はてなキーワード: 焦燥感とは
仕事がうまく言ってる時期・そうでない時期はあると思うけど、後者の場合は焦燥感による吐き気に襲われる。
特に酷くなるのが日曜日で、時計をみるたびに進む明日へのカウントダウンと、すぐ仕事のことで支配される頭にうんざりする。
そんな時はどうにか逃避しようとコンビニに向かい、安くて度数の高い酒とおつまみを買い漁る。
吐き気があるので食欲なんかないが、とにかく無心で買って帰る。
家についたら、古いパソコンでYoutubeを開き、雨音か滝の流れる音が長時間続く動画をかける。
そこから先は嫌でも酒とつまみを摂取し続け、余計なことを考えられなくなる時までひたすら耐える。
そうしてやっと、少しだけ心の落ち着く時間が訪れる。
酩酊している間だけ、私は赤ん坊のように「自由」に抱きかかえられて安堵する。
数時間後、酔いが冷めはじめると流している音が耳障りに感じ始め、パソコンを閉じる。
なるべく長く酔いたいからと水を摂取しなかった代償に苦しみながら、
この時はなんでこんなことをしたんだろうとぼんやり考える。
ただ、同じ吐き気ならこっちのほうがマシかも知れないという考えに行き着き、水で膨らんだ腹を擦りならが床につく。
よかった事↓
・レイが自立した
25年間か、長かったなぁ。
初めてエヴァを見たのは20代の時で、まだ訳のわからん焦燥感に追い立てられるような日々を過ごしていて、
世間的には成人していてなんなら働き始めの頃だったっけ。
だからすっかりシンジ達の目線というより、中途半端に大人の世界に足を突っ込んだ人間の目線だった。
オタ仲間が貸してくれたTV版エヴァは「子供がなんか酷い目にあってるアニメ」で
とりあえず流行ってるから観たけどひでぇ大人ばっかりだな!!って印象だった。
「この状況ならこう動いて欲しい」という期待なんかきいてくれない。
やたらとストレスが溜まる展開で、でも、最後まで見て「やっぱりわけわからん」で終わっていた。
時間が経ち様々なエヴァが公開され自分も年を経て見えていなかったものに気づいていった。
存外大人は未熟な人間だらけだという事、他人は自己の延長線上にはいないという事、社会はパターン化されたコミュニケーションで成り立っていてパターンをインストールしておけば社会に受け入れられやすいという事、自己を保ちたいという欲求以上に他者に受容されたいという欲求が驚くほどの強さで自分の内に存在する事、
様々な自身の体験を、作品に重ねて鑑賞できる様になっていって、ふと気づいたら、エヴァという劇を楽しめる様になっていた。
それはその時々の自分が不幸なら「せめて虚構の中では幸せな話を見たい」だし、充実している時なら「虚構の中とはいえ人が不幸になる話は見たくないし一緒に幸せになってほしい」からだ。
だから、今までのエヴァの登場人物が誰一人として幸せそうではない事は見ていて辛いものだった。
綾波が独立した魂を持った人格として扱われずに使い捨てられていく事に心を痛め、アスカが心の渇望を埋めるために自己を破壊していく姿に涙し、シンジが絶望に打ちのめされ踞ることしかできない暗闇にいる姿を見ると気が塞いだ。
どうなれば幸せを感じられるのか、幸せになりたいのかすらもわからず、劇中の人々のその瞬間に起る出来事への瞬間の反応が物語を、人生を形作っていく。現実の人生もそうだろう。納得できる結末なんて見えはしない。けれど時間を超えた視点を持つ事を許された観客たる自分は、どうしても終劇を求めてしまう。
その欲求が満たされるのか、それともまたしても満たされずに終わるのか、その期待感とスリルでエヴァを見続けていたんだと思う。
そう、劇場版を観劇した人は分かるだろうが、自分はもう満たされた。
綾波が社会とそれに対する自己を育て受け入れられていくシーンは本当に嬉しくて涙ぐんだし、魂の無いクローンではなくゲンドウとユイの娘として一個の人としての人生を手に入れた事は心から祝福したかった。
アスカを理解して共に人生を生きてくれるであろう人は、派手ではないけれど人格破綻者ではなくしっかりと地面に足をつけた信頼できる人物だ。
シンジは、ゆっくりだけど自ら立ち上がって歩き出し、とりまく世界を理解し成長する事を選んだ。
ただ、今は、おめでとうと拍手を送りたい。
技術革新の最前線をひた走る者達が選別され、誰の目にも明らかになる頃合いだった。
もはや個々人がどうこうしようという幻想は打ち砕かれ、伏兵や道化の付け入る隙なんてものもなく、記録や記憶に残ることすら適わない。
それでも尚もがこうとする者達も、いるにはいた。
「皆さん、来年の2月14日、この町にも施策される条例は悪法です! 我々は断固として反対します!」
その中で未だ情熱に溢れていたのは、未来を憂う若者、意識が高めの大学生達だった。
彼らは何らかの目標を持って勉学に励み、若いうちから自己投資を積み立てている真っ最中の人種。
なのに、それが下手をすれば無駄になるかもしれないとくれば、焦るのも仕方のないことだ。
蠢く価値基準を掌握するのは、現在進行形でトップにいる組織のみ。
自分たちの与り知らぬところで変動していく情勢。
社会現象という、目に見えないけれど確かにあるように思える存在。
どうにかできるものなら、どうにかしたい。
「あいつら、またやってるよ」
「やる気スイッチ的な?」
だが多くの人々にとって、その活動はもはや冷笑の対象でしかなかった。
何の権威も持たない烏合の衆が喚いて、現状を打破しようとするフェイズは疾うに過ぎていたからだ。
当時の風景を知る両親でさえ、この出来事を断片的に語るのみである。
たぶん実を結ぶかどうか以前に、そもそも大したことはやっていなかったのだろう。
当人達も、この活動に労力を割くつもりはなく、漠然とした焦燥感を発散させたかっただけなのかもしれない。
嫌味な言い方をするならば、政治社会に関心ありますよというポーズだった。
「あの、これ何時ごろ解散するの?」
この活動に参加してはいたものの、どちらかというと仲間の付き合いで仕方なく、人数合わせで立っているだけ。
傍観者を気取って冷笑するほど無頓着でもなかったが、正味やってることに大した思い入れもなかった。
「できれば3時までには帰らせてね。タイムセールに間に合わなくなる」
「待ってくれよ、マスダ。タイムセールは5時までって話だろ」
痺れを切らした母は、いち早く抜けることにした。
何らかの意義ある行為か、安く買える用品か。
比べるものではないのだろうけど、それでも選べというなら迷いなく後者を選ぶ。
もし俺がその場にいても、たぶん同じ行動をしていたと思う。
しかし、この時の判断が、まさか後の不幸を生むことになるとは誰も思わなかっただろう。
それは母にとって間違いなく事件であると同時に、俺たち家族にとって重要なターニングポイントともいえた。
もともとジムで毎日1時間半鍛えていたがステイホームで行けず太ってしまったんで家で筋トレとトレッドミルをやり始めたらここんところパートナーがえらく落ち込んでいて、問い詰めたら、自分はあなたに相応しくないかもしれない、捨てられるかもしれないと不安になったとかいうので困った。
前まではジムで鍛えていたから目に見えなかったから気にならなかったけど家の中でドタバタやってたらやっぱ気になるんかな。
内臓疾患があり本人はトレーニングができないからしかたないんだけどなんか焦燥感があるようだ。
筋肉とか痩せてるかどうかなんて本人の自己満足でそんなことはあなたの価値には関係ないと言ったけどいまいち説得できた気がしない。
この一年ゴロゴロじわじわ肥えてただけの自分を見て向こうは幸せに過ごしてたのに、自分がワークアウトすることで大事な人を不幸にしてしまうというのがなんなんだろうな、モヤモヤする。どうしてあげたらいいんだろ。怠惰な自分に戻れば彼を幸せにできるんだろうか。
今となっては本家牧場物語より牧場物語してるんじゃないか?という悲しい話まである海外産インディーゲーム・スターデューバレー。
ドット絵グラフィックの温かみ、いい感じのレベルデザイン、やることの多さ、自由度の高さ、継続的なアップデート……と、非常に魅力が多く、俺は3データ合わせて200時間くらい遊んでいる。
そして、海外産インディーゲームの例に漏れず、スターデューバレーにもmodコミュニティがあるです。Steam公式でサポートされてるわけじゃないから、ちょっと導入なんかはめんどくさいんだけど、とはいえちゃんとそれ用のソフトなんかもあって、頑張れば俺みたいなズブの素人でも扱えてしまう。
その名もStardew Valley Expanded!
エクスパンド、拡張というワードチョイスからも推し量れるが、このmodは「原作の雰囲気を尊重しつつ、要素を増やす」っていうのをコンセプトにしている。
This mod features 26 new locations, 160 new character events, 12 new NPCs, a new village, 800 location messages, reimagined maps and festivals (all maps), a huge remastered farm map, a new world map reflecting all changes, and many miscellaneous additions
曰く、
・26の新たな場所
・新たな村(これは未実装)
・800のロケーションメッセージ(フィールド上の一点を調べると短いメッセージが出るやつ)
・それらを反映した地図
・その他細かい追加多数
地形はかなり変化するし、キャラクターも増えるし、イベントも増えるし、なんなら魔改造と呼んでもいいくらいのデカい変化をもたらすわりに、プレイ感覚がそう変わらないのは、原作リスペクト故なんだよな。
製作者によるMod解説がいい感じなので一部引用する。スターデューバレーをひと通り褒めたあと、こんなことが書いてある。
But the problem with memories is that we'll never experience that world for the first time again.
しかし、初回に味わったあの世界をまた体験することができないっていうのが、記憶の悪いところです。
I aim to give you, the player, that sense of adventure and unknown once more. Through this mod, I want to immerse you in the world ConcernedApe created.
僕はあなた、プレイヤーに、あの冒険と未知の感覚をもう一度与えたいと思っています。このMODを通じて、ConcernedAoe(原作者)がつくった世界に浸ってほしいんです。
完全に"愛"なんですよね。
実際かなり愛を感じる。
新キャラにも全然違和感ねえし、正直どこが原作でどこがmodなのかわからなくなってくる感じすらある!
そんで、エクスパンディッドのもうひとつスゴいところは、原作以上のペースで更新されていること!
年に2回くらいはデカいアップデートがあり、細かいアップデートは長くて2ヶ月に1回くらいはある。すげえ精力的なんですよね。
さあエクスパンディッドの魅力を具体的に語るぞ!と思ったが、本質的に原作と融合・癒着してるから全然語れねえな。原作の良さをそのまま伸ばす感じなんすよ、マジで!
ただ、併せて使うとこれもいいですよってMODも紹介されてて、それらもまたすげーいいんですよ。
緯度の概念を導入して、夜をより暗くできるDynamic Night Timeが個人的にはかなり好きで、もうコレなしには戻れない。季節によって日が暮れる時間が変わるんだけど、それが月割りじゃないんです。毎日ちょっとずつ日が短くなって、また長くなって…っていうのを体験できるんですよ!
春の間は鉱山を6時くらいに出てもまだ多少明るかったのに、冬になると6時に出た日にゃあもう真っ暗、ああこの季節感よ!
夜を暗くできるのも実にいい。コンフィグで四段階暗さを変えられるんだけど、もう黙って一番暗い4ですよ。チョー暗くなんの。夜に外で作業するのはかなり難しいってレベルになる。気持ち良すぎる。
季節感って点ではSeasonal Villager Outfitsも相当いい。
原作だとどの季節でもみんな基本的にずっと同じ服なんだけど、これを入れると四季と天気に合わせて違う服装になってくれる!
地味なんだけど、こういうのが大事なんですよお!夏は涼しげな軽装、冬はモコモコ着込んでいる!それがいいよ、それが人間らしさってやつですよ。
季節感なんだよな要は。
季節感なんですよ。俺は牧場系のゲームに季節感を求めてるんだと思う。冬の朝の薄暗さ、夏の夕方の長さ、秋に日が短くなり始めた時の焦燥感、春の気楽さ!
全部味わえるんだよな。
これエクスパンディッドの話じゃねえな。
でもとにかく、良いんですよ。
スターデューバレー エクスパンディッドと、その推奨併用MODを入れたスターデューバレー 、メチャクチャ良いんですよ。
本家の1.5アップデートも取り込んだらしいし、いままた最初からやってんだけど、4週目なのに充分楽しいもんな。エクスパンドされたって話のJojaマートルートに、4周目にして初めて挑んでみようと思います。
今まで働いて何度か転職てわかったことは、仕事って忙しさでも業務内容でもない。
結局一緒に仕事する人が良いか悪いか、自分に合うか合わないかってだけ。
「〇〇の業界は良いよ」、とか「この職場なら大丈夫だよ」とかは全くあてにはならない。
今はテレワークで大した仕事もしていないのに一緒に仕事をする人、Aさんが気分屋で困っている。。
俺はまだこの部署に来て浅いから色々聞かないと進められない。機嫌が良いときは聞いてもいないことまで教えてくれて助かるのだが
機嫌が悪いときは声も小さいから何度も聞き返さなきゃいけないし、言い方もキツイし気を使う。
声のボリュームが機嫌が良い時と悪い時でぜんぜん違う。話し方もハキハキしている時とゆったりしている時がある。これは一日の中で変わる。
これはあくまで俺の勝手な推測だが、Aさんは心の病を患っていてその薬のせいで浮き沈みがあるのではないかと思っている。作業中返事が無いときがあるがおそらく薬の作用の眠気で寝ているのではないかと。
チームで仕事をしていてAさんの上にも業務をまとめているリーダー的な上司がいるのだか、まず今の俺の教育係のAさんに聞かなければ業務が進められない。チャットでいきなり上司に確認するとまずAさんに聞いてくれとなる。
前の部署ならサラッと聞けたことが聞けない。「これは聞いても良いこと?悪いこと?」から考えて業務効率がものすごく落ちている。
最近はこんなつまらないことでもストレスに感じていて日曜日の焦燥感が出てきている。。年々歳を取り経験を重ねて強くなっているどころか、ストレスに弱くなってきている気がする。
もっと気軽にコミュニケーションを取りながら仕事できたらストレス少ないのにと思う。要らないストレスで仕事に力を発揮できない。
これが続くようなら環境変えないとな。
違うけどやっぱり焦燥感を持ってる。
元増田とは違って今の所そこそこ技術的なことはやっているけど、ちゃんとついていけてる自信もない。
同僚たちに言わせれば「技術力ある」と言ってくれるが、一緒のチームでちゃんと働いたことはないし、そもそも僕はウェブ系で彼らはアプリ系がメイン。どうしてもヨイショしてくれているという気持ちが拭えない。そもそもがネガティブ思考ということもあるけど…。
状況的に10年前の自分と被ってて妙な親近感を覚えてしまった。
つらつら書いてたら長くなってしまったので先に結論を書いておくと、転職しても違う悩みや焦りが出てくる。悩みのない仕事なんて無いのだと最近は思うようになった。
自分にとって正しい悩みなのか、そこら辺を家族や人生のステージと鑑みて受け入れられるかどうかかなと。
10年前に自分が悩んでた時も、全国平均よりは高い年収、基本的に下請けの会社に任せるだけで進んでいく仕事に飽き飽きしていた。エクセルで売上から諸々差っ引いて利益が出るシートにピコピコ数字を入力してると「これバイトでもできるんじゃね?」と疑問が湧いてきていた。「これがサラリーマンなんだ」と言い聞かせても日々湧いてくる焦燥感。
10年前はソシャゲバブルがあったのでサクッと転職できた。今はそのままウェブ業界を転々としている。
手を動かすのは最初慣れが必要なれど、やはりやりがいあるしSEの頃に感じていた焦燥感はかなり無くなった。
給料の上がり方もSE時代に比べて大きい。当たったときの利益率が全然違うし。リーンスタートアップやティール組織辺りを参考にしてやりがいのある組織づくりをしてる会社も増えてきている。
と、聞こえの良い話ばかり書くと良さそうに思えるが、今から入るとなると多様な技術習得を求められる。フロントだとvueやreactでtypescriptを使ってどうアプリケーションを組むか、宣言的UIってなんやねんとか。jqueryと何か違うか理解しながら別物に組み換えていくような仕事も多い。
サーバーだとgoやPythonで組んで、何百万ものユーザーを想定して構築する。会社によってはawsなりのクラウドを触ったりコンテナの知識も必要になる。
若い人は習得も早くサクサク進めていくし、年上だからと言って偉いと言うこともないので、エンジニアとして優秀かどうかと言う自己問答を続ける点での焦燥感は出てくる。
土日にプログラミングや技術書買って読むのは、それが好きというのもあるが、やってないとおいて行かれるという焦りから来てるのもある。
ここには年に1回くらい殴り書きしてるんだけど、史上最大に気持ち悪いおじさんの自分語りになってしまった。というか長すぎ。誰が読むんだ、これ。
自分は33歳、妻と未就学児1人の計3人で、人口100万人以上のそこそこの地方都市に暮らしている。
会社は子会社系のSIer。新卒で入った。これがまあ、ネットでよく馬鹿にされるような典型的な時代遅れの会社だった。
正直、入社時は「エンジニアとして働く」「会社の安定性」の両方が満たせそう、ぐらいの浅はかな考えだった。で、実際のところ大企業である親会社の盾もありまあ、安定していた。競争原理が働かず仕事は嫌でも降ってくる。給料は年功序列で上がっていき、昨年の年収は大体月20時間の残業で600万だった。世間的にはそこまで高いとは思わないんだけど、この会社の外での自分の市場価値を考えれば高いと思っている。
一方でエンジニアとしてはそりゃもうひどい環境だった。10年前に入った頃から使っている技術も会社としてのマインドは何ひとつ変わらず現状維持がモットー。口では「子会社としての安全神話は終わった」「DXだ」と言っているが、行動が伴っていない。
こんな環境に危機感を覚えないわけがなく、数年前に転職活動をしてみた。その頃はこっちに有力な求人は無く、とにかく東京の求人に応募していた。その結果、有給ぶっ込んでの日帰りで東京に行く過酷な面接に力尽きて断念した。というのは建前で、チャレンジすることにビビってたのかもしれない。本業であまりにも技術的な取り組みがないのでプライベートでプログラミングしたりWebサービス作ってみたりしてたけど、それも趣味程度の取り組みで「今からじゃ遅いんじゃない?」と自分でブレーキを踏んでいたんだ。
そんなこんなで「まだ今の会社でできることがかあるはずだ!」と自分に言い聞かせて続けてきた。結果、市場価値が上がるような仕事は何もしていない。自分なりに新しい仕組みを取り入れてみたりはしたけど、それだって会社にインパクトを与えるもんでもないし、Qiitaのやってみたレベルかつ今ではレガシーな技術たちだ。
「SIerはPMになるしかない」なんてよく言われるが現職のPMは協力会社に見積と作業ぶん投げて、死ぬ程使いづらい社内ツールに決められた進捗項目を入れていくだけの仕事。あれで「PMできます」なんて言えない。
それで昨年立ち上がった超大型プロジェクトが外部NWから遮断されたオンプレのサーバーで、自社製フレームワークを使い、IE11"を"ターゲットに開発されることになってふと思ったんだ。
「このままGitHubもクラウドもDockerもBacklogも使わず、(自称)エンジニア人生が終わるんだろうな」と。この会社での人生があと30年も続くのかと。
個別の技術に思い入れがあるわけではないんだけど、やっぱり技術で課題解決したいと思って入ってきた世界だからさ、会社の前例やルールじゃなくて、合理的で先のある技術を使いたいんだ。
結局、転職を思い立った数年前から業務外での勉強をやめることはできなかった。でもこれは何のためにやってるんだろうな。本業ではクラウドもWebプログラミングも、アジャイル開発手法も求められていないのにね。虚しさが募ってくる。いっそのこと本業が完全に別の業界だったら良かったのに。(実際別業界と言っていいレベルだけど……)
じゃあ転職するの?20代で「今さら」と言って止めたのに?それこそ今さらだろう。コロナ流行によって東京本社のフルリモート勤務求人が劇的に増えた。もう少し若ければ追い風だったかもしれないが、社会人10年を超えたおっさんが、新しい会社どころからフルリモートなんて環境で働けるのだろうか。あ、もちろん現職はバリバリ出社。シンテレワーク頼みのVPN環境はあるけど社内ルールとかいろいろあって無理なんだって。
年代的には技術とリーダー経験がそれなりに求められるんだろうけど、これまでの経験ではとても満たせそうにない。本業ではレガシーなシステムの保守でそのほとんどが業務よりの仕事でなんちゃってPMやってただけ。独学の開発経験なんて昨今問題になっているプログラミングスクールと大して変わりないだろう。
転職サイトではベンチャーとかから声かけてもらえるけど、まともなエンジニアと話するのがもう怖い。
思考がネガティブな方向にしか向かない。こうなったらいよいよ腹を括って現職にしがみつくしかないんだろうか。しかし、ここまで会社への不満を溜め込んでしまったら、今後若手の取り組みに苦言を呈する老害になる未来が見える。
現職を続けてよかったことと言えば今の家族を持てて、(今のところ)無理のないローンで家を買えたこと。子供は一人で確定だし、子供が小学校に上がるくらいには妻も時短解除で普通に生活はしていけるだろう。
安定を求めた結果が今なんだけど、仕事への不満抱えながらあと30年耐えること考えるとめまいがしてくる。(あと10年もしたらそんな不満も忘れて老害化してる可能性もあるけど。)一方で無能おじさんがこれから新しい会社で活躍する未来は思い描けない。
よく歌詞に「思い描いた大人にはなれなかったけど」とかあるじゃん。あれ、子どものころは芸能人とかスポーツ選手とか、そういう人になれないって意味だと思ってたけど、実際は自分の仕事に誇りを持てず。ただただ惰性で生きる人のことだったんだね。立派にエンジニアの責務を果たしている人たちが雲の上の存在に感じるよ。
今後の人生で一番若いのは今この瞬間で、悩んでる暇なんか無くて行動するしかないんだろう。というか実際のところ現職が自分には合っているんだろうが、理想とのあまりのギャップがとてつもなくしんどい。悩むのをやめたい。もう労働を捨てたい。
【追記】
便所の落書きのつもりで書いたら自分のTLにまで流れてきてビビった。
共感してくれる人も多くいて、なんだかんだ優しい人が多いよね。
みなさんのコメントはどれも正論だと思って読ませてもらってるけど、思ったことを追記してみる。
今後定年が伸びることとかも踏まえれば、それはそうなんだと思う。というかこの記事で「年齢がネックになっている」を全面に出してしまったのが悪いんだけど、自分自身問題はそこじゃないことには気付いてるんだ。
コメントの中でもいくつか指摘があったけど、要はマインドなんだ。これに尽きる。
やってみる勇気、前向きな思考、フットワークの軽さ。このどれもが自分には欠けていている。だから理想(に見える)会社やエンジニアが眩しく、現職に不満が募る。
思考をアップデートしようと『嫌われる勇気』とか『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』とか読んだんだよ。内容は理解できるし、そのとおりと思うんだよ。でも動いてないんだ。
この記事含めて動けない(動きたくない)理由を並べて溜飲を下げてるだけなんだ。
昔から何となく気付いてはいたんだけど、ここまでネガティブな人間だと思わなかったよ。妻にも子供にも申し訳ないよ。
それはそうなんだろう。それをやってないのは実際のところそこまで技術に振り切るほど技術を愛していないし、あと自分に能力が無いと卑下しているからなんだろう。
と、またやらない理由を並べて終わりなんだ。
これは理解している。だから得も言われぬ焦燥感に駆られている。
永遠に現職の環境が変わらない、なんてこと無いのはわかってるけど仮に数年後DockerやらGitやらが入ってきたところで、またその時点で世の中から遅れになっていると思う。それが新しいプロダクトなのかアーキテクチャなのか開発手法なのかは分からないけど。
具体的なプロダクト名を挙げたのがまずかったのかもだけど、レガシーだから悪いとか、最新の技術を使いたいとかよりも、これまでの10年で見てきた現職は柔軟に新しいものを取り入れられず一方で口だけはご立派、という会社文化そのものが問題だと思っていて不安を感じている。競争原理が働く市場にいたら、自然淘汰される存在のはずなんだと。
・年収について
高いのかな?いや、平均年収とか中央値とか見たことはあるけど実生活上で高い実感はまるでない。
東京基準で考えたらは恵まれているのはなんとなくわかるけど、地方と言ってもそこそこ人口いるので都会の人が思う”地方”ほどの基準ではないと思うよ。
我が家は妻が時短中というのもあるけど、買った家は小さい建売だし子供一人が妥当かなと思う。有名メーカーで注文住宅建てたり市街地の高層マンション買う人たちはどんな層なのかが気になるよ。
久々の休日、ふと思い立ってTSUTAYAで映画を借りることにした
作品は、リマスター前の『えんとつ町のプペル』。最近リメイク版が公開されたらしいが、そちらはまだ見ていない。
ただ、ネット上の口コミを見る限り、今後も見ることはないだろう。
私にとってのプペルは、1984年に地元の映画館で見た、あのプペルで完成されているからだ。
『えんとつ町のプペル』はその表題の通り、1960年代の公害・大気汚染をテーマに描いた風刺作品だ。
中学までは野球部のエースとして活躍していたが、練習試合中に激しい喘息症状を発症。
四日市ぜんそくの罹患者となり、甲子園への夢を絶たれることとなる。
無気力となり、私生活や授業でもぼんやりしがちな風太を心配し、同級生も励ましてくれるが、効果はなし。
立ち並ぶ煙突からたなびく煙、紫雲の空。その下で生活しているため、激しい痛みや発作は時折風太を襲う。
そういった現状が、風太の気持ちをさらに空虚にしていくのであった。
そんな彼に声をかけたのが、同級の久志山(くしやま)であった。
特に接点のない彼に乗せられるまま、流れで電話級アマチュア無線技士の講習に参加する。
「遠くに住む人と交流し、話せる。こんな楽しい趣味はない」と力説する久志山にお古の機材を押し付けられ、
家族や近隣の男性の(半ばおせっかいな)協力に巻き込まれる形で、
一度目にCQ発信をするも、返信はなし。二度目は混線か、ノイズが返ってくる。
まあどうせそんなもんだ、と畳に身体を投げ出し、諦めかける風太。
周波数の向こう側から声をかけたのは、富士市に住む照子(てるこ・通称『ペル』)だった。
通信がつながるのは週に1度あれば良い方だったが、これをきっかけに風太は無線にのめりこむことになる。
ひょんなことから、互いに公害による喘息持ちということが分かる風太と照子。
次第に性格も野球を辞める前に戻り、久志山をはじめ学校の級友たちとも明るく話す風太。
そう立ち直る彼のもとに一通の手紙が届く。
宛名は照子に教えた住所。しかし差出人は、照子の母・きみのものだった。
発作がひどく呼吸困難となり、照子が市の中央病院にしばらく入院すると知った風太。
焦燥感を胸に一人、風太はヘドロと大気汚染の街・富士へと向かう――
そんなストーリーが、1984年のプペルだった。公害をもとにしたボーイ・ミーツ・ガール。
『えんとつの煙の下で、僕らはつながっている』という捻りのないキャッチコピーが示す通り、
しかし、その背景舞台には工業至上主義への強い批判・風刺が隠されている、という意味では真新しかったのかもしれない。
平凡な作品ながら、私の胸に残り続けていた作品、それがプペルなのだ。
……散々探した末、邦画コーナーの隅にプペルはあった。いつの間にかDVD版になっていた。
ビデオのまま廃盤となっていた可能性もあるので、正直運が良かったと思う。
年下だけど同業の先輩で、すごく為になる話をいつもしてくれるので
参考にさせてもらってる
ただ投稿するだけでなく、無料でみれるYouTubeでも、かなり質の高い
世代なのかな?
ジェネレーションギャップというか。
大型犬のように人懐こく、誰に対しても誠実であろうとする姿勢や
若いのに素晴らしいな、と思うけども、SNSに関しては理解しがたい。
何でそんなにつながりを求めるのだろう・・・?
充分、ファンから支持されてるのに、まだその輪を広げるのが不思議。
若さなのかなぁ。
フォローしてくださいね、とか、みなさん大好きですよ、とか、言ってて
普通に戸惑う。
もしお会いできるならお会いして直接お話を聞きたいと思うけど、
なんか、重たくて。
距離感が、ソーシャルだけでなく、メンタルにもディスタンスが私は必要。
近づきすぎると、すぐ飽きちゃう。ガッカリしたくないし、されたくもない。
そんなにやって疲れないのかなー、と。
同時に、私はこんなに一人で居てばかりでいいのかと言われてるようで。。
もちろん自分で選んだ道だし、数少なくても親友と犬猫がいれば、幸せ。
ただこう言う人を見ると、ほんのちょっと、ひりっとする。
昔はもっと焦燥感に駆られて、無駄に異業種交流会いって、時間無駄にしてたけど。
まだその時の引け目がうっすらのこってんだな。
大学2年の頃から3年ほど、鬱と摂食障害、統合失調症を患った。摂食障害は6年ほど。
地元から逃げるように上京し、日々忙しくしている間に摂食障害が寛解し、一般人と同じ食生活が送れるようになった。
それから数年、大手企業に転職し、金融職の会社員と結婚し順風満帆な生活を送っていたかと思ったが、ほどなく離婚の憂き目に遭った。
詳細は割愛するが、離婚する時にはもう精神的にボロボロで、摂食障害が再発していた。
食べては吐き、を繰り返す。当然金は湯水のように消えていった。
離婚からしばらく経つが、今も摂食障害は寛解せずに月の食費はおそろしいことになっている。
そしてこのコロナ禍で給与は手取りで12-3万程減り、今月ついに家計が赤字になった。
数ヶ月前から、仕事がまったくうまくいっていない。前職で派遣にやってもらっていた仕事を延々としている。
現在の上司に誘われて入社したが、転職時に頼まれていた仕事は何も回ってこない。
転職時に頼まれていた仕事(仮にAとする)は、本当にやりたくてたまらない事だった。工数が超過しているアラートをあげた時に、「じゃあAは外すしかないね」と当たり前のように言われた。
ちなみに現在のタスクは、上司の自己満により膨れ上がっているだけで、本来はこんなに手をかけるものではない。
何度も上申したが聞き入れては貰えなかった。その割にひどく信頼と期待を寄せられており、自己満タスクだけが無限に積まれていった。
そんな折に、まったく門外漢といえる仕事が新たに降ってきた。上司やほかのメンバーはまぁ知見があるが、私は全くない。というか、私がやってもやらなくても正直どうでもいい。
勤め人なので勿論やるが、反吐が出るほどつまらないし、こんなことに時間を取られてAができないのかと思うとしんどい。
たまにAの進捗を耳にするが、最近はそれすら聞きたくない。段々と仕事に集中ができなくなり、タスクを漏らすことが多くなってきた。
あくまで会社員なので仕事はこなす。だが、気持ちと頭がついていかない。ぶっちゃけた話、かなりコンテンツ寄りのクリエイターので、馬鹿みたいな話だが「情熱」とか「愛」が多少なりともないと結構きつい。
この1年で、それが底を尽きているのをひしひしと感じている。
近頃、仕事中に頭がまわらなくなってきた。
ボーッとする時間が長く、文章が頭に入ってこない。夜も眠れずに、3-4時まで壁や天井を眺めたり、食べたり吐いたり。記憶が飛ぶまで酒に溺れたり。
思い出したいことが思い出せない。大好きだった風呂に入るのがしんどい。趣味だった散歩に出かける気も起きず、とにかく何に対しても意欲がわかない。
これは身に覚えがある。鬱病になる前、まさに同じ兆候があった。
妙な焦燥感がずっと付きまとう。
働くことを止めてから、はや数か月が経とうとしていた。
小説を書くなどと嘯き苦し紛れに書き始めた原稿も、誰にも責め立てられずただ時間ばかりが過ぎて遅々として進まない。今ではただ実体のある焦燥感の源と化している。
文才があるんだなんて言われ、それを真に受けて売文屋になろうとした。なれなかった。一昨年から昨年にかけてそのことは十分確認したはずだ。
では何故文章から逃れられないのか。書かずにいられないからだ。
これはクソみたいなものだと思う。
トイレみたいな臭い箱に閉じ込められるなんて誰でもご免だが、それでも内臓を汚物が圧迫していることの方が遥かに不快だから、自らあの不衛生な空間に進んで入ろうとする。
じゃあ今は便秘みたいなものなんだろう。だとしたら苦しくて当然だ。だけど文章はクソではないので、浣腸をする穴なんて無い。
夜は眠剤も飲むし、他にも色々なものを食っているから、いずれにしても酒なんて飲むべきじゃない。
それでも今日は浣腸の代わりに一杯だけ口に入れた。まずくて後悔した。
けれど少しだけ正気が戻って、一つだけ思い出したことがあった。
部屋の片隅に雑然と置かれた段ボール箱、その中には職場から持ち帰って来た文房具やメモ帳、カレンダーが入ったままになっている。
その奥の奥、そこを探ると、やはり思ったとおり、吸いかけのタバコが入っていた。
数年前、女友だちと二人で酒を飲んだあとで買ったのだった。
二人で何本か吸ったあと、女友だちが「これ、持っていて。次に飲むとき持ってきてね。」と私に手渡したものだった。コロナ禍が来て、「次に飲むとき」が来ないまま疎遠になった。