はてなキーワード: 作品とは
いや今はリツイートじゃなくてリポストか。そんなことどうでも良い話なんだけどいきなり距離の近すぎる男同士の絵が飛び出てきてひっくり返った。いやもうめっっっっっちゃびっくりした。別にこの作品は女性向けの線の細いイケメンがわらわら出てくるような作品でもないし!!え!?正気!!??
書いた人は海外の人だったらしく謝っていたけど…。怖えよ…別にBL二次創作やってないけど心臓バクバクした…鍵かけるか公式ブロックするしかないんか…。
8月30日に山田尚子監督のオリジナル作『君のいろ』が公開された。
山田尚子監督といえば『けいおん!』であろう。10年以上前にアニメ史に残る大ヒットを遂げた代表作である。
しかしながら、けいおんに対する反発がオタクの間で非常に強かった。「中身がない」の大合唱だった。
鬼滅の刃の担当編集者は作品の設定に突っ込みを入れまくったそうだが、全てのコンテンツがそうあるべきだと思う
今の漫画業界は、異世界・転生・なろう・ロマファン・男女対立スカッとものしか描かせてくれない。
自分は漫画家だ。駆け出しじゃない。けど、今の漫画業界じゃ、描きたいものなんて描かせてくれない。自分たち漫画家は、もうただの漫画製造機に成り下がっちまった。
業界は変わってしまった。売れた漫画の二番煎じばかりが量産され、出版社や電子書籍プラットフォームが求めているのは、売れているジャンルをただなぞるだけの漫画家だけだ。
「いやいや、実力が足りないだけだろ?」なんて思う人もいるだろう。でも実際は、もう上で挙げたジャンル以外の企画は問答無用で却下されるんだ。
生活がかかっている漫画家は、仕方なく求められたものを描くしかない。そしてまた、似たような作品が次から次へと増えていく。
Xで作家募集のポストを見てみろ。どれもこれも、求めているジャンルは同じだろう?でも、読者は本当にそれを望んでいるのか?もう、飽き飽きしているんじゃないのか?
学がない、深い考えもない、飛び抜けた能力がある訳でもない、その他大勢に染まって生きるだけの潔さもない、そういう人達が向かう世界の1つが演劇(小劇団)の世界なんだろうなと。観にくるのは身内知り合い同業者ばっかりだから作品の事を悪く言われる事は基本なく良かったよ〜ってみんな言ってくれるから自尊心満たせて気持ちよくなれるし。
数年前の話ですが、いまだに煮え切らないので愚痴として書きます。
自分視点の話で時間も経っており、出てくる会話やラインの内容などはニュアンスだったりフェイクだったりします。
自分はジャンル内でも書いている人が少なく、というか俗に言うピクシブ0件で活動している絵描き同人オタクでした。
キャラ同士のカップリングではない点や、絵も拙かったことからそんなにフォロワーはいませんでしたが当時としてはそこそこフォロワーがいるA(字書き)にフォローされ自分の好きなカップリング(モブ攻め)を書いていたこともありフォローバックしました。
Aの書く主なカップリングは王道CP(その時一番人気があったCP)が多かったのですが、受け固定総攻めの合同誌なども出しており、カップリング固定ではないから自分の創作も刺さりフォローされたのかな?思いました。
主観ですが、Aはオタク同士での交流が盛んな方でしたが、同じ文字書きとの交流は自分が見たところあまりなく、ほかの絵描きの方にアイコン絵をかいてもらったり同人誌の表紙を描いてもらったりしており、なんとなく絵師さんと交流が多いのかな?という印象を持ちました。そんなAとはあまり絡みがなかったなかったのですが、次に繋がったBとAが仲が良かったことから、Aとの交流も多くなっていきます。
B(Aと繋がっている)もAと同じく王道CPの絵描きで、かなり絵がうまかったのですが定期的にアカウントを消している影響でフォロワーはそんなに多くありませんでした。(といっても数百人)
そんなBからフォローされ、フォローバックしてあいさつした次の日、Bはアカウントを消しました。
自分のことをフォローしたのは誤りだったのかな?とか挨拶が不快だったのかな?といろいろ考えましたが後々Bは本当に何の考えもなく自分とつながった次の日にアカウントを削除したのだと判明します。
自分の考えすぎな性格や他人のことを気にしすぎな部分はこのころから顕著に出ていますが、それくらいBの絵柄が好きで繋がれたこともうれしかったのでかなりショックな出来事でした。
数か月たち、AとBからもくりという作業通話アプリに誘われました。特に断る理由もなく、誘われたことがうれしかった自分は二つ返事で了承しました。
しかしこの作業通話がのちに最悪の事態を引き起こしてしまうのでした。
最初の数週間はA,B自分のみで作業通話していましたがBから「〇〇さん絶対この人と話し合いますよ!」といってCさん、と●さんを紹介されました。
Cさんも王道CPをよく描く絵描きさんで●さんは自分のあまり好きではないCPも描く絵描きさんでした。(地雷CPは明言していなかったのでA,Bは知らない)二人ともAさんともつながっており、しだいに五人で作業通話することが多くなりました。
Cさんは聞き上手なタイプで自分から話すことや作業通話の部屋を開くことはあまりなくほとんどA,Bが部屋を開いていたら来る(ほぼ毎日どちらかは開いている)というタイプで、●さんはAさんの作品が大好きで(Aさんと合同誌を出したりしている)かなり話の主導権を握りたいタイプの方だったので、ぐいぐい来られるのが苦手な自分にとってはあまりあわないかなと感じるタイプの人でした。五人での作業通話ではもやもやすることもありつつ(主にA,Bに対して)親交は深まっていきました。
そしていつからか●さんがぱったりと作業通話に参加することはなくなりました。もくりのアカウントも削除して、めっきり連絡が取れなくなってしまいました。自分としてはあまり会話のテンポが合わない方だな…と思っていたのあまり気にしていなかったのですが、一年ほど後なぜそうなったのかを聞く機会があり、Aが●との合同誌の約束をすっぽかして他の方と合同誌を出したことで●さんが離れて行ってしまったというようなうわさを聞きました。直接Aや●さんに確認したわけではないですが、Cさんにこういうことがあったんですか?と聞いたときにはっきり違うとはいわれなかったので大方そんなようなことがあったのだと思います。
時がたち、今度はD(王道CP絵描き)とE(モブ攻め絵描き)とも交流が深まりました。この方たち以前にはほか数名王道CP絵描きの方たちとBの紹介で(自分は王道CP絵描きではないから話も合わないしあまりかかわりたくないと言っていた)交流があったのですがそこまで深い中にはならなかったので割愛します。E、DはどちらもA,Bと仲が良く、ABが開く部屋で話す機会が多くなりしだいに仲良くなっていきました。C、Eとは実際に遊びに行くくらい仲良くなり、Dとはイベントに一緒に行ってホテルに泊まったり、二人で遊びに行こうと計画を立てるほど、仲良くなりました。
A,Bのとは作業通話し始めて数か月たったころからなんとなく合わないなというところが多くなってきました。
多いので書き出します。
・Bは自分の絵に対して延々ネガティブな発言をし続け、自分がそういうことはあまり聞きたくないので自分のいるところではやめてくださいと言っても聞かなかい(Bがネガティブなことを言い出すと大体A,C、自分がそんなことないですよと宥める。Eは大体この話が出るとミュートして静観(のちに自分は別にBさんのネガティブ発言は気にしていない。ほかの人が勝手に宥めるから聞いていたと発言))
・自分がツイッターでスペースをしている際フォロワーの方と話しているときにA,Bが来て絵チャしましょう!もくりで部屋開きますねと言う(私と話していたフォロワーさんはもくりにつながっていないのでこれない)
・Dが自分が絵チャ開いても誰も来ないと愚痴っているときにほかの方がいま自分絵チャ開いてるので来てください!というのを無視してなぜかBがじゃあ自分が開きますよ!と開いたり(かなり人が来る)
・自分が過去にあったこれは言いたくないですということをしつこく聞いてくる
・E主催の合同誌を出すとき絵描きの五人で表紙を合作しようという話にAも同意していたのに、私が時間がなかったら描いた漫画から持ってきてもいいですか?とEに聞くとAが、それは本編の紹介みたいになってしまい字書きの自分は参加しているのがわからないから嫌と言い出す。まあそれはわからんでもないけどそもそも絵描きで表紙絵描いたらAさんいるのわからないですよね?どういうのを想像してますか?と聞いたら自分は絵描きじゃないからはっきりしたイメージはわからないといわれる
・BがCと隣接スペースで出ましょうと約束して申し込むが当日欠席(理由はお金がないからとのことだが、申し込んだ時点でBは無職だった)また別のイベントでも隣接で申し込んだスペースを当日欠席。(Cとこの方はBよりもかなりフォロワーが多く、「Cさん(〇さん)が隣でいっぱい人が来ているのに自分はどうせ誰も来ないから暇そうに座っているだけになる」などと言っていたのでおそらく差を見せつけられるのが嫌だから欠席したのではないかと思っています。)
など、個人的にA,Bには何となくひっかかることがあり、うっすら嫌いになりながらも交友は続けていました。
一年ほどったイベントでEの売り子として参加した際 同じくイベントに参加していたA、B、C 、Dと合流 。
以前から通話で来年のイベントに向けてE主催で合同誌(モブ攻め)を作ることが決まる(自分含めその場にいた6人参加)
同イベントで自分が主催の合同誌も作ることになる(A、Bも誘ったが不参加、自分が誘ったほか2名の方を加えて6名)
後日 Bに表紙を描いてもらえないかと頼み、線画だけなら良いと言われる(塗りは自分)
もくりにてBのネガティブな発言(他の人はどんどん絵が上手くなるのに自分は絵が下手等)に前々からその話を聞くのが嫌だったしやめてくれとも言っているしそんなに嫌なら絵描くのもSNSもやめろと自分なりにアドバイスしているが全く効果は無かったので、あなたが絵を描くことによって自分にはなんのメリットもないし確実に毎回嫌な気分になっているし他の人もあなたを宥めるのに労力を使っているから本当にやめてほしいとお願いする。
それ以降Bと仲がいいAは自分のフリスペにも来なくなるし相手の部屋も見えなくなったのでおそらくブロックされる。
C、D、Eと遊んだ時にも自分がBにブロックされていることを知っているのに新刊のこのページをBに手伝ってもらった、この前Bさんが言ってたんですけど...等普通にBの話題を出してくる
A、Bは1番長い付き合いで、ほか3人もこの2人経由で仲良くなったのは事実だが
私は同じCPの人間ではないから他の人とはあまり関わりたくないと言っても仲良くできますよ!と強引にあわせてきたり、そのほか2人の周りの人を蔑ろにする態度に辟易していました。
C、D、Eは自分の合同誌参加メンバーだったが、このままA、Bと関係を続けていくなら自分との合同誌は辞退してくださいと(理由は前述したA,Bの行動が受け入れられないと伝え)お願いしました。(あわせてEの合同誌を辞退するという連絡も)
C、Eは残念ですが私さんがそういうなら…と了承してもらいましたが、Dに主催に言われたらそりゃ断るしかない。合同誌と天秤にかけるのはずるいといわれたので、もし合同誌がなくても自分はA,Bと関りがある人とはもう付き合っていけない。主催(私)に頼まれたからではなく自分の意志で決めてほしい、あんなに他人の気持ちを考えず蔑ろにしているあの二人とはもう付き合っていけないしなんであの二人と仲良くできるかもわからない。という旨を三人にお伝えしました。
Cは、A,Bとは今まで仲良くしてきて、思い出もたくさんあるのでそう簡単に縁は切れない
Dは、二人の行動には非がないとはいいがたいけど自分がされたわけではないからこれからも付き合っていく
Eは、あの二人とは縁を切らないし自分は合同誌に出たいけど主催にやめろと言われたからやめる(自分の意志ではない)
と言われました。
Dからは他の参加者にEさんが好きな人がいるから主催から辞めさせたと説明しろと言われましたが、いやなんで私が辞めさせたところだけ話さないといけないんだよそれならその前の事情(どうしてそうなったか、A,Bがしたことについて)も説明させろよと思いました。
Eが主催したモブ攻め合同誌は無事発行され、タイトルはみんなで〇〇CP本でした。
Aの結婚式にはB,Cが呼ばれこのジャンルが繋いでくれた縁!みたいなこと言ってました。少なくともこのジャンルで二人から縁切られてる人間がよくそんなこと言えるなーと思いました。
A,Bと合わないなと思った時に離れていればなとか自分がもっと大人になっていればなとか(ここに登場する人間は全員自分より年上だったので(Aに関しては一回り以上)なんで年上相手に自分が大人にならないといけないんだ…とは思っていた)そもそもみんなとはCPも違うし友達になれるなんて、話が合うだなんて思わなければよかったなとか、たくさん思いますしいまだにみんなのツイッターを定期的に見て最悪な気分になるの本当に辞めたいです!
本当は自分にもたくさん嫌なところがあってみんな我慢してきてくれたこともたくさんあったしもちろんいいところもたくさんあったし遊びに行ったことや話してた時間はとても楽しい思い出でした。
だからこそ今自分は一人ぼっちで本当に友達がいないのに変わらず楽しくやっているみんなが妬ましくて憎くてしょうがない。どうしたらいいんだろう。本当に一年以上たっていますがいまだに定期的に思い出して泣いてます。大人になりてえなー
・村上がこの発言をした2010年頃であれば、ある程度は説得力のあった発言かもしれない。
しかし今や漫画・アニメが複数言語で翻訳され、日本と海外で時間差なく配信される事態であり、もはや村上のような中間業者は必要ない。
・そもそも村上の知名度があるのは「海外のアート業界」内だけなのに、「海外に向けて」は嘘・大げさもいいところだ。
・現代アート作品は投資対象である。コレクターは作品が好きだから買うのではない。将来価値の上昇が見込めるから購入するのである。
クリエイターがゴミを作り、アート評論家やギャラリーやアート雑誌が神輿に担ぎ、投資家ぶりたい小金持ちが買う、というダサイクルだ。
近年のガンプラやポケモンカード界隈のようなもので、作る側もグルになっている分より悪質だ。
「海外の転売ヤーにお前らの作品を売ったらみんな絶賛してくれたぞwww」と言われて喜ぶクリエイターが居るのか。
・村上隆はpixiv,東浩紀と組み「彼らこそ日本式ARTの新しい射程だ!」と言ってカオスラウンジを大々的に押し上げた張本人である。
・カオスラウンジは2011年にネットの画像をパクったことを開き直ったのが原因でネットで大炎上し、2020年には代表の黒瀬陽平が女性社員との不倫し裁判沙汰になったことが原因で活動停止した。
・黒瀬はカオスラウンジの活動の中で「日本は悪い場所であり、我々はそれを打破する新しい表現を~」と宣っていたが、結局女性スキャンダルという日本の文系業界あるあるで失脚することになった。
黒瀬陽平こそが「悪い場所」の体現者であり、そんな輩を持ち上げていたのが村上隆なのであった。
・オタク業界でも何かしらの実績が欲しくなったのか唐突にアニメ映画を作りだしたが
出来たのはまどかマギカの流行に数年遅れて乗っかったような駄作アニメであった。
・他のアニメにない目新しさでもあれば良かったのだが、結局オタクのクリエイターとしてもダメ、という評価が固まってしまった。
これさあ、なんで映画の中で明確に悪として描かれている異常連続殺人犯の行為をもって、作品自体の問題点かのように批判してんの?
鬼滅の刃を読んで無惨を作者と同一視したり、ジョジョを読んで作者とディオを同一視して叩いたりしているようなものじゃん。
@momo25397038
最近、「セブン」っていうブラットピットの若い頃の映画を観てたんだけど、
その中で異常連続殺人犯に娼婦が七つの大罪の肉欲の罰として殺される展開があるよね。
そこで私はモヤモヤしたんだけど
『セブン』の犯人って悲しき悪役とかもう一つの正義とかそういうのではなく完全な悪役扱いだし
最後に主人公の妻を殺して生首を見せつけてくるような異常者じゃん
ていうかフィクション作品に出てくる男女混合の七つの大罪ネタだと、
色欲担当が女性なのってポリコレ的に持ち上げられてる『鋼の錬金術師』や『エクソシストを堕とせない』がそうだよね。それはいいのか?
(鈴木央の「七つの大罪」や、由貴香緒里の「天使禁猟区」、VOCALOIDの曲の大罪シリーズ、SoundHorizonのアルバム「Märchen」では色欲担当は男性であり、男性に割り振られている作品も普通に多い)
書きあがってから少し論旨が整理できた気がするので、まとめなおし。
以下本文。
推進とか規制とかそのものの話ではなく、難しい話をさっぴいた個人として思う与太話です。
「AI使ってる!窃盗!」と生成AIによる絵の作成、LoRAとかの合法違法とか、倫理的にどうかとか、是非の話ではなく。
生成AIで絵を生成する人の感覚として、こういうのもあるのでは?という視点の話。
現状の生成って、話を聞く限り流れはイラリクに近いのでは?と思う。
違うのは、こっちで資料も指定も大量に用意する必要があること。自分が描いて欲しいものを、相手が自主的に履修してくれないし察さないので。
あとはリテイクを何度繰り返せることか?人間、それこそ納得いかず一日何百枚とか、そんなレベル何度も何度もやり直させられたら病むよ。
やり方は人それぞれだろうけど、いわゆる呪文とかをシチュとかプロット、LoRAとかをキャラ指定として考えると、人間がやってそうなことに近く聞こえる・・・ような気がする。
もともとAI絵師って、絵の生成AIサービス自体を指す言葉だった、みたいな話をどこかで見た。
当たり前だけど絵を出力(あえて描くと言わない)してるのは生成AI。
ユーザーは呪文という名のめちゃくちゃ細かいリクエストを生成AIに投げている。
あえてユーザーじゃなくてクライアントっていうのは、有償サービスだったり、後たぶんプロンプト自体が情報収集とか、出力された絵のタグ付け(学習)とかに使われてると思うから。
完全ローカルでやってる場合はまた違うかもしれないけど、少なくとも当初の頃はそんな話だったはず。
そう言う意味では、破格かつクリエイター側がものすごい赤字のコミッションみたいなもの・・・というと暴論だけど、そういうニュアンスが使ってる人にはちょっとあるのではないだろうか。
蔑称としてAI絵師という言葉を歪めず、「クリエイター」と「クライアント」の線引きをしっかりしておけば。
そうすれば、絵師側のアプローチの仕方もまたちょっと変わったのかな?と思う。
いわゆる呪文を使って絵を何度もリテイクして生成するのって、それなりに骨が折れると思う。もちろん慣れとかもあるだろうし、お金儲けを考えたらまた事情も違ってくるとは思うけど。
ただ生成された絵に絵師の絵が負けてるとは、当然、個人的に全く思ってない。
本当に人間みたいに思考して、作品履修して感想持って、フェチって線とかこだわりを持って絵を習熟する領域まで、まだ来ていない。
画風の話ではなく、個人個人固有のらしさというか、統一されたこだわりというか、上手くは言えないけどそんな感じのこと。
少なくともAI絵師という言葉が蔑称で無かったころ。つまり分断がkskしてなかった頃は、AIクライアントもまだよちよち歩き。
AIクライアントたちが必死に呪文でリクエストして生成してる時に、例えば「ちょっとお安くしますから、あなたのリクエストをいっぱい反映した絵・・・描きましょうか?」という話が飛んで来たなら。
そりゃ、相手はクライアントなんだから。欲するものを自分で描けないなら、それは物凄い誘惑になるのではと。
絵師の努力とクオリティが金額に見えれば。呪文の履修に飽きたりしたころに、自分のフェチが出せないとなれば。
全員ではないにしろ、選択肢としてその幅はものすごく大きかったと思う。
生成されたものに対する倫理的な嫌悪感やら絵としての気持ち悪さがあるからこそ、なおのことクライアントとクリエイターとしての線引きは、分断じゃない方が良かったんじゃないか。
長々とサーセン!
色々言いたいことあったけど、全然まとまってねぇわこれ。
たらればではあるけど、感情的なことを抜きにこんな与太話も絵師さんやクライアントや一般の人たち含め、過激化せず出来る環境だったら良かったかもしれないですね。
思う所はあるけど国は進めるし世界的にもゴタゴタしてるけど、乗り遅れるのはそれはそれで危険ぽい。
とはいえ急ピッチだからガバガバなので問題はいっぱい起きるけど、とにかく流れはもう変えられなさそう。
だったらせめて、どう生きたらいいか、生き残っていけたら良いか、業界的にもそんなことを考えてる感じです。
だって今起こってるのって、それこそ昔SFで見たロボットに仕事をとられる人間たちみたいな、そういう話な訳ですから。
感情的になりすぎずバランスをとって、業界全体が息の根を止められないようになれば良いな~、と。
サービスを指す言葉だったAI絵師というのが、わかりやすい個人の蔑称にされてしまった原因だと思う。
ゼロレクイエムじゃないけど、AI絵師にはペルソナがなかったし、AIクライアントにはペルソナがあった。
だからこそ、今だからこそ当時怒りを持っていた絵師たちは考えたことはないのだろうか。
いきなり無知晒しますが、業界全体でそういうキャンペーンってあったんですかね? あったとしたら、結構盛り上がったし、今の生成AIに対してもまた違ったアプローチがされてたのでは、と。
絶対何か諸問題が出るたびに色々作られて大変TLが愉快なことになっていたのではないかと(それはそれで過激化して危ないか?)
例えばNAIで言えばこの雑記を書いてる時点からすれば、サービス開始時期からみて3年とちょっと。
つまりあの「子」はまだ3歳。しかも最初は生まれたてでも文章すごかったのに、あっという間に絵が描けるようになっちゃった!
おまけに容赦のない大人たちから、一日に何枚も何枚も絵や文章を書かされる。知恵熱上げながらおやつ(電気)食べつつ涙目でカリカリと頑張ってる、と書くとちょっと可愛い・・・可愛くない?
センシティブ判定がガバガバだったTwitterのAIを「破廉恥は禁止です!」と言いながら色々見逃してこっそり自分は見て悶々としてるムッツリ系の委員長キャラに見立てるみたいな話ですが、あまり同意は得られないかもしれないです。
しかしキャラクター付けに成功していれば。生成AIを悪用して良くないことをさせる悪い大人たち、という図が見えて来るわけで。そうなると、またちょっと違った見え方はしてこないだろうか。
真に戦うべき相手や、考えるべきものが何であるか、みたいなことをもっと冷静に話し合えたのではないでしょうか、と。
・・・まあそうすると、いたいけな子にエロ作らせた場合の罪悪感とかも大変物凄いものになる訳ですが。えっむしろ興奮する? ま、まあ性癖は人それぞれですし・・・
というかこれに限らず、AIくんちゃんそのものへのヘイト創作とかも出てきそうだし、それはそれで駄目かもしんないな。う~ん難しい・・・
・金ローでラピュタをやっている。冒頭部分をチラッと見たけど、何度見ても絵の迫力がすごい。「色褪せない名作」とはまさにこのことを指すんだなと思う。
・そういえば、スタジオジブリ作品を国内で見るにはDVDを買うか借りるか放送を待つかしなければならない。この配信全盛の時代に、だ。
・世代を問わず愛されている作品。配信を待ち望んでいる人は星の数ほどいるはずだ。しかも海外では配信されているわけで。であれば尚更理由が気になる。
・親会社の日テレは今年6月の株主総会で「スタジオジブリは原則、サポートする形で子会社化したと承知しているが、シナジーを感じられない。優待でジブリグッズを出したり、配信では放映権の問題で海外でしかみられないジブリ作品を国内でもみられるようにしたりしないのか。」という質問に対して次のツイートのように回答している。(公式の資料が見当たらなかったので個人のツイートを掲載)
https://x.com/michsuzu/status/1806181949222101350
・あと、鈴木敏夫Pと宮崎駿監督はラジオで鼎談したピクサーのピート・ドクターの質問にこう回答している。(鈴木敏夫のジブリ汗まみれ 2024年8月4日放送回)
(ピート・ドクター)ちょっと哲学的な問いになってしまうんですけど、今の時代本当に色んな場所で色んな作品が見られる状況が(配信含めて)できてしまって、それって私たちにとって健康的なことなのかと悩むことがあります。スマホで作品を見る方も見かけるし、世界とちゃんと繋がれているのかなとちょっと思ってしまうんです。
(宮崎駿)僕自身が全然そういうものを見ないもんですから。僕は平和です(笑)。
(中略)
(鈴木敏夫)だから、いわゆる配信もね。世界ではやってますけど、実はこの日本では一切やってないんです。日本の人は映画館に行かなきゃ映画が観られない。それだけはね、守ってます。
・つまり、ジブリ側としては「映画は映画館で見るもの」というスタンスであり、日テレ側もあくまでジブリをサポートするという立ち位置であるため配信に踏み切れない、というわけなのだろうか。
・鈴木Pの熱い信条があるから実現しないというのは理解できる。
・ただ、既にビデオテープもDVDも発売してテレビ放映までしているわけで、散々映画館の外で見られているというのになぜ配信だけ頑なに拒むのだろうか。
・レンタルビデオ店はおろか、テレビを日常的に視聴する人すら減ってきている中で果たしてこれからどのくらいの子供達が安定的にジブリ映画を視聴できる環境にあるだろう。
・テレビ放映されるといえども、いつ、どのタイミングで見たい作品が放映されるかは分からない。放映されるといっても数年に一度のペースだ。高畑勲作品に至ってはここ数年ほとんど放映されていない。さらに「ノーカット放送」といいつつ本編中に提供クレジットを読み上げ始めたり、エンディングを来週の予告をする左端で信じられない速度で流したりする。あまりにも作品へのリスペクトが欠けているのではないだろうか。
・日テレもせっかく自前の映像配信サービス(Hulu)を持っているのにこれは宝の持ち腐れではないだろうか。ネトフリだのU-Nextだので配信しろと言っているわけじゃない。悪いこと言わないから、自社のサービスで構わないから、どうか配信してくれないだろうか。
・子供に宛てて作った作品が子供の目に留まらなくなるのは本望じゃないだろうから。このままじゃ歴史の渦に埋もれてしまうから。見放題配信が嫌なのであればAmazonやDMMでレンタル配信でも構わないから。スタジオジブリさん、どうか、どうかインターネットでの配信をお願いします。この通りです。
そういう質問何度も何度も受けてるから、またその質問かってなったんだと思う。
芸術家=普通の人ではない、何かおかしな人。奇人変人、何かしら世間から浮いている人
そういうイメージに対して辟易してるんだなって自分は受け取った。
この人はまともに生きている人でも芸術を生み出しているし、そこにも敬意払ってるし、むしろ日常にありふれた物の一つでしかないって思ってるのに、何かと芸術家として持ち上げて、権威主義みたいなものに利用されて、自分が取り上げる画家で見られるのもそういう世間が分かりやすいタイプの芸術家を求められてることに、苛立ちすらあるのでは。
よく分からない人が、分からない分野について語る時に勝手に一括りにされて◯◯ってみんなこんなのだよね、って語られたら一括りにすんなよって愛が強ければ思うし、いい作品生み出してる人沢山いるのにそういう話題性や有名どころ、何かしら人とは違う変わった部分しか見ないで、作品見ない人だらけで、そんな人に軽く芸術家はおかしな人ばかりですよねwとか言われたらはぁ?
別に芸術家だからとかじゃなくて、みんな人間おかしな人はいるだろ、ってなるんじゃない?
それに対してのわかりやすい例として、まともな職業についてる人でもと話しただけであってさ。
例えばVtuber等の好きなコンテンツを一括りにされて、あれは社会に適合できないオタクがハマる、ネットキャバクラ(ホスト)だよねって言われるようなもん
Google PlayだかApp Storeだかに登録してるクレカを全部消して、プリカによるチャージだけにしましょう
その上で無課金プレイと同じ戦略で遊んで最終的には無課金水準の遊び方で満足できるようになりましょう
それで満足できない場合はそのゲームの作りが悪いということで諦めましょう
個人的には重課金をするお金でPCを買って、PCの前に座ってゲームをするのが節度を保つために重要だと感じています
と言っても2次元美少女ゲームに慣れた人間にSteamのバタ臭いゲームをやれとはいいません
それにSNSで話題になるようなライブサービス型2次元ゲームの魅力は買い切りPCゲームでは得られません
そこでPCで2次元オープンワールドゲームの雄である原神を始めましょう
新しい国ナタが実装された原神はgamescom 2024 Best Mobile Gameも受賞して記念配布も込みで絶好の始めどきです
今ガチャのムアラニちゃんはベリベリキュートで移動も楽しい子ですが新規なら確定ラインまで届く石収入をゲーム内から十分得られるでしょう
キャラの参考動画はこれです https://www.youtube.com/watch?v=lQoyQdLEIvk
原神のガチャは国産ガチャとは違い、基礎確率がめちゃくちゃ低く、80連目付近で引けるように確率変動していきます
そのためその実質天井ラインまでは引けなくて当たり前のギャンブル性の低いガチャになっています
当たり時45%ですり抜けて非ピックアップが出るという部分が最大のランダム要素ですが、すり抜けたら次は確定です
さらに天井カウントと確定フラグは引き継ぐので、課金に頼らずとも計画的に回せば狙った子は引けます
そうした計画性を見越して次バージョンのキャラも予めかなり前から発表されるよう配慮されています
無微は凸や武器などに脇目を振らず、幅広いキャラ確保と育成に集中していれば十分遊び尽くせる、易しめの設計になっています
こうした仕様を理解していけば国産ゲーでガチャ中毒になった心を落ち着かせデトックスしていくことができるでしょう
よくあるガチャゲーと同じプレイスタイルを取ったせいで沼に嵌まらないよう、念の為重ねて忠告しておきます
毎月1万円以上継続的に課金できるような人でない限りは、原神、およびHoYoverseのゲームにおいては凸や餅を狙うのはよっぽどのことがない限り控えるべきです
年に1人くらい出る神クラスのキャラや一生に一度レベルの推しなら、例外的に少し支出を増やして凸か餅を考慮する意義はありますが
恒常的に万課金できない人が背伸びをすると、(無微基準では)インフレ抑えめな設計が仇となって一生その凸餅キャラだけ使えば良い状態になり、飽きが早まります
もちろん万人に飽きさせないよう怒涛のボリュームで様々な文化を感じさせるコンテンツが実装されていきますが、前のめって課金した人ほど飽きやすいのは事実です
前のめって課金した人は言い換えれば、過剰な不安を抱えた人、ソシャゲ的な課金者優遇の高難度を期待した人ですが、そうした「ソシャゲ練度」の高い人は報われません
原神運営が向きあおうとする方向は廃課金者に寄り添うことではなく、一般的な水準の青少年が健全に楽しめる範囲を守った、文化的に誇れるガチャゲーム作りだと思われるためです
ただしキャラ愛や作品愛による過剰な課金は誰も止められませんので、その点では節度が必要です
ゲーマー的観点で、やりごたえのある感じを保ちつつ妥当な額でゲームをしゃぶり尽くすという点では月額系と2倍石程度までの課金(月平均4,5千円)にとどめて全キャラ育成気味にするのが良いです
もちろん無課金やキャラ貧でも十分に主要なコンテンツは楽しく遊べる作りになっています
旧来のソシャゲ的なキツさを残したガチャゲーに疲れたらぜひ原神というセーフティネット的な巨人が控えていることを思い出してください
基本無料ガチャゲーでありながら飛び抜けた質を保つ原神の音楽やシナリオや探索体験で癒やされていくのがおすすめです
けれど戻ってきた時、いつも想像以上の良さを見せてくれる信頼があります
ドラマ視聴者層に向けてアニメの絵柄でつくったみたいなものは見る気がしないんだよね
ドラマみたいな恋愛絡めたドロドロ愛憎ものや職業ものは別にアニメにしなくていいんだよ
まあPSYCHO-PASSくらいガチで作り込んでるSF職業ものとかは別だけどね
特に少女漫画や少年漫画みたいな女性狙ってるやつは舞台化すらする
マンガってのはパイが小さい、アニメで広げてIPでかくしてやったみたいなのが嫌なんだよね
テレビマンならぬアニメマンが「ワシが育てた」って威張るための装置っていうか
オリジナル作るのは気骨があるけど難しいし売れないんだろうね
バンナムみたいにオリジナルで長く続けていく強いIP作るくらいの意気込みないとオリジナルアニメは割に合わないんだろう
クリエーターにやりたいことやらせるためのガス抜き枠という感じすらしてくる
逆に言えば主流のアニメ群というのはやりたいことやってない感を勝手に感じ取っちゃうんだよな
テレビマンが目をつけるのが昭和の昼ドラ主婦から平成アニメに親しんだ主婦の嗜好に変わった感じ
そうやってビジネスでアニメ化してるからドラマ畑と同じように原作リスペクトのない独自改変で荒れたりするようなことが多発する
だいたい作品数が増えすぎなんだよな
テレビマンの嗜好とアニメオタクの嗜好はまったく違うはずだけど
今アニメを見てるメイン層がもうアニメ愛好家じゃなくてアニメに親近感を持つカジュアル一般人になったせいだろう
アニメだからこそ嘘くさくならずに嘘をリアルにババンと描ける、それがアニメのケレン味ってやつだろう
アニメの文化観に浸ってきた人間が創ってない、漫画畑から「現実の人間」をガン見していかに描くかで選抜されたものをアニメにしたってなあ
そういうのを元にしたって、例えばTRIGGERみたいなアニメは作れんだろ
まあ京アニやP.A.WORKSみたいなアニメは作れるかもしれんけど
んで現実離れしたアニメ的フィクションのネタ元ってなると、今度はラノベ的なテンプレ中世ファンタジー世界観の原作ばっかりになってるのもしんどすぎる
コンテンツ創造力は高まってるけど想像力は平準化されてるような感じ
アニメ見てたオタクが今何やってるかって言ったら、スマホとか運営型の2次元系ゲームなわけよ
そらそうなるわな
二次創作も一番多いのはその手のゲームキャラ、アニメキャラは息抜きで描かれる、なんでかっていうとアニメキャラは旬が短すぎるから
いわゆる「ソシャゲ」的な量産型のチープなキャラゲーが跋扈してた時代と打って変わって反転してるような状況
今はむしろアニメ業界のほうが人に愛され続けるコンテンツを生み出せない多産多死病に陥ってると思う
だから必死にテレビ局を操ってさかんに「社会現象アニメ」を吹聴してブームを作る
でもそれって本当に中身が伴ってるのか?
SNSとかでオタクが何に熱中してるかを見ればそれらが誇大広告にすぎんのではと感じざるを得ない
最近は、淫夢ネタを出すやつは、恥ずかしいというノリになっている。
しかし、自分は、別に子供みたいなノリで好きなわけじゃないんだ。
圧倒的に厨二病なキャラが、「今日は、アドルフ・アイヒマンが逮捕された日なんですよ」とか言い出す。
このレベルの厨二病は、普通の人はどんな作品でもほぼ得られないレベルの完成度だと思う。
あとさ、淫夢で変なツッコミが大量にあるけど、例えば「かんのみほ」って謎の音声がなんなのかとか、「先輩何やってんすか、まずいですよ←なぜ他人事なんだよ」とか。
そう言うのって、フェイクドキュメンタリーとかの、考察系の系譜な訳じゃん。
つまりさ、変なエロビデオを馬鹿にしてるとかじゃなくて、文学とか考察作品として面白いってことだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20240829195553
を読んだ。部コメもたくさんついて、ツリーでも教養のメリットって何よ的な話題が盛り上がっているので、個人的になぜ教養が必要か感じていることをざっくりまとめてみる。
話のきっかけとして全国の地名や名所・名物を知っていれば、初対面の人との会話のきっかけになる。
「××市のご出身ですか、カニがうまいところですよね。え、地元の人は漁師さんから余ったやつをタダでもらえるんですか?うらやましい!」
的な感じで無難な話題の引き出しのストックが増えるので、うわさ話や下ネタのような『ゲスい』話題に頼らずに関係構築ができるようになる。
地理的な知識だけでなく、文学や映画、音楽等のカルチャーでも同じことは言えるけど、古典作品に限らずファーストガンダムや北斗の拳といった昔のアニメや漫画も現在では教養扱いになっているといえると思う。
また、テーブルマナーのような知識を知ることで、場にふさわしい行動をとれて恥をかかないという側面がある。一例として、フィンガーボールは指を洗うものという知識があれば、中の水を飲んで会食に居合わせた人たちから奇異の目で見られずに済む。
そんなわけで、教養は人と仲良くなるためのプラス要素を増やす材料にもなるし、不快な行動をとって嫌われることを避けるためのマイナスを減らす材料にもなる。
コロナ禍後に旅行支援の企画がたくさん行われたので、その機会に旅行に行った人も多いと思う。
旅行に行く際に、教養がなければ新し目できれいなホテルや温泉に泊まって、「あー温泉入って飲み食いして楽しかったな」で終わってしまうと思う。 (それでも十分な娯楽だと思うけれども)
この時に、高知のカツオとか、氷見のブリとか、地域の特産品を知っていると東京や大阪といった都市圏では体験できない食の奥深さに触れることができたりする。
また、建築に関する知識があると、駅前の建物が建築家の○○の作品だとわかって旅先で散歩するだけでも楽しくなったり、その町出身の小説家を知っていれば、作家の△△はこの環境で育ってあの作品を書いたのだなと感慨にふけることもできる。
岩をくりぬいた住居が立ち並ぶ不思議な光景があったとして、「カッパドキア」という地域を知っていれば「カッパドキアのような光景」というだけでカッパドキアを知っている人同士には話が伝わる。
シェイクスピアのヴェニスの商人を知っていれば「シャイロックのような強欲な商人」という表現だけでどんな人物か伝えることができる。
まあ、この文脈で差す教養のメリットでもやはり、オタクカルチャーが教養化しているなと思う。「シャイロックのような強欲」という言葉も、「範馬勇次郎のような怪物」という言葉も、イメージが沸く人の間で概念を簡潔に伝えるという目的は同じだからだ。
ネットミームにしてもそうで、事故が起きうる危険なシチュエーションの概念を指すネットミーム「現場猫」なんてのは広く使われるようになっているし、これも現代では教養の範疇になっているといってよいだろう。
ここ数年の間に、世界では新型コロナウィルスが流行したり、ロシアのウクライナ侵攻といった事件が縦づ付けに起こった。
こういう大事件が起きた時には専門家がメディアに登場するわけだけども、どんな専門家の発言が信頼できるか見抜くのにも教養は役に立つ。
「大喪の礼」ということばを「たいものれい」と呼んだ政治学者がいたが、教養があれば「この人は基本的な知識が不足しているのにメディア露出しているんじゃないか?」と疑うことができる。
また、研究者がどういうライフスタイルを過ごして、どういう活動が実績として評価されるか知っていれば、専門分野外の話題にも軽々しく回答する有識者や、メディア露出を優先するあまりに研究業績が一切ない「ひやっしー」のような人を怪しいと判断することができる。
たとえば台東区に限っても、浅草の大衆演劇や落語が好きな人から、国立西洋美術館が好きな人まで、方向性はだいぶ異なる。教養の方向性が周囲と異なってると話が通じなくて孤立する。
外国に限らず、違う地方の人と交流する場合はその地方の文化に知っておくことが役に立つ場合がある。
しかしそうでもないなら、有限な時間を教養を身につけることに当てるのは、単なる「暇人の私的な趣味」とのことになる。
文系で大学院を出た人が、他人の作った作品に火をつけたり、貶すのが目立つように、教養を身につけたとしても、ロバが馬に変身する訳ではない。
つまり「私はこういう論文を書いた」が、他人を黙らせても良い権威になると勘違いしてる人間は、むしろ「教育投資に見合った知性品性を身につけられたなかった人」と小馬鹿にされ、本人は「無教養な差別主義者に迫害される私」との勘違いから逃げられなくなる。
みんなの意見は?