はてなキーワード: 改装とは
おわりが早すぎたので 補足
「○○家政婦協会」だの「(地域)のシルバーヘルパーさん」とかで調べるともっといろいろある
ご飯○品以上つくりおきとかとか洗濯とかもやってくれるらしいぞ
他人に部屋に入ってほしくない場合はまず宅配ボックスがなるべくいっぱいつかえる家に住んで
ご飯は半調理ずみ製品がとどけられるやつ(ヨシケイ、タイヘイ、生協、ショクブン、ネットスーパー)を使う、
もちろんシャンプーやなんかもamazonやrakutenもつかって日用品も玄関先までとどけてもらう
クリーニングも郵送でやってくれるやつある
最後まで手間取るのはたぶん金の扱いと教育と粗大ゴミを日中ごみ処理センターに運ぶやつ
有料ラベル貼って家の前に出せるならそれが楽なんだがな
あとwifi設置して勝間式とかちきりん式に改装(リフォーム)したり、ルンバブラーバ、全自動洗濯乾燥機、食器洗浄機はデフォルト
金のために時間を売り渡して働いたあげく金で買える家事時間を買うんだからどうだかなーって気持ちにもなる
コロナ後からバタバタ近所の店が閉店し、新しい店に変わって来た。
繁華街ではないので小さな個人商店だけど皆おしゃれに改装し、オーナーは30代40代ぐらいの人ばかりだ。
テラスはペットOKと言うカフェが出来たのでうちの中型犬を連れて行ったら、大型犬だからダメだと言われた。ホリエモンだったらきっと、中型犬だし小型犬と何が違うんだとゴネたかも知れんが、こっちは小市民なのですごすご帰った。
もう一軒小さなカフェが出来たので行ってみたら、焼き菓子が美味しかった。店内にいる時に4人組が入って来たら、オーナーに一緒に2人までしかダメと言われていた。テーブルは空いているので2人と2人に別れたらダメか?と聞いたら時間差があれば良いと言われていた。4人はすごすご帰った。焼き菓子をお土産に買って帰ろうと思ったら1人一個しか持ち帰りはダメと言われた。
手ぶらですごすご帰った。
おしゃれな自転車屋が出来たので、今まで大切に乗っている自転車の錆びているところを交換してもらおうと思って行ったら、
それはやりたくありません。
と言われた。やりたくない。できないじゃなくやりたくない。ホリエモンだったら(ry
すごすご帰った。
中国の山に登る(ヒマラヤ山脈の東部、7000メートル級、死の山とも呼ばれる)
遭難。
それでも数日後、何とかキャンプに戻る。
しかしサポートメンバーは、二人が死んだと思い日本へ帰国済み。
中身はインスタント食。
だがお湯は無い。
テントも無し。
相方さん死亡。
17日後。。。。
しかし丁度その日。
皮膚は凍傷で真っ黒。
衣服はズタボロ。
靴は途中で脱げてなし。
しかも肉が腐って腐乱臭。
まさに化け物のような風貌。。。
でもこの農民親子は、そんな遭難者を自分の家に担ぎ込み、必死で手当。
その日のうちに100人以上の救助隊が編成。
翌日、1日がかりで、ふもとも病院まで降ろす(人力)
しかも当日は大雨。
ふもとの病院では20人以上の医療チームを急遽編成して、蘇生手術開始。
一時は心肺停止。
でも運べる車が無い。
翌朝出発し、数百キロのガタガタ道を夜中まで走り続け、成都の大病院に到着。
しかし翌朝、体調急変。
緊急手術により両手の全ての指、両足を失う。
45日間にわたる入院。
総輸血量は体内液量の2倍以上。
以上、実話です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%AE%8F%E4%B9%9F
昭和時代のモノをもてはやす傾向がここ数年は世の中にあって、自分もけっこう好きだったが、最近は飽きてきてしまった。
こぢんまりとした、こだわりのメニューがある、昔ながらの喫茶店、内装が半世紀ぐらい変わっていないレストラン、今では見られないデザインのビル、いまだに回転ベッドなんかがあって、バブル期の遊び心をほうふつとさせるラブホ。ツイッター上ではこういったものをもてはやす界隈があって、私も関連アカウントをたくさんフォローして、タイムラインを昭和のレトロな文物でいっぱいにして悦に入っていたものだった。
脂っこいばかりで割高な洋食を出す昭和のレストランや喫茶店に行くぐらいならデニーズやサイゼリヤに行く。なんだったら日高屋でもいい。
この昔ながらの趣がある店内がよいなら、まず毎日掃除をしようよ。それから、せめてボロボロになった什器を替えようよ、できるなら、いまの内装の良さを残して改装すればいいじゃない。と思ってしまう。
昭和レトロの正体は、昔の温かみのあるデザインを楽しむのではなくて、日本がたんに貧しくなって、さまざまなもののアップデートがもう追いつかなくなっていて、それに対して一部の人が趣味的な視線を注いでいるだけじゃないのかと思えてきた。
この手の問題で一番気持ち悪いのは「やったー!女を叩くぜ!!!」ってわらわら湧いてくる一部の男の人だよな
本当に苦しんでるトランス女の人の人権とか苦しみなんて1mmもどーーーでもいいくせに、さも人格者みたいに「これは矛盾ですよね?」とか言ってくんの
それなのにいざ犯罪で捕まったら「自分トランス女性で、女の気持ち知りたいからパンツ盗みました」とか言い出すわけさ
なーにそれ!?恥ずかしくない!?お母さんに言える?!ZOZOとかで下着買えよ!!!
一部の男性がトランス女と嘘ついて犯罪してんのに、そこから女が身を守ろうとしたらそりゃ差別だって、ずるくない?!卑怯くない!?お前女でもなけりゃトランス女(本当の)でもないんだから部外者やんけ!!!
って気持ちは置いといて、ちんちん未施術を許可するっていうなら全部の温泉で水着着用が落とし所になると思う。
かつての露天混浴がワニ族によってどんどん駆逐されていった歴史を鑑みて、エッチなこと、自分の性癖のためなら仕事の100倍頑張れる男性は多いわけで、嘘でトランス女性を言い張るヤバい男の人がわんさか出てくるわけだ。
世の中子持ちも多いわけで、お父さんお母さんは娘がそんなところに行くことは嫌がるのが普通。いい歳した男女だって、未だに産婦人科ですら女医がいいって人がいるんだから、見知らぬ自称女オッサンの溢れる風呂なんて無理無理。
そうなってくると、今までの温泉は「裸で入る温泉」ってジャンルになって、露天付き個室とか、箱根のユネッサンみたいな水着で入れる施設が好まれるようになる。
更衣室とかシャワーも個別とか鍵付きにならなきゃ、隣の女おじさんがポロリしつつニタニタ見つめてくるもんな。
この時流に合わせた改装コストが払えない温泉は、ヤバい人受け入れてそのまま経営するか、男限定でやっていくか、なんらかの手を講じざるをえないわけだけど、もともと余裕ある業種じゃないんだから、結局衰退してでかいところしか残らないんじゃないかな。
そうなると中小観光業とか関連する企業は大打撃、ますます景気悪くなるわ年金は減るわで、そこまでの経済リスク負わんやろって思うわ。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
いろんな業界がコロナで大変だと増田で悲鳴が上がってきているけど、ウチも中々に大変なんで書いてみる。
当方しがないケータリング業者。会社の歓送迎会やレセプションパーティなんかを中心にやっていたんだけど、2月から売上がゼロ。年始の時には定期のお客さん含めて6月くらいまで毎月10本弱の予約入ってたんだけどオールキャンセル。その後の新規もゼロ。どっかのホテル業界が90%減少って言ってたけどウチは100%減少。
3月ぐらいの時は正直、秋くらいには落ち着くかなと思っていた。自社サイトリニューアルしたり、調理場の改装したり、(お金にならないけど)営業がてら個人宅向けの出張ケータリングしたり、慣れないYoutubeなんかも配信したりもして「コロナは仕込みの時期!」ってやってたんだけど、もう無理。
今年の仕事はおそらくゼロ。来年もこの調子だとワクチンや重症化予防薬できるまでゼロ。多分、この仕事自体が数年間は(一旦)なくなる。
幸い専従スタッフも食わせる家族も抱えていなかったので、調理場の維持費用だけで済んでるから何とかなってるけど、社員を抱えている人は本当に辛いだろうな。去年結構がんばったので今年は社員を入れて拡大しようかなと思ってた矢先で、本当に良かったんだけど悲しい。
まあでも、死んだものを悲しんでも帰ってこない。気持ちを切り替えて新しいこと始めるしかないと、色々と手を打ち始めた。そうしたら、今は新しいこと始めるチャンスだと気づいたんだよね。
政策金融公庫も商工会議所もコロナ特別融資などで、お金を借りるのが過去最高に楽。事業転換用の補助金もある。店舗物件もオフィス物件もコロナ倒産でここ数年では出ないような優良物件が空き始めてる。スタッフもそう。業界にもよるけど、若い人から熟練技能者まで求職者が増えている(特にウチの飲食業界はシェフが超仕事探ししてる)
もうね、これから10年先まで見ても今ほど新しいこと始めるべきタイミングはないんじゃないかな。もちろん手元の現金を減らすリスクは恐ろしいけど、今まで勝ってきた人たちの牙城が崩れてるから、挑戦者にはきっと追い風だと思う。今、事業計画書とか書いてて起業した時と同じくらい、ワクワクしてるんだよね。
いろんな業界で阿鼻叫喚の声が上がっているけど、うまく事業縮小したり事業転換したりして生き延びて欲しい。そんなことは、もうわーってるよ!!って思うかもしれないけど。
攻略テーマは、昨日書いたけど、要するに「大漁!海防艦いらっしゃい!」である。
結果、第一海域はクリアできた。攻略難易度は最高難易度の「甲」で。
第1ゲージは、輸送作戦で、これをアタイは「チマチマ、ポコる」作戦で攻略する方針であることは、昨夜書いた通り。
この作戦に参加する艦隊「千鳥方面部隊」のメンバー6人は、軽巡1、重巡1、雷巡1、駆逐艦3で、こんな面々。
五十鈴改(Lv.38)【2軍】 | 主砲連撃。(めざせLv.50で改二へ大規模改装) |
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プリンツオイゲン改(Lv.86)【2軍】 | 連撃装備。夜戦装備(夜偵、照明弾) |
木曽改二(Lv.74)【2軍】 | 先制雷撃と連撃装備 |
フレッチャー(Lv.50)【2軍】 | 対潜要員。(めざせLv.55で改へ大規模改装) |
伊太りべっち改(Lv.57)【2軍】 | 対潜要員。イタリア駆逐艦の魅力は対潜。ここで魅せてくれ! |
伊太まえ改(Lv.57)【2軍】 | 対潜要員。同上 |
E1海域第1ゲージを攻略するだけじゃなく、アタイの艦隊の2軍メンバーを強化するレベリングも兼ねたチームを組んでみた。
艦これというゲームは、心折れる単純作業に対して何か意義をこじつけて付与し、なんとかモチベーションを上げて維持する術を鍛える修行。ボスをチマチマ何十回も殴り続けるという延々と続く単純作業も、「普段は相手する暇のない2軍メンバーの育成も兼ねる」というテーマをネジ込めば、あら不思議、なんだか心ウキウキ!
…ドロップした艦娘は、全て、通常海域で出会うような駆逐艦や軽巡の娘たち。
ぷにぷにホッペの海防艦ちゃんたち、もっと! もっとだっ! 来いやぁ!
29回目にS勝利をして輸送ゲージが破壊された時、ドロップする娘に期待したのだけれど…
イイ覚悟だほら! そのまっ平らな飛行甲板、出しなよ!いくぜっ!
E1-1は旗艦ローテ、無疲労で周回できる
ゲージ破壊後の海防艦ドロップは70Sで1隻
思っていたより美味しくないかもしれない🙄— jug (@jug37244712) June 27, 2020
この不漁な海域、E1-1にアタイが戻ることは二度とあるまい。アバヨ!
続く、E1海域第2ゲージも、ボスに対してA勝利4回、S勝利2回を重ねて、攻略完了。
でも結果としてゲットした艦娘は、海防艦ゼロ。他にレアな娘も無し。ふぅ。
こんな不漁な本日で、あえて一番の戦果を挙げるなら、E1海域第2ゲージの突破の決定打を決めた駆逐艦の曙たんの活躍。曙は、E1海域で敵への攻撃に特効ボーナスが設定されているらしい。
顔を合わせれば「このクソ提督っ!」と罵倒してくる娘だから、あまり可愛がってなかったし。
「曙」って字面を見ると、横綱だった曙太郎が目に浮かんじゃうし。
だから、特効艦とはいえ、まだレベル58にしか育ってない小娘に何ができるのかしらと、
あまり期待せずに、ゲージ破壊寸前の「ラスダン」決戦メンバーの旗艦で送り出してみたら、
連撃装備の曙が、夜戦でボスに3桁ダメージを叩き込んでフィニッシュ!!
ほんと、じゅ~~ぶんに感謝する!言葉通り、何とかしてくれたじゃない!
今日ほど、曙の「このクソ提督」という罵声が可愛く聞こえた日はない。
さて、次は第二海域(E2)。今度の戦場は、南西諸島沖縄方面。
しかも、先行するガチ勢たちのつぶやきによれば、大和もドロップしているらしい。
ということで今度は、この娘を大規模改装できるレベル60までレベリングすることを楽しみに、アタイは「刺身にたんぽぽを載せるお仕事」をするわけか。
私は現在23歳(今年で24歳)で、20歳からソープをしている。歴3年、長い方だと思う。
この3年でソープのプレイは覚えた。マットも講習したし(知らない人はググって)、サービスも悪くは…ないと思う。
ただ、女として絶頂である今の時期に指名がそんなにないのだ。これは顔などは関係ないと私は思っている。失礼だが顔があまり可愛くない子でも人気な子は人気だ。自分の母親と近い年齢のお姉さんがナンバーワンになっていることだってざらである。
人気がないというわけではない。たまにお店のランキングにも入るし、毎月来てくれるお馴染みのお客様は掴まえている。その数が少ないのだ。太客もいない。ランカーのお姉さんは太客を掴まえたり、2,3ヶ月に1回来るお客さんの指名を地道に返している。
やはり向いていないのだと思う。もし太客が何人もいて常にランカーだとしたら風俗嬢として生きる活路が見えるであろう。
私は吉原で働いている。ソープの建て替えや改装が法律で認められていないのは知っている方も多いであろう。
私の在籍店も豪雨のときは雨漏りする。壁は煙草のヤニで黄ばんでいるし、お風呂の天井にはカビが生えている。
朽ちていくだけなのである。今はまだしも、ある日突然地震が起きて倒壊しているかもしれない。大宮のソープのように火事で焼けているかもしれない。天災が来なかったとしても、私が40歳になったとき果たして吉原は存在しているのだろうか。
法律が改正されるかもしれないがそんな希望を持つほうが無駄である。
自己肯定感が低い風俗嬢は多いと思う。例に漏れず私もその中の一人で、お客さんに楽しかった、気持ちよかったって言われると嬉しくなってしまうのである。必要としていると言ってもらえるのはとても嬉しい。これはかなり根深い問題だと思う。
仕事ではなくプライベートでとある男性と出会い(詳しくは割愛)その人と一緒にいることによって自己肯定感が上がりお客さんに必要とされなくてもいいという思考になった。
ソープはなんだかんだ言って身一つあれば成り立つ職業である。ランキング1位に入ったからといってそのことが履歴書に書ける訳では無い。
自分にしかできない仕事をしたいと思うようになった。これは自己肯定感が上がらないとこういう思考にはならなかった。
⑤お店のお姉さんを見てこうなりたくないと思ったから
もちろん数十年の付き合いを続けているお客さんが多数いるお姉さんは別である。そういうお姉さんは別格だ。
私がここで指しているお店のお姉さんとは、稼げないのに居座っている30代後半以降のおばさんである。おまけにホスト狂いでホストを彼氏だと思っているおばさんがうちのお店にはいる。そこそこ年齢もいっているのでお店の女の子は何も言わない。何も指摘されない。こんな人生は歩みたくないと率直に思ったのである。
私はホスト行ったことあるけど何が良いのかわからんです。何にお金を使っているかというと、食費と趣味です。
金銭感覚はすぐには戻らないので暫くは正社員OL副業ソープになると思う。徐々に辞めていかないと反動がきてしまうという判断である。
お粗末さまでした。
そこの弁当は品数が多く、一品一品が丁寧でフライ系を除いたら大体どれも美味しくて
しかしコロナ対策の影響で、しばらくの間閉まり、数日はコンビニパンで過ごしていた。
セブンイレブンのコロッケパンはコンビニパンの中でも至高といえる。
あくる日いつも通らない通りからコンビニに向かうと、そこには魚屋があり、弁当があった。
その弁当はほっけがドンと効果音が付くような分厚さで、弁当の半分以上を占めている。
弁当恋しさと縁を感じ購入を決意。少々値は張るが、炭火で焼いているらしく、少し気分は高揚。
社内に戻り、弁当をあけると確かに魚はいいものだと主張するにおいが立ち込め、気分が高揚。
食してみるとほっけは脂が乗り切った状態を冷凍保存していたらしく、非常に美味。炭火で皮の可食部が少ないのは残念だがそれを差し引いてもおいしい。
しかし気分が高揚したのもこのほっけだけで、それ以外があまりよろしくない。まず漬物は安物と一目でわかるつけ具合で
なおかつ、量が少なすぎる。付け合わせの総菜は私の記憶が正しければ業務スーパーのやつだ。気づきたくない事実というものはどこにでもある。
そしていただけないのが白米だ。私的な表現を使用すると人間味がないのである。
この味には覚えがある。デイリーヤマザキのおにぎりだ。これはただの勘だが古米を洗浄しすぎるとこういった味になるのだろうか。
米を大事にしている私は少々残念ながらあの道を通り、あの魚屋で弁当を買うことはない。
米をついばむうちに、気がかりが生まれた。ほかの魚屋の弁当はどうなのだろうか。もしくは肉屋の弁当も同じく米がいただけないのだろうか
気もそぞろに仕事が片付け、家近くの商店街にいき、専門店の弁当を買いそろえる。
まずはスーパーの中にある魚屋が出しているお寿司。ここはスーパーが改装を行う際に遠方から移転してもらっただけに
魚の品質が高いので愛用している店だ。愛用しているがここも魚は美味しい。が米はいただけない。
どうも魚屋の弁当の米はまずいということは確定してもよさそうである。
次に口直しにお寿司屋さんで買ってきた弁当を食べてみる。うまい。シャリという違いがあるにせよ。雲泥の差は間違いなくあり、食べてみるだけで幸福である。
次は肉屋の弁当を食べてみる。ここのトンカツは遠方の友人が来るたびにお土産に買う一品で肉はだいたい美味しい。
しかし専門店だからと期待していなかったが、期待に反して魚屋よりは味があった。なんとも言えない気分になった。
最後にオーガニック野菜専門店の弁当で占めにする。野菜は甘みをあまり感じられず、野趣あふれる弁当なのだが
肝心の米がいまいちである。完全に予想外だが、これは察するに炊飯器古いのを使用している。変ににおいがついている
米そのものはたぶんきっとオーガニック故に質は悪くないはずだと思いたい。少なくとも魚屋よりはマシだ。ずっとずっとマシだ。
仕事帰りとか、休みのひとときとかにカフェに寄ってお茶を飲むのが好きだ。
行くときは99%以上一人だ。花粉症持ちなので、くしゃみで飛沫を飛ばすリスクはあるが、だいたいおとなしくお茶を飲んでスマホとかをいじって過ごす。換気の悪い店にグループで行ってぺちゃくちゃおしゃべりをする輩が感染のリスクを増すのではないだろうか。
私のよく行く店で、かなり対策が完璧だと思うところがある。そもそも店がスーパーの入口近くなので、自動ドアが開閉されるたびに換気ができる。カウンター席と二人席と四人席があるが、テーブル同士の間隔をかなり空けてあり、カウンター席も一人分以上の間隔を空けて座るよう表示されている。
本当は一人客限定もしくは二人でも横並びに座る方がリスクは低いんではないかと思うが、同意のうえで狭いところでおしゃべりをして感染するのは自己責任だと思う。
ちなみにもう一つ、私のお気に入りだった店は、喫煙席を廃止しがてらほとんどの席をお一人様仕様に改装したのだが、駅ビルに入っていてそこから許可が出なかったのか、チェーン店なので本社から指示が出たのか、結局休業に追い込まれた。
カフェという業態が不要不急と言われてしまうとどうしようもないが、できれば営業させていて欲しかった。これはワガママな願いなんだろうか…。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200415-04140265-sph-soci
https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1007617/1007679.html
施設の使用停止及び催物の開催の停止について協力を依頼(特措法によらない協力の依頼)。ただし、100平方メートル以下の施設については、営業を継続する場合にあっては、適切な感染防止対策の徹底を依頼
これを素直に読むと100平米以内にすればいいって話じゃないだろうに。(店舗改装して床面積を減らすなら分かるが)
いまの休業要請って罰則はないけど法的に拘束力あるんじゃなかったっけ。なんかこの一件でTSUTAYAの印象が悪くなった。いや、大変な時期なのは分かるが。
毎日毎日くらいコロナのニュースばかりで楽しくないしあんまりで歩いてもいないんだけど、
おうち時間ということで、
家でインターネッツを開いても遅いような気がするのは
全国テレワークでネットにつないでる人が多いからってことなのかしら?
いつにもましてネットの速さがもっさりしてるような気がするの。
とおもって例のパケット使いすぎ問題で月末出汁って思って管理画面を見てみても、
ぜんぜn使ってない先月の繰り越しすらまだ使い切ってない感じで
もうさやることなさすぎて、
そうそう!
私聞いてみたの店員さんに、
そしたらその店員さんも
知ってるのか知らないのか本当は知らないけど、
いつからどのぐらいの規模で改装になるかって知らないらしいのよ。
店員さんなのによ。
これってもしかして、
竹内まりやさんもビックリするような毎日がスペシャルやでーって言いそうな、
どっちでもいいけど、
するならするしないならしない!ってどっちかに決めてもらわないと私も行きたいところのマーケットでフレッシュ生マッシュルームとホワイトアスパラガスが買えなくなるじゃない?
これは問題よ!ってことで、
まあ実際のところ
お惣菜がいまいちなその改装するする詐欺セールを開催しようとしているこのマーケットは
なんか負けてる気がするけど、
何が良いかって、
そりゃ~さ、
ジャンケンしてパーで買ってパイナップル!の歩数で家からお店まで
便利なのは便利なのよ!
近いってだけに尽きるわ!
そんでもってお気に入りのフードコートの本格インネパ系のカリー屋さんも2年の更新を機に閉店してしまったし。
もう私はこのマーケットに足繁く通う理由がなくなってしまったけど、
相変わらず、
ジャンケンでパーで勝ってパイナップル!で行けるような近さの距離だから
ついつい行っちゃう訳なのよ。
どんどんテナントが減っていって
もうあまりに書店が近くてアマゾンのサイトにアクセスするよりも、
ジャンケンのパーで勝って余裕で県検波でも行けるパイナップル!の歩数で
その書店に本を買って来た方が早いのよ!
自分プレミアム会員って超特急で届くんだからって自分で買いに行ってるんだけどね。
だから本当に
決めてほしいものよ!
うふふ。
なんかいまいちな味で、
これってもしかして匂いが分からない?味が分からない?症状なのかしらと思ったけど、
ヒーコーは相変わらず美味しくダバダッといただけたので、
どうぶつの森でお友だちのところに行ってわざわざ100ベル出してお水飲んでる場合じゃないからね
搾ってよろしよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!