はてなキーワード: 動物実験とは
247 ソーゾー君 [] 2014/08/10(日) 20:33:06 ID:yHOS4/1o Be:
原因も経路も分からんのに治療薬だけは開発できるのか・・詐欺師丸出しだな・・
富士フイルムグループの富山化学工業(東京、菅田益司社長)が開発したのに
米国政府機関が臨床試験や承認の手続きを迅速化させる動きもあるか・・
タミフルの二の舞ですねぇ・・
>ファビピラビルは、富山化学工業が富山事業所で、抗ウイルス剤の研究によって見いだした。
>白木公康富山大大学院医学薬学研究部教授との共同研究で、動物実験での有効性を確認した。
まだ実験段階な訳ね・・極僅かな動物実験程度のデーターが信用出来るなら
「遺伝子組み替え作物の悪影響」と「原発=放射能の悪影響」のデーターも信用すんのか?
タミフルはそれ等のデーターで太鼓判押されて日本政府が大量に買い入れてたけど
結果は「効果無し」より悪い「服用者に悪影響がでる」だったよな?
原因を解明しない時点でマッチポンプ確定だよ?
「エボラの発生源と経路は?」と質問してるのになに言ってんだこいつ・・
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/10043/1393680484/
ありとあらゆる器官に変形する万能性を秘めたSTAP細胞を投与されたサルが、
http://www.tanteifile.com/diary/2014/05/14_01/
ハーバード大学のバカンティ教授らはNature論文発表直後に「STAP細胞移植した脊髄損傷猿が著しい回復をした」と発表した。
基本的に少なくとも霊長類を用いた移植実験では施設内倫理委員会の承認が必要となる。マウスならばそれほどでもないが、
犬以上の大動物なら厳しい審査になる。今回の場合、彼所属のBWH(ハーバード大学医学部関連病院の1つ)で審査がなされているはずだ。
よって、理研はバカンティ教授らと病院の広報にSTAP細胞関連の動物実験に関する審査資料の情報開示請求を行えばいい。
そこには「ハーバード産のSTAP細胞(STAP幹細胞)」に関する記述が詳細に書かれているはずだ。日本では理研のSTAP細胞
(STAP幹細胞)に関する議論しかされていないが、ハーバード大学にSTAP細胞(STAP幹細胞)があったか否かがこれでわかる。
さて、関係者によれば「上記の猿は逃げた」とのこと。
参考画像
https://pbs.twimg.com/media/Bngu1GNCEAA3Ggs.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/manaboomax/imgs/7/1/71771629.jpg
http://blog-imgs-68.fc2.com/j/i/j/jijimonster/jijikaijyuu36.jpg
http://www.nicovideo.jp/watch/sm22787445
[niconico:sm22787445]
『美味しんぼ』という漫画の内容に、批判を越えた糾弾と言えるような声を上げる方が多いようです。一部は研究者や医療関係者のようですが、彼らの『科学的』にあり得ないという論を元に一般の方や政治家も糾弾しているようです。
根拠の無いデマを広げる無知蒙昧な人間を、正義感をもって成敗しようとしているように見えます。そこで自明のように語られる科学的知見とは何でしょうか。
管理された実験室での放射線と、無秩序に飛散した複数の放射性物質の影響を同列に扱えるはずもありません。従来の原発事故や大昔の原爆の調査の知見は、規模や内容が違いすぎて十分とは言えないのです。
ある方は粘膜への影響が『噴飯もの』と表現されていました。ごく微細な放射性物質の粘膜への付着による影響などどれほど研究されていたのでしょうか?ましてや人体への影響などそもそも実験が不可能です。また『放射線は量の問題です』と単純化することで、実際には距離と時間と種類によって変わる事が見えにくくなります。
以前一部の方々はプルトニウムの飛散などは物理的に絶対にあり得ないと一笑に付されていましたね。しかし現実には飛散していました。机上の想定を越える事実が本当に多いのです。
そもそも微細な放射性物質の飛散の影響は十分な知見が得られていない上に影響が小さいですので、個人差が大きい事が予想されるのです。タバコを吸っても長寿な人がいるのと同様です。生死や遺伝など重大な影響の可能性は極めて低いでしょう。しかしそれだけに軽視されがちなのです。
私は漫画の内容の正否をここで述べたい訳ではありません。問題なのは噴飯ものと一笑に付し、問題提起する者を糾弾する事が『科学的な姿勢』であるかのように振る舞う事です。
そのような事例は過去の公害事件を例に出すまでもなく何度も繰り返してきました。目の前に症例がありながら偶然・精神的問題・虚言などとし調査を怠りました。このような問題提起を口にする事すら糾弾されるのであれば、一体誰が調査研究できるのでしょうか?
私たちは微細な放射性物質による健康への影響について一刀両断できるほどの知見を得ていないのです。人体はあまりに複雑です。致死率やガン発生率以外の、一見して分かりにくい健康上の問題は動物実験では発見が難しいのです。まして人体での実験は不可能です。
それを簡単にアウトだセーフだの言えるはずがありません。根拠など簡単に分からないのです。それを探求する事が科学的姿勢なのですから。本件を健全な批判ではなく、ことさら糾弾するのは科学的姿勢とはいえません。それは科学的な姿勢とは正反対の、ある種のイデオロギーに縛られた姿勢だと思います。
※私は関係者でも何者でもありませんが、現在の状況を考えると実名では生活に支障をきたす可能性があり匿名での投稿としました。
「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言からは科学者蔑視を感じる。
いや、100mSvの根拠が原爆被爆者調査だってのはこの手の話では前提でしょう。サンプル増やせないのは承知で生身の人間での調査の限界ってことで言ってると思う。
低線量被曝については原発労働者を対象としたもっと大規模な調査があって、100mSv以下でも有意差出たって論文はある。数十mSv単位だっけな。でもまだ定説にはなってない。
その先を疫学的に調べて閾値見つけるのは現時点では難しいってことは、飯田氏も計量経済学で専門的に統計やってる人だからわかってると思う。
中西氏の動物実験の話は、安全科学では閾値が想定できる毒性でも動物実験で毒性が出たら人間への影響は安全係数かけて(100倍とか)安全側に寄せて規制するから、安全科学の専門家としては当然の物言いだと思う。
僕は二人とも「放射線防護の基準としてLNTを採用する」って意味では支持してるとは思う。そして、今現在の公衆衛生上の問題として放射線防護の話をする際には、閾値仮説を持ち出すべきでない、と考えてると思う。
この意味では自分も支持するし、元記事のこの点について問題にするつもりは全くない。
科学者や放射線の専門家が「100ミリシーベルト以下では影響が見られない」と言うと、しきい値ありモデルを語っているように聞こえるのだけど、それはおそらく「疫学的には影響が見られない」と言っているんだ、という立場なんでしょう。でもそう考えるのなら、「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」と言ってほしいんです。
「このサンプル数では疫学的に影響は見られない」という表現を見たときに、「もっと多くサンプルを取れば疫学的に影響が見られるんでしょう?どうせやってないんでしょう?」というのを感じ取った。些細なことだけど、これがものすごく嫌。動物実験のくだりもだけど、この人の発言からは科学者蔑視を感じる。
そこを否定すればいいじゃん?そうじゃなきゃ何も意味ないよ?
むしろ、化学兵器だって遺伝に残ると確認されるような物が禁止されてるわけではないよ?
勿論、妊娠出産時に問題が起こったのはあるけど、それが遺伝的にその後どう伝わっていくか、なんてことははっきり言ってサンプルがなさすぎてわからない所。
放射能についても実際はそう。
きちんとしたサンプルが無いから、今、最大限あるのが広島長崎の被爆者の子孫だけど、それもその人達を追跡調査することの難しさもあるし、
元々どれだけ受けてた人なのかも分からないから遺伝にどう伝わるかもわからない。
で、今のところ、それらの子孫には有意な影響は無い、とされている。
だけど動物実験でその可能性は出ているし、化学兵器にしろ核兵器にしろ、その部分を懸念されてるのは事実だよ。
勿論、それと、現在受けた人達がどう影響を受けてるか、と言うのは別の話で、現状、広島長崎の結果では影響は出ていない、と言う結果が
| 動物実験で低線量被曝の健康被害を示す結果が得られていない事と、ビッグマウス実験やそれに似た実験で同様の線量率効果が確認されているから、追試に成功していると言える。
低線量というのは100ミリシーベルト以下ってことでOK?低線量の発癌率は、個々のデータで矛盾するから、「確認されていない」とされているのであって、ゼロだということではない。
「線量率効果」なので、発がん率が無いと言う意味ではない。例えば、低線量率で3Svの被曝と、高線量率で3Svの被曝で、後者の方が発がん率が高い効果の事を言う。低線量で発がん率がゼロでも、線量率効果があると言えるが、線量あたりの発がん率が異なればいい。
線量率効果の実際の係数(DDREF)は推定にばらつきがあるものの、線量率効果を否定するような研究は無いように思える。ICRPは2を設定している。線量率効果がある場合は、LNT仮説は成立しない。
動物実験で矛盾するような結果がそう示されているわけではなく、むしろ一貫して線量率効果が示唆されている。だからこそLNT仮説への疑問が生じて、ICRPがリスク推定で非線形モデルを使うようになったのでは無いであろうか?
最初の方から、データ的に採用できないと答えている。初めから論点は、計量分析をベースにしている。
追記(2013/06/21 22:00):
要点としては、
の四点から、LNT仮説が有力とは言えない。
科学方法論的に実験や観測が重視されること、実験で因果関係の方向が分かることなどが理解されていなかったようなので余談を多くしたが、論点は最初から最後まで同じ。
ランダム化比較試験というものを親切に説明してくれているのだが、なぜuncorrelatedがこの話をしたがるのが、いまいちよくわからないんだよね。議論になっているテーマの解決に役立つとは思えないのだが。
疫学データだけでは無く、RCTを使った実験データも線量率効果を示している。メガマウス実験や古瀬らの研究、つまり動物実験はRCTになるので信頼性が高い。そして線量率効果の存在は、LNT仮説の棄却になる。
uncorrelatedはこれまで統計データを中心に自説を述べてきた。なので俺も彼に合わせてそういう話を中心にしてきた。それは実験室内の話ではない。
これだけ実験について言及をしている。実験データを統計処理すると言う発想さえ、無いのかも知れないが。
培養細胞と動物実験などからの知見から、リスクと被曝線量が非線形モデルに従うと思われているので、ICRPは計量モデルとして非線形モデルを採用したのであろう。
立証したと証拠を出してきたら、統計分析が正しいか *7、追試で同じ結果が出るかを、例えば大槻義彦教授が確認する。
*7 疫学データなどは適切な処理が困難な事も多く、ランダム化比較試験(RCT)など、データ取得手法自体を工夫するほうが望ましい事も多い。
統計や計量は、誤差などを含む観測データから「事象」を切り出す手法だが、信頼性の高いランダム化対照実験(RCT)*2もあれば、解釈に注意がいる単回帰分析まで手法は幅広い。
実験室のRCTならば理屈抜き、ブラックボックスありで信用され、そこから因果関係を見出すこともされている(e.g. 薬剤)
なお本文で「ランダム化対照実験(RCT)」を示唆しておいたが、この方法をとれればバイアスの大部分をコントロールすることができる。つまり実験データでは、原則としてバイアスは入らないと考える。
疫学データの非線形モデルは擬似相関の可能性は排除できないが、ランダム化比較試験(RCT)を用いた動物実験は排除できている。
何度も明記しているが、ランダム化比較試験(RCT)を使えば因果関係は特定できる。さらにRCTの結果と整合的な疫学データがあれば、その結果の信憑性は高まる。
前回の「ペプチのこと。」に思いのほかのご好評をいただき、作者としても大変嬉しいです。ありがとう。
ただ残念なことに、あの記事を「ペプチドリーム(以下「ペプチ」)擁護」と受取る向きが予想外に多かった。
おそらく、
こういう前提知識を持った上で、ペプチの開示をぜひ読み返してほしい。と書いたのが、「ぱっと見た感じほどの大きなニュースじゃないんだよ。説明が下手なだけ。大丈夫だ問題ない」と単純に言っているように受け取られたんだと思う。
おそらく、受け取る印象が多少なりとも(ひょっとしたら大きく)変わるはず。
既存: アライアンス事業 【これまでのステージ】と明記されている。
新規: 自社創薬研究開発の推進 【これからのステージ】
ペプチの仕事を思いっきりカンタンに大雑把に言うと、この(1)(2)をめでたく生き延びたら、いよいよその化合物は(相手方がそう意思決定してくれれば)リード化合物として臨床試験に向かうことになり、ペプチには(3)の「創薬開発権利金」以降の売上計上がはじまる。
(1)契約先から指定されたターゲット蛋白などに結合する特殊ペプチドやライブラリを作って納入する、
(2)納入した特殊ペプチドを契約先と一緒に検討する(契約先がラボで試験とか動物実験とか)、
(3)契約先がその特殊ペプチドを薬として本格的に開発する(そして運が良ければ薬として承認される)、
の3段階。
※誤解のおそれのある表現があったため(3)を一部書き換えました。
(1)(2)(3)をパッケージにした契約を最初に締結してる。という点だったはずだ。
あらかじめ書いておくけど、ペプチを擁護しようとかそういうのはまったくない。
製薬創薬業界ではわりと当り前になってることについてペプチがあまりに舌足らずでお粗末でときにミスリーディングな説明をしてるせいで、たくさんの人が誤解してるみたいなので、それを少しでも解こうと思って書く。
好意的に「舌足らず」と書いたけど、そう決めつけるつもりもない。ひょっとしたら「わからないだろうと高をくくって喋らない」「喋ってしまうとただの受託屋さんに見えて魅力が大幅に減ってしまうのを怖れて喋っていない」のかもしれない。
ペプチドリーム(4587)(以下「ペプチ」)の仕事を思いっきりカンタンに大雑把に言うと、
(1)契約先から指定されたターゲット蛋白などに結合する特殊ペプチドを作って納入する、
(2)納入した特殊ペプチドを契約先と一緒に検討する(契約先がラボで試験とか動物実験とか)、
(3)契約先がその特殊ペプチドを創薬アイディアの元にする(あるいはそれ自体が薬になる)、
の3段階。
それぞれのスタートでおカネを貰える。
めでたく(3)になった場合には進捗に応じた報酬、さらに運良く臨床試験も成功して薬になった場合にはロイヤリティを貰える。
(思いっきり大雑把に書いてる。ホントはもう少し細かいので、正確には同社の開示を参照してほしい)
この(1)(2)(3)をパッケージにした契約を最初に締結してる。
今回のファイザー(以下「P社」)の場合は、P社(が買収したCovX)が創出済み(といっても未だせいぜい動物実験などを繰り返して最適化検討を進めてる段階)のペプチド型化合物を改善する仕事なのでちょっと違うかもしれないけど、基本形は同じ。
ここでちょっと別の話。
あまり知られてないけど、製薬の初期段階(創薬)は、「研究」と「開発」にくっきり分かれてる。
動物実験や外注やラボワークを行ったり来たりしながら、どの化合物を開発するか考えるのが「研究」。
化合物を決めてからが「開発」。こっちになると、カネやヒトや時間など大量のリソースを注ぎ込むことになる。
ほとんどの製薬会社で「研究」と「開発」は管掌役員レベルで分かれているし、もちろんチームメンバーも全然異なる。
さっきの(1)(2)(3)でいうと、(1)(2)は製薬会社の「研究」チームと組む仕事。
(2)の成果のうちどれを(3)に進めるかを決めるのは製薬会社の「開発」チームの専決事項。
(3)は「開発」チームと組む仕事。
本題に戻る。
ペプチの公表資料を読む限り、P社とは(2)の段階の終了直前まで行っていたようで、そこに折悪しくP社が「CovX絡みの『研究』を辞める」と意思決定・発表した。
そのため、ある意味、宙ぶらりんな薬剤候補化合物(もしくはそのプロトタイプかな)が存在することになった。
P社ではおそらく、(3)に進めるかどうかの検討を既に始めていたはず。
「研究」を辞めたからといって、せっかく創出した(あるいはされかけている)候補化合物も同時に捨てるとは限らない。捨てるかどうかは「開発」のチームが決める。
ペプチの開示にある
「引き続きP社の他の部門においてその評価が続けられました」
「新しいプロジェクトとして継承・継続されるものと考えていました」
は、そのことを言ってるはず。
完璧に「や〜めた。これまでに掛けたコストも全部サンクコストでいいや」と割り切ったときに初めて、ペプチとの契約を終了することになる。
その結論に至るのに半年っていうのは決して(この業界的には)長くない。
むしろ短いほうかもしれない。
延々と伸ばしてても特段の違約金はかからないし。
今回の件では、P社は「開発」品としての継承もしないことにした。
(1)でペプチに出した技術情報、(2)の過程で共同で作ってきたノウハウや実験データなど、ひょっとしたらカネをさらに突っ込めば薬になるかもしれないような無形の財産はあるけど、そこはトラブルを避けるためか、すべてペプチにあげちゃうことも決めた。
そのへんはさすがに大企業、しっかりしてる。
一方ペプチとしては、(1)(2)の開始時に既にそのためのおカネを受け取っているから、契約を継承されないとしてもそれまでに出した無形の財産さえ返って来れば(将来の収益計画が変わってくることを除けば)無問題。
共同で構築したノウハウも引続き利用出来ればなお良し。
今回はP社から「途中の知財もぜんぶあげるよ」ということになったから、ペプチとしては儲けもの。
その感覚があるから、あの「謝罪」開示の途中のような書きぶりになってる。
(まあ、だからといってそれを得たからそのまま何かできるってわけでもないけど。)
こういう前提知識を持った上で、ペプチの開示をぜひ読み返してほしい。
おそらく、受け取る印象が多少なりとも(ひょっとしたら大きく)変わるはず。
そのあとでIPO資料を読み返したら、今回のような契約終了が今後も頻繁に起こり得るペプチの業態の本当の姿や弱点も透けて見えて、フェアバリューも自ずから見えてくるんじゃないかな。
ペプチの中の人(読んでるよね?)には、そういう事業モデルをもっと正しく投資家に伝えていく努力を望む。
インベスターリレーションっていうのは、株価上昇策でも維持策でもなく、会社の姿を「正しく」理解して貰うためのものなんだから。
それを通じて結果として株を買う人が増えて株価が上がったら万々歳だけど、それはあくまでも余録。
カネを払ってこんな不正確な記事を書いて貰ってる場合じゃない。
【参考資料】
有価証券届出書(新規公開時)
http://contents.xj-storage.jp/xcontents/45870/cdefa6ae/2ea8/453c/9321/767095420fbd/S000DCA3.pdf
http://contents.xj-storage.jp/contents/45870/T/PDF-GENERAL/140120130610064622.pdf
「Pfizer社との共同研究開発の解消に関するお知らせ」6月25日
http://contents.xj-storage.jp/contents/45870/T/PDF-GENERAL/140120130625076189.pdf
http://contents.xj-storage.jp/contents/45870/T/PDF-GENERAL/140120130626078085.pdf
たいてい動物実験が話題になるときって過激な団体が無茶したときだから、「動物実験反対派」の主張が肯定的に報道されることって少ない気がする。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/493443
たとえばこれが「穏便に申し入れて」「高校側が拒否した」とかなら、ニュースバリューも無いしね。
ただ、ブコメとか見てると、たまに妙な意見が書いてあることがある。
・この団体事務所の近くの水たまりという水たまりにボウフラを投げ込んでやりたい
・「アカムシの解剖」は、少なくとも、「ゴキブリに殺虫剤をかける」より残酷な行為ではないはず。学校での動物実験に反対する前に、まず殺虫剤の不買を呼び掛けてみろよ。
別に彼らがほんとにそう思ってるってこともないだろうし、単なるレトリックなんだろうけど、やっぱり気になる。
Aを反対するときに、Bも反対しないのはダブルスタンダードだから、そっちも批判すべきだ、というのはわかるけど、
露悪的に言うなら、
「過激な団体に無意味な攻撃を呼びかける声明を出すことで、相手に正当性を付与する」
「ほかにも攻撃対象がありますよ、と被害を広げようとしている」
とかね。
まあ、それは本筋じゃないわけだ。どっちかというと、これに近い。
ところで高校の動物実験って誰が倫理性を担保してるんだろ?個々の高校(ひいては生物教師)を攻撃されたら抵抗するには負担が重いと思う
個別に拾ってこないけど、良く動物実験に対する批判まとめみたいなののブコメに以下みたいな意見が乗ることがある。
でもこれらは、倫理に対しての回答にはなってない。
というのを、無意識的に前提としておいていないと成り立たない。
程度だと、かなり注意しないと動物実験の正当性を説明できなくなる。
あー、判りにくいか。
「動物」を「ユダヤ人」に、「人間」を「ナチス」に置き換えると、上の4つの意見が途端に醜悪なモノに見えてくるだろう。
(もちろん、ユダヤ人が動物的だとかそういうことを言いたいわけではなし、適切な置き換えでもない。
「ユダヤ人を使った実験で科学が発展したのは事実だし、ナチスを危険にさらさずに実験する方法がほかに無い」とすれば、
「科学発展の速度」や「最低限の実験」ってのが倫理の説明でのエクスキューズにならないのを理解してもらうためだ。
「ユダヤ人にも権利を」という主張をしているのが動物愛護団体だ、と理解するのが、動物愛護団体に共感できない人には判りやすいと思う)
実は、さっき不適切な例示だって言い訳しながら使ったユダヤ人とかナチスってのは、あながち無関係でもない。
動物実験の話をすると必ず出てくるヘルシンキ宣言ってのは、そもそもがナチスによる人体実験の反省から来ている。
人間を対象とする医学研究は、科学的文献の十分な知識、関連性のある他の情報源および十分な実験、ならびに適切な場合には動物実験に基づき、一般的に受け入れられた科学的原則に従わなければならない。研究に使用される動物の福祉は尊重されなければならない。
これは要は、動物の福祉は尊重しつつ、人間の福祉よりは制限されたものだぞ、と宣言しているわけだ。
ブラックジャックだって、人間をほっぽっといてイルカを助けたわけではない。あの作品にすら、明確に優先順位がある。
オレは「狂う」というのを、一般からずれてしまった、と定義しているからだ。
少なくとも日本社会では動物と人間とは違うものだとされているし、知っている限り西欧諸国もそうだから、「一般的に人間は動物より上」と思っている。
ペットは家族同然とは言っても、家族とペットのどちらを助けるかと問われたら、迷い無く家族をとる。
そういった話を全部棚上げにして、「動物愛護団体の手法」だけに触れるやり方は、教育機関ではとれないんだろうなーと思ってる。
(過激なことをする団体の主張は取り合う必要は無いというのは一つの方針だけど、動物実験の正当性はそれとは別に教育に取り入れないと自然に身につくものでは無いと思ってる)
だから、動物は人間と同じような権利を得るべきだって団体は、オレはおかしいと思ってるが、
そういう主張をする人たちに反論したり正当性を主張するときには、かなり注意しないと、全く意味の無いこと言ってることになる。
そりゃ、ユダヤ人への人体実験をやめろって主張している団体に、科学の発展がーとかナチスの安全がーって言っても伝わらんだろ。
そしてそれを、いまいち理解できていない高校生には、経緯を含めて考えてもらうのが教育だと思ってるし、
その正当性(倫理性の担保)の説明を、一介の高校に期待するってのは、かなり厳しいと思う。
どうすんのが良いのかねー
中国でのH7N9型鳥インフルエンザのヒトへの感染、ここまでのニュースで知る限り96人感染し18人が死亡している。
当初は死亡率が4割以上だったので、死亡率自体は当初の予想ほどでない気がするが、2002年のSARS騒ぎのときと比べても十分な驚異だ。
これが、2009年の新型インフルエンザ並に世界中に広まったら、SARSの時の死者774人どころの話ではなくなるだろう。
もちろん、人類絶滅なんてことはないと思っているのだが、病院の飽和や、交通機関のストップくらいの騒ぎは起こってもおかしくない。
ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んでも、証券取引が数日で再開した回復したし、東日本大震災で交通機関も通信網も電機もとまる東京も、ケロッと回復したわけで、なにが起きたってなんとかはなるだろうが、やはり怖い。
そんなわけで、現時点での情報で考えたことを書いてみる。
生物系ではあるが、まだ学部生なのでいい加減なところもあるが勘弁。
ヒトの間で現在流行しているのは、H1N1(2009年に新型とされた豚由来)、H3N2(いわゆる香港風邪)
二つ以上の型が同時にヒトの間にあることは、今までの歴史からすると例外事象で、今までは新しい型がパンデミックを起こすと、旧来の亜型は姿を消している。(しかし、復活したこともある。どこに潜んでいたかは謎だ。)
1889~ H2N2と推定されているが、遺伝子を含めウイルスが残っていないため、証拠は薄い。
1900~ H3N8とされるが、やはりこれも推定。
1918~ H1N1通称スペイン風邪。鳥から豚、豚からヒトへ感染したらしいことがわかってる。1918-19年の大流行は1億人の死者をだしたとされる。これ以降もたびたび散発していたが、それ以降はそれほどの死亡率は出していない。1950年のウイルスが、1977年に復活しソ連風邪と呼ばれた。
1957~ H2N2通称アジア風邪。鳥のウイルスとスペイン風邪のウイルスが豚のなかで間の子を作り、豚からヒトにきたと推定されている。アジア風邪の流行とともにスペイン風邪は姿を消した。
1968~ H3N2通称香港風邪。鳥のウイルスとアジアかぜのウイルスが以下略。やはりアジア風邪は姿を消す。
1977~ H1N1通称ソ連風邪。1950年のものと同じとされている。研究所流出説等々囁かれているが謎。以後H3N2と共存
2009~ H1N1通称新型インフルエンザ。同じくH1N1だが、豚で維持されていた型でソ連風邪とは遺伝的に遠い。それまでのH1N1ソ連風邪の発生は急速に減少。このまま姿を消すかと予想されている。
散発例ばかりだが、16年間の累計で600人以上が感染して、死亡率は6割を超えている。
恐ろしいことに、発生例は世界中で、しかも同じH5N1といっても遺伝的に相当はなれたウイルス何種類もあるようだ。
ヒトヒトは現在ないとされているが、人から分離した株でワクチン(プレパンデミックワクチン)を作り各国で備蓄してる。
鶏に感染すると集団が死滅するほど強い病原性があるとされているが、近年ではそうでもないケースもある。
その病原性の強さを決める特徴的な遺伝子配列はわかっているが、鶏に対する病原性の強弱と、ヒトに対する病原性の強弱が一致するかどうかは謎。(スペイン風邪はそのような配列をもっていない。)
H5N1と同じく、鶏を片っ端からぶっ殺す養鶏関係者からしたら恐ろしい型。
50人以上が感染したが、死亡例は1人。
しかし、あとになってわかったことだが、感染者に関わった人間に抗体価の上昇がみられ、症状がでなかっただけでヒトヒト感染があったのでは?と疑われてる。
いわゆる香港風邪とは別に、豚で流行しているH3N2が新型インフルエンザの遺伝子の一部を獲得したもの。
変異型(varriant)としてH3N2vと区別される。
2011年から2012年の間で、なんだかんだで150人以上が感染したが、いずれも軽症。
パンデミックは常に豚からという歴史的な経験と豚と接触のない子供の感染例から、H5N1からこちらに注目が移りつつあった。
はっきりいって誰もノーマーク
麻疹、おたふくかぜ、風疹、水疱瘡はワクチンで防げると信じているし、インフルエンザワクチンだって毎年打ってもらってる。
しかし、基本的には、ワクチンというのは既知のウイルスにしか作れない。
ワクチンに限らず、全ての薬は、少なすぎては効かないし、多すぎては毒だ。
いったいどれだけの有効成分をバイアルにつめたら効くのか、どこまで安全なのか、わからない。
パンデミックが起きる起きると言われ続けたH5N1に対しては、どれだけの量で効くのか、どこまで安全なのか、動物実験でも臨床試験でもかなり確かめて、ワクチンが作られてる。
それでも、本当にH5N1のパンデミックが起きた時に役立つかどうかは、神のみぞ知るというところだ。
H7N9に対しては、おそらくデータらしいデータはなにもない。
一人分のワクチンを作るために必要な卵が一つなのか、二つなのか、三つなのか、あるいは百個なのかそれによって供給のスピードも変わってくる。
それを一つ一つ検討してたら、数年かかる。
今、ウイルスがヒトヒト感染を獲得して、加速度的な感染者増加があったら、間に合わない。
似たような問題は抗ウイルス薬にも言える。
しかし、やはりどのタイミングでどのくらい投与すれば効くのか、手探りだろう。
もちろん、ワクチンの問題に比べると、データの蓄積は早いだろうが。
製造の問題もワクチン同様だ。
石油からでも作れれば、原料が足りないという問題は少ないだろうが、原料となるのはある種の草。
ウイルスが悪さしているのは間違いない。
しかし、ワクチンや抗ウイルス薬でウイルスの増殖を緩慢にさせれば、どうにかなるのか?
肺に水が貯まるから死ぬとか、アレルギーに近いのような病態で死ぬとかだったら、ワクチンも抗ウイルス薬でどうにかなる病気ではないだろう。
そこらへんのデータもまだない。
手洗い、うがい、そういう基本的な対策しかないだろう。
空港での水際作戦も、ほとんどの病気がそうであるように、潜伏期がある以上、いよいよヒトヒトになったときはオマジナイ程度にしか頼れないだろう。
現時点で、ヒトヒトじゃなく、あるいはそれがあっても限定的であるならば、なにから感染しているのかを突き止めて、感染源を叩くしかない。
感染経路を特定するのが最優先だ。
遺伝子から想像する限り、鳥由来であるだろうが、感染源が鳥だという確証もない。
しかし、調査したサンプル数に比べて、汚染率がそれほど高くはない。
鳥からだけきているならば、鳥を制圧すればよいのだが、鳥以外のほかの動物からも来ている可能性を否定できない。
SARSの時は、通常一人の患者が数人に感染を広げていたが、一人が20人以上にうつすスーパースプレッダーと呼ばれる感染者が存在した。
今回も、そのようなスーパースプレッダーがいないのか?
行動・環境間の関係については動物実験を超え、人間に対する実証的な研究の段階にある
そもそも、どういう基準でもってそれを問題とし、それによって何が為されるのかを自覚があるのだろうか
ある人物が抑うつ的な気分で部屋に引きこもっている
では、抑うつ的な気分を晴れさせ、部屋から出て仕事が出来るように認知と行動を修正すべきだろうか
この問いに対して「あらゆる場合においても、それは為されるべきである」と言うのか?
社会適応が為されたその結果は、だれが評価し、正しいのか間違っていたかを判断するのだ
本人がその過程で「嫌だ、俺は一生部屋から出ない」と反発し、それを無視してもいいのか
会社に入り「行動修正のおかげです、ありがとうございました」と言うのはなぜ受け入れる
もし、抑うつと言うのが進化の過程で必要だから獲得した種としての機能であった場合どうする
また、周りはどうだ
社会適応で得られる変化と、引きこもっていた場合の状態ではどちらが重要か
人生を終えてみないとどちらが良かったか分からないという意見にはどう対応する
あらゆる人間を調査し、どのような状態であれば幸福か、間違いがないかを調査するか
よしんばそれが出来たとして、それを個々人のケースに適用する事に正当性や実用性はあるのか
また、そうした量的分析の結果と、人間性心理学や精神分析やエリクソンの発達課題にどれほどの差があるだろうか
行動分析学はあくまで道具だ
標的行動は人間が決め、どのような人生を歩むのかも人間が決める
では、何かの理論で定義された「人間とはかくあるべし」を手本にするか
理論を折衷する選択に治療者側の人生経験によるバイアスが掛からないとなぜ言える
結局の所、心理臨床の場は博打に過ぎない部分がある
「別のオスの影が見えるメスは伴侶に相応しくない」というのがある。
オスにとって最悪のシナリオとは
ツガイ相手のメスが別のオスの子を産んだのにそれを自分の子だと騙されて育てちゃう
というもの(もちろん間男オスや浮気メスにとっては最高のシナリオ)。
「別のオスの影が見えたメスとそのメスが産んだ子はあんまり大事にするな」
という本能をあたえてる。
これを人間関係に実装すると
要するに別の男とも付き合ってる女や男関係が激しい女は
遊びの相手としては好ましいけど真面目に付き合う相手としては好ましくないことになる。
遊び相手ならどうでもいいとして
大事にしてる彼女から過去の体験を語られると嫌悪感や吐き気がするし
本能が
「そのメスと子供はあんまり大事にしない方がいいんじゃないの?」
と警告を送ってるわけ。
動物実験でもあるんだけど
ツガイ動物(鳥)のオスとメスで、
ずっと一緒に居たメス(つまり浮気してる可能性が低いメス)が産んだ子供には
離れてた時間が長いメス(浮気してる可能性が高いメス)が産んだ子供には
オスは気の抜けた世話しかしないと。
難しいことを考えてるんじゃないだろうから
ある日の事でございます。教授様は大学の教授室を、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。右手に持つティーカップは、玉のようにまっ白で、その中の紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。教授室は丁度お茶の時間なのでございましょう。やがて教授様は窓際に御佇みになって、窓を蔽っている木々の葉の間から、ふと下の容子を御覧になりました。この教授室の窓の下は、丁度大学の実験室に当って居りますから、水晶のような窓ガラスを透き徹して、実験室の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます。
するとその実験室の底に、陀多と云う男が一人、ほかのポスドクと一しょに蠢いている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、データを捏造したりフォトショップで加工したり、いろいろ悪事を働いた万年ポスドクでございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男が動物実験室を通りますと、小さなマウスが一匹、廊下を這って行くのが見えました。そこで陀多は早速捕まえて、解剖しようと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうそのマウスを殺さずに助けてやったからでございます。
教授様は実験室の容子を御覧になりながら、この陀多にはマウスを助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報には、出来るなら、この男をポスドクの境遇から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をしたカゴの中に、教授様のマウスが一匹、美しい銀色の尾を垂れて居ります。教授様はそのマウスの尾をそっと御手に御取りになって、玉のような窓の隙間から、遥か下にある実験室の底へ、まっすぐにそれを御下しなさいました。
こちらは実験室の暗室で、ほかのポスドクと一しょに、浮いたり沈んだりしていた陀多でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しいウェスタンブロットのメンブレンのバンドが光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただポスドクがつく微な嘆息ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまなアカハラの責苦に疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが万年ポスドクの陀多も、やはりトランスファーバッファーに咽びながら、まるで死にかかった蛙のように、ただもがいてばかり居りました。
ところがある時の事でございます。何気なく陀多が頭を挙げて、暗室の天井を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色のマウスの尾が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。陀多はこれを見ると、思わず手を拍って喜びました。この尾に縋りついて、どこまでものぼって行けば、きっと万年ポスドクの境遇からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、アカポスに就く事さえも出来ましょう。そうすれば、もう実験室へ追い上げられる事もなくなれば、暗室に篭る事もある筈はございません。
こう思いましたから陀多は、早速そのマウスの尾を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。
しかし実験室と教授室との間は、何万里となくございますから、いくら焦って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中に、とうとう陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、尾の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた実験室は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しいウェスタンブロットのメンブレンも、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、万年ポスドクの境遇からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。陀多は両手をマウスの尾にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。ところがふと気がつきますと、マウスの尾の下の方には、数限もないポスドクたちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断れそうな、この細いマウスの尾が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の万年ポスドクへ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、ポスドクたちは何百となく何千となく、まっ暗な暗室の底から、うようよと這い上って、細く光っているマウスの尾を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、尾はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
そこで陀多は大きな声を出して、「こら、ポスドクども。このマウスの尾は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端でございます。今まで何ともなかったマウスの尾が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
後にはただ教授室のマウスの尾が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。
教授様は教授室の窓際に立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがて陀多が実験室の暗室の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり万年ポスドクからぬけ出そうとする、陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の万年ポスドクへ落ちてしまったのが、教授様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
しかし教授様のティーカップは、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白いティーカップは、教授様の右手で、ゆらゆら水面を動かして、その中にある紅茶からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。教授室ももう午に近くなったのでございましょう。
◆肩書、ハーバード大に確認せず
振り返れば、取材の過程で何度か、森口氏の虚偽に気づく機会はあった。
「ハーバード大客員講師」という肩書は、過去の新聞記事などで使われてはいたが、ハーバード大に確認していれば、否定されていただろう。
過去に森口氏が一流専門誌に発表した論文も、その後の確認取材で、専門家の厳格な審査「査読」を受けない自由投稿欄が多かったこともわかった。事前に詳しくチェックすれば、こうした不自然な実態を見抜けた可能性が高い。
また、〈1〉前提となるはずの動物実験の論文が確認できない〈2〉倫理委員会で承認されたとの確証がない――といった点を軽視せず、取材を積み重ねていれば、今回の誤報は避けられただろう。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00140.htm?from=tw
問題は記者の専門知識の不足ではない。
無数に枝分かれした分野の先端を記者があまねくフォローできるような体勢を敷くことは現実的に不可能だ。
また、学者を紹介する際、業績や肩書きを所属機関等にダブルチェックしていない事を責めるのも酷だ。普通、大学の公式サイトに森口氏のプロフィールが乗っていればそれを信用するし、もし虚偽ならば大学側の責任でもある。
ただ、それでもこの誤報は防ぐことはできたと思う。疑うべきだったポイントは2点。
「わざわざ学者が自分で新聞社に売り込んできた」という不自然性と、「今後大々的な発表を予定している」と言う不確実性。
記者は、こんな成果なら放っておいても大騒ぎになるのになぜ自ら売り込むか、問うべきだった。
そしてデスク側は、少なくとも正式な発表と学会の反響が”事実”として確認できてないうちに、なぜ急いで大々的に掲載する必要があるのか、問うべきだった。
http://anond.hatelabo.jp/20120806205751
スポーツフィッシング、スポーツハンティングは、「食べるために動物や魚を狩猟する過程を楽しむ娯楽」だと思ってたけど、
「食べることを目的としない狩猟・漁」だから「スポーツ」と称するようですね。
食べるためでもないのに命を奪うのはたとえ対象が魚であっても嫌なので、「スポーツフィッシングは抵抗ない」と書いたのは取り消します。
最終的に釣った魚を食べるならば、あるいは鳥を撃ち落すのでも最終的に食べるならば、狩る過程をレジャーとして楽しんでいても問題ありません。
ただ、ウサギや鹿や熊やアザラシは、食べるために狩猟していたとしても、その殺す過程を楽しんでいたとしたら嫌だし、
楽しんでいなくても「素手で直接」殺していたら、その人とは付き合えない。
銃で撃ち殺す分には、その「手」が動物の血肉で汚れていないから、付き合える。
逆に、たとえ自分自身では動物を殺害してなくても、殺された直後の動物の皮を剥ぎ取るとか解体するとか内臓を引きずり出すとかしてたら、
触れられたくないと思う。結果別れるんだと思う。
食べるためでなく毛皮を採るためにウサギや狐や狸を殺すのは論外だし、たとえ自分で殺していなくても動物の毛皮を剝ぎ取る仕事をしている人とは付き合えない。
蛇やワニを食べるわけでもなく皮を採るために殺す仕事だったら、殺す過程を娯楽にしていなければ大丈夫かなあ?嫌は嫌だけど。
自分では蛇やワニを殺さず、殺された彼らの皮を剥ぐだけの仕事だったら、手を洗ってくれれば触れられても嫌じゃないから、付き合えると思う。
魚は鳥は虫は?動物実験する人は?漁師や猟師は?害虫駆除業者や害獣駆除業者は?兵士や軍人は?
多分私の許せる許せないの基準は、
「殺生の目的(食べるため・自分の命を守るためか、それ以外の非自衛的なものか)」と、
「殺害対象の種族・属性」と、
同じ殺生でも、直接対象を触って殺すよりも、触らず殺す方が許せる。
対象を確認できる殺し方よりも確認できない殺し方の方が許せる。
屠殺業者も動物実験をする医療関係者も動物を素手で殺していることには変わりないが、
後者はその「手」で殺した動物以上の生命を物理的に救う作業をしている。
屠殺業者も猟師も食べるために動物を殺していることには変わりないが、
後者は直接対象を触っていないし、対象との間に距離があるし、銃弾は刃物よりも殺傷した手ごたえが弱い。
素手で殺すより刃物で殺す方が、刃物で殺すより銃や薬物で殺す方が、銃や薬物で殺すよりミサイルや爆弾で殺す方が、自他共に殺生をしているという実感がなくなる。
実際奪った命の重さに変わりないから、実感がなくなる方が問題なのかもしれない。
対象の苦痛が軽減されるから殺生の罪が軽くなるという理屈からそう感じているのかもしれないが、逆に対象の命の重みを軽減することでもある。
基本的に気絶させてからじゃないといけないらしくて電気ショックで仮死状態にするとは言ってましたよ。
でも素手で殺すことには変わりないようです。
見た動画はどこかのアジアの国の近年の映像で、殺しているのは屠殺業者ではなく一般人でした。
ですから、日本や欧米ではちゃんと資格を持った人が設備を整えてもっと人道的な方法で行っているのだと思いますが、
いかんせん相手は規格化された物ではなく生き物だから、機械化には限界があって、最後には人手に頼るしかないそうです。
害虫駆除業者はもちろん、魚介類を捕る漁師にも全然偏見ありません。
むしろ虫を殺して合掌するという感性の方が理解できません。
脳があるのかもよくわからないし、意識とか自我とかないと思うし、生物というよりコントローラー付きの機械みたいなものだと思いますが。
ましてや植物を摘み取ることを「命を奪う」行為だと考える感性に至っては理解不能です。
生命をどう定義するかによるけど、植物は生命体じゃないでしょ。
細胞分裂して増殖して自己複製して自己保存しようとしていることが生物の条件だと定義すれば、無理やり生物とみなすこともできるのかな。
でも少なくとも動物じゃないし、生えているか枯れているかの状態の違いはあっても生死の観念を適用できるものではないと思います。
あと実験動物も普通の動物と変わりないから同じようにかわいいよ。
それが理由かわからないけど動物実験している人にも生理的な嫌悪感は沸き起こる。
でもそれ以上にその人は人間や動物の命を救っている。「生き物を生かす技術」をその手に持っている。
屠殺業者は、毛皮を取るための業者もそうだけど、動物を殺したその手で他の生命を救っていない。から嫌なんだと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120806013304
結論を言うと彼とは職業を理解できないということでもう別れた。だからこうして書いてる。
とあるSNSのオフ会で知り合ったのでお見合いとかみたいに身分証明があるわけでもないから、
豚の頚動脈を掻き切って血抜きして失血死させるそうです。
どうやるのか気になるならネットの動画でも見てみて、それが真実だから、って言われて見た。
とてもじゃないけど最後まで見ていられなかった。
豚が悲痛な悲鳴をあげていて、数人がかりでそれを押さえ込んで首にナイフで切れ込みを入れて血を絞り取っていた。
それでもまだ豚は生きている。
彼に触られそうになるたびその映像がよみがえってきて、鳥肌が立った。
こんなんじゃセックスするなんてとても無理だ。
親の実家でも卵をとるための鶏を飼っていたけど自分たちで〆て殺したりはしてない、と親から聞かされていた。実際見た覚えはない。
自分でやるのは嫌だけど、たとえば結婚して姑から料理の腕前を見せてみなさいといわれたらやると思うし、すぐ慣れると思う。
鶏〆て殺すのは・・・それ「だけ」を仕事にしてたら多分受け入れられないけど、それ「も」仕事のひとつにしている、ぐらいなら許容できる。
シロアリ駆除業者は問題ないけど、同じ駆除業者でも、ネズミやハクビシンやいたちを素手で殺している人とは付き合えない。
実際追い詰めたネズミを槍で突き殺したり、火であぶり殺したり、水攻めして殺したりする業者もいるらしい。無理。気持ち悪い。
ゴキブリや蚊やハエや蜘蛛を叩き潰したり殺虫剤やゴキブリほいほいで殺すのは全く問題ないし自分もじゃんじゃん殺す。
民家の前や住宅街に出没したクマを人間を守るために銃殺する猟友会は許容できるけど、
鹿やウサギや狐や鳥を食べるためであっても娯楽で狩猟するハンターはだめ。
食べるための魚を釣るなら、釣る過程を娯楽として楽しんでいても、抵抗ない。
蛇やワニの皮剥ぎとってる人は、気持ち悪くはあるけど、食べるためのお肉を採るついでに皮も剥いでるだけなら問題ないかな。
牛殺す人と付き合うのも無理。イルカとか鯨狩ってる人も無理だ。
犬猫殺しはたとえ食べるためでももう体が拒否反応起こす。その人の顔見ただけで吐くと思う。
魚のお頭は何とも無いけど、爪がそのまま残っている鳥の足の焼き物を食べるのはちょっと気持ち悪いし(中華圏で普通に食べられている)、
鳥や豚の丸焼きも食べられない。
鳥のお頭がそのまま売られていたら目を背けるだろうし豚や牛の頭が置かれてたら悲鳴をあげて走り去ると思う。
許せるものと許せないものの間にラインはある。でもどんな根拠でそのラインが引かれているのか、わからない。
動物実験は、医療の発展というという大義名分の下単なる虐待行為も多々行われているのだろうけど、
基本的に人間や動物の病気や怪我を治療するのに役立つ研究ならば、行為者を忌避する感情は起こらない。
なんでこう思うのかわからない。でも抗えない。
動物実験ならある
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=09-03-01-05