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はてなキーワード: 内定とは

2021-07-24

アニメーターのお賃金低すぎ問題

現在最低時給以下で稼働中アニメーターと、内定は受けたがやはり最低時給以下のアニメーターとが

一斉に1年ぐらい仕事ボイコットすれば給料上がるんじゃね?

2021-07-23

帰宅部ガチ勢だった時の話をしようか

もうかれこれ10年ほど前の話だ。

親の決めた糞つまらない私立一貫校に行かされたことを不満に思い、こんな学校には一秒たりともいたくないと帰宅部を選んだ。

だが、当時早熟だった私は部活に入らないことでコミュニケーション能力上下関係、体力が身につかないことを恐れたため、帰宅部ガチ勢になることを決めたのだった。

まずは体力面。幸い近所にテニスクラブがあったため、祖父お金を出してもらいスクールに通うことにした。これが週3回。自主練や筋トレもしていたので、テニス部連中と同じくらいには上達したし個人大会にも出ていた。

次にコミュニケーション面。学校では部活に入っていないと人間関係希薄になりがちだ。そこで、ピアノ書道など、学校で何かしら賞が取れそう&活躍の機会がありそうな習い事継続し、年始書初めで賞を取ったりピアノ伴奏をしたりと、そこそこ存在感アピールした。

上下関係も学んでおかなければまずいと思ったので、

高校に入ってからとあるチェーン店バイトをした。団体競技がしたくなったのでテニスをやめ、ダンスを習いに行っていた。

大学でも似たような生活をしていたので、私は人生で一度も部活動をやったことがない。

就活では習い事部活と偽ってエピソード捏造したが、内定は貰えた。

結論帰宅部でもなんとかなる。

だが、苦楽を共にした友達というもの学内存在しないので、中高時代友達で今でも仲がいい人は一人もいないし大学にもいない。

それに関して何か思うところがあるかと言ったら特にない。むしろ、学外で色々できたので良かったと思う。

なんとなく

転職したら、内定出た。

お金持ちになりたーーい。

2021-07-22

anond:20210722215238

今の就活6月くらいに決まる人が1番多いよ。

増田の年齢はわからんけど、年々内定出るのが早くなってるらしいで。

転職

内定出てから色々調べたんだけど、この会社未来あるのかな…って思う会社だった。

結構中途多いみたいだけど、なんで入るんだろ。

いや、大手子会社財務は悪くなさそうなんだけどさ。

転職先の経営方針

気にする?

内定もらってから調べたら、経営方針株主に左右されすぎてて意思決定の遅さを感じるんだよね

大阪という二文字を見るだけで拒絶反応が出るレベルで嫌いになった。

無駄に賑やかな街並み、わちゃわちゃ煩く節操モラル民度もない人達、クソみたいな自転車乗りと電車マナー、やけに偉そう態度で若い従業員をいびる老人、図書館美術館も静かに出来ず小声で喋る人達…俺は学生時代運動部所属だったかガチガチ陰キャではないだろうしプレゼンとかも得意だが、それでも大阪という陽キャな街並みは俺の感性が拒絶している。そして住民票も未だに大阪に移してない。移したら人生の終わりだと思っているから。来年には東京行きが内定しているがそれ以降は余程の事が無い限り大阪には自分から行く事はないだろう。仮に関西旅行するとすれば大阪飛ばし兵庫まで観光しに行きたい。そんな気持ちだ。俺が大阪嫌いなのは今に始まった事ではなく幼少期からなので、恐らく母方の家系福岡山口に縁がある)の血筋だろう。小学生の時から大阪修学旅行も真っ先に帰りたいと思っていた。実際大阪人間とは馬が根本的に合わないし口論になる事も多い。余談だが祖母祖父(血の繋がりはない。本来祖父は恐らく関西嫌い)の大阪弁(佐賀県民で十三に在住経験あり)の大阪弁を悪意なく真似ていた。そしてタチが悪い事に本質的に好きという事でも無く「無関心」に近い嫌悪感なので、この先もまず好きになる事は無いだろう。大阪に居るのも残り僅かだが時間無駄にせず俺にとっては「何の価値も魅力も無い下品低俗場所ライフを楽しもうと思う。なお父方は京都ルーツ播州系でノリも関西的だから母方とは正反対。でも父方の人間が嫌いというわけでもなく(母親は嫌っている)兵庫京都人達を見かけると何となく親近感を持ってしまうし馬も合う。京都片思いに近い感覚でもあるが。そんな面倒な人種が俺なのである

2021-07-21

anond:20210721164657

内定通知前に辞退

内定通知後に辞退

X 内定了承後に辞退

X 入社日に退職

入社日の翌日に退職

入社から3ヶ月後に退職

という感情論的なルール存在する

anond:20210721071346

内定式後に内定を辞退したら何を言われても仕方がないって日本法律とは異なる倫理観の持ち主だな?

anond:20210721040152

情報系の博士取得者だけど、自分場合内定式に出た後に内定を辞退して博士後期課程に進学した。

その身に起きたことを参考までに書く。

とある飲み会博士に興味があるけれどでもしか就職するような話を博士の先輩に話していたら、博士に進学することを強く勧められた。

親にそのことを電話相談したら、応援する旨のことを言われた。

先生に話したら、「博士100人いる村」のような話をされたが、同期で博士学者が誰もいなかったからか比較好意的だった。

学部就職担当先生相談に行ったら、内定辞退をお願いするメールを一字一句指示された。(と言うべきだろうな、意見などを言える雰囲気ではない中、言われたことをそのまま書いて送れ的な感じだったので)

送ったところ、企業採用担当から呼び出しを受け、内定辞退したら3時間土下座させられた例もあるらしいと級友から脅されながら戦々恐々として赴く。

老婆心を装った嫌味を言われ、軽く説教されたが、内定式の時に渡された書類をお返しし、割と短い時間で話が終わった。

研究室先生にも老婆心を装った厭味ったらしいメールが送られてきたらしく、先生はその会社製品を買わないと憤慨されていた。

博士進学予定者だったからか、海外から来る客員研究員の出迎えなどを任される。

博士学者修士論文英文で書くという不文律があるらしく、慣れない英文を頑張って書く。

修士卒業する学友たちが卒業旅行に出かける中、ワークショップ論文を提出し、初の海外発表...自分英会話力のなさを自覚する。

先生の助けもあり、一つ目の論文査読ありのカンファレンスに出し、採択。

今思えば二つ目はある程度自分研究を進めてほしいということだったのだろうけれど、自分でいろいろとテーマを考えるも研究が迷走して卒業の見込みが全く立たず、精神的に追い詰められていく。

博士進学を考えている修士学生から「なんで進学したんですか?」と聞かれたときに「魔が差したから」と答えるほど病んでいた。

そんな夢のない話を聞いて進学する奴なんかいないので、その世代博士学者は0だった。

助手先生ともいろいろと相談して一応別のテーマを設定し、査読付き論文通って最低限の要件を満たせたが、すでに10月を過ぎていて、採用活動はどこも終わっていた。

先生コネで話をしてみて、とある会社に話を通してもらえることになった。

部長係長の前で博士研究でやったことを20分発表し、質疑応答して、その会社採用された。

国内ワークショップでの発表などの場数を踏んだからか、PhDディフェンスを卒なくこなし、博士号を取得。4月から就職

就職後は博士を持っている人が珍しく、博士をみんな取りたいと思っている場所だったからかとにかく博士というだけで風当たりが強かった。

職場の先輩にも博士なんだからそれぐらい自分で分かるでしょ?とろくな説明もなく業務をすることになる。

その割には係長からも先輩から毎日ダメ出しをされるだけの日々でなかなか精神的に追い込まれる。

それを見ていた別の部署に行った主任から主任の部下として来ないかとさそわれて今に至る。

博士精神を病まないと取れないみたいなことが言われていたけれど、それは割と本当だと思う。

博士を持っているとそれだけで少し下駄はい状態からスタートできるのも本当だと思う。

ただ、博士というだけで挑戦してくる人や無駄に突っかかってくる人などがいて、有名税みたいなのがあると思う。

進学するとき自分が楽ではなく快楽を求められるか(オメガトライブの読みすぎか...)、

先生博士指導経験があるか、家族サポートがどうかなどを加味して決めたほうがいいと思う。

その辺がokなら、まあ、いけるでしょ。

anond:20210721040152

修士は推薦で内定とってたけど辞退しD進、修了後は別の会社社会人している。

月並みに言えば、その研究室過去Dをコンスタントに出してるか、その後の進路で困ってないか

あとは所属専攻で関連する業種でパッと思い付く研究所を持つ企業があるか。アカデミックに残るつもりなら教授コネクション(他の大学との連携等)があるかどうか。

残念ながら進路は狭くなるのは間違いない。その後会社に入るなら敢えてこの道を選んでも得することはあまりないが、この先もおそらくは研究が続けられる。それが人生モチベの主ならやってみるのも一興さ。

追記

内定後辞退について、会社によってはネガティブなことは言われるだろうけど、進学が理由である内定式前である場合はそこまで言われないかな。自分場合メール一本でことなく終わった。同じく論文通ってて、それで決心ついた、くらいの心境変化とか書いたかも。

ただ、その会社来年の推薦枠が減らされることも考えられるので就職担当にはしっかり伝えること、あとは今後も含めて教授とも相談することだね。それで助けがないならいくと苦労するだろうし、その探りとしてもいいかもね。

追記あり】今からD進ってできるのだろうか。

M2です。

普通に修士就職するつもりで内定を取っているのだけれど、

最近研究が楽しくて楽しくてしょうがなくてD進をしたくなってしまう。

もし会社環境が許すならばこのままあと3年研究を続けたくなってしまう。

内定を取った後の今年の5月に、ずっと全く出ていなかった成果がポッと出てしまった。

めちゃくちゃ嬉しい。このままいけば論文化するが、今年で私が卒業するならFirst Autherは教授になるだろう。論文を書く時間が足りない。

成果が出てしまったものから、続きでやりたい実験も膨大に出てきたし、頓挫させていたテーマも、これがうまくいくならいくんじゃない?と私が思い始めたから、また再開させたくなってしまう。

論文化するならば出さなければいけないデータもたくさんある。正直データ収集なんて面倒くさい作業は後輩にやらせたくない。全て私がやりたい。

そして新しい助教先生が本当に本当にいい人で、私に自己肯定感を植え付けてくれた。私は十分研究者の素質があるとの肯定感を養ってくれた。

あと助教先生は私に論文誌の読み方を教えてくれた(逆に言うと今まで教わっていなかった。)。論文誌というのは、雑誌なのだから雑誌のように全部眺めて、気になった論文を読むスタイル一般的なのだそうだ。助教先生に教わってから、JACSとAngewandteの最新号は全て目を通している。サムネしか見ていない記事も多いけど。そのうち1報は精読してA4 2枚に要約する作業を毎週行うことにした。楽しい。まだまだ読みたい論文がいっぱいある。時間が足りない。

時間が足りない。今でも時間が足りなくて週2で研究室に泊まっては実験したり論文読んだりしている。今日も泊まって論文の整理をしていた。

あと、研究室の運営的にも、ラボドクターが一人はいた方がいいと思うんだよね。私がB4の時はドクターが4人もいて、メンバー全体のレベルが高くて、目標とできるロールモデルが沢山いて本当に有難かったのだけれど、今はドクターがいないから、後輩たちを引っ張る人がいなくて、可哀想だなと思うときが時々ある。

あと私一人だけ学年が上だと、色々と自由に過ごせてよい。

とまあまだまだ研究室にいたい理由は沢山あるのだが、懸念点も沢山ある。


まずさ、いまさら内定辞退するのは企業に悪いよなあ。とても好きな企業なので、会社にご迷惑をかけるのは避けたい。

あとDでもう一回就活するのが非常に嫌。というか今の会社に3年後D卒として入れたら理想なのに。

あともううちの大学博士入試は終わっているのでは?博士は遅めだからまだかな?いけるかな?

あと教授はいい思いをしないかもしれない。教授は、私に早く出てって欲しいいと思っているかもしれない。

あと後輩たちもいい思いをしないかもしれない。特にM1なんか出てって欲しいと思っているかもしれない。

あと、ちゃん卒業できんのか?卒業の為には論文を3報出す必要があるが、出せるか?1報をArticleにして2報ならどうにかできるか?いやーーー結構厳しいのではないか

諸先輩方は口を揃えて、「弊ラボでDに行くのはおすすめしない」「というかうちの大学でDに行くのはおすすめしない」と言っていたし、Dなんてやめるべきでは?

懸念点をつらつら語ったよ。

まあ普通に修士就職するんじゃないかな。




追記

書き捨てなのに非常に真剣なご助言を頂いてありがとうございます

助教にも軽く相談し、自分も考えましたが、やはり修士就職しようという決意が固まりました。

しかし私が書きたいので、自分の中での整理も含めて、情報さら提供しておきます

・専攻

専攻は有機化学です。細かく言えば構造有機化学超分子合成分野の端くれで、その界隈でもかなりマイナーおもしろ分子合成法の開発研究をしています。ド専門そのままで就職先は無いでしょう。

しか有機化学自体学術領域の中でもかなり「食える」方の分野です。化学メーカーという大きな受け皿があります。医薬・農薬のような天然物合成方面か、樹脂のような高分子にまで食指を伸ばせば、働き口は多くあります。私の修士での就職予定先も樹脂系材料メーカー研究職です。

私はこれまでに、人並みの有機合成技術は付けてきた自負はあります。弊ラボ構造有機化学研究室の割には分析はちっとも強くないのですが、最近個人的分析知識をつけたくてその辺を論文を読んで勉強しています

あと実験大好き、研究大好き。今まで誰も分かっていなかったことを知ることは嬉しいですし、研究上の課題に対して解決策をあくせく検討する過程はとてもやりがいがあって楽しいです。「この条件ならうまくいくのでは?あーキタわこれ勝ち申したわ今すぐやろう。これうまくいったらどうしちゃおうか、あれもしてこれもして…」(まあ実際は結構確率で失敗するのだが)と夢想することは至上の快楽です。

研究室の博士進学状況

事実を述べると、約15年の研究運営において、私の知っている中で博士は6人出ています

単純計算で、まあたまにいない期間もあるけど、ラボで1人くらいは博士がいたりするかな…?という感じの研究室です。外部から院生が来たり何人も博士ポスドクがいるようなつよつよ研究室ではないです。

そのうち私の知っている5人は、2人は3年で卒業大手化学メーカー就職、1人は3年で退学して公務員就職、1人は6年で卒業特許系の会社就職、1人は6年で卒業しおそらく研究派遣就職、といった進路でした。

いわゆる教授コネみたいなのがある研究室ではないです。こじんまりで好きに研究したいという教授ですし、企業と共同研究とかする分野じゃないし。進路自体自分で探す必要があります。ただ先輩は多く出ているので、そこのコネが運よく使えなくもないかもしれない。

分野的にポンポン論文を必ず出せるという訳ではないので、頑張らないと3年で卒業は厳しいかな…というのが正直な感想

アカデミアみたいな稼げない進路はとりたくないので、仮に博士を出ても企業就職がいいです。

就活を通じて感じたが、うちの大学学歴で言えば「上の下」じゃないかな。

学年で各社1-2人くらいかな、三ケミとか信越とか超大手就職する人だって全然いるから、十分「上」の学歴ではあるのだが、逆に我々以下の学歴学生なんてほぼ見ないし、「上」の領域では一番下になるよな…といった感覚を、インターン選考とかを通じて思った。

まあ以上余談。

金銭問題

私が「どうしても博士に行きたい」と言えば両親は許可してくれると思うんだよな…。

以下よしなしごと。

日本メーカー博士をそんなに優遇しないし、やっぱり修士就職が一番コスパがいいよなという結論に達しました。

・狭い研究室で井の中の蛙をするよりも、社会に出て早く企業研究者となった方が、最も私のためになるだろうと考えました。

・あと半年いっきり好きな研究して、満足して卒業すればよかろう。時間が無いとはいえ半年もあるので、まだまだやれることはあります。まあ終わらなかったら今後入ってくる優秀な後輩に任せましょう。

ファーストオーサー論文を書きたい欲は納めることにしました。ぶっちゃけ手間だしね。2-3番目の著者にしてもらえれば万々歳。その分の時間データもっと集めます


以上。

2021-07-20

働きたくないけどお金ない

働きたくない

3ヶ月ほど無職楽しんだけど足りない

内定もらったけど

楽しみだけど働きたくない

一日短いよね

もっと一日が長かったらその内の8時間労働に当てても別になんともないのに

金無いから仕方なく働くけどさ

2021-07-19

転職で悩んでる

複数内定が出た

  1. 10年経過ベンチャー
    • いいところ わかりやす需要のあるスキルが得られそう。次にまた転職するってなったら、年収アップは固そう。
    • わるいところ 株主のせいで身動き取れてなさそう。
  2. 5年経過ベンチャー
    • いいところ 成長しまくってる。資金調達順調。
    • わるいところ スキルって何?やる気?みたいなところ。

 

こうやって書くと、10年経過ベンチャーの方がいいな。

地方自称進学校忠告したい

俺は東北地方自称進学校出身なんだが、東北大が神で東京私大が負けみたいな雰囲気があった。早稲田受かっても後期の東北大を選ぶ人がほとんどであった。しかし、留学経験インターンといった目に見える成果を上げ、大手内定を取っているのは東京私大の方だった。このことは、親も先生も全く知らないのでここで忠告しておきたい。

2021-07-18

雑誌映画秘宝』の記憶

雑誌映画秘宝』の記憶増田が例示していた 町山氏らが自らの所業を露悪的な形でをしょっちゅう文章化していたという事象

90年代サブカル?の鬼畜ブーム関係があったということだったんだな

50才になって

一方は東京五輪作曲内定で一方はツイッターおじさん

anond:20210717063509

自分就活そんなんだったから、大学キャリアセンター斡旋してもらったら内定でた。単科の小さい大学だけど、OBOGがいたからとってくれた経緯。参考までに!

2021-07-17

anond:20210717002417

もちろん、内定前。

「現職との信頼関係があれば紹介状かいてもらえるから」だそう。

それで不採用になったら、今の会社居づらくなるだけなのに。

ホント迷惑

2021-07-16

木屋町にあるキャバクラ黒服仕事をしていた その3

 この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境文脈空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルール常識、慣習があるけれども、それらをストレート適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。

 アブラハム・マズロー欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。

‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130

さら範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132

 マズローは、物事ありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。

 イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃん彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメン公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。

 これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶炭酸水チーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。

 そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。

 違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子腰かけいたことだ。リッツ普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。

 別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。

 でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかからない。人間言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。

 10ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているもの時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察被害届は出さないという内容で決着した。

 最後店長は言った。「リッツ君。今日最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。

 当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。

・当日遅刻 5,000円

・当日欠勤 10,000円

窃盗その他の犯罪 250,000円+被害

・嬢と交際した場合 500,000円

・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記慰謝料

 リッツ規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。

 当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか

リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応

リッツ立命館大学学生課もしくは先輩もしくは親に相談する

相談先が交渉の窓口になる

罰金は減殺される可能性が高い。警察通報されたら逮捕リスクあり。

 上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか

 店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。

 今回の件だと、警察被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツ問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。

 ※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツ警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ

 憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。

 一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプ社会人だった。だからルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規罰金を課す)のが正しかった。

 私は今、地元広島地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに市民企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功キーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。

 上記の「成功キーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政組織要職に就けたりする(教育委員など)。

 一般市民企業不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間下の人間も判断たからそうなっている。

 反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。

 キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。

 でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。



大学回生

 この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。

 この辺りからシフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。

 時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。

 私には小さい名誉があった。木屋町先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。

 バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ京都風俗情掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。

 今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。

 そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から自分パフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。

 11月になった頃だった。M主任退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。

 トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。

 この時のM主任言葉脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは大学生当時の日記ベースにしていることによる。

 以下、M主任言葉になる。

「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」

 呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。

 その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか店長ともう1人、灰色スーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。

 このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。

 部長の話には説得力があった。説得力要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力生まれる。

公務員はこれから厳しい時代になる。お金問題ではない。本質的意味で割に合わなくなる。

あなた就職する自治体初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。

・S店での働き次第では本社に来てもらう

日本芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。

・お客さんも仲間もあなたを支持している

 今思えば典型的リップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。

 でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。

 特に最後にやつ。あれにはやられた。部長ソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢から手紙であることがわかった。

「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」

 ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。

「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会あなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」

 部長はA4サイズの用紙をボールペンとともに手渡してきた。

 『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。

 右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。

 私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。

 その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。

 手紙ほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。

 私に対するポジティブ言葉も、ネガティブ言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。

 彼女ハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。

 一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。

 あの部長姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ

 私は地元公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。

 最後の勤務日は静かだった。普通職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。

 最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。

(次が最後です)

 https://anond.hatelabo.jp/20210716220545

2021-07-14

本多氏のどこがここまでの非難処罰に値するほど問題なのかわからん

立民・本多氏を党員資格停止へ 不適切発言処分

 

立憲民主党は13日の常任幹事会で、性交同意年齢の引き上げを議論する党会合不適切発言をした本多平直衆院議員比例北海道ブロック=への対応協議した。

発言は「党の名誉、信頼を傷つけ、党運営に著しい悪影響を及ぼすもの」として、1年間の党員資格停止とする処分案を党の倫理委員会に諮ることを決めた。

本多氏は既に次期衆院選北海道4区公認内定しているが、処分が確定すれば取り消される。

会合後、福山哲郎幹事長は記者会見で「性暴力被害者の皆さまを大変傷つけたことについて、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。

本多氏は5月10日の党会合で「50歳近くの自分14歳の子性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」との趣旨発言をした。

その後、本多氏は発言謝罪撤回福山氏は本多氏を口頭で厳重注意したが、与野党からは「極めて不見識」(公明党山口那津男代表)などの批判が噴出したため、立民は「ハラスメント防止対策委員会」で発言内容の調査をしていた。

一方、本多氏は「党内議論の決定を待って、一日も早く説明の場を設けたい」とするコメントを出した。 

そもそも性交同意年齢は現在は13歳なんだから、「50歳近くの自分14歳の子性交したら、たとえ同意があっても」ってのは合法なんだよ。それ忘れてない?

しか個人的には13歳は低すぎるだろって思うけど、人によって考え方は違うんだから年齢引き上げに異論を唱えたら即アウトってのはありえないだろ。

法改正のために合意形成をしようって話なんだから合意形成過程でいろんな意見が出てくるのは当然で、それを「あってはならないこと」って言うんだったらすでに合意形成は終わっていないといけないでしょ。

(たとえ合法であっても倫理的にアウトなことってのはあるよたしかに。でもそれはやはり倫理的にアウトであるっていう合意形成必要なのよ。)

外国では常識とかって言うけど、日本では常識じゃなかったか法改正が遅れてたんで、それを常識にするための合意形成をやっていこうって話じゃないの?

それなら異論を唱える人間排除したり社会的抹殺するんじゃなくて、ちゃんと順序立ててていねいに説明して納得してもらうべきなんじゃないの?

「ここでいう「同意」っていうのは日常語じゃなくて同意能力のことを言っていて、14歳がたとえ外形的に同意してもそれはかくかくしかじか理由同意とみなすことはできない、と考えるのが妥当だ」「この法改正法益そもそも性犯罪に対して「同意があった」という言い逃れが多すぎる問題改善するために~」とかってちゃん説明すればよかったんじゃない?

これ、大人ローティーン性交したい、とかいう単純な話じゃないよ?同意能力はいかなる概念か、とか、本件の法益は何か、とか、刑罰による人権侵害を含む不利益法益とのバランスは適切か、とか、自己決定権尊重と性被害防止とのバランスは適切か、とか、難しい問題がたくさんあるんだよ。議論すべきことはいっぱいあるんだよ。そんなに簡単はいかない。

たとえばさ、性交同意年齢を28歳にしようぜ、って話が出たらどうする?

でさ、どっかの議員が「50歳近くの自分が27歳の子性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」って言ったとして、それに対して今回みたいなリアクションはまず無いよね?

なんでかって、それは「50歳近くの自分同意の上で27歳の子性交する」のはまあ本人同士がいいって言うならありなんじゃね、っていう合意があるからだよね?

28歳は極端だけど、20歳、19歳、18歳って下がっていくと意見分布がどんどん変わっていくよね?

「ありなんじゃね」から場合による」になって、「まずありえない」になるよね?

「16歳」って年齢についてそういう合意をこれから作っていこうって話じゃないの?

「いや50歳と27歳だってキモすぎるから党員資格停止しろ」っていうならもう同意年齢、60歳にしちゃえばいいんじゃない

2021-07-13

anond:20210608114355

続報でたなぁ

立民・本多氏を党員資格停止へ 不適切発言処分

7/13(火) 17:49配信

 立憲民主党は13日の常任幹事会で、性交同意年齢の引き上げを議論する党会合不適切発言をした本多平直衆院議員比例北海道ブロック=への対応協議した。

 発言は「党の名誉、信頼を傷つけ、党運営に著しい悪影響を及ぼすもの」として、1年間の党員資格停止とする処分案を党の倫理委員会に諮ることを決めた。

 本多氏は既に次期衆院選北海道4区公認内定しているが、処分が確定すれば取り消される。

 会合後、福山哲郎幹事長は記者会見で「性暴力被害者の皆さまを大変傷つけたことについて、心からおわび申し上げたい」と陳謝した。

 (中略)

 一方、本多氏は「党内議論の決定を待って、一日も早く説明の場を設けたい」とするコメントを出した。 

https://news.yahoo.co.jp/articles/61601f44fee82ccb542d8d2a3544f77a7d3fa033 (時事通信)より引用

「1年禊すればいい」は教職暴力犯罪者再就職禁止からみると短すぎるとおもいますしもうちょっと重くすればいいとおもう

「(立憲民主)党の中でならみんな味方してくれる」へえ~そうなるのかな

2021-07-12

プログラマ向いてない

SESで4年、自社開発の会社で2年目

年収400万

プログラミングはもともとそんなに好きじゃなかったんだと気付いた

プログラマになる前にちょろっとVBA触るくらいなら楽しかったんだけどな

今では立派なコピペコーダーです

今の会社提供してるサービス全然興味持てない

内定がなかなか出なくて焦って決めちゃった

やってれば業務に興味わくかと思ったけどそんな事なかった

もし自分スキルが伸びたら本番障害対応に駆り出されて深夜に電話かかったりするっぽいのもマジで

基本いい人が多くて人間関係は悪くない

最近仕事が嫌で仕方ない

サボりまくって迷惑かけて死にたくなる

辞めたいけど新しいプロジェクトが始まっててそこそこ仕事量があるので辞めにくい

ぶっちゃけ俺いない方が早く進むのではって感じだけど…

あと貯金もないし次の仕事を決めれる気がしない

30すぎてるのに何もスキルがないヤバい

全然違う仕事がしたいけど怖い

職業訓練を調べ始めている

溶接とかやってみたい

給料は下がるだろうし、そもそもコロナ仕事あるのかな

31歳未経験転職できるのか

仮に仕事見つけても続くかな

怖い

さようならサンドバックのあなた

就活が終わった。

想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。

何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。

かのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。

バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。

この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。

最近彼氏マンネリで、バイトゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。

ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。

ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。

どうやって近づいたかとかはあまり覚えてない。

バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。

面白いぐらいに仲良くなっていき、簡単に落ちた。

私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。

バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。

酒の勢いで寝たりもした。

一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。

だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。

しばらくして、先輩が大学卒業して都会へと引っ越していった。

先輩のバイト最後シフトの日は、寂しくて泣いた。

でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。

先輩がいなくなった状態で、私の就職活動が始まった。

とにかく地獄のようなスケジュールだった。

財布の都合でバイトシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。

ゼミゼミ課題が山積していたし、教授就活理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。

その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。

体力は限界、そこに次々に飛んでくるお祈りメール

祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。

心も体も限界で、先輩に連絡を取った。

ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。

全然就活ゼミもうまくいかないんだと、またバイトから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。

先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。

全てのストレスをぶつけて、自傷的に先輩と寝る日々。

就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。

今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。

6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。

私の就活が終わった。

その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。

そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。

不快まりなかった。

内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。

そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏プロポーズをしてくれた。

「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。

その後、もう会ってない。

私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。

先輩には私のことなんて忘れて、さっさと幸せになってほしい。

いつかきっと私は報いを受けるのだろう。

さようならサンドバックのあなた

就活が終わった。

想像していたよりずっと良さそうな会社に滑り込むことができた。

何よりもこの就活を支えてくれたのは、私にベタ惚れで就活中ずっとサンドバックになってくれた人だった。

かのぼること2年、私はバイト先の偏屈な先輩に興味を持った。

バイト先で店長によく怒られているけどなんだかんだ長くこのバイトを続けているようだった。

この環境が好きなのかと思えば、全然他の人となじまない、バイト終わりに皆でご飯とか誘っても来ない。

最近彼氏マンネリで、バイトゼミに追われてストレスまみれだった私は、ストレス発散にその先輩を落としてみたいと思った。

ちなみに私の顔は可愛いとかではない。よく言えば能年玲奈のすべての顔パーツを半分ぐらいのサイズにした顔。

ただ、先輩はいかにも女に免疫のなさそうな感じの人で、理由もなく私にも行けると思った。

どうやって近づいたかとかはあまり覚えてない。

バイト先で怒られるたびに慰めてみたり、無邪気なふりして近寄ってみたりしたんだっただろうか。

面白いぐらいに仲良くなっていき、簡単に落ちた。

私に惚れた先輩は、私を可愛い好きだともてはやし、苦学生らしいのにご飯やらお酒やらをおごってくれた。

バイトも忙しい、ゼミも忙しい、でも誰も褒めてくれない、先輩のちやほやが私の自尊心を満たした。

酒の勢いで寝たりもした。

一度そこら辺が崩れるとそこら辺の貞操観念はぐちゃぐちゃだった。

だんだん私もほだされてきて、彼氏と別れて乗り換えるべきか?とか考え始めた。

しばらくして、先輩が大学卒業して都会へと引っ越していった。

先輩のバイト最後シフトの日は、寂しくて泣いた。

でも、これを良い機会だと思って、さよならお元気でと言った。

先輩がいなくなった状態で、私の就職活動が始まった。

とにかく地獄のようなスケジュールだった。

財布の都合でバイトシフトは減らせない、何なら地方学生だったので、移動費がかかる。バイトは休めない。

ゼミゼミ課題が山積していたし、教授就活理解がなくて、まったく融通を聞かせてくれなかった。

その結果、0時までゼミで頑張って資料をまとめ、朝の4時までESを書き、2時間だけ床で寝て風呂に入り、7時台の新幹線に飛び乗って、自由席が空いていなかったらデッキで座って寝落ちした。

体力は限界、そこに次々に飛んでくるお祈りメール

祈りが来ないことなんてザラで、みん就で「連絡来たー」みたいな嘘か本当かわからない投稿で、ああ落ちたんだとわかって心をえぐられた。

心も体も限界で、先輩に連絡を取った。

ちょうど私の就職活動先と先輩の家が近くだったので、ホテルの代わりに毎週のように先輩の家に上がり込んだ。

全然就活ゼミもうまくいかないんだと、またバイトから早く戻らなきゃと、愚痴を言っては慰めてもらった。

先輩は卒業後も私を覚えていてくれたようで、再現なく私のわがままに付き合ってくれた。

全てのストレスをぶつけて、自傷的に先輩と寝る日々。

就活がうまくいかないと、この世に必要とされていないような気がして死にそうだった。

今思えば不幸に酔っていたとも思うんだが、その当時はすべての空白を先輩で埋めようと必死にもがいていた。

6月のある日、ダメ元でエントリーしていた会社から内定を得た。

私の就活が終わった。

その瞬間に、一気に先輩への興味が失せた。

そんなことにも気づかずに、私のご飯の誘いを入れて来る。

不快まりなかった。

内定を手に入れてメンタルが無敵状態になった私のとって、先輩はただの人生の汚点になった。

そのタイミングで、就職が決まったことを機に、彼氏プロポーズをしてくれた。

「私やっぱり彼氏のところに戻るわ」と、LINEで一文送ってブロックした。

その後、もう会ってない。

私が就活中に生きていられたのは、まぎれもない先輩のおかげだ。

先輩には私のことなんて忘れて、さっさと幸せになってほしい。

いつかきっと私は報いを受けるのだろう。

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