと歳下が好きっていうことになってしまう気がして、意味がわからないなと思った。
同性愛者は幼少期から同性にしか惹かれなかったということ?とか思って、
幼児期には歳下が好きというと胎児や赤ちゃんが好きだったってこと?と疑問に思う。
小児性愛者にも幼児だった時代があるはずなので、恋愛対象と同世代の時期があったことになるはず。
なので、小児性愛が先天的なものと言われると、何を言ってるのか意味がわからなくなった。
自分には、小児性愛者は恋愛対象の幼児と同世代だった時期から大人になれなくて、子供時代の精神状態から抜け出せてないだけに思える。
幼少期に同世代の異性(または同姓)に何らかのトラウマを植え付けられ性の対象にできなくなったか、
幼児が好きなんじゃなくて、自分より強い人、自分と対等な人、自分に反抗してきそうな人が怖いだけなんじゃないの?
自分に逆らわなくて、
お願いしたらなんでも言うこと聞いてくれるくらい無知で、
そんな都合がいい性の対象がほしいだけに思える。
そんなのを相手に期待することが愛なの?
反応をするダッチワイフや虐待用のペットが欲しいみたいに思える。
オナホよりも高等な、リアクションが返ってくる性玩具が欲しいみたいに思える。
そんなのとセックスしたい気持ちを愛だと思えないから理解できない。
同性愛と小児性愛を並べて語る人を見ると腹が立ってしまうくらいだ。
小柄で従順で、体つきや性器の見た目が子供みたいな状態の、無知で抵抗してこない、都合の良い大人がいればその人が相手でも満足できるんじゃないの?
小児性愛者は大人が怖いから、自分より弱そうな幼児に逃げてるように思えてしまう。
話が通じない人だなと思って非表示にしたはずなんだけど、自分が絡まれてみるとやっぱり話が通じてなくて面倒くさい。
自分は性的嗜好は後天的なものだから治療しろという話はしていない。
小児性愛は同性愛と違って性的指向じゃないと思うって話は多分している。
あと男→女の小児性愛に限定した話にすり替えてる人がいるけど、
自分は女→男の小児性愛も同性の小児性愛も全部同じと思って話している。
昔Twitterをしていた時に、友人の女性が美少年の画像をツイートするアカウントをフォローしていたのを見つけてしまったことがある。
半裸の男の子や全裸の男の子の画像がたくさん無断転載されたアカウントだったのでその友人を軽蔑してしまった。
あれを好きでみている人も性加害者の仲間だと思う。
それから、幼児=大人に勝てない生き物として考えているだけであって、年齢が離れている人同士の恋愛についてが主題じゃないから熟女趣味の話は関係ない。
熟女は万が一のことがあれば相手の男を包丁で刺し殺せるかもしれないけど、幼児が大人を刺し殺すのは難しい、
みたいに、幼児というものは大人から見て絶対に格下の相手だから問題視している。
この投稿を見て少し安心した。自制できている人もいるんだな、って。
自制しているなら、私は完全に共存できる。むしろ一緒に悩んで考えたいぐらいだ。
というかさ。異性愛者だって普通は自制してるじゃん。セクシャリティなんて、全員隠せばいいと思う。
異性愛者だって、たとえばパンツは脱がないで穴を開けて欲しい、それじゃないとやれないとか、
本当は赤ちゃんみたいに扱ってほしいとか、
きもい願望がいろいろあって、それを社会生活では隠して生きているんだよね。
そんなの、よっぽど安心した相手にしか、たぶん人生でよくても数人しか見せなくていいんだと思う。
…と書くと、投稿主は誰にも見せられないことが苦しさの原因になっちゃうわけだけど、
これは各方面からポリコレ棒で殴られることだし、投稿主にも不快な思いをさせてしまうのかもしれないけれど、
投稿主がちゃんとした、自制できる、責任感のある人だと感じたから書いてみると、
小人症の人(体が小さい)とか、知的障害の人(知的な面での純粋さを残している)とかと、
要素を分解して、付き合うわけにはいかないの?
たとえば異性愛者だって、「本当はこんな人が理想」という姿があっても、
だいたい理想の人とは付き合っていないわけで。
「異性愛者」「同性愛者」「バイ」「小児性愛者」「アセクシャル」みたいに
ラベリングして分けるためじゃなくて、
いろんな組み合わせが考えられるからなんじゃないかなと思うんだよね。
https://www.youtube.com/shorts/UOcWxo5C-dI
一応貼っておくが閲覧注意だ
結婚する前に兄が「かわいいだろ?」と見せてきた義姉の動画があった
動画を見ていくと、義姉はポケモンカードを開封して、お目当てのカードが出なかったから顔をぐしゃぐしゃにして泣いているということがわかった
俺はこの人は紛れもなくキチガイだと思い恐ろしくなったし、それを微笑ましそうに見る兄も自分が知ってる兄ではないと思い本当に震えた
そんな女の親がまともなわけがなく、こちらはちゃんとした手土産を用意しているのにあちらの家族はコンビニで買ったチョコとマウントレーニアをぶら下げてやってきた
その時点で両親の顔は引き攣っていたが、息子のために笑顔でやりすごしていた
ここまで書いて気分がまた悪くなってきたのでやめるが、意図して犬系彼女をやっている女とならいいが素で犬系彼女である女との結婚はおすすめしない
もともと甘いものが好きで大学進学をきっかけに一人暮らしをするようになってからは、食事代わりにケーキやアイスなどを食べ、好き放題やっていた。
大学で彼氏ができて同棲するようになってからも、食事はコンビニか外食、たまに彼氏が料理をしたが、彼氏は料理をしても洗い物はしないので(信じられないことに、彼氏は3日前の洗い物がシンクにあっても隅に寄せて、洗い物はそのままの状態で料理をしようとする。)私は「洗い物しないなら料理しないで!」といい、よくケンカになっていた。
その彼氏と20代後半で結婚したが、結婚後、夫婦とも激務で夕食は別々でとることが多く、私は相変わらず食事はコンビニか外食だった。旦那とはたまに予定をあわせて飲みに行ったり、旅行に行ったりしていた。
30代半ばで子供が産まれ、離乳食を作らなくてはならなくなり、そこで初めて私は自炊をすることになった。
子供が2、3歳頃までは離乳食や幼児食を作っていたが、子供も大人と同じものを食べることができるようになってからはやはりほとんど自炊せず、惣菜、コンビニ、外食ばかりになっていた。
旦那は相変わらずたまに料理はするが(作るのは大人向けの、自分が食べたいものをつくる)洗い物はしないので、そのことでよく夫婦喧嘩になっていた。
ところで、旦那は取引先の協力依頼により、新鮮野菜の宅配サービスをとっており、2週間に1度うちには野菜が届く。上記のような生活なので、新鮮野菜を使うわけはなく、ほとんど腐らせて捨てることになる。にもかかわらず、旦那は野菜の配達をとることを辞めようとせず、このことでも、よく夫婦喧嘩になっていた。
私は現在アラフォーだが20年以上コンビニや外食生活を続けてきて、流石に飽きてきた。コンビニでスイーツを見ても食べないと思わなくなった。
そんな時に旧Twitterのオススメに超短時間でできる簡単料理がでてくるようになり、ふと、作ってみるか、という気になった。
そこからは、超簡単にできる料理をブックマークし、家にある野菜を使ってぼちぼち料理をするようになった。新鮮野菜は新鮮なうちに使えば当然おいしく有難いという気持ちになった。
ここまでくるのに時間がかかったが(以前の生活に戻ったら歳取った時にヤバいという自覚はあるので)なんとか老後までぼちぼち料理をする生活を続けていきたい。
あとここまでくるのに何度も旦那とは離婚しそうになったが、旦那は私が料理をすると大喜びするので、何とか関係を維持したまま老後までいきたい。