はてなキーワード: 中学生とは
はてなあもすなる家買日記といふものを 我もしてみんとてするなり
(はてなーが最近やっている家購入記を、俺も便乗してみようと思い書いた)
・子供が産まれることになったので、それまで住んでた借家をやめて家を買うことにした。
子供が動き回るようになると床や壁を汚したり壊したりするだろうし、家のカスタマイズもしたくなるだろう。これまで数回の引っ越し・荷造り作業が非常に手間だったので、幼児の育児しながらの引っ越しはまず不可能だと予想された。
・妊娠初期からなんとなく探し始め、妊娠6ヶ月で本格的に探し始め、出産3ヶ月前に物件決定、1ヶ月前に引っ越した。
物件選定、下見、ローンや物件の契約は俺と妻二人で行い、実際の引っ越し作業は俺一人で行った。
・庭付き一戸建てを借りて2年間住んでおり、自分たちが家に求める重視したい要素と、どうでもいい要素をある程度把握できていたので、それを家探しに反映させた。
物件選定
・ネットの物件情報サイトで市町村名で絞り込み、安価順にソートして諸条件から気になる物件を20件ほどリストアップ。
中古の場合は値引きの可能性もあるので、これまでなら出せる上限価格の2割増しまでリストアップした。
リストアップした物件はぜんぶ休日に現地に行き外観や周辺環境を見た。不動産屋に連絡して内覧させてもらったのは上位5件。
・エクセルで物件比較表を作り、要素ごとに傾斜配点して点数を付けて最も高得点の物件を買った。
高配点順に、「駐車場台数」「延床面積(部屋数)」「価格」「構造」「築年数」「両実家からの距離」「校区小学校からの距離」「最も近い保育園からの距離」「バス停からの距離」「敷地面積」「土地条件」「駐車場が露天か屋根付きか屋内か」「他」
俺が比較表を作り、いちおう妻にも見せて意見を聞いてたが、ほぼ追認状態だった。
(実際に使ったエクセルファイルを晒そうかと思ったけど、増田は添付ファイル付けられないんだね。)
以下、各項目ごとに説明する。
「駐車場台数」
地方都市なので車がないと何もできん。俺バイク通勤、妻は車通勤。子供が産まれれば子の保育園への送迎のため俺の車も必要になる。なので最低2台分。駐車場無しは論外、1台分のみの場合は庭を潰して駐車場追加できるか、もしくは周辺道路に恒常的に路駐できる立地か(車庫法違反になるが、住宅街では実家で車庫証明とっていつも路駐してる人も多い・・・)で判断。
両親が子育て手伝いに来てもらえばその車を止めるスペースも必要になる。できれば3台分ほしい。
→ 3台分ある家を買った、妻車、子送迎車、残り1台分はバイクガレージとして使ってる。両親が来たときは住宅地の最奥で交通量が少ないので車庫の前に路駐してもらってる。
「延床面積(部屋数)」
リビング、俺の部屋、妻の部屋、寝室、将来の子供部屋、で4LDKが最低条件。もちろん部屋は多いほど良く、面積は広いほど良い。
→ 6LDKとなった。部屋は多いほどいいと実感している。寝室二つにしていつもは3人一緒に1Fで寝て、風邪ひいたら一人だけ2F寝室で寝たり、いろいろ助かる。
「価格」
世帯年収1700万~2200万。物件価格4000万が上限と妻と合意したので、4800万以内で探した。
(妻は公立病院勤務医で、当直・オンコール量により増減。妊娠後期から産休までは時間外一切無しなので1200万、育休明けから現在までは週2のオンコールのみなので1400万程度。ただ住宅ローン審査では前年までの源泉徴収票で判断するので、金融機関からは1700万として見られてたはず。
俺は残業あっても無くても500万。県庁は時間外手当ほとんど付かない)
→ 建物の登記で持分1/2ずつ、土地は保留地なので組合の所有者台帳に連名で記載、実際の負担も1/2ずつとした。
「構造」
当時住んでた借家が築10年のプレカット工法の木造住宅だったが、壁の外板(サイディング)つなぎ目シーリングが劣化して雨水が浸入し、中の木が腐って雨漏りがあり、さらに同構造の隣家の2Fベランダが腐って半壊してて、プレカット木造住宅には不信感があり対象外とした。
両実家は築2~30年の鉄筋コンクリート造だが目立った不具合はなく、信頼感があった。
よって鉄筋コンクリート(RC)造、鉄筋コンクリートブロック(RCB)造、軽量鉄骨造の順に高評価とした。
→ RC造を買った。売主(建て主)がリフォーム業の社長で、その知識を生かして作った注文住宅ということで、内覧して一目見て質がいいとわかる造りだった。階段上り下りしても木の軋み音が全くしないとか、天井が高いとか、天井裏みたら断熱材が分厚いとか、床下も広いとか、壁収納が各所に多い(いまだ使い切れてない)とか。
「築年数」
新築のほうがもちろん良かったが、当時は型枠職人不足が顕著でRC新築坪単価が異常に高騰しており、手が出る価格の新築はプレカット木造ばかりなので、中古住宅中心に探した。
住宅ローン控除が効くのがRCだと築25年以内の購入なので、築25年が一つの基準。ただし利率負担以上に安い物件があれば築25年以上でも良い。
→築20年を買った。コンクリートのひび割れ等は全く見られない。
とても幸運なことに、俺の実家と妻の実家が車で10分の近距離で、かつお互いの職場からも車で20分以内の距離だったため(これは結婚決めてから判明)、両実家に近い位置で探した。
夫婦二人ともフルタイムで働いており、育休あけてから祖父母のサポートが絶対に必要になると予想されたため、両実家から車で30分以内の条件で探した。
妻実家のあるA市と俺実家のあるB市は隣接。AB市か隣接した市町村で絞り込んだ。
→両実家の間で妻の実家寄り(妻の両親の毎日の散歩コース)の物件となった。
中学生になれば自転車やバスが使えるから距離があってもいい。小学生(特に低学年)は徒歩通学が基本になると思われるので、子供が歩いていける距離として2km以上で足きり。できれば1km以内。
→買った家の校区小学校は崖を迂回しないといけないので延長距離4kmあり足切り対象なのだが(この家が家の造りや面積の割に安かったのはこれが第一要因だと思う)、妻の実家が市境を挟んだ隣の市にあり、妻実家の校区小学校は家から800m。これを生かす。
越境入学は同市内ならまだなんとかなるかもだが、別の市だとほぼ不可能。市民税納めてないし仕方ないね。
認可保育園であっても世帯年収から保育料が最高負担額(月6万ほど)になるので、認可外・認定保育園でもいい。車で送り迎えになると思われるので小学校ほど距離は気にしないが、あまりに遠いと渋滞もからんで勤務時間に支障する。
→結局、基準に沿って運営されてる認可保育園が安心だねとなり、家から3kmほど離れた保育園に入園できて車で送迎してるので考慮する必要はなかった項目。
子供が高校生になれば離れた進学校に行くかもしれず、そうなればバス通学となるだろうから、あまり遠くないほうがいい。2km以上で足きり。
→1.5kmほど先に本数の多い路線のバス停がある。高校生なら歩ける距離だろう。
「敷地面積」
庭は無くてもいいが、あればいろいろ使えるだろうから。ガーデニングとか、子供が歩けるようになったら庭でプールとか、小学生になれば犬を飼うとか。
→30㎡ほどの土の庭がある。興味なかったが、いろんな植物植えてデザインするのはやってみると楽しい。
「土地条件」
当時は東日本大震災から数年のちで津波の記憶が新しく、標高は確保したい。
谷地は通気性悪く水害ありそうなので避けたい。崖ぎわ地は見晴らし良いが安定性が心配だが切り土なら問題なし、盛り土は絶対不可。平坦な住宅地の中なら土地安定性やリセールバリューは良いが、道に面した1方以外の3方を他民家に囲まれていて息が詰まらないか心配(両実家も借家も、2方のみ他民家で1方は林や崖だった)
→ 数十年前に台地を切り土して造成した住宅地の南に開けた崖ぎわの物件にした。この物件を候補にしてからは県立図書館に行って明治時代以前からの古地図を見たり、国土地理院のサイトで米軍撮影の1945年前後の航空写真を見たり、県の地図サービスで災害指定区域を確認したりして、
昔と今とで大きく地形が変わってない(その間の大きな地震でも崩落等してない=地盤が強い)こと、盛り土ではなく切り土であること、敷地が急傾斜地崩落危険区域に指定(再建築時に制限がかかる)てないこと、を確認した。
眺めはいいし、日当たりはいいし、リビング先の庭の先は斜面で林なので四六時中リビングのカーテンを開けたままにしておけるし、今のところは満足している。かつてない巨大地震が来たら土地も家も無くなって無くかもしれないけど。
→ 土地区画整理事業が施工中で保留地上の物件なので、いろいろ勉強して詳しくなった。ネットバンクの住宅ローンが使えない以外はデメリットは無かった。リセールバリューには影響するかもしれんが、この家を売る頃には換地処分は終わってるでしょ。
→ 用途地域にこだわりは無かったが、小学校やバス停までの距離で足きりすると必然的に市街化調整区域は除外され、市街化区域の第一種低層住宅地域の物件ばかりとなった。
車もバイクも雨ざらしにはしたくないので最低でも屋根があったほうがいい。無ければあとからカーポートを付ければいいが費用が200万ほどかかる。できれば横風や埃も防げる屋内駐車場だといい。
→ 電動アルミシャッター付の屋内駐車場となった。ガレージとしてバイク整備に使えて最高。壁にアンカーボルト打ち込んでメッシュパネル付けて工具並べてある。密閉空間で音が漏れないので雨でも夜でもエアコンプレッサーやディスクグラインダーが使える。ぐへへ
「他」
周辺環境は閑静な住宅地の最奥で、家の前の1.5車線道路は交通量少なく(周辺家に用事のある車しか通らない)子供を道で遊ばせても大丈夫そう。家が売りに出ている理由が、売主夫婦が高齢になり介護付住宅に引っ越すための処分ということで、周辺とのトラブルが理由ではない。下見や内覧のときに両隣・道向かい・道向かい両隣の方に挨拶して少し話したが、変な人はいなかった。
→現在も、たまに顔を合わせたら挨拶してちょっと世間話するくらいで、軽い近所付き合いのみしている。
保留地のせいか自治会対象外となっており、自治会費や行事参加の負担がない。
なにより妻の両親の毎日の散歩コースにある家で、毎日周辺を見てる妻の両親から「問題ない」とお墨付きをもらえて安心できた。
県庁所在地隣接の市街化区域なので、小児科は車で10分以内に3院、大きな総合病院も車で20分以内に2院、他内科や整形外科クリニックも徒歩(車2分程度)に数院あり、医療関係に不安はない。
買い物も価格重視のスーパーからちょっと高めのデパート系列のスーパーなど車10分圏内に5~6件、ドラッグストアやホームセンターも車10分圏内にあり問題ない。
(年とって車も運転できなくなったらどうしようね?3食つき老人ホームに入るしかないか)
購入
妻は倹約家(いくつかの趣味以外には服や娯楽に金使わない)なので現金一括で買えるだけの貯蓄があったが、住宅ローン減税のおかげで利息負担無しで借りられるので、何かあったとき手持資金確保のためもあり、常識的に頭金を1割入れて残りはローンを組んだ。
均等に資金負担しようということで、持分1/2ずつの共同債務とした。
住宅ローン控除年1%よりも融資利率が低ければ、借金して金が入ってくる逆ざやとなるので、控除が効く10年間はなるべく融資残高を増やすべく、20年ローンとした。10年たったら一括繰り上げ返済する。月々の返済額が減るぶん貯めておく。
変動金利のほうが遙かに利率は低かったが、金利変動リスクを避けたくて10年固定金利にした。(でも今の状況だと変動のほうが得だったな。賭けに負けた。)
土地区画整理事業地内の保留地上の物件という特殊条件のため、年利0.65%等の低金利を誇るJNBやソニー銀行等のネットバンクのローンは使えなかった。
地場の都市銀行2行に仮申し込みし、低利率のほうに本申込した。(妻がメインで使ってる銀行のほうが高かったので担当者からずいぶん引き留められたが、仕方ない)
世帯年収の2~3倍程度の物件価格、お互い安定した職業ということで審査はトントンで進んで融資決定の連絡があった。
年収(源泉徴収票)以外の金融資産も開示したが、融資担当者は俺の数百万の貯金はチラッと見ただけで終わりだった。ちょっとプライドが傷ついたぜ。
利息は0.8%台で、融資手数料等の諸費用を含めると逆ザヤは僅かとなった。
住宅ローン減税は初年度こそ税務署に行っての確定申告が必要で面倒だったが、2年目以降は年末調整で職場に用紙出すだけなので慣れれば手間でない。
・値引き
基本的に都市部の中古住宅は売り手市場だが、この物件は1年前に4800万で売りにだして売れず4600万で売られており(校区小学校が遠いのと保留地なのが原因だと思う)ちょっと強めに出てみた。
不動産屋を介して、「もともとの予算が4000万なんです、がんばって4100万なんです、保留地なので金利の安い住宅ローンが使えなくて苦しいんです、金利分まかりませんか?」と。
4400万のオファーがあり、こっちは4200万で再度要請。最終的に「4300万よりは下げられん、それで無理なら売るのは諦める」との回答で、4300万で妥結した。
近くにある小学校距離と保留地以外の広さや造りや築年数が似た物件は6~8000万で売られてるので、造りのいい広い家を安くで買えたと満足している。
・不動産屋
仲介手数料は上限いっぱい取られたが、土地区画整理組合との所有者変更のやりとりや価格交渉で駆け回ってくれたので不満はない。
・司法書士
登記関係は銀行指定の司法書士に一任した。土地は登記がないので建物分のみ。市中の方に依頼したらもっと安かったと思う。
反省点
結果論だが、保育園までの距離は考慮しなくてもよかった。それ以外は満足。
子供が産まれる前は「田舎で静かなところがいいね」と学校までの距離をきにせず人里離れた田舎の広い一軒家をネットで見た「こんなところいいね」と話してたりしてたが、子供が産まれると子供第一の選定となった。でも子供が独立したらまた判断基準が変わるんだろうな。
中学生みたいな奴だな
妻が統合失調症になったというホッテントリを見てふと書きたくなった。
僕が強迫性障害になったのは恐らく中学2年生のとき。ある日いきなりだった。
トイレを流したあと、ちゃんとそのトイレがちゃんと流れたかどうかを異常な程気にするようになった。
玄関の鍵閉めたっけとか生きてれば一回くらい気にしたことあると思うけど、僕のトイレが流れたかどうかを気にするというのはとにかく異常だった。
頭の中がずっとトイレが流れたか気にするようになり、不安でずっと心臓はバクバクだし授業にも集中できない。
トイレが流れたかどうかを何回も確認しに行くんだけど、なぜか確認して五分くらい経つとまた気になる。
自分が使ったトイレを別の人が使ったときだけは、トイレを流す義務はその別の人に移ったとして気になんなかった。
旅行先で使ったトイレが確認の対象になると地獄だった。中学生の足でそのトイレを確認しにいくとか無理だし、電話して確認するほかない。(流石に電話はしなかったけど。)
当時親にこのことを相談したけどあんまり掛け合ってくれなかった。まあいきなり「トイレ流したかどうか死ぬほど気になって集中できない」なんて言われたって意味わかんないし仕方ないと思う。
ここからが本題なんだけど、高2くらいで気にする対象が人に危害を加えたかどうかに変わった。
高校には自転車で通学していたんだけど、ただ自転車を漕いでいるだけなのに途中で誰かとぶつかって人を殺したんじゃないかと気にするようになった。
馬鹿げた話だと思うし、当時の自分も心の奥底では馬鹿げた話だと思っていた。人を殺すほどの速度でぶつかったら自分が無傷なんてあり得ないし。
でも、気にし続けてしまう。朝起きてから寝るまでずっと頭の中はその不安ばかり。
そのころ住んでた県には交通事故発生マップというサイトがあった。
そのサイトにアクセスして、通学路で交通事故が起こってないことを確認して不安を解消してまた数十分後には不安になってまたそのサイトにアクセス……というのがルーティン。
ゲームしてても「人殺しがこんなことしてていいのか」とまともに楽しめなかった。
交通事故発生マップだけでは不安を解消しきれなくて、直接警察署に聞きに行きそうになったこともあった。
行きそうになったというのは、「こういうことが気になるので警察に確認しに行こうと思う」と事前に親に相談したら止められたので未遂に終わった。
ちなみに今は大学三年生で、完治とまではいかないけど98%くらいは治ったんじゃないかなと思います。
大学生になってからバイトして自分で自由に使えるお金を得たので、親には伝えず精神科に行ってお薬を貰った感じ。
でも、大学生になってからバイトしてお医者さんにかかるまでの期間で既に快復の方向に向かっていたので、最終的に治ったのが単純な時間経過なのか精神科に行ったおかげなのかはよく分かんない。
ただ、もしも中学生のころに精神科に行ってお薬を貰っていたら、こんな長い期間悩まされることはなかったかもしれないとは今でも思う。
いまこれを全部読んでくれたのなら、世の中にはこういった症状で悩む人がいるという知識を得られたと思います。
もしも、身近に「トイレを流したかどうかが死ぬほど気になる」とか「自転車で人を殺したんじゃないか不安になって仕方ない」という人がいたら、はやめの精神科の受診を勧めて欲しい。
身近というか、自分自身も含めてですね。強迫性障害になる前はこんなの世界仰天ニュースとかで見るだけで、自分には一切関係のないものだと思っていたから気をつけて。
迷子になってた。道路は舗装されてるけど畑と家が交互にあるような半住宅街で。電車も通っていてほとんどが坂道だった。
俺は何故か信号待ちしてるチャリにのった兄ちゃんに「すみません、港ってどっちですか」と話しかけていた。どうやら港に向かわなければならないらしかった。「うーん、あっちだね」と兄ちゃんは坂の上の踏切の先、白く霞んだ山を指した。お礼を言おうとしたら「ちょっと待って一応調べるから」と兄ちゃんはスマホとにらめっこしだした。なぜか俺は焦りだして「いえ!ありがとうございました」と信号を渡ってまた歩きだした。
そしたらその道の先に見た事ある人がいて、俺の名前を呼びながら駆け寄ってきた。「あぁー!無事!?大丈夫!?怪我はない!?」と矢継ぎ早に大声で心配された。俺はひょうひょうとした態度で「大丈夫です。他に迷子っています?」となぞの質問をしてた。
起きてから思い出したんだが、その人は中学生のときの担任だった。なんで今になって思い出したんだろう。未だに年賀状送ってくれるような優しい人なんだ。そうか、年賀状で久々に写真みたからかな。今朝は妙に懐かしい気持ちだった。
無印のレジで並んでいたら、素朴そうな中学生の男女カップルが前に並んでいた。
最近の中学生では見たことないほど、靴も服も使い古されて、そんな裕福ではないのかなと思った。隣のスタバで勉強している中学生連中とはだいぶ違う。
彼氏は、彼女に数百円のものを買ってプレゼントして、彼女がものすごく喜んでいてほっくりした。
小学校の同級生のA子ちゃんは、ギャルのお母さんと2人暮らしだったが、いつもいち早く話題のものを持っていた。当時のわたしは母子家庭の子と知らなかったので、お父さんお母さんがすごくお金持ちの人なんだと思っていたくらい。今も母同士が付き合いがあるんだけど、わたしの母は、働いてないのになんであんなにお金あるんだろう…?と言っている。ギャルママいわく、補助金が結構あるから働かなくても贅沢できるらしい。
大学の同期のB子ちゃんも小学生の時からお父さんがいないと言っていた。B子ちゃんのお母さんは中学生の時から子供に奨学金を借りさせることもなく私立に通わせ、今でも結構お小遣いをあげている。前飲み会でB子ちゃんに、「お母さんがめっちゃお嬢様とか!?」って聞いてみたら、そんなことないし普通にパートしてるよ〜と言っていたが、パートだけでは子供を12年間私立に通わせることはできないと思うんだよね…。
こういう風に、結構働かずに裕福な母子家庭もあるのに、ニュースやドキュメンタリーでは、食べるものすらないとか、休みなく子供のために仕事掛け持ちとかもみる。
一体なんの差なんだろう
ただそのような出来事があった、というだけの話なんだけど。あまり気軽に友達に話せるようなことでもないのでここに置いてく。
発端は先月末、隣の市に住む親戚のおばさん(従姉妹の母親)が入院したことから。
おばさんは私の伯父の奥さんで伯父は20年ぐらい前に癌で亡くなっている。
伯父夫婦には2人子供がいる。兄には生まれつき知的障害があるが大人しい性格で普段は施設で暮らしている。
3歳ぐらい下の妹、つまり今回久しぶりに会った従姉妹は高校受験で地元で一番の進学校へ入ったが中退し、アニメかなんかの専門学校へ行ったらしい。
だけど就職もできずどのバイトも続かずそのまま引きこもるようになったときいてた。
伯父の葬儀でも見た目は普通の女の子だったがずっと無表情で完全に心を閉ざしている感じで、誰かが話しかけても無視か必要なら頷く程度だった。
おばさんは生前「あの子はずっと私を憎んでいたの。」と言っていた。
伯父は癌になるまで大企業の役員クラスの仕事をしていて激務だった為、家庭はほぼ妻に任せていたと思われる。
そして従姉妹は中学生ごろから両親に「どうせ兄の世話を押し付けるつもりで私を産んだのだろう。」みたいなことを頻繁に言っていたらしい。
ただその兄はもう長いこと施設で暮らしていて年末年始などたまに実家へ帰っていたが、今ではもうその施設での規則正しい生活のほうが本人は楽なようで、両親の死後もそこで暮らせるような手筈にはなっている。
伯父夫婦と私は冠婚葬祭やたまに外でごはんを食べたりお土産のやりとりなどそこそこの親戚付き合いはあった。が、どれぐらい従姉妹を立ち直らせようというような働きかけをしていたかは知らない。
おばさんは洋裁が得意で、多趣味で油絵や音楽を習ったりしていて、いつも忙しくしていた。自分の娘のことは「なるようにしかならないから悩んでもしょうがない」と諦めていた感じだ。
あまりクヨクヨしない、楽天的な性格といえばそういう性格の人だった。
おそらく従姉妹とは性格が合わなかったのだと思う。母娘でも合わないなんていくらでもあるし、本来なら相性の悪い親と一緒に暮らすのは苦痛で仕方ないだろう。
しかし従姉妹には独立できるほどの能力も気力もなかった為に親元にいるしかなく、同時に激しく憎むという生活を長年送ってきたのかもしれない。
しかし今回おばさんが急に入院、容体悪化で危篤ということになり、色々あって私が従姉妹を連れて病院へ行くことになった。
まずおばさんの家の中を見たのはたぶん5年ぶりぐらいだけど、ほぼゴミ屋敷になっていた。前から物が多いなとは思ってたんだけど、足の踏み場はかろうじてあるという感じ。
そして20年ぶりの従姉妹はかなり見た目が変わっていた。かなり太ってたのもあるし、もちろん中年になれば変わって当然なのだが、とにかく外に出ず他人との交流がない生活をしている人間だというのがひとめでわかるような風貌だ。最初はちょっと正視できなかった。そして、何を話しかけても言葉を発しない。
従姉妹に、お母さん入院したことは知ってるの?ときくと、僅かに首を横に振った。知らないしそもそも興味もないという顔だ。それで彼女に説明して
「お母さん危ないみたい。明日の朝、迎えに来るから、お母さんに会いに行こう。」と言うと彼女は小さく頷いた。
冷蔵庫の中を見ると生鮮品は古くなっていたが米はあるしインスタントやレトルト食品も山ほどあったのでしばらくは大丈夫だろうと思ったけど、もし足りないものがあれば近くのコンビニに行きなさいと従姉妹に少し現金を渡してからその日はいったん帰宅。
相変わらず何も喋らないが、もしかしたら行くのを嫌がるかと思っていたので素直に車に乗り込んだのを見て少しほっとした。
今は面会の制限が厳しいから、私だけだと入れて貰えなかっただろう。
病院につくとおばさんはICUの中で人工呼吸器をつけ意識もなく寝ていた。
医師によると最初は違う病気で元の病院に入院していて意識もあったが、そこで突然くも膜下出血を起こして手術可能なこちらへ運ばれてきたとのこと。脳内の出血がひどく完全に瞳孔が開いており、手術せずこのままだと年内もたないとのことだった。そして手術して命は助かっても植物状態で寝たきりになるという。
手術するかどうかはおばさん側の実家の親戚に電話をして経緯を話し、「しない」ということになった。
で、面会はこういう時期なので身内に限りひとりだけと言われ、従姉妹に入るよう促した。が、動こうとしない。
彼女の様子を見た看護師さんが状況を察したのか、私に「付き添いということなら、一緒に入っていいです。」と言ってくれ、従姉妹を連れて一緒に中へ入った。彼女は手を引くとようやく足を動かした。そして看護師さんが寝ている母親の手を布団から出して「もう最後ですよ。手を握ってあげて。」と言われると一瞬だけ母親の手に自分の手を重ねた。でもそれは言われたからした、という感じで、すぐに手は引っ込められ、彼女の様子からは何の感情も読み取れなかった。
もしこれがドラマとかだとそこで急に従姉妹が後悔して泣いたりするような展開なのかもしれないけど。
わかったのは、従姉妹は本当に自分の母親が嫌いだったんだろうなと。悲しい気はしたけどそれはそれで仕方ないとも思った。
彼女にとって赤の他人に等しい私には彼女の事情や内面は計り知れないし、実親が死にそうだから泣いて手を握らないといけないということはない。
自分はなんか余計なことしたのかな、という気分にはなった。
それより彼女にとってはこれからの自分のことのほうが、重要なのだろう。今までと同じ生活がもう出来ないことはちゃんとわかっているはずだし。
翌日、連絡した従姉妹の母方の親戚(おばさんの甥・姪にあたる人)がこちらへ出てきた。なんでも甥はおばさんから自分にもしものことがあったらと従姉妹の後見人を頼まれていたらしい。
そして私と一緒に従姉妹の様子を見たいということでまた会いに行ったのだけど。
彼女に僅かな変化を感じた。
相変わらず喋らないし反応も薄いけど、前日はほったらかしだった伸ばしっぱなしの長い髪は後ろで一つにきっちりとまとめられていた。たったそれだけのことでも、なんかだいぶまともに見えた。
おばさんはその数日後に亡くなり、こんな時なので葬儀も僅かな身内だけで済ませて葬儀後の会食などもせず終わり。
今後、従姉妹のことは(彼女の兄のことも含め)そちらの親戚に任せることになった。近々市の福祉課にも相談に行くとか言っていたし、ちゃんとしたしっかりした人たちなので大丈夫だろう。彼女が長年暮らしたあの大きな家も処分するのだろうな。
そして彼女がこれからどう生きてくのかはわからないし、もしかしたら私はこの先彼女と会うことは二度とないかもしれないけど。
彼女の様子を見て、自分の母親の死に対してある意味ホッとしてるのかもなって思った。
従姉妹は精神的に問題あるだろうし引きこもりだけど、8050問題になって親に刺し殺されたりするような人もいる世の中でだいぶラッキーな人だなって感想でした。
リアルで友達ができないから中学生の頃からずっとネットに逃げてきた。ネットでなら同世代から年上まで色んな人と仲良く、一緒にゲームしたり話したりできたし、特に仲のいい人とは出会って遊びもした。
けど、成人した頃くらいからか、ネットの友人とも仲良くするのが辛くなってきた。ネットの友人といっても、私以外しっかりした人ばかりだった。一緒にアニメキャラに萌えてイラストを描きあってた友達は、バイトしながらもしっかり稼いで年相応のオシャレや恋愛を楽しむようになっていた。援交や風俗の話を面白おかしくしてくれた子は、薬学部卒業に向けて努力し、インターンも楽しんでやっている。メンヘラ喪女仲間だった子は、大学デビューを無事果たしヤリマンに堕ちたかと思えば、大学生活も就活も順風満帆に進めて春から大企業で働く。少し歳上で相談を聞いてくれた社会人や大学生だったお姉さん方は、結婚も終え出産ブームを迎えている。
私は?私は友達もいないまま大学生活を過ごし、ネットで見つけた同じくリア友ゼロ人の彼氏と同棲。就活は現時点でNNT。彼氏に依存して趣味も全部興味が失せ、虚無みたいな人間になった。彼氏に捨てられたら本当に虚無人間になってしまうため、相性が悪い・価値観が合わなくても、どうしても別れるわけにいかない。彼氏の感性も子供っぽく、二人して年相応のオシャレや趣味も分からない。自業自得の結果でこれが自分には相応しいどころか、十分すぎるくらいとも思う。それでも、ネットの友人らを見るとその成長ぶりが眩しくて見ていられない。自分だけネットの中でもリアルでも何も成長していない。
ネットで一番の親友と贈りあった誕生日プレゼント。私はお互い好きだったゲームキャラのぬいぐるみとそのグッズ(3000円くらい)を贈り、親友はデパコスの化粧品セット(6000円以上しそう)をくれた。いつのまにこんな差が出来てしまったんだろう。私だけ精神が中学生の頃のまま止まっている。見よう見まねで友人らの真似をしてもぎこちなさが残り、リアルの交友関係と同様になるのが目に見える。
ヒット映画をそれなりに楽しめるタイプだと思っていたから、これだけ違和感がゴリゴリあって、つまらない映画だとは思わなかった…
君の名は、はそこそこ楽しめたんだけれど
天気の子はリアリティのないものを、リアリティのある背景と街並みで描かれていたという感覚。
発砲するし、警官の妨害をして、シャブ中みたいな発言を繰り返す。
主人公は、モラトリアムをこじらせ、なんだか縛られてる!と家出した16歳の少年、帆高。
厨二病を拗らせた行くすえみたいなやつで、神津島を衝動的に飛び出し、金が続く限り、ライ麦畑で捕まえてを片手にネカフェで寝泊りする。
そこまでさせるのは、親と確執があるのか?と思いきや、それは一切描かれない。帆高が健康で、かつ捜索願が出されていたことから、親は悪い人ではないのだと思う。
その帆高を拾い、月に3000円という低賃金で住み込みで働かせるおじさん。
そしてその姪。
親に問い合わせをせず、未成年を働かせ続ける。
どうかしてない人間がいない。
帆高の親が帆高を探しにきたとき、おじさんが帆高に5万を渡し、家に帰れと言って、まともなことを言うじゃん!と見直したら、それが悪のように姪が責め立てる
なんか変な鳥居に祈ったことにより、局地的に晴天を作ることができるようになった女。
帆高に唆され、晴れを作るビジネスをし荒稼ぎをする。
帆高が警官に家出少年として補導されそうになったとき、雷を落としトラックを大爆発させ、その混乱に乗じて逃げる。
そのあと帆高と弟で楽しくカラオケ歌ってたとき、こいつらみんな頭おかしいのか?と思ってしまった
そして、能力を使いすぎて死にかけたときに、帆高のことしか考えてなかった。
弟は?
そして、母親が亡くなったあと、子供2人で暮らすようになった理由が最後までわからない。
帆高が息するようにくそ臭ポエム読むし、大丈夫だよ!一緒に逃げよう!って言っても毎回どうにもならないし、たまたま拾った銃を持ち歩いて発砲したり脅したりするのに、俺たちは間違ってない!みたいな善人仕草をする。
帆高が捕まっても逃げ出すし、線路を走り回る。
仕事を頑張ってる警官が無駄に疲弊させられてる。邪魔するな!って帆高が邪魔なのよ。
陽菜が関東地方の一部を晴れにするために犠牲になったんだ!俺が助ける!というけど、警官としては知っちゃことないし、だから逃して!って言っても説明不足すぎる。
人間として見下してしまっていて、15年以上マトモに会話していない。
不倫する人間に生きる価値はないと思うし、よくもまぁここまで好き勝手して生きてこられたと思う。
あまりにも父親が人間としてクソみたいな出来なのもあり、ああはなるまいと努力した結果、自分は経営者まで上り詰めたし、今後人生でお金に困ったり、誰かに非難されるような生き方を送ることもないだろう。
嫌いになる理由なんていくらでも上げられるし、多分このまま死んでも無縁仏で処理するだろう。
それでも父親の白髪交じりの髪を見たりすると、残り10年か?20年か?の時間をこのまま嫌悪したまま続けて良いのかどうか、悩んでしまう。
学歴なくてもやっていけるのは本当の実力者だけだよな。
俺は某国立大学院に通っていたとき底辺バイト(イベント設営等の何でも屋)でこの世の本当の底辺と関わることが出来た。
誰でもできる軽作業なんていう謳い文句だけど実際は砂袋を何往復も運んだり結構な肉体労働。
社員のおっさんどもに罵声を浴びせられながら必死に日銭を稼ぐ。
1日中デスクワークしてカタカタタイピングして仕事するふりして汚い金稼ぎやがってよ。
そんな金で家族に飯食わせて恥ずかしくねぇのかよ。
男ならてめぇの腕っぷしで汗水流して金稼いで見ろってんだ。
小学校の頃「あの子は陰口ばかり言ってるから近寄らない方がいい」って言われて孤立していた女の子が居た。
実際同じクラスになって関わってみると話す言葉が嫌味っぽくて、人をよく否定する、ツンツンした感じの子だった。
あまり関わりたくないな……と思った矢先に私とその子は同じ修学旅行の班になった。
そしてバスも隣の席になった。
行きのバスは最悪だった。席に座るや否や私を小馬鹿にしたような事を話してきて自分を持ち上げる。どんな会話をしても嫌味が入っててカチンと来る。私はついに我慢できなくなってその場でハッキリ言ってしまった。
「そんなんだから人に嫌われてるんでしょ!」
言った後にあっと思ったがその子は一瞬驚いた顔をしてでもすぐ無表情に戻って、「知ってる。」の一言だけ話して、あとは静かになった。
修学旅行はまるでそんなこと無かったかのようにフワッと話して、普通に終わった。
帰りのバスで「そんなふうに私にハッキリもの言ってくるの。初めてだった。」って話された。
なんだか距離が縮まった気がした。多分あの子は不器用だったんだと思う。
中学校に上がって、その子とは別のクラスになった。廊下で何回かすれ違ったけど、小学校の頃とは全然変わってて数人の友達に囲まれていた。
彼女も、人付き合いが上手くなったのかな、って思ってなんだか少し私と離れた気がした。
2年生になって、同じクラスになった。席も近くなったから久しぶりに話をした。
「私ね、小学校の頃あんたより頭悪かったの。運動も出来なかった。でもある日頑張らなくちゃって思ってそれから毎日勉強と運動した。それで中学生になって、次は自分の性格を直さなくちゃいけないって思った。だから今はちゃんとしてる。これもあんたのお陰だよ。」
この話を彼女から聞いたのは1回だったけれど、とても印象強かった。
彼女は成績もトップの方だったし、運動もよく出来て大会でも優勝してた。でもそれは全部彼女の努力の上に成り立ってることだって思った事。
そして、私のお陰って話してくれた事。すごくすごく嬉しかった。
私のことを1番信頼してくれてたし、1番仲良くしてくれてた。愚痴とかも話してくれて、相談とかもしてくれたし乗ってくれた。最高の友達だった。ただ私以外の人には猫かぶってるから私への当たりはキツかったけど、それが彼女の本性なのかなって思えた。
中学校3年生の時、パソコンの授業中に私がふざけてその子の席にちょっかいをかけに行ってた。
会話の流れで「お前なんか世界一嫌いだわ!!!」ってその子が叫んだ。いつもかと思ってワハハって笑い飛ばしてたら、周りのガヤガヤに紛れて聞こえないくらいの小さな声で「それで、世界一好きだよ。」って言われた。
私はいつもと違う彼女の様子に戸惑ってそのままいつもの調子で「え!?何!?もう1回!?」と叫んだ。「二度と言わん!!!!!!!!!」って彼女に頬を殴られた。
なんだったんだよ。なんだったんだ。あれから数年経つけど、私はまだ覚えてる。
高校生になって、バラバラの学校になって、誕生日おめでとうのLINEと年明けのLINEくらいしかしなくなってしまった。文化祭にその子の学校に行ったけど、他の綺麗な女の子たちと歩いてて、手を振る以外話しかけることは出来なかった。
もう一度あの日のことを聞きたいけど、私の勘違いかもしれない。
私のこと、好きなの?
中学生の頃、Aちゃんという友達がいた。小学生の頃からもちあがりのクラスメイトが多い中、転入生として現れた彼女との付き合いはそれ程長かったわけではない。それでも、"アニメ好き"という趣味を通じてそれなりに仲良くできていたと思う。
中学卒業前、Aちゃんは声優になりたいのだと私に夢を語っていた。養成所に通うのだとも話してくれた。中学生という義務教育真っ只中の夢見心地な年頃にとって、声優という職業はそれなりに憧れの地位にある。私も口では安定した職業に就きたいと言っていたが、憧れがなかったかといえば嘘になる。
素直に自分の夢を語るAちゃんの姿はあの頃の私にとってあまりにもキラキラとしたものに見えていた。同時に、夢を追いかけるために一歩を踏み出そうとするAちゃんを羨ましくも思った。がんばってね、応援してる、と声をかけてその日の話は終わった。
卒業後、私とAちゃんが連絡を取ることはなかった。というよりも、当時携帯を持っていなかった私にはAちゃんとの連絡手段は存在しなかったのだ。ただ、今まで通りアニメや声優が好きなのは変わらなかったため、時折頭の片隅でAちゃんは今頃何をしているだろうか、と考えることはよくあった。私は色々なことを忘れがちなのだが、何故かAちゃんがあの日語った夢の話だけは忘れることがなかった。
あれから6年たって、つい最近Aちゃんとたまたまバイト先でレジ打ちをしている時に再開した。(恥ずかしながら、私はスーツを着ていたAちゃんに「○○ちゃんだよね!Aだよ」と声をかけられるまで彼女に気づくことができなかった。)
今日、裏の家の奥さんが亡くなったって地区当番の人から連絡があった。
こんな時期なので家族葬香典辞退で参列することはないのですが、子供(中学生)が同級生で、挨拶程度の言葉は交わしていたので。
俺は以前までは努力すれば報われると一心不乱に自己洗脳し、努力を自己に強要してきた。その結果、周囲の環境はそれほど悪くなかったのにも関わらず、自ら精神を破壊し、一般的な生活を送ることが困難になるほどになってしまった。不眠や常に脳に違和感を感じる障害を持ってしまった。心療内科の医者に言わせれば鬱病ってやつだ。今思えば、自分のメンタリティをセルフブラック企業化させていたと思うし、今後二度と、"頑張らないといけない"という危険思想を自分に課したくないし、増してや他人に強要するなんてもってのほかだと強く感じる。
確かに努力することは決して悪いことじゃない。何か自分の得たいものに向かって踏ん張るのは時には必要な時もあるだろう。だが、それを過剰に賛美したりするのは危険な気がしてならないし、自分以外の誰かに努力論みたいなものを語られた時には吐き気がするぐらい違和感を覚える。
インターネットを徘徊していたある時、一つの言葉に出会った。"実のない努力は努力じゃなくて徒労だ"という言葉に。これを見た時、自分は少し救われたような気持ちになった。実のならない努力と分かったり、自分には到底無理だと思ったら努力しなくても良いんだと思ったと共に、努力なんて言葉に囚われる必要なんてないと強く認識出来た。
世の中は案外、努力を要求されるもので溢れている。生まれ落ちた時から、出来ないことに対して踏ん張って出来るようにしろと教え込まれ、中学生になれば高校入学のために受験戦争に打ち勝つため努力しろと教え込まれる。大学受験なんか、いい歳こいたオッサンがその話を飲み屋で延々と話すネタとして持ち出されるくらいには頑張らされる。社会人になったらなったで出世競争、キャリア、ブラック企業、格差・非正規雇用等の問題が多く出てきて頑張る必要が出てくる。また結婚・出産した時には寝る間や自分の心も惜しんで頑張ることを周囲から強要される。
生きてく中でぶち当たる問題が出てくるのはみんな生きてるんだから仕方がないとして、自分は頑張ってるのに上手くいってなくて可哀想だと周りに言ったり、自分は他人より頑張ってるからエラいなどとひけらかしたりするヤツには心底ウンザリする。誰のために頑張ってるんだよ、頑張った先に自分が幸せになれる見込みがないなら徒労に終わるだけだから頑張るのを今すぐにやめろ。
極論の例えを出せば、努力なんかしなくたって、日本は生活保護等のセーフティネットも整ってるし、娯楽もスマホがあれば今や無限にある訳だから工夫すりゃ楽しく暮らせるだろ。生活保護受給することで国が持つ税金が減ると言ったって頑張ることを殆どの人に強要される社会の方が不健全だし、全体の幸福度も下がるだろ。
要するに、自分のために個人が活動していくのが最優先事項なのに、そこを履き違えたヤツが周りに、私はこんなに頑張っているのに...!などた喚き散らかしたり、全く関係ないヤツに努力を押し付けるのは絶対にやめて欲しい。
このコロナ禍で分かっただろ、株式市場の相場は底値から既に脱却し、資本家たちの命は早々に守られたものの、多くの労働者が職にあぶれ、貧困に喘いでいるといった混迷でモラルなんて無い時代の中で"頑張る"・"努力"という意味不明な言葉に踊らされのは賢明なことではないと。
本当に今一度努力とは何なのか、なんのために今頑張っているのかということを。そしてその努力に関して他者を過度に介在させずに、自分の力で自分の人生をより良くしていってほしい。これをする人が1人でも増やすことで、ベクトルの間違った努力をすることで自分を不幸にし、更には他人まで不幸にすることを防げる。現代社会が今よりも凄惨なものにならないよう心がけていきたい。これは自戒でもある。
これまで40余年、だいたい平凡と言える人生を送ってきたが、今年は突然エキサイティングな一年となってしまった。
せっかくなので印象的な出来事を振り返りながらブログ記事でも書こうかと思ったけど、ちょっと人には言えないようなことばかりなのでここに書いてみるよ。
なおブコメ、トラバにはいっさい反応しませんので悪しからず。
外資系企業に勤めているが、報酬の一部を本社の株式としてもらっている。
その売却制限が今年一部解除されたので換金したところ、好調な業績と世界株高が相まって、1億円以上の利益になった。
ところでこの収益、なんと全額が給与扱いになるので、税率20%の分離課税ではなく、最高税率45%の所得税が適用される。
全体に対して45%がかかるわけではないが、住民税10%も乗っかってくるので、合計するとざっくり半分が税金。
泣けるね。
ちなみにあと数年は似たような状況が続く予定。
今年と来年以降の節税のため、築古の中古アパートをいくつか買った。
建物の減価償却と税率の差をうまく利用するのだが、細かい話は割愛する。
不動産投資は人生初で勉強しないといけないことだらけだったが、このスキームでの不動産投資は非常に低リスクであることが分かったので、特に不安もなく合計ウン億円のアパートローンを背負ってしまった。
家庭内別居状態にある不仲の妻との離婚に踏み出した。
下手に資産が増えてしまったので財産分与が面倒なことになってしまった。
俺の働きで稼いだ財産を半分持っていかれるのもしゃくに障るので、財産分与までにこっそり豪遊をして目減りさせてやろうと思っている。
若い彼女を作ろうとパパ活アプリを使ってみた。
プロフィールの年収に1億円とか書いたらちょっと嘘っぽい感じがしたので、控えめに数千万円にしたら次から次へとマッチング、ほんの2ヶ月ほどの間に20代前半の女の子30人とお茶や食事をした結果、「お勤め感」を感じさせないとても良い娘と出会うことができた。
こんなおっさんに若い娘が群がってくるなんて金の力はすごい。
子供が通う学校と児童養護施設に寄付をした。
学校への寄付に関してはこれまで「学費だけで十分、寄付なんてのは金持ちがするもんだ」と言って毎年のお願いを華麗にスルーしてきたが、俺がその金持ちになってしまったので言行一致のために寄付。
児童養護施設は近所のご縁のあるところに。
寄附金控除を使うと寄付金には税金がかからないので、実は寄付金の半分以上が後で戻ってくる計算。
30人の中から二人目の彼女ができた。
一泊二日の混浴露天風呂の温泉旅行は最高だった。
30人の中から三人目の彼女ができた。
会った女の子には必ず「自分は彼女を3人作るつもりだ」と伝えていたので何の問題もない。
体毛、特にいわゆるVIOと呼ばれる箇所の毛は要らないな、と思ったので、医療レーザー脱毛に通い始めた。
その結果、息子が非常に可愛らしくなってしまったので、娘たちには弟のごとくかわいがってもらった。
なお施術は非常に痛い。女性スタッフに触られながらの施術なので当然勃つのだが、レーザー照射の痛みで萎える。勃つ、そして萎える。
次回の通院が憂鬱だ。
多額の住民税を少しでも取り戻そうと、ふるさと納税に精を出した。
計算したら追加負担なしのふるさと納税枠が数100万円分あるということだったので、返礼品目当てに名も知らぬ50以上の自治体にふるさと納税しまくった。
返礼品はだいたい寄附金額の3割程度のものが多いので、その分の税金を実質的に取り戻すことができたのと、日本地理に少し詳しくなった。
途中から欲しい返礼品もなくなってしまったので「出張マグロ解体ショー」を検討したが、家族だけでは食べ切れないし、近所に振る舞うと稼いだことがバレてしまうので自重した。
結局使い切れない分は親兄弟と彼女たちに分け与えた。
彼女の一人はとても感じやすい体質で、ずっとイキっぱなし、潮も吹きまくり。
それはそれでうれしいし満足感もあるのだが、男は一瞬で過ぎ去ってしまうのでどこか羨ましい気持ちがあった。
そんなときにたまたま知ったのがドライオーガズム。
男でも女性が感じるのと似たような快感を得られるらしい。
興味を持ったので早速そういうプレイのお店に行ってみた。
プロの技はすごくて、最初は違和感があったものの緊張がほぐれてくると徐々にこれまで感じたことのないような快感が押し寄せてくる。
まだ初心者なのでドライオーガズムに達したことはないが、もうしばらく通って開発してもらいたい。
あとカップルコースというのがあってプロの指導を受けられるというので、そのうち彼女の一人を連れて行ってテクを学ばせてあげたい。
目標を超えて彼女がさらに二人できてしまった。
一人とは付き合う気はなかったのだが、コロナでバイトできなくてカードローンに手を出したら返せなくなった、もう風俗で働くしかない、と泣きつかれたので、少々多額のお金を貸してやることにした結果、しばらく付き合うことになってしまった。
半分人助けみたいなもんである。
もう一人は、今まででいちばん一緒にいて楽しかったので、彼女にしないという選択肢はなかった。
才色兼備で趣味が合い、ガチの年上好きで俺のことをとてもレスペクトしてくれるという奇跡のような女の子。
こんな娘と再婚できたら最高だな。
体重はそれなりに増えてしまった。
当たり前だ。週2で彼女たちとデートして、そのたびに豪勢なものを食べているのだから。
でも彼女たちにとって、普段は行けないようなレストランに連れて行ってもらえることは俺と付き合う理由のひとつなので、これをやめるわけにもいかないのは困りものだ。
離婚のことは憂鬱だけど、トータルで考えれば非常に幸せな1年でした。
中学生の頃の自分に、お前の妄想はそのうちだいたい叶うから頑張って勉強するんだぞ、と言ってやりたい。
どの出来事が中学生の頃の妄想だったかは皆様のご想像にお任せします。
それにしても彼女ができない若い男性には申し訳ない。
若い女の子は若い男には興味がなくて、俺みたいなのと付き合っているのです。
複数の女の子が「恋愛するのは今じゃなくていいかな」と言ってます。彼女たちは自分の若さの価値をよく知ってますね。
俺が若い頃もそうだったんだろうか。だから振られてばかりだったんだろうか。
なお彼女たちにとっての自分の魅力のほとんどはお財布であることくらいは言われなくても理解しています。
それでもそのお財布は自分の力で手に入れたものなのでその点は全然気にしていません。
来年も良い1年となりますように。