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はてなキーワード: 自死とは

2024-01-30

増田ブクマカちょっとだけ見直し

ブクマカなんて、当事者でもないくせに人のエントリニュースただ乗りし、

確定した事実も定かでないうちから

わたしのかんがえたさいきょうののうないせってい」

をもって、

わたしのかんがえたさいきょうのせいぎ」

と掘られた石を投げて溜飲を下げ、

たとえ自分たちの投げた大量の石が、相手を傷つけ、そして自死を選ばせたとしても、

何の反省もなく、また新たな投石相手を探しにいく、クズ中のクズという印象だった。

まあブクマカに限らず、ヤフコメや旧Twitter有象無象も同じだけどさ。

 

セクシー田中さん」の件でも、まあブクマカどもは言いたい放題。

原作者がなくなられる前から、ひでえものだとまゆをひそめていた。

 

で、増田ブクマカも、その一味だろうと勝手に思っていたのだけど、例えば

2023年増田ファーストブクマカランキング

10位までに挙がっているようなブクマカを見てみると、「セクシー田中さん騒動を完全スルー

確か誰かが1個無言ブックマークをしていたぐらいかな。

コメントは、原作者訃報に対して、

「小さな良い戦争」がないように「小さな良い炎上」もないんだろう - death6coin のブックマーク / はてなブックマーク

これほどまでに追い詰められていたのか…なぜこんなことが起きたのかしっかり調査し、謝罪して、体制を変え、二度とこんなこと起こらないようにしてほしい。ご迷惑をお祈りします - ilktm のブックマーク / はてなブックマーク

(「ご迷惑をお祈りします」の意味はよく分からないが)

としている程度。誰が悪いだの、誰は悪くないだのといったことは一切コメントしていなかった。

(以前は過激コメントを書いていたが、訃報を受けてあわてて消したという可能性もあるにはあるが)

 

ブクマカは一律に嫌っていたが、増田ブクマカに関しては、そことはちょっと別なのかな、と認識を新たにしたここ数日だった。

 

追記

yujimi-daifuku-2222

草津が炎上していた時期や、今年松本人志がボコボコに叩かれている時にこうした意見が出ずに今回出るのが党派的過ぎて気持ち悪い。/炎上嫌いの皆さんは今まで冬眠していたのですか?

いや待て待て。

気持ち悪い」と思うのは勝手だが、

今回の件のどこに党派性があるのよ。マジで

党派性って、右翼原作者を支持し、左翼脚本家を支持したとか、

フェミニスト原作者を支持し、アンチフェミニスト脚本家を支持したとか、そんなことがあるの?

少なくとも私はそんなの知らんぞ。

考えすぎ。

オッカムの剃刀

あえて言うなら、あなたが挙げた例と、この騒動の違いは、

騒動によってなくなられる方が出た(少なくとも、可視化されている)」

という1点だけ。

この1点があったから、私も触発されて、気になって調べた、のかもしれない。

本当にそれだけ。

草津からだんまりとか、松本からあえて無視とか、そういうのはまったくない。

ていうか、b:id:yujimi-daifuku-2222さん、どういう意図党派性って書いたのか、教えて。

煽りとかではなく。

意図が分からなくて本当に困惑している。

AI漫画家自死の件で生成AIを叩いていて笑った

箸が転んでも生成AI批判しそうだなこいつら

芦原先生に思いを寄せすぎてしにそう

どうしてだろうという思いをずっとしている。

私は一読者なので「そうか、芦原先生のあの素敵な作品の続きがもう二度と読めないのか」とぼんやり思っている。まだ本当に現実に起きたことなのかうまく受け入れられないでいるのだ。


一番最初出会ったのは「砂時計」という作品だった。

本屋さんでなんの気なしに手に取ったこから始まったと思う。1.2巻だけ試しに買ったらとても面白くて母親と一緒に本屋に行くたびに買い足して親子ともども楽しんでいた。

読み始めた頃は小学生だったから正直全部を汲み取ったというより「そういうラブコメ」を見ているような感覚だった。藤くんかっこいいー、杏と大吾どうなるんだーみたいな。

でも次第に年齢を重ねながら読んでいくうちにこれはただの恋のお話ではないと気づく。主人公が何度もうまく生きれなくなる瞬間があって、その都度立ち上がったり、折れそうになったり、その生きづらさも繊細な強さにも何度も涙した。

多分砂時計を知っている人ならみんな思い浮かべるあの仁摩サンドミュージアム

幼い頃に主人公が見上げたシーンも、大人になってから見上げたシーンもそれぞれとても印象に残っている。

主人公記憶追随たかった私は高校生のころ親にせがんで島根まで連れて行ってもらった。

幼少期の主人公は「たったこれだけの大きさか」と言っていたけれど私はその大きさに圧倒された。

砂時計のあのシーンだ!」と何度も何度も上を見上げて感動の声を上げた。作品を読んでいたからこそその気持ちは何倍にも膨れ上がったのだと思う。

帰りに主人公母親に買ってもらった同じサイズ砂時計を同じく母親に買ってもらい、とても嬉しかった。

大事に抱きしめて今でも箱まで取っておいてある。

そういう、私の私自身と、私の家族との思い出の中に砂時計はある。


それから以降の作品pieceBread&Butterも読み、そして社会人になって「セクシー田中さん」に出会った。

正直めちゃくちゃ泣いた。

自分感情ドンピシャだった。

これは社会人の、いち女性であればあるほどすごく共感できてしま漫画で、フィクションを越えて自分に置き換えて考えてしまう。とても大事作品だった。

女性として生きていれば本当にどこにでもよくありそうな話がたくさんあった。砂時計とはまた少し違う、生きづらさがそこに描かれていた。

それでも登場人物の成長や、芦原先生によって紡がれる言葉に何度も励まされ、涙を流した。毎巻待ちきれずたまに雑誌を買うこともあった。そして実写化の話を知る。

正直私は実写化に反対だった。というのも全員キャスティングイメージが違ったからだ。

キャストさんが悪いわけではなく、制作側が本当に本を読んだんだろうか?と思うほどあまりにもイメージが違ったのだ(漫画田中さんはわりと骨っぽいイメージだけれど、演者さんは丸く可愛らしい感じだったりなど他にも言いたいことは山ほどある。)

それでも、私は一読者なので文句があるなら見なければいい、そういうスタンスだったためドラマの開始は知りつつも1話も見なかった。

知ってるキャストさんが何人か出ていて楽しそうにしていたけれど、「まぁイメージとは違うし、私には原作があるし」と対岸の火事だった。

から本当につい最近まで何があったのかよく知らなかったのだ。

芦原先生アカウントができたことを小耳に挟んでやったー!と小躍りで見に行ったらどうやらこんなことになっているようだぞ、と。

知らなかった。対岸の火事が一気に目の前まで広がって私は1人で勝手に怒り狂った。「やっぱりな!」「だから見てなかったんだよね!」「先生に辛い思いをさせるな!」など内心ぐちぐちしていた。

でもその時もこうなるとは思わなかった。

思うわけないじゃないか

そう、だって私は芦原先生ではないので。ドラマすら見てない「対岸の火事」の人なわけで、芦原先生が辛い最中にいるとは知っていても理解していなかった。

私は見ないふりができるけど芦原先生はそれをせず向き合い続けなければならかった。

それをわかっておらず「私は原作派なので次の新刊楽しみにしてます」だなんて呑気に思っていたのだ。


火蓋が切られたのは脚本家さんのSNSだったように思う(もちろん原因はドラマ開始時から始まる、テレビ局含む地続きの話なのだけれど)。

そして私が芦原先生自死を知ったのもSNSだった。

本当にやるせない。やるせないでしかない。

もちろん誰かを責めるつもりはない。

SNSの怖さは知っている。軽く放った言葉はすぐに刃になってしまう。

先生最後ツイートも、とても痛々しく胸に突き刺さる。だからこそやるせないのだ。

本当にたらればを考えてしまう。

ドラマ化の話がなかったら。

テレビ局最初約束を守ってくれたら。

作者ではなく出版社が戦っていれば。

最後に選ぶのが自死でなければ。

どうしてどうして。

どこかで誰かが止められなかったのかと思うけれど、何度考えても一読者の自分には何もできなかったと思うことが心苦しい。

同業の方々がそれぞれ悲しみの声を上げていて、

SNSを開いていてもそれがどんどんレコメンドされてくる。

同じ気持ち(と言っていいかからないけど)を抱えてくれてありがたいと思う一方で、自分勝手に辛くなってしまうのでSNSをそっと閉じた。

特定の誰かを責めたり正義を振りかざすのはよくないと思う。

よくないとは思うが「会社」としてはそれぞれこれからのことを考えて欲しいと思う。

特に日本テレビの(正直自己擁護に見える)コメントには失望を超えて絶望した。

人の心ある?よくこの言葉を今言えたな、もっとかに言い回しあったじゃん…本当にちゃんと考えてあのコメントを出したのか理解に苦しむ。

放つ言葉責任を持って仕事をするのはメディア仕事範囲に含まれないのだろうか。

(まぁこんなことを言っても「一読者の私」の声なんて日本テレビには届かない。

問い合わせとかしたところでどうせ該当の人たちには届かないだろう。せいぜいコメントチェックした人が人間感情がいきなりぶつかってきたことに不快になるだけだ)


どうしてどうしてと考えていたらこんな時間になり、朝を迎えてしまった。

何かを伝えたいとかもなく、自分の心の整理のために書いている。

ああこれから先、芦原先生作品を見返せば素晴らしい作品だなあ!という感情以上に、

セクシー田中さんが未完で終わってしまたこと」「先生が死んでしまたこと」を思い出してしまうんだなぁ。

島根に行って、仁摩サンドミュージアムに行っても出雲大社に行っても思い出して泣いてしまうんだ。

先生どうして死んでしまったのですか。

残される辛さを、砂時計で教えてくれたではないですか。私は今しにたい気持ち必死に抑えられているのはその作品があったからですよ。

先生の苦しみは死で救われたのでしょうか。

天国とやらに行って何か美味しいものでも食べているのでしょうか。

私にはまだわかりませんが、そちらの世界が優しくあたたか世界であることを願います

そして今までたくさんの素敵な作品を生み出してくださりありがとうございます

一読者の私でしたが、心よりご冥福をお祈り申し上げます

どうか、上から見るこの世界がもう少しやさしくなりますように。

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

日テレの初期対応の悪さについて

今回の事件で渦中にいるのは日テレなのだ

作者の死去をニュースで報じているのは日テレだけである

後追い記事日テレが報じたと書いているものであり、小学館からコメントはまだない。

捜査関係者から聞いたとの報道もあるが、それも日テレだ。

普通、このような自死があると遺族や事務所関係者は速報で伝えない。

漏れしまうこともあるが数日開けたりする。

小学館もその対応のつもりだったのだろうが、

日テレは先走った。渦中の日テレやらかしているのだ。

おそらく焦ったのだろうが……

本当に信じられないほどの初期対応の悪さ。

ジャニーズ吉本の比ではない…。

殺人装置になってしまったSNSとそこに組み込まれていた私

ここ数日ネットで話題になっていた騒動が全く想像もしていなかった、そして全く救いのない展開を迎えて衝撃を受けている。原作ドラマも触れてこなかった私でも、悲劇の一報を聞いた時にはあまりのショックに吐きそうになった。SNSでは「犯人捜しや特定個人を吊るし上げることは絶対ダメだ」という意見散見され、私もそれに全面的同意する。しかし今思うのは、私自身今回の悲劇を招いた゛一滴”になっていなかったか、ということである

木村花さんやりゅうちぇるさんが自死を選んだ時、私は執拗誹謗中傷を行い続けた連中に心底憤った。しかし今回の件は誹謗中傷ターゲットにされた人物ではなく、構図的には被害者で、外野から多数の支持を得ていた形になっていた人物が自ら命を絶ってしまった。ここからあくま憶測になるが、騒動があまりに大きくなりすぎて自責の念を感じてしまったのではないかと思う。テレビ局特定個人へ向かう誹謗中傷の規模や熱量のすさまじさを目の当たりにして(重ねて申し上げるが憶測しかない)。

ここまで考えて「SNSを利用している私にも責任の一端があるかもしれない」と思った。私は今回の騒動関係者誹謗中傷クソリプを送ったことはない。しかし、騒動顛末をわかりやす説明するツイートRTし、いいねもした。この行為騒動を大きくする一滴だったのではないかと思う。ネット炎上洪水表現すれば、川から溢れた水があらゆるものを飲みこんで破壊していくそ過程で、私のRTいいねが一滴として貢献した気がしてならない。

SNSが人の命を残酷に奪い続けている。これまではあくまでそれに怒る側としての自分しか自覚していなかった。自分誹謗中傷を行ったりしないし、クソリプを送り付けることもない。しかし今回の件は違う。騒動が大きくなりすぎたことが1人の人間を追い込んだのだとすれば、私は知らず知らずのうちのそこに加担したことになる。

2024-01-29

漫画家自死を受けてSNS規制しろみたいな話になってるけど

SNSアカウント誹謗中傷する個人が悪いのに、感情論SNS全体を批判しないでほしい。

殺人事件凶器に使われたか包丁規制しろ!」と同じことを言っていることに気付いてほしい。

有名人同士のトラブルで、片方が自死し、遺書の中で自死の原因として相手を名指し、相手もそれにより自死した場合、悪いのはだれ?

双方煽った外野

まずは日テレ、だと思う。

漫画原作日テレドラマしました。

作者がドラマに対してコメントしました。

自死しました。

自分日テレ人間だと仮定して「日テレに何らかの責任はあるか」と自問して「全く無い」って言える奴おるんか?

炎上させた奴らがまず悪い、うちの責任はその次だと思う」って言うか?

大丈夫じゃなくなりたい

やっと死ぬことにした。

そもそも18まで生きてられると思ってなかったし、25まで生きてるつもりもなかったのに、気がついたらもう27。

30まではさすがにと漠然と思って過ごしていたけど、ここ数年はまあ別に大人生活も悪すぎることないし、このまま一旦30まで向かってみるかあと思ってた。

ただずっとぼんやりと辛くて悲しくて寂しいのが毎日

それでも今すぐ死ぬぞ!という勇気エネルギーもないままに生活が続いて、生活できてるってことはまだ大丈夫ってことで、まだ大丈夫ってことは…で、生きてられてしまった。

でも常に死にたい気持ちがあって、早く大丈夫じゃなくなりたかった。

1番ずっと考えてきたこと、早く大丈夫じゃなくなりたい。

大丈夫じゃなくなって、死ななくてもいい理由とかが見えなくなりたいと思って。

最近、色々な事がもううまくいかないとわかったり、生活がままならないくらい金が無かったり、好きなはずのものに心動かされるのが煩わしくなってしまったり、一緒に生きていきたいはずこ友人たちとももうどうしたって見えてる世界が違うんだとわかってしまったり、本当に欲しいもの絶対に手に入らない苦しみが歳を重ねるごとに膨れ上がってしていたり、気が付いたら本当に何にも無い、空っぽになってしまった。

だったら別に30なんて数字にこだわる必要もないし、早い方がいいなと気が付いたので、死のうと思う。

友達比較的多い方だと思う。

たぶん僕が死んだらどの友達も悲しんでくれると思う。わからん。怒るかも。

本当は大好きな人たちともうしばらく生きていきたかったけど、そうもいかないみたい。

大好きな友人たちを「友達自死した人」にしてしまう事がすごく気がかりではある。

きっと想像まできないくらい辛いだろうから

死のうと決めた後、友人たちと旅行の予定があったので、そこで楽しく過ごして思い出作っておこうと思って、死ぬ日は旅行後に設定した。

旅行中、感極まっちゃったりするかなと思ったけど、全然そんなことなく、皆といつも通りすぎるいつも通りを過して楽しかった。

死ぬ前にやりたい事とか、会いたい人とか食べたい物とか、そういうのはじめたらきりが無くて何年あっても死ねそうにないので一切考えないようにしてる。

あと本当に金が無いのでしたくてもできない何も

死のうと決めてからリスカも全くしてない。やっぱ自傷行為って生きるための行為なんだな。

↑ここまでの文を投稿したのが10月くらい。

ここから3か月。生き伸ばしてしまった。

この時にちゃんと死んでおけばよかったと毎日毎日本当に心から後悔しているくらいには、この時よりもずっと状況は悪くなってしまった。

どの道を選んでももうどこにも行けない。

引き返すこともできないから、いなくなるしかない。

誰も何も悪くなくて、ただ、ここに至るまでに自分が選んできたたくさんのことが、たくさん間違っていたんだと思う。

もうどこにも居場所もなくて、何もかもぼくを必要とはしておらず、ぼくにとって必要ものももう何もなくなってしまった。

悲しんでくれる友達も減っちゃっただろうな。

人が好きで、たくさんの人と楽しく過ごせることだけがぼくの人生の誇りだったはずだった。

それができないぼくは意味がないよなあ。

このままの生活を続けていたら、ぼくは大切で大好きな人たちの幸せも願えなくなってしまう。

そうなる前にいなくならないと。

今1番怖いのは、死ななくても良くなってしまうこと。

そうなる前にちゃん自分で決めないといけない。

あと数日、普通に仕事して普通にご飯作って普通に暮らそう。

ちょっとだけ自分のための時間が作れたらいいな。

本当は最後に会いたい人もしたいことも見たいものも行きたいところもたくさんたくさんあるんだけど、きりがないよな、そんなの。

迷惑をかけてしまうであろう人たち、ごめんなさい。

これで死に損なったらダサいなあ。

自死自体そもそも救いようもなくダサい

ぼくの大好きな人達がこれから毎日楽しく幸せでいられますように。

から願ってる。

ぼくの大好きな人たち、皆、誰よりも、世界で一番幸せでいて。

こんなん言ってるけど実際立ち上がったら足が竦むだろうなあ

自死遺族からの緊急提言

漫画原作者さんが自殺したというニュースが舞い込んできました。

この方のご冥福をお祈りするとともに、残された遺族の方に心よりお見舞い申し上げます

自死遺族の一人として、この方の自死に対して緊急提言することをお許しください。

この自死成功させてはいけません。

すでに自死のものについては成立してしまっている以上、これを失敗させることはできません。

成功させてはいけないものは、その方の自死目的の部分です。

その方がどのような目的をもって自死を選んだのかは、もはや残された我々にとって見れば理解することは不可能です。

しかしながら、その不可能ものに対して、生きている人たちの間でああでもないこうでもないというまことしやかな妄想がすでに始まっています

そしてその中のいくつかは、刃となって誰か個人に向けられ始めています

誰に言われるでもなく、自らを責めている人もいるかも知れません。

それこそが自死にとっての一番の成功であり、我々生きている人間が止めなくてはならない自死目的です。

残酷なことを言えば、自死は究極の逃避でしかありません。

残りの全てを生きている側の人間に委ねる、死への逃避です。

残された側の人間は、もはや答えることのない相手に対して、一生をかけて問いかけを続けることしかできなくなります

その答えを知ることは、誰にも、自死をした本人ですら不可能からです。

それなのにその答えを求めて苦しみ続けることこそが、自死目的であり成功といえます

自死成功を止めなくてはならない理由は2つです。

自死を選ぼうと悩む人間に対して、自死ではその目的は満たすことができないことを教えるため。

そして、ある目的を満たそうとする人に対して、自死という選択を与えようとする人間を止めるためです。

その自死成功してしまえば、次に自死を選ぼうとする人間にとっての希望となってしまます

かに自死という選択を与えようとする人間にとって、根拠を与えるきっかけになってしまます

誰かの自死成功が、誰かの自死を生むきっかけになってしまうのです。

だらこそ、生き残った人間たちは、自死目的成功させてはならないのです。

自死を選んだ人間に対し、残念だけどあなた自死はそれ以上の意味を持たなかったと教える必要があるのです。

それを生き残った人が勝手解釈して、誰に責任があるとか、なにかに原因があるとかという話をしてしまえば、それは自死を選ぶ人間にとって思う壺でしかありません。

自死肯定することは、あなたの身近にいる大切な人に、自死という選択を与えるきっかけにしかならないのです。

からといって自死否定しろということではありません。

あなたに優しさがあるなら、やるべきことは原因に対して感情の拳を振り上げることではなく、自死を選ばざるを得なかったその人の選択にそっと寄り添うことです。

その自死を二度と世の中で繰り返さないために、静かにゆっくりと、それでいて正面から問題と向き合って取り組むことです。

それ以外に、その人の自死が報われることはありません。

今回の原作者自死を、暗闇で膝を抱えながら眺めている人がいます

今回の自死に対して、世の中の反応をまばたきを忘れて見入っている人がいます

もしその人の前で、この自死成功してしまったら、その人は自らの目的のために自死を選んでしまうかもしれません。

その誰かは、あなたのすぐ隣りにいる大切な人かもしれません。

もしこの方の自死を本当に悲しいと思ったなら、わたしたちがすべきことは、感情に任せて安直な原因に対して拳を向けることではなく、成功しなかった自死に対して、失われてしまった命にそっと寄り添うことなのではないでしょうか。

あなた自死は、あなた目的を満たしません。

誰かの自死は、誰かの目的のために利用されるものではありません。

その命は、その命として失われた悲しみにそっと包まれるべきものです。

自死成功させてはいけません。

自死遺族からのお願いです。

anond:20240129191314

自死が抗議の最上級なのは過去未来も変わらないのでお願いですから自死しないでくださいって言い続けるしかないよ。

作者の気持ち本心とは別に日テレちゃん調査しないといけないと思う。

漫画ドラマ化したら作者が自死しましたがうちに問題はなかったと思いますさあ次いきまっしょい」で納得できる人この世におらんだろ。

anond:20240129183106

いやもう遺書になった言葉の「攻撃」って言葉出所を考えるとさぁ……つらいしかない

冷静だったら自死という行為自体が最大の攻撃になるから攻撃するつもりはなかった」ことを行動でも示すためにやっちゃいけないってことはわかるわけ

でもあれだけ擁護意見があっても、「攻撃するつもりはなかった」をいいのこした上であの手段にでたってことはさ、

擁護された→「(ネット民がやってるような)攻撃するつもりはなかった」→考えがかわった?→「行動」

ではなく

擁護された→「?」→「攻撃するつもりはなかった」=「行動」なんだろ、本人にとっては

なにかあったとしかおもえん

 

たとえばだよ、

もう片方死亡しとるから絶対表に出ないだろうけど

テレビ局側が連絡ツール持ってることはブログでいってたんだから

やっぱり「ああいう形で[攻撃]されたのは残念です、思うところがあるならまえもっていってほしかった(←いってた)」くらいの反応があったとか。

別に違法行為とはおもわない、社会人としてあたりまえのことだろうけど。

 

片方は演じることに関わったスタッフ全員が味方になってくれるわけ おまえ一人のブログ現実迷惑被ってますよっていえるわけ

もう片方はあやまった判断を止めてくれる人がだれもいないような孤独な戦いに身を置いていたわけだ

キャラたちは自分の行動が曲げられた悲しいっていってても原作者一人分の人権しかない

悲しいよそりゃ

「Aの行動が多分影響して、Bが自死した」を「AがBを殺した」と呼ぶな

「Aの行動がおそらく影響して、Bが自死した」

ことをもって、

「AがBを殺した」

と短絡的に表現するのをやめろ。

同じストレスでも人の反応はそれぞれだ。性格やその人の置かれた状況によって、普通の人なら単に嫌な思いをする程度の軋轢でも死を選んでしまう人はいる。

Bが自死たからといって、Aの行動が「Bに死を決断させると予想できること」だったとは限らない。それは殺人ではない。

それが実際に「殺したようなもの」だったかは、起きたことをの真相を知らないと判断できない。そしてネット民には真相を知る手段はない。

あきらめろ。お前が誰かを断罪したいと思っているのは、自分モヤモヤを解消したいだけの、お前個人わがままに過ぎない。

次はお前の断罪に影響されてCが自死するかもしれない。

黙ってろ。

anond:20240129182629

芦原妃名子を殺したのは、脚本家を叩いていたネット民だよな

自殺は複合的な要因で発生するので、もともと芦原妃名子自殺因子を持っていた可能性はあるが、起きていたことを追っていくと「攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい」と書いた日に行方不明、翌日遺体発見されているんだから自分発言脚本家はじめドラマ制作班が叩かれていることに病んで自死を選んだわけだよね。つまりネット民が殺したということだ。まあ当事者自覚なく、今後も脚本家を叩き続けるだろうけど、そっちの人が自殺したらどう思うのかね。

2024-01-26

人生安心安全な終わりを自分で設定したい

現代における自死安心安全ではないとする。

 

もう長生きに備えて若い時代をしたくもない労働に費やすのはうんざりなんだよ!!

2024-01-21

anond:20240121160351

死ねずに半身不随になって

金もなきゃ自死もできない状態になる可能性もあるぞ

2024-01-20

anond:20240120233958

と書くと自死しろかいうアホがいるが失敗したら困るだろ

2024-01-18

anond:20240118114356

結局人生論かもしれないけど

お金がなくなったからって自死する人生の終わり、ワイは嫌やで

数年前いとこが自殺したんだけど

いとこっつっても10年以上会ってなかったんだけどね

いとこの父親叔父)は会社取引の人なので上司と関わりがある(増田は下っ端なので全然関わらない)

ついこの間上司に「増田叔父さんって息子さんって今いくつだっけ?」と聞かれた

叔父は息子が死んだことを伝えていないんだろうと思った。まあ仕事関係はないので当たり前といえば当たり前だが

自分の5つ下ですね~と曖昧ニュアンスで乗り切ろうとしたら上司の息子と同い年だったらしく「へー奇遇!今度話してみよう」となった

勿論上司に他意はない。たぶん話題の一つくらいにしか思ってないだろう。けど、一人息子を数年前に亡くしたばかりの叔父とその話で盛り上がれるとは思えなかったし事情を知った後双方気まずい思いをしそうだなと思って正直に「実は…」と伝えた

自殺したことは言っていない。亡くなった、とだけ言った

事故か何か?」と聞かれて、「そうです」と嘘をついた。嘘をつく必要があったかどうかも分からないけど、嘘をついた

たぶんこれから先誰に聞かれても事故死と説明するだろう。増田はいとこがなんで自死を選んだのかの理由すら知らない

正月祖父母宅に行ったら祖父母叔父母)と母(叔父姉)がアルバムを見ていて気まずい思いをした、冬

2024-01-14

anond:20240114095403

イカーに搾取され続けバーンアウトして自死に至る人間を思えば、他人に報われなくてもいいなんて思えないですけどね。

まあ、いろいろとやかく言ってきましたが、現実問題としては、クソとはうまく距離を取ることでしょう、無難に、あなたも私も。

2024-01-12

anond:20240112152442

スイスカナダって精神疾患患者安楽死やってるの? って知らなかったかビックリした。

調べてみたところ、カナダはいろいろな条件を満たす必要があって限定的運用にとどまりスイス場合

自死したいという思いが病気に起因するものでないことを立証することが難しく、スイス精神疾患患者自殺ほう助が認められるケースはまれ

とのこと。

誰でもOKなら世界中から希望者が集まりそうなものだけど、現状そんな簡単はいってなさそう。

日本危惧されているようなことはカナダスイスでも危惧されているようなので、制度がどのように運用されていくのか社会実験として興味深い。

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