はてなキーワード: 恩恵とは
「まんこ割チケット」、たぬかなさんがよく口にするワード。女に生まれたことで恩恵を受けているという意味で、具体的には男性から美味しい思いをさせてもらっている。
「まんこ割チケットでタダ乗りできた。オカンにはありがとーと言いたい」
そんなたぬかなさん、フェミニストには「不美人」が多いとした。
「女でもさぁ、そこそこかわいい女は穴モテとかさぁ、まんこ割とか使えよったんやけど、ほんまにそういうことを良かったことを、全く享受できていない女さんって稀にいらっしゃるんですよね」
自分のような中途半端な見た目でも、ある程度若かったから男性はよくしてくれた。食事に行っても全部奢ってもらえた。それが仮に「穴モテ」でも、モテたことは変わらない。男性が良くしてくれるから自分は男性が好きだ。弱者男性、弱者女性が存在しても、弱者女性の方が有利。
フェミはモテている女性に嫉妬している、ということとは少し違うらしい。
「恩恵を受けられなかった人が(フェミになると)思いますよ。みんなが言うこと(モテたとか、奢ってもらったとか)なんで、自分には(そういうことが)無かったからズルい、何も(恩恵が)無いのに差別されるのはおかしい、ってのは(たぬかなさん自身も)わかるよ」
ネットスラングに「まんこ二毛作」というのがある。若い頃に自らの意志で性的な「仕事」でお金を得た。もちろんたぬかなさんの言う「穴モテ」もあった。しかし歳を取るとモテなくなる。すると「過去に性搾取の被害を受けていた」と展開。フェミ活動等でまたお金を稼ぐ(二毛作)という意味だ。たぬかなさんはこう語った。美人でいれば恩恵を受け続けられる。恩恵を受けるわけだから男性に対する憎しみは募らない。
「そうなんよな。そこら辺の(歳を重ねても)あか抜けたりとか、美容だったりとか興味ない人が結構フェミになる。フェミニストって、やっぱり不美人が多いってそうだと思う」
オタクって同人で儲けることに厳しいけど、印刷会社が同人誌の印刷で儲けてることは気にならないの?
男性のオタク界隈はかなり緩いけど、女性のオタク界隈は二次創作で利益を得ること・儲けてる人に対する拒否感とか否定が強くて、
色んな暗黙のルールがある。まあとにかく二次創作で金儲けするな!金儲けする奴は悪!ってこと。
・同人誌の販売価格を高くして過剰に儲けを出すべきではない(なるべく価格は安く設定して、印刷代等の原価とトントンにして+がでないようにすべき)とか
・作家支援サイト(ファンボとか)も二次創作絵で集客するような運用すべきでないとか
・Skeb等のコミッション・有償依頼を二次創作で受けるのはモラルがないとか、
これらを破ると、
公式の利益をかすめ取ってる!とか、原作愛がない!とか、イナゴ!と呼ばれて忌避されるし、批判の対象になる
それで冒頭の疑問にもどるんだけど、
即売会の運営とか印刷会社が同人誌でガッツリ儲けてることについてはどう思ってるん?それは別にいいの?
コミケの準備会やら赤ブーやらバリバリに利益出してるし、印刷会社なんて同人印刷のプランなんか作っちゃったりしてノリノリだよ
そこは「あいつら、原作をダシに商売しやがって~‼」みたいな叩きポイントにはならないの?
でも自分らもサービスの恩恵を受けてるし、なくなると一次創作の同人誌も作れなくなって困るし……みたいな感じなの?
「印刷会社は企業だから利益を追求するのは当然」的な反論があると思う。それは分かる
重課金税でもたいした恩恵がないならどんな悪口ねたがあるんだよ……
これからは被害者に誠実に対応していきますって宣言する会見で指名NGを作るのは誠実ではないと思う。
思うが、この件を長引かせることで被害者の救済へ近づくのだろうか。
勇気を持って声を上げた人たちが少しでも救われ、少しでもこの先穏やかな気持ちで生きていくことに繋がるのだろうか。
自分は、NGリスト流出はジャニオタ、非オタ、アンチ、そこそこ興味ある人、属性関係なく広く一般を核心から遠ざけるための陽動だと感じている。
裁判結果をまともに報じなかったことや、広告収入や視聴率などの結果を優先させた安易な起用などが、あの会社が歪なままに大きくなり被害者を増やす結果に繋がったのではないか。
経営者とスタッフの次に責められるべきはタレントよりもメディア関係者ではないのか。
「名前を変えろ」「会社をなくせ」の次は本当は「マスコミ、お前らも同罪だ」の流れになっていたのではなかろうか。
みんな乗せられてていいの?
メディアが他へフォーカスさせて守りたいのは、自分たちももちろんだけど、他の事務所や芸能界全体だと思っている。
男→男、男→女、女→女、女→男いずれでもいわゆる枕営業、ギャラ飲みが横行していて、あの会社の内情が表に出ると他にも影響が出るからこれ以上つつかれたくないのではないか。
自分が直接恩恵を受けていなくても「あなたが担当しているこの仕事は、あの企業のおエライサンをあのタレントが接待したからスポンサーフィーが入り制作費を賄っているってわかってるよね?」と言われたら、見て見ぬふりしちゃうよな
MMT の支持者は、MMT が現代の経済的進歩だと私たちに信じてもらいたいようだが、その誇大宣伝を信じないほうがよい。常識人はMMTを面と向かって否定する。
2008年にバラク・オバマ氏は 「我々は要するに銀行からクレジットカードを借りているだけだ」と述べていた。私たちはそのお金を借りている。オバマ氏は2期の任期中に国家債務を8兆6000億ドル増加させ、これは前任者の2倍以上となった。トランプ大統領は6兆7000億ドルを追加した。
米国の国債は 28.1兆ドルに達している。1960年、 米国の国家債務は 2,860億ドルだった。1980年には9,080億ドルに増加。2000 年までに、その額は 5 兆 6,000 億ドルに増加。2010年には13兆5000億ドルまで膨れ上がった。わずか 7 年後には 20 兆ドルの大台を超えた。
アメリカの債務対GDP比も持続不可能な軌道に乗っている。1960年には53パーセント。1980 年には 34 パーセントに減少。2000 年には 58% まで上昇。2020 年の時点で、その割合は 129 パーセントまで急上昇し、第二次世界大戦終結時に記録された過去最高の 118 パーセントを上回っている。
数十年にわたる制御不能な受給権支出、パンデミック、中東での高額な費用のかかる戦争など、債務の大失敗の原因は数多くある。
MMT に慣れていない人のために説明すると、MMT は本質的に、米国政府が無制限に印刷してお金を使うことができると述べている。赤字は関係ない。国の借金も同様である。
MMTには、バーニー・サンダース上院議員(バーモント州、バーモント州)からアレクサンドリア・オカシオコルテス下院議員(ニューヨーク州、ニューヨーク州)まで、何人かの著名な支持者がいる。
MMT に関しては多くの本が書かれており、最も有名なのはステファニー・ケルトン著『赤字の神話: 現代貨幣理論と人民経済の誕生』である 。
一言で言えば、MMTの真の信者は、長年の経済教義は時代遅れであると主張している。MMTは伝統的な経済理論をひっくり返す。
Investopediaによると 、「MMT の中心的な考え方は、法定通貨制度を管理下に置く政府は、破産することができないため、必要なだけのお金を印刷 (または今日のデジタル時代では数回のキー入力で作成) できるし、そうすべきだということです」
実際には、 政府は常識的な経済学のルールに反した場合、破産する可能性がある。
しかし、MMT支持者たちは、通貨下落と多額の債務という落とし穴を回避する秘密のレシピを持っていると主張している。Investopedia が説明しているように、「MMT によれば、巨額の政府債務は崩壊の前兆ではないと私たちが信じ込まされているわけではありません。米国のような国は、懸念する必要もなく、はるかに大きな赤字を抱え続けることができます。赤字支出が人々の貯蓄を生み出すものであるため、少額の赤字や黒字は非常に有害であり、不況を引き起こす可能性があります。MMT 理論家は、借金は単に政府が経済に投入し、税金を還付しなかったお金であると説明しています。」
これはばかげている。政府の赤字支出は経済に恩恵をもたらすものではない。それは経済成長の妨げとなり、将来の世代を貧困に陥れる。
さらに、MMT支持者の主張にもかかわらず、巨額の紙幣を印刷するとインフレが起こる。
ジョナサン・ハートレー氏が 書いているように、この主張は「ハイパーインフレにつながった債務の収益化という暗い歴史を無視している…紙幣を印刷して債務を収益化することは、たとえその債務の一部が現地通貨建てだったとしても、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ワイマールドイツで壊滅的なインフレを引き起こした」
同じようなことが最近、ブラジル、ベネズエラ、ジンバブエでも起きている。
現代貨幣理論は画期的どころか、現代的とは程遠い。これは何度も試みられ、いずれの場合も経済的破壊をもたらした失敗したアイデアにすぎない。
ここの米欄にも出てくる、「女としてではなく人として扱われたい」ってやつ、それ自体にはすごーーく共感する。
ただ、その「人として扱われる」ためには、何よりも男から「モテる」事が必要なんだと思っている。何故か世間では逆の風説が幅を効かせているけれど。
モテない女はそれこそ「女として」扱われるよ
性的魅力云々ではなく、都合よく雑用を押し付けても顧みなくていい下女として。
モテない女は幼稚園や小学校の頃から男子から(時には女子から)苛められからかわれるし、カースト上位の可愛い子達がお喋りしている傍ら一人だけ黙々と掃除をしているなんて実にありがち。
仕事でもワーママの皺寄せで仕事を押し付けられてちょっとでも愚痴を言おうものならお局やマタハラ加害者として叩かれる
こういうのがまさに「人としてではなく女として」扱われるという事なんだよ。女ジェンダーの特徴って何よりも、金にならない雑務の押し付けが主だし、皆婚社会ではなくなった現在においては寧ろ家庭外においてそれは起きている。
同じく非モテでも男ならそれはやられない。女にさせるような仕事をモテない底辺だという理由で男にさせる事はない。
男はどんなにモテなかろうが最低限「人として」は扱ってもらえるし、逆に言えばモテた所でそこまでとんでもないメリットがある訳ではない。
結局、この社会において人間のデフォルトとされているのは男なんだから、女が「人として」扱ってもらうには、
父親や夫や上司といった何らかの形で権力持ちの男に気に入られてその恩恵に預かるしかないのが現実
女が「人として」扱って貰うためには男からの「モテ」が必要なんだよ
株超初心者。
とある機器メーカーの株を1万円で数株購入し、数か月忘れていた。
それを全部売ってとあるアウトドア関連の株を購入したら、数日で株価が数百円も下がり1万円から少しマイナスになった。
株だけで食っている人は、業界のトレンドを常に頭に入れつつ、リアルタイムで会社の動きを把握して下がる気配を先読みして売却して、逆に上がる会社の株を買う、ということをしているの?
極端な例えだけど、コロナがニュースになった2019年12月の時点で「これはこの先パンデミックが起きて家から出れなくなる。ということはアウトドアやネットショッピングの重要が増えるから、そこらへんの恩恵を受けそうな会社の株を買うぞ!」と予想していたってこと?
そういう先を読む力が求められるの?
異常な幻想の網に捕らわれ、PTSDの闇に沈んでおり、仕事からの離脱を余儀なくされております。
その幻想は、あまりにも鮮烈であったため、現実か夢か、いまだに疑念が拭えぬものとなりました。
認識の糸が紡ぎとどけず、安定した現実がどこに棲むのか、それを問い詰めざるを得ません。
思考の結晶を抽象的な形に仕立て上げ、それを操ることは、極めて魅力的であり、しかも財政的な負担は一切生じません。
傷病手当金の恩恵に浴しており、感謝の念に堪えません。その支給期間が続く限り、職場の扉を閉じる覚悟でおります。
この転向した日記は、"勉強日記"のカテゴリーからの移行でございます。
"勉強日記"という名は、絶え間ない学びを要求されるという、何とも重苦しい響きがあったため、精神的な疲弊を感じておりました。
"廃人日記"の名に変えることで、統合失調症の患者が日々の苦闘を語る場として、うってつけでございます。
真正性の保証のために、特別なプロセスにより、内容にハッシュ値を刻み付けることに決意いたしました。
他のブログプラットフォームも一縷の望みを託しましたが、結局、匿名性の高いダイアリーが最も筆が進むようでございます。
私は、被害妄想に囚われると、コンテンツを一掃する衝動に駆られますが、匿名ダイアリーはその記録が永遠に残るという、安心感をもたらしております。
hash: 38d8d7e05e9f40a04eec8e6da9f768a3
かくして、このような光景を眺めておりますると、我が胸に浮かび上がるのは、果たして世界とはいかなる領域に及ぶものであるのか、という深遠な問いでござります。電子の軌跡を鋭い眼差しで観察し、その状態が確定する刹那、多世界解釈に従えば、無限の可能性が広がる瞬間、宇宙は未知なる道を辿り、さまざまな定まりを選択し、分かれゆくのでございます。
然るに、その際に私が関心を寄せねばならぬのは、己が辿るべき分かれの道のみでありましょう。では、同じ道を歩む地上の諸生命は、いかがでしょうか。彼らは我が仲間であり、同じ宇宙に棲む存在と語れるのか。ここにおいて、私が誕生から終焉までの間、幸福な生を楽しむために「この範囲にのみ心を注げば良い」と言える境界があるかもしれません。そして、私にとっての「世界」とは、その限られた領域に他ならないのでしょうか。外の世界に対して、私が心配し続けなければならなかったのかもしれません。
しかし、恩徳は円環の如く巡り巡るものでございます。外の世界の人々を助ければ、必ずやその恩恵が帰ってくることでしょう。同様に、差別や攻撃を行えば、それもまた必ず返り討ちとなるであろうことを忘れてはなりません。
大学は「勉強ができる」優秀な人よりも「考える力のある」優秀な人が多かった。そこで自分は何て頭が悪いんだ、底辺だ、最低だと実感させられた。
周りがどんどん超有名大手企業から内定を取る中、自分は第一希望のメーカーは落ちて、知名度まあまあの別業界に入った。周りは内定数で勝ち負けを競ってるような中で、自分は一社しか内定が出なかった。惨めだった。
でも、新卒で入った会社には感謝している。本当に何にもできない自分みたいなのを、マイナスから平均ぐらいにまでは引き上げてくれた。理論的に考え話すこと、理性的であること、目標の立て方、チームの育て方など、その会社の持っている「素人をプロにする力」で、それなりに見えるようにはなれた。
そこから、二度転職をして、今は新卒で入った会社のピーク時より100万は年収が下がっている。地方の家族経営の弱小企業の一般社員。大学の同期には話せない。
弱小には弱小たる理由があるというか、ルールもオペレーションも全部なあなあで、だからこそ改善意欲も変化も何もしたくない、ただ毎日同じことをやって適当に金がもらえればいいという奴らが集まる。
そういう奴らは極端に変化を嫌がる。どんなに理不尽で非効率的で前時代的なルールやオペレーションであっても、改善しようとはしない。ただ毎日「ここが嫌だ」「あれがおかしい」と無意味な愚痴を繰り返してストレス発散して終わる。問題の根源を突き止め、変えて、より働きやすく利益が出る方に変わることなどしない。「それは自分に関係ない」と思っているからだ。
こんなやる気のない、意識の低い、腐った奴らと働くなんてごめんだ、自分はめちゃくちゃ働いてるしあいつらよりも価値のある人間だし、こんなしょっぺえ安月給で使い倒される人間じゃない、と思い、転職活動を始めた。
転職活動を始めてからは、改めて自分の無能ぶりを実感するばかりだった。
説明会に出ても質問は出てこないし、求められるスキルや業務レベルは自分のできる範囲を超えているし、自分みたいなのに内定を出すのは結局今と同じような、安月給のくせに仕事だけは一人前に求めてくる、弱小中小だけ。
結局自分は「本当に賢く、考え実行する力がある人達の中にいて勘違いした痛い奴」でしかないということに気づかされた。
もし自分が「賢く、考え実行する力がある」人間だったら、きっともっと内定は出ただろうし、今もこんなしょうもない文章を書いて鬱憤を晴らすようなみみっちい人間にはなっていなかったと思う。
自分は強者の周りでおこぼれの恩恵にあずかって、自己評価だけ異常に高いただの弱者なんだろう。
そういう、おこぼれしか得ていない、自分の本質は変わらないのに自分は特別だと思い込むところは、昨日あたり騒がれてた港区女子にも通じるのかもしれない。
まあフェミニズムに限らずポリコレ系はインナーサークル作って就職やらビジネスを有利にする(今の時代は企業は正しいポリコレをしないと淘汰されます、それを知っているのは我々です、他業種の人とも一緒にSDGsなどで繋がれます、といったもの。それが理工系のような技術を持たない人文系大卒・院卒が社会で優位性を持つ数少ない手段だった。)ためのものだから、どのみちインナーサークルに入れそうにない低学歴の女性がフェミニズムに良い印象を持たないのは当然かと。恩恵がないどころか、強請り犯や談合企業にやられるかのように、自分たちの社会的利得までインナーサークルに吸われてしまっている可能性もあるからね。
なぜ男性は炊事場に立たないのか、みたいな常識を問うことは割と良しとされても、人権とは何なのか、そもそもそれは存在するのか、みたいな疑問については混ぜっ返し、拗らせ、人類の叡智の否定、野生への回帰、歴史の勉強不足、愚行と断じられるのってなんか茶番っぽさを感じる。
もちろん人間の半分を占めてる女性を抑圧しかねない規範を疑問視するのと、ごく一部の強者の欲求を抑圧して大多数の弱者に恩恵をもたらしてる(と少なからずの人が思っている)規範とでは話が違うんですけど。
自然法則は神様が決めた絶対のルールであって、誰が何を思おうがリンゴが地面から枝に戻っていく事にはならない。でも規範は誰が何を思うかそれ次第、というかそれが全て。時間が流れて考えが変われば常識も変わって法律だって変わる。正しさを見出したのか単に考えが変わったのか、それは答え合わせのしようがない。その口からは絶対の真理が告げられる神様でも連れてこなければ、どちらの捉え方が間違っているとも正しいとも、断言のしようはないと思う。
なんて言おうものなら烈火の如く怒り出す。人権はお気持ちなどではなく絶対です。異を唱えるのは勉強不足でバカなネトウヨか冷笑系です。
誓約書を書いた覚えも、同意しますと言った覚えもないんですけど。それとも世間一般の人はそういうのやってるんですか?
そんな事を言ってるオマエだって人権の利益を享受してるだろって?
それは話がすり替わってますよね?私が人権の利益にあやかっているのと、人権が本当に合意であるかどうか、絶対的な価値であるかとは論理的に繋がらない。
いくら人権がもたらす利益を並べ立てたところで、人権思想を広める有用さを示すには十分だけれど、人権が絶対かという問いからはズレてる。
疑問を挟む奴は人権剥奪のような言いようではまるで異端審問会ではありませんか。
他人を無闇に害してはならない。ムカつく奴を殺したい。これは根拠を辿れば等しく快不快の問題になる。どちらも論理だけでその考えの正当性を示す事はできない。論理と言うより、どちらかと言えば共感の問題だ。
意見とは価値観や感情を土台にしてそこから論理を積み重ねていくものだけれど。人権思想は根源的な感情に論理を乗せたというよりは、感情の多数決そのものではなかろうか。
とは言っても人権思想が多くの人にとって都合が良いというのはまあ確かなのだろうし、多くの人は「多くの人」に包括されるのだから別にそれでいい。論拠などよりも肝心なのは得られる結果なのだし。
別に論拠なんかなくても快不快の多数決で良いじゃんというか、そうする以外にないと思うのだけれど。
人権の「真実」に目覚めたバカ共と違ってこちらは論理的な話をしているが?みたいな感じで、その実さしたる論拠はない所が、なんというか不誠実だよねって思う。ナイーブといえばそれまでだけど。
人権の何たるかについて厳密に議論する事と人権が相対化され果ては軽視される危惧とを秤にかけて、後者を選び取った上で自覚的に絶対的なものだと喧伝しているのかもしれないけどね。
まあ絶対的なものではないけれど、いやないからこそ、不断の努力によって維持せねばならない。高校の現文の魯迅だかの評論でそんなような事を言ってた気がする。当時は理屈レベルでしか今はまあ肌感覚でそうかもねって思う部分もある。
……人権を相対化したからにはこうやって結ばないといけない感じなのもなんか茶番っぽいよなって思う。まあ実際、普通ならそういう結論になると思うけど。
「普通」ではなくて、別にそう思わない人がいた所でそれは単に価値観の相違だろうし、それを否定するには「や、まあ……一応世の中そういう事になってるらしいんでどうぞここは一つ……」って多数決で突っぱねるしか無いんじゃねって思う。というか実際そうされてるだろうし。
この、荒川和久って人。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/16ec62ee8524944af0039b0d1a40b24aed942535
少子化は不本意未婚者の増加によるものであるってところまでは、良い分析だと思うんだけど。その後の主張がおかしい。
ここ。
「何も子育て世帯の足を引っ張るつもりは毛頭ないし、未婚の若者と子育て世帯とを分断するつもりはない。
もっとも所得の低い若者の可処分所得が増えるということは、全体の底上げとなり、巡り巡って子育て世帯への恩恵にもなるだろう。可処分所得が減らされているのは子育て世帯とて同じだからだ。
そして、それは必ずしも賃上げだけじゃなくても実現可能なのだ。」
これって、暗に「社会保険料負担を減らして可処分所得を増やそう」、要は「老人を殺そう」って言っているよね?
若者の味方面して世代間対立を煽る主張は非常によく見かけるが、そんな事をしたところで親の介護が個人にのしかかったり自分達の老後が不安になって貯蓄に励んだりして
未婚率はますます上がる未来しか見えないんだが、この手の人達は何故変に楽観的なのか。
っていうかそもそも名目賃金だってけして高いとは言えない訳で、社会保険料の負担がなくなったところで焼石に水だと思うんだけど…。
現時点で生まれてる子供をちゃんと大人にすることも大事だから仕方ないよ
自分達が老人になるころにはまだ全部の仕事がロボットやAIに置き換わってるとも限らないし
そう考えるとわざわざクソ面倒くさい子育てに手間と時間と金を費やして大人にしてくれてるんだからその分はちょっとぐらい払ったっていいと思うけどな
増田の気持ちは分からなくもないけど「自分と釣り合う弱男と結婚するのが嫌」の時点で弱肉強食の世界のデメリットは飲むしかないしそっちを選んでるんだよ
弱男と結婚なんかしたくない、子供も育てたくない、金も労力も払いたくない、子供に金も使うなは無理だ
それが嫌なら社会主義側の恩恵が得られる方に自分が移動するために行動するしかない
個人的には子育て世帯が本当に年収高めの特権階級だったとしてもまだ「こんな不安定な世の中で自分以外の人間の責任まで持ってる人たちのおかげで自分達の未来のマンパワーがあると思うとありがたいね」の気持ちだな
インボイス登録は任意だけど登録しない理由はないので登録する。
インボイスに関連して免税から課税に転換する場合に出すのがこれ。
起業してすぐの法人は99%は免税事業者。免税制度を利用した節税は誰でも知ってる常識。
消費税導入後の1996年に起業した堀江貴文の「有限会社オン・ザ・エッヂ」も当然免税だったはず。
自分も免税制度の恩恵を受けたはずなのに免税を煽ってる堀江貴文の嘘がよく分かるだろ。
インボイスによって増える課税事業者の負担を免税に押し付けるために「免税は益税を得ていた」という嘘で大騒ぎしている。
この嘘に免税も消費者も騙されてる。
正直に言えば、どこか残念でありほっとしている。
※
対馬市長は先日、最終処分場への文献調査候補地として、応募しない旨の宣言をした。
もともと、核廃棄物の処分場はもう十五年くらい前から誘致をしてはどうかという動きがあったのだ。当時は調査を受け入れるだけで10億円が支払われると言われていた。
しかし、前市長はこれをバッサリと切り捨てた。このときは市民運動というほどでもない、変わり者が少数でわめいていただけだったので、それですっかり火は消えてしまった。その後、前市長の後継を取った現市長が就任。
二期目の市長選では対抗馬として核廃棄物処分場の誘致を謳う候補が立候補したものの大差で現市長が当選したのである。
ただし、この時の対立候補は対馬となんの関係もない大阪の右翼活動家で刑務所服役復帰戦のような様相があり、本気で当選する気はなかったと思われる。
いずれにせよ、現市長は『最終処分場誘致派を下しての当選』という事実を得てしまった。実際は堅実な市政への評価と、なにものともしれない右翼活動家への嫌悪もだいぶんあったのだけど。
※
しかし、原子力に関するどこかの組織に旅費を全部出して貰って、どこかを視察してきたらしい。
日本に最終処分場などないのに、何を見てきたものか。酒宴などの歓待を受けたのか否か。日当や土産代などの現金を受け取ったのか。
それもしらない。
もしかしたら、貧しい旅行で勉強だけして帰ってきた可能性もある。
それでも旅費を利益関係者に出させたというのはいかにもまずかったのではなかろうか。議会でも反対派議員から突っ込まれていたし、それはそれとして今後揉めるかもしれない。
とにもかくにも、議会で正式な議題として『処分場の誘致』が上がってしまったのは事実である。もちろん、誰だって別に核廃棄物や処分場が欲しい訳ではない。それに伴ってついてくる金が欲しいのだ。
その額たるや、文献調査を受け入れるだけで20億円。
ざっと検索したところ、対馬市の年度支出額はおよそ250億円程度であることがわかる。
すでに文献調査受け入れを表明している北海道の寿都町の年間予算規模が60億円ちょい、神恵内村に至っては20億以下だ。
これが500億円とかなら、もっとグッと賛成に傾いたかもしれないが、提示額がいかにもしょっぱすぎる。
中には「文献調査だけやって20億を貰い、本格的な設置は断ればいい」と堂々と言うものもいたが、それで国から怒られるくらいなら最初から応募しない方が市長としても、市役所としてもいいだろう。
なんせ、国境離島として国から沢山の税金を貰ってどうにか回しているのだ。国の機嫌というのは、往々にして自治体を殺すことがある。
つまり、20億円があまり見合っていない気がする問題があるのだ。
だから推進派がいくら勢いを出しても、反対派を黙らせることはできない。
なんせしょっぱいのだ。
20億あればあれもこれも、とはならない。少なくとも市民に実感のある使い方は全くできないで消える金額でしかないのだ。
さらに、対馬は住民の半分くらいが水産か観光で飯を食っている島だ。
この人たちの家業にはマイナス補正がついて回る。なんせ、処分場や核廃棄物と記念写真をとりたい。推したい、みたいな変わり者はとても少なそうだ。最大限、好意的にみて「気にしない」。最悪「対馬産の物は徹底的に避ける」人が出てくる。実際はその間のグラデーションのどこかに皆が分布される。
逆に、仕事の恩恵を受けそうな土木業者も兄弟なり親戚、友人などの近しい者がかならずそういった職に就いている。
だから、みんな微妙なのである。推進派議員はあまり勢いが出せない。
対して、反対派議員は誰はばかることなく大声で反対運動を展開する。
それに伴って、推進派議員が「心ない言葉を投げかけられたので、市民を訴える」だのワケのわからない展開に発展したのだが、それは横枝だ。
対馬という島は歴史的に、ずっと国家中央の差し出す意向を飲んだり誤魔化したりして過ごしてきたのだ。騙したことは沢山あるが、面と向かって国家に反逆したことはないし、大きい島には必ずついて回る独立運動も皆無である。
推進派議員も熱心に燃えさかり続ける老婆などがいたが、全体的にはトーンダウンしていき、最終的な採決では賛成10、反対8で決定した。
※
『核廃棄物の最終処分場として、文献調査の受け入れを進める』のが議会の結論となった。
『意見書提出権にもとづいた市長への、議会としての意見の提出』であったわけだ。
実のところ、市議会でどう決定しようとそれは、『市議会としてはこう思っていますよ』という枠をはみ出ないのだ。
もちろん、市政というものは市民の為に行われるものであり、市民を代表する市議会の意見というのはかなり重要な物だし、常に尊重されている。たいていの場合においてはそのまま通る。
それでも対馬市長はこれを突っぱねた。
理由として、風評被害がすでに起きかけていること。市役所に様々なところから苦情の連絡があっているらしい。
そして、観光や水産業が年に200億円近い経済規模を持っている点。風評被害で一割売り上げが減れば、それで20億の交付金は吹き飛んでしまう計算になることを上げ、最後に住民の合意形成がなされていないと告げた。
確かに現状で推進派と反対派が分かれているのなら、当然まずは見送ってみるというのは一般的な判断だろう。
もっとワンサイドに推進へ傾けばともかく、議会でさえ半分に近い票が反対だったのだ。仮に市民の半数が内心的反対者なら、市長の経緯と立場から現状維持が当然だと思う。
利益を得る者は一部で、大勢が不利益を被る危険があるのだから。
これは、まあ逆に言えば市民がもっとずっと大勢賛成して誰も反対など言えないほどの金額が約束されるのなら受け入れに傾いていた可能性は高かろう。
対馬といえば小さな離島と思われがちだが、長崎県の面積の2割以上は対馬が占める。案外にデカいのだ。経済規模もそれなりにデカいし、特産品もある。マグロやアナゴは景気も良い。
分散した20億円の余波など個人にはいくらも入らない。今時は田舎の集会所を建て替えるのにも一億円がかかる時代だ。
もっと、もっと巨大な、皆が涎をたらして狂う対価が必要だったのだ。
そうして、それが提示されない以上、対馬市には縁がなかった。保守的な田舎の住民が変化を突きつけられて、ストレスに耐えられなかったというのもある。
個人的には、誘致が決まればいち早くニューモに手紙を送るなどして、自分の山を買わないかアピールするつもりだったが、土地成金の夢はあっという間に醒めてしまった。