はてなキーワード: 中学生とは
これまで40余年、だいたい平凡と言える人生を送ってきたが、今年は突然エキサイティングな一年となってしまった。
せっかくなので印象的な出来事を振り返りながらブログ記事でも書こうかと思ったけど、ちょっと人には言えないようなことばかりなのでここに書いてみるよ。
なおブコメ、トラバにはいっさい反応しませんので悪しからず。
外資系企業に勤めているが、報酬の一部を本社の株式としてもらっている。
その売却制限が今年一部解除されたので換金したところ、好調な業績と世界株高が相まって、1億円以上の利益になった。
ところでこの収益、なんと全額が給与扱いになるので、税率20%の分離課税ではなく、最高税率45%の所得税が適用される。
全体に対して45%がかかるわけではないが、住民税10%も乗っかってくるので、合計するとざっくり半分が税金。
泣けるね。
ちなみにあと数年は似たような状況が続く予定。
今年と来年以降の節税のため、築古の中古アパートをいくつか買った。
建物の減価償却と税率の差をうまく利用するのだが、細かい話は割愛する。
不動産投資は人生初で勉強しないといけないことだらけだったが、このスキームでの不動産投資は非常に低リスクであることが分かったので、特に不安もなく合計ウン億円のアパートローンを背負ってしまった。
家庭内別居状態にある不仲の妻との離婚に踏み出した。
下手に資産が増えてしまったので財産分与が面倒なことになってしまった。
俺の働きで稼いだ財産を半分持っていかれるのもしゃくに障るので、財産分与までにこっそり豪遊をして目減りさせてやろうと思っている。
若い彼女を作ろうとパパ活アプリを使ってみた。
プロフィールの年収に1億円とか書いたらちょっと嘘っぽい感じがしたので、控えめに数千万円にしたら次から次へとマッチング、ほんの2ヶ月ほどの間に20代前半の女の子30人とお茶や食事をした結果、「お勤め感」を感じさせないとても良い娘と出会うことができた。
こんなおっさんに若い娘が群がってくるなんて金の力はすごい。
子供が通う学校と児童養護施設に寄付をした。
学校への寄付に関してはこれまで「学費だけで十分、寄付なんてのは金持ちがするもんだ」と言って毎年のお願いを華麗にスルーしてきたが、俺がその金持ちになってしまったので言行一致のために寄付。
児童養護施設は近所のご縁のあるところに。
寄附金控除を使うと寄付金には税金がかからないので、実は寄付金の半分以上が後で戻ってくる計算。
30人の中から二人目の彼女ができた。
一泊二日の混浴露天風呂の温泉旅行は最高だった。
30人の中から三人目の彼女ができた。
会った女の子には必ず「自分は彼女を3人作るつもりだ」と伝えていたので何の問題もない。
体毛、特にいわゆるVIOと呼ばれる箇所の毛は要らないな、と思ったので、医療レーザー脱毛に通い始めた。
その結果、息子が非常に可愛らしくなってしまったので、娘たちには弟のごとくかわいがってもらった。
なお施術は非常に痛い。女性スタッフに触られながらの施術なので当然勃つのだが、レーザー照射の痛みで萎える。勃つ、そして萎える。
次回の通院が憂鬱だ。
多額の住民税を少しでも取り戻そうと、ふるさと納税に精を出した。
計算したら追加負担なしのふるさと納税枠が数100万円分あるということだったので、返礼品目当てに名も知らぬ50以上の自治体にふるさと納税しまくった。
返礼品はだいたい寄附金額の3割程度のものが多いので、その分の税金を実質的に取り戻すことができたのと、日本地理に少し詳しくなった。
途中から欲しい返礼品もなくなってしまったので「出張マグロ解体ショー」を検討したが、家族だけでは食べ切れないし、近所に振る舞うと稼いだことがバレてしまうので自重した。
結局使い切れない分は親兄弟と彼女たちに分け与えた。
彼女の一人はとても感じやすい体質で、ずっとイキっぱなし、潮も吹きまくり。
それはそれでうれしいし満足感もあるのだが、男は一瞬で過ぎ去ってしまうのでどこか羨ましい気持ちがあった。
そんなときにたまたま知ったのがドライオーガズム。
男でも女性が感じるのと似たような快感を得られるらしい。
興味を持ったので早速そういうプレイのお店に行ってみた。
プロの技はすごくて、最初は違和感があったものの緊張がほぐれてくると徐々にこれまで感じたことのないような快感が押し寄せてくる。
まだ初心者なのでドライオーガズムに達したことはないが、もうしばらく通って開発してもらいたい。
あとカップルコースというのがあってプロの指導を受けられるというので、そのうち彼女の一人を連れて行ってテクを学ばせてあげたい。
目標を超えて彼女がさらに二人できてしまった。
一人とは付き合う気はなかったのだが、コロナでバイトできなくてカードローンに手を出したら返せなくなった、もう風俗で働くしかない、と泣きつかれたので、少々多額のお金を貸してやることにした結果、しばらく付き合うことになってしまった。
半分人助けみたいなもんである。
もう一人は、今まででいちばん一緒にいて楽しかったので、彼女にしないという選択肢はなかった。
才色兼備で趣味が合い、ガチの年上好きで俺のことをとてもレスペクトしてくれるという奇跡のような女の子。
こんな娘と再婚できたら最高だな。
体重はそれなりに増えてしまった。
当たり前だ。週2で彼女たちとデートして、そのたびに豪勢なものを食べているのだから。
でも彼女たちにとって、普段は行けないようなレストランに連れて行ってもらえることは俺と付き合う理由のひとつなので、これをやめるわけにもいかないのは困りものだ。
離婚のことは憂鬱だけど、トータルで考えれば非常に幸せな1年でした。
中学生の頃の自分に、お前の妄想はそのうちだいたい叶うから頑張って勉強するんだぞ、と言ってやりたい。
どの出来事が中学生の頃の妄想だったかは皆様のご想像にお任せします。
それにしても彼女ができない若い男性には申し訳ない。
若い女の子は若い男には興味がなくて、俺みたいなのと付き合っているのです。
複数の女の子が「恋愛するのは今じゃなくていいかな」と言ってます。彼女たちは自分の若さの価値をよく知ってますね。
俺が若い頃もそうだったんだろうか。だから振られてばかりだったんだろうか。
なお彼女たちにとっての自分の魅力のほとんどはお財布であることくらいは言われなくても理解しています。
それでもそのお財布は自分の力で手に入れたものなのでその点は全然気にしていません。
来年も良い1年となりますように。
畑中を初めて認識したのは中1の3学期だった。中高一貫の母校では毎年高3送別会として各学年の有志が出し物をするイベントがあった。学年が上がれば各学年のカラーが出てきてそれぞれに工夫を凝らした出し物になるのだが、高3との関係性も薄い中1はたいてい合唱と相場は決まっていた。その合唱の練習にいった多目的ホールで、なんかやけに綺麗な子がいるなと思った。すらりと背が高くて顔が小さくて、鼻筋は高く通っているけど鼻先は少し丸くて親しみがあって、真顔でも口角が上がっている猫のような顔。胸下まである長い髪が静電気で少し膨らんでいた。
いつどのように仲良くなったかはどうしても思い出せない。気が付けば毎日のように畑中と手紙を交換し、イラストの練習をし、力尽きて眠るまで長電話をし、プリクラの新しい落書きを開発し、ハリーポッターの世界に浸り、塾をさぼって何をするでもなく新宿のマクドナルドに居座り、インターネットにハマってブログを開設して高校生ブログランキングでいいとこまで行ったりしていた。私たちはたいていランキング上でも並んでいて、いつも畑中の方が上にいた。高1か高2の球技大会中、早々に負けて残りの2日間ヒマだったのでピアッサーを買いに行って次の日学校の廊下で畑中にピアスを開けてもらった。私はどこにピアスを開けるのがおしゃれかなんて分からなかったし、穴を増やすつもりもなかったので完全に畑中にお任せして場所も決めてもらった。実際にピアスを開けるときよりも畑中がハイテックで耳たぶに位置決めのマークを書いている時の方がなぜか緊張した。畑中はピアスに凝っていて、形がいいと褒められるから右の耳にはもうピアスは開けないんだと言って左耳にばかり穴を増やしていた。
畑中に話していないことは何もなかったし、お互いの人生の登場人物は全員把握していた。高2の時にくだらないことがきっかけで大喧嘩して、喧嘩の勢いでお互い言わなくていいことまで言ってしまった。引っ込みがつかなくなってしばらく初めての別行動をして、一緒に観に行きたかったなって思いながら観たロードオブザリングは全然面白くなかった。後から仲直りして、「ロードオブザリング、一緒に観たかったのに」って言ってくれたときはやっぱりうちら親友だねって思ったよ。
私は畑中が一番の親友だったけど、畑中にはもう何人か細く深い友達がいて、その子たちはみんな学校では少し浮いている性の香りのする女の子たちだった。彼氏が途切れない女バスのギャルグループみたいな男好きするムードとは違い、〇〇ちゃんの彼氏って、社会人らしいよ……と噂が立つタイプの、今にして思えばクラスメイトは幼稚で話が合わなかったんだろうなというような早熟なはぐれ狼と仲が良かった。畑中自身は何人かに告白されこそすれ試しに付き合ってみても全然ピンと来なくて別れる、みたいな感じだったので、畑中は恋愛にあんまり興味ないのかな?なんて思っていた。なんせ畑中は美人だし、そんじょそこらの男が付き合えると思ったら大間違いよ。だから大学に入ってから、予備校の仲良しグループの男の一人と付き合いだしたときは(あんまかっこよくないし背も低いのになぁ)なんて勝手に思っていた。
そうして安心して自分を委ねられる相手ができたことで、畑中のメンヘラの才能が開花した。元から畑中は時間にルーズだったり忘れ物が多かったりルールを無視したりするタイプだったけど(そういうところが私も似てたからお互い遅刻しまくりながら長く付き合っていた部分もある)なんかそういう自分本意で、自分が良ければあとはなんでもいいようなところが加速していた。畑中は受験がうまく行かなくて不本意な大学に通っていたのもあって、大学1年の時はとても不安定だった。でも1年後再受験することに決めて、無事第一志望の大学に合格した。私は畑中の受験が終わるのをすごく楽しみにしていて、受かったらお祝いに一緒に沖縄に行こう!って言って旅行を予約していた。「やっぱり行けない」と言われたのは出発の3日前。うち厳しいし旅行のことも怒られるから言ってない、今更言えない、キャンセル代は払うからと言われて落胆し、怒り、「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と詰った。「だって聞く耳持たずって感じだったじゃん。勝手に決めちゃうからさ……」と言われた。私が一人で先走って空回ってただけ。キャンセル代は銀行振り込みだった。さすがにショックだったけど、志望校に受かった畑中は明るさを取り戻し、また魅力的なやつに戻っていたのでなし崩しに今まで通りの付き合いが続いた。
畑中が受かった大学はたまたま私の家の近所にあって、私はその大学で別の友達が立ち上げたサークルの手伝いをしていた。私がグループで集まれる数少ない友人の一人が、とある企画のために入学直後から大変な苦労をして作り上げたサークルだった。畑中はそのサークルに興味を持って入ることになり、美人なのにおちゃらけた性格でもってすぐ溶け込んだようだ。前後関係は忘れたけど、前の彼氏と別れた後はサークルの仲間の一人が恋人になったようだった。その頃私はほとんどそのサークルには関わっていなかったんだけど、そこでまあよくあるサークル内の小競り合いみたいなことに発展し、畑中はサークル創立者の友達と対立して揉めた。泣かせた。その友達からこんなことがあって……と話を聞いている最中、畑中からメールがきた。「今六本木で飲んでるよー!増田もおいでよ!」
ナメられてんな~と思った。私のことも蔑ろにして、私の大事な友達のことまで傷つけるんだ。人が作ったサークルに後からやってきて我が物顔でぶち壊そうとしている。それで呑気に飲んでんの?六本木で?なんかもう限界だった。小さく積み重ねてきた「大切にされていない」という思いがここで臨界点に達し、「私が何も聞いてないとでも思ってる?もう連絡しないで」と返し、メールを受信拒否して連絡先を消した。それから今日に至るまで会っていない。
畑中は小さい頃にママを病気で亡くしている。仕事で忙しいパパと厳格なおばあちゃんに育てられて、畑中はずっと愛が足りなかった。パパには再婚したい相手がいて、多分畑中が学生のうちはやめておこうと思っていたのか籍はいれていなかったけど、その相手の女の人の影がちらつくたびに畑中は不安定になった。中学生の私ですら、畑中にはパパしかいないんだから再婚なんてしないでよと思っていた。畑中はずっと誰かに愛されたかった。そしてそれは私ではだめだったのだ。私が誰より一番畑中が好きだったのに。よく男女の恋愛で「私はあんたのママじゃない」なんて台詞があるけど、私があんたのママだったのに。本当に大好きだったのに、趣味もセンスもあんなに合う友達あれから十何年経ってるけどできないよ。でも時間や決まりごとにルーズすぎて、私との約束も適当に反故にしちゃって、ないがしろに扱っていい相手だって思ってたことが分かってるからもう会えない。大人になった今なら再会しても適度な距離感で付き合えるかもしれないけど、きっとまた同じことで私がキレて終わりなの。畑中の一番にはなれないから。畑中の愛されたいを満たすのは恋愛じゃないとだめで、ただの友達じゃそんなもん満たされなかったのだ。私が畑中が自慢したくなるようなイケてる友達だったらなんか違ってたのかな?眠くて何度も切ろうとした電話を「まだ寝ないで、もっと話そうよ」って言ってきたのはいつも畑中だったじゃん。でも恋じゃないけど愛してたよ。もう一生会いたくないけど、寂しい夜が少ないことを祈ってるよ。
チー牛って飲む打つ買うほぼやらん割には、四六時中ソシャゲーやらカードゲームやら電車やら追っかけてて身の回りの事全てに無頓着な印象
だから
半端に長くて整えてない黒髪+
黄ばんだ歯でニチャア
みたいになるんだろ
■30半ばで年収900万円達成したんだけど、向上心が失われて行って辛い
新卒時は大手SIer(プライムコントラクター)に就職、30手前でユーザ企業に転職して今は上流・下流工程を知ってるITシステムの発注者側の立場にいる。
新卒でIT企業に就職した時はまだ自分がこれからどうなっていくのか明解なキャリアパスは描けていなかったが、
30歳に近づくにつれ、ユーザ側(発注側)に転職してITエンジニアを指揮する立場にならなきゃダメだと思い転職活動を頑張り、結果望み通りユーザ側の企業に転職して現在に至る。
新卒当初はSIerの中でチームメンバー(システム設計・実装・テストをする人) → チームリーダー → PM → 統括PMのようなキャリアパスを描くのが王道だと思っていた。
だが、元請けとは言えどんなに非合理なシステムでも客に言われた通りに作らなきゃいけない下請け企業でPMになったところで大して意味がないことに気づく。
自分に裁量などほとんどなく、理不尽な客に怒られたりバカにされたりする頻度が増えるのに比べて給料は大して上がらない。
担当していたプロジェクトは超大企業のサービス開発。なのだが、ユーザ側の担当者のレベルがびっくりするほど低い。発注担当者は中学生の作文みたいなクソRFP書いてよこしてくる。納期も費用も工数もめちゃくちゃ。しかもやりたいことが全く分からない。多分発注担当の上の奴がテキトーに言ったことをそのまんま真に受けて左から右に流してるだけなんだろうが、有名な大企業にもこんなおバカな社員が堂々と給料もらって平気で定年まで安泰なんだなと思ったら複雑な気持ちになっていた。
だけど、幸か不幸か、そのダメな担当のおかげで20代のうちにユーザ側へ転職しないと仕事のレベルも上がらないしスキルも上がらないことに気づけた。30半ばになって思い返すと、本当に感謝しかない。
まだ30半ばで成功とか失敗とか書くのは時期尚早だとは思うが、給料も大幅に増えてフルリモート・フルフレックス・コアタイム無しの環境を手にしている現状は控えめにいっても成功だと思わざるをえない。
年収も30半ばにして900万円を超えた。
ユーザ企業に転職して思うのだが、ユーザ企業ではITのスペシャリストというのは新卒ではほとんどいない。ゼロとは言わないがSIerのレベルから見ても平均から下のレベルしかない。
なので業務を改善する社内システムの開発や、売り上げに直結するWebサービスのバックエンド・フロントエンドの開発プロジェクトが検討され始めると必ず声がかかり、システムのアーキテクチャを選定する段階から意思決定で主導権を握れる。
こちらとしてもそういう役割を期待されて中途採用されたというのもあるし、何よりこういう会社は新卒採用時にITのスペシャリストを採用することもないので、社内の新卒の誰かと争って主導権をようやく握る、などのようなこともなく、自然と企画、設計、実装、運用まで全て意思決定に関われる。
まさかSIerから転職した身で、自分でTypescript, React, Firebase, Java, C#, C++, SQL, Python, TensorFlowを駆使してゴリゴリ開発して企画を実現し、それがプレスリリースされて正式に会社のサービスとして世に出るようなことになるとは20代の頃は想像していなかった。
ここまでは20代の頃に目指していた理想の30代のキャリアパスそのものだと自負していて大変満足している。
だが、30半ばにして20代の頃ギラギラとした向上心が次第に失われつつあるのを日々実感している。
30前半までは自分で目標設定してそれを達成するのが楽しかったが、30半ば以降は金と評価が欲しくなってくる
30代前半までは日々成長し、技術の選択肢も勉強する度に着実に増え、サービスの企画が持ち込まれるとそれを実現するためには~すればいい、などとパッと浮かんで日夜シミュレーションしてPoCして…というサイクルが楽しくしょうがなかった。
今でも楽しくはあるのだが、これまでとは違って「ただ楽しい」だけでは到底満足できなくなっている自分に最近気づいた。
これまでは金になろうがなるまいが、依頼された仕事は自然と全力で取り組むことができた。報酬はやりがい、のようなところは正直あった。
だが、30半ばを超えてくると物の価値がだんだんとわかってくる。
仕事が忙しくなった時に皆さんはタスクに順位付けをするだろう。
これまではその優先度は難易度で昇順ソートかけて上から順に消化していく方式をとっていた。
すぐできるものから片づけることで、仕事の見かけのスループットが上がる。客観的には仕事が早く進んでいるように見える。
だが、今では、そのタスク・プロジェクトが将来金になるかならないかでタスクの優先順位を検討するようになりつつある。
結果が魅力的でなければそもそも仕事のやる気すら湧き上がってこない。
年収900万円
これは30代半ば、理想のキャリアを追い求めて突っ走ってきた人間の向上心が奪われてしまうような大きな金額なんだろうか。
このへんで満足してあと20数年まったり定年まで過ごすべきなんだろうか。
20代の頃あれだけ将来のキャリアについて真面目に考えていたのに、30代になって40代の理想のキャリアパスが描けない。
うちの会社は年功序列なので、年収も40代になれば自動で1000万円を超える。
このへんで走るのをやめてジョギングに切り替えても、多分未来はそう暗くない。
なのに、アクセルが減速しかかっている自分を冷静に見つめると、何か、本当はもっとできるのに手を抜いている、みたいな罪悪感が湧き上がって止まらない。
はてなを読んでいると、自分と同じ30半ばくらいの年代の人が多くいるように感じる。
30半ばでようやく安定を手にしつつある自分と似たような境遇の人がいれば、
40代に向かってどのような準備をしているのか、さらに上を目指しているのかそれとも今のポジションでの安定を取るのか、それとも会社を辞めて起業を考えているか、など、
恐縮ではあるが共有してほしい。
30半ばでクズになりかかっている自分に、勝手ながら発破と刺激を与えてやってほしい。
よろしくお願いしたい。
タイトルそのままなんですけど、旧友が結婚してどういう感情を抱いているのか分からなくなったため書き込みました。まあ書いたらすっきりしたんでもういいんですけどね。あとはじめて書き込むので勝手が違くても許して。
友人Aが結婚した。その知らせはあまり親しくはない同級生からのものだった。
学生時代、彼女と私は親友で、休み時間の度に話に花を咲かせていた。好きな男の子の話、嫌いな先生の話、アニメの話、流行りのアーティストの話。どこまでも尽きない話題は、私たちがまだ若く、可能性がたくさん残されていることを示唆しているようであった。
友人Aの人柄は、よく言えば天然、悪く言えば抜けている。気が利くような人間では無いが、いつも笑顔で明るい天真爛漫な性格だ。愛されキャラ、というレッテルのもと皆に可愛がられるタイプである。
お互い三十歳を目前としていた。まわりもやれ結婚だやれ子育てだと、ライフスタイルが変わる頃合いである。私自身三年ほど前に結婚し、今は身重の体である。
話が逸れた。友人Aが結婚したそうだ。一番に、おめでとう、という感情を抱いた。
友人Aとは二年ほど連絡は取っていない。仲違いをした訳ではない。お互い仕事が忙しくなり、私は家のことにも時間を割かなければいけなく、一方彼女は新しく恋人が出来たのをきっかけに、一ヶ月に一回、三ヶ月に一回、半年に一回……と、年々会う頻度は減っていた。そうしているうちに、連絡を取り合わなくなったのだ。
旧友となってしまった間柄に、わざわざ結婚報告などしてこないか。
一縷の寂しさが滲んだ。しかし又聞きではあるが、友人Aが結婚した事実を知った以上、無視することははばかられた。結婚式を開くか、はたまた呼ばれるかは定かではないが、軽くお祝い品を包み、久しぶりに連絡を取ろうと決意したのは、十月の後半であった。
「久しぶり、元気?」
LINEのアイコンは、お互い二年前のままであった。それが妙な安心感を抱かせた。私たちはきっと、色々と変わってしまったけれど、変わらないものもあるのではないか。そう思わせてくれたのだ。
「元気だよー。どうしたの?」
友人Aは突然の私からの連絡にそう返した。きっと、私も逆の立場なら同じ返しをしただろう。彼女が職を変えていなければ、お互い土日が休日となる。会う約束を取り付けるのは容易であった。コロナ禍故、軽くご飯でも、と誘うのにさえなかなか勇気がいるものだ。まあ、断られたらそれまでだろう。そんな心中とはうらはらに、彼女は快諾してくれた。
二週間後の土曜日に待ち合わせとなった。駅中に新しく出来た洋食屋だ。LINE上で結婚したという報告をされるかとも思ったがそんな気配は無く、約束した日はすぐに訪れた。
「久しぶり〜」
洋食屋に先に着いていたのは私であった。単純に、あとから来て声をかけるのが苦手なのだ。それなら待っていて、見つけてもらう方が良い。
やがて私と同じ背丈ほどの女性が店を訪れた。店内のオレンジ色のライトに照らされたその女性は友人Aであり、私が席を立ち上がって手を振ると、小走りで近寄ってきた。
ベージュのトレンチコートを身にまとう友人Aは、記憶の中の彼女とさして変わりはなかった。もともと童顔な造りの友人Aは、老け顔の私と比べると年齢差があるように思えた。
友人Aが向かいの席に座ってすぐ、左手の薬指に指輪がはめられていることに気づいた。
私は知らない体で切り出した。
「うん。まあ、」
彼女は笑顔こそ浮かべていたものの、少し歯切れの悪さが目立った。マリッジブルーだろうか。結婚祝いにと、友人Aが好きなラベンダーを使ったスワッグと写真立てが入った紙袋がゴミにならなければいいのだが。
そんな様子の友人Aであったが、結婚するかどうしようかという相談はおろか、結婚した報告さえもされなかった私が、何かあった?なんて聞くことは気が引けた。気付かないふりをしてメニュー表を広げ、オーダーをした後、改めておめでとう、と大袈裟にはしゃいでみせたことで、友人Aは決意したように口を開いた。
「実は増田、私と付き合っている人のこと、あまりよく思っていなかったじゃん?だから報告するの、悩んでたんだよね」
そう、そうなのだ。まだ頻繁に連絡を取り合っていた頃、私は友人Aが新しく交際を始めた相手(以下A旦那)を良くは思っていなかったのだ。私は友人Aが、A旦那と結婚したという事実に面食らった。
なぜA旦那のことをよく思わなかったかというと、その人に離婚歴があり、親権こそないが中学生の子供もいると聞いていたからだ。さらに年の差も十個ほどあり、普通ならそれなりのポストに着いていてもおかしくは無い年齢であるが、派遣社員をしているという。それに友人Aは喘息持ちであるが、A旦那はヘビースモーカーだそうだ。
私は友人Aが付き合いだした当初、相談(という名の惚気)として上記の話を聞いた。ステータスだけきくと、やめたほうが良いと思った。だが口に出すことはしなかった。
私なんかよりも可愛い顔をした友人Aなら、絶対にもっと素敵な男性を見つけられるだろうに。が、A旦那の前に付き合っていた男性のことを、かなり引きずっていた友人Aが、やっと新しい恋をスタートさせたことに水をさしたくはなかった。友人の恋愛にいちいち口を挟むのはためらわれるが、本当に大切な友人なら止めてあげるべきなのか。しかし言ったところで恋愛中に他人の意見など聞くのか。いやでも…。
当時はかなり悩んだが、最終的に私は友人Aが良いなら良いんじゃない、というスタンスを貫いた。私自身思うところがあったのは事実であるが、それを隠すことも大っぴらに言うこともせず、結局は臭いものに蓋をした形で済ませた。そのことに、友人Aは気づいていたんだな、と二年越しに知ることになるとは思ってもみなかったけれど。
私はここで、友人Aが結婚することを祝う気持ちが、ほぼほぼ消えてしまったことに焦った。
私たちは所詮友でしかない。友人Aが誰と結婚しようが、私には利益も不利益も出ないはずなのに。どんな相手が配偶者になろうと、当人が幸せならそれでいいじゃないか。
二年前の懐かしい感覚が体を襲った。頭では理解しているのに、どうにも体が追いつかない。心臓が嫌な音を立てているが、それを悟られないように、結露した水の入ったグラスを口につけた。
「たしかに、当時は反対する気持ちもあったけどさ。でも、Aがその人のこと大事に思っていて、今ちゃんと幸せならそれでいいんじゃない?」
「増田…」
「Aが幸せなら、私はお祝いするよ!本当におめでとう!!」
口から出るのは頭で絞り出した言葉であった。内心では、なんであんな人と結婚したの?とか、絶対苦労するよ、とか、他にいい人絶対いるよ、とか。酷いことばかりで。抱いたことを飲み込む辛さと、嫌なことを考えてしまうことに自己嫌悪した。
紙袋に入った写真立てに、二人の写真が入れられることを想像すると、今すぐ床に叩き落としてやりたい気持ちであった。が、そんなこと出来るはずもなく、結婚祝いとは言わず適当な理由を付けて祝い品を渡した。
私には、関係のないことだ。大丈夫、友人Aが決めたことなら、それでいい。
「でも、増田がこうしてちゃんと祝福してくれてほっとした!ずっと言おうか言わないか迷ってたんだ〜」
その瞬間全部馬鹿らしくなった。
サプライズとして用意した結婚祝いも、最近連絡を取っていないから報告がなかったと言い訳がましくしていたことも、二年前の葛藤も、今さっき抱いていた自己嫌悪も。
友人Aと過ごした歳月は、決して短くはない。彼女本人から親友だと口にしてもらったこともある。それほどの仲であったのだ。あったのに、だ。
祝福されないかもしれないことを恐れて、報告をしてくれなかったのか。私は心無い言葉をぶつける人間だと思われていたのか。偏見を抱いている自分に対しての自己嫌悪も、友人Aが苦労しないように無理にでも止めるべきであったのだろうかと苦悩したことも、無駄だったのか。今も尚必死に取り繕っている外面も、アホらしくて仕方がない。
でも実際、私は諸手を挙げて祝福できないのだから、報告しなかった友人Aのほうが正しいのかもしれないな。
そう思った時、早く帰りたいなーとスマホで時間を見た。友人Aは久々に会ったことで、学生時代のように話に花を咲かせたがっていたが、私は目の前の和風ハンバーグをつつく気力さえ尽きていた。が、食べ終わったから帰ろうか、という口実をつくるため、無理やり胃に詰めこんだ。
友人Aは結婚式は身内だけですると言っていた。相手の方と年齢差もあり、さらに言えば離婚歴があるためあまり人を呼びたくないそうな。
あまりにホットクックに感動しすぎて全体的にステマ?ダイマ?みたいになってるけど許してほしい。
私は30年間実家暮らしで仕事と趣味に明け暮れてたのでもともと食事にさほど興味がなかった。
どれくらい興味がなかったかと言うと、中学生の時は夏休みに菓子パン+母の作った夕飯だけで一月に5キロ痩せてもなんとも思わなかったし、
同棲はじめてとりあえずキッチンの形作りのためだけに買った炊飯器がほんの3000円の激安品でも「まあ米のおいしさは変わらん」とまったく気にせずに使いまくってるほどだ。
さすがに同棲初期の頃に考えていた共働きの食事の問題の解決策として「そのへんのホームセンターで買った大鍋でカレーを常に作りおいて毎日食べる」作戦は旦那がいやな顔をしたので即ボツになった。
さてここに当たって問題が発生した。
カレーはスパイスの味しかわからないから気にならなかったのだが、それ以外の料理を食べると、あまりにも母の作ってくれた料理と味が乖離しすぎていてマズいのだ。
思えば昼に菓子パンしか食べなかった私でも夕飯は母のご飯を食べていた。
大人になり社会に出て金銭的にも余裕が出ても食事に興味のない、つまり外食で何かを食べたいという欲求のなかった私は、仕事から帰ってきたら当然のように母のご飯を食べていた。
同棲を始めて親元を離れ、外食も惣菜も弁当も食べた私は唐突に理解した。
母の料理が一番おいしいからそれ以外の食事に興味がなかったのだ。と。
完全に想定外である。まさか同棲しながら毎日母親にご飯をもらいに行くわけにはいかないし常識的に考えておかしい。
当然の帰結として母にLINEの通話でレシピや料理法を聞きながらの週末ワンツーマンレッスンになった。
しかし平日は働いて週末は料理は大変すぎた。旦那ももちろん作り置きに一品二品は作ってくれるがそれでも大変だった。
趣味のゲームも友人とのオンラインゲームもやってられない。なにせ掃除に料理に作り置きに洗濯にとくるくる動き回ってるうちに貴重な休日の半分は細切れにされてなくなってしまうのだ。
それでもおいしい料理は食べたい。母レシピを食べたい。できたら簡単に。
そんな折にTwitterでホットクックをめちゃくちゃ宣伝してるツイートを見つけた。
私は何も考えずに購入した。旦那には事後報告だったが快くOKしてくれた。
約三日後、届いた箱を開封するとレシピ本と無駄に横にでかい炊飯器のような真っ赤な鍋が箱から出てきた。
説明書を読んで簡単に手入れ方法を理解すると、ホットクックを説明書に書かれているとおりにセットして、次にレシピ本を読む。
レシピ本には写真付きでかなり詳細に料理を完成させるために必要な食材と調味料、そしてホットクックに命じるための番号が書かれていた。
そもそもお互いにどんな料理がこの世にあるのだというリサーチも不足していたのだ。私たちはレシピの写真を見ながら「あれを食べたい、これを食べたい」と会話し始めた。
そしてそこに書かれているままに食材と必要な調味料から我が家になかったぶんをメモすると、すぐに買い物に出掛けた。
アラームが鳴ったら料理を耐熱の保存容器に移し、軽く中を洗って、また食材を放り込んで趣味に戻る。
夕方までに簡単に3〜4品をゲームをやりながら作ることができた。
最初のうちはレシピ通りにつくったりしたらあまりのマズさにびっくりしたりもしたが、以前の模索時期に母に聞いた調味料配分を元にホットクックようにアレンジしたらほぼ解決した。一言で言うとダシとめんつゆは偉大だった。企業努力を信じろ。
そして我が家の平日のご飯の選択肢から外食と惣菜と弁当はほぼ消え去った。たいていそれらよりホットクックから出来上がる料理のほうが美味しいから当然である。
平日は見事リモート業務にうつれた旦那が鍋をセットしてホットクックの再度あたため機能を押すだけなのだから作業も簡単。私は家に帰ると悠々と自分好みに味付けした暖かい晩ご飯を食べられるという次第である。
それから半年、同じものが連続すると静かにいやな顔をする旦那にはレシピ本を追加で買って与え、「この中で食べたいやつを選んでくれたら作るよ」と聞くようにしたら、いい感じのを選んでくれるので私が選んだやつも合わせてすべての食材の買い出しまでやってくれるようになった。
私がやるべきは用意された食材を書いてあるとおりにカットし、書いてあるままに(たまにアレンジしつつ)調味料を入れるだけである。あとは料理後の片付けと洗い物くらいか。
人生を前に進めようとした人をただ不器用というだけで笑うな、ということに尽きる。
自分から異性にアプローチしなくては人生を前に進めることができない世界で生きてる。
だから夢に向かって受験したりオーディション受けたりするようなもので、
あきらめずに前に進もうとした人を、点数が全然満たなかったり、失敗したりするのを
チャレンジしてない側が晒して笑いにするなってこと。30にもなって冷笑中学生みたいなことするな。
相手に危害を与えるような暴力的だったりしつこいストーカー的なアプローチならともかく、
今回のケースは本人なりの誠実さしかないのは誰が見ても理解できる。
距離感が読めなかったのか、ダメとわかっていてワンチャン賭けたのか、単にセンスがなかったのかわからないけど。
ありがとう、でもごめんなさい、でいいじゃん。
話の中身はタイトルそのまんま。内容としては「字だけでずっとやってきたけど、絵描いたら人の苦労が分かってコンプレックス消えたよ」って話。おわり。
あとは腐女子のお気持ち長文。気持ち悪いと思う輩は散れ散れ。帰ってココアでも飲め。時間の無駄や。
字書き10年やってて交流無しでもボチボチ感想もらえるようになってきた。
自分の書く話好きだし、2~3年前から正直メキメキうまくなったなーと思う。当社比だけど。
自CPの布教のために書くのが楽しかったし、自分の作品で少しでもABにハマってもらえたら……と思ってずっと書いてきた。
けどクオリティを上げれば上げるほど、どうしても絵には敵わないって気づいてしまうんだよな。
絵や漫画が1万RTされてるのは見たことあっても、小説のリンクが1万RTされてるのは見たことなかったから、
「どんだけ頑張っても小説は絵と比べて伸びないな」「アンソロ小説不要論とかもあるし、小説っていらない子扱いなんやな」と
勝手に思い続けてきた。
だから絵を描き始めた。少しでもコンプレックスを消したかった。
描けないとか言ってわけのわからん僻みをこね回してるよりかは、そっちの方が建設的だと思ったからだ。
そしたら神絵師の人はどれだけ絵を描くのに頭を使ってるか、実感として分かるようになった。
なんやねん、この線の強弱。影の付け方。瞳の描き方。表情の豊かさ。完璧すぎるわ。
それがササッと描けてるなら、ササッと描けるようになるまでどれだけの枚数を描いてきたんや。
絵を描こうとしてみるまで分からなかったことが、絵を描こうと試みたことでたくさん分かるようになった。
それと同時に自分も小説を書くときに同じぐらい頭を使ってることに気づいて、
「なーんだ、かかってる手間はどっちも同じなんじゃん。小説だからって卑屈になる必要ないんだ」って思えた。
私かてキャラの心理描写するのとか、おおまかなストーリー組み立てるのも三十分ぐらいでサーッとやっちゃってるけど、
それはこれまでの積み重ねがあるからで、小説を書き始めたころはそんな風には絶対できなかったと思う。
というか、ハイクオリティなものを作ろうと自分に挑み続けてる全ての人を、心から尊敬してる。
けどやっぱり相手のやってることの解像度が上がるだけで、こんなにも尊敬する気持ちの質がより深いものへと変わるんやなとメチャクチャ意外な気持ちになった。
あとオマケではあるけど、自分のコンプも消えて嬉しい気持ちでいっぱいになった。
絵は中学生以来描いてないし、ホンマにマジで下手くそなんだけど、楽しいから字を書く傍らボチボチ続けていこうと思う。
どっちもかけたら、それが一番強いと思うし。
いろんな雑誌で描いたことあるエロ漫画家だけど意外とエロ漫画雑誌においてのNGというものを知られていないので書く。
もちろんこれは「NGと言われた雑誌がある」というだけで全ての雑誌でNGなわけではない。
・貧乳
マジでダメ。大半の雑誌で許されない。増田は貧乳が好きなのでいつも編集に挑むが負ける。
・ロリ
・メガネ
相当な眼鏡への思い入れがないと許してくれない。または途中で裸眼になる。眼鏡の女は人気がない証。
・グロ
専門誌以外はダメ。ちょっとしたSMぐらいなら許してくれる場合もある。
・ショタ
おねショタ、最近は割と人気だけどちょっと前は普通にNG項目に入ってた。今は許されるのかも。
・スカトロ(大)
(小)は許されるどころか積極的に入れられる。解せない。いや解せるけど。
・ゲロ
・触手
ファンタジーものは意外とNGが多い。一般人は抜けないかららしい。
・レイプ
・制服
コンビニ誌に多いけどコンビニの制服ダメとか。セーラー服ダメとか。もちろんランドセルもダメ。
不登校で成績も悪く進学できそうにない、というのはこの中学生の紛れもない現実なわけでしょ。
「自動車免許も、車を買うお金もないのにポルシェを買おうと勘違いしているのが今のお前だ」
も例えとして滅茶苦茶。
配信者は「高校なんて星の数ほどあるからどこでもいいから潜り込める高校探せ」みたいな
小賢しい中学生のような言い方で開き直った風な発言の政治家がいらっしゃいます。とてつもなく今風です。きっと目つき鋭く恫喝するようにおっしゃり、それに対して凍りつき、かつ愛想笑いを浮かべ何も仕事してないの記者姿が目に浮かびます。
納税者のひとりの私にとって問題のなのです。金に不自由したことのない生活を送ってきたであろう世襲政治家にとって端金にも満たない私の税金ではあるでしょうが、建前上は納税者に向き合う必要はあるのではないでしょうか。
他の納税者の方々は大爆笑で暗い世の中、久々に腹抱えて笑いましたという納税者の方々もいらっしゃることでしょう、感性は様々ですから。
ただ、少なくとも私にとっては不愉快なのです。つまらない自己紹介する政治家もそれを擁護するような政治家も。
ギャグというつもりの自己紹介をするような政治家が私の住んでいる国の政治家であるということがとてつもなく恥ずかしい。寒すぎて皮膚が縮こまる。自分の事のように恥ずかしい。納税者をこんな気持ちにさせることが問題です。
とある記事を読んだ。ある配信者が不登校の中学生からお便りをもらった。
「自分は不登校で成績も悪く進学できそうにないから就職しようかとも思っている」という相談者に対して、配信者は「お前みたいなのは死んでるも同然」「今のお前が働ける場所なんかどこにもない」と発言したことが物議を醸しているというのが記事の内容だった。
配信者を非難する声で溢れかえっているのかと思いきや、どうやらそう単純でもなさそうだった。驚くことに配信者を非難する声よりは、「正論」「事実を言ってあげてるだけ優しい」「非難してるやつらは現実を直視できてない」などといった声の方が圧倒的に多かった。
「自動車免許も、車を買うお金もないのにポルシェを買おうと勘違いしているのが今のお前だ」と。
彼らの言ってることはきっと正論なんだろう。社会は学歴を必要とするし、義務教育を受けるのは当然のことだ。
僕がその中学生に共感するのは、僕も中学を卒業したら高校に行かずに”どこかその辺に就職したい”と思っていた時期があるからだ。
高校に行って勉強するよりも、適当に就職して、適当に好きな本でも読んで暮らす方がいいと思えたからだ。
そこに車を運転したいという考えは微塵もないし、ましてや分不相応にお金持ちになりたいという気持ちもない。
「就職したところで上手くいくわけない」「自分のやりたいことがあとから見つかっても取り返しがつかない」と言う人もいるかもしれない。本当にそうだろうか。たかだか数年間勉強している間にそれらの障害が自分の知らないところで解決されているものだろうか。
彼らは”そうあるべき”だから”そうしろ”と言って責めてくるけれど、そこにどれほどの”自分の考え”があるのだろう。いったいどっちが社会を、いや、”自分の人生や自分の考え”を真っすぐに見つめたことがない人間なのだろう。
ああ、もちろんそれはきっと僕たちの側だ。こんなことを人前で言えば「君はまだ大人になれてないんだね。現実が見れないなんてかわいそうに」って目で見られる。
自分自身、高校や大学に行ってよかったと思ってる。でもそれは敷かれたレールに乗って、周りと同じように行動することで疎外感を覚えず、楽に生きてこられたからよかったという意味じゃない。そして同時にあの時進学せずに思うがまま生きていたらどうなっていただろうともよく考える。
たかだかネットの1記事に対する反応とは言えど、この中学生を責める声の多さに、今の社会の様相、はみ出し者に対する不寛容さが取り返しのつかないほどひどくなっている様を目の当たりにした気がしてならなかった。