はてなキーワード: 動物実験とは
・戦前でもサルを動物実験で用いる際は「タイワンザル」などと明記するのが普通だったが
・サルの体温は種によって異なることやサーカディアンリズムの変動幅が大きいことなどが知られ
また、論文では「さる中 1(10 匹附着ノモノ)ハ 39 度以上ヲ 5 日間持續シ」と記されているのみで
各日の体温測定時刻も示されず、当該「さる」の平常の日内変動幅と観察された体温との
関連について全く言及されていない。
上述のように一般にサルは日中体温の変動があり人間より高い39℃前後が「平熱」のサルもいる
実験動物としてよく使われるタイワンザル・アカゲザルは日中38度まで平熱として上昇する。
実験動物学が発展し、様々な疾患モデル動物が利用できるようになりつつある現在でも
「頭痛などを訴える」ことのできるモデルサルが開発されたという報告はない
※ PubMed、2015 年 3 月 15 日検索、キーワード: headache, model, monkey
例えばサルがダルそうな仕草で頭を抑えている仕草はあくまで頭が痛「そうに見える」以上のものではない
ラットの飼育された記録はあるがなぜかサルの飼育記録が現在でも確認できない
参考
http://war-medicine-ethics.com/Seniken/Journal/J15-2.pdf
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=212200
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171012-00010015-nishinpc-soci
視覚障害者が盲導犬を蹴る動画が拡散 協会に通報が相次ぎ利用者から犬を保護
http://gogotsu.com/archives/33891
こんな事件がよくあるので。
「動物に人間同様の権利があるからダメ」というアニマルライツの人たちの論理はさすがに無理筋。
嗜虐性を満足させるための動物虐待。
人間の利益のためには動物の利用を認めるというのであれば認めざるを得ないのでは?
個人的には動物実験は仕方がないがペットはダメじゃないかと考えている。
人間に撫でられたり事実上監禁されてたり苦痛なんじゃないかな、とか。
とはいえ愛玩動物なんて人間の嗜好のために産み出されてるんだし仕方がないのか、とか。
それなら虐待する人も仕方ないのか、とか。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170724-00010000-sippo-life
なるほどスコ猫は優性遺伝形質を持つので,繁殖には注意を要するだろう。イギリスでは実際に繁殖が禁止されている。ひろく動物愛護の観点から見れば,惨いと思うのは当然の感情だ。だが「かわいそう"だから"やめろ」と批判する論調には,若干の疑問を覚える。感情に訴えた煽情的な言い回しについては,詭弁ではないかとも感じる。
スコティッシュフォールドは自然発生した突然変異の猫を,1960年代に発展・固定した品種である。耳を折れ曲がる遺伝子変異をホモで持つ猫は耳折れ(いわゆるスコ猫)となり,ヘテロでは立ち耳となる。ホモ,ヘテロいずれにおいても(時期の差はあれ)宿命的関節炎を呈する。この変異遺伝子は特定されており,人間において関節炎を呈するものと同じと見なせるのだという。病気の個体をかわいがっているのである。猫当人(当猫?)にとってはたまったものではなかろう。ダックスフンドやパグなどもそうだ。悪趣味である。本当に,人間は,業が深い。
ところでブロイラーという鶏がいる。代表的な肉鶏で,日本では毎年数億羽が出荷されている。
>> ブロイラーは徹底した育種改良の研究により、過去50年間で、成長率が1日25gから100gへとあがっている。自然界の鶏は成鶏に達するのに4〜5か月かかるところをブロイラーは40〜50日で成鶏に達する。その急激な成長によりブロイラーの30%近くは体を支えることが難しく歩行困難となり、3%はほとんど歩行不能となっている。心臓にも負担がかかり、100羽に1羽は心臓疾患で死亡する。(Wikibedeiaより) <<
あるいはピンポンパールと呼ばれる金魚がいる。丸々と太った短い尾の金魚で,泳ぐのが極めてへたくそである(そこがかわいいので人気だ)。チンシュリンという品種の金魚から,より短尾で丸手な個体を選別交配して生まれた。これに限らず,金魚は異形のオンパレードだ。
猫の先天性奇形や動物実験などに比べて,これらがネットで話題になることは少ない。家猫や犬は大事にされているほうだと思われる。それは彼らが人間の私生活と深くかかわりあってきたからである。繁殖に幾度も手を加えられ,人間にとって「かわいい」「便利」と認識されるような形質が固定化された。
結局のところ全ては人間のエゴなのである。この手の話題になると必ず,猫を飼いたいならペットショップではなく保護猫を,という意見が登場するが,わたしはこの意見が好きではない。違和感を感じる。その辺を突き詰め始めたら,そもそも愛玩目的で動物など飼育するべきではない(愛玩ではなく家族,などという考え方は個人的には想像の埒外なので納得できない)。愛玩動物も産業動物も,人間が人間のために動物を利用しているのである。
もちろん,薄利多売を目的とした無責任な繁殖業者を擁護したいわけではない。それらは当然批判されるべきで,専門性の高いブリーダーが繁殖を行うべきだ。そして供給というのは需要のあるところに生まれるので,飼育者側の倫理感も重要である。そしてイオンで鰻丼を買って食べなければ鰻の絶滅が遠のくわけじゃない(水産庁による介入が必須)ように,本件についても結局のところ行政による介入が必要であろう。思うに犬猫はもはや市場が大きすぎる。そのためには地道なロビー活動が必要だ。それはわかる。
でも,人間が人間のために生き物を飼育しているという大前提から目をそらし,「猫がかわいそう」などというきれいな言葉で大衆を扇動する。そういうやり方に関しては,詭弁を感じるので,わたしは不快感を覚える。
病気の猫をかわいがってもそれが人間の業だと思う。我々がすべきことは,その種が他種と不用意に交雑せぬよう適切な管理下で飼育していくことではないだろうか。持続可能なペット社会。それがひいては人間のためである。決して猫のためではない。
加計学園問題を巡り、獣医学部の規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています。
規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物の治療費が安くなるかもしれません。
また、腕の悪い獣医師は競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。
その他にも、新設の結果、獣医学部が法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります。
しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物の視点です。
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。
獣医師になるためには多くの動物の犠牲が必要であることは、言うまでもありません。
解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物が使用されます。使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます。
獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。
確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。
しかし、需要を上回る獣医師を養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?
獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許が不要な職種で活躍していけばいいじゃないかという意見もあります。
しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?
獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師、歯科医師、薬剤師とは根本的に異なります。
人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲の合意形成が可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。
獣医学部新設の認可は文部科学省の利権といわれていますが、結果的にこの規制は動物のためにもなっていたと思います。
市場原理に任せやみくもに獣医学部、獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師の待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法を検討するべきです。
今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?
加計学園問題を巡り、獣医学部の規制が、国民のためなのか、獣医師会のためなのか?という議論が交わされています。
規制が緩和され獣医師の数が増えれば、競争原理が働き、動物の治療費が安くなるかもしれません。
また、腕の悪い獣医師は競争過程で淘汰されてしまうのを恐れているのかもしれません。
その他にも、新設の結果、獣医学部が法科大学院のように潰れてしまい、私学助成金などの我々の税金が、結果として無駄なってしまうかもしれないという問題点があります。
しかし、ここには、重大な視点が欠落しています。それは、動物の視点です。
「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」とはマハトマ・ガンジーが残したとされる言葉です。
獣医師になるためには多くの動物の犠牲が必要であることは、言うまでもありません。
解剖、手術、動物実験等様々な用途で、動物が使用されます。使用される動物としては、マウス、犬、豚、馬、牛などが挙げられます。
獣医学部が新設されれば、当然使用される動物も増えるでしょう。
確かに獣医師の数が増えれば犠牲になった動物の数よりも多くの動物を救うことができるかもしれません。
しかし、需要を上回る獣医師を養成し、人手が余ってしまったとしたら、その時犠牲となった動物の命は無駄になってしまうのではないでしょうか?
獣医師が余るなら、獣医師としては食べていけないなら、獣医師免許が不要な職種で活躍していけばいいじゃないかという意見もあります。
しかし、本当にそれで動物たちは浮かばれるのでしょうか?市場原理に目がくらみ本当に大切なことを忘れていないでしょうか?
獣医師は、 人間ではなく動物の命を預かるという点で、医師、歯科医師、薬剤師とは根本的に異なります。
人間なら医学および歯学の発展のため献体を行うような教育における犠牲の合意形成が可能ですが物言わぬ動物たちはそれができません。
獣医学部新設の認可は文部科学省の利権といわれていますが、結果的にこの規制は動物のためにもなっていたと思います。
市場原理に任せやみくもに獣医学部、獣医師を増やしてはいけません。不足している分野の獣医師の待遇改善など動物の命を犠牲にしない方法を検討するべきです。
今こそ「命を守る政治」が求められているのではないでしょうか?
今日は、参院農水委員会、内閣委員会がオススメです。法務はチラ見しただけですが、なんで二日目でいきなり参考人質疑なんです?まぁ後で見ますが、何の進展も無いとは確信しております。
利害関係者から参考意見聴取することと、国会議員抜きで政策決定に関する重要な意思決定する意思決定機関が利害関係者で構成されることの違いもわからないぐらいアレだからアレなんだなってよく理解できます。
でっぱなから、佐々木局長が石破四条件は留意事項だ、とかいっちゃったやつを、閣議決定は守る必要があるのではないのかと聞かれて、留意は守るという意味だ、みたいな新しい意味を作る答弁をしてきたので、延々と、閣議決定は守る必要があるのか無いのかみたいにつめられる山本大臣と佐々木局長。結局閣議決定は守る必要がある、と認めさせられるわけですが、こうなるなら最初から言っちゃったほうがいいよ。
また需給の問題をきちんと具体的に検討したのか、ということに対して、供給はちゃんとはかれるけど、需要は正確に測ることは神様にしかできないから具体的には調べていないが、一定の判断はできる。供給は増やせば増やすほど、社会全体の利益は増えるから、規制緩和万歳、人数は多ければ多いに越したことはない。もちろん行き過ぎはだめだが、供給を制限する必要はない、と宣言して、桜井議員(医師)に、柔道整復師は厚生省が14校、卒業生1000人ほどに規制していたが、裁判で負けて、解禁したら、100校、7000人ぐらいになったが、今では7000人ほぼ全てが整復師として就職できない事態になった。こういう人たちの学費や時間、投資はナンだったのかという話になる(これ薬剤師とかもそうだよね。)と突っ込まれる。それでも、獣医を増やしてはならんとはいえない、もちろん限度はあるが、公務員獣医への希望者が増えていること、創薬分野で活躍する獣医師が増えているなど、一定の需要があることは判断できるから、どこで区切るかは政治の責任だ、とおっしゃって、現在のカリキュラムでは創薬分野の活躍ができないから、最先端ライフサイエンスの加計学園が必要だ、といっていた今までの論理を自ら破壊し、突っ込まれる。
またブタとかの中型大型動物の創薬分野で必要とされる実験動物の育成を専門的に教える獣医学部は日本には全然無いと、加計学園と京産大のプレゼンに書いてあったから、これは大事だ、みたいなことをいう。桜井さんは東北大で研究していたとき、普通に動物実験やってたぜ?ほんとにないの?と聞いてましたが、これ桜井さんが医師だから間違えやすいポイントで、創薬分野でのブタ(おもにミニブタ)の需要は確かに高い。でも基本的にブタを使った研究は医学部で行われているんですよね。なぜかというと、畜産のブタは大きくしないといけないし、さらに基本的に扱うのはメス。でも医学分野ではホルモンバランスの問題で、使われるのは基本的にオスです。やることが、獣医的なブタの需要と、医学的なブタの需要で全然違うので、聞くべきなのは、なんで創薬分野でのブタを使った実験に獣医学教育が必要なんですか?っていうところなんですよ。人獣共通感染症といったって、人間と動物では完全に共通ではないので、獣医学的な意味での疾病の重要性とヒト医学としての疾病の重要性は全然違うし、どういう理屈で、獣医学部でその教育をする必要があるんですか、というところ。インフルの例で言えば京産大は獣医学部が無くてもやってるわけだからさ。話がそれた。
さらに水際規制が必要だから加計学園を選んだ、といってしまって、「じゃあ京都府で起きた鳥インフルエンザのインシデントに、協力して早期鎮圧した京産大を差し置いて、何の実績も無い加計学園を選ぶ理由はナンですか」ときかれて、「新設するので、過去の実績は関係ない」(!)と言い放ち私を凍りつかせる幸三大臣。
国家戦略特区で、国際的な医療人材を育成をする、ということになっていた国際医療福祉大学が成田市と協定を結んで、地域医療の推進を行うという話になっていることを突っ込む。なんども質疑してきたけど、国際医療福祉大学では海外経験などがある人という要件が求められているのは20人だけで、残りの120人は普通の医者を育てることになっている。ちなみにこれも構造としては似ていて、日本医師会などは、すでに14校で医学部が新設されて、10年後には医師の飽和が見込まれていることから、新設に反対していたけど、国際的な人材育成だから、ということで認められた案件。ちなみに国際医療福祉大学の理事長高木邦格氏は、渡辺美智雄の元秘書。さらに文部科学省の事務次官経験者が2名、報告期間(2年)を過ぎてから就職している、さらに警察庁の長官、財務省、厚生労働省から6名の天下りを受け入れているところ(第190回国会予算委員会)。ちなみに、上記の予算委員会では、「一般の医師は育成できないという理解でいいのか」と聞いたら、「その通りでございます」って言ってるからね。こんなんでいいのかって聞いたら、「規制緩和はするけど、それ以降のことは知らない」とおっしゃったという内閣府。ただし全体の需給に影響があるようだと、全国的に見直すという話なので、当然医師会は反発する案件(桜井議員がこの問題に熱心なことに彼が医師であることが無関係であるとは思わないけどね)。
「国家戦略特区ってほんとにひどいなって思うんですが、関東圏で行われた病床規制の特例がありますね。病床規制の特例の中に、大学が入っているんですが、もともと大学は病床規制から外れてるんですよ(要は大学以外の目くらましなわけですな)。わざわざ特区必要ないんですよ。ここに民間の医療法人が二つはいっています。一つは瀬田クリニック(名誉のために書いとくけど、ちゃんとした病院でしょうよ。免疫療法で知られているところですよね。)です。瀬田クリニックはどうして特例の適用になったんでしょうか」
「本特例は、世界最高水準、かつ国内で普及が十分じゃない高度な医療を提供する事業におきまして、その事業に要する病床数を加えた数を基準病床数とみなすものであります。医療法人こうし会瀬田クリニック、瀬田クリニックグループの事業は、は特区法の規定に従い、医療提供者の確保に権限を有する、神奈川県知事(安倍さんの大の仲良し黒岩さんだね)の合意の下、平成26年12月9日に区域計画に位置づけ、それぞれが提供する、ガンに対する次世代型の免疫細胞治療、循環器治療などが高度な医療であることなど、特例の要件を満たすことを同年12月18日に、厚生労働大臣が、特区の要件を満たすことを認め、12月19日に、区域計画に認定したものであります」
「まぁ表向きはそういう理由ですよね。瀬田クリニックの代表はどなたですか」
「あの、ファーストネームはちょっとあの、阿曽沼(元博)さんという方でございます。」
「阿曽沼さんはですね、国家戦略特区のワーキンググループのメンバーですよね。」
「ワーキンググループのメンバーだから優遇されるんですよ。あのー(もう一つの民間医療法人)葵会のここの、次男の方は、自民党の衆議院議員ですよね(新谷正義=平成研究会)」
「そのように聞いております」
「こうやって関係者が優遇されていくんですよ。しかもこの自民党の比例区の方なんですが、安倍総理の強い後押しがあったと私はお伺いをしています。またご本人の結婚式には安倍総理も出席されたと。ここも調べて生きたいと思います。もっとびっくりしたのはですね、ある特定機関からお金を借り入れて、病院を建てたんだと思いますが、その利子補給を行っている。なんでこの医療法人だけ、利子の補給を行えるんでしょうか。(利子補給とは、行政が、金融機関に対して、借入者に代わって利子を納付する制度)」
「利子補給の件でありますが、わが国の成長のためには、新たな成長分野を切り開く、先駆的な研究開発や革新的な事業が必要であります。こうした事業を行うベンチャー企業等の資金調達を支援し、イノベーションの連鎖を生み出すため、平成25年12月の国家戦略特区法制定時に利子補給制度を導入いたしました。ベンチャー企業等が特定の事業を行ううえで、指定金融機関から借り入れる場合に、国の予算で、最大で0.7%の利子補給金を支給するものであります。なおこれは、民主党政権において制定された総合特区にも同様の仕組みがあるものであります。また具体的な支給額は、利子補給契約締結前でありまして、まだ未定であります。なお利子補給金の財源は国費であります。」
「国家戦略特区にはいろんな問題があることが明らかになってきています。これがなぜおきるかというと、関係省庁が意見をいけないからです。もっと言うとですね。与党の審査が無いんですよ。なんで与党の審査無くこんなことをがんがんがんがん進めていくんでしょうか。私はおかしいと思うんですが、大臣は与党の議員として、こういうやり方は正しいと思いますか」
「与党のー審査ということではーえーそういうことをやるときには当然、政調、省庁がとうぜんやっているものと理解しています。」
「すいませんが、国家戦略特区についてお伺いをしています。国家戦略特区をこうやって決めていく際に、与党の審査はありますか」
「国家戦略特区は、法令に基づいてー、ワーキンググループ、区域会議、そして特区諮問会議という形でやっていくことになります」
「あのーそれぞれのー案件について、関係省庁の中で、与党審査を行っていると承知しております(おい大丈夫か政府と国会区別ついてるか)」
「いろんな規制改革を進めていくんですから、関係省庁においてー与党と審査なり調整なりやっていると思います」
「したがいましてー、えー改革事項いろいろやるわけですから、その改革事項やる場合において、関係省庁がー与党側と、必要に応じて調整をやっていると理解しております。」
「すいませんが、獣医学部の審査に関しては与党審査はありましたか」
「ちょっと後ろから(レクを止める)・・チッ(舌打ち)与党審査があったかなんてちゃんとわかるじゃないですか。なんで文科省が答えなきゃいけないんですか。これは、先ほど、4条件に関してなど、全然書く省庁は意見言うことできなかったって先ほど答弁されたじゃないですか。これについての責任省庁は内閣府でしょ、担当大臣でしょ。ちゃんと答えてください。与党審査はありましたか。」
「内閣府では行っておりませんが、関係省庁である、文部科学省で行っているものと思います。」(そして文科省が石破4条件に整合するようにと、上げてくれた意見を、加計学園が満たせるか不透明だから無視なさったと。)
「要するに決定されるところまで与党審査無いんです。そして特区諮問会議には竹中平蔵さんなんかが入ってるんです。こんな竹中平蔵ごときが決めたことなんですよ。与党の議員の皆さんの意見全然聞かないで、竹中平蔵とか八代尚宏とかこういう人たちだけが決めていくんですよ。おかしくないですか。私はおかしいと思いますが、おかしいと思いませんか。」
「それぞれの個人については、差し控えさせていただきたいと思いますが、それぞれに有識者として、ご議論に加わっていただいていると思います。」
「大変高い見識をおもちと承知しております」
「それでー。彼はある人材派遣会社の会長ですよね。それで雇用のことさんざんいってるじゃないですか。利害の関係者じゃないですか。どこが有識者ですか。この人によって日本はどれだけめちゃくちゃにされてきたんですか。(はっは)」
最後に国会議員が意見を言う場が無い制度というのはおかしい、有識者ではなく国会議員の意見が反映されるべきだという桜井議員。ほんとこれなんだよね。
憲法に定められた国権の最高機関は国会で、三権分立でも最上位なんだから。
竹中平蔵@パソナandオリックス→家事代行の外国人解放、農業外国人の解放、養父市の農地解放
阿曽沼元博@瀬田クリニック→病床数緩和(new!)
http://anond.hatelabo.jp/20170309173858
カバンちゃんの野望を阻止しに来たと語るアライさんだったがカバンちゃんは何の事なのか理解できない。
そしてボスはバスに乗り込みもうすぐ出発すると告げるのだった。
山の近くには多数のセルリアンがいたがボスが出す光を浴びると慌てて道を譲る。
セルリアンの開けた道を進みバスは山のすぐ近くの洞窟へと向かう。
洞窟の奥の行き止まりの前でボスが音声入力を行うと行き止まりが横に開きバスが通れる大きさの道が出来る。
地下施設を進むカバンちゃん達はボスの音声案内によりサンドスターがヒトの不老不死研究によって生まれた事を知る。
サンドスターの正体は結晶化された生物の記憶を次の肉体へと移すものだった。
本来はクローン培養されたヒトの肉体に対して使用して前世の記憶を持ったまま新しい肉体で生まれ変わる事が出来るという画期的な発明だったのだ。
研究の結果、元となる生物の肉体的データを加えることでサンドスターの移植成功率が上がることが発見される。
それと並行して動物実験のデータをヒトのサンドスターで応用しやすくすべきだという気運が高まっていく。
そうして生まれたのが動物のサンドスターにヒトの肉体的データを加え、それを動物と融合させるフレンズ化の技術であった。
その後色々あってサンドスター研究所の近くにジャパリパークが出来たのであった。
肉体とサンドスターの相性が悪いとサンドスターは肉体へと溶け込むことが出来ないままフレンズ化の機能を暴走させセルリアンとなってしまうのである。
その事実は公表されないままサンドスターの研究は進み、実用化が近くなるに連れて自分の復活を信じて死ぬ寸前の意識をサンドスターへと移し替える人々も増えていった。
そうして生まれた大量のヒトや動物のサンドスターは研究所で厳重に補完されていたのだが……
ある時、フレンズ化や死者の復活に対して宗教的に反対してきた勢力が遂にテロリズムを敢行し、サンドスターの保管施設を開放してしまう。
放出された大量のサンドスターは周囲の生き物を次々にフレンズ、またはセルリアンに変えていく。
これはヒトも例外ではなかった。
人類はセルリアンが蔓延りサンドスターの吹き荒れるジャパリパークを危険視して封印を決定、そうしてジャパリパークは限られた人間以外の立ち入りが厳重に禁止されることになる。
そうしてセルリアンが消えた後にはサンドスターが残されていた。
サンドスターの改良により、一度フレンズ化した生物やセルリアンがその生涯を追えたりセルリアンに飲まれると自動的に体に溶け込んだサンドスターが記憶を引き継ぎ飛び出すようになっていたのだ。
そのサンドスターはラッキービーストの手によって回収され、自動的に保管施設に戻される。
しかし保管施設のロックは開放されているため戻したサンドスターの多くは山から少しずつジャパリパークへと漏れ出していく。
そうして放出された一度フレンズ化を成功したサンドスターはなんとジャパリまんと混ざることによりジャパリまんを変化させそのフレンズとなるのだった。
フレンズにとってジャパリまんが最高の栄養なのはフレンズの体を構成する物質がそもそもジャパリまんだからなのである。
だがこれによる記憶の継承は完全には行われず、とりわけ複雑な自意識や人格に当たる部分はほとんど抜け落ちしてしまう。
当初こそジャパリパーク全体に広がったセルリアンであったがいつしか彼らは山の周辺にばかり多く住むようになっていた。
何故そうなったのかは定かではないが濃いサンドスターの匂いに惹かれているのではないかとボスは言うがポンコツなので信用できない。
それによってパークは表向きはたまに危険な事がある程度の楽園へと変わっていくのであった。
だがヒトが戻ってこれる場所にはならなかった。
パークにヒトが入ってくるとそれを嗅ぎつけたセルリアンが襲ってくるのだ。
セルリアンはフレンズ化した生物も襲うがそれ以上にフレンズでもセルリアンでもない生身の肉体に強い執着を示すらしい。
カバンちゃんが無事なのはカバンちゃんもまたフレンズだからである。
ヒトの記憶や知識が他の動物と比べ膨大であることからヒトのフレンズ化は成功の事例がまだ確認されておらず奇跡的だとボスは語る。
更にボスが言うにはジャパリパークに散布されたフレンズ化を安定させるシステムやジャパリまん無しではフレンズは長くは生きられないらしい。
それを聞いて外の世界に行けばヒトがいるだろうがその世界でフレンズがどれほど生きられるかは分からないとフェネックが言う。
海の前で引き返せて良かったと安堵するサーバルちゃん。
そしてカバンちゃんがヒトであることが分かりいよいよ興奮しだすアライさん。
アライさんが言うにはヒトはジャパリパークを滅ぼそうとしているようだ。
アライさんはパークの視察に来たヒトの話を盗み聞きしてヒトがパークのサンドスターシステムを止めてジャパリパークを取り戻そうとしている事を聞いたと言う。
それをしたらフレンズである自分も消えてしまうと説明するカバンちゃん。
数秒固まるアライさんにフェネックが耳打ちするとようやくアライさんは話を飲み込み謝りだす。
カバンちゃんが望むのならそういう事が出来ないわけではないと聞くボスに自分はそういう事をするつもりはないと答えるカバンちゃん。
来た道を戻り研究所を後にする一行。
帰り道のバスの周りを埋め尽くすセルリアンを見てかわいそうだねとサーバルちゃん。
バスが山から遠ざかる頃、もうアソコには行かないほうがいいとカバンちゃんは言いボスもそれを了解する。
自分の出自も分かったけど次はどうするのかと迷うカバンちゃん。
アライさんはお詫びに家に招待するという。
どうせ何もない所だけどとフェネック。
いっていいのー!いってみたーい!とサーバルちゃん。
サーバルちゃんの方を向きまだ自分に付き合ってくれるのとカバンちゃんが聞くと、私たちは友達なんだからこれからも一緒に居ようとサーバルちゃんは答える。
ワイワイと4人が会話する声が少しずつ遠ざかって行き物語は終わる。
発達障碍みたいな男とヒステリーな女を結婚させて不幸な機能不全家族を量産
生まれたくなかったのに生まれてしまっただけなのに自己責任だとか自助努力とか理不尽なこと言われる
だいたい日本って名前の由来自体が中国にとっての客体というポジションだからこんな国は一生脇役モブキャラみたいなもん
HENTAI BUKKAKE KAROSHI KAMIKAZE HARAKIRI HIKIKOMORIしか代表的なものがない
アジア侵略するわハンセン病隔離政策もやるわ袴田冤罪事件やるわでこんな国の人間は悪魔に等しい
魚を乱獲したり捕鯨やったり象牙や違法伐採木材輸入したり犬猫殺処分多かったり動物実験規制緩いのも許せない
自分は反戦主義じゃないので早く第三次世界大戦を始めてもらいたい
つまりこの国に対しての情などない
流れ:
1. 国立研究開発法人国立がん研究センター:受動喫煙による日本人の肺がんリスク約1.3倍あり,肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」へと評価.日本人の非喫煙者を対象とした受動喫煙と肺がんとの関連について、科学的根拠に基づく評価を示し、受動喫煙の防止を努力目標から明確な目標として提示.
2. JT: それを認めず,「迷惑」や「気配り、思いやり」の問題で解決しようとする.
上記とは別に,元々の公式見解(喫煙と健康に関するJTの考え方)も酷すぎる.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html :喫煙と健康(喫煙と健康に関するJTの考え方)]
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/index.html: JTが目指す社会]
吸う人も吸わない人もここちよい世の中へ。
たばこの吸われる方、吸われない方が
吸わない人で,ニコチン・タールの混ざった煙を吸わされて心地よく思う人は全くいません.
煙を完全にシャットアウトするような分煙か禁止することを強く望みます.
https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/vision/index.html: JTのビジョン]
世の中には、さまざまな暮らしがある。さまざまな人がいる。
そのひとりひとりに、それぞれの思いや感情がある。
たばこについても同じように、いろいろな考えがあると思います。
それを認識したうえで、たばこを吸う大人には、それぞれにたばこを愛用する理由があります。
一方、たばこを吸わない人にとっては、たばこの煙が迷惑になることがあります。たばこを吸う大人は、つねにマナーを守ることに心がけるべきです。
だから、私たちJTは、吸う人、吸わない人が共存できる世の中をめざし、さまざまな活動にいま取り組んでいます。
私たちは「分煙環境の整備」を進めています。それぞれの場所に合うさまざまなやり方で、吸う人も吸わない人も心地よく過ごせる環境を増やしたいと考えているからです。
私たちは「マナーの啓発活動」も進めています。たばこを愛用する人は、周りを思いやることが、何より大切であると考えているからです。
さまざまである、ということ。
それを認め合い、尊重しあえる未来の社会を想像しながら、私たちJTはこれからも、いろいろな活動を真摯につづけていきたいと思います。
マナーの問題で片付けようとするのは,もともとの企業体質のようでこの文章からひしひしと伝わってきます.
健康上のリスクを認識したうえで,迷惑・マナー・心がけの問題にするのはやはり間違っているのではないでしょうか?
他人の健康上のリスクより愛用する理由が勝る場合などあるのでしょうか?
「大人」云々よりも社会で生活する人間として間違ってませんか?
また,今回のがんセンターの報告で,あなた方のいう未来へひとつ進んだわけですが,なぜ認めようとしないのでしょうか.
あなた方のいうビジョンや尊重・共存に背く行為ではないでしょうか>
引用:https://www.jti.co.jp/tobacco/responsibilities/guidelines/responsibility/health/index.html : 喫煙と健康]
厚生労働省は、「21世紀における国民健康づくり運動」において、たばこは、肺がん、心筋梗塞等の虚血性心疾患、肺気腫等の慢性閉塞性肺疾患など多くの疾病や、低出生体重児、流・早産など妊娠に関連した異常の危険因子 ※1であるとしています。
※1:
危険因子(リスクファクター)という用語は様々に使われていますが、定義としては以下のようなものがあります。
「”リスクファクター(risk factor)”という言葉は、病気の発生リスクを高めるが、単独では、病気を引き起こすのには不十分な要因を意味する言葉として一般的に用いられています。」(木原雅子・木原正博訳『WHOの基礎疫学』、三煌社 )
「科学的知見に基づいて、意味のある健康関連状況との関連が知られている個人の行動や生活様式の特徴、環境曝露、先天性や遺伝的特性などである。」 (日本疫学会訳『疫学辞典 第5版』、財団法人日本公衆衛生協会)
「病気の発生あるいは他の特定結果の蓋然性を増加させる属性ないしは曝露」(日本疫学会編集『疫学 基礎から学ぶために』、南江堂)
私たちも、喫煙は特定の疾病(妊娠に関連した異常を含む)のリスクを高めると認識しています。また、喫煙とそれらの疾病との関連を具体的に解明するため、今後の更なる研究が必要と考えています。※2
※2:
わが国における男女別の肺がん死亡率と喫煙者率の推移をみると、最近50年間で男性喫煙者率は明らかに低下し、女性喫煙者率はほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女ともに1950年から1995年ごろにかけて顕著に増加し、以降減少傾向に転じているという事実がみられます。喫煙の影響が現れるには20-30年のタイムラグをみる必要があるとの意見がありますが、タイムラグを考慮しても肺がん死亡率の動向を喫煙者率のみで説明することは困難です。
困難であることの理由の一つとして、男女間における喫煙者率と死亡率の関係に違いがあります。喫煙者率は男性では顕著に低下、女性ではほぼ横ばいであるのに対し、死亡率は男女で同じ傾向を示しているという事実がみられます。
男女別の喫煙者率と肺がん死亡率推移(グラフ2 軸間隔をいじっているので比較不可能)
また、罹患でみた場合、肺がん罹患率は男女ともに増加しており、タイムラグを考慮しても罹患率の動向は喫煙者率の推移と一致しません。
日本における喫煙者率と肺がん罹患率の推移(グラフ3 データ数が少なくて役に立たない)
さらに、世界各国を男女別に比較すると、喫煙者率と肺がんによる死亡率との間には必ずしも相関関係がありません。
各国の喫煙者率と肺がん死亡率の関係(グラフ4 2009年の喫煙者率と1年前の肺がん死亡率での散布図,過去を見ても意味がない)
喫煙が多くの疾病の危険因子であるとの厚生労働省の見解は、主として喫煙者の集団と非喫煙者の集団の間での疾病発生率等を比較する統計に基づいた研究(疫学研究)によるものです。疫学研究は、喫煙者集団において特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことをほぼ一貫して示しています。※3
※3:
喫煙が健康に及ぼす影響に関する厚生労働省の見解および関係情報については、厚生労働省ホームページ中の「たばこと健康に関する情報ページ」別窓で開くをご参照下さい。
疫学研究は、疾病とその要因との関連性を探るにあたり有用な学問です。しかしながら、がん等、喫煙と関連があるとされる諸疾病の発生には、住環境(大気汚染等)、食生活、運動量、ストレス、遺伝的要因等様々な要因が影響しており、喫煙以外の全ての要因を同じにした集団を比較することは困難です。また、疫学研究は喫煙者と非喫煙者の集団同士を比較するものであり、個々の喫煙者について疾病のリスクを明らかにするものではありません。
喫煙の人体への影響を解明するために、疫学研究のほか、動物実験等が行われています。動物実験において、たばこのタールをマウスの皮膚に塗布する実験では、皮膚腫瘍の発生が確認されていますが、たばこ煙のみを吸入させる方法により、腫瘍を発生させることは困難です。※4
※4:
喫煙の健康への影響については今後更なる研究が必要であるものの、私たちは、喫煙が特定の疾病のリスクファクターであると考えています。喫煙するかしないかは、喫煙の健康への影響・リスクに関する情報に基づいて、個々の成人の方が決めるべきものです。
まるで,警察の麻薬撲滅ビデオに出てくる麻薬を勧めてくる悪い大人そのものである.
疫学研究において,特定の疾病のリスクが非喫煙者集団より高いことを示されているのに対し,
全ての要因を同じにした集団を比較することは困難という反論はナンセンスであり,
様々な条件で喫煙が疾病のリスクになっていると結論付けるのが妥当だろう.
肺腫瘍が発生したとの報告もあるのに,ほとんど起きないから大丈夫のような文言も謎.
せめて,リスクは最大で見積もれよ.そんなに人を殺したいのか.
直観だけど、共感性羞恥(共感的羞恥)を感じる人は嫌悪派だったりしないかな
【怒り新党】『共感性羞恥』というあの現象→分かる分からないで盛り上がる人々「ツイッター民に多い気がするのはなぜだ」
http://togetter.com/li/1016242
要は「相手の気持ちになって考えちゃう人」とか「感情移入し過ぎて考えすぎる奴」なんだけど
自分の脳内に相手(障害者側・その親族・番組側)のシャドーを作ってしまって、その気持ちを無駄に察して「うわぁ」ってなるんだよね
ゲッペルドンガーなんかもそんな感じ
http://i.imgur.com/SKBW89c.jpg
こういう人は、ペットショップの中で狭いケージに入れられている動物なんか見ても辛くなるタイプ
面白いのが「とても共感はするけど、素直に受け止めるタイプ」も居て、こっちは感動派だと思う
感動派は相手の体験を自分事のように置き換えて考えるんじゃないかな
誰かが頑張ってると、応援されたような気持ちになるし、応援されると頑張れる
俺なんかはスポーツの応援をする時に、ゲッペルさんと、周囲の人と、応援される側と、対戦相手のシャドーが脳内でゴチャゴチャ言ってくるから、素直に「頑張れ」とか言えない
嫌悪派も感動派のことを「この人は本当は嫌がってるに違いない」なんて傲慢に決めつけてる節がある
そして全部理解した達観野郎は「本人が良いって言ってるならいいだろ」とか言い始める
あと蛇足だけど
嫌悪派は登場人物の行動と心理が不一致な点が面白い作品とか好きなんじゃないかな
感動派は複雑な不一致とかよりも、分かりやすい方が好きそう
ツンデレで言えば、前者がツン:デレ=9:1 後者がツン:デレ=5:5
___
B:猿が、隣の猿のケージに蛇のおもちゃを入れられた時のストレス
を測ったらBの方が長くストレス下に置かれるみたいな内容だった