はてなキーワード: 権力関係とは
フェミニズムにそうやってラベリングして憂さを晴らしても、弱者男性当事者のおかれてる立場や抱えてる課題は何も良くならないでしょ。
個人のもつ色々な属性の複合的効果によって社会的な強さ/弱さの立場(スタンドポイント)が決まるというインターセクショナリティ論は、フェミニズムの内側から出てきたものだよ。そもそもフェミの内部にも人種問題とか経済階級問題とかがあって、フェミニズム自身もそれと向き合う理論的必要性があった。さまざまな権力関係のなかで相対的に他の男性や女性より弱い立場にいる男性は当然いるし、そのことを否定するフェミニストはほぼいない。いるとしたら、それは背景となる理論的裏付けを持たずに男性への憎悪を募らせたミサンドリストで、そういう人はフェミではないし、フェミの代表として語ってほしくもない。
多くのフェミニストは「弱者男性なんかいない」なんて思っていない。でも「男性は(学歴や所得やコミュニケーション能力や身体的属性や容姿ではなく)『男性であること』自体によって、女性よりも相対的に弱者だ」ということに同意するフェミニストもほとんどいないだろう。
構造的にみれば、我々が暮らしている社会はまだまだ男性優位だけど、とはいえ男女雇用均等法とか他のさまざまな社会的前進によって、過去に比べれば、平均的男性像を超える所得や実績を得るような女性も出てきやすくなった。
そのいっぽうで、1980年代後半からの格差社会化の進行によって「一億総中流階層」という幻想は崩れ去り、男性内部の格差は広がっている。正規/非正規という雇用形態の違いは以前はきれいに性別ごとに割り当てられていたけど、今は男性の非正規雇用層、男性の低所得者層が以前よりずっと拡大している。
そういう男性のなかで社会に対する被収奪感、「誰かに何かを奪われているから幸せになれない」という感情が生まれるのは当たり前のことだと思うけど、それを女性に向けるのは間違っている。それは女性非正規就労者の減小数と男性非正規就労者の増加数を比べてみればわかる。「何か」を奪ったのは女性ではなくて資本主義だ。正規雇用の人件費・法定福利費・社会保険料など労働コストの重さに耐えられない企業が非正規雇用化を進めていったからだ。
そういう弱者男性がいること自体は認識していても、それを救うことまでが自分のやるべき役目だと思ってるフェミニストは少数だ。フェミニストは何よりも男性-女性という軸における不均衡・不公正を是正することを意識してる。所得という観点で弱者の立場にある男性が、同様に経済的弱者である女性と連帯して社会福祉制度の拡充や最低賃金のアップを求めるなら、それを歓迎するフェミニスト達はいるだろうけど、それは女性の境遇を改善することに繋がる限りにおいてだ。フェミニストは弱者男性のママではない。みんな自分のことで忙しいのだ。
弱者男性論者は自分たちよりも相対的に強い立場にある「強者男性」との対立関係をちゃんと見据えるべきだ。自分が貧しいから弱者だと思ってる人の敵は労働者から収奪してる高額所得者(ほとんどは男性)だろうし、自分がモテないから弱者だと思ってる人の敵は、自分に振り向かない女性じゃなくてモテてる男性だろう(女性に認められたいならまず自分が女性を認めるべきで、女性を叩いたらどんどんモテから遠ざかるに決まってる)。強者男性と直接戦えないやつが、その恨みを女性にぶつけるのは虚しい。ママに泣きごとを言う前に、弱者男性は「強いパパ」を直視すべきだ。
はてなでは意外と話題になっていないようだが、アーツ前橋という公立美術館で作品6点が行方不明になる、という事件があった。
館長も辞任して一件落着かと思いきや、その後出た報告書で館長による隠蔽の疑惑が指摘されたり、その報告書に館長自らが反論したりして、泥沼の様相を呈している。
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23795
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/23803
一般の人にはあまり知られていないかもしれないが、アーツ前橋というのは近年アート業界ではかなり高い評価をうけている美術館である。
たとえばこういう企画展。
https://www.artsmaebashi.jp/?p=13991
堂々と掲げられた「本展のキーワード」の、「周縁性、ローカル、ジェンダー、福祉、ケア、老い、共同体、移民」というあたりが、この館の方向性を端的に示していると思う。
ざっくりと言ってしまえば、社会問題を扱う現代アートを精力的に紹介しつつ、ワークショップによって地域との結びつきを強めていく、というスタンスである。
個人的には、なんか優等生的だなという印象で、反感を抱かないでもない。
しかし、年々予算が削られ、文化政策への風当たりも強くなっている斜陽の美術館業界からすれば、「SDGs」的なアピールによって先端的な雰囲気を放っているアーツ前橋は、地方美術館のあり方として、ひとつモデルともいうべき存在であった。
その方向をカリスマ的にリードしてきたのが、2013年の開館当初から館長をつとめてきた、住友文彦その人である。
前橋市と館長、どちらの言い分が正しいのかは現時点でよくわからないが、すでに美術業界からは擁護の声も出ている。
アーツ前橋作品紛失の最大の原因は、予算、スペース等から、美術館が借用作品の保管場所として外部施設を使わざるを得なかったことにある。その状態を放置し問題に適切に対処してこなかった所管部署の文化スポーツ観光部及び同文化国際課に責任がある。これは専門職の館長ではなく行政職の職掌である。
スペース・予算の確保は行政職の仕事なのに、彼らはそれを怠っており、そのせいで悪環境に作品を置かざるをえなくなったために今回の事件が起こった、という論理である。
これは大局的に見れば正しいかもしれない。
ただ、美術の保管場所というのは確保するのに非常にコストがかかるので、無尽蔵に確保できるというものではない。
それに、少なくとも現状で保管場所がまともでないにもかかわらず、作品を預かることにしたのは、やはり学芸員なのではないか。
まともな環境に作品を置くことすらできないのであれば、そもそも作品を預かるべきではなかったはずである。
他館の学芸員からお話を伺いました。館の作品管理に問題があったと私も思います。それはすでに各所で指摘されており館長も認めているので、私はそれを前提としたうえで報告書の問題を指摘しました。それを館の問題を認めない発言と受け止めた人もいたようですが、それは私の発言の趣旨ではありません。
とはいえ、前橋市の報告書が住友文彦の責任を追及したように、加治屋健司が行政職の責任を追及するという構図には、結局のところ学芸員と行政職の党派性の問題なのではないかという感も否めない。
一般にはさほど知られていないかもしれないが、美術館の学芸員と行政職の人間は、仲が悪いのがふつうである。
なぜそうなるのかと言われると難しいが、技術職と営業職が不仲なのと構造的には同じであると思う。
つまり、理想を求める学芸員とコスト重視の行政職という図式で、利害が一致していないのだから、対立するのは当然なのかもしれない。
両者のいずれが力を持つかというのは、もちろんさまざまな権力関係によって決まるのだけれど、その勢力図を象徴的に表すのが、「館長が行政職か学芸員か」という問題である。
現状で言えば、おそらく行政職出身の館長のほうが多数派なはずで、その傾向は年々強まっているのではないかと思う。
現代アート畑の住友文彦を館長にしているアーツ前橋は、その意味でも稀有な存在なのである。
行政職出身の館長というのもバックグラウンドはさまざまだが、教育委員会などから引退間際のおじいちゃんがやってくることが多く、そういう人の99パーセントは現代アートなど興味も関心もない(のに反感だけは持っていたりする)ため、館長のくせに予算削減を推進する側に立ったりする。
今回の住友文彦退任にあたっても、後任に専門家を置けという動きが出ているのには、そういう背景がある。
後任に現代美術専門家を 「アーツ前橋」館長退任へ 芸術家が署名活動
https://mainichi.jp/articles/20210330/k00/00m/040/038000c
ところで、先ほど「まともな環境がないなら作品を預かるな」と書いたけれど、現実的にはなかなかそうはいかない事情がある。
まず、あたりまえの大前提として、美術館が持っている作品を捨てるということは通常ない。
現実にはゼロではないのだが、やるとなると相当の覚悟が必要である。
だから、美術館の作品は減るということはなく、ひたすら増えていくことになる。
加えて、美術品のほとんどは温度・湿度を厳正に維持した収蔵庫で管理しなければならない。
38度の真夏であっても、氷点下の真冬であっても、24時間365日安定した温湿度でなければならない。
当然これには莫大なコストがかかり、倉庫が広くなればその分お金もかさむ。
つまり、美術作品は増えていくのに、倉庫を増やすのは容易ではないのだ。
地方の美術館に美術作品を寄付する人々というのは、たとえば地域の小金持ちであるが、彼らはしばしばこういう考え方であったりする。
1. 蔵を掃除していたら、なにか絵が出てきた。
「収蔵するか」「捨てられるか」という二択しか、ここにはない。
売るとか、他の美術館を紹介したらどうか、と言うかもれない。
名の知れた人気作家だったら、そういう手もありうるだろう。
でも、蔵から出てくる作品の作者というのは、典型的にはこういう経歴の人物だったりする。
〇〇県出身。上京し美術学校で西洋絵画を学ぶ。卒業後に帰郷し、〇〇県立第一高校で美術教員として教鞭をとる。戦後は〇〇県展の立ち上げに尽力し、後進を育てるなど、〇〇県画壇の重鎮として活躍した。
こういうプロフィールの作家が面白い絵を描くのだろうか、と疑問に思うかもしれないが、まさにご指摘のとおりで、美術史の大きな流れからすれば、なんの意義もない作品であることがほとんどだ。
しかし、地元での功績というのは地域にとって何よりも大切なものであるし、なによりそういう「つまらない」風景画には、地元民の心をこのうえなく鮮烈にうつし出したような、ローカルであるがゆえの価値がしばしばある。
日本の都道府県のほとんどには県立美術館があって、そのそれぞれに多くの「凡庸な地元作家」の作品が収蔵されていることの意義は、そこにあるというほかない。
そのような作品は、まさに、「収蔵するか」「捨てられるか」の二択だったところを拾われてきたのである。
というわけで、いろいろ書いてしまったが、今回の事件は単なるカリスマ館長の不祥事という以上に、美術館業界の抱えるさまざまな問題が関係しているように思われる。
気が重い話である。
その他参照
https://www.city.maebashi.gunma.jp/material/files/group/10/hodo20210324_7.pdf
https://drive.google.com/file/d/1qQmOLCs2XI1VK9XzPgQpWyKlJZH809Yx/view
軽くググっただけでも、
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyamaru/introd/senmon_theses2010.pdf
男性からなる集団に対して、女性からなる集団がジェンダー的な見地からマイノリティと呼ばれることは現在ではかなり広く認められるところであろうかと私は思うが、男女の数は通常どの社会でもほぼ同数である。
https://mtboru.hatenablog.com/entry/2019/08/29/002906
ここで簡単にマジョリティと多数派の違いについて説明する。ジェンダー学やフェミニズムなどの文脈において、マジョリティは単に多数派を意味する言葉ではない。もちろん多数派という意味で使われることもあるが、基本的には社会的強者、権力関係的に強者であるような人々を指して使われることが多い。例えば、男性と女性の人口はほぼ同数だが、男性はマジョリティで女性はマイノリティである、というように使われる。
https://nhkbook-hiraku.com/n/nf8b3ce2f7ff2
社会では一般的に男性が「マジョリティ」とされています。だから男性はとくに困っていることもないだろうし、別に生きづらいこともそんなにないだろうと。女性は人口の半分、男性と同じだけいるのに「マイノリティ」として生きてきて、女性の生きづらさは様々に語られてきました。一方で、男性はマジョリティとされているがゆえに自分自身を語る言葉も、探る言葉も持つことができず、誰からも語られず、眼差されることもなく、立ちすくんで困っている状態です。
https://shosetsu-maru.com/interviews/authors/quilala_pickup/148
この会話の場で、彼女はマイノリティになっているんです。存在としては梨花や巴のほうがマイノリティだけれども、力関係においては月美がマイノリティ。
このように「男性が数的に多いわけではないが敢えてマジョリティと呼ぶ」という用例は簡単に発見できるわな。
社会学ってそもそも近代社会の自己言及のための(早い話が自画像を描くための)学問で、特に戦後は近代社会を支えていた文化制度や権威をあの手この手で批判して骨抜きにするために戦ってきた。
おかげでかつてのような圧倒的な支配力を誰も持てなくなったし、社会の風通しは大分良くなった。その点で功績はあるけれど、その武器として採用した社会構築主義があまりにも使い勝手が良すぎたもんで、それに甘えて研究レベルも下がっていったし、それ自体を人を支配するための武器に使いたがる社会学者が増えすぎたと思う。
そもそも、欧米の理論は欧米の近代社会を批判するための、向こうの権力関係や文脈を前提としたものだから、そのまま日本に持ち込めるようなものではない。そこら辺をかなり日本の社会学者は都合よくごまかしていると思うし、学問的誠実さにも疑問を感じている。
データサイエンスやゲーム理論、歴史学と組んでいる領域は構築主義の汚染がそれほどでは無いからまともな研究者が多い。
だから社会学全体が叩かれる必要なんていうのはないけれど、一部の領域の構築主義に依存しすぎる体質はディシプリンレベルから考え直さないともうどうしようもないと思う。
なので反省して自己批判する必要は大いにあるけれど、謝る必要はさすがにないだろ。逆に謝れと言う奴は一体何にどのように謝る必要があるのかを明確に説得力のある形で言わないとそれこそ不誠実なんじゃないか。
今まで無名の存在だった彼らは、連発する140字以内のツイートによって、ある者は本を出版し、またある者は有料noteでぼろ儲けした。
140字以内でのレスバに最適化された脳を持つ新人類に、既存の知識人や有名人は誰も敵わなかった。
Twitterで一発当てる。それは、万人に開かれてた希望だった。
ところで、ClubHouseである。
このSNSには拡散機能がない。ClubHouse外での権力関係がそのまま持ち込まれ、行われているのは、
無名の者が有名になることはなく、有名人の話を有り難がって聞き、コネクションを繋ぎ、自分の出世に結びつけたいという世間。
つまりClubHouseは開かれたオンラインサロンに過ぎないのだ。
いろいろ想像をたくましくしていただいて恐縮だけど
とある通り、「仕事中にしたこと」はそこまでであとはプライベートだよね。"業務上知り得た秘密を利用して勝手に自宅住所を調べた"とかではないよね。でもって両方とも大人だよね。しかも、看護師と患者に「住所教えないと適切に治療されないのではないか」みたいな権力関係も最初から存在しないよね。
それで、
なんか、どうあっても「元増田が倫理的に正しい」ことを拠り所にして人を批判したいようだけど、なぜそんなに「元増田が正しい」ということを強力に主張したいのか、自分自身のモチベーションを振り返ってみた方がよいのでは? その結果、元増田が周囲と不和になってもあなたは構わないのかもしれないが、私はそういう「『正しさ』にこだわった結果、誰も幸せにならない」ルートに進んでほしくないんだよ。
https://twitter.com/sumomo_2/status/1200773046996361217/retweets/with_comments
ご本人にとって辛い記憶を思い起こしながら説明してるってだけじゃないの?なにが「地雷女」だ?
るゐ🌪
@ruwiisf
*ジェンダーは無くすもの*一部通知OFFミュート*フォローされてもブロ解する場合有り*中身が男性権利male rightsのフェミニズムなんていらない一般の女
あれかな、イジメを受けたことをたどたどしく告白する子を笑うタイプなのかな?
ちろる
@udonsobaudon
嫌なことを嫌だとちゃんと言うためのアカウント中くらいの星細々と発信していきます中くらいの星ホイホイブロックしてホイホイ解除する方針中くらいの星FF外の通知を切ってるので反応遅れます中くらいの星不審者からのリプは怖いのでBしちゃいます汗マークこわいよー汗マーク中くらいの星フォローしてくださってる方ありがとうございます。中くらいの星伸びて面倒な時は鍵かけます
このももことか言うやつ、
訴えた方が良いですよ。
失礼にも程がある。
@hajime666btgry
御意見無用 不動産屋 地域を守ろう 反戦 国民主権 反自民党 反似非愛国 反差別 反日本会議 反緊急事態条項 自由と愛 反グローバル 反緊縮 子供を守れ トラック野郎一番星 すみっコぐらし 京都府出身 LITTLE FEAT AC/DC 80年代のTHRASH METAL Motörhead hardcore
これのどこらへんが地雷女なの?
普通じゃん。普通に被害を訴えてる女性じゃん。権力に屈せず自分と同じような被害に合う人を出さないために立ち上がった勇気ある女性じゃん。
ぬーん@アベ逮捕されるまで頑張る
@barrel_DQ
戦争反対!改憲反対!三権分立を守り、権力者であっても罪を犯したら償って!世帯制・家父長制反対!個を重視する世の中になってほしい。差別反対!歴史改竄をやめて正しい歴史を正しく教えて!過去から学び反省しないと正しい未来に進めない。
アンタ、セカンドレイプをしているという自覚があるの?本当に最低な発言だよ、アンタは。
@NZ5mD5e4aTH4Cuf
打倒自民公明維新日本会議電通パソナ経団連を目指す者です。主に政治とアニメ.漫画.ゲーム垢。ネトウヨとレイシストはお断り。テニプリ、ナルト、FT、北斗、鋼錬、遊戯王、DB、るろ剣、コードギアス、デジモン、ペルソナ4、碧の軌跡、DOA、TOB等のファン。日本国憲法第9条は至宝。避難用の垢は
@NPtOXWeQef279NC
この映像だと町長と新井町議の言い分が食い違ってることしかわかんないじゃん。なんで地雷女?声質とか喋り方だけで地雷扱いしてるのかな
@powder705
漫画描きです。 飼い猫のラテさんとコナたんについてのツイートが9割。一迅社さんから『海猫荘days』全3巻『親がうるさいので後輩(♀)と偽装結婚してみた。』『捏造トラップ-NTR-』全6巻 他が発売中。
この女性を病気扱いしてる人たちはきっと自身が辛い目にあったことも、防衛反応が出ている人と接したこともないんだろうなって思う。
一人の女性が性被害を訴えたら寄ってたかってセカンドレイプして職を奪うまでするって先進国が聞いて呆れる。
禁酒31日目ビールふわとろオムライス本店( ◜◡^)っ✂╰⋃╯
@omu_fuwa_omu
お酒飲みながらゲームして飯テロしたりする猫の下僕で風俗嬢(休業中)でフェミニストの雑多垢。あつ森放置しすぎて怖くて開けなくなった。ホスト行かないスカウト使わないスイーツ食べない。いろんなこと呟くからうるさいです。無言フォローしてごめんなさい。
地雷はお前だ
@NaGiSa_FJ
王立海難救助隊提督兼6年おばさん組クラス委員長兼差別カキコぶっ飛ばし隊大隊長。 ◎アイコン http://togetter.com/li/545148
性被害に遭った人が挙動不審になるのなんて不思議でも何でもないんだけど
しかも事件当時のことを話す時に平静でいられない方がむしろ自然なんだけど
しかも他に男が複数いる場所で起きるレイプ事件なんて珍しくも何ともないんだけど
ちろる
@udonsobaudon
嫌なことを嫌だとちゃんと言うためのアカウント中くらいの星細々と発信していきます中くらいの星ホイホイブロックしてホイホイ解除する方針中くらいの星FF外の通知を切ってるので反応遅れます中くらいの星不審者からのリプは怖いのでBしちゃいます汗マークこわいよー汗マーク中くらいの星フォローしてくださってる方ありがとうございます。中くらいの星伸びて面倒な時は鍵かけます
これを病気とか言う人の方がどうかしてる。
レイプされた患者さんと何度も接したことあるけど、目を閉じてカメラに向き合えず頸を振るのは自己防衛の一つだよね・・・
見てると精神的にギリギリな状態で話してるなという印象なんだけど。
@cookycooky16
男女とも子宮頸がんワクチンを!
恋愛工学の考え方って「試行を繰り返して現れた現象を、男女に存在する権力関係と進化心理学によって解明しハックする」ものだと思うんだけど
あれ嘘だと思うんだよね。全部が、じゃなくて「進化心理学」の部分。「男は狩猟時代の名残でハーレム、女も……」みたいに言われるけど、
それじゃぁ人気ナンバーワンキャバ嬢が更に売れていく現象とか、結婚詐欺師がエリート男性を多数抱えてる事に説明がつかない。
基本的に、恋愛の決定権を握ってるのは女性。選択肢を持って男を取捨選択できるから。でもそれを逆転したように錯覚させることで、権力に従いがちな人間脳をハックするのが恋愛工学。
進化心理学の部分のせいで男にしか使えないと思われがちだけど、実際に必要なのは権力関係。
そして恋愛の決定権が逆転するのが、不細工な女と男の恋愛である。
所謂女性が行う恋愛の戦略、戦略と言えるものかはわからないが、「非モテコミット」だ。
基本的に決定権を握っている女が「非モテコミット」すると、下位である男は恋に落ちる。「メールで❤をつかう」「上目使い」「弁当を作る」「すきすき言う」
しかしこれを不細工な女がやるとどうなるか。正解は「気持ち悪い、ウザイ」である。男と一緒。
じゃぁ不細工な女は何をすればいいかと言えば、昔クラスに一人いたような「糞ブスなのになぜかモテる」女を参考にすればいい。
③しつこくしない
多分上手く行くというか、友達の不細工はこれでイケメンを渡り歩いていた。
だれか実証して欲しい
ただ、そもそもの話として、私としては、元増田の文章から「ボス」が周囲からちやほやされてる・強権を振るってるような権力構造を読み取ってなかったんですよね。むしろ、
などで、全然ちやほやされてないっぽいな、主導権をずっと握ってるわけでもないんだなという印象でした。
前段に関してはすっかり視野から抜けていたのですが、後段に関しては、一種のクーデターというか、ボスを出し抜いて本を出すことによってボスの地位を失墜させる目論見なのかなという憶測を働かせていました(神絵師とボスが別人というのは、もしも権力関係があるなら奇妙なことですが、これまで神絵師さんに権力欲が少なかったり売れっ子で余暇がなかったりして権力闘争にかかずらってこなかったということなのかなと)。いや、最初からこんな物騒な語彙を使って考えていたわけではないですが、自分の頭の中にあった図式を他人に説明しようとするとそういうことになるよなと。
ただ、
逆に、「アンソロに参加しないこともあるぐらいの人を『ボス』って表現するの、ずいぶん偏ってない?」という点に注目してます。
というご指摘を踏まえると、偏っている、歪んでいるのは元増田の所属している界隈ではなく、その界隈を眺める元増田の目線であるということになりますね。
これは別の増田が、
アンソロとか企画して人脈がある人がさ、はじめて同人イベントに売り手として参加したあなたがジャンル内で孤立しないように、さも「もとから読んでましたよ~」ってテイで声掛けしてくれて(それを「接近してきた」と感じたみたいだけど、どうしてジャンル内で影響力ある人が同人誌1冊出したばっかの人に接近、すり寄る必要あんの?)、打ち上げにまで呼んで周りの人とつなげてくれたわけじゃん。そんな面倒で、自分の得にならないことやりたくないよ普通は。
でもその人は、ジャンルを盛り上げるために、サークル初参加の人に気を使って声掛けして、ジャンルやカップリングであなたが嫌な思いをしないように整地するっていう仕事をやってくれてるんじゃん。あなたみたいな人に「ボス」とか馬鹿にされたり嫌われるリスクも背負った上で。
と指摘していましたが、確かに元増田が「ボス」について語っている表面的な事実関係を信用するならば、他人の同人誌の感想から自分語りにつなげちゃうような困ったところはあれど、同じコミュニティの新参にも積極的に声をかけて、イベントの打ち上げに誘ったりしてくれる、まあ親切な人のように読めるという(いますよね、そういう、他人と他人をつなげることを趣味にしてる「顔の広い」ひと。まあそういうひとは往々にして空気が読めなかったりするわけですが……)。
そうだとすると、私の書いた増田は元増田の「ボス」「取り仕切る」などの表面的な言葉遣いに惑わされて、その背後にある正確な事実関係が読めていなかったということですので、読みの浅さを恥じなければいけないなと思うところです。
(ていうか、「神絵師」さんのフォロワーが「フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上」ってことは、「ボス」は元増田の3倍程度のフォロワーしか持ってないわけで、ここから「あ、オフラインでの行動力はあったとしても作家としての影響力はそんなにないんだな」ということを読み取るべきでしたね。猛省)
のではなく、あくまで
という可能性が高いわけで、こういうポジションのひとなら存在しうることは認めます。こういうひとがいたからといってその界隈がおかしいというのはおかしいですね。私が「お前の界隈おかしいよ」と書いたのは間違いだということになるでしょう。
ですが、間違いなのは主語の選択についてです。私は繰り返し「お前の界隈おかしいよ」と書きましたが、「界隈」の情勢についての元増田の認識が歪んでいる可能性が示された以上、言うべきは「お前の認識おかしいよ」だったということになるのでしょう。考えてみれば、私が「おかしい」と言った対象は後半では元増田の感覚に及んでいるのですから、「界隈」そのものが問題なのではなくお前の同人に対する認識がおかしいんだよ、と論難した方が論旨に一貫性が取れていたでしょうね。
まあ、もちろん、本当に元増田が言う通り「ボス」がアンソロにまで口を出すような権力者であり、界隈そのものがヤバい、という可能性も残されているわけですが……(もちろん厳密に考えるならば、政府や会社のようにしっかりと組織の形が定められている場合と異なって、こういう人間関係では影響力や人望と権力とのあいだはシームレスというか本質的な区別が不可能なわけで、そういう意味では「ボス」が何らかの権力を有しているのは間違いないのですが、しかしそんなのは人間が2人以上いれば発生することですからね)
ご指摘いただいたおかげで、私の主張に内在していた欠点を炙り出すことができました。ありがとうございます。
アンサーありがとう! すごく興味深いやり取りをさせてもらって嬉しい。でもたぶん、既にエクスキューズをしてくれているように、半分くらいは読解に関することかも。そして私の書き方も、示したいポイントからちょっとずれてた気がします。補足させてください。
アンサー内でも触れてくれているように、「ある特定の主催者がいる」というところはまあそこそこよく見る、普通の話だと思うんですよ。そして、同人文字書き男氏としては、それを踏まえて、「でも、元増田がその主催者を『ボス』だの『取り仕切ってる』だのって表現するの、権力のにおいがヤバくない? あるいは実際にそう表現されちゃう権力関係があるならますますヤバくない?」みたいなことを問題視してるのだと読み取りました。
私もこの点は完全に同意です。権力感ありありの表現は不思議に感じるし、実際に権力構造があればそれはおかしい。アンソロまで激しく干渉されるとしたら超怖いですね。近づかんとこ、ってなります。
ただ、そもそもの話として、私としては、元増田の文章から「ボス」が周囲からちやほやされてる・強権を振るってるような権力構造を読み取ってなかったんですよね。むしろ、
などで、全然ちやほやされてないっぽいな、主導権をずっと握ってるわけでもないんだなという印象でした。だから、同人文字書き男氏のアンサー内の最後の選択肢、「そいつの関知しないアンソロが編めないようになってんの?」については、明確に元増田の記述とは異なる状況ですよね。元増田のいう「ボス」は参加してなかったらしいわけだから。逆に、「アンソロに参加しないこともあるぐらいの人を『ボス』って表現するの、ずいぶん偏ってない?」という点に注目してます。
以上のように、たぶん私と同人文字書き男氏では、受け取った印象がそもそも結構違うんだと思います。「ボス」「取り仕切る」という言葉のイメージをどれくらい重要視したか、という差なのかもしれません。たとえば、もともとの元増田の表現が「みんなが『ボス』だと持ち上げてる人がいる」的な権力構造に関する言及だったら、「お前の界隈おかしいよ」には全力で同意しますよ。
そんなやついねえよ。
って書き出しに私が引っ張られてしまったのもあると思います。いやいや、そういう立場の人間自体はいたよ、みたいな。なので、私が出した情報は「とりまとめ的な立場によくいる人が実在したケースを知っている。そのケースでは私が『ボスだ』と思うような権力構造はなかったけど」という内容になったわけです。
まとめると、「お前の『界隈』おかしいよ」にちょっと疑問符をつけたかった、というところでしょうかね。
界隈の構造がそもそもおかしいのか? 元増田の感じ方にややバイアスがあるのか?
であれば、私はさしあたり後者に一票なので。
これでちゃんと返答になってるといいんですけど。
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今までは、ただ荒れている海を時たま平和なところから眺めていただけだった。
そして、たまたま見かけた漂流物に対して思ったことを気まぐれに書いて見ようと思った。
ここから書くことは、現段階書いている私には公開するかもわからない文章であり、該当のブログ記事に対して思ったことを気ままに書くだけなので何かを伝えるというつもりは一切ない。自分のなかのことを整理しようと思っただけのことで、こばるさんが何を思おうと私は興味はないし、これを読めというつもりもない。
発端はそのブログであっても、おそらくは私の思ったことまとめに終始すると思われるからである。
以上のことを踏まえて読むかを決めてもらいたい。
これは自己保身という人もいるかもしれないが、私にそのつもりはない。
匿名で、なんの影響を被ることもない場所で、ただ書き散らかす文章だから一切の重みはないということを読んだ人皆に伝えるという意図の、私の責任感の表れと取ってほしい。この文章はただの電子ごみだ。
私は、このブログの題名に名前があがっている方のCFにまつわる問題を時たま眺めていた。最近の出来事などの一連も一通り見ていたつもりではある。
私には、一切法律的知識、CFの知識はないため、収支報告を求めるものに、「まあそりゃあ疑念が湧いたら事実確認をしたくなるよね」程度のことを思うことしかできない。これは、お使いに行かせた子供がお金をちょろまかしていないか確認したい、というような感覚と似ているのでCFに適用できるのかは私には判断はつかない。
私はここで、この方の問題について白黒をつけたことを書くつもりはない。あくまで、こばるさんのブログについて思ったことを書くというつもりだからだ。
このブログ記事は「CFした方がネットリンチをされている」という前提で書かれている。(題名からしてそう)
なので私がそのことについて書くということは、その前提に対して物申すということになってしまう。
そうなると、私の考えたいことと外れていくと思うのでとりあえずそこは保留にしておく。
以下、本文を引用しながら書いていく。
ヌメさんへのネットリンチに加担し続けている人たちへ。
あなたたちは愚かです。
優しさに賢さが追いついていない人、賢さに優しさが追いついていない人、その両方が見受けられます。
優しさに賢さが追いついていない人は、大局を見る能力がありません。「優しい」という自己イメージに捉われて、その表面的な振る舞いからはみ出す勇気がないだけの愚か者です。
賢さに優しさが追いついていない人は、あなたが学んできた知識を、愛情を持って世界に還元しないところを見ますと、やはり愚かだと思います。
正直言うと、私はこの「優しさ」や「賢さ」という言葉が何を指しているのかがわからないため、ここは飛ばす。
ただ、「寛容な世界づくり」という言葉から、弱者にやさしい世界をということなのだろうかということを何となく推察するに、この人々は強者に当たるのだろう。そのあとの、声を上げる、などは最近話題のトーンポリシングもろといった感じである。これ以降のところで語気語調で判断するな、といった内容のことが書いてあることだし。
トーンポリシングに関しては、議論の場は対等な人同士が様々なものを用いて議論をするという理想があるが、そこにも権力関係があるのだということを自覚しよう、といったものであると私は認識している。(何かで読んだ、何だっただろう…)
恥を知り愛を知る、は、まあちょっとよくわからない。思いやりだろうか。悔い改めるとかだろうか。
5年後、10年後に、あなたが自分自身の行いを恥じたとき、過去のあなたの行いを誰も責めてはいけません。
もちろん、今あなたがそれを行なっているならば、咎められるでしょう。法に基づき裁かれることもあるでしょう。
あなたの積極的または消極的な加害行為が、今、あなたからの加害を受けている人の心の安寧よりも、優先して認められることはありません。
これはまあ、おおむね一般的な考え方であるように思われる。罪は裁かれ償いをしたら一種チャラである。あとは良心の問題。
まずあなたは、あなたが何に依らなくても、あなた自身が当たり前に存在してよいのだということを、深く理解してください。
これはまず一番最初に、あなたの心の底の底に置いておくべきあなたの自己肯定感です。
あなたが今それを得られていないなら、とても悲しく、残念なことです。
自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなたが世界を信頼できる根拠になるということを、ぜひ知ってほしいと思います。
自分自身の心を明かす勇気を、あなたの愛する、信頼できる人に向けてください。
その信頼が報われたとき、あなたはあなたのための自己肯定感を得られるはずです。
その経験を得たとき、その自己肯定感や誇りが、他者にとっても同じ、誰にも脅かされてはならないものだということを、想像できる人になってください。
ここはいささか唐突に思われた。なぜここで自己肯定感の話なのだろうと率直に思った。
自己肯定感がないからこそ、曰く「愚か」な行為をしているという考えであるのかと推察するが、「自分自身の心を明かし、賛同でなくとも肯定されることが、あなたが世界を信頼できる根拠になる」という点では、賛同/肯定をされた時点でその賛同/肯定されたものが、結論として善であろうと悪であろうとその内容はかまわないように受け取られる。
それとも、「愚か」なことであってもその自己肯定感が生まれたらばそれ以降回心できるはずといったようなことなのだろうか、私には少々やはり呑み込めない。
ある層に受けることを言ってしまったらその承認におぼれてしまい、そこから抜け出せないこともあるのではないか、等々考えてしまう。
まあやっぱりよくわからない。
あなたが何かを決めない限り、あなたは誰にもジャッジされることはありません。
あなたは、いつでも世情に合わせて、怒られないための「正解」を選ぶことができます。
あなたは卑怯です。安全な場所で、物事を見定めているつもりになっている自分自身のことを恥じてください。
私としてはここが一番の山場であった。ここで、こばるさんは他者に対して「対立する勇気」求めている。
私はここが一番引っかかった。
「意見を表明する勇気」ではなく、「対立する勇気」であり、「中立」、決めかねるという一つの判断を否定していると思うからだ。
以下は、浅い知識によるものだから、最初に書いたことを思い返して、あまり真に受けないで読んでもらいたい。
私は、この言葉を読んだとき、エポケーという言葉を思い出した。
エポケーは、判断停止や判断中止とも言われる。これは、懐疑的なものの見方として生まれたもので、常識などを棚上げし、事実を見るというようなことである。「これまではそうだった、だからこれからも違いない」ここに対して待ったをかけるようなものと私は習った記憶がある。思考停止とも違うということも。
判断を停止するということは、結論を下すことを中止するということで、こうだった場合にどうなるかといった想定をしてその場合の結論としてはどうなるか、と考えることをやめるわけではない。
判断停止をし、意見表明をしないということは確かに叩かれるものがないという点で「無敵」かもしれない。
しかし、むやみに敵を作るような行為は慎んだほうがよいのではないだろうか。対話が可能と思えないのならば、口をつぐむということも選択肢に入って来るのではないだろうか。そこで人は絶対に意見を言わねばならないというのは酷であると私は思う。
立場を明らかに、意見を表明できないのは、冷笑主義でもない限りそれ相応の判断停止の理由があるのではないか。
または、明らかにするほどのことではないという一種の”判断”でもあるだろう。
ここをおして判断を迫るのならそれ相応の論拠を明確に提示していく必要があるだろう。
また、全貌を知らないままに下した判断には危険性があるのではないかと言いたい。
ヨクシラという言葉があるが、ヨクシラで首を突っ込み盲目的に突っ走るというのは恐ろしいことである。むやみやたらに判断を求めたらいいというものではないと考える。
ただ、これはヨクシラで判断を下し動いている人々に対して判断を下し行動することをやめろといいたいのではなく、その判断に基づいて物事を見ることに固執しかねない、という危険性を留意しておくべきではないかという意味であり、柔軟性があるのなら、意見を表明するという言語化を通して自身の考えをまとめることができ、それを叩き台にしていろいろの人との対話をすることで自身の知見を深めることができるため、それ自体をすべて悪いとは思わない。
これはヨクシラでない人であっても同様のことがいえると思っている。固執することは恐ろしいことである。
そして、これらの話はどちらか、いずれか、なんらかの想定されるコミュニティに与するという話ではないと思う。
私は、「対立する勇気」という言い方にどうしても、二項対立ですべてを説明しようとする姿勢が見えてならない。
人々はそうそう一枚岩ではないだろう。学校のクラスの分裂ですら、賛成反対と大きく分けてみた中をのぞけば、容易にその中の分裂が見える。
「有力な参謀」という言い方も、ある組織構造を持った何かを想定しているように思える。
ここ以降は、声を上げるリスクについての説明などで、黒人の男性が黒人の若者に対し言っていた言葉を彷彿とさせるものだった。
以降に関しては特に思うところはない。しいて言うなら、「数は力」という言葉と、黒人差別を意識させること自体だろうか。(全体な気がしてきた)
「数は力」に関しては正当性があると思ってのこの書き方なのかもしれないが、それはマイノリティマジョリティの流動にしかならないのではと思ってしまう。
数は結果であることが望ましいのではと、素朴に思う。まあ、綺麗事なのはわかる。正当に数を得られるように頑張ってほしいものだ。
政治について学んでおらず、社会学に関しても知見が浅いので、これは当たらないかもしれない。(田中角栄しかでてこない程度の知識である。)
黒人差別を意識させる書き方をしてることが引っかかるのは、これは黒人差別と同じものではないからだ。
差別だって犯罪だってそう名のつくものは悪いものだ。だって、リンチで差別で犯罪だから。ネットリンチを批判することに是非は問われないだろう。
ただ、ネットリンチというレッテルを誰か他者に貼ることはどうだろうか。
私は、この悪者としてのレッテルを他者に貼ることが端的に言って怖い。
これを叩かれるのが怖いということだとは勘違いはして欲しくない。
ここでは、叩かれることは問題ではない、他者にレッテルを貼ることが問題なのだ。
その時周りなどは関係ない。私とその人との問題でしかない。間違っていた場合のことを考え、極力それをしないように努めなければならないと私は考える。気分としては推定無罪、のような感じだ。自分が責任を取れないと思うから、責任を持って私はどちらに加担することもしない。
誰かが言ってるから、そんなことで自分の行動を決めてはならない。
こばるさんのこのブログ記事は、前提がもう、ネットリンチというレッテルを誰かに貼っている。
想定されているだろう個別具体的な人々はいるのだろうが明確にはされていないから、私にはわからない。ネットリンチは無くさねばならない。
たしかに当該の方にネットリンチと(法的、公的に)されることをしている人はいるのかもしれない。
それならば、その人は然るべき罰を受けるべきだ。
私もそのネットリンチをしている人々に対してのみに当てられたものだったら特に何も言おうとは思わなかった。
しかしこの記事では、ネットリンチとこばるさんが思うものについて、ネットリンチだと断定しない人間(中立)への批判がされていた。
私はそこにとても引っかかりこんな長文乱文を迷いながら書いている。
繰り返しになるが、ネットリンチだと判断するのは、ネットリンチを批判するその個人がしなければならないと私は思う。少なくとも、公的な場で決まりきっていないなら、そうなる。
それはしかし、「どう見ても正しさの欠片もないもの」と「正しいけど程度として問題があるように思えること」など、いろいろなものがあるのではないだろうか。私刑は正しいことではない。
少なくとも私は、ネットリンチというレッテルは、どこまでいったら貼って良いものなのかの知識はない。
こばるさんはそのような発言をして批判をするのなら、せめて、明確にネットリンチがなされていると自分が思う根拠を示す必要があったのではないかと思う。
しかし、黒人差別と同等なほどに、誰がみても、正当性を持って、ネットリンチと言えるものなのだろうか。こばるさんがネットリンチだと思っているものは。
ネットリンチというレッテルを使わずに、自分が目に余ると思う行為をしてる人たちについての問題提起をするということだって、一考の余地はなかっただろうか。ネットリンチとされなくても、人道的に嗜められるべき行為などはある。
私は少なくとも、一連を見てて何に義があるかというのは、簡単に言えるものではないと思っている。
いろいろなひとがいろいろなところでいろいろのスタンスで話してるのを見かけるからだ。
そこまで注視してない私ですら様々な意見を目にするのだから、もっと様々な人がいるだろう。
私が見てる中にも、見てない中にも、ネットリンチに当たる行為があるのかもしれない。
ただ、私は誰かから困っていると言われたら、然るべき対応を、としか言えない。
手に余ることをするのは、無責任だ。
デマの流布をしないことが、一番私としては誠実な態度だと考える。
こばるさんの想定には私のような問題を外部から眺めている人間などが入ってないのかもしれない。ただ、この書き方はあまりにも広範な人を巻き込んでの批判ではないかと思う。
後半の論調的にはネットリンチに気づきつつ口をつぐんでいるサイレントマジョリティーを想定されているようにも感じられたし、基本的にこのブログ記事は、正義は我にあり、と信じて書かれているように思われる。
なので、正当な判断をしたらきっとこばるさんの側につくとこばるさんは信じているのだろう。
個人的には、正義は我にありと信じてやまない、揺らがない態度というのは、少々怖いものだと思う。
たとえ考えが変わらなく思えても、問い続けることは大事ではないだろうか。
乱文なので、また編集をすると思います。ここまで読んだ人がいたら、お疲れ様です。文意通らないとこあるかもだけど許してちょんまげです。
頓珍漢なこと書いている気もするけど、暫定的に。
https://www.asahi.com/articles/ASMD46V8RMD4UUHB01N.html
さすがに
>赤ペンで「その痛み、つらさを知っているからこそ、人に優しくなれる」「負の連鎖をどこかで断ちきろう」などと感想を書き込み、他の児童の文章と一緒に教室に張り出した。
はありえないと思うが、でも生徒からいじめの相談されても対応できないし対応したくないという気持ちはすごくわかる。
自分が教師になってから思ったけど、いじめの訴えを担任に相談したら何とかしてくれるかもしれない、なんて勘違いは今すぐやめろ。
生徒は自分の担任に期待しないで直接教育委員会に通報してほしい。
よほど普段から会話してて信頼関係がある担任ならともかく、そうでないなら担任に相談するのは一番やってはいけない行為です。
よろしいですか?
あなたの担任の先生はクソ雑魚です。何の権力もないです。人間以下の奴隷かロボットだと思ったほうがよろしい。
私自身の認識もそうです。私は3年目の新人ですが、ただの決められた業務をこなすだけの奴隷です。
忙しすぎて業務外のことをやってるよゆうなんてないし、権力関係でも無力です。私もいじめられてるようなもんです。
いじめられっ子にはいじめられっ子を救うことはできません。そんなことができるならまず自分を救ってます。
だいじなことだから二回言うけど、ただの担任にいじめを解決する力なんてありません。
せめて相談するなら最初から教頭先生や校長先生に、保護者経由でいわないと意味がありません。
私はたまたま幸運にも今の時点では生徒からいじめ被害の相談されたことがありません。
でも相談されても私には何もできません。
多分実際に言われたら、私はその生徒から事情を聴いた後O先生とT先生に相談するでしょう。
今回の事件のように紙で相談されたなら生徒から話を聞く前に先にO先生に相談するかもしれません。
子供は、いじめの相談をうけた担任は、他の業務を差し置いてまずいじめ対策に動いてくれると思うかもしれません。
なんでそういう勘違いをしてるのかわかりませんが、あり得ません。
そんなドラマみたいな嘘っぽい話はないです。ほかの業務の方が大事です。
私は報告や相談もなく業務以外のことをやってたら怒られるのです。
まして勝手に考えて行動したりしたら何をされるのか恐ろしいから絶対にやりません。だって私ただの奴隷だし。
そして、相談したO先生やT先生は、私に対して説教をするでしょう。
そうやってさんざんうんざりする話を聞かされた後に、どうすればいいでしょうかと指示を求めると適当な助言しかくれません。
なんとことはなくてO先生やT先生もどうすればいいかわからないし何もしてくれないのです。
かといって校長先生に相談してくれるかというとしてくれない可能性が高いでしょう。
「あなたがなんとかしなさい」だとかいうに決まっているのです。
休み時間中に生徒同士が教室内でけんかした時に同じようにO先生とT先生に相談したことがあります。
その時には事情を報告させられ「お前がちゃんと生徒たちを見ていないから」と怒られたあと
結局「けんかをしないように注意しよう」「今後はより一層生徒たちの様子を見るように」「さらに問題が起きたらその時に相談して」といわれただけでした。
それで話は終わりです。
先生はみんな忙しいし、生徒たち一人ひとりに興味なんて持ってる余裕がありません。
生徒についても、まじめに勉強してくれる子は可愛いけどそうでない子はただの厄介者でしかありません。
そういう教師の余裕だとか一人一人の自律性なんてものはとっくに死んでいます。
これ以上余計な責任を負いたくないし、できる限り問題なんかなかったことにしたいです。
というかね。子供はマジで教師をなめてかかってるし注意したらガチ切れするしすぐに暴れるし同じ人間とは思えないです。普通に怖いです。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20191214-OYT1T50156/
なんでこんな危険な生き物の世話を安月給でしなきゃならんのかと。危険物取扱手当ほしい。
それでも自分が受け持ってるクラスの子くらいは可能な範囲で面倒見ようと思ってますがほとんど義務感だけです。楽しくないです。
学校にいじめ対策をしてほしいなら、いじめ対策専門のスタッフを学校が用意できるように運動してください。
担任にいじめ対策なんて無理ゲーです。担任なら何とかしてくれるって俺は仙道じゃないんだよ。
私はもう生徒のことが可愛いと思えなくなってきてるし、教師に向いてなかったんでしょう。