はてなキーワード: 国公立大学とは
・父
・母
・第一子 (以下,私)
・第二子 (以下,二号)
2002年生まれの大学3年生.幼稚園から大学の学科まで私と同じ.
・第三子 (以下,三号)
大学に行かせてくださいと私が頼んだ時,父は以下の条件を出した.
・理系の,
・国公立大学に,
・予備校などには頼らず,
・現役で合格すること.
これら全てを満たせば学部を卒業するまでの生活費も学費も払ってくれるという.
私の高校は進学実績が落ちてきてはいたけれど進学校で,教育費には糸目をつけない親を持つ同級生が多くいた.
同級生たちよりも厳しい条件で大学受験に臨むことを不満に感じなかったと言えば噓になる.
が,学費を払えなくなったり,子供ができたりして高校を中退した中学の先輩を数人知っていたので,彼らに比べれば自分はずっと恵まれた環境にいるということを私は知っていた.
そして私は父の出した条件に従うことにした.
・A大学
通学時間は片道2時間.興味のある分野について学べるが,定員が少ないうえに後期試験がない.センターリサーチではC判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・B大学
通学時間は片道2時間半.興味のある分野に関連する学科はないが,設備が充実している.センターリサーチではB判定.二次試験は苦手科目の配点が大きい.
・C大学
通学時間は片道1時間.興味のある分野に関連する学科はないし,設備も充実しているとは言い難い.センターリサーチではA判定.二次試験は得意科目の配点が大きい.
A大学にどうしても通いたかった私は,合格の可能性が低いことを分かっていながら前期試験はA大学を受けることにした.後が無いので後期試験は安パイのC大学に出願した.
私はC大生になった.
入学一週間後には,自分が大学の下調べをかなり怠っていたことに気づいた.
シラバスを読む限り1年生の講義は高校の復習と言って差し支えなかった.2年生以降も,うちの学科はさして専門的な講義はないらしい.
1年生の時点で,大学で新しく勉強を始めたものは必修でもないのにとった第二外国語くらいだった.
やる気を出さないまま1年生の前期が終わった.GPAは4だった.
私は頭が良いと同期たちがあまりにほめるので,「いやいや,センターの数学で65%しかとれないくらい勉強苦手だよ」と事実を言うと,めっちゃ頭いいじゃんと返された.
やる気を出さないでいるうちに色んなことができなくなっていった.オンラインなのに講義を毎日欠席し,部長まで務めていたサークルを無断で辞めた.
堕落しているのは自分なのにC大学を見下す気持ちが強まっていく.
その頃,高校1年生の三号が志望大学を決めた.東京で一人暮らしをして文学部に通いたいらしい.個別指導の塾に通うし,滑り止めで私大を受けるし,浪人も視野に入れているという.
一体どんな手を使ったのか,三号は頑固な父を説得して自分の望み通りの条件で大学受験をすることになっていた.
私は理解できなかった.親の方針って,絶対的なものではなかったのか.大学に入ってからの この3年の月日は何だったんだ.
親に制限されたからぱっとしない大学生活を送ることになったのだと,私はこれまで現実逃避してきた.本当は違ったのだ.
与えられた状況に流されるまま行動してきた結果がこれなのだ.
はっきり言ってこれは逆効果だった.
医者に,「私は学歴コンプがあるんです」なんて恥ずかしくてとても言えない.
結局2度目の3年生の春にまた自殺未遂をし,大学病院へ転院することになった.
だが,新しく処方された薬でやる気のなさが改善し大学へ通えるようになった.
真面目に大学へ通い始めて,うちの大学には親切な先生が多いことを知った.
通院でどうしても講義を受けられないときは代わりに課題を出せば出席扱いにしてもらえたし,語学試験を受けたいと第二外国語の先生に相談したら週1でレッスンをしてくれた.
特に親身になってくれたのが指導教員で,色んな学術書を貸しては解説をしてくれた.
進学の準備を始めた矢先,自分でもどうしてだか分からないのだが自殺未遂をしてしまった.入院しましょうと主治医が言った.
その部屋には布団とトイレと監視カメラしかなかった.部屋には何も持ち込めないので情報収集も勉強もできなくなった.
数日後に読書が解禁されて,父がたくさん本を買ってきてくれた.一日中本を読んだ.ただ本を読むことに没頭できたのは小学校時代以来かもしれない.
入院しているうちに気持ちが落ち着いてきて,2カ月ほどで退院することができた.
入院したことで準備が間に合わず,C大学以外の大学院は受験できなかった.学科内の同期で内部進学をしたのは私一人だけだった.
昨日の朝二次試験のために東京へ行く三号と両親を,二号が車で駅まで送っていった.飲んでいる薬のせいで私は運転できないから家に残った.
夕食後の薬を飲むといつもは副作用で起きていられなくなるのだが,今日は目がさえて眠れない.
二次試験を受けるのは私ではなく三号なのに緊張してしまっているようだ.
三号への感情は羨ましい妬ましいという気持ちと,私ができなかった分も大学生活を満喫してほしいという気持ちがないまぜになっている.
春からは三号に対して学歴コンプを抱くようになるのだろうか.今すぐにはできなくても少しだけでいいから,いつかは克服したい.
・野茂英雄は大阪府立成城工業(平凡な無名校)時代にはもうすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・小笠原道大が高校通算0本塁打ながら恩師のコネでNTT関東野球部に入社できたのは本当だけど、暁星国際高校時代にはすでに高卒ドラフト候補にはCランクながら名前が挙がっていた
・ヤクルト青木宣親は東京六大学通算0本塁打(ちなみに投手の江本孟紀でも六大学通算7本塁打)
・高卒入団即16勝で新人王を獲得した怪物松坂大輔は、実はオープン戦ではボロっカスで本来なら開幕一軍先発ローテ入りなどありえないような成績だった(防御率6点台)
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
・「長嶋茂雄の巨人入団まで、東京六大学野球こそが野球において花形でプロ野球より格上だった」というのは大体合ってるが、
その遥か以前から野球のレベル自体は職業野球のほうが別次元に高く、また給料も当時の財閥系大会社の部長あたりより良かった
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)
・大阪桐蔭や仙台育英や東海大相模のような甲子園優勝校より東京六大学のほうが圧倒的に強い(東大野球部でもいい勝負かも)
tool-assisted speedrun, もしくはtool-assisted superplayの略であるTAS.
そのプレイを行なっている人をTASさんとネット上では呼んでいる.
ネットでは、凄腕海外ニキやロシア幼女だの言われているが、俺はリアルでTASさんにあったことがある.
俺は当時仕事で機械学習関連のことをしていたのだが、TASさんとは機械学習系の勉強会で知り合った.
彼の学歴は、MARCHと同じくらいの国公立大学の情報系の出身.
TASさんの当時の職場は、いわゆるメガベンチャーのどこかであった.
TASさんが勉強会でプレゼンをしたのだが、3Dグラフィックが凄まじい、カッコいいプレゼン資料を使って発表していた.
聞いてみると彼はパワポといったスライド作成ツールを使わずに、
自力で開発した3Dグラフィックモリモリのプレゼンツールでプレゼンを行なっていた.
もちろん発表の内容も、最先端の機械学習技術を盛り込んだ素晴らしい内容であった.
そこで彼が大学時代にとあるゲームのTAS動画を作っていたTASさんであることを知った.
そこで発表された、割と話題になったデバイスがあったのだが、先行発売で会場で買えるとのことで、俺も買いに行ったのだが
TASさんは列の先頭に並んでおり、販売開始と同時に、100個くれ、と言って買おうとした.
先行発売ということで販売側もたくさん買われる想定をしていなかったので、数を用意していなかった.
TASさんがたくさん買おうとした結果、販売個数に制限が設けられることになってしまった.
TASさんに聞くと、日本に帰って売り捌こうとしていたらしい.
このようにTASさんはとても優秀だが、商売気のある人物でもあった.
彼は大学時代、周りの友人が金持ちばかりだったらしく、それに憧れて自分も富裕層になりたいと願い
そのために本業の仕事以外でも精力的に活動を行い、努力していた.
休日は開発の仕事を請け負い、それで得たお金を全て不動産投資に突っ込んで家賃収入を得て、どんどん資産を増やしていった.
その不動産投資は、自分の機械学習の知見をフルに発揮し、相場よりも割安な物件を割り出すシステムを自分で組み、
不動産流通システムのREINSをクローニングし、割安な物件を見つけては、リノベーション等を行い、相場通りの家賃で貸し出すというビジネスを行なっていた.
そのビジネスが順調だったようで、彼はメガベンチャーの職場を退職し、自分で会社を立ち上げた.
その後はほとんど会わなくなってしまってSNSで流れる情報でしか追っていないのだが.
TASさんはAIシステムを開発し、テレビに専門家として呼ばれて話をしていたのを見た.
そしてその会社は同業の大きな会社に買収され、その買収元の会社はアメリカで上場してしまった.
そういう次元の問題じゃあないんだね。ただひたすらに頭がおかしいとしか言えない
自認・自己決定で全てを決めるべきを押し通すなら、
トランスエイジ(本人の自認する年齢と実年齢が違う)もトランスレイシャル(本人の自認する人種・国籍と実際の国籍やルーツが異なる)を認める他ないよね
『個人のアイデンティティ形成は、個人の自己決定に基づいて形成されるべき』は支持するよ
建前とかじゃなくて本気でね
『今日から僕はおばあちゃんでーーーす』『17歳でーーーす』『アフリカ系アメリカ人でーーーーす』とか言われても社会は困っちゃうのよね
社会のロールで人を縛らない世の中にしていこうには賛同するけど、
戸籍法や厚生労働省履歴書様式例のテンプレートとの整合性はつけて欲しい
でもこれ国公立大学内でミスコンやってたりするの許容してるのと根っこは同じだと思う
この時代にあえて「男らしさ」「女らしさ」
ほんとジャップランドはなるべくしてこうなったって感じですわ
一世代前ならパワーカップルも産んでたし保育園死ねとかいってたんだけど
出典 https://news.yahoo.co.jp/articles/1b094d06b12d71234fbb537ba7bb6e12a772c716
ほんで私立なんか少子化で適当な偏差値の大学がバカスカ潰れてるし。
コロナで遠隔授業しろといわれると「きれいな校舎、安くておいしい学食、たのしい実習旅行」をそろえて学生を勧誘する意味もない。
本来なら大学生にやってもらいたい仕事は外国人留学生だの高齢独身派遣だのがやすい給料でしている。
ほんだら、全員入学できるのに、しないわ。
バイトの片手間にネットみて親の金(元学資貯金)でゲームのガチャでもまわしてたほうがいい、賢くなれるし。
親も鬱にでもなられるよりそっちのほうがいい。
キャラに金は出すが現実同士ではおごりおごられもないガチャ厨同士がどうやって恋しろっていうんだ
どちらも学ぶ内容は似通っているからだ。
しかし、その上で文学部と法学部まで併願するのは理解ができない。
高校で長い期間をかけて大学入試のための勉強をしておきながら、大学の4年間で何を学ぶべきかを決めなかったの?
文学と法学とでは学ぶことは大違いだけど、併願するってことはどちらを学ぶことになっても構わないってことなの?
大学入試時は最低でも17歳だけど、それだけの年齢になっておきながら自己を確立できなかったの?
例えば私だと、中学の理科で電気回路の問題を解くのが好きだったよ。
高校の理科でも物理を選択して、そこでも電気分野が好きだったから大学でも電気を学ぼうとしたよ。
工学部の中でも電気系の学科は他の学科に比べて就職が有利で、インフラ関係などの安定した企業に就職できるからという理由もあるけどね。
大学受験ではいろいろな大学を受けたけど、全て電気系の学科を受けて、機械・情報・建築などの他の学科を受けることは無かったよ。
残念ながらセンター試験であまり点数が取れなかったから、国公立大学はあきらめて地元の私立大学に進学したよ。
大学入学後は大学の勉強と併せて電気主任技術者(電験)の勉強をして、在学中に資格を取ったよ(それでも、一番簡単な第三種のみだけど)。
そして、高校生の時から考えていた通りにインフラ系の企業に就職したよ。
私の話はこれくらいにして君の話に戻るけど、慶応大に入学できるくらいに勉強してきたのに、なんで肝心の大学で自分が何を学ぶかについて無頓着なの?
低レベル高校生が、大学に進学できるならどこでもいいとFラン大学を受験して、学部も適当に選ぶのとはわけが違うはずなのに。
君は早稲田大も受験したのだから、おそらくは偏差値の高さで受験する大学を選んだようだけど、大学の偏差値が高ければ学部なんてどうでもいいの?
大学で何を学ぶのかさえ、どうでもいいの?
低レベル高校生の愚かな進路選択なんて興味ないけど、私より遥かに勉強ができる人の進路選択について興味があるから答えてくれるかな?
Twitterで日々病みツイをする様子を見ていたから、素直に良かった、と思った。同時に、ずるい、羨ましいとも思ったけど。
現代は弱者に優しくなったと思う。パワハラセクハラ、鬱病ADHD、LGBTQ。平等の名のもとに、マイノリティーは保護される。みんな尊重すべき個性だから。
そういう“弱者”になってしまえたら、どんなに気持ちが楽だろうと思う。こんなこと言うと「当事者は苦しんでる」って言われるだろうけど、私だって苦しんでる。多分みんな苦しんでる。増税に次ぐ増税と、少子高齢化と、どこを見てもゴミなメディアと、変革の進む現実が辛い。
労働基準法を誤魔化しながら最低賃金で働いて、娯楽の溢れかえった令和の世でネットサーフィンして睡眠時間を溶かす。友人と会って、交友関係をキープ、重たすぎない愚痴を吐く。たまに実家に帰る。なにかするには体力が足りない。私は意識高くはなれない。
ここがド田舎だからそう思うのだろうか。田舎から出なかったのは私の意思だし、“普通”でありたいってのも私の意思だ。
だって、都会は物価がクソ高い。私は長女で下に兄弟が2人いる。あいつら、田舎のアホ私立高校に行ってアホ私立大学に行った。2人にかかってる金額と、自分の奨学金とか考えたら都会に出てやって行ける気がしなかった。それに、都会は青天井すぎる。田舎なら、国公立大学卒はまあまあそこそこだ。ここの人達は日東駒専とMARCHと関関同立と早慶の違いが分からない。私が都会に出たところで、結局ここと同じような生活をするなら、自分より成功したものが目に入らない方がいい。ここなら、私を過剰評価してくれるし。
その分、田舎ではやはり“普通”な方がいい。元気がいい方がいい。挨拶ができて、天気の話ができて、髪色は落ち着いていて、精神疾患がない方がいい。どこでもそうか。けど、田舎の方がそうだ。
言っとくけど現代の配慮は平等に入り込んできてるから、田舎だからといって価値観が昭和な訳じゃない。変な人がいるのはどこでも同じだ。けど、“普通”じゃないと体面が悪い。都会は個で生きていけるけど、田舎は仲がいい。近所だとか、子どもが同学年だったとか、パートアルバイトだとか、親戚だとか。その繋がりがずっと続くから、だから田舎は噂が広まるんだよ。そして、本人の知らないところで、デリカシーのない人が相談事の形で噂を広める。みんな、可哀想だねってそれだけだけど。
下の兄弟は2人とも不登校で、弟はアスペルガーだ。母親は2人の子育てに関して鬱の傾向が確実にあったし、父親はほとんど関与しなかった。私が中学の時にはもうそうなってた。自分がヤングケアラーだとは思わなかったし、今でも思ってない。けど、学校から帰って家事をした。高校も大学も公立に行って、扶養ギリギリでバイトして、自動車学校は学生ローンを組んだ。良い娘であろうとした。
その反面、弟はゲームの課金で何十万も使ったし(さすがに怒られていた)、妹は実家で暮らしてるのに母親とすら会話しないらしい。
時々、真っ当に生きるのが苦しくなる。でも、私が真っ当に、“普通”に生きないと母親の子育ては全部失敗だ。ダイバーシティだっけ、多様性が大事だから2人は失敗じゃないのかな?けど、2人とも自立して生きて行けてないからダメでしょ。
普通のレールに乗るのは大変だけど、世間は普通じゃない方を支援してる。“平等”になるように。
私の言ってることって、「女は泣けばいいよな」みたいな僻みと同レベルだって分かってる。けど、本当に辛い人となんちゃってみたいな人が混じっているのが許せない。私も明日から7歳を自認して、ピーマン食べるだけで褒められたい。
こんなに悩むなら、田舎には不必要な好奇心も、働くのに邪魔な豊かな感受性も要らなかった。まあ、いつか綺麗に削れて削ぎ落とせるんだろうけど。
自分語りだったけど、多分みんなもそうだよね。
最近思うが、社会人になってしばらくしてから何らかのやらかしをするのは慶応大卒が多いように思う。あまりいい噂を聞かない。
慶応大卒や在学中の普通の人には本当に申し訳ないが、そう思う。もちろん自分は慶応大卒の素晴らしい人たちもたくさん知っているので、全員が全員そうだというわけではない。一部のおかしな奴らが出張ってきているのだろう。
しかし、今までうっすらと感じていたのが最近顕在化し表層意識に上がってきて、確信レベルになった。
完全に偏見であるため統計をとったわけではないが、昔感じていた「慶応」という雰囲気はもはやなく、GMARCHどころか日東駒専あたりに感じている。話の内容のレベルも低く、幼稚である。
そのため「慶応卒です」と言われても「学力が高いのだろう」とは全く思えない。そうではなく「頭がいいと思い込んで驕り高ぶっているけれど、そんなにでもない」というふうに見えて、まず嫌なイメージを受ける。
つまり「学力は日大レベルだけれど、プライドは慶応」というような印象を受ける。そのため、日東駒専と比較するのはかえって日東駒専に失礼かもしれない。
少し調べたが、慶応大の受験科目はかなり偏っている。まあ別に他大学もそうで、慶応大も昔からそうだと思うが、「英語ができる」という点でかなり通過できることが多い。
参考情報として、記事の最後に入試情報を転記しておく。見たい人だけ見てほしい。
入試情報を見ると、どの学部でも合格最低点が60%付近であるが、これはどこの大学でもそうであるから特にこれ以降言及しない。
慶応大学は、基本的に英語科目がかなりの位置を占めている。もともとは福澤先生が漢学ののち蘭学、蘭学から英語に切り替えて学び、海外で学ばれたあとに慶應義塾を創設された流れから、英語が尊ばれているというのは理解できる。
そして世界をリードするような存在を鍛え上げるというような精神でこれまでやってきた大学なのだと思う。
しかしながら、しっかりと英語ができるような人材はもういきなり海外に行ってしまうような時代になった。「なった」というより、とっくの昔にそうなっていた。国内の経済学部でMBAを目指しにいくというよりも、すぐにでも海外でMBAを取りたいのだ。その海外のMBAにも影が差しているかもしれないがそれは今回の話ではない。
「慶応というのは頭がよい」というブランドが確立されていたため、こうした受験科目等を見ると、そのブランドを手っ取り早く手に入れるにはかなり穴場になっているように思う。そして「私立最高峰」のようなプライドがあるためなのか、非常に嫌な人間が多い大学だなと考えている。「俺/私は、頭が非常に良い」と驕る雰囲気を感じるのだ。自信があるというよりも、人を見下す態度が凄まじいのである。他の私立大学や国公立大学卒にはあまり無い共通性である。
これは、以前であれば問題は無かったのかもしれない。そのプライドに見合った学力・努力・精神があるため、多少のわんぱくは許容されていた。しかし、その驕りはそのままに、学力と精神だけが落ちてきているのではないか。
驕り高ぶっている人を見ると「慶応っぽいな」と思う。そしてそれが当たっていることが多い。
つまり、「英語はある程度できるんだけれども、海外留学できるほどではなく、他の科目はよくわからない。でも人からはすごいねと承認されたい」という人には「慶応」というブランドは魅力的なものに映るらしいのだ。特に今の子どもたちの親よりも少し上の世代や祖父母世代にとってはそうだ。少子化もあるのかもしれない。
慶応というブランドを作り上げてきた人たちが少なくなってしまい、ブランドへのフリーライダーの数が閾値を越えてしまったのかもしれない。ブランドが食い尽くされたように思う。
随分前からジョークとして「おれ、ケーオー!」などのように少し小馬鹿にされてネタとして使われることがあったが、徐々に「おれ、ケーオー!」しか無いのではないか、と思うようになってきた。
見ていてこちらの方が恥ずかしくなる。
今はまだいいのかもしれないが、そのうち「慶応か……慶応は英語ができるだけで無知なんだよな……プライドは高いし……」とされて、他の私立大学にその座をドンドン奪われるのではないかと思う。
「1万円札だけが好きな人が行く大学」のようになっているようで、福沢諭吉先生が好きな自分としては残念な気持ちだ。
もちろん、自分のことをルサンチマンや学歴コンプレックス保持者だと笑ってもよい。そういうところも、慶応っぽいのだし。
https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/2370/subject
https://www.keio.ac.jp/ja/admissions/docs/tokuten2023.pdf
合格最低点: 205(58.5%)
合格最低点: 266(63.3%)
合格最低点: 247(61.7%)
省略
合格最低点: 290(58%)
合格最低点: 257(64.2%)
合格最低点: 246(61.5%)
合格最低点: 294(58.8%)
合格最低点: 169(48.2%)
高校生の頃に精神疾患に罹患して、半ば不登校になりながら卒業した。卒業後は典型的な鬱病ニートのような生活をしていたが、2浪の年に英語と国語だけで受験できる学部を受けてみたら運良く合格してしまった。けれども、もとからそれほど興味のある分野ではないのに世間体のために進学したことと、必修の少人数制の授業が荒れていることが相まって次第に大学に足が向かなくなった。
以前から社会心理学や動物行動学(とりわけ群れを形成する哺乳類に関するもの)、進化心理学などに興味があり、それに関連する分野を学べる国公立大学を来年受験したいと思っているのだが、大学受験の勉強をした経験がほぼないので何から始めたら良いのかわからない。
大晦日に掃除をしていたら昔の日記が出てきた。といっても4,5年前のものだが。
今も昔も、関東に本社があるJTCの人事部で採用の仕事をしているのだが、珍しい体験をしたのを日記に付けていたのだ。改めて読んでみると感じるものがあった。身バレにならない程度に語ってみたい。
その彼をA君としよう。初夏の頃だったか、彼との面接があったのは。一次面接だった。当時の面接室は、白を基調とした明るい部屋を用意していたっけ。JTCといっても、うちは同業他社に比べてカジュアルな方だとされている。
面接形式は、年によって若干違う。面接官2対学生1の場合もあれば、2on2の時もある。コロナが流行り出してからは、ほとんど前者になったか。
ところで、A君は関関同立ほどの偏差値の大学だった。弊社を受ける学生の中では少数派である。しかし、そんなことは関係ない。もっといい学校の子がたくさん受けに来ているけれども、関係ないのだ。
採用業務の効率を考えると、学校歴で選ばざるを得ないのは確かであるが、実際にその人を目の前にして学校のことを頭に思い浮かべるのは失礼極まりない。
実際、偏差値でいうと50ほどの大学の子を採用したこともある。ずっと昔のことだ、北海道にある大学だった気がする。
実際、A君の受け答えはよかった。素直だったし、わからないところはわからないというし、偉ぶった態度はないし、中学の頃からずっと同じスポーツを続けていた。
うちは商社であり、特定の製品で稼いでいるわけではない。仕事を取ってくる者の人間性が命の世界だ。正直いって、「この子はイケるかもしれない」というのが私の感想だったし、面接室で私の隣にいた上長の意見でもあった。
しかし、人間はわからないものだ。いまこの日記を読んでいる増田民やブクマカのあなたも、そういう経験がないだろうか。私にも何度かあるが、その中でもこのA君は悪い意味で際立っていた。
前置きが長くなった。ここからが本題だ。その日の面接がすべて終わって、帰りに居酒屋に寄った時のことだ。先の上長と一緒だった。
いつも行く店が悉く満席に近い状態だったため、大衆的な居酒屋に入ることにした。昔でいうと、和民のような感じだ。系列店ではない。個人営業のお店だ。
比較的若者が多い店内で、上司と一緒にテーブル席についてメニューを吟味していると、なんとA君が近くを歩いていた。吹き抜けタイプの広い店だったから、彼が歩いてくるのがクリアーに見えた。
そこで、見てしまったのだ。A君が、年配のお客さんに声をかけられていた。お爺さんだった。店内にタバコの自動販売機があったのだが、使い方がわからない様子だった。
声をかけられたA君は、「ボタン押したらいいっすよ」とだけ言って、そそくさとエントランスの店員がインカムを付けて何か話しているところに駆けて行った。
「ちょっと!! 注文来ないんですけど。取りに来ないんやけど!!」
と、恥ずかし気もなくインカムで会話中の女性店員に怒鳴り散らしていた。
後ろを向くと、上長がテーブルから立っていて、お爺さんにタバコの買い方を教えていた。どこにでもあるタイプの自販機だったが、ここではちょっと仕様が違っていたのだろうか。
A君は、エントランスの女性店員と何やら話をしていたが、やがて憤然とした様子で二階席に戻って行った。こちらには気が付いていなかった。
危ないところだった。ああいう演技がうまい人間は一定数いて、弊社も情けないことに引っかかることがある。多くは面接試験で化けの皮がはがれるのだが、ああやって潜り抜ける者がいる。
彼の場合は、エントリーシートも性格適性検査も知能検査も問題がなかった。ここまでされると手の打ちようがない。面接で落ちることを願うしかない。
そういう失敗がある度に、要注意大学リストみたいなものを人事部の中で作っておき、研究を重ねていくことになる。A君の場合は立命館大学だった。関関同立だと『化けの皮率』が最も高い。私の体感だと、MARCHクラスでは立教大学or中央大学になるだろうか。国公立大学にはそういった要注意大学は少ない。
十年以上も人事をやっている者からすると、人格的にアウトな人間を見つけ出せる機構(システム)がどうしてもほしい。
実務能力が低い人が内定を取るのはいい。まだ許せる。そのあたりはわかっている、贅沢な望みというものだ……。が、能力が低いだけなら問題ないのだが、人格や人柄まで悪かった場合、他の社員に悪影響を与えることになる。能力の低い社員を侮蔑する言葉を使ったり、病気や障害のある社員も容赦なく罵ったりする(そういう人は得てして取引先も馬鹿にする)。そして、そんな姿を見てまともな社員が嫌な気持ちになり、やる気をなくしていくのだ。
さて、そんな理想の未来が果たして来るのだろうか。それを待つまでに、私は経済社会から去っているだろう。できればだが、そういうテクノロジーが誕生する未来を祈っている今日この頃だ。
お久しぶり、匿名はてな。2021年10月6日に投稿してからあれきりだった。(https://anond.hatelabo.jp/20211006231636)久しぶりに見に行くとコメントが多少増えていたので、それへのリプライも含めて久しぶりに長文を書くことにした。この件以来躁鬱病が酷くなり文章もかなり下手になってしまったが、読んでくれる人が少しでもいたら嬉しいと思う。
まずはおさらいだが、発達障害・精神疾患持ちの私が大学1回生の夏に当時の彼氏に振られたというのがことの始まり。ちなみにここから私は精神疾患が更に酷くなってしまい、今は当時の約1.5倍の向精神薬とごく稀に睡眠薬を飲む生活をしている。
これは個人的にかなり意外な反応だった。視野が狭いのもあるがこれはメンヘラ界隈(?)ではよくある話だと思っていた。実際超有名な理解のある彼君漫画の作者は彼氏(旦那?)と別れているらしいし、依存している側がされている側に見切りをつけられるというのは男女やジェンダーに関係なく一般的だとも思っていた。案外こうやって理解のあるように見える恋人というのは信じがたい存在なのかもしれない。またそれだけ人が欲している存在であるのかもしれないなとは今感じた。
> もう今頃は新しい彼くん作ってよろしくやってるんだろうな。
これに関しては大正解。今は付き合って1年と少しくらいの歳上男性がいる。つまりあんなに病んでいたのにも関わらず、別れてから約5ヶ月足らずで新しい彼くんを作ったのだ。まあもう皆さん予想は付くだろうが新しい彼くんもちゃんと「理解のある彼くん」である。前のようにこちら側の暴力や暴言こそないものの、精神疾患や発達障害、毒親に関して理解があり全肯定ヨシヨシbotのような存在だ。(余談だが、毒親に関してはかなりマシというか良くなったのでもうほとんどトラブルはなくむしろ超良好にやっている。それに20年間かかるというのもどうかと思うが……。)
> 男って可哀そう こんな無価値どころかマイナス価値の女ですら選ばなきゃいけないほど選択肢がないんだね
これに関してもまあまあそうだなと思う。でもなんだかんだで価値としては似たような人間同士が付き合うのでは。その価値のベクトルは違えども。というかこの一件で気付いたが、男性は見た目で女性に近付き中身で離れていく生き物だ。以前のはてなには書いてなかったが、私は付き合った当時はかなり細くて可愛く、メイドカフェのバイトなんかで1番を取れるくらいの容姿があったので、恐らくそれに騙されてしまった……のだと思う。
さて、リプライも終わったところであれからの話をしようと思う。かなり長くなると思うので、興味のない人はこのあたりでブラウザバックをお勧めする。
まず当時の彼氏と別れて何を始めたか。それは流行りのマッチングアプリである。え?なんであんなに大好きだった人がいたのにマッチングアプリ?そう思う人もいるだろう。答えは簡単だ。「彼氏がいなくなったから」である。それでも理解できない人もいるだろうが、これの理由も簡単だ。まず、彼氏がいなくなったとは私みたいな女にとってどういう状況を指すのかというと「仲間も敵も一人もいない、本物の孤独」である。友達ともまるで疎遠になってしまい、家族は彼氏より下の扱いになってしまっていたので本当に誰も周りにいなかった。物理的にはいるものの精神的にはかなり孤独だ。その状況を脱却するにはマジで恋愛以外思い浮かばなかった。友達を作るとか新しいバイト先に勤めるとか家族ともっと話をするとか、そんなのはまるで思い浮かばない。ていうか、3年弱恋愛に明け暮れた毎日を送ってしまうと恋愛以外まるで無意味にすら感じてしまうのだ。話を戻すが、マッチングアプリは割と楽勝だった。少し声を明るくして笑顔を振りまき、男ウケしそうな可愛い洋服を着て、かつ女慣れしてなさそうな理系学生だったり男子校育ちだったりする男性を相手にするのなんてメイドカフェのバイトで散々してきたことだった。そこでまた釣られてしまったのが、今の彼氏、通称新・理解のある彼君である。彼もまた進学校育ちの理系国公立大学生で、よくも悪くも育ちが良く差別意識のない好青年だった。身長や顔にも特に見劣りしない。
ここで疑問が生じる人もいるだろう。なぜ、そんな好条件らしい男性が無価値発達精神疾患女と付き合うのか?それは私が「セックスをさせてくれる可愛い女」だからである。実は、マッチングアプリなんかで遊び相手を探そうとか飲み会で隣に座った女を持ち帰ってやろうとか、そういう邪な考えがまるでない男性が極々ごく稀にいるのだ。で、そういう男性は周りのモテ女と付き合えるポテンシャルも勇気もないので、私みたいな残念女(のガワ)を可愛がることになってしまう。そしてもっと残念なことに私みたいな「もう優しい男なら誰でも良い」みたいな女も少なからずいてしまうのだ。男はセックスをさせてもらえるし、女は自分を可愛がられることに成功できてしまうし、案外一石二鳥みたいなことになる。結局恋愛もセックスも依存性が高くビョーキになりやすいということだ。
実際今もメンヘラは治ってないので、新しい彼氏の元カノのインスタを監視しまくったり大学や出身高校、バイト先などの特定に勤しんだりしているが、暴言や暴力を振るわないだけかなりマシになった。そういう正常(に見える)恋愛の仕方を教えてくれたのは紛れもない元カレであると思う。ただ別れて1年半経った今でも、それを教えてくれる相手が元カレじゃなかったら今日まで元カレと続いていたのかなあとは思ってしまうことがある。私のせいで難関大学に落ちて中堅大学に行ったと書いたが、結局その中堅大学で新しい彼女を見つけてインスタのストーリーにずっと新しい彼女を載せているのを見るとかなり気持ちが沈む。ちなみに私は元カレに全てのSNSから出禁を食らっているので本来は見ることができないはずなのだが、まあこの話は別件になってしまうので話さないでおくことにしよう。
実際、元カレを今でも好きなのか、ただ初めての経験を忘れられてないだけなのかは今でも良くわかっていない。新しい彼氏が出来た後でも、何度か思い出の曲を聴いては泣いた。新しい彼女との投稿を見て吐いたこともあった。ある人にはトラウマになっているだけと言われたが(書いてないがかなり酷い振られ方だった、まあそうなってしまったのは紛れもなく自分のせいなのだけれど)、本当にそうなのかとは正直思う。元カレのSNSのアイコンが私と行った公園の写真のままということだけが、私と彼とを繋ぐ唯一の記憶のような気がして何度も何度も何度も見に行ってしまう。もう向こうは私のことなんて何も思い出さないだろうし……。
あれから知人に聞いた話によると、私は最後浮気未遂をされていたらしい。事実は本人にしか分からない。何度も夢の中で談笑したが、いまだにその事実確認だけは出来ない。傷付くのが怖いのだ。傷付くのが怖いから、新しい彼氏をまた見つけて傷付かないようにする。でも多分これはずっと、一生、永遠に繰り返すと思う。恋愛を幸せになる手段として使い、そしてその手段のために自分の性を売る。やっていることはまるで売春婦と変わらない。
本当に自分は幸せか?と問う日がたまにある。今の彼氏のことは好きだ。あれから友達もできた。バイトもうまくいっている。学業の成績も悪くはない。家族仲だって良好だ。それでもあの日々に勝るほどの幸福を感じた瞬間はまだない。もしかしてこのまま一生終わるんじゃないかと毎日考える。
以上で私の悲しい話は終わり。今読み返すとかなり飛躍した非建設的な話になってしまったが、ずっと思っていたことを吐き出せた分かなりスッキリした。どこの誰が読んでくれたのかは分からないが、ここまで読んでくれた人、本当にありがとう。君と、君を愛する人を大切にね。
結婚をして子どもを持つ希望はあったけれど、仕事を中心に生きたかった。
責任の少ない初期研修のうちに子どもを産み、なるべく夫中心で子育てをしていく事にした。
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10件ほど保育園を見学し、受け入れられると明言したのは1箇所だけだった。
ただでさえ激戦区、流石に厳しかった。
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自治体に問い合わせた。
「障害児を産んだら両親のどちらかが仕事を辞めて面倒を見なさい。月5万円の特別児童扶養手当が出る。」と言われた。
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初期研修終了後に働く予定だった病院の院内保育室に問い合わせた。
入職が決まっていない段階での相談は受け入れられないと言われた。
病状として保育が可能かどうかすら答えをもらえなかった。
病院側に相談したが、仮の入職予定としてでも保育室に話を通してもらう事は出来なかった。
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目処のついた障害児保育園に入るためには、その自治体に住所が必要だった。
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ただし、障害児保育園は短時間保育のみだった。延長の制度もなかった。
夫と私の力関係の問題で、私が限られた時間の中で働くしかなくなった。
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限られた時間しか働けないが、病院での研修をどうしてもしたかった。無給でも構わないから、研修をしながら保育要件を満たせる立場が欲しかった。
保育要件を満たすために、他の仕事もする必要があった。他の仕事を探すために、研修の曜日を確定したかった。
「曜日を決めて欲しい」と言ったら、突然「保育園に預けるために仕事をするならば辞めろ」と人事に言われた。
調整が面倒になったのか、そもそもまともに働けない人間は要らなかったのか。
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国公立大学の地域枠で多額の税金をかけてもらいながら医師免許を取ったのに、誰にも働く事を望まれていないように感じた。
子どもの事は愛していた。
だけど、医師として働く夢を捨てたくなかった。
毎日泣いていた。
思い描いた幸せは、どこにもなかった。
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勘違いしている方がいるようなので一応書いておきますが、収入で言えば夫より私の方が良いので、いわゆる「下方婚」と思います。
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障害児を産む可能性は充分理解していたつもりでしたが、障害児の受け入れ先がこれ程までに少ないとは知りませんでした。
院内保育は障害児を受け入れているとの情報は持っていたので、断られるとは思っていませんでした。また、実際その立場になるまで真剣には調べませんでしたが、さほど不自然な振る舞いではないと思っています。
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