はてなキーワード: 指原莉乃とは
湯〜園地に行ってきた。
新聞テレビネットニュース、多くのメディアが取り上げ、初日には指原莉乃も来園。
収支の部分はわからないが、動画が再生されたら実現→再生されたので本当にやります→地元のさびれた遊園地を活用して実現しました、というストーリーはもちろん、露出・評判ともに素晴らしく、大成功といっていいと思う。
実際、行ってみてとても楽しかった。
アトラクションは古い遊園地のそのままだけど、ちょっとの工夫で「湯〜園地」ナイズドされていたし、
1000人規模のボランティアスタッフはおじさんもおばさんもいて、めちゃくちゃに親切だった。接客に慣れていない人も多かったけれど、とにかく楽しんでもらおうという気概であふれていた。
薬剤師会の腕章をつけた人たちが経口補水液を沢山配っていて、熱中症予防につとめているのが伺えるし、
そもそもの別府のコンテンツ力、コンテンツを活かす発想力、発想をかたちにする実現力、すべてが備わった地域活性の手本となる好例だったと思う。
別府市長の自治体を動かす力は知らないけれど、彼自身のキャラクターも素敵だった。
でも、湯〜園地が成功した理由はやはり、クラウドファンディングで支援した人、事前に公式サイトで購入した人だけが入園できる仕組みだったからではないだろうか。
これから書くことは私の偏見だし、決して自分のSNSでは書けないようなことだが、はっきりと感じたことなので残しておきたい。
先ほど私が書いた「成功した理由」とは、報道やソーシャルでポジティブな反応がほとんどで、来場者の満足度が高い理由を指す。つまり開催中にうまくいった要因である。
こういったイベントは、大々的に開催が報道されることで、興味を持ち始める層がいる。
イベントを開催するまでのストーリーや努力を知っている事前購入者とは情報格差がある。思い入れや支援の想いが違う。
端的に言えば、前者は往々にして民度が低いんだろうと私は考えた。
湯〜園地の中はゴミなんて全く落ちていなかったし、ボランティアスタッフにいちゃもんを付ける客や、トラブルを起こすような客、列をきちんと守れない客がどこにもいなかった。
頭の悪そうな人はおらず、理解のある人ばかりだったと思う。
スタッフのオペレーションが悪いだの、待ち時間が長すぎるだの、衛生面が気になるだの、MAPがわかりにくいだの、別府駅-ラクテンチ間の誘導がよくないだの、悪いことを言おうと思えばいくらでも言える。
でも事前購入者は、どれだけ別府市民ががんばって、工夫を凝らしてくれたものだかはよくわかる。
ちょっと至らなくても、かなりの手づくりでも、ただただ実現したことに驚くし、嬉しいし、なんだって目をつぶれるのだ。
当日券を求めるような層は、他の遊園地と同じようなスムーズな対応、洗練されたおもてなしを求めるのではないだろうか。
クラウドファンディングを触ったこともないようなリテラシーの低い層は、正直なところ民度も低いのではないか。
7/2に始まったNGT48の新公演。ふたを開けてみると聞いたことがない新曲ばかり!これは今のAKBではありえないことだった。
昔のAKBは新公演と言えば普通は新オリジナル公演のことで、そのグループ用に用意された新曲だけで構成される。
しかし、今のAKBは秋元康が忙しくなりすぎたせいでオリジナル公演が行われることはまず無い。
AKBは2011年以降、オリジナル公演は1つのみ。SKEやNMBも同期間で1つのみ。HKTはゼロだ。
つまり、HKTは創設の2011年11月以来、先輩達が既に行っていた「おさがり」の公演をずっと今まで行ってきた。
ところが後輩の、昨年公演を始めたばかりのNGTがオリジナル公演をもらったのだ!
が、実はこれにはからくりがあって、厳密に言うとNGTはオリジナル公演では無かった。
パチスロAKBというこの秋に出るパチスロ用の曲を転用したというのが真相だ。
しかし、それが分かってもHKTファンは自分たちにオリジナル公演が無いことを改めて自覚し、そこでファンによるオリジナル公演を求める運動を行おうということになった。まずはネット上でこれが盛り上がっていたわけだ。
ところが、HKTのメンバーでもあり支配人でもある指原莉乃がそのようなことは求めず、今の公演を頑張れ、といったメールを送ってきたそうだ。
●見舞いに来た関係者に「この度はご迷惑をお掛けしてすみませんでした」と言いながらも可愛く口を尖らせてそう。
●マネージャーや周りの世話役に可愛いから許せる程度のワガママを言いそう。
●暇な時間は鏡や本を見て、髪型やお化粧の研究に余念がなさそう。
●来る関係者全員に本気で「この度はご迷惑をお掛けして申し訳ございません」と深々と謝りそう。
●気のおけるマネージャーや世話役に「もぅ…やだぁー…」とか弱音聞いてもらってそう。
●入院中はスッピンで芸能人オーラ消えてどこにでもいそうな人になってそう。
●ペットロスになってため息ついてそう。
●暇な時間はツイッターと2ちゃんとインスタサーフィンしてそう。
2人とも大好きで、指原は出てる番組を選んで見るほど好きだけど、私の中のこじはるのイメージが完璧で可愛いでしか構成されてませんでした。
まず「ファンは恋愛感情を抱いていてその好意を利用して貢がせている」という大前提が間違っています。
そのようなファンが中心のメンバーは総選挙で上位に来ることは難しいです。
その最たる例が指原莉乃です。指原のファンが「恋愛感情」から「貢いでいる」とでも思ってます? だとしたら全く現実を把握されていません。
>「頑張ります!」って、一体何を頑張るんですか?
メンバーが頑張るのは主にSNSの更新でしょう。今はネット時代、さまざまなツールを駆使して自分をアピールします。ツイッター、インスタだけではなくGoogle+、755、そしてメンバーのメールサービス、さらにはshowroomという動画サービスまで。
これらを使う・使わないはメンバーの自由。そして、そこに露骨に投稿数の差が生じます。それが「頑張り」です。頑張りが見られないメンバーにはファンは投票しません。
総選挙で実際に頑張るのはファンのように見えて実はメンバーです。ファンはもう総選挙の予算が決まっててそれをどう振り分けるか考えている人も多いのです。
1位
5位…
7位…
8位…
11位…
14位…
15位…
16位…
17位…
18位…
19位…
21位…みちょぱ(18=モデル)
22位…
24位…
25位…
26位…
28位…
指原莉乃(24=HKT48)
mirei(21=顔芸モデル)
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傾向としては上位にグラビア系、下位にはお騒がせ系とかセクシーさが無い人、あと知名度が重要かと。
まず1位、これは筧美和子で確定でしょう。
7位… 大川藍と予想。知名度は今野杏南と同じ位で年齢も若いから。
11位… 丸高愛実? この辺りだと難しい。
14位~19位… 菊地、手島、野呂、川田、mirei、橋本 順番は不明。
22位、24位~26位… ベッキー、ICONIQ、ダレノガレ、鈴木
28位… 熊切あさ美かな?
と予想してみました。
これはネガティブな苦しさが勝ってしまってる人のために書いています。
キャラから与えられる喜びと苦しみを差分したとき、「喜び」が多いとはっきり言える人はどうかそのままお幸せに。
自分は今まさに二次元のキャラに恋をして苦しいのですが、目に見えて不健康になったのでこれはいけないと思い
感情の整理がてらこれを書いているところです。
以下は私が二次元のキャラに恋をして苦しいという状態を脱するためにあれこれと試した備忘録です。
恋を止めるのではない、というところがポイント。
推しは変えるものではなく増やすもの、と指原莉乃が言っていたがまさにそんな感じで恋する対象を増やす。
執着心を分散するのだ。
今あなたが好きなキャラほど深く恋しなくても良い、おっぱい大きいな、とかイケメンだとか、そういう感じで気軽に好意を持っていこう
人間の脳というのは二つのことを「同時に」は考えられないらしいので、恋をしている時間はそのまま、対象をすり変えてしまう作戦である
同じ作品よりは別の作品、二次元なら三次元などガラリと変えてしまうとより克服しやすいが
こればかりはその人の哲学もあると思うので調整してほしい
・恋心を信仰心に変えてみる
恋と信仰はすごく近いところにある、というのが私の二次元への恋愛遍歴で知った事実である
そして信仰心というのはすごくポジティブなものである。生きる力をくれるのである
「あ~○○がかわいいこの世界は美しい、この美しい世界に生きてる私は幸福だ」
となってくれる
ただしこれは、シンプルに好きな気持ちをこじらせてしんどい人にはたやすいし、オススメだけど
劇中でキャラに恋人が出てきてしんどいというタイプは、その恋人ごと神聖化しないとたどり着けない場所である
・筋トレをする
筋トレによって快感物質が放出されるので気分が良くなり、軽度ならば「なんでこんなことで悩んでたんだ」となれる
重症でも「筋肉だけは、自分を裏切らない」という錨を心にもつことで、立ち直るための最初の一歩を踏み出せる
あと、恋に苦しんで重症ってのは原因が「考えすぎ」なので、筋トレに集中して物理的に考える時間を減らすことで緩和する効果もある
・現実に目を向けてみる
話題の映画や洋服を買ってみる、美容室でヘッドスパを申し込んでリラックスする
英語の勉強をする、絵の練習をする、ダイエットする、などなど、自分の価値をあげるのも効果的だ
とにかく手をつけてみることで、すいすい時間がたって、恋のことを考えている時間が減っていることはよくある
ここまで書いてなんだけど、私はやっぱりまだだいぶ重症なことわかった
キャラに好きな人がいるような感じで、置いていかれると怯えてるんだよね
置いていかれるってなんだよそれ頭大丈夫かって感じだけど、心の状態を性格にあらわすとそうなる
指原莉乃さんによって史上初の二連覇が成し遂げられ、ベテランメンバーの勇退やフレッシュな新顔の台頭に沸いた第8回AKB48選抜総選挙。
80位までのランクインメンバーから構成されるランク帯のひとつ、33位~48位の「ネクストガールズ」に、36位のメンバーとして私の「推しメン」、HKT48の本村碧唯さんがその名前を刻みました。
「推しメン」とはいったものの、私はいわゆる在宅ファン。現場に足を運ぶ勇気もなく、TV番組だって全部はチェックしない、HKTのファンを名乗るのも若干はばかられるくらいのにわかなファンです。
私がAKB48を好きになったのは、ちょうどグループが国民的アイドルへと進化を遂げ始めていた頃、そのきっかけは当時総選挙で初の選抜ランカー入りを果たした指原莉乃さんでした。
「こんな面白い子がいたのか」と贔屓にしていた彼女がHKT48にその拠点を移し、私の関心も自然と博多の少女たちへと移りました。
指原さんの巧みなプロデュースや若いメンバーの瑞々しいパフォーマンスがすっかり気に入り、特定の贔屓はいないものの歌番組やレギュラー番組を時々見て楽しんでいた私の心を奪ったのが、いま「推しメン」として名前を挙げた本村碧唯さんです。
彼女のことは名前だけ知っている程度、いわゆる妹キャラで泣き虫の通称「あおいたん」、というのがその時かろうじて知っていた知識でした。
もともと指原さんが好きというだけあって、どちらかというと一癖二癖あるような子の方が好きだった私にとって、事前情報から判断するに彼女はまったく興味範囲から外れていました。
そんな彼女が、レギュラー番組「HKT48のおでかけ!」にて活躍の著しかったメンバーを表彰する恒例企画「おでかけ総選挙」にてフィーチャーされた活躍ぶりは、あまりに意外なものでした。
畑仕事中におもむろに巨大なミミズを手づかみし、周囲のメンバーが泣きべそをかいて逃げる中ひとり無邪気に笑う姿、キャンプ体験中、ひとり器用に火を起こしスタジオの指原さんやフットボールアワー後藤さんの口をあんぐり開けさせた姿、釜戸で番人のごとく火加減を見ながらウチワを仰ぐ、妙に手慣れた職人のような顔。ベビーフェイスで泣き虫、そして妹キャラというイメージからは想像もできない野生児っぷりに「こんなに面白い子がいたなんて…!」と一瞬にして心を奪われました。
そんなたくましい姿を見せたかと思えば、他の番組では泣き虫キャラとして一躍有名に。メソメソ泣くというよりは話している間にぼろぼろと涙が零れてくるような涙腺の緩さはもはや一芸クラスのインパクトをもたらしていました。
ただこれはただの取っ掛かりにすぎず、私が彼女を「推しメン」と呼ぶようになったのはもう少し後のことです。
この頃からメンバーのSNSをチェックするようになり、他のメンバーの顔と名前もようやく一致するようになりました。歌番組でも、ゆるい在宅ながら彼女に注目するようにもなっていました。
他のAKBグループと比較してあまりダンスに特化していないHKTにおいて、彼女のダンスはずば抜けていました。
小柄な身体をしなやかに操る綺麗なモーションと、若々しいゆえにパワフルな振付を要するHKTのダンスにおいて誰よりも脚が動いている高い身体能力。
グループ楽曲では主に後列にいながらも、劇場公演やTV番組で披露していた「回遊魚のキャパシティ」でセンターを務めたときのフォーメーション先頭に立つ凛々しさ。もともと体育会系として知られていた初代チームKの曲とあって高難易度のダンススキルを要するこの曲において、彼女はかつての大島優子さんのポジションで、当時のパフォーマンスに引けをとらない堂々としたダンスを披露していました。
彼女のダンスは、梅田彩佳さんや木下有希子さんのようなスクールやコンテストで鍛えたプロフェッショナルな巧さと、前田敦子さんや小嶋陽菜さんのような、「抜け」を作りながらもキメ所を外さない、マイクを持ったTVパフォーマンスにおいて最大限に映える巧さをバランスよく兼ね備えています。タイプは違えど、そんな彼女のダンスの巧さは松井珠理奈さんに通ずるものがあるなと個人的に思っています。
私はふだん生息している他ジャンルでもダンスを長いこと見てきましたが、ダンスに弱いと言われがちなHKTにおいて彼女が群を抜いて踊れるのはもちろん、そのダンスはグループ全体でも通用するほどレベルの高いものだと確信しています。
ベビーフェイスのあおいたんがストライクゾーンに躍り出たのはそれが所以です。
劇場公演にて行われるメンバーの生誕祭のたびに彼女がGoogle+に書くお祝いの言葉は、どれもメンバーのことをよく見ていて、人のいいことろを見抜く力に長けた彼女の才能をよく表しています。
特に、後輩である二期生メンバーへの言葉はどれも印象的でした。
「いい子すぎるんじゃないかってくらいいい子」と評した渕上舞さんが選抜メンバーから外れた翌日、選抜に残った側としてどう声をかけるべきか迷いながらも買い物に誘い出したそうです。のちに渕上さんは、その日はひとりホテルにこもるつもりでいたところ碧唯ちゃんが声をかけてくれた、と語っていました。
ことし卒業した岡田栞奈さんに対しては、「はじめはちょっと苦手だった」という一見ぎょっとするような書き出しに続けて、あんまり自分のことを褒めてくれるから裏があるんじゃないかと当初は不安になったけど、次第にそれが彼女のストレートに人を褒められる魅力のひとつなのだと気づいたと記していました。
所属するチームKⅣのキャプテンかつAKBの大先輩である多田愛佳さんのことを「愛佳」と呼び、愛佳がキャプテンでよかったと書くほど強い信頼を寄せています。
SKE48から兼任メンバーとしてチームKⅣにやってきた木本花音さんとも大の仲良し。HKTの先輩にあたる木本さんは、当初はメンバーと距離があり廊下でひとりお弁当を食べていたこともあったそうですが、碧唯ちゃんはそんな彼女を真っ先に「のんちゃん」と呼び、兼任が終わるころには「花音」「碧唯」と呼び合う仲に。木本さんのHKT最終公演にて特別に披露されたふたりのユニットパフォーマンスでは、会場から割れんばかりの歓声が上がりました。
HKT48の周年祭として行われた過去の公演のアンコール上演にて、かつて一期生で披露していた演目を披露した日。いつもと同じ公演後の更新に、楽しかったという旨に加えて、ふだんネガティブなことを口にしない彼女が「自分のことで精一杯で、この公演の経験のない二期生に気を配れなかった」と反省を零していました。
彼女の語る言葉は、私の知らないメンバーの素敵なところをたくさん気づかせてくれます。それは彼女がふだんメンバーに向ける洞察力と気遣いの現れでもあります。そして同時に、彼女が先輩にも後輩にも慕われる人物であることを伝えてくれてもいます。
ドラフト二期生のオーディションではキャプテンとともに選考に加わるスカウトマンに抜擢され、その時指名した松岡はなさんとは、いちばん先輩といちばん後輩というキャリアの差を飛び越え握手会でお揃いの服を着るほどの仲良し。
渕上さんや同じく二期生の朝長美桜さんは、先輩である彼女を「碧唯ちゃん」と呼び親しくしています。
三期生の矢吹奈子さんは彼女を「マブダチ」と紹介。(その真意はいかに)
卒業した後藤泉さんは、彼女を慕って自ら「あおさんのTO」と名乗っていました。
移籍当初その幼い可愛らしさに盛大な寵愛(笑)を受けていた指原莉乃さんとは、今ではお互い元気がなさそうな時に連絡を入れ合う仲。
キャプテン多田さんはことあるごとに彼女の名前を挙げ、もっと評価されていいのに、と悔しさすら零すことまであります。
同期との固い絆はどのグループどのメンバーにも共通して言えることですが、彼女の先輩後輩を飛び越えた強い信頼関係とそれをもたらす「人を見る力」に、気づけば強く惹かれる自分がいました。
そんな彼女を「推しメン」に据え、初めて自ら一票(記念のつもりだったのでほんとうに一票)を投じた昨年の選抜総選挙。
一昨年初ランクインで48位を記録した彼女の順位は、ランクイン圏内ギリギリの80位でした。
ステップアップを目標にしていた彼女にとっては本意ではない順位。それでも、ほんの一票でもそこに自分の票を投じてよかった、81位じゃなくてよかった、もし自分が投票しないまま彼女の名前が呼ばれなかったら、もしその一票で彼女が81位に落ちていたらずっと悔やんでいただろう、と心から思う自分がいました。
自分が投票した子が呼ばれるって、こんなに嬉しいことだったんだ、と気づかせてくれた瞬間でした。
ただ、選抜常連の人気メンバーとはいえ最後列の端が定位置だった彼女にとって、その順位は試練を意味するものでもありました。
高校3年生になり、後輩も増え、一期生だけの頃のような妹的なポジションにはいられない立場。
AKB選抜に名を連ねる宮脇さんや兒玉さん。グラビアで活躍する同期。野心に溢れた二期生の開花。圧倒的な妹分である三期生「なこみく」コンビの存在感。そして逸材揃いのドラフト二期生。
層の厚いHKTにおいて、彼女の存在感が常に安泰とはいえないような1年でした。
そして最新シングルで初めての選抜落ち。私も、そして彼女もGoogle+に記していたように、「いつか来るかもしれない」と危惧していた瞬間でした。
今年の選抜総選挙を直前に控えた頃、「HKT48のおでかけ!」にて、一期生メンバー数名を集めた食事会の様子がOAされました。
そこで彼女が口にしたのは、「アイドルに向いていない」という言葉。
それを聞いたとき、私は「そんなこと言わないで!」と思う反面、たしかにそう言える節もあるかもしれないな、と妙な納得を覚えていました。
AKBが「アイドルらしさ」という画一的な価値観を打ち破った昨今、「アイドルに向いているかどうか」は一概には決められないと思っています。
それでも、彼女の性格はたしかに、セルフプロデュースがカギを握るAKBにおいては、たしかにあまり有利には働きません。
そしてそれが、悲しいかな彼女の長所と紙一重であるとも思っています。
碧唯ちゃんのダンスはたしかにグループでも指折りの巧者といってよいほど。
ただ、その長所は、言葉を選ばずに言えばアイドルとして当然に求められるスキルが秀でているだけのことにすぎません。
もちろんどんな特技や長所を持つ子でも、みんな同じくらい努力をしているしそれぞれの秀でた能力そのものに優劣の区別はつけられません。だけど、アイドルとしての彼女のそのスキルは、集団の中で目を引いたりテレビで大きく取り上げられたりはされにくいという面があります。(例えるなら、学校のテストで満点や一番を取った人が、スポーツの大会で優勝した人のように賞状とトロフィーが贈られ全校集会で表彰されるとは限りません。)
さらに、碧唯ちゃんは本当に周りをよく見て他者に気を配る代わりに、あまり自分をグイグイ出すことはありません。
ファンに対して強いアピールや確固たる目標を口にするのもあまり得意でないようです。
真面目な性格の分器用に立ち振る舞うのが苦手なようで、指原さんに「適当にできない(TVのアンケートに時間をかけすぎて怒られたりする)」と涙ながらに相談していたこともありました。
二期生や三期生の急進メンバーのような、キャラを立たせ、おいしい機会を逃さないというハングリーな強さにはやや欠けるところもあります。
私はそんな不器用なほどにまっすぐなところも含めて彼女を好きになったのですが、たしかにそんな彼女の課題(欠点とはいいません)は大きなハンディキャップになります。
人前で決して弱音を吐かない潔さの反面、悩みや本音を抱え込んでいないか少し不安に思うこともあります。(多田さんや木本さんがそんな彼女の性格を慮っている様子を時々見かけます)
周りをよく見ているだけに、選抜から外れたときも、悲しい顔をしていては初めて選抜入りした二人が喜べないから、と、初選抜のメンバーを祝福する強さをもっていました。
誤解を招きたくないので念を押しますが、私は決して、彼女が報われないと嘆いているわけでも、彼女を不遇のヒロインとして描きたいわけでもありません。
ただ、彼女の素敵な魅力は課題と紙一重になりかねない、だけど私は彼女のそんなところを好きになったんだ、というもどかしい思いを抱いているだけです。
セルフプロデュースによってスポットライトの下に行き、ファンの物理的な支えで直接その光を浴びるアイドルとして、彼女はあまり器用な人ではありません。
そういう意味では、たしかに「アイドルに向いていない」と自らを評価する気持ちも少しわかるような気がします。
それでも私は、今年も彼女にアイドルとしての期待を託し票を投じました。
不器用でも人目を引きづらくでも、彼女のスキルと頑張りを評価したいと思ったから。
器用に振る舞えない分、どんな時でも一切弱音や環境への不満を漏らさず、たとえ冗談でも他人を悪く言わない彼女のまっすぐな姿勢に惹かれているから。
選抜から外れ、アイドルに向いていないと自分の魅力を陰らせてほしくなかったから。
そして何より、彼女が数多いるアイドルの中で私の目に飛び込んできてくれた唯一の存在であるから。
実のところ、在外中ということもあってモバイルのキャリア認証の壁に阻まれたこともあり、実際の投票数と貢献度はほとんどないに等しいようなものです。彼女の結果に「頑張ってよかった」とも「悔しい」とも言えるような立場ではないただの在宅として、ほんのわずかでも彼女に届けば、との思いで票を投じました。
そして昨日、開票が進み、HKTメンバーの名前が続々と呼ばれ、私ももしかしたら彼女も、今年はもうダメかもしれないと不安を抱き始めた頃、36位のスポットライトは、本村碧唯さんのもとに当たりました。
両手を深く握りしめたガッツポーズ、両手を大きく挙げて喜んだ指原さん、36位のスピーチ中にカメラを向けられ、大きな笑顔でピースを作った仲良しの後輩、松岡はなさんの姿。
速報順位から大きく狂い、「箱推し票」ともいえる第一党グループをかけた駆け引きに左右されたとも噂される大混戦の中、HKT48全体で6番目の位置につけた彼女は、昨年から1万票以上増えた得票をもって、この日自身の最高位を記録しました。
開票終了後に更新されたGoogle+には、彼女の喜びと感謝、そして選抜復帰にかける意気込みに続いて、こんな言葉が記されていました。
「1人じゃ何もできないので(以下続く)」
私はこの言葉を見て、初めて彼女に少しだけ怒りました。(といっても心の中で「もうっ><!」と思った程度のそれ)(基本欠点を指摘する暇があったら好きな子のいいところをできるだけ多く見つけたいタイプ)
碧唯ちゃんは、ひとりでは何もできないようなアイドルではありません。
ずば抜けたダンススキルはグループの垣根を超えて、高橋みなみさんの卒業を前に企画された特別公演の一つ「ダンス選抜公演」に抜擢されるほどの評価を得ました。
メンバーに向けた気遣いとパフォーマンス能力の高さは、自身の誕生日に際し他のメンバーが「これからは碧唯が自分のために動けるように」とコメントしたり、キャプテン多田さんが「頼もしい」「もっと評価されていいのに」と評価したりとグループ内で確固たる信頼に繋がっています。
大混戦の中36位というグループ6番手の位置につける得票は、紛れもない彼女の魅力と功績への評価がもたらしたものです。
彼女は今年の総選挙の目標を掲げるにあたって、「唯一碧く輝く宝石になれるように」という自信の名前に由来して、輝く宝石になりたいいつも自分を輝かせてくれるのはファンのみなさんです、と語ってくれていました。
その言葉がとても彼女らしくて嬉しく思うと同時に、「逆だよ、あおいたん」と思うこともしばしばありました。
本村碧唯というアイドルは、それ自身がキラキラ輝きを放つ碧い宝石です。
磨かれて宝石になるのを待ってるんじゃない、もうとっくにあなたは宝石なんだよ、と、勇気が出ず握手会にも行けない在宅は心の中で叫ぶほかありません。
たしかにAKB48という世界において、最終的に彼女たちにスポットライトを向けるのはファンの力です。
それでも、少なくとも私は、「この子を宝石に磨き上げたい」という思いではなく、「この綺麗な輝きをもっともっと光らせたい」「この美しい宝石に似合うステージへ歩むべく少しでも背中を押す声となりたい」という気持ちで彼女を応援しています。
何より、数多いるアイドルの中から彼女を見つけるための道しるべは、他でもない彼女自身の放つ光だったから。
決して器用ではない彼女が、今年になってたくさん言葉にしてくれた強い思いを、一にわかファンながら嬉しく頼もしく思っています。
だから碧唯ちゃん、これからは、その輝きでみんなを照らしていってね。
碧唯ちゃんが輝けば輝くほど、その光をもっと広く届けたいと思う人が増えるはずだから。
あなたはとっくに輝いてる、本村碧唯という宝石は今まさにスポットライトを浴びて輝きを一層増そうとしているのだと、彼女が自信をもてるようなきっかけになればいいな、と願っています。
本村碧唯という、碧く輝くただひとりの宝物に、心からの祝福を。
勢いで書き殴っておいて最後に言い訳するのは最高にかっこ悪いのですが、私はほんとうにただの在宅にわかで、今回の結果に至るまでに頑張ってくれた彼女のファンの皆様にただただ感謝するばかりです。
何の力にもなれてないファンだけど、大好きな碧唯ちゃんの飛躍が嬉しい気持ちには変わりなかったので紙吹雪代わりに匿名でネットの海にばらまくことをお許しください。
了
一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!の批判記事があった。
それは、おりあそ氏による
「アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版『ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html
である。
自分はTVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品にうんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。
そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。
批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論の意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブと表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。
彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判と問題提起が始まる。
しかし、アニメ『ラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである。
問題点を明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭り ~アイドル臨時総会~」といって、普段はライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベントが話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版のクライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。
実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドルの人生物語を象徴するイベントだったからである。もともと指原は故郷の大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループのライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京、自分自身がAKBのメンバーとなり、ブレイクを果たしてこのようなイベントを企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタクの成り上がりストーリーを体現したからこそ、感動的なイベントだったのである。
この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元のアイドルアニメというジャンルの批評に実在アイドルのAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。
実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソードや写真が残っているようである。
そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分がリスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭りを主催したことは確かに快挙である。
そして、この「ゆび祭り」というイベントのチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在のアイドル達やアイドルオタクに還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。
それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭りが比較されながら述べられているのが以下である。
では、アニメ『ラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドルの未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルのことなんかちっとも考えてこなかったのである。最後の最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。
指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭りを主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。
廃校を阻止しようという目標が最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題が有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。
また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベントと比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現で揶揄されても仕方がないものといえる。
一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りをしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものである。しかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルやファンへの還元の面でも現実のアイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。
したがって、あのスクールアイドルのお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブの劇場版というお祭りの観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。
今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである。映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係なストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題が提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人と交流したりするだけである。また、ニューヨークで迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガーと出会い、ホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーにはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガーは帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画のキーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画のストーリーに全然そぐわないなど、とにかくこの映画の脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版『ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである。
と、ここも個人的に意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。
そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。
たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来はコンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性や事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味にもつながってくることになる。
しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標がプロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。
アニメラブライブに肯定的なファンの間では「アイドル活動で廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。
また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロのアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京や関東地区では。
脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東の空港である日本の空港に帰ってきたところでファンに出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版やアニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係なストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである。
続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。
さて、劇場版『ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画の価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的な問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである。
『ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本の二次元コンテンツを代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバーに共感したり、あるいは彼女らから何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品そのものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本の崩壊だと考えられるのである。
そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。
何故かというと、このアニメラブライブの脚本家である花田十輝氏や監督の京極尚彦氏は自分たちが志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)
いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画し原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案は公野櫻子氏であるため、彼らは作品の物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務や責任を負わなければ話にならない。
本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである。
俺はロリコンではないが、常々思うことはカワイイの限界はやっぱり15歳にあるということだ。
それ以降はキレイになっていくか、もしくは化け物化していくしか道は残されていない。
花でさえ咲いてしまえばキレイであり、カワイイのはつぼみまでなのだ。
咲いてまでカワイイにしがみつこうとすれば、それは当然擬態に過ぎず、カワイイではなくカワイイっぽいにすぎないということだ。
そもそも女性がキレイになるなんてことは何よりすばらしいことではないか。
そうして円熟した果実になり、実を落として残る枝のたおやかなる美しさすべてを合わせて女性の美しさといえるのだ。
もともとがカワイイことが評判だったとはいえ、ファンも本人たちもとっくに迎えた限界を知らぬふりしているような集団に引きづられることはないのだ。
これは誰でも知っている。今なら? 指原莉乃かな?
ぱるる(島崎遥香)、まゆゆ(渡辺麻友)は聞いたことあるかも。
でも一番は向井地美音でしょう。
ファンの間ではみーおんと呼ばれているみたいですが、私はみおんちゃんと読んでます。
今はJKかな?確か高3。かつては子役としてアンフェアなどに出演していた経験もあるようですが、
子役の宿命?なのか、いったんは芸能界から離れていたようです。
そしてAKB48の15期生として再びスポットライトを浴びに戻ってきました。
すべては俺のために!!!
ただ、「激太り」と「男子は苦手…」てな感じでうまく乗り切れないまま、
週プレのグラビアに突然登場したのが向井地美音ちゃんなのでした!
もちろん顔もかわいいです。
AKB48ヲタ以外には印象が悪いだけなので、「毒舌キャラ」は早く卒業してほしいのと、
口の開き方が気持ち悪いのでそこは治してほしいな。
高校卒業してからいきなり「大人の色気・・・」とか言い出さないようにお願いします。
アイドルの悪いクセですね、「セクシー担当」とかクソ寒いからやめてほしい。
童顔なのだけど、ロリって感じでもない不思議な魅力。笑顔がステキです。
もぐもぐみーおんでYoutubeで検索すると幸せになれるでしょう。
枕営業のにおいがしないでもないですが!気にしない!
月300円程度でほぼ毎日メールが送られてくるサービスも最高。
写メもついていてかわいいし、リアルな言葉はやはり身近に感じられます。
通称「ぐぐたす」と呼ばれる「Google+」での日記も素晴らしいし、
握手会人気も爆発中なんですね。
ファン受けがいいのは、非常に素晴らしいことです。
昨年の総選挙では圏外でしたが、今回はなーんとドドンと一気に44位。
前述の同期の大和田南那ちゃんは75位ですから大差をつけてます。
これはまだまだ伸びるんじゃないでしょうか。今後の1年が勝負!
あざといことに、先輩メンバを非常に慕っており、
他のメンバと仲良くしていると嫉妬まで…。これはあざとい。
「こんな顔されてえー!!」ってなりますよ。うん。あざとい。
まったく。かわいいやつだぜ。
さてさて、今AKB48がなぜ面白いかというと、この総選挙なんですね。
みおんちゃんのように、活躍している若手メンバはほかにもたくさんいるのですが、
もちろん、選挙では票をたくさん投じてくれるファンの多さによってしまうので、
おじさん人気がないとランクインも難しい状況ではあるのですが、
「選挙で何位なの?」は一般に広まった感覚なので、ファン以外への訴求のためにランクインは必須条件。
9行目の「上の姉」という表現で一瞬混乱した。
長女、次女のどっちの上の姉なのか分からない。
しかし、女は物事を考えるときに自分を中心に考えるという法則を当てはめるとすぐ分かった。
この場合はたぶん「上の姉=長女」になる。
要するに、三女の視点では姉が二人いるので「上の姉=長女」、「下の姉=次女」になる。
うちは女だけ4人姉妹なんだけども、
1番上の姉が父に似てブスで、30過ぎた今でも彼氏ができたことがないらしい。
学歴もそこそこ良いし、英語もペラペラなんだけど、就活ではかなり苦労していたみたい。
2番目の姉が母似の美人で、中学2年生くらいから男を切らしたことがなかった。
スゲー金持ちと結婚して、都心の庭付きの家で子どもと幸せそうにしてる。
私は3番目で、父と母を足して2で割った結果としてなぜか指原莉乃に似ている。
見た目は普通だと思う。生き方も普通だと思う。まだ将来のことは分からないけど。
そして1番下の妹が、上の姉の劣化版のような顔をしている。
今はまだ高校生なのだが、姉と違って頭も悪い。性格はとても優しい子なのだけれど。
中学生の頃は男の子からブスだからといじめられていた。幸い、女の子の友達が彼女を守ってくれていたけど。
はてなにいた頃はツッコミどころ満載の記事でブックマークを荒稼ぎした。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が250万部超の大ヒットとなり、はてな村民を土下座に追い込む。
当時からライター、小説家として活躍。「ロスト・ケア」「絶叫」はこのミスなどでも高く評価される。
小説家として「虐殺器官」「ハーモニー」などを送り出し、日本SF界に多大な影響を与えるも夭折。
ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」。
はてなの取締役として積極的にブログを更新し、また一般にもWeb2.0の伝道師として名を上げる。
映画評論家。雑誌「映画秘宝」を創刊。実写映画「進撃の巨人」の脚本を執筆。
ブログは「【A面】犬にかぶらせろ!」。