よかった事↓
・レイが自立した
25年間か、長かったなぁ。
初めてエヴァを見たのは20代の時で、まだ訳のわからん焦燥感に追い立てられるような日々を過ごしていて、
世間的には成人していてなんなら働き始めの頃だったっけ。
だからすっかりシンジ達の目線というより、中途半端に大人の世界に足を突っ込んだ人間の目線だった。
オタ仲間が貸してくれたTV版エヴァは「子供がなんか酷い目にあってるアニメ」で
とりあえず流行ってるから観たけどひでぇ大人ばっかりだな!!って印象だった。
「この状況ならこう動いて欲しい」という期待なんかきいてくれない。
やたらとストレスが溜まる展開で、でも、最後まで見て「やっぱりわけわからん」で終わっていた。
時間が経ち様々なエヴァが公開され自分も年を経て見えていなかったものに気づいていった。
存外大人は未熟な人間だらけだという事、他人は自己の延長線上にはいないという事、社会はパターン化されたコミュニケーションで成り立っていてパターンをインストールしておけば社会に受け入れられやすいという事、自己を保ちたいという欲求以上に他者に受容されたいという欲求が驚くほどの強さで自分の内に存在する事、
様々な自身の体験を、作品に重ねて鑑賞できる様になっていって、ふと気づいたら、エヴァという劇を楽しめる様になっていた。
それはその時々の自分が不幸なら「せめて虚構の中では幸せな話を見たい」だし、充実している時なら「虚構の中とはいえ人が不幸になる話は見たくないし一緒に幸せになってほしい」からだ。
だから、今までのエヴァの登場人物が誰一人として幸せそうではない事は見ていて辛いものだった。
綾波が独立した魂を持った人格として扱われずに使い捨てられていく事に心を痛め、アスカが心の渇望を埋めるために自己を破壊していく姿に涙し、シンジが絶望に打ちのめされ踞ることしかできない暗闇にいる姿を見ると気が塞いだ。
どうなれば幸せを感じられるのか、幸せになりたいのかすらもわからず、劇中の人々のその瞬間に起る出来事への瞬間の反応が物語を、人生を形作っていく。現実の人生もそうだろう。納得できる結末なんて見えはしない。けれど時間を超えた視点を持つ事を許された観客たる自分は、どうしても終劇を求めてしまう。
その欲求が満たされるのか、それともまたしても満たされずに終わるのか、その期待感とスリルでエヴァを見続けていたんだと思う。
そう、劇場版を観劇した人は分かるだろうが、自分はもう満たされた。
綾波が社会とそれに対する自己を育て受け入れられていくシーンは本当に嬉しくて涙ぐんだし、魂の無いクローンではなくゲンドウとユイの娘として一個の人としての人生を手に入れた事は心から祝福したかった。
アスカを理解して共に人生を生きてくれるであろう人は、派手ではないけれど人格破綻者ではなくしっかりと地面に足をつけた信頼できる人物だ。
シンジは、ゆっくりだけど自ら立ち上がって歩き出し、とりまく世界を理解し成長する事を選んだ。
ただ、今は、おめでとうと拍手を送りたい。