はてなキーワード: 動物実験とは
ヴィーガンとしてはノンポリで、それほど厳密に実践しているわけでもないだろう。
ただし「オーガニック」や「マクロビ」などと親和性が高いので、
などを批判して、肉食禁止だけでなく、皮革製品も使わないし、動物実験にも反対するタイプ。
動物を使わない実験に置き換えたヴィーガン用の化粧品が出ていたりする。
いわゆるアニマルライツと結びついており、肉屋を襲撃するのはこの人たちっぽい。
逆に、飼育環境が良ければ肉・乳製品を許容する人もいる(アニマル・ウェルフェア)。
・放牧地を作るための森林伐採
などの、畜産業が環境に与える悪影響を危惧して、動物製品を避けるタイプ。
肉食はコストがかかりすぎる、菜食のほうが地球に優しい、という考え。
「菜食主義」というよりも「反畜産主義」というほうが近いだろう。
さらに、
・卵や乳製品まで避けるか?
・昆虫関連製品まで避けるか?(絹・はちみつ・コチニールなど)
・動物実験が行われた製品まで避けるか?(医薬品・化粧品など)
見出しはレトリックで、「あっちにも反対しろ」ではなく「どっちにも反対しないだろ?」という趣旨です。
ヴィーガンの主張は主に二つ、「畜産業における劣悪な飼育環境をなんとかしよう」と「畜産業が環境に与える悪影響をなんとかしよう」です。
「菜食主義者」よりも「反畜産主義者」のほうが正確なのでは、という気もしてきます。
前者はエシカル・ヴィーガン、後者はエンバイロメンタル・ヴィーガンと呼ばれ、微妙に立場が異なります。まあ両方を兼務している人も多いのでしょうが。
たとえばエシカル・ヴィーガンの立場では「まともな環境で飼育された家畜の肉は食べてもよい」というヴィーガンすら存在しています。
一方で、エンバイロメンタル・ヴィーガンは、環境保護の観点から畜産業の問題に着目しているので、動物実験を用いた医薬品や化粧品の問題には関心が薄いでしょう。
現代の食肉生産の多くは、環境負荷の高いいわゆる 工場畜産 (factory farming) に頼っています。そして私たちは実に多くの家畜動物を消費しています。鶏が580億匹、豚が14億匹、牛が3億匹など。これは1年の数です。想像できますか?
エサとなる穀物の生産や放牧のために貴重なアマゾンの森林が広く伐採され、土地や河川は汚染され、温室効果ガスを膨大に排出しています。
世界の 飢餓人口 は8億人。そのようななか、家畜に与えられている飼料の総量は40億人以上もの食事に相当すると言われます。
牛肉100グラムを作るためには穀物が1600グラム必要とされているため、穀物をそのまま食べた場合に比べてかなりの無駄が発生しています。飢餓問題は基本インフラ、教育水準、失業率、社会構造など複雑な問題が絡みますが、それでも菜食のメリットは極めて大きいものです。
肉食は水も土地もエネルギーも浪費します。世界人口が2050年に100億人に到達するとも言われているなかで、サステイナブルな食糧体制の確保は急務です。
日本エシカルヴィーガン教会とかいうところのサイトから引用しました。
(エシカル・ヴィーガンを名乗っていますが)こういったものがエンバイロメンタル・ヴィーガンの基本的な主張だと思います。
「クリーンミート」が「再生可能エネルギー」や「電気自動車」などに相当するでしょうか。
二酸化炭素の排出量を削減しようと唱える人に「俺たちに息をするなと言いたいのか?」などと絡む人が(私の観測範囲では)いなかったことを考えると、ヴィーガンに対して「おまえたちは生きているだけで虫や微生物を殺しているのだが?」などと批判することが、かなりズレていることがわかると思います。
あるいはヴィーガン側の主張としても「畜産はコストが高いので減らしていきませんか? そのためにはまず肉食を減らしませんか?」といったものであれば、納得する人は多いのではないでしょうか。
実際、大半のヴィーガンは、いきなり全人類の肉食を禁止しようだなんて思っていないでしょう。
「できることからやればいい」のです。
ここであなたの脳裏には肉屋を襲撃するヴィーガンのことがよぎったでしょうが、穏健派ヴィーガンに賛同すれば過激派ヴィーガンにも賛同することになるという論法はスリッピースロープにすぎません。
つまり「なるべく自動車ではなく公共機関を使おう」と同程度には「なるべく牛肉ではなく野菜を食べよう」という主張は成り立つと思うのですが、いかがでしょうか。
ちなみに私はヴィーガンではないので「おまえらヴィーガンは…」と一括りにするようなレッテルはご勘弁ください。よろしくお願いします。
単純な疑問なんだが、こういう人たちって
・当然肉食NG
・毛皮・皮革NG
なのだろうか。
率直に知りたい。
あなたが「おかずだ」デモに不快感を感じると考えるように、俺は目の前で「ごはんじゃない」デモを目の前で繰り広げられたら不快になるわ。
「おかずだ」デモはさすがに行き過ぎだと思うが、「ごはんじゃない」デモも明確なゴールがないのではただ悦に浸りたいのが目的のように見えるね。
安心してちょうだい元増田ちゃん。あなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。
あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論を肯定するものは無いわ。早まらないで。
功利主義に基づく倫理的ヴィーガンの観点から、あなたの誤解についてお答えするわ。
功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛と快楽の収支がプラス(快楽が苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福。
細かく言えば「苦痛と快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理の場合はもっぱらこれ。
したがって、畜産において“飼育、屠殺による動物の苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。
逆に、動物の苦痛が人類の利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。
同上
ただし、たまごや乳製品はそれ自身が苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。
例えばジャイナ教は非暴力が重要な教義の一つなので必然的に菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。
同上
衣料品の場合、動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的に肯定しがたいわね。
医薬品の場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域は動物倫理的にかなりホットよ。
功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。
動物実験における動物の苦痛と、完成した医薬品による人間の苦痛の低減。これの比較で後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。
もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。
“意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。
例えば、糧を得る唯一の方法が狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしまう場合、狩猟による動物の殺害は倫理的に正当化され得るわ。
植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮の対象ではないのよ。
ちなみに、倫理的な考慮の対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。
「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義の場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。
厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的な動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。
また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。
例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。
これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。
功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。
同上
命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。
自然破壊につながる水道水やミネラルウォーターを飲むべきではない わかる
んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義的ヴィーガンの主張に似てるかしら。
でも環境主義的ヴィーガンの場合、畜産や養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。
水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。
なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛が人間の快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。
地球温暖化に寄与している二酸化炭素は化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。
陸上の炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素が放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。
家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ、支出は炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料が副収入。
ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。
全部わかる
あら?もしかして徳倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの。
徳倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。
最近は見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。
呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る者は悪魔だ
みんな死のう
死なない者は悪魔だ
功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。
でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物を自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。
ここまでは功利主義の観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点も考慮しなきゃ片手落ちよね。
でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。
最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義とPlant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。
うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。
ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。
けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。
良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!
辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?
私も環境主義的観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?
ヴィーガンからは偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。
(2) 勉強する
ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。
元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。
いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。
おすすめはピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。
(3) 食生活的ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃう
食事だけヴィーガン。健康目的が多い。一番気楽なタイプのヴィーガン。動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。
やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。
「ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ。
はてなブックマーク - 「動物はおかずだ」デモに関して(1) - 道徳的動物日記
http://b.hatena.ne.jp/entry/davitrice.hatenadiary.jp/entry/2019/05/21/172032
「動物の福祉」と「動物の権利」の区別がつかない人が 人間と動物をちゃんと見分けれるのか問題
nonstandardlife 「肉を食べるな」はハードルが高すぎるけど「家畜の飼育環境を改善しよう(その分のコストは受容する)」というのなら賛同してくれる人はある程度いるんじゃないかと思うので、そういう方向に行ってくれたらなあと思う
AKIMOTO 人間と動物の間に境界線を引けない人間がそんなにいることに恐怖を感じる
h5dhn9k ありゃ?…… 普段のDavitRice氏の主義主張とは真逆じゃない? 何かあったのかな?……
kirifuu アニマルライツは肉を食う権利を奪っていると言えるのではないか。お前それサバンナでも同じ事言えんの?ってこった。
mventura 飼育環境や動物実験のあたりで改善をめざすなら賛成なんだけど。いつも極論どうしで溝が深くなるばかり。
Yagokoro 人間以外の動物の権利を保護したいなら、とっとと自殺すべき。それが論理的帰結。
kenjou 動物の権利を主張するのに、植物の権利はどうして認めないの? っていつも思うんですよね。動物を食べるのはダメで植物はいいっていう話は、まったく筋が通らない。自己欺瞞から目をそらすのをやめてほしい。
kangiren 京都名物雀の姿焼きのお店を襲撃したら、支持してしまうかもしれない自分がいる。
ykhmfst2012 「人間社会は人間の都合で出来ている」この厳然たる事実を見なかったことにし、あまつさえ享受しておきながら動物食だけを否定しても賛同は得られないだろうね。結局の所感情論でしかないし。
magnitude99 お約束通りに、対立する立場に対して相対的な価値観を持たずに一神教的価値観で攻撃し、分煙も許さない、欧米発の基督教的社会運動の副流煙被害集団ヒステリーと全く同じな所が、こうした類の運動体解明のヒント。
kotetsu306 今は人間と動物の間にある線引きを、動物と植物の間に引こうと言うわけね。それとも高等動物と下等動物の間かな、農作物を荒らす害虫はもちろん駆除するもんね
minakoch 馬鹿だなあ。権利が衝突する以上、片方を優先させる理屈こそが問題なのに、一言も触れていない。そして他人の食欲を邪魔するんだから相当なものが必要。せいぜい、アリを無益に踏まないために引きこもってるべき。
動物実験したけどどうということもなかった
天然子宮がいかに優れているかを知らないからこういう論になっちゃう。
いやわかる。おれも高校生くらいまではそんな感じだった。
おれが指摘する問題点は誤字ではなくてコスト意識が欠落している点だ。
天然子宮と同じ性能の人ロ子宮が作れたとして、一体いくらになるんだろうか。
したがって人工子宮が500万円以上だったら使えないわけだ。
10か月間のショバ代もある。病院か農場かわからないが、少なくとも10か月間間借りして24時間管理してもらう。いくらになりますか。
赤んぼの材料代もある。安全な餌を10か月間絶えず与え続けることになる。羊水に含まれる重要なタンパク質は全て胎児が合成しているわけではない。母体由来のサイトカインやらなにやら諸々のタンパク質がいくらになるか…想像もつかないがニボルマブよりまあ100倍は高額になるだろう。FBSを知っている人にはいかに難しいか想像がつくはず。
安全性の検査に一体何年間かかるのかという問題もある。徹底的な動物実験で攻めていくだろうけど、この手の動物実験の結果をヒトに適用することの難しさはもう想像を絶する。五体満足で生まれるだけでは不十分で、少なくとも生まれてくるベイビーの寿命体重知能が並程度でなければ誰も使うまい。人間の寿命を調べるのに何年間かかるだろうか。
開発に要したコストはもちろん製品価格に反映される。税金で賄いますか。人口の半分が男性なのに、そんな決定ができるだろうか。
つまりアフォーダブルな製品を開発することはできないだろうということ。
製品化できそうもないものの研究をする人がどれだけいるかということ。
極めつけに、女性はほぼ全員が使用可能な天然子宮を備えている。治療法を確立しなければ死ぬしかない病気とは違って、安くて実績充分の代替案があるのだ。つまり代理母という代替案がある。
高コスト高リスクの人工子宮をわざわざ使う(使える)人が、技術確立・市場形成に十分な数現れるとは、おれにはとてもとても信じられません。
なお、アメリカ人はそんなまどろっこしいことしないで養子をとるようですよ。
完
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1265069
これはどう考えてもおかしい。これがまかり通るなら、病気や症状たくさん抱えてる高齢者こそ真っ先に値上げしないといけないはずで。
とか言ってるのがいるけど、
高齢者なんか比べ物にならないくらい、妊婦はリスク高いし何かあったらすぐ訴えるし(高齢者だともう諦めてるから訴える人が少ない)で
動物実験で催奇性が無いのが分かったって、人間で同じ事が無いとは言い切れないし人体実験する訳にはいかないんだから
小児科も同じ(大人より手間かかる上に何かあったらすぐ訴えるから医者が敬遠)で、だから乳幼児加算ついたりするわけだけど。
そんな事すら分からない奴だらけ。
『動物を大事にしよう』『人間の都合で動物の命を粗末に扱うのは止めよう』くらいまでなら、広く合意出来ると思うんだけど。「アニマルライツ」とか言い出し始めると、もうかなり着いていけなくなって、距離を置きたくなる。『不要な動物実験を止めよう』くらいなら理解できなくも無いが、『一切の動物実験を止めよう』だと、そりゃ無理じゃね?って感じになるし。肉食反対みたいな方向も個人の趣味嗜好なら構わないが、それを外部にまで強要しようとして、お肉屋さんとか店とかに抗議するようになったりすると、もうはっきり言って迷惑な存在になるし。
『動物がかわいそう』くらいな出発点は悪く無いと思うんだけれど。そこから考えを突き詰めちゃったせいで、社会との調和が取れなくなっているような気がするんだよなぁ。
大体の人は多かれ少なかれ矛盾を感じながら仕事したり生活したりしている訳で、(非人間の)動物の権利なんて突き詰めて尊重しだしたら、今の生活はかなり色々制限されるし、それで苦しむ人もいっぱい出ちゃうんだけど。それをやろうと運動している人ってのは、なんかマジメにそういう事主張してたりするのが、本当にモヤモヤする。