はてなキーワード: 焦燥感とは
・真面目な性格
・昔あった嫌な出来事を反芻して動けなくなる
・初対面の人への警戒心が強い
・朝起きれない
・やる気が出ない
・悲観的
・他人に攻撃的※口には出さないけど脳内で必要以上に罵ってしまう
・心を許した身近な人間にはひどい態度をとってしまう(わざと傷つける、試すような行動、キレる)
・やや死にたい(でもそこまでの度胸はなく、ただ消えてしまいたい気持ち)
・片付けがままならない
性格の問題だと思い続けて、でもとうとう身近な人に病院に行ったほうがいいと言われた。
これ病名つきますかね。
書いておいてなんだけどこんなのみんな普通によくあることだよねきっと。
メンタルクリニックのレビュー見てたら行くの怖くなっちゃった「それは甘えです」とか言われてしまいそうで。
小さい頃両親は喧嘩が多くよく壁に穴が空いてました。中学は人が怖くなって不登校の時期がありました。高校大学のときはよく泣いてました。自分の顔が本当に嫌で。
でもなんとなく、なんとなく何らかの脳内物質の伝達がわるいとか、分泌が人より少ないとか、そういうのな気もする。その場合薬で治るだろうか。
ここ数週間死にたくて死にたくて、死ななくては!!という強迫観念で頭が支配されていた。
死にたくてどうしようもない。
しかし、通っている精神科の医師に相談したら、まったく取り合ってもらえなかった。私が話を聴いて欲しいのに、なぜか医師の講釈を傾聴していた。諦めた。
頭のいい人なので、私の話を黙って聴いたうえで、いい意味で当たり障りないアドバイスをくれた。
私が「死にたい人の気持ちがわかるか」と問うと、親友は「全くわからない」と率直に答えた。加えて、死ぬくらいなら状況が変わるように努力するか、心機一転どこか知らない場所に行って人生やり直す、という。
前にも後ろにも進めない私の立場では、そのアドバイスは乾いた言葉にしか聞こえなかった。困った。
どうにもならなくなった。このままだと私は4連休の最初の日に山で首を吊るコースを確実に歩む。
回らない頭でウンウン考え、私はとりあえず死ぬ以外でこの苦しみや焦燥感から逃れる代替手段を見つけようとした。そこでひらめいたのが「ごっこ」である。わかりやすくいえば、現実的には行動すると取り返しがつかない行動について、実際にやらないまでもそれに近い何らかの行動をして一時的に今の衝動性を逃すという方略である。
私は3つやった。
1つ目は自殺企図ごっこ。近くのホームセンターでロープを購入し、インターネットで解けにくい紐の結び方を習得した。自殺する場所を下見し、自殺する予定の時間(朝方)に実際に現地に行き下見する。これで少しスッキリした。(しかしこの方法は自殺するリスクをより高めるのでお勧めできない。マジで最終手段として捉えて欲しい)
2つ目は失踪ごっこ。土曜日に早朝から思いつくままに電車にのり、とりあえず行ける範囲で知らない場所へ行った。自分の知っている人がいないところに逃げると少し楽になる。腰が痛くなるまで電車に乗り続けて帰ってきた。
また、死にたい時って死にたい意識ばかりに囚われて頭と身体が乖離している状態だとおもうから、余裕があれば出先で身体感覚を取り戻す経験をしてくるといい。私は砂浜を歩いたり川の中をじゃぶじゃぶ歩いたりして身体の感覚に意識を向けたら、頭の中の絡まった糸が少し解けるような感覚がした。
3つ目は転職ごっこ。今も進行中。明後日ハローワークにいって、とりあえず求人情報みてくる。
こうやって、鬱屈した気持ちを外に逃すチャンネルを一個でも見つけてみると、希死念慮が少しずつ縮んでいくと思う。
死にたくなるほどの問題なんて早々解決策は出ないもの。ならばとにかく今の辛さから逃げることを優先すればいい。
一意見として参考にしていただけると嬉しい。
30を過ぎたある日、唐突に自分の可能性を信じられなくなった。この先生きてても自分の人生を劇的に変えるような何かが起こるわけないし、仕事のやる気や成長欲もなくて活躍する同期たちに劣等感や焦燥感すら抱けないし、だからといって何か打ち込めるような趣味がある訳でもない。ちなみに結婚願望は無い。日々のむなしさを埋めるようにゲームとか漫画とかアニメ一気見とかやってみても、刹那的な楽しさがあるだけですぐにまた虚無感に襲われる。なんとか人との繋がりが欲しくて遊びに誘ったり話題のAmongUsとかを主催したりしても、自分から何かを企画することを止めると誰も自分を誘わないことには気づいていて、気力が持たなくて最近企画をやめたらもう1ヶ月ほど誰ともLINEをしていない状態になった。今日も誰とも会話をせず、部屋に引きこもって過ごした。マンションの屋上から飛び降りたらこの部屋は事故物件になって親に迷惑をかけるのかな、とか、そういうことばかり考えてしまう。辛いことがあったから死にたいんじゃなくて、この先に希望が持てなくて、どん底の絶望を味わう前に終わらせたいっていうのは、自殺の理由になり得るのだろうか。こういう風に、自殺にすら自殺に値する正当な理由や正解を求めてしまって、やっぱり覚悟も勇気も無い人間なんだなと、自分自身への呆ればかり募ってしまう。
あと数ヶ月でまた無意味に歳をとる。いつになったら楽になれるのだろう。
俺なりにいろいろ考えてみたんだけど、結局一番好きなのは11〜12月なんすよ
まず、春はだめだ 虫がいるし、花粉もある
気候としてはまったく悪くないんだが、それが生命への福音になってるせいで、なんというか活気がありすぎる
みんな元気!生命!生命!!って感じでこられると、ちょっと体勢をくずして、よろけてしまう
梅雨〜初夏もだめ 俺は湿気が嫌いなんだ
梅雨の朝のパッとしない感じは案外好きだし、日が長いのにずっと雨で、ドヨーンとしたままずっとなんとなく明るいあの感じ(というか、この感じというべきか、まさに今だし)は悪くない
梅雨明けのニュースを聞いた次に晴れた日の開放感もいい 水溜りに青空が反射しててさあ…なんてドラマチックな感じではないんだが、やっぱり気持ちとして晴れやかではある
でも、そもそもジメジメ雨降ってんじゃねえぞって話だよな
そんで、盛夏だ 盛夏はダメだあ
風情とか言ってられるレベルじゃないんだよな これマジ?ハハ……とか言って、半笑いで歩き出すことになる
エアコンの風は好きなんだけどな 俺は断然インドア派なので、あの人工的な、不健康な感じのする涼しさにいちばん夏を感じてしまう
なんかよくわからんけど、謎の寂しさあるんだよな
10月くらいの、よく晴れた、暑くも寒くもなくて、長袖を着てもいいくらいの気候の日、午前中に家を出て、金木犀のにおいが若干漂ってきたりすると、非常に厳しい
寂しさというか、焦燥感というか、そういう感じのなんかがありますよね ないですか?
あれマジでなんなんだ?
青春時代によく聴いた『赤黄色の金木犀』の影響か?って気もするんだけど、それにしてはこう、感情としてデカすぎるし、自然すぎる感がある
アレ嫌なんすよ 意味わかんねえもん
街路樹から落ちた葉っぱが風に吹かれて、ウェーブ状に地面を走ってたりするじゃないすか あれがいいよな
まあ寒いんだけど、意外と息は白くならないくらいの、あのバランスもいい
景色に目をやる余裕が残る程度の寒さなので、晴れてたら空青くてメッチャエエ!と思えるし、曇ってたら曇ってたで冬らしさを味わえる
すべてをアプリシエイトできるんだよな あの辺
12月のクリスマス商戦も悪くない スーパー行ってアホみたいにクリスマスソングが掛かってるの聞いて、わーもうクリスマスかあ、なんて思うあの時間を大切にしたい その辺の家にイルミネーションが出てるの見て、どんな気持ちで設営してんのかなあと思うのも良い
あの辺だよなあ あの辺がやっぱりいいんですわ
ゴリゴリの冬になっちゃうと、もはや寒い以外のことが考えにくくなってしまう その前の、思考を保ったまま冬と向き合える時期ですよ
あの辺なんだよな
とにかく、誰か俺を救い出してあの辺に連れて行ってくれ そういうことです
日課のリングフィットを終わらせた後ウィル・スミス主演の素晴らしきかな人生という映画を見た。あの有名白黒映画のリメイク作かと思ったら全く内容違う奴だった。
この前ワークマンで買った980円のリュックが凄い活躍してくれた。
日常で使うにはでかすぎるかなと思ってたけど10食300円の袋麺とか2kg650円のブラ産鶏ももとか大量に買うからこのくらいでかい方がやっぱ良い。
帰ってきて昼食食べたら今度は歩きでまた外出。
まずはダイソー行っておしゃれ小鉢とスライサー使うとき指を守ってくれる奴と靴下を買った。
ダイソーで700円でカッターシャツが買えることを知ったがなんか怪しい気がして買わんかった。
次にポケセンまで行ったが緊急事態宣言中は土日休みらしくて空いてなかった。小さい男の子が店内を覗こうと店の前でピョンピョン跳ねてるのがなんか微笑ましかった。
続いて無印良品で雑貨を見て回る。「これダイソーで似たようなのあったじゃん」と心のダイソーが騒ぎ出し結局何も買えず。
次はジュンク堂行った。特に目当ての書籍があるわけではなかったが最近趣味でやってる個人開発が停滞気味なので大型書店のITコーナーの本棚をざっと見ることでなにか新しい発見やインスパイアを得られないものか期待していた。が、特に収穫はなく。技術じゃなくてアイディアがないんだよなぁアイディアが。
ついでに最近話題の三体という中国のSF小説をちょろっと立ち読みしてみたが数ページ読んで思ったより漢字が多くて「ああ、これ絶対積む奴や」って直感で感じ取ってすぐに本棚に戻す。
あとはJINS行ったりペットショップ行ったり家電量販店行ったりウィンドウショッピングでブラブラ。
うちの兄妹はみんな同じような偏差値で同じような収入なのに結局結婚して世帯を持ってそれなりに幸せ掴めそうなのは結局女である妹1人なんだよなぁ。とかよくないことを考える。
会社の同じ部署のそんな親しくない先輩も結婚式開いてたが流石に出費がきついので適当に理由つけて断った。
妹は結婚式が結構先になりそうなのでとりあえずお祝いのジャブ的な奴としてプライムデーにFire TV買ってやると電話で約束した。
妹はいらんって言ってたけどTVerも見れるって言ったらじゃあ買ってってなった。
買い物中に結婚相談所の案内看板があったので見てみるも思ったよりたけーなぁとか俺みたいな系統の男とかカモにされるだけやろとか思い身内の結婚ラッシュの現実感と焦燥感と絶望感に浸る。
色々回って帰ってきたら早速ダイソーで買ったスライサー使うとき指守ってくれる奴を使って家にあったじゃがいもをスライスしてポテチを作ってみる。使い勝手は思ったより良い感じ。
頼れる相手は両親しかいないのでお母さんに明日の友達の結婚式に寝坊しないようにモーニングコールしてとお願いした。
5chを見ていたら最高にシコれるエロ漫画というタイトルでスレが立っていた。
リアル調であり、それでいて二次元の可愛らしさがミックスされた素敵な画風。
本物の写真をレタッチしたのか、下書きにして上から描き直したのか、全ページ全コマがそうではないだろうが、エロいページは一から描き起こした絵ではなさそうだった。
彼女と美容師のラインのやり取りもどことなくリアルさがあった。
押しに弱い女とNTRモノに相応しいクズ男が表現されていたのだった。
さて、そのラインのやり取りで美容師の男がチンコの写メを女に送るシーンがあるのだが、
そのシーンは、パンツ・ズボンのところこそ、絵で描き直されていたが、
チンコの部分はそのまま使われており、モザイクで加工されているだけだった。
履いている物も、床も完全に一致していたし、
ソレは、昔、アプリやら掲示板やらで女漁りをしていた時に撮ったものだった。
余談だが、本作に出てくる寝取った美容師の名前が、俺がインターネットで名乗っているハンドルネームと同じだった。偶然が重なりすぎだ。
インターネットは恐ろしい。
私と貴方だけの秘密のつもりが、第三者にまで秘密が回ってしまう恐れがある。
送った相手が意図的に第三者に流す場合もあれば、あるいは、情報流出で第三者に渡る場合もある。
そこに悪意があろうとなかろうと、世界に知られる恐れがあるのだ。
とにかく季節をアプリシエイトするだけで生きていきたいんだ
夏はいいよな
昔の夏のことは正直ちょっと考えたくねえ なぜなら俺は、エアコンが大好きだからだ
暑さによるマイナスをゼロにする、ってだけじゃないんだエアコンは 独特の趣がある
秋の涼しい日に感じる涼しさと、エアコンの風に当たって感じる涼しさ 絶対別種なんだ そんで、どっちかが明確に勝ってるわけではないんだ
ということは、深いんですよ趣が
控えめにきかせた自室のエアコンもいいが、やっぱり一番いいのはコンビニとか公共施設ですげーガンガンかかってるエアコンだよな
陽炎が見えるくらいのクソあっつい日に、セミの声なんかを聞きつつ、死ぬ!死ぬ!と思いながら歩いて、激烈エアコン空間に入る あの瞬間なんだよな 結局あの瞬間が俺にとっての夏なんですよ
セミの声だってなんなら消えるんだ 外の熱気と、建物内部の人工的な冷気 ああ〜たまらん
クソあっつい自室に帰ってギエーとか言いながらエアコンをつけ、部屋の温度が徐々に下がっていくのを感じる瞬間なんかも悪くはないんだが、やっぱりあの、チョー冷えた空間にはいる瞬間のインパクトには勝てねー
それならいっそ、もうエアコンないと無理だぞゾーンに突入する寸前の、汗かきながら部屋で逡巡してる時間とかの方が愛おしいわね
そんで秋なんだよなあ
夏これ一生終わらねえだろ、この量の暑さがどっかに消えてしまうはずがない、と8月くらいには思ってたのに、なんかいつのまにか、嘘みたいに涼しくなっていて、金木犀なんかの香りも漂ってきて、あきらかに夏ではないふうの空模様、妙に晴れ渡ったあの感じになってくる
あの時期の、シンプルな解放感、さらば酷暑!っていう嬉しさと、謎の焦燥感 あれなんだ
俺はあれが一番好きなんだ
土曜の朝9〜10時とかに家出て、ジミだからどこに咲いてるかわかんねー金木犀の匂いがどこからともなく漂ってきて、気温は快く、空は秋晴れ、最高、でもこう、胸がギュッとなる感じがある あれなんですよ
なんなんだアレまじで 俺がおかしいのか?
俺がおかしいのかもしれないな
俺がおかしいんですよ
2020/1/19(コロナ前)
去年結婚した。結婚に伴い、新卒より働いていた会社をやめ、福岡に越してきた。Web系に再就職したが、給料が安い。自分で選んだとはいえ、みじめだ。仕事はキツくないが、常に追われている感じはずっと続いている。根底には常に焦燥感がある。これならば、前職と変わらないではないか。むしろ、前職の方が良かったかもしれない。
福岡に来て、友達と遊ぶ機会がなくなった。代わりに夫と過ごす時間が増えたが、既にマンネリ気味だ。
他者との交流の代替なのか、kポップのペン同士で交流にのめり込んできた。はじめは、EXOが好きだった。今も好きだけど、どちらかというと、フォローしている人とやり取りするのが楽しくなってきているのかもしれない。一度もあったことがないのに、ツイートを見て、リプライして、現実の友人よりプライオリティが高くなっている。情けない話だ。
プライドが高いせいで、フォローしている人と自分を見比べ、渡韓できないのが悔しくなってしまっている。〇〇がしたい!と思っても、夫の目が気になったり、実際に止められれて、出来ないことが増えた。一人暮らしをしていた時より、不自由なことが増えて、ひとりの時間もなくなり、「結婚とはなんだったのか?」と考えるようになった。
結婚すれば、必ずしも幸せになると盲目的に信じてたわけではないのに、今直面している現実を受け入れられない。不幸なことに、私は金銭的な理由で、離婚なんて決断はできず、おそらくずっとこのままだ。
この状況が好転することはあるのだろうか。薄々気付いているのは、どんな状況でも不平・不満は必ずあると知っていること。それを承知の上で、この先もずっと、この不幸は続いていくのだ。
来年こそはイギリスに行こうと思ったとき、私に来年があるのかと思った。自殺はしないだろうから、来年はあるのだけれど、自由に出来る身体なのか、自由に決断できる環境なんだろうか。
あの時はこんなことを考えるようになるなんて、思いも寄らなかった。新しい人生の始まりに胸がわくわくしてた。まさに、一寸先は闇。
「終わった」人生は、とても味気なく、何のためにこの先も生きていかないといけないのかと考える。いや、考えないようにしてるが、もはや私の人生を生きていた時の気力はなくなった。
顕著なのは、外見がそこまで気にならなくなったこと。そこで、カンフル剤のように私の人生に、喝を入れているのが、EXOだから、これはもう宗教なのかもしれない。
中高での毎日の礼拝は何も響かなかったが、今なら懸命に祈るかもしれない。どこに向かって、人生を進めているか分からない者にとって、キリストの教えは羅針盤のように道を照らしてくれる。古くから人々が宗教にすがってきた理由がよく分かる。
この先もずっと続くであろう鬱々とした私の人生の霧が晴れることはあるのだろうか。それとも、「諦めが肝心」と自分を納得させるしかないのだろうか。おそらく後者であるが、現状を打破する方法が皆目検討つかない。いや、わかってはいるが、怠惰な自分がそれを選んでこなかっただけだ。
いつから、私の人生は終わっていたのだろうか。絶頂期をすぎ、暗く長い坂をゆっくりと転げ落ちている。行き着く先は地獄だが、あまりにゆっくりとしたスピードなので、到着地が地獄なんて気付かなかった。まあ、人生なんてそんなものなのかもしれない。
結局死に向かって突き進むほかないのだから。
この日常に耐えきれなくなったら、その時、また人生について考えようと思う。
2020/1/19の私の日記は、私にしてはよく書けていて思わず感嘆してしまった。
いまの私は五月病なのか、暗い日々を過ごしている。2020/1/19に比べ世界は大きく変わった。大袈裟ではなく、あのコロナウイルスによって生活様式が一変した。「世界が変わった」と言っても差し支えないはずだ。
私自身の環境も大きく変わった。生活を良くするために仕事を変えた。元鞘に戻ったというのだろうか。住むところも変わった。
なのに、この憂鬱な結果はなんだろうか。
ずっと纏わりつく閉塞感、無気力感。当時感じていた強い絶望感はないけど、じわじわと私の気力を奪っていく。何をしても楽しくない。何も食べたくない。もはや人生の目標なんて考えない。目の前の時間を問題なく過ごすことで、いっぱいいっぱいだ。
八方塞がりに近く、ただ日々の時間が過ぎるのを待つ人生。これが、これからも続くのだ。ぞっとする。
コロナで死ぬと遺体となっても、家族と対面出来ないまま灰となる。それは、あまりに酷だ。私は魂の救済や輪廻は信じていないが、遺された家族があまりに不憫で可哀想だ。今までは無かった死に方は、遺された者に多かれ少なかれ影響を与える。なるべくなら、そういう最期は避けたい。
だが反面、不可抗力にも近い形で人生を終わらせることが出来るコロナは、今の私にはとっては福音でもある。恥ずかしい話だが。
あまり苦しまずこの生を終わらせたい。出来れば、交通事故のような突然死ではなく、徐々に時間をかけて自分が死ぬ事実を、家族が理解できるスピードで終わらせたい。
流行りの病で亡くなった事実は、あまりにやるせないが、死に対して一定の説明責任を果たす。本人の精神状態を問わず、運悪く流行りの病に罹患して命を落とした事実だけが残る。精神が鬱屈していたかどうかは関係ないのだ。無視される。好都合だ。
この世界を変えた感染症が収束した時、私の気分は少しでも晴れているといるだろうか。おそらくだが、そこまで明るくなく薄暗いじめじめした中をナメクジのように這いずり生きているだろう。最悪だ。
自分の観測範囲内で「もう日本を変えるにはテロしかないな」というジョークのような発言を聞く頻度が増えてきた。
「そんなことはない」と直接伝えても、全くらちがあかなったので、ここで伝わる人に伝わればいいと思う。
たしかに、昨今のふざけた倫理観のもとで保守的に動く政治家は、自分の安全圏だけを求めて利己的に活動しているように見えてならない。いざとなれば逃げればよいという観念が透けて見えてしまう。もちろん利己的になるのはある種仕方のないことではあるが、立場的に他者の利益を吸い取るほどまでの利己的になっており、日本全体から見れば害悪でしかない。
自分がテロの可能性として高いなと感じているのは、京アニ突撃のときのように、誰かが与党の誰かの事務所や自宅にガソリンや軽油をぶっかけて文字通り炎上させるとか、帰宅時や仕事中に刃物で刺殺しに行くなどのテロが起こったりしないだろうかということだ。与党だけでなく、周辺の関係者もありえる。「ダメ日本」の象徴となるようなもっとも影響力がある人のうち、セキュリティが低い人が狙われやすいのではないか。
たとえば、首相などはセキュリティが万全なので成功する確率は低いが、首相周辺の一般市民のセキュリティは比較してそれほど高くはない。秘書や政治資金パーティ出席者なども然りである。逮捕される覚悟・死刑になる覚悟さえあれば、自分には容易に達成できそうに思える。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」だ。死刑になるにあたっても、それなりの大義名分があるため、人生一発逆転の起死回生としてはなしよりのありだろう。
政治家集団の彼らには、安全圏の中の現実しか見えていない。日本全体のリアルが見えていない。貧困に陥った人の中で気性の荒い人や極左に振り切った人、はたまた人を殺してみたい人は、すべてを投げ出して攻撃しかねないのかもしれないと思っている。
テロによって政治家集団の焦燥感を煽ることは可能だろう。利己的な人々はリスクを鑑みて退場していってくれるはずだ。割に合わなくなるからだ。余計なことをすればテロが恐ろしいと感じれば、テロなんぞに負けないという気概を持った人間だけが上ってくる。
日本は長い間暴力的なデモもなく「冷静な国民性」と言われてきた。実際には違うはずで、事実昔は暴力的だった。現在ではそれをするメリットが見いだせなかっただけだ。
ただしテロを考えている人は今一度よく考えなおしてほしい。人生は一度きりで、そしてあなたの人生は大切だ。あなたの力で良い方向に変わる部分もあるかもしれないが、多くは変わらないし、うまくいけば歴史の一部に残ったとしても、ただ未遂に終わって一生檻の中で終わるだけかもしれない。
テロをする相手選びに失敗してしまえば、テロの被害者と言われて国民が「さすがに可哀想」と手のひらをくるっと返してあなたを野蛮人だと嘲ってくるかもしれない。
自分はテロをする価値はこの国にはないと思う。どうか本当にテロだけはやめてほしい。
なんちゃって!!!!!!自民党万歳!!!!!株ちょっと下落したけど俺の資産は3億達成!年収でいうとだいたい1300万です!!!ありがとうコロナ!!
顔は中の上くらい、特別ブスでも可愛くもない。
褒められることが多いが、お世辞だろうしこれくらい。
それなのに、付き合ったことがないのは多分積極性の無さだろうな。
学生時代、共学だったにも関わらず引っ込み思案なせいで男子と会話をした記憶がない。
友達も片手で数えることができるくらい。
周りが徐々にお付き合いをしている方と結婚考えていたり、歳近い数個上の知り合いたちがみんな結婚したりとしていて焦燥感がすごい。
どうにかしてコミュニケーション能力を高めたい。
一生独り身なんだろうか。嫌だな。
下方婚どうこう言ってる人いるけど、恋愛経験無しだし友人も多いわけでないから自分を一番に見てくれる人いるだけで奇跡と思ってしまうから清潔感無い風呂入らんニートじゃない限り選ばんわ。
コミュニケーション能力に自信がないのに、積極性が終わってるからそこどうにかしないと良いとこなしのおばさんになってしまう。
哀しく惨めな話だが、年齢の近い女で自分の相手をしてくれるのは姉しかいなかったんや
それこそ負の性欲全開で俺を軽蔑してくるが、家族故の温情や連帯を感じる瞬間はあった
その一遍の煌めきが、世界のどこかには姉弟で家族と男女の絆を同時に育んでいる、何よりも強い繋がりを持っている神に近しい存在があるに違いないという信仰を俺にもたらしたんや
最近はあらかたの姉弟相姦系の創作物が自分の中で飽和してしまったから
理想の姉像を集約したお姉ちゃんを作り出し、その弟を新たな命を与えられた自分としたオリジナルの同人誌を作り出している
しかしその願いも渇望も報われることはない、渇きが満たされることはないだろうという確信は常に心のどこかにあって、その焦燥感はかなりの苦しみや
だけど俺は姉弟に愛を見出し続ける生き方しか手に入れられなかったんや。故に今日も姉弟モノに祈りを捧げながらしこってる。きっと明日も。
僕個人としては、これは性衝動とその後の賢者モードが大きい要素だと思う。
毎日の習慣のようなマスターベーションの他に、数カ月に一度とか、もっと大きい波だと何年かに一度、
ものすごく性衝動が高まる。これはわりと辛くて、禁煙経験のある僕からすると禁断症状みたいな感じ。禁煙よりもきつい。
多分、アルコール中毒とか薬物中毒とかはこんななのかなって想像する。
後頭部頭蓋骨の裏側にずっと違和感があって、焦燥感を掻き立てるような、自分ではどうしょうもないと感じる日々が数日続く。
黙って耐えるときもあれば、性風俗を利用するときもある。このときの罪悪感や賢者モードが、結構辛いもんなんだ。
性風俗の利用ってすごく僕的にはきつくて、自分の本音と建前とがすごく衝突する。
「僕の汚い欲求を処理させてしまってもうしわけない」「ドブスは勘弁」「すべての人格は手段としてのみ用いられてはならない」「若くて可愛い子がいいな」「ルッキズム批判に賛同していた昨日の俺は」
みたいなぐちゃぐちゃ。なので、最中ですらいろんな感情で中折れしそうになるし、終わったあとは最悪。わりと本気で死にたくなる瞬間もある。
こういうのに対して、性的なパートナーの存在はでかい。自分の性欲の存在が同時に相手の利益にもなる、少なくともそう感じても関係性的には大きな間違いではないだろうと感じられる
間柄は、心理的安定にすごく大きい役割になる。自分の性欲の存在が、性欲に囚われてしまっている自分が肯定される時間空間が存在することが喜びであり、不在は不安につながる。
この話は「つまりセフレとかでもいいの?」と言われればそうなんだろう(そんなのいたことないけど)。
でもとりあえず、「友達じゃだめなの?」に対しては僕なりの回答にはなるかと。